2011年09月30日

私の人生哲学は本質的には単純な言葉だが辛抱強く頑張る所にある

『私の人生哲学は本質的には単純な言葉だが辛抱強く頑張る所にある。』
   ジョン・デューイ


 人には、それぞれの人生があり、
 それぞれの人生感があり、価値観がある
 哲学とは、所詮はこの世の中での論理でしかなく
 神の叡智にも、聖霊の叡智にも、およばない
 遊びごとのようなものに過ぎないけれど
 この世における生き方を表現したものとも
 いえるでしょう。
 そして、人生哲学は、人それぞれに異なり
 普遍的ではあり得ないものといえます。
 だから、同じである必要などありません。
 辛抱強く頑張ることが、
 人生における基本姿勢であっても
 当然良いということです。
 そして、そんな考えに共感して
 自分もそうありたいと思うことも
 素敵なことだといえるでしょう。
 生きるということにおいて、
 重要なことは、その動機です。
 何のために、何を目指して
 辛抱強く頑張るのかが、とても大切で
 そのことで、大きく人生は異なって
 いくことになるでしょう。
 人生は哲学では決まらないということですね。

 
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2011年09月29日

ときには踏みならされた道を離れ、森の中に入ってみなさい

『ときには踏みならされた道を離れ、森の中に入ってみなさい。
 きっとあなたがこれまで見たこともない
 何か新しいものを見いだすに違いありません。』
   グラハム・ベル


 人生を歩んでいくとき、
すでに先人が歩んだあとをいくのが、
安全でもあり、安心でもあるわけです。
しかし、先人の歩んだことのないところへ
向けて、歩みを進めてみると、
そこには、これまで誰もみたことのない
新しいものが見出されるかもしれないと
いうわけですね。
 新たな道をつくるという試みをすることが
人生における冒険でもあり、
また、飛躍でもあるというわけです。
 道なき道へ、一歩歩みだすとき、
そこには新しい発見と、希望とが、
あるのかもしれません・・・・・・・・。

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2011年09月28日

溝を飛ぶときは、ずんと飛べ。危うしと思えば落ち込むぞ

『溝を飛ぶときは、ずんと飛べ。危うしと思えば落ち込むぞ。』
   沢庵禅師


 何かを成そうとしたときに、
躊躇したり、危ないとか出来るだろうかとか、
大丈夫だろうかと、危惧をもっていると
失敗してしまうということですね。
やると決めた以上は、思い切って進むこと
そうしなければ、おもわず転げ落ちてしまうことに
なりかねないというわけです。
 ビクビクしながらでは、出来るものも
出来ないことになってしまうかもしれないわけです。
その能力があっても、心がともなわないと
発揮できないということですね。
それは、スポーツでも、事業でも、いろんなところで
ありえることであったりします。
やはり、何かを成しえるためには、
心身ともにしっかりとしていることが
必要であるということでしょう。
技量や体力といった物理的なものだけではだめで
精神や心といったスピリチュアル的なものも
大切であるということです。
ゆえに、メンタルトレーニングといったものが
重要視されるわけですね。

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2011年09月27日

パッとしない人間に二種類ある。

『パッとしない人間に二種類ある。
 言われたことができないタイプと、
 言われたことしかできないタイプだ。』
   カーティス

 人の魅力、それがないとはどんなこと
まさに、魅力を感じさせない人について
示した言葉であるというわけです。
言われたことが出来ない人。
言われたことしか出来ない人。
言われたことが出来ないということは、
何もできないということです。
何もできない人が目立てるのかといえば
目立てないのは当然でしょう。
そして、言われたことしか出来ない人、
最低限のことは出来るけど、
それ以上は何も出来ない、
指示待ち人間であるというわけです、
そんな人もまた、目立つことはないと
いえるでしょう。
結局、パッとするためには、
自ら行動することが必要であるということです。
自分で行動することが出来なければ
魅力を放つことはないということですね。
なかなか大変なことではありますけど、
自分が魅力ある人になりたいと願うのであれば
自分自身で行動することを
心がけていくことが必要であるということです・・・
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2011年09月26日

『人の一生は重荷を背負うて遠き道を往くが如し、急ぐべからず。』    徳川家康  最後に天下を治めることになった 天下人らしいことばであるといえるでしょう。 いろんな重荷を背負いながら、目標に向かって 遠き道を歩んでいく、その道を歩むにあたって 無理に急ぐべきではないということです。 転んだりしないように、自分自身のペースで しっかりと歩んでいくことが大切であると いうことでしょう。 急がなくても、しっかりと歩んでいけば 目的地にはたどり着けるのだから。

『人の一生は重荷を背負うて遠き道を往くが如し、急ぐべからず。』
   徳川家康

 最後に天下を治めることになった
天下人らしいことばであるといえるでしょう。
いろんな重荷を背負いながら、目標に向かって
遠き道を歩んでいく、その道を歩むにあたって
無理に急ぐべきではないということです。
転んだりしないように、自分自身のペースで
しっかりと歩んでいくことが大切であると
いうことでしょう。
急がなくても、しっかりと歩んでいけば
目的地にはたどり着けるのだから。

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2011年09月25日

脱皮できない蛇は滅びる

『脱皮できない蛇は滅びる。』
   ニーチェ


 現状のままで安穏としていては
やがて滅びてしまうということです。
現状から変化していくことが必要であると
いうわけです。
今の皮を脱ぎ捨てていかなければならないと
いうことです。
それには、いろいろと苦労がともなうかもしれないし
苦痛がともなうかもしれません。
しかし、成長のための糧であるなら、
受け入れていくしかないということです。
成長を喜んでくれる方が、見守っているのですから。

 
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2011年09月24日

われわれは服従するべきでしょうか。それとも戦うべきでしょうか?

『われわれは服従するべきでしょうか。それとも戦うべきでしょうか?
 生きながらえるためには服従すべきであり、
 存在しつづけるためには戦うべきである。』
   サン=テクジュペリ


 ひとつの人生を歩む姿勢に関する
考え方です。
服従するべきか、戦うべきかという選択において
生きながらえるために
存在しつづけるために
という2つの目的を提示して対比しています。
 生きているだけで、存在していない状態が、
服従者であり、
存在していることを主張するのであれば
戦うべきであるというわけです。
 どのように戦うのかは、またいろんな考え方が
あることでしょう。
しかし、人生は常に戦いの連続であるともいえるでしょう。
その内容や対象はさまざまではありますが、
なぜなら、戦いとは変化への挑戦でもあるからです。
もちろん、戦いの手段と方法は、選択すべきことです。
暴力なき戦いもあるということです。
前に進む為には、成長するためには、
戦っていくしかないということですね。

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2011年09月23日

夢はでっかく 根は深く

『夢はでっかく 根は深く』
   相田 みつを


 人が人生をより充実としたものに
するためには、夢を抱くことが必要であると
いえるでしょう。
そして、その夢は、より大きくあれば
あるほど、素晴らしいということです。
しかし、その夢を成しえるためには、
根がしっかりと大地についていなければ
なりません。大きな花、沢山の花を
咲かせたければ、枝も幹も太くなければ
ダメですし、それを支える根は、もっと太く
深くはっていなければならないということです。
 根をしっかりとはるためには、
苦労も努力も必要です。
もちろん、さまざまな経験も必要になるでしょう。
学校で勉強をすることも重要であると
いうことです。
なぜ、勉強するのか、それは根をしっかりと
育むためであるということですね・・・・

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2011年09月22日

老いたから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから老いるのだ

『老いたから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから老いるのだ。』
   バーナード・ショー


 人生に疲れて、何もしなくなり、
何もできなくなったといって、
それを老いのせいにするのは本末転倒と
いうことですね。
 老いとは、自分が行動しなくなったこと
遊ぶことも、学ぶことも、考えることも、
自分でしなくなったということが
老いであって、
出来なくなったのは、自分自身がしなくなった
だけのこと、それを、自分の責任ではなく
他の責任にしたいが為に、老いたと言い訳する
言い訳するから、老いていく、
人生に実は老いなどなく、産まれてから逝く日まで
すべてが、学びのときであり、成長のときである
まさに、勉強し、愉しみ、遊ぶ、
そんな日々が、逝くまで続くものだと
いうことです。
それが、人生であり、そうあるべきと
望むか否かは、人が自分自身で選択して
決めているだけだということですね・・・・

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2011年09月21日

やってみなはれ、やらなわからしまへんで

『やってみなはれ、やらなわからしまへんで。』
   鳥井 信冶郎


 なんでも、何もしないうちは、
 どうなるのかなど、わかるはずはないもの
 とにかく、やってみてこそ、
 何かがわかるということです。
 やらないものに、何かがわかるはずもなく
 何かが動くこともなく、
 何かを得られることもない、
 チャレンジすること、
 行動することの大切さを
 もっと意識しませんか、
 そんな言葉のひとつなのかなと
 いえるでしょう。
 やってみなさい。実は言うのは簡単です。
 でも、実際にやってみるのは
 なかなか難しかったりするものです。
 物理的な障害、環境的な障害、
 そして、心理的な障害が、
 行動を阻害します。
 それらを乗り越える小さな勇気が
 求められます。
 もしかしたら、誰かにちょっと
 後押しして欲しいかもしれません。
 小さなきっかけが必要なのかもしれません。
 ひとりでできないときは、
 誰かの手を借りてみるのもよいものです。
 ひとりで無理するよりも、
 ずっと素敵で良いことだといえるでしょう。
 やってみる、でも、どうやって、
 そんな悩みを、どう乗り越えていくのか
 人はひとりでは生きていけない
 人はひとりではない
 そんな言葉をかみしめてみて、
 ちょっとまわりをみまわしてみるのも
 よいのではないでしょうか・・・・・・

 
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2011年09月20日

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

『完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから。』
   サルバドール・ダリ


 完璧であることを求め、
 完璧でなければダメだとおもい、
 完璧でないなら無いものと同じと
 諦めてしまい、何もしないことに
 してしまう。
 完璧にならないなら、無駄だという
 そんな、完璧への信仰などは
 意味がないということです。
 なぜなら、完璧なものなど、
 この世にはありはしないのですから。
 人はみな完璧ではなく、不完全であり
 ゆえに学び続けていくのであるのです。
 また、この世に産まれたのは、
 魂の成長のためであり、
 まだ成長しなければならない存在である以上は
 完璧であるはずもないということです。
 完璧という言葉に踊らされることなく、
 歩んでいけばよいということですね。

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2011年09月19日

人間は一般に犬に似ている。

『人間は一般に犬に似ている。
 遠くでほかの犬が吠えるのを聞いて、自分も吠える。』
   ヴォルテール


 大衆とか民衆とかいうものは、
まさに集団心理というか、自分からは言えなくても
みんなが言っているからということで、
なんとなく、言ってしまうということが
あったりします。
遠くでほえているのを聞いて、自分もほえる
まさに、知らない人が叫んでいるのをきいて
自分も叫んでみるといったところでしょう。
しかも、とくに何も考えずに、吠えてしまうひとが
結構多かったりするわけです。
メディアの影響も、そんな人の特性があって
大きくなっていくのだといえるのかもしれませんね。
 他人が吠えるから自分も吠えるようなことでなく
自分自身で考えて、自分自身の言葉で語り、
大きな声をあげられるように、
自戒し学び、考えていくことが、大切であると
いうことを、認識すべきだという警鐘の言葉であるとも
いえるでしょう。
衆愚といわれないように、
付和雷同することなく、
自立した主体的な市民として、
活動していけるように心がけていきたいものだと
いえるでしょう。

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2011年09月18日

わが気に入らぬことが、わがためになるものなり

『わが気に入らぬことが、わがためになるものなり。』
   鍋島直茂


 人は、どうしても、自分の好きなことを
したがるものです。
でも、成長のためには、自分の好きなことを
しているだけではダメなことも事実です。
気に入らないこと、嫌なこと、やりたくないこと、嫌いなこと、
そんなことでも、しなければならないことが
多々あるのが人生であり、
それはすべて、自分自身の成長のためで
あるということです。
 多くは神の恩恵として与えられていたりします。
そう、神様へのお願いは、実は、目先においては
お願い通りには与えられないものであるということです。
願った人の成長のために、魂の成長のために
不要なものを排除し、必要なものを与えてくれるわけで
その内容は、本人にとっては、その瞬間は
辛いものであったりすることや、不幸だと感じるような
ことであったりもするということなのです。
それは、子どもの成長のために、勉強しなさいと
いう親と同じだということなのです。
そして、そのときは大変でも、後になって
良かったと思うことになるわけですね。
 目先のことだけで、物事を判断すると
失敗や後悔ということに将来なり得ることも
多いということですね。

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2011年09月17日

幸せとは・・・・

「幸せとは、なるものでもなく、
 与えられるものでもなく、得るものでもない
 ただあるものに過ぎない、
 ゆえに、いつでも誰でも幸せであることはできる」

 幸せについての記事が最近注目されているようです。

西日本新聞 2011年9月17日付より
【幸せの描き方・ブータンの挑戦 1】GDP信仰から脱却 国連決議
http://d.hatena.ne.jp/Jubilee_Kansai/20110915/1316109364

西日本新聞 2011年9月15日付より
【幸せの描き方 ブータンGNHの今 2】欲望抑え「つながり」 家族と自然と
http://d.hatena.ne.jp/Jubilee_Kansai/20110916/1316174387

 しかし、幸せとは何でしょう?
幸せになる必要などあるのでしょうか?
考えていくと、幸せとは、心の感情における
状態に過ぎないことがわかります。
つまり、環境でもなければ、状況でもなく、
富でもなければ、価値でもないということです。
だから、幸せは、与えられるものでもなければ、
得られるものでもなく、
幸せになりたければ、幸せであればよい、
ただそれだけのことであったりするというわけです。
幸せの青い鳥を探した兄妹は、結局それは
どこにもなく、自分たちがもっていたことに
気付きます。
そうなのです。幸せとは、そう思ったときが
そうであるというだけのことなのです。
つまり、幸せであるか否かというだけのことであり
それは、その人の考え次第、想い次第でしかないと
いうことなのです。
つまり、誰でもが、いつでも、幸せであることは
出きるということです。
従って、幸せは、目標にもならないし、
目的にもならないものであったりします。
幸せを目標にしているような宗教や団体は、
信用しない方がよいかもしれません。
なぜなら幸せに基準などないからです。
もの凄い貧困であっても、幸せであることは
可能ですし、もの凄い大金持ちであっても
幸せでないことも可能なのです。
だから、幸せかどうかは、その人の心しだい、
であるなら、幸せであることが出きるように
心を鍛え成長させていくことこそが重要であって、
幸せを目標にすることは何の意味もありません。
「あなたは幸せですか?」
この質問ほど無価値なものはないといえるでしょう。
なぜなら、幸せであるかどうかは、
その人の考え方でかわるものに過ぎないのですから。
どうせきくなら
「あなたは幸せであることができますか?」
ということになるのではないでしょうか。
出来ないなら、どんなことをしても、してもらっても
その人が幸せでありえることはないでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 22:24| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月16日

私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある

『私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。』
  フランソワ・モーリアック


 自分の人生に悲観している人、
自分の人生を後悔している人、
もっと、良い人生をおくれたらよかったと
思うことはあるものです。
しかし、人生に後戻りはありません。
そして、どんな人生であっても、
その人生には、その人生なりの価値が
あるということです。
その人の出きること、出来たことに応じた
価値があるということです。
たとえどんな人生であっても
神によってあたえられ、魂の成長のために
歩んできた道であるのだから、
その人にとって重要な価値をもっているものだと
いうことは間違いないものだと
いえるでしょう。
それは、他人の人生と比較するものでも
比較して語るべきものでもない。
唯一無二のものであるということです。
だから、どんな人生であっても
必ず価値があるということです。
だから、どんなときでも諦めず悲しむことなく
自分自身の価値に誇りをもって
生きていくことが大切であるということです。

 
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2011年09月15日

人、城を頼らば、城、人を捨せん

『人、城を頼らば、城、人を捨せん。』
   織田信長

 物に頼っていれば、結局裏切られることになる
人が、何かを成すためには、物に頼っていては
だめであるということですね。
 どんなに凄い城であっても、その城に頼って
呆けていれば、その城は落ちることになると
いうわけです。
城の優劣は、城によって決まるのではなく
そこに居る人によって決まるのだとも
いえるでしょう。
 何かを成し遂げる人は、ひとりきりではなく
優れた人材が自然に廻りに集まってくるものです。
人を惹きつける魅力こそが、本当の力なのかも
しれませんね。

posted by 清水の伏竜. at 06:07| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月14日

人は天才に生まれるのではない。天才になるのだ

『人は天才に生まれるのではない。天才になるのだ。』
   ボーヴォワール

 天才とは何か、
それに関するひとつの考え方が提示されている
言葉ですね。
 天才とは生まれるものではなく、
成長するなかで、つくられるものであると
いうことです。
秀才と天才は紙一重ということでしょうか。
 天才は、実は不運な人ともいえるかもしれません。
もし、その才が前世で培ったものを出しているだけなら
今世で何も学んでいないということになるからです。
即ち、成長のために生まれてきたのに
その機会を失っているという見方もできるわけです。
しかし、生まれながらではないなら、
今世において、努力した結果として、その才を得て、
花開いたということであり、その分野において
大きな成長を成したのだといえるでしょう。
次の人生では、もう必要なくなるというわけもあります。
 天才は、まるで天から才能を与えられたように
神の如く秀でているというわけですけど、
それも、多くの秀才のなかから出てきたものでしか
ないともいえるのかもしれません。
秀才が大関であれば、天才は横綱といった感じでしょうか。
 天才になれなくても、
この世で、それぞれに、その人が成すべきことが
用意されており、それを成して、逝くことになるわけです。
その運命は、神によって与えられた魂の成長のための
プロセスであり、霊性修行のための道であるわけです。
 天才と呼ばれる人の多くが、自分のことを天才とは
思っていないものです。
つまり、天才とは他人のつけたレッテルのひとつに
過ぎないともいえるでしょう。
しょせんは人や社会がつけたものでしかないと
いえるかもしれません。
 さて、この世には、神才を与えられた人がいます。
それは神によって与えられた特殊な能力であり、
この世のものとはいえない力です。
残念ながら、それを与えられた人の多くが、
その力を間違った方向に使ってしまい、カルマを
つむことになっているようです。
 なにわともあれ、才あるものこそ、謙虚さを
忘れてはならないといえるでしょう・・・・・・。

 
posted by 清水の伏竜. at 07:07| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月13日

私たちの意識と身体の奥では、

『私たちの意識と身体の奥では、
 無限の可能性に開かれた複数の<自己>が息づいている。』
  丸山 圭三郎

 複数の自己という表現は、
わかりやすさから、そうなったのかなと
いう印象です。
もし、本当に複数の自己が出てきたら
それは精神分裂症ですから。
ここでいう自己とは、自分の出来ること、
自分を表現すること、自分の能力や特性のことで
あるといった方が適切なのかもしれません。
即ち、どんな人にも、いろんな可能性が考えられると
いうことです。
それを地球上の人類規模で考えてみれば
まさに無限であるといえるでしょう。
 表に出ている意識や身体だけが、自分のすべてではないと
いうことです。
意識や身体は、いってみれば、物理的な存在部分だけの
ことであり、その奥には、スピリチュアル的な存在の部分があり、
更にその奥には、魂としての存在があるということです。
その奥にある自分自身から、出てくるものもあると
いうことなわけです。
だからこそ、今の失敗や、今の環境の問題、
状況の問題、課題や悩みなども、
解決できないわけではないということです。
何かにチャレンジしてうまくいかなかったとしても
それで全てが終わってしまうわけではないということです。
他の道で成功するかもしれない
その可能性は、誰もがもっているということなわけです。
 もちろん、その可能性をどのように引き出すのかは
また人それぞれに異なることでしょう。
新しい出会いかもしれないし、新しい体験かもしれないし
過去からの展開かもしれません。
 ただし、その可能性は、自分自身が信じることからしか
はじまらないものであるともいえるでしょう。
だからこそ、多くの人が、諦めないことの大切さを
説いているのだということです。
諦めなければ、道は開けてくるということですね・・・。
posted by 清水の伏竜. at 19:44| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月12日

神や聖霊は動機をみている

「神や聖霊は動機をみている」

 神や聖霊は、動機をみているので
その結果にはあまり関心がないということです。
どのような結果を出したとしても
動機がどこにあったのかによって、
神や聖霊からみれば、それは無価値にもなると
いうことです。
 カルマや徳分というものは、
行為により生まれるものでもありますが
その行為の動機によって大きく変化すると
いうことになるわけです。
 神の基準とこの世の基準は異なっていると
いうことですね。
この世の基準、特に欧米では、結果がすべてという
風潮があります。
しかし、神や聖霊は結果はあまり気にしません。
その結果を導いたときの動機にこそ注目していると
いうわけです。
 神や聖霊の為の行いなのか、
私利私欲の為の行いなのか、
それをみているということです。
私利私欲のための行いには、神や聖霊は、
何の関心も示さないし、どんなに凄い結果であっても
何の価値も見出してはくれないというわけです。
 神の恩恵や、聖霊の恩恵を得るために
成すべきことは、この世の基準で考えては
ダメだということです。
神の叡智や、聖霊の叡智に学び、
求められるものを知り、行動することが
必要であるといえるでしょう・・・・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 18:24| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

われ、境遇をつくらん

『われ、境遇をつくらん。』
  ナポレオン


 生きるということは、
なんらかの環境のなかで生活していくこと
その環境をつくるのは、誰でもなく
自分自身であるということです。
どのような境遇をつくるのか、
導くのかは、まさにそれぞれの人生の
歩みの結果であり、
生き様を示すものであるといえるでしょう。
結局のところ、今ある境遇、環境は、
自分自身が導いたものでしかなく、
自分が築いたものでしかないということです。
誰のせいでもなく、誰がやってくれたものでもない
自分のやってきたことの結果であると
いうことです。
ゆえに、それを変えることも、また自分自身で
しかないといえるでしょう。
新しい一歩は、結局、自分でしか歩みだせない
ということなのですね・・・・・・

 
posted by 清水の伏竜. at 05:00| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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