2012年01月31日

断機の戒め

『断機の戒め』
   「列女伝」より

目標、目的、ゴールを定めて、
やり始めたことがあったら、
それを途中でやめてしまっては
何の意味もない、
しっかりと最後までやり遂げることが
大切です。
そんなことを示している言葉です。
この言葉は、孟子と母親の逸話から
きているそうです。
孟子が、学問を修めるのを途中でやめて
家に戻ってきてしまったときに、
母親が、織っていた機の織物を
断ち切ってしまうという行為をしたのをみて
孟子が驚いて理由を母親にたずねたところ
母親は、”あならが学問を途中でやめるのは、
わたしが織物を切ってしまうことと
同じことなのです”と答えたそうです。
切ってしまった織物は、織物としての価値は
なくなってしまいます。
途中でやめてしまっては、役にたたないものにしか
ならないということを、母親は孟子にわかって欲しかったので
そのような行為をとってみせたのでした。
孟子は、自分が学問を途中でやめてしまったことを
深く反省して、再び学問を修めるために
努力をしたということです。
中途半端は、価値がないという戒めを指した言葉と
して使われている言葉ということですね。
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2012年01月30日

わたし達の心の中の宇宙は誰からも自由だわ

『わたし達の心の中の宇宙は誰からも自由だわ』
    光の使者 キュア・ホワイト

『みなぎる勇気、あふれる希望、光り輝く絆と共に』
    キュア・ブラック、キュア・ホワイト、ルミナス

    「ふたりはプリキュア Max Herat」より

 子供のアニメだからといって、侮ってはいけません。
その物語のなかで、語られる言葉の中には、
純粋な言葉が、あふれていることがあるものです。
「ふたりはプリキュア Max Herat」この作品の
最終回と、その前の2話だけを観ても、
その最終回のなかで、語られる、主人公たちの言葉には
本当に重い想いと、人間の素晴らしさが、
感じられます。
 実際の人生においても、アニメのような敵ではなくても
壁や悩みや厳しい現実を前に、苦しくなること
辛くなることがあるでしょう。
でも、そんなときにも、この物語で、紡がれた言葉は
心に命の水を与えてくれることでしょう。
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2012年01月29日

運命は、志のあるものを導き、・・・

『運命は、志のあるものを導き、
 志のなきものを引きずっていく。』
        セネカ

運命に導かれて・・・
そんな言葉をよく聞きます。
では、運命に導かれるとは、
どんなことなのか、この言葉は、その意味を
語っている言葉のひとつではないでしょうか。
 志をもっている人は、運命に導かれ、
その志を成就する方向へと流れていく、
自ら舵をとって。
 しかし、志がない人は、舵を運命に委ねて、
その運命の目指す方向へと、意思とは
無関係に引きずられていく。
 その結果が、どちらの方が
人生にとってプラスであるのかは、
明かなように思われます。
運命を自分に引き寄せるためには、
何が必要なのか、この言葉が参考に
なるでしょう。
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2012年01月28日

多くの人は、運命に過度の要求をすることによって、

『多くの人は、運命に過度の要求をすることによって、
 自らの不満の種をつくっている。』
    フンボルト

運命、運命に期待や要求をすることは、
あまり意味がないといえるでしょう。
運命とは、未来のことであり、
過去のことを振り返って語る運命と、
未来に対して語る運命とでは、
意味は異なってきます。
未来の運命は、自らが切り開いていくものであって
誰から与えられるものでも
もともと定まっているものでも
ないということです。
でなければ、希望という言葉、可能性という言葉に
輝きを感じることはないでしょう。
過去を振り返って、あれは運命だったのだという
思いになるのは、自らを慰めるためであり、
悔いを昇華したいという気持ちから出てくることでも
あるでしょう。
運命に、要求をしても、何も生まれない、
だから、運命に要求することは、
不満しか残らない、
ごく当然のことなのですが、
なかなか人は、感情に流されてしまったときには、
何かに自分の気持ちを押し付けたくなるものです。
それが、運命であったとき、結局それは、
自分へと帰ってくるだけだということですね。
100%的中する占いはありません。
100%決まってしまった運命などないのです。
道は開こうとする者の前に開かれていく
道を開くことは大変なことであり、
難しいことであり、
時には辛いことでもありでしょう。
でも、希望は、常に、誰の目の前にも、
輝いているのですから・・・・。
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2012年01月27日

愛とは、他から奪うことではなくて、・・・

『愛とは、他から奪うことではなくて、
 自己を他に与えることである。』
      阿部次郎「三太郎の日記」より

愛についての本質をつく言葉のひとつです。
愛は、常に与えるもの。
何かを奪ったり、みかえりを求めたりするものではない
そのことは、過去の偉人の多くが語っていることであり
愛の実践者とよばれた方は、
まさに、与え続けた歩みを、人生において成してきた
人でした。
イエス、ブッタもそうでした。
そして、ナイチンゲールや、マザーテレサ。
慈愛、仁愛、与える無償の心と、行為、
より純粋で、より輝き、大きな愛を持つことは、
大変なことだとおもいます。
でも、親が子供をおもうとき、その愛は、
真実の愛に近いといわれます。
親は、子供に幸せになって欲しいと願い愛を注ぎ、
そのみかえりは求めていないものだといわれています。
そんな親の愛を得られない子供が増えているのは、
哀しい、悲しいことであるとおもいます。
男女の愛でも、永遠に、生涯変わらない愛の関係は、
慈愛、真実の輝きをもつ愛が根底となっている場合では
ないのかなとおもいます。
まだ、そんな相手にめぐり逢っていないので、
なんともいえないところなのですけど・・・・。
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2012年01月26日

恋をしているということは素晴らしい−

『恋をしているということは素晴らしい。
 あなたはたくさんのほめ言葉をもらえるし、
 自分をたいした男だと思いはじめる。』
       フィッツジェラルド「崩壊」より

この言葉の場合、両思いの恋人たちにおける
男性のことを指しているのでしょうね。
しかし、こんな体験してみたいものです。
ただし、あまりいい気になってしまうと
そこには落とし穴が待っているのも
確かなのかもしれませんけど・・・。
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2012年01月25日

直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、有益なり。

『直きを友とし、諒を友とし、
 多聞を友とするは、有益なり。』
       孔子「論語」より

正直であり、誠実であり、
見聞が豊かであることは、
人として、有益なことであるという
それは、確かなことであり、
人は、正直でないより正直であるほうが良いし
誠実でないより、誠実であるほうが良いし、
見聞なきより、見聞多きほうが良い。
人生を豊かで、また充実したものに
していくためにも、
正直な心、誠実な心を友とし、
見聞を友としていくことを、
なしていきたいものですね。
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2012年01月24日

すべてがどんどん変わっていく現代においては、・・・

『すべてがどんどん変わっていく現代においては、
 あなたが何を知っているのかは
 もうあまり意味を持たなくなっている。
 なぜなら、あなたが知っていることが
 もう時代遅れになっている場合が多いからだ。』
    ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
    「金持ち父さん 貧乏父さん」より

さて、この言葉、確かに納得と言った面もあります。
しかし、変化が激しい時代であっても、
過去の知識や知恵に、意味がないかといえば、
そうとも言えないといえるでしょう。
なぜなら、時代の流れは、過去から現代へ、
現代から未来へと、連続しているからです。
過去の知識や知恵は、現代の知識や知恵に
連なっていることがあるからです。
もちろん、意味がなくなっているものもあるでしょう。
しかし、意味があるものも残っていることは
間違いないはずです。
温故知新、温故創新という言葉が示すように、
何を知っているのか、意味を持つこともあるのです。
意味を持てるか否かは、その知識や知恵を
いかに応用していけるのか、利用していけるのか
その能力にかかっているといえるでしょう。
言葉とは、一面では正しくとも、別の視点でみたときには
正しいとは言えないことがあるものです。
そのに、前向きなものを見出していくことが
大切なのだと思います。
posted by 清水の伏竜. at 02:39| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月23日

我々は、過去を知らないばかりに、・・・

『我々は、過去を知らないばかりに、
 自分の生きる時代を中傷する。
 人間はかれこれずっとこんな調子できたのである。』
         フローベール

歴史観と人間との関係を語る言葉は、いくつもあります。
そんな言葉のひとつです。
今の時代を中傷するときに、過去と比較してみて、
どうなのかという視点は、確かにみかけることは
少ないですね。特に過去の悲惨さと今という比較は、
あまりなされないような気がします。
メディアでも、めったにとりあげないですしね。
(NHKの教育とか特番くらいかな)
過去があるから、今があるという事実は、
誰も否定できません。
そして、今を語るときには、過去との関係を抜きには
語れないことも確かです。
これは、国と国との間の関係でもそうですね。
近い過去だけでなく、もっと遠い過去にも、
目を向けることも必要かなと、日中韓露の関係などでは
感じることもあります。
お互いに特になる過去にしか目を向けていないで、
歴史的に記録の残っている、ここ数百年の過去については
しっかりと歴史の事実を確認しあうことも
必要なのかもしれません。
そして、そこから、未来へむけて、より建設的で友好的な
関係を築いていくことができるように、
なっていって欲しいと思います。
posted by 清水の伏竜. at 22:07| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月22日

死んでから来ては、名医もヤブ医者以下。

『死んでから来ては、名医もヤブ医者以下。』
         本田宗一郎

本田氏の言葉ですが、
単に人生の最後について語っているわけでは
ないように思います。
この言葉を聞いたときに、
必要なときに、必要な人を、アサインしなければ
どんなに能力がある人であっても、
経験や実力がある人であっても、
意味がないということだと思いました。
社内の人材をいかに有効に必要なところに、
必要なときに、抜擢し、投入できるのか、
それが出来なれければ経営者としては
ダメだといわれているような気がします。
あるプロジェクトが失敗したとき、
そのときになって、あの社員を入れておけば
失敗しなかったのにというのでは、
まさしく意味ないだということです。
その采配は、人事権をもつ経営層の責務でしょう。
本田氏は、それを知っていて、出来ていた方なのだと
思います。
posted by 清水の伏竜. at 22:25| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月21日

病気の王様より、健康な乞食のほうが幸福だ。

『病気の王様より、
 健康な乞食のほうが幸福だ。』
      パスカル

健康が、幸福の根本であることは、
確かなことかもしれません。
しかし、病気の乞食は・・・。
人は、病気になって、弱気になり
貧困に追いこまれ弱気になり
ひとりきりで弱気になり
追いこまれてしまうことが
あります。そんなときに、何かの支え、
誰かの支えがあれば、救われるのですが、
ない場合には、悲惨なことに・・・。
辛い日々です。
posted by 清水の伏竜. at 10:06| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月20日

人間は、負けるとわかっていても、・・・

『人間は、負けるとわかっていても、
 戦わねばならない時がある。
 だから、たとえ負けても勝っても、
 男子は男子なり。
 勝負をもって人物を評することなかれ』
         福沢論吉

最近の風潮は、勝ち組み、負け組みといった感じで
何かレッテルを貼って区別しないといけないと
いった感じがあり、あまり良い社会の雰囲気では
なくなってしまっているように感じます。
中庸の美学、徳といったものを、
もっと大切にしていくべきなのではと感じることがあります。
成果主義で、成果さえだせば、何をしてもよい、
成果さえだせば、評価される、そんな会社では、
今の瞬間は、伸びても長続きはしないでしょう。
未来への投資、先見の考慮は、今は成果が出ないのです。
それを評価しない成果主義に、未来はないのは
自明なことです。でも、それに気がついていない経営者が
結構いるのも事実です。
自分さえ良ければ、子孫が滅びてもよいといった
考えでいる人が増えていることは、哀しいことですね。
勝負は時の運、結果だけでなく、結果までのプロセスや
その結果から生まれる新たなことへの評価を出来る
ようでなければ、人は育たないし、人は集まらないでしょう。
また魅力も感じられなくなるでしょう。
今のビジョンだけでなく、未来へのビジョンを提示できない
経営者は、有能とは言えないのだと思います。
また、従業員、地域社会、消費者・視聴者・ユーザ・顧客といった
ステークホルダー全般にわたって、視野を持ち、
成功は皆のおかげだという気持ちを持ち得ない経営者もまた
ダメな経営者であるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 03:44| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月19日

金がないから何も出来ないという人間は、

『金がないから何も出来ないという人間は、
 金があっても何も出来ない人間である。』
           小林一三

成功者の多くが、同じような言葉を語られています。
行動するのに、お金の有無は関係ないというのです。
確かに、何かを行なうとき、お金の有無について
悩むのは、優先順位は低いということなのでしょう。
問題は、やはり心の中の決意の強さが、
第一であるということですね。
posted by 清水の伏竜. at 06:13| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月18日

健康な人は自分の健康には気がつかない。

『健康な人は自分の健康には気がつかない。
 病人だけが健康を知っている。』
      カーライフ

本当に、この言葉を実感した体験があるだけに、
ただただ納得するだけです。
仕事中にギックリ腰をやってしまい、
その後、まさに動けなくなるほどの痛みを感じたときは
ひとり暮らしの苦しみと辛さ、
動けないことの不自由さを痛感させられました。
レントゲン検査、MRI検査などを行なってみたら
椎間板ヘルニアとの診断で、なんとか入院は避けられたものの
1週間の安静の診断書を渡されました。
今も、季節の変わり目や疲労の蓄積などで、
腰が痛み、辛くなることがあります。
ただ、湿布などして、しばらく安静にしていれば、
治りますけどね。
ストレスから、心の風邪(うつ病、心身症)になってしまった
こともありました。自分の普段のレベルの能力を発揮できない
身体が自分の想い通りにならない、その辛さ、苦しさは、
相当のものがあります。
健康な人や、そんな病気の経験のない人は、
そんな病気になった人のことがなかなか理解できないようです。
中には、怠けているとか、嘘ではないのかとか、
だらしないとか、酷いことを言う上司や同僚などが
いることもあるようです。
上司であるばあいには、悲惨です。
最悪の場合には、自殺へと追いこむことになるかもしれません。
自分が健康であり、病人の気持ちがわからないとは言っても
それを考慮する能力や、対応できるスキルは、今や役職者に
とっては常識的なものとして、もっていなければならない時代に
なっています。
他人の痛みのわかる人間であることが、上に立つ人間にとって
もっとも必要なことのひとつであるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 08:08| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月17日

困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、

『困難な情勢になってはじめて誰が敵か、
 誰が味方顔をしていたか、
 そして誰が本当の味方だったかわかるものだ』
     小林多喜ニ

本当に信頼できる友は、困難なときにこそ、
はっきりするということですね。
お金持ちのときには、いろんな人が集まってきます
成功しているときもそうでしょう、
しかし、本当に信頼できる関係なのか、
友情が真実のものであるのかは、
困難なことに陥ったときに、はっきりするということを
この言葉は語っています。
丁度、今のライブドアの堀江さんも同じ状況なのかも
しれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 07:46| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月16日

友情は人生の酒である

『友情は人生の酒である』
     エドワード・ヤング

友情の価値と大切さとありがたみとを
あらわしたことばです。
人生において、友情は、慰めにもなり、
憂さを晴らすことができるものでもあり、
よき心の癒しと、助言、教訓などを
与えてくれるものでもある。
そんな、友情を得られる人でありたいものです。
学生時代からのよき友人を、
大切にしていきたいものですね。

という2006年の文、当時は、まだ禁酒していなかったからな。
今で有れば、この言葉の無意味さを痛感します。
酒は人生を台無しにするもの
そんなものを友情と比較すること事態が
ナンセンスであるということです。
posted by 清水の伏竜. at 02:39| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月15日

不幸のうちに初めての人は、

『不幸のうちに初めての人は、
 自分が何者であるのかを
 本当に知る』
   ツヴァイク「マリー・アントワネット」より

初めて、不幸に直面したときに、人は自分自身のことを
本当に理解できるという。
確かに、その通りなのかもしれません。
不幸な人が、より不幸になる社会、
いつ殺されるか、いつ騙されるかわからない社会、
日本は、そんな社会になりつつあるようです。
貧困率が世界第五位になってしまった日本、
バブル前の時代は、20位以下であったのに、
日本は、心を失い、見事に、差別社会が進んで
しまったともいえる結果のひとつです。
少子化問題も、そんな中の一つであり、
自殺者が現象しないことも、そんな中の一人では
ないでしょうか。
果たして、日本は、良い方向に変わっていけるのか
大人の責任は重いものがあるでしょう。
でも、そんなことは関係ないと思っている裕福な人や、
貧乏な人が増えていることも事実なようで、
日本の未来に影を落としているのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 22:54| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月14日

静かに死に備えよ。

『静かに死に備えよ。
 そしたら死も生もさらに甘美であろう』
       シェークスピア

人間が、必ず平等に体験することが、
2つあります。
それは、生と死。
母親のおなかの中で、母の水に浸っていた10ヶ月あまりの時を
経験したあと、母親の体内から、外に出てくる瞬間は、
誰もが経験したことでしょう。
初めて、自分の肺に大気を吸い込み、呼吸をし、声をあげる。
生という奇跡を、誰もが経験しているのに、
その偉大なる経験を忘れて、自ら死を選んでしまう
悲しい人、哀れな人、寂しい人、苦しい人がいます。
自ら選ばなくとも、死は、誰のものにも、やがて訪れるのです。
死の訪れのときに、何を思うのか、何を思えるのか、
これは人生において、最後の審判であるともいえるでしょう。
そのときに、精一杯生きたと思いたいものです。
posted by 清水の伏竜. at 22:38| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

他人を感動させようとするなら、

『他人を感動させようとするなら、
 まず自分が感動しなければならない』
           ミレー

フランスの画家で、死後に作品が評価された芸術家のひとりが、
残した言葉は、芸術家らしい言葉だと感じます。
自分が感動できないのに、
他人を感動させることなどできない。
魅力のあるものを、提供しようと思ったら、
まず自分が、魅力があると思わなければ、
ダメだというのは、ビジネスの世界でも、スポーツでも
芸能や芸術の世界でも、いえることなのでしょう。
だから、常に感動できることに触れていること、
感動できる心を持っていることが、
大切なのだと思います。
posted by 清水の伏竜. at 05:18| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月13日

人間の行動には潮時がある。

『人間の行動には潮時がある。
 満潮に乗じて事を行えば容易に運ぶ』
       シェークスピア

人の人生や行動には、波があるということですね。
良い波がきているときに行動することで
成功する可能性が高くなるということです。
成功者の中には、そのタイミングを
知っているひともいらっしゃいます。
posted by 清水の伏竜. at 21:25| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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