2011年07月31日

勝つまでやる。だから勝つ。

『勝つまでやる。だから勝つ。』
  安部 修仁

 やる気を持つこと、
そして、勝負事であるなら、
勝つと信じること、そして、挑戦であれば
必ず勝つまで、諦めないこと
それが、勝利につながっていく、
勝つまで、あきらめない、
常にチャレンジし、負けて負けても
可能性を信じて努力していく、
そして、勝つことを疑わない、
勝てることを疑わない、
その結果は、必ず、勝つ。

 まさに、優勝するまで、あきらめずに
挑戦し続ける、そうすれば、きっと
結果が付いてくるということですね。
そう、今年のワールドカップの
なでしこJAPANのように。
posted by 清水の伏竜. at 23:17| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

全ての人には個性の美しさがある

『全ての人には個性の美しさがある。』
   エマーソン

 美しさって何でしょう
よく、美しくなりたいという声を耳にします。
そして、美しくなりたいからという理由で、
整形手術をしたり、ダイエットをしたり、
お化粧をしたりするようです。
でも、そうやって、美しくなったはずなのに
まだ、美しくなりたいという声が、
おさまることはないようです。
肉体は所詮は、今世における器にすぎません、
メスをいれ、薬をつかい、変更することで、
心が落ち着くので有れば、それは構わないでしょう。
神も、霊性修行のためになるのであれば、
許すことでしょう。
しかし、単なる欲望のためであったら、
それは美しさではなく、醜さにしかならないと
いえるのかもしれません。
 人の美しさとは、まさに神により与えられし、
コアなる存在である魂の輝きそのものだと
いえるのかもしれません。
それはすなわち、唯一無二の存在であるということ
まさに、その人だけのもの
個性ということになるでしょう。
個性こそが、美しさの源泉であり、本質であるなら、
他人の真似をするような行為には、美しさはないと
いうことになるのかもしれません。
真似した整形も、真似したダイエットも、
真似したお化粧も、美しさにはなり得ないと
いうことなのかもしれませんね。
 美しいと感じるものの基準には、
まさに神の基準としての普遍性をもったものもありますが、
それは、神の美であって、人のレベルの話しではなく
人のレベルでの美しさは、しょせんは、
主観的なものであって、人それぞれに異なっていると
いえるでしょう。
美しさの基準もまた、個性であるといえるなら
個性と美しさは、まさに同じということでしょう。
 誰もが、もっているもの、
それが、個性であり、その個性こそが、美しいもので
あるということです。
まさに美しさとは、なるものではなく
あるものであるということですね・・・。
posted by 清水の伏竜. at 06:56| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月29日

幸福以外のものを目的として生きる時、人は幸福になれる

『幸福以外のものを目的として生きる時、人は幸福になれる。』
    J・S・ミル

 幸福を求めていきていると、
幸福になれないということにもなりますね。
幸福とは、目的ではなく、結果であり、状態でしかないと
いうことなのかもしれません。
 幸福というような抽象的で感情的で主観的なものを
求めても、どうすればよいのか、その方法が明確に
なってこないということであるともいえるでしょう。
 夢を抱くとき、幸福という情景では、はっきりとした
ものが見えてこないのではないかということでも
あるでしょう。
 どのような状況になったから、
私は幸福であるといえるようになるというわけです。
ゆえに、幸福になるためには、
何か、幸福以外のものを、目標として、
または、夢を抱いて、その実現に向かって歩んでいく
ことが大切であり、そのように生きていけば、
人は、幸福になれるというわけです。
 幸福とは得るものでもなければ、
与えられるものでもない、なるかならないか、
唯それだけのものでしかないともいえるでしょう。
だから、幸福であることは、自分自身が、そうであると
思えるか否かでしかないということなのです。
幸福の青い鳥は、常に、自分自身のなかにいて、
それを見えるようにしているか否かの違いでしかないと
いうことなわけです。
 だから、幸福になりたいと求める人は、
なかなか幸福になれないのに、
幸福でありたいと思う人は、幸福になれるということに
なるわけです。
 あなたは、幸福でありますか?
posted by 清水の伏竜. at 17:58| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月28日

すべてを詳細に見れば、美徳とされる多くのことが破滅に通じ、

『すべてを詳細に見れば、美徳とされる多くのことが破滅に通じ、
 悪徳とされる他の多くのことが
 安全と繁栄をもたらすことがわかるであろう。』
   マキアヴェリ

 ちょっとした皮肉が込められた言葉かな・・・
美徳とは何か、悪徳とは何か、
視点をかえてみると、また違ったものが見えてくる
そんな感じでしょうか。
 美徳が、破滅に繋がっていて、
悪徳が、安全と繁栄をもたらすと聴けば、
多くの人が、そんなわけはないというでしょう。
 しかし、よのなかで、美徳といわれているものや
悪徳といわれているものを、
よくよく、詳細に確認していってみると、
不思議なことに、その本質が、違っていたりすることが
あるわけです。
 物事の本質は、風評や伝聞情報ではわからないと
いうことですね。
 また、徳とは何かという、問いかけもあるでしょう。
この世でいわれる徳とは、果たして本当に
素晴らしいものなのか、
美徳といわれるものは、安全と繁栄をもたらすような
ものであるのだろうか、
違ってはいないだろうか、
そんな問いかけでもあるのかもしれません。
 徳は、人の感情に関連したものですから、
確かに、神の視点でみたときには、必ずしも
正しいとは限らなかったりもします。
また、時代や社会によっても変化してしまうもので
あったりするわけです。
 徳にしろ、何しろ、その基準がどこにあり、
その定義が何に基いているのか、
それによって、異なるものになっていくという
可能性があるといえるわけですね。
 だからこそ、よく詳細に、確認してみることが
大切なのだということなのかもしれません・・・・
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2011年07月27日

人間は生きている間に、充分仕事もし、

『人間は生きている間に、充分仕事もし、
 充分生活も享しんで置けば、
 安心して死なれるのではないかと思う。』
   菊池 寛

 逝くときまでに、何をなせば、
安心して逝くことができるのか、
この問いについては、それぞれの人の価値観や
人生観が、大きく反映されるのではないかと
思います。
 だれがみても、充分に仕事をしていて
生活もたのしんでいたと思えたとしても
本人はまだ仕事をしたい、したりないと
感じていることもあれば、
まだまだたのしみ足りないと思っていることも
あるということです。
 その意味では、生きている間に、
充分に仕事をしていたとしても、
充分に生活をたのしんでいたとしても、
安心して死ねるかどうかは、はっきりしないのかも
しれません。
もちろん、安心してしねるという人もいることでしょう。
 ただ、必ず誰もがおとずれることになる
死というものについて、それを迎えるにあたっての
心構えがあるのかないのか、
それによっては、逝くときの安心度合いは
大きく変わることでしょう。
 この言葉のように考えているということは、
逝くときに対するひとつのスタンスとして、
自分の考えをもっているということになるのかも
しれません。
であれば、きっと、安心して逝くことができるでしょう。
 今回の人生において、何を成してきたのか、
そして、何をもって、この人生から去るのか、
そのタイミングは、神の定めによるものであり、
知りえる人は少ないものです。
知りえたからといって、何かが変わるわけでも
ないのかもしれません。
また、知りえる人とは、既に逝くことに対して
自分の考えをしっかりもっている人であると
いえるのかもしれません。
 ある意味で、ひとつの覚悟のもちようであると
いうことなのかなとも感じます。
明日、逝くことになるかもしれません、
それは、誰にとってもありえることであり、
また、可能性は零ではないということです。
だからこそ、今を、大切に生きることが、
価値あることになるといえるのでしょう・・・。
posted by 清水の伏竜. at 19:38| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月26日

時間とは、生きるということ、そのもの。

『時間とは、生きるということ、そのもの。
 そして人のいのちとは心を住みかとしている。』
   ミヒャエル・エンデ

 生きることの証のひとつは、
時間が経過していうことを感じるということ
なのかもしれません。
時間の流れと、人生の流れは、まさに一緒であると
いうことだといえるでしょう。
人のいのちは、人の成長とともにあり、
人の成長とは、物質的な肉体の成長よりも、
心の成長の方が、重要であるといえるかもしれません。
心があるから、命がある、
いのちの住み家は心であるという言葉は、
人のこの世における本質を捉えているのかも
しれないなと感じます。
 人という存在は、肉体と精神・心と魂から構成されて
いて、それぞれに、物質世界、精神世界、魂世界との
関係をもっているわけです。
魂のみが、輪廻転生をし、永遠の存在であり、
肉体と精神は、この人生で、生まれて消えていく
一度限りの刹那な存在であるわけです。
 心は、この世における命のベースとなっていると
いえるのでしょう。
スピリチュアルな世界と結びつくものの基本が
心であるわけですから。
心の強さは、スピリチュアルな力の源泉であるとも
いえるかもしれません。
 今、時を刻むことを感じているのは、
まさに、肉体と心であるといえるでしょう。
ゆえに、人生をより充実としたものとして感じていくために
心をしっかりとしたものにしていくこと
心の成長が大切であるということなのかもしれません・・・。
posted by 清水の伏竜. at 19:05| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月25日

何かについてすべてを、また、すべてについて何かを知るように務めよ

『何かについてすべてを、また、すべてについて何かを知るように務めよ。』
   ヘンリー・ピーター・ブルーム

 禅問答のような言葉ですが、
知ることの大切さを語った言葉といえるでしょう。
何かについて、それを理解するためには、
そのすべてを知るように努力することが
必要であるということ
そして、いろんなこと、さまざまな事について
知ること、知識を得るように、
努力することが必要であるということです。
 無知であることは、いろんな問題や弊害を
招くことになるということでもあるでしょう。
今回の東日本大震災においても、
放射能についての無知が、いらぬ心配や
パニックを引き起こし、ストレスで危険な状況に
自らや子どもたちを追い込んでしまっていたり
するわけです。
電力問題にしても、原発問題にしても、
無知によるおかしな言動も多くなっていたり
するわけです。
多くの情報を、きちんと分析し、整理して、
判断していくことが、求められている時代に
なってきているということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:33| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月24日

想像力は知識という土台の上に作られる

『想像力は知識という土台の上に作られる。』
   エリザベス・S・フェルプス

 優れたイマジネーションや、発明や創造は、
人の想像力によって見出されているといえるだろう
その想像力は、知識という土台があってこそ
力を発揮できるものであるということです。
何もないところからは、何も生み出せないし、
想像するためには、その種となるものが必要であると
いうことです。
 なぜ、学校でいろんなものを学習するのか、
それは、まさに想像力を培うためであり、
創造力を育てるためであるといえるでしょう。
 発明が、まさに既存の知識をあたらに結びつけ
生み出されるものであるわけで、
知識の豊富さ、豊かさが、発明の豊かさに
繋がっているわけです。
 いろんなことを学び、知識を増していくことは
想像力を発揮しやすくしていくことであり、
まさに、創造へと繋がっていくための土台を
構築していくということだといえるわけです。
だからこそ、人が成長するために、
学ぶことは、とても大切であるというわけです。
無駄な学習などないというわけですね・・・。
 生涯、学び続けることが、
成長であり、人生であるともいえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 23:11| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月23日

どんな分野とても競争から解放された分野はひとつとしてなく、

『どんな分野とても競争から解放された分野はひとつとしてなく、
 どの分野でも全員が「追いつき追い越せ」とばかり、
 一定方向にむかって全速力で走り続けている。』
   竹内 芳郎

 競争原理が、この社会を支配しているという
言葉です。近年の日本における大きな過ちを
指摘した言葉なのかもしれません。
しかし、本当に、どんな分野でも、
競争があり、追い越せ追いつけしかないのでしょうか
一定方向に向かって、ひたすらに走り続けるだけ
なのか、疑問に感じる人もいるかもしれません。
この言葉を、どのように捉えるのか、
解釈や視点の違いによって、そうだともいえるし
そうでもないともいえるのだとおもいます。
 人生は、自分自身との競争だともいえるわけです。
ならば、多くの人の人生が形作るものであれば、
どんなものも競争であるといえるでしょう。
つまり、競争を何との競争と捉えるとか、
どの様なものであるのかと捉えるのかということ
になるわけです。
競争を成長と捉えるのであれば、
成長しないものは、この社会においてはないのだから
どの分野でも、多かれ少なかれ、成長している
現状維持にみえるものでも、昨日よりほんの少し
成長している今日があるから維持できていると
いえるわけです。
 競争を利益追求や拡大化という感じで、
経済的な大きなでしか捉えないとしたら、
この言葉は、すべての分野には当てはまらないものに
なるでしょう。それはバブルの日本が証明して
いるともいえますし、日本の強い老舗のある分野に
おいても、異なっているといえるでしょう。

 多くの言葉は、その捉え方によって、
負にも正にもなり得たり、誤った方向へと
進むことになったり、正しい道標になったりと
変化してしまうことがあります。
心の目を鍛えて、言葉をしっかりと捉え、
本質を感じ取れるようにしていくことが
大切なのだと感じます・・・。
posted by 清水の伏竜. at 09:55| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

粗暴さとは、弱者による強さの模倣品である

『粗暴さとは、弱者による強さの模倣品である。』
   エリック・ホッファー

 粗暴な人は、弱い人であるということです。
弱いから、粗暴な振る舞いをして、
強く見せかけようとしているというわけです。
まさに、強さの模倣品ということですね。
弱いものが、その弱さを隠すために、
行なう行為の殆どが、強いものの模倣であると
いえるのかもしれません。
模倣品なので、底が浅く、目利きには、
簡単に見抜かれてしまうことになるわけです。
もちろん、その効果があることもあるでしょう。
しかし、それは、一時的なものでしかなく、
また、自分自信を更に弱いものにしていってしまう
ことになるかもしれません。
 弱さを認め、努力していくこと、
見た目や外面だけを、取り繕っても、
結局は、中身がともなっていなければ、
何の価値もないということでしょう。
もちろん、外見が中身をつくるというケースも
あります。
役職が人を育てるといったようにです。
しかし、粗暴さとか、一部の外見については、
中身も育てることはなく、ただただ無駄なだけと
いうこともいえるでしょう。
一時の自己満足に浸っていても、
損をするだけとなってしまうということです。
 粗暴さの衣は、とっとと脱ぎ捨てて、
現実の自分と勇気をもって体面し、
成長のための第一歩を踏み出すことが、
大切であるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 06:57| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

私は幸せにしてほしいなんて、

『私は幸せにしてほしいなんて、
 一言も言っていませんわ。
 私は幸せになりたいのではなくて、
 幸せでありたいんです』
   サアラ 〜「幽霊伯爵の花嫁」より

 あなたを幸せにできそうもないという
花婿に対して、花嫁が語ることばです。
物語では、まったくあったことのない人のところに
嫁入りしたヒロインが、その嫁入り先で、
幸せを掴んでいくというものですが、
結婚というものについて、見知らぬ同士が
夫婦になるということは、昔は普通であったわけです。
でも、それで不幸になるのかといえば、
決してそうではなかった。
幸せになった人も多かったわけです。
現代社会では、恋愛の末に結婚したのにダメになる
カップが多く存在しています。
つまり、幸せな結婚とは、結婚する過程によって
決まるのではないということがいえるでしょう。
まさに、そのことが、この物語でも示されています。
つまり、幸せとは、与えられるものではないと
いうことなのです。
良き結婚、幸せな結婚、良き家庭、幸せな家庭とは、
与えられるものではなく、築くものだということ
なのです。
そして、それは、まさに、このヒロインの言葉が、
真理を語ってくれています。
そう、人にとっての幸せとは、
自ら幸せであるということでしかないということなのです。
幸せにしてもらえるというのは幻想であり、
幸せになりたいと思ってもなれるわけもなく、
幸せとは、幸せでありたい。
幸せであると感じることが出来るのか否か、
ただ、それだけのことであるというわけです。
 この物語のヒロインの言葉、
このように幸せを語れる人こそが、幸せになる資格と
権利ともった人であるといえるかもしれません。
幸せとは、比較してきめるものではなく、
自分自身によって、きめるものでしかないと
いうことなのです。
つまり、不幸だという人は、自らが不幸だという状況に
貶めているだけであるということなのです。
まさに、信じる心の力があるかないかの差でしかない。
それが、この世における幸せだということです。
 青い鳥が、結局、身近にいたという結末の通り、
幸せは常に、自分の中にいるということです。
それに、気付けるのか、気付けないでいるのか、
その違いでしかないということなのです。


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2011年07月19日

人間は世界を変革しつつ、まさにその変革の結果として

『人間は世界を変革しつつ、まさにその変革の結果として、
 おのれ自身もまた変革されるのである。』
   パウロ・フレイレ

  人も、世界も、変革していく、
 その変革は、人と世界が、互いに関係しあって
 いるからということ、だから、世界の変革は、
 自分の変革に繋がっていく
 世界の変革のときに、自分もまた変革しなければ
 世界に取り残されていってしまうということ
 だから、常に、自己革新に努めていくことが
 大切であり、世界の変化を感じる感性を
 もつことが必要であるといえるのでしょう。

posted by 清水の伏竜. at 06:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月18日

目標はつねにわれわれからあとずさりする

『目標はつねにわれわれからあとずさりする。
 進歩が大きければ大きいほど、
 自分の無価値の認識もそれだけいっそう大きくなるものだ。
 満足は努力にあって、到達にあるのではない。』
   マハトマ・ガンディー

 努力することは、大切なことです。
しかし、努力することで、何かに到達できる
わけではありません。
努力することで、満足を得ることはできるでしょう。
しかし、進歩していくなかで、
自分の足りないもの、価値のなさを、
いっそう感じ取ることになっていき、
目標は、遠くにみえてきてしまうということ
なのです。
 目標に到達するためには、努力だけでは
足りないということです。
では、努力以外に何が必要といえるのでしょうか、
この言葉は、そんな問いかけをしている
言葉なのかもしれません・・・・。

posted by 清水の伏竜. at 08:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月17日

リスクの有無を行動の基盤としてはならない。

『リスクの有無を行動の基盤としてはならない。
 リスクは行動に対する制約にすぎない。』
   P・F・ドラッカー

 リスクの問題が、今、日本を覆っているのかも
しれません。東日本大震災にあたって、
防災リスク、原発リスク、リスクについて、
考えることが、前面に出てきているような気がします。
しかし、リスクばかりを考えていては、
行動はできません。リスクはまさに行動にたいする
制約であるのです。
多くの人が、リスクを恐れて、安全のために
行動を控えてしまいます。
しかし、それでは、進歩も阻害され、夢にも
辿り着けなくなってしまうかもしれないわけです。
行動に対する制約でしかないリスク、
それを行動の基盤にしたときから、
人は進歩出来なくなってしまうということ
なのかもしれません。
もちろん、より安全であることは大切でしょう、
しかし、過度に安全を求めてしまうこと、
危険も明確ではなく、可能性でしかないようなとき、
リスクばかりを強調することは、
人を不幸にしていくのかもしれません。
人が幸福になるためには、行動なくしては
ありえないのですから・・・・・。

posted by 清水の伏竜. at 08:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私にとっての幸せとは、

『私にとっての幸せとは、
 私が私であることを後悔しないということです』
   サアラ 〜「幽霊伯爵の花嫁」より

 自分に自信をもっていること、
自分であることに、素直であること、
なによりも、生きていること、生活している日々に
自分であることを、後悔しないように
行動すること、それが幸せということだと
 この物語のヒロインは、悲惨な過去を抱きながら
人の善悪を受け入れて、人の悪い面を悲しみながらも
人の良い面に希望をもって、自分の人生を
歩んできたなかで、ひとつの結論を得て、
その価値観のもと、生きている。
 愛すべき人から、あなたにとっての幸せとは何かと
問われて、こう答えるヒロイン。
ひとつの悟りをえたものの言葉のようでも
あったりします。
物語のなかで、彼女の発揮する力は、
彼女の心と精神のありようからいえば、
当然のことであったといえるでしょう。

 あなたにとって幸せとは何か

この問いを投げかけられたとき、
あなたは、何と答えるでしょう。
一度、考えてみるのも良いかもしれません。
問いの答えを考えるなかで、
自分の人生を見つめ直すことが
出きるかもしれませんから・・・・・


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2011年07月16日

目の前の仕事に集中せよ。

『目の前の仕事に集中せよ。
 太陽光線も一点に集めなければ発火しないのだから。』
   グラハム・ベル

 目の前にある仕事に、集中すること。
そこから、全てははじまるという、
何かを成し遂げるときの姿勢を語った言葉です。
発火して、燃え上がるには、
やはり、集中することが大切であるということ
多くの人が、そういっているようにも
おもいます。
 でも、なかなか出来ないということも
事実ではないでしょうか。
出きる人には簡単でも、出来ない人には岸壁です。
同じことであっても、人によって、それに取り組む
ために必要なエネルギーも違うし困難さも違います。
出きる人は、出来ない人のことが理解出来ずに
自覚ないままにパワハラをしていることが
多かったりします。相手の立場を、どこまで理解し、
相手の視点に立てるのか、
人の上に立つものであればあるほど、
その部分の素養が必要となってくるともいえます。
しかし、現実のは、その素養のない人が、
上に立つことが多いようで、パワハラがなかなか
減ることがないようです。
 自分の精一杯でもって、集中していくことの
繰り返しのなかで、集中力を高めていく努力は、
忘れないようにしたいものだといえるでしょう・・・
posted by 清水の伏竜. at 23:48| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月15日

過去によって未来のプランを立てることはできない

『過去によって未来のプランを立てることはできない。』
   エドマンド・バーク

 過去の知恵を活かすことは、
重要なことです。
しかし、未来のプランを立てるのは、
今を生きているものであって、
過去に生きたものではありません。
未来のプランは、過去によって立てるものでは
なく、今と、未来を見据えて、
立てるものだといえるでしょう。
 変化を恐れ過去にしがみつくだけでは
未来の理想を描くことなどできません。
過去に依存することなく
今に依存することなく
未来を考えていく、可能性と夢をもって
プランを描いていくことが
大切であるといえるでしょう。
 過去の反省や知恵を糧にして
夢と理想を抱いてこそ、未来へのプランは
描けるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 07:37| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月14日

永遠の下では、あらゆることは始まったばかりだ

『永遠の下では、あらゆることは始まったばかりだ。』
   エリアス・カネッティ

 永遠とは、何なのか、
この世の人生は、生まれたときに始まり、
逝く日に終わります。
永遠ではないものであるわけです。
 永遠というものがあるとしたら、
それは、神という存在であり、そこから生まれた
魂という存在であるといえるでしょう。
そして、永遠という考えのもとでは、
終わりがないという視点でみて、どんなことも
始まったばかりという見方ができるでしょう。
 何事も、長い目でみれば、
始まったばかりといえるのだから、
焦ることなく、しっかりと進めていけば
よいのですということでしょう。
永遠に対すれば、すべては、早すぎることも
遅すぎることもない、
だから、そのようなことなど気にせずに、
成すべきことを成せばよいということです。
年齢や経験など気にしても意味はないと
いうことでもあるということでしょう・・・。
 何か成そうとするとき、
それが成せるのであれば、遅すぎるとか
早すぎるとか、気にする必要などなく、
その時が、ただ来ただけなのだということですね・・・。
posted by 清水の伏竜. at 06:22| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月13日

おまえの生の目的に向かって一路急げ

『おまえの生の目的に向かって一路急げ。』
   マルクス・アウレリウス

 生きていることに感謝する
簡単なようでいて、難しいことであったりします。
そして、生きている以上は
人生の目的をみつめて、人生の目標に向かって
歩んでいくことが、大切であるといえるでしょう。
日本には、神仏の国として、長い歴史があり、
文化が紡がれてきています。
 お盆という行事もその一つです。
人生は、生まれた環境と、大きく関わるもので
あったりします。
その生まれた国、生まれた地域、生まれた家で、
成すべきことがあるからこそ、
そこに、命を得ているということだからです。
生を得たときから、それは必然であり、
当然のように、人生に関わってくるものとなると
いうことなのです
 迷ったり惑うこともあるでしょう、
しかし、結局は、この人生の目標に向かって
まっすぐに進んでいくしかないということに
なるでしょう
いつか逝くときまで、
この人生で、与えられたもの、運命を
学び、育み、受け取って、
成長していくことが、重要であるということです。
この人生は、今回きりのものなのですから、
何事も逃さずに、進んで生きたいものですね・・・・
posted by 清水の伏竜. at 22:49| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月12日

人様から教えられた知識は、しょせんテンプラのコロモにすぎない。

『人様から教えられた知識は、しょせんテンプラのコロモにすぎない。
 たとえ苦しくとも、ものごとに真正面から取り組んでいく。
 その気概があってはじめて「自主独立の経営」が実現する。』
   石田 退三

 何かを成すときに、結局重要になるものは
何なのか、そのことに言及した言葉であると
いえるでしょう。
 知識は重要です。しかし、学んだ知識は、
情報ではあっても、知恵にはなっていなかったりする
ことも多いでしょう。
まさに、衣のようなものでしかなく、
実態とまでいっていないということです。
 自主独立、それには、自分自身の芯の部分が、
どれだけ鍛えられているのか、成長しているのかが
重要であるというわけです。
 苦しさに負けることなく、真正面に自分のなすべきことと
向き合って、取り組んでいくことのできる心、
気概と精神をもっていなければ、なかなか実現までに
いたるのは、難しいというわけです。
 自分自身のものにしていくために、
知識や経験を、自分のなかに定着していくための
努力が大切であるともいえるでしょう。
それは、日々の生き方が、重要であるということに
なるのかもしれません・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 13:00| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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