2012年08月09日

立秋がすぎて・・・

立秋がすぎて、
「残暑お見舞い申し上げます」
という挨拶の季節になりました。
早速に、台風が、
日本にやってきました。
残暑の暑さによる夏ばてなどに
気をつけつつ、
台風による災害が、
少ないことを願ってやみません。
残暑見舞いの挨拶、
日本の季節感のあるよき慣習ですね。
大切にしていきたい挨拶の
ひとつではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 07:30| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月08日

明歴歴露堂堂

『明歴歴露堂堂』
   「五燈会元」より

心の目をひらき、五感をつかい、
ありのままの姿を、
しっかりとみつめよう。
自然は、天地は、常に、
明かであり、堂々と存在している。
心の曇りや、かげりが、
その姿を見えなくしていること
感じなくしていることに
気づいて、世界をみつめよう。
そうすることで、
何かが変わってくる。
何かを感じることができる。
「明歴歴」の世界や
「露堂堂」の世界は、
いつも、あなたの側にあり、
近くにあるのだから、
それがみえないのは、
あなたが、みようとしないから。
ほんの少し、勇気をもって、
目を見開き、五感と心を全開にして、
世界をみつめてみよう。
きっと、何かを得られるはずだから。
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2012年08月07日

主人公

『主人公』
   「無門関」より

「瑞巌の師彦和尚、
 毎日自ら主人公と喚び、
 復た自ら応諾す」

主人公、禅語で、
「本来の面目」
仏性を具えた本来の自己、
真実の自己のことを
意味しているそうです。
だれもが、
自分の人生においては、
主人公であるということを
忘れないで、いたいものですね。
何か、迷ったり、
悩んだり、誤った道へと進みそうになったら
自分の本来の姿を、
人生の主人公として、
あるべき姿を、振り返って
求めてみることが、
大切なのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 03:19| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月06日

自灯明 法灯明

『自灯明 法灯明』

釈尊が亡くなる間際に、
弟子が「師が亡くなられたあとは
何を頼りに生きたらいいのでしょか?」
と尋ねたそうです。
すると、釈尊は、
「自らを灯りとせよ、法を灯りとせよ」
と答えたそうです。

自分の力で、自分の存在を信じて、
他に依存することなく、生きていけばよい。
それでも困ったら、仏法を頼りに
すればよい。
自ら、出家して、修行の道を歩み
悟りをえた釈尊の言葉らしい言葉だと
思います。

自分の灯りを、少しでも大きくしていく
その努力が、自分の歩んでいく道の先を
照らしてくれるということ
ですね。
自分を信じられずに、
他人を信じることなどできないしょうし、
自分を愛せずに、
他人を愛する事などできないでしょう。
そして、
人生をともに歩んでくれる人と出会い、
2人の灯りで進めるようになれば、
より他しかな歩みを、
人生の中で、進んでいけるのでは
ないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 22:59| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月05日

照顧脚下

『照顧脚下』

何か、大きなものを求めて、
遠くをみつめていて、
なかなか物事がうまくいかないこと
そんなことはありませんか。
自分の足元を、
照らして顧みることが、
そんな時には必要なのかもしれません。
身近なことに、気をつけて
顧みることができないようでは、
何ごともうまくいかないもの。
この言葉は、そんなことを
戒めてくれています。
posted by 清水の伏竜. at 23:04| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月04日

一期一会

『一期一会』
   「山上宗二記」より

一期=人の一生。
一会=唯一ただ一度の出会い。

人生のなかでの出会い。
それが、どんな出会いであっても
貴重な一時。
一生のなかで、人が出あう回数は
限られたものです。
それが、よく知る友人や、
家族との出会いであっても。
だから、出会いの時、ともに過ごすときを
大切にしていきたいものですね。
直ぐに会える、
いつでも会える、
そう思っている相手であったとしても
もしかしたら、その出会いが
最後になってしまうかもしれません。
だからこそ、どんな出会いえあっても
大切にしていきたい、
大切にしなければならない。
そうなのだということです。
posted by 清水の伏竜. at 05:14| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月03日

木鶏鳴子夜

『木鶏鳴子夜』
    「荘子」より

闘鶏の訓練をする名人がいて、
王のための闘鶏を育てていたとき、
王が、戦いの場へとデビューさせてよいのではとの
問いかけに、なかなか、よい返事をしませんでした。
何十日かたったころ、
ようやく名人は、王に「他の鶏が鳴くのを聞いても
まるで木の鶏のように、平然としてるように
なりました」といって、闘鶏のデビューにOKの
返事をしたという話からきている
言葉だそうです。
虚勢をはったり、
威嚇したり、
相手に対する対応が、
大げさで、強くみえるようでも
そんな状況では、まだまだダメ。
本当に強いものは、
どんなときでも、泰然自若として、
無為自然で、どっしりと構えていられるもの。
人として、人格者足り得るには、
無我無心で、人に尽くすことのできる
ようでなければならないということです。
木鶏のように、動じない人間に
あなたは、なれますか。

なかなか、なれそうでいて、
なれなかったりするものです。
心を常に平安に保つことは、
以外と難しいことですからね。
posted by 清水の伏竜. at 07:15| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月02日

無一物中無尽蔵

『無一物中無尽蔵』
     六祖慧能のことばより

空、無の状態になって
はじめて万物の美しさや
ありがたさがみえてくるもの。
世界のすべてのものが
かかわりあい、ささえあって
存在していることを
知ることができる。
一見なにもないようにみえても
そこには、何かが存在していて、
それは、その本来の美しさを
秘めているのに、欲望や、迷いなどの
心をもっていると、
その姿をみることができない。
空の状態になってみれば、
自然に、その姿がみえてくるもの。
いかに、自分のまわりに、
さまざまな存在ああり、
かかわりあっており、
輝いているのかを、
知る事ができる。
そんな境地に、たどりつくことが
人生をよりよくいきるためには
大切なのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 02:09| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月01日

放てば手にみてり

『放てば手にみてり』
     「正法眼蔵」より

座禅により、思いや執着を捨て去ることで
心のなかを空とすることで、
真理と一体となる境地を得る事ができる。
手にもっているものがあれば、
新たになにかを手にとることはできない。
だから、一度、手放してみることも
必要なのだということです。
人の手にすることのできるものに
限りがあるとしたら、
あなたは、何をその手にしたいでしょうか。
今、手にしているものを
そのために手放せますか、
手放すことが出来なければ、
新たに手にすることは出来ないかもしれません。
そんなことを伝えてくれています。
無欲の境地になってこそ、
得られるものがあるということにも
通じます。
なかなか、難しい境地ではありますけど。
posted by 清水の伏竜. at 02:45| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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