2012年08月25日

柳緑花紅真面目

『柳緑花紅真面目』
      蘇東坡

揺れる柳の新緑の枝、
咲き誇る紅い花、
昔から、今も続く、自然の姿、
これは、ありのままの姿、
本来の姿、ただそれだけ。
そのありのままの姿に
人は感動する。
そこには,価値の差はなく
美の優劣もない。

あるままの姿を
あるがままに受け入れる
そこに、真理を見出すことが
悟りの境地のひとつの姿。

人は、自分の価値観だけで、
物事を判断し、無理に着飾り
欲望のまま求め、
ありのままの姿を不満に思う、
それでは、曇った目で、
風景を眺めているようなもの
真実の姿をみつめることは
出来ない。
ただ、ひたすらに純粋な心、
無の心で、ものを見つめることで
真実がみえてくるもの。
難しいことかもしれないけれど、
人生の悟りに至る道のなかで、
感じ取るべき必要がある
ことなのかもしれません。
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2012年08月24日

天真に任す

『天真に任す』
     良寛

「生涯身を立つるにものうく、
 騰騰天真に任す
 嚢には三升の米、
 ろべには一束の薪
 だれか問わん迷悟の跡、
 なんぞ知らん名利の塵」

出世などには興味はなく、
自然の道理に身を任せて生きている
少しの米と少しの薪があればそれでよい
迷いも悟りもどうでもよく
ましてや名誉や利益などつまらないものに
かかわりがない。
良寛和尚の生き方は、
まさにあるがままの自分を
自然の中で生きていくこと、
禅の道は、どこでも行なえるものと
いった感じであったようです。
流れる水のごとく、
空の雲のごとく、
自然の道理に身を任せて
すべての欲を捨て生きていく。
なかなか出きるものでは
ありません。
人として、良寛和尚の生き方に
何を学ぶのか、
より善く、より良く、生きるなら
考えなければならないことでしょう。
私利私欲のために生きることなど
もってのほかだということですね。
ただ、この生き方は、
一見、簡単にみえて、
実は、とても大変であり、
強い意思と心、そして、大きな慈愛が
必要なことです。
なかなか人は、欲を捨て去ることが
出来ないものですから。
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2012年08月23日

無事是貴人

『無事是貴人』
    「臨済録」より

幸せや救いを、
外に求めてしまうことが
多いけれど、
自分の中にある純粋な心、
自分の中に求めるならば、
悟りの境地に到達することが
出来るだろう。
欲、執着を捨てて
外に求めず、内に求めて
いけば、幸福と出会うことが
出来るだろう。
だから、自分のなうべきことを
していくことが
大切でしょう。
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2012年08月22日

莫妄想

『莫妄想』
   「伝燈録」より

心やからだの欲望、
未来への不安、
過去への執着、
それらにより、
思う悩むことは
考えてもしかたのないことを
妄想していることに
ほかならないので、
そんなことを思い悩まずに
くよくよと考えないで、
済んでしまったことは忘れて、
まだ起こっていないことに
思い煩わずに、
今できることに
全力を尽くすことが
大切です。という教えの言葉。
よき未来は、今の努力の先に
あるということ。
やるべきことをして
天命を待つ心境に達すればよいと
いうことです。
でも、なかなかできそうで
できないことが多いですね。
ひとりだと大変なことが
多いかもしれません。
師や友、そして、人生のパートナーが
協力してくれたなら、
心強いと思います。
そんな関係をもてる相手が
いるひとは幸せですね。
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2012年08月21日

無可無不可

『無可無不可』

かもなくふかもなし
とくによくもわるくもないという意味が
もともとの意味ではないそうです。
あれはよし、これはだめ。と
自己判断で、物事を決めつけずに
何ごとも、まっさらな状態で
向き合って、決め付けをしない。
はじめから決め付けない。
そんな意味だそうです。
かたよった考えを捨て、
決め付けから自由になることが
可能性を広めることになる。
いますくに、だめ、よいと
判断してしまわずに、
まず、すすんでみること。
それによって、人生の可能性が
より広がっていく。
何ごとも、行なう前から
決め付けては、前に進むことは
出来ないということですね。
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2012年08月20日

放下著

『放下著』
   「従容録」より

厳陽「すべてを捨てました。
   さらにどんな修行を
   すればよいでしょうか?」
趙州「捨ててしまえ!」

捨てたという意識さえも捨ててしまえと
すべての執着を捨ててしまったところに
本来の姿がみえてくる、
ありのままがみえてくるということ。
そんな教えの言葉だそうです。
人は、何かを得たとき、
それを捨てることは難しいものです。
肩書き、地位、お金、財産、すべては
人生において、
ひとときあなたにゆだねられた
仮の持ち物に過ぎない。
死して持っていくことの出来ないもの。
ならば、変化の時には、
一切を捨ててしまって、
ありのままの自分に戻ってみると
よいということです。
変化のとき、就職、転職、退職、結婚、別離、・・・。
また、新たな出発をするとき、
迷いがあったなら、
何もかも捨てて、
本来の自分だけになってみることで、
本質が、みえてくる。
それが、人生の歩み、成長なのかも
しれませんね。
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2012年08月19日

両忘

『両忘』

好きか嫌いか、
イエスかノーか
白か黒か
真か偽か
善か悪か
苦か楽か
幸せか不幸か
美しいか醜いか
生か死か
・・・

さまざまな2者択一が存在しています。
でも、そんな両方とも、
忘れてしまいましょう。
どちらでもいいじゃないか、
どちらでもなくてもいいじゃないか
もっと気を楽にもって、
余裕をもって、
生きていくことも大切なこと。
そんな意味をもった言葉です。
無理に、選択しなくても
それで苦痛を得るなら、
選択などせずに、いってしまうこと
だって、よいのでは?。
そんな、人生があったって
かまわないのでは、
片意地を張らずに、
余裕をもって、まず生きることが
大切ではないでしょうか。
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2012年08月18日

いつだってあるさ、自分よりも、夢よりも、大事なこと

『いつだってあるさ、自分よりも、
 夢よりも、大事なこと』
      エドワード・エルリック
       アニメ「鋼の錬金術師」より

 エドが、最後の決戦に向かうべく
ロイ、リダの車に同乗しているときに
その会話の中で、語ったセリフです。
大切なもの、大事なこと、
生きている意味、
生きていく意味、
命の尊さ、そして、自分の信念に
正直に、歩んでいく、責任と自戒、
さまざまな想いが、
エドとロイの会話のなかで、
語られる。
物語のなかで描かれてきた兄弟の旅のなかで
出会った出来事、知った事実から
どうすべきなのかを決意したエド。

このセリフの前に、
エドは、次のセリフを語っています。

「軍属になってみたけど、
 戦争なんて、どこかのだれかが、
 おれらのしらないところではじめておわる
 自分達には関係のないものだって思ってた
 でも、賢者の石をつくらせるために
 戦争をあやつるやつがいる
 だから賢者の石を求めるひとがいるかぎり
 戦争はつづく
 そして、その心はだれのなかにもある
 ホムンクルスが、戦争に火をそそぐ
 だけど、それをつくったのは人体錬成だ
 おれたちの心が知恵がつくってしまったものにすぎない
 だとしたら、おれたちに関係のない
 戦争なんてない」
   :
「おれたちの夢だけ
 かなえても、しかたがない」
   :

世界との係わりあいのなかで、
生きているということを、エドは感じとって
いたのです。

私たちもまた社会のなかで生きています。
その社会は世界のなかで動いています。
決して無関係であるとは言いきれない。
関係しあって、存在している。
そんな事実を再認識していくことが
大切なのだと感じます。
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2012年08月17日

間違いを繰り返しても、・・・

『間違いを繰り返しても、
 そこから引き返し、考え直し、
 生きて、懸命に生きて、
 また自分たちの道を
 切り拓いてゆくことにこそ
 意味があります。』
       ワタル
    「ブレイブ・ストーリー」より

 ワタルが、女神にひとつだけ
かなえてもらうことができる
願いを申し出たとき、
その願いは、旅立ちのときとは異なるものに
なっていた。
女神のそれでよいのかという問いに
ワタルは、答える。
最初の願いをかなえてもらっても
それは、一時のことでしかないということを
旅のなかで、得たことを
そんなワタルの成長の証ともいえる
セリフです。
これから先の人生で、同じような困難に出会ったとき
また女神に願い出るわけにはいかないことを
ワタルは悟ったのでした。
だから、その困難にであったとき、
また、過ちに気がついたとき、
どうしていくべきなのかを、
出来るかどうかは、わからないけれども
どう心構えをもっておくべきかを
ワタルは女神に語り、願いの変わった理由を
説明したのでした。

この言葉は、多くの現実の人生において、
大切にすべきことを、語っている言葉であると
思います。

生きることの大切さ、
過ちや困難に出会っても、
やり直していけばよいのだということ
人生は、生きていてこそ意味があるのですから。

ブレイブ・ストーリー
(上)

ブレイブ・ストーリー
(中)

ブレイブ・ストーリー
(下)
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2012年08月16日

それは、みんなが、みんなを大好きだってこと

『わたし、わかったの
 ほんとのこと、
 ほんとのこと、それは、ジャンがいること
 ほんとのこと、それは、ジャンパパがいること
 ほんとのこと、それは、ジャンママがいること
 ほんとのこと、それは、タイモンがいること
 ほんとのこと、それは、ここに海があること
 ほんとのこと、それは、ここに山があること
 ほんとのこと、それは、ここに丘があること
 ほんとのこと、それは、ここに風が吹くこと
 ほんとのこと、それは、笑うこと
 ほんとのこと、それは、泣くこと
 ほんとのこと、それは、話すこと
 ほんとのこと、それが、ほんとの魔法、
 ほんとの、ほんとの、ほんとの魔法、
 それは、みんなが、みんなを大好きだってこと』
           ヤダモン「NHKアニメ ヤダモン」より

NHKが1992年に制作した短編アニメの名作
「ヤダモン」
その最終回に、ヤダモンが言う最後のセリフです。
落第魔女のヤダモンが、
魔法の国の王女に相応しい魔女に
成長した証ともいえるセリフでもあります。
その言葉は、
普通の生活をしている人にも
あてはまることではないでしょうか、
生きているということ
そのなかで、真実は、何であり、
大切なことは、何であるのか、
それを、伝えてくれている言葉でもあると思います。
親しい人々、
大切な人々、
自然と環境、
そして、心からの感情の発露と
言葉のやりとり、
そして、互いに助け合う愛。
それこそが、真実であり、
人生における大切なものであるのでは
ないでしょうか。

ヤダモン DVD-BOX 1
ヤダモン DVD-BOX 2
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2012年08月15日

可及其智 不可及其愚

『可及其智 不可及其愚』
     「禅林句集」より

お利口さんにはなれるかもしれないが、
おおばか者にはなかなかなれないもの。
策士策に溺れるという言葉があるように
智者は、その智からはなれることが
むずかしいもの、
悟りを開いたものは、
悟りをわすれる境地にまで
達するほどの無心を得られるほどの
境地こそ、大愚者であり、おおばか者であると。
まさに、真に悟りを得て、
無心でいられること、
生きていけることが出来るものこそ
大愚者とよばれるもの。
だから、大愚者になるのには、
智者になるよりも難しいということです。
賢者、偉人と呼ばれるひとには、
大ばか者と呼ばれていた人も
歴史には、いらっしゃいますね。
posted by 清水の伏竜. at 05:40| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月14日

百花春至為誰開

『百花春至為誰開』
     「碧巌録」より

春がやってくると
花が咲きます。
花は、人の心を和ませてくれます。
でも、花は、誰かのために
咲いているのでも、
咲くのでもなく、
ただ、その命のおもむくままに
育ち、咲き、散っていく。

花は、
その姿を誇ることもないし、
ためらうことも、
不平をいうこともなく
与えられた場所で、
ありのままに生きています。

人も、不平不満をいうのではなく
ただ無心に、生きるこそが
大切なのかもしれませんね。
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2012年08月13日

和敬清寂

『和敬清寂』
   「茶祖伝」より

「和」の心でお互いを認めあえば
「敬」の心が芽生え、互いを敬い尊重し合い
「清」の心を得ることができ、清らかに生きて
「寂」の境地に至ることができる
迷いも悩みもない純粋で透明な境地に至る。

和のこころ、日本人が、昔から
大切なものとしてきたものです。
その心は、平和を維持していくのに
とても大切なものであると思います。
人種、宗教、性別、職業、学歴、地位、財産、
そんなものに関係なく、人として、
お互いを認め、敬いあっていくことが
争いのない社会、世界を
築いていくことができるのでは
ないでしょうか。
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2012年08月12日

松樹千年翠

『松樹千年翠』

変わらないものの価値を
しっかりと見つめて、
忘れないようにすることの
大切さを伝えたことばです。

春の花見、初夏の新緑、秋の紅葉。

四季の草木を愛でる慣習は
日本の素敵で大切にしたい文化です。
そして、かわらないもの
過去から大切にしてきたもの
そんなものを
見なおし、守っていくことも
大切なことだと
考えていかなければならないと
思います。
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2012年08月11日

歩歩是道場

『歩歩是道場』
   「維摩経」より

閑静な修行場で、落ち着いて修行を
おこないたいと、良い修行場がないか
探していた修行僧がいました。
その修行僧が、
街にむかって歩いている維摩居士と
道で出会いました。
どこから来たのか訊ねてみると
道場からきたとの返事がありました。
その道場は、どこにあるのですかと
訊ねると、「直心是道場」との
答えがかえってきたそうです。
真っ直ぐで、素直な心があれば、
どんなところも道場でり、
修行の場であるということです。

何かを学んだり、
夢に近づくために何かをするとき、
それを行うために必要なのは、
心のありかたであり、
場所や環境などは、
どうでもよいものであるということを
教えてくれている言葉です。

修行の場は、心の中にあり、
研鑚の場も、心の中にある。
だから、電車の中でも、家の中でも、
道すがらであっても、
修行は出きるし、学びも出来る。
何ごとをなすにも、
環境や条件は、二の次であり、
まずは心の持ち方、ありようが
大切であるということですね。
posted by 清水の伏竜. at 04:22| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月10日

掬水月在手

『掬水月在手』
    于良史

みずをきくすればつきてにあり

自分だけが運がない、
恋人にも、お金にも、仕事にも
恵まれない、
世の中は、不公平だ、
そんな事を考えていては、
だんだん他人をひがみ、ねたみ、
ひっぽけな人間になっていってしまうもの。
道は、誰にでも、開かれていて、
希望の光は、みんなに、そそがれている。
池の水に、月の光が映っていたら、
それを手に掬ってみる
すると手の中にも、月の光は映っている。
そう、誰にでも、チャンス、
希望、可能性を、手にすることは
可能なのだ。
その可能性、チャンスを、
自分の手にとるのか、黙って見過すのか
その差だけに過ぎないもの。
そんなことを語りかける詩の一節です。
仏法の恵みは、誰にでも
平等に与えられるものであり、
神の恵みも、愛も、誰にでも
そそがれているものなのです。
それに気がつくか否かで、
人生は、大きく変化していくことに
なるのかもしれませんね。
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2012年08月09日

立秋がすぎて・・・

立秋がすぎて、
「残暑お見舞い申し上げます」
という挨拶の季節になりました。
早速に、台風が、
日本にやってきました。
残暑の暑さによる夏ばてなどに
気をつけつつ、
台風による災害が、
少ないことを願ってやみません。
残暑見舞いの挨拶、
日本の季節感のあるよき慣習ですね。
大切にしていきたい挨拶の
ひとつではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 07:30| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月08日

明歴歴露堂堂

『明歴歴露堂堂』
   「五燈会元」より

心の目をひらき、五感をつかい、
ありのままの姿を、
しっかりとみつめよう。
自然は、天地は、常に、
明かであり、堂々と存在している。
心の曇りや、かげりが、
その姿を見えなくしていること
感じなくしていることに
気づいて、世界をみつめよう。
そうすることで、
何かが変わってくる。
何かを感じることができる。
「明歴歴」の世界や
「露堂堂」の世界は、
いつも、あなたの側にあり、
近くにあるのだから、
それがみえないのは、
あなたが、みようとしないから。
ほんの少し、勇気をもって、
目を見開き、五感と心を全開にして、
世界をみつめてみよう。
きっと、何かを得られるはずだから。
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2012年08月07日

主人公

『主人公』
   「無門関」より

「瑞巌の師彦和尚、
 毎日自ら主人公と喚び、
 復た自ら応諾す」

主人公、禅語で、
「本来の面目」
仏性を具えた本来の自己、
真実の自己のことを
意味しているそうです。
だれもが、
自分の人生においては、
主人公であるということを
忘れないで、いたいものですね。
何か、迷ったり、
悩んだり、誤った道へと進みそうになったら
自分の本来の姿を、
人生の主人公として、
あるべき姿を、振り返って
求めてみることが、
大切なのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 03:19| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月06日

自灯明 法灯明

『自灯明 法灯明』

釈尊が亡くなる間際に、
弟子が「師が亡くなられたあとは
何を頼りに生きたらいいのでしょか?」
と尋ねたそうです。
すると、釈尊は、
「自らを灯りとせよ、法を灯りとせよ」
と答えたそうです。

自分の力で、自分の存在を信じて、
他に依存することなく、生きていけばよい。
それでも困ったら、仏法を頼りに
すればよい。
自ら、出家して、修行の道を歩み
悟りをえた釈尊の言葉らしい言葉だと
思います。

自分の灯りを、少しでも大きくしていく
その努力が、自分の歩んでいく道の先を
照らしてくれるということ
ですね。
自分を信じられずに、
他人を信じることなどできないしょうし、
自分を愛せずに、
他人を愛する事などできないでしょう。
そして、
人生をともに歩んでくれる人と出会い、
2人の灯りで進めるようになれば、
より他しかな歩みを、
人生の中で、進んでいけるのでは
ないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 22:59| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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