2012年08月05日

照顧脚下

『照顧脚下』

何か、大きなものを求めて、
遠くをみつめていて、
なかなか物事がうまくいかないこと
そんなことはありませんか。
自分の足元を、
照らして顧みることが、
そんな時には必要なのかもしれません。
身近なことに、気をつけて
顧みることができないようでは、
何ごともうまくいかないもの。
この言葉は、そんなことを
戒めてくれています。
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2012年08月04日

一期一会

『一期一会』
   「山上宗二記」より

一期=人の一生。
一会=唯一ただ一度の出会い。

人生のなかでの出会い。
それが、どんな出会いであっても
貴重な一時。
一生のなかで、人が出あう回数は
限られたものです。
それが、よく知る友人や、
家族との出会いであっても。
だから、出会いの時、ともに過ごすときを
大切にしていきたいものですね。
直ぐに会える、
いつでも会える、
そう思っている相手であったとしても
もしかしたら、その出会いが
最後になってしまうかもしれません。
だからこそ、どんな出会いえあっても
大切にしていきたい、
大切にしなければならない。
そうなのだということです。
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2012年08月03日

木鶏鳴子夜

『木鶏鳴子夜』
    「荘子」より

闘鶏の訓練をする名人がいて、
王のための闘鶏を育てていたとき、
王が、戦いの場へとデビューさせてよいのではとの
問いかけに、なかなか、よい返事をしませんでした。
何十日かたったころ、
ようやく名人は、王に「他の鶏が鳴くのを聞いても
まるで木の鶏のように、平然としてるように
なりました」といって、闘鶏のデビューにOKの
返事をしたという話からきている
言葉だそうです。
虚勢をはったり、
威嚇したり、
相手に対する対応が、
大げさで、強くみえるようでも
そんな状況では、まだまだダメ。
本当に強いものは、
どんなときでも、泰然自若として、
無為自然で、どっしりと構えていられるもの。
人として、人格者足り得るには、
無我無心で、人に尽くすことのできる
ようでなければならないということです。
木鶏のように、動じない人間に
あなたは、なれますか。

なかなか、なれそうでいて、
なれなかったりするものです。
心を常に平安に保つことは、
以外と難しいことですからね。
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2012年08月02日

無一物中無尽蔵

『無一物中無尽蔵』
     六祖慧能のことばより

空、無の状態になって
はじめて万物の美しさや
ありがたさがみえてくるもの。
世界のすべてのものが
かかわりあい、ささえあって
存在していることを
知ることができる。
一見なにもないようにみえても
そこには、何かが存在していて、
それは、その本来の美しさを
秘めているのに、欲望や、迷いなどの
心をもっていると、
その姿をみることができない。
空の状態になってみれば、
自然に、その姿がみえてくるもの。
いかに、自分のまわりに、
さまざまな存在ああり、
かかわりあっており、
輝いているのかを、
知る事ができる。
そんな境地に、たどりつくことが
人生をよりよくいきるためには
大切なのかもしれませんね。
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2012年08月01日

放てば手にみてり

『放てば手にみてり』
     「正法眼蔵」より

座禅により、思いや執着を捨て去ることで
心のなかを空とすることで、
真理と一体となる境地を得る事ができる。
手にもっているものがあれば、
新たになにかを手にとることはできない。
だから、一度、手放してみることも
必要なのだということです。
人の手にすることのできるものに
限りがあるとしたら、
あなたは、何をその手にしたいでしょうか。
今、手にしているものを
そのために手放せますか、
手放すことが出来なければ、
新たに手にすることは出来ないかもしれません。
そんなことを伝えてくれています。
無欲の境地になってこそ、
得られるものがあるということにも
通じます。
なかなか、難しい境地ではありますけど。
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2012年07月31日

宇宙無双日 乾坤只一人

『宇宙無双日
 乾坤只一人』
    禅のことば

宇宙には、太陽は2つはなく、
天と地の間に、
人は唯一の存在として
生きている。
同じ命、同じ人は、この宇宙にひとりきり、
だから、存在していることが
既に価値があること。
だから、もっと自分を大切にし、
他人を大切にし、
良く生きていくことこそが、
人の道なのでしょう。
自分の存在価値に、
誰もが、もっと自信をもって
生きていくことが、
大切なことだといえるわけです。
でも、その価値の大きさと
重さを、人は時として忘れてしまいます。
辛いとき、
苦しいとき、
不満があるとき、
不幸だと感じるとき、
でも、そんなときであっても
人の価値は、大きいものなのだと
言えるという事ですね。
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2012年07月30日

何時も勝敗の念を度外に置き

『何時も勝敗の念を度外に置き、
 虚心坦懐、事変に処した。
 それで、死客の厄を免れ、
 瓦解前後の難局に処し、
 綽綽として余地を保った』
        勝海舟

 自分の立場ではなく、
その立場を離れて、
虚心坦懐に処して、
生きてきたことが、長生きできた
理由だったということだそうです。
謙虚であり、無心であり、
常に、国を思い、民を思って
生きてた明治維新の時代の偉人の言葉は、
やはり、重みがありますね。
生きることとは何なのか。
よく考えてみることも
時には必要なのかもしれません。
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2012年07月29日

ひたすら世をむさぼる心のみふかく、・・・

『ひたすら世をむさぼる心のみふかく、
 もののあわれも知らずなりゆくなん、
 浅ましさ。』
        吉田兼好

 欲望のまま世の中をむさぼるだけで、
物事の道理もしらずにいることは、
いかにも、浅ましいことだということ
昔から、人の道理と呼ばれる道徳を守る
ことが大切であったわけですね。
最近の事件などでは、道徳のなさ、
人として最低限守るべきことが、
失われてしまっているかのように
感じることが多いものです。
ちなみに、この文の前文で、
長生きすると恥じをかくことも多いから
40歳にならないうちに死んだほうが
よいでしょうといった内容が記述されて
います。当時の40歳ですから、
今は、もっと後かもしれませんけど、
なかなか衝撃的な言葉ではありますね。
定年前に死んでしまったほうが、
浅ましくいきるよりよいといった
感性をもっていたようです。
とはいうものの、浅ましくならなければ
よき徳をもって人を導けるのであれば
もっと長生きすべきなのだとも
いえるでしょう。
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2012年07月28日

温故知新という古い言葉があるけれど、

『温故知新という古い言葉があるけれど、
 それは当然のことなんで、
 はたして今の若い人たちに
 そうした気持ちがあるかどうか』
         黒澤明

 世界の黒澤明監督も、師匠であった先輩監督から
学びとっていた、それまでの映画の製作技術から
自分の技術を磨いていって、世界的な名作を
創り出していったということです。
だからこそ、過去、先人、先輩から
教わる事や得られることなどがあるということを
忘れずにいて欲しいという気持ちが、
表れている言葉です。
技術の継承、そして、そこから自分の力で
プラスαをしていくことで、
次のステップへと進んでいくことに
なるものなのですね。
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2012年07月27日

青春の夢に忠実であれ

『青春の夢に忠実であれ』
      シラー

青春時代という言葉のさす時期は、
いつなのか、なかなか定義は
難しいのかもしれません。
ただ、10代から20代前半は、
間違いなく青春時代でしょうね。
その頃に、みた夢を、
決して忘れずに、その夢に忠実に
生きていくことが出来たなら、
人生は楽しいものになるのでは
ないかと思います。
夢をみるのが、難しい時代とも
言われています。
哀しい時代です。
青春時代に、よい夢を、
みたいものですね。
また、みせることのできる
社会でありたいものです。
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2012年07月26日

己立たんと欲して人を立て、

『己立たんと欲して人を立て、
 己達せんと欲して人を達す』
      「論語」より

自分が、立とうと思ったなら、
まず人を立たせてあげる。
自分が成し遂げようと思ったら
まず人に目的を遂げさせてあげる。

自分のことよりも、他人への思いやりこそが
大切であり、相手の気持ちを考えて、
自分よりも、相手を支えてあげること。

”仁”と言う文字で、表される人の道の
ありかたを説明した言葉です。
慈愛に通じるものがありますね。

誰もが、この言葉を実践できる社会であれば
平和で、暮らしやすい、幸せな社会に
なることでしょう。
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2012年07月25日

道聴塗説

『道聴塗説』
   「論語」より

道すがら、たまたま耳にした話を、
すぐに、その道すがら、
他人に話しをする。
よく内容も理解せずに、
右から左へ、受け売りして、
喜び得意げな格好をするのは、
かえって信用を無くすもとに
なるだけだから、やめましょうという
意味の言葉です。
伝聞情報を扱うときには、
本当に注意が必要です。
メディアに最近多い誤報も、
そんな伝聞情報が、元になっているケースが
多いようです。
自分で確認した事実でさえも、
相手に伝えるときには、
注意すべきことがあるのですから。
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2012年07月24日

渇しても盗泉の水を飲まず

『渇しても盗泉の水を飲まず』
      「猛虎行」より

中国に盗泉という名の泉があるそうです。
孔子が、諸国を遊説していたときに、
その泉の側を通りかかったとき、
非常にのどが乾いていたのに、
泉の名が盗泉と聞いて、
水を飲まなかったということです。

どんな状況に陥っても、
悪いことに身を染めてしまったり、
手をとってしまってはいけない。
その事を、伝えている言葉です。
犯罪でお金持ちになり贅沢な暮らしを
するよりも、
潔白で、正義の慈愛をもって、
貧乏に暮らすほうが、
人生の価値としては、
上であるということですね。
posted by 清水の伏竜. at 00:38| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月23日

ゲド戦記歌集

「ゲド戦記歌集」というCDが発売されています。
 テナー役の手嶌葵さんの歌声が響く、素敵なアルバムです。
 作品の世界観を表現している歌でもあり、
 人の生きることにかんする想いを、感じ取れるような
 そんなアルバムにもなっている気がします。
 宮崎さんの詩に、谷山さんのメロディーが、
 とても素敵です。
 いずれ、谷山さんの歌声で、別の雰囲気でも、聞いてみたい
 そんな歌でもありますね。



 聞いてみた印象を語ってみます。

 『数え歌』作詞:宮崎吾朗・作曲:谷山浩子
   ・アカペラで、心地よく流れてくる数え歌、
    ゲド戦記の中の旅を感じさせてくれる感じがします。

 『竜』作詞:宮崎吾朗・作曲:谷山浩子・編曲:塩谷哲
   ・ピアノのメロディーにあわせて、
    静かに語られる太古から息づいている竜の存在、
    竜が、どんな存在なのか、語り部により
    伝え聞くことが出来る、吟遊の曲といったイメージです。

 『黄昏』作詞:宮崎吾朗・作曲:谷山浩子・編曲:小倉博和
   ・ギターの旋律に、絡む楽器の音色、
    そこに重なる歌声、ゲド戦記で描かれる時代の
    黄昏に心の中から湧き上がる想いを感じます。

 『別の人』作詞:宮崎吾朗・作曲:谷山浩子・編曲:中脇雅裕
   ・少しテンポがはねている、それは、心の中の動悸なのかも
    変わりたい願い、その夢の中での
    変わった自分に心を躍らせている感じです。

 『旅人』作詞:宮崎吾朗・作曲:谷山浩子・編曲:フェビアン・レザ・パネ
   ・2人の旅、その旅の記憶を、思い起こされる
    そんな歌です。ハイタカとアレンの旅、その旅が
    どんなものであったのか、イメージが浮かんでくる
    吟遊詩人の歌です。

 『ナナカマド』作詞:宮崎吾朗・作曲:谷山浩子・編曲:中脇雅裕
   ・あかるい感じで、旅する想い人との思い出と、
    再会のときを、信じて、そんな気持ちで、
    前向きに、願いを想う歌です。

 『空の終点』作詞:宮崎吾朗・作曲:谷山浩子・編曲:小倉博和
   ・”空はどこまで続いているの?”そんな子供の質問に
    どう答えますか、その問いかけをした子供の心を描いて
    みるとこんな感じではないでしょうか、
    そんな、ちょっと楽しいでも、深い、歌です。

 『春の夜に』作詞:宮崎吾朗・作曲:谷山浩子・編曲:中村幸代
   ・ピアノソロのゆるやかなメロディーに、
    夜明けの春、明けてくる季節、笛の音が、きれいに重なり
    芽生えの季節の訪れと、そこへの願いの心が、
    ゆるやかに、やさしく、こころの中に染み込んできます。

 『テルーの唄』作詞:宮崎吾朗・作曲:谷山浩子・編曲:中脇雅裕
   ・歌集バージョン。
    アカペラで始まり、ピアノのソロ伴奏が入り、
    唄は、謳い謡われ、語り掛けてきます。

 『時の歌』作詞:新居昭乃、宮崎吾朗・作曲:新居昭乃、保刈久明・編曲:中脇雅裕
   ・歌集バージョン。
    ピアノソロの伴奏にのって、空と風、光と闇、命と死、それらの流れを
    時の川にのせて、伝えているような、作品の語りたい想いや世界観を
    感じ取れる歌です。
posted by 清水の伏竜. at 16:24| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

知音

『知音』
  「列子」より

春秋時代の琴の名手で伯牙という人物がいた。
彼が、高い山に登った心境を琴でひくと、
鐘子期という人物が、
その琴の音を聞いて
泰山に登っているようだと言った。
川の流れを琴でひくと、
黄河や揚子江おようだと言った。
鐘子期は、伯牙の琴の音で、その気持ちを
見事に言い当てたのであった。
2人は、心の通じ合った親友だった。

言葉でなくても、互いの心の中を通じ合い
心の中を打ち明けられるような
友人のことを、知音(ちいん)というそうです。

そんな友人を得られたなら、
人生は、とても豊かで、良いものになること
でしょう。
そんな友人をつくれるように、
心掛けて、生活していきたいものですね。
posted by 清水の伏竜. at 05:28| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月22日

頑張れ!ニッポン!

”頑張れ!ニッポン!”

この声援は、よくスポーツの国際大会で耳にしますね。
日本代表を、日本各地で、応援していました。
みんなの心をひとつにする声援の言葉って、
やはり、素敵な言葉だと思います。
心をあわせて、ひとつのことに向かっていく
誰かを応援する
そんなとき、なぜか、幸せな気持ちに
なりませんか。
人って、やはり、ひとりで生きていく
生き物ではないのだなって、
感じたりします。

頑張れ!なでしこJapan!。
posted by 清水の伏竜. at 09:23| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月19日

三省

『三省』
 「論語」より

何回も反省することを言う言葉。
「私は一日に何度も反省しています。
 人の世話をしたとき、
 一生懸命誠意をつくしたか。
 友達に嘘を言うようなことは
 なかったか。
 教えてもらったことを
 まだ理解もしていないのに、
 人に伝えたことはなかったか。」
孔子の弟子の曾子の言葉です。
おごらずに、常に自分の行動を
省みることの大切さを
説いています。
なかなか、省みることを
せずに、過ごしていることは
多いものです。
省みて、反省することから
得られることは、
次へのステップとしても
大切なことだと言えますからね。
posted by 清水の伏竜. at 07:05| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月18日

学びて思わざれば即ちくらし...

『学びて思わざれば即ちくらし、
 思いて学ばざれば即ちあやうし』
      「論語」より

どんなに勉強したとしても、
自分で考えたり、研究したりしなければ
本当の知識にはならないし、
かといって、自分ひとりで、
考えるだけで、人の知識や経験を
学ばなかったら、独善に陥ってしまい
正しい知恵にはなりえない。
人に学び、自ら考える
その両方を行なってこそ、
自分の身につく知識となるもの。
学ぶ姿勢を忘れずに、
考える気持ちを大切に、
歩んでいきたいものですね。
posted by 清水の伏竜. at 00:37| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月17日

浩然の気

『浩然の気』
  「孟子」より

天地の間に、みなぎっている
大きな気のことをいう言葉で、
広く、大きく、ゆったりとした心のことを
指す言葉です。
今の社会、ストレスが多く、
またなかなか充実感も得られなく、
会社でも辛いことの方が多かったり、
社会でも辛いことが多かったり、
貧乏な人が増えつつかり、
格差の増大から、不公平感も増していき、
社会の中でも、犯罪が多くなり、
これまで見られなかった事件も出てきて
自殺者は年間3万人から減る気配もない
そんな世の中で、
浩然の気をもつことは、大変難しいこと
なのかもしれません。
でも、そんな心をもてるように、
努力していきたいものです。
posted by 清水の伏竜. at 22:37| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月16日

助長

『助長』
  「孟子」より

宋の国での物語、
自分の植えた苗の成長の様子を気にしていた男が
成長が遅いのを気にしていた。
ある日、成長を助けてあげようと
苗を一本一本を、引っ張って、
くたくたになって帰宅した。
成長を助けるために苗を全部引っ張ったので
くたくたになったと話をすると。
その話を聞いた息子が、
あわてて苗をみにいくと、
苗は、すっかり枯れてしまっていたという。
何かを助けてあげることはよいことではあるし
素晴らしいことでもあるが、
余計なことをしては、かえって害を与えてしまったり
迷惑になってしまうことがあるという教訓を
込めた言葉ということ。
何を基準にして、良かれと思うのか、
助けになると判断するのか、
相手のこと、対象となるもののことを
よく知った上でなければ、
かえって迷惑になってしまうこともあるのですね。
気をつけておきたいことです。
posted by 清水の伏竜. at 20:40| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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