2011年02月28日

天才の特長は凡人がひいたレールに自分の思想をのせないことだ

『天才の特長は凡人がひいたレールに自分の思想をのせないことだ。』
   スタンダール

 天才は、他人のレールの上を歩かない
自分でレールをひいていくということです。
だから、他人からみてみると、ちょっと異質に
感じられるということでしょう。
 凡人は、他人の強いたレールの上に
自分の思想をのせて、その上をなぞっていく
秀才と天才の違いは、まさに開拓者か否か、
先駆者か否かということになるのかもしれません。
どんなに偉ぶっても、自分自身で新たなるものを
創造できないのであれば、天才とはいえない
ということなのかもしれません。
 しかし、天才であることが、何か大事であるかと
いわれたら、実は、あまり意味ないことで
あるということになってしまうかもしれません。
なぜなら、人が生きているのは、
天才になるためでも、秀才になるためでもなく
ただ、魂の成長をなす為なのですから。
かえって天才であるがために、成長できないと
いうこともあるかもしれません。

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2011年02月27日

偉大な事業を完成するためには、

『偉大な事業を完成するためには、
 人はつねに緊張していなければならない。
  サン・シモン

 何かをなしとげるために、
どんな姿勢であるべきなのか、
そんなことについての言葉のひとつです。
常に緊張しているといことは、
集中して迷わないことであるといえるでしょう。
そして、いろんな情報に対して
敏感であるということ、何事も見逃すことの
ないように気を配っていられるということ
それを、常に緊張していることだと
いっているのだといえるかもしれません。
 成功するためには、
実際には、本当に常に緊張し続けては、
途中で倒れてしまって何もかも失うことに
なるでしょう。
リラックスしたり、休んだりすることも
大切なことですし、それがなくては継続は
難しいでしょう。
継続なくして成功への歩みもないでしょう
偉大な事業を完成するには、
継続していくこと、そして、常に緊張して
いろんなことに目を向けているべきだと
いうことですね・・・・・。

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2011年02月26日

すべてのものには、学ぶべきことがある

『すべてのものには、学ぶべきことがある。』
  ヘレン・ケラー

 どんなことのなかにも、
必ず、何か、学ぶことがあるものだと
いうわけです。
楽しいことよりも、
実は、苦しいこと、辛いこと、厳しいこと
悲しいことのなかにこそ、多く学ぶべきことが
あるといえるかもしれません。
成功よりも失敗にこそ学ぶものが多くあると
いうわけです。
しかし、すべてのものに、学ぶことがあっても
それを学ぶことが出来るかどうかは
わかりません。
学ぶということは、与えられるということでは
ないからです。
学ぶ姿勢をもって、自ら得ようとアプローチ
しなければ、学ぶことがあったとしても
学ぶことはできません。
同じものに出会っても、どれだけのことを
学ぶことができるのかは、
人によって異なるということです。
より、多くのことを学べるように、
謙虚でありたいものだとおもいます。

 
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2011年02月25日

まあ、もうちょっと、行ってみようやないか。

『まあ、もうちょっと、行ってみようやないか。
 ほんとうに未知なものにむかって進むとき、
 人はそんなふうに自分に対して言うほかはない。』
  小田実


 未知なるものとの出会い、
それはとても素敵なことだとおもいます。
そして、未知なるものに出会ったとき、
そして、未知なるものに向かって進むとき
まさに、人は、ただいってみるだけという
ことになるのでしょう。
自分自身にとっても、手探りな歩みであり、
いってみるしかないでしょうという
感じだというわけです。
その通りだなとおもいます。
そして、ここで、まあ、もちょっと
いってみようとおもわないと、
何も得られることがないということになるわけです。
未知なるものとの出会いから、
何かを得るために、ちょっといってみることが
とても大事なことであるというわけですね。

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2011年02月24日

出世する社員とは、あてがわれた仕事にベストを尽くす人である

『出世する社員とは、あてがわれた仕事にベストを尽くす人である。』
  井植歳男


 与えられた仕事にベストをつくすこと
そうすることが会社における成功の第一歩
そうであることは確かなことでしょう。
そして、何事にもベストを尽くすことが
なければ、評価されることもないというわけです。
しかし、出世する社員は、必ずしも
仕事にベストを尽くす人であるとは限りません
それが現実の会社であったりするものです。
ベストを尽くして、精一杯おこなっても、
評価されないこともあるのが企業であり
社会の現実であることも残念ながら事実です。
でも、与えられた役割や仕事に対して
自分のベストを尽くすことは、出世するために
行うのでもなく、評価される為に行うのでもなく
自分の成長のために行うべきことであると
いえるでしょう。
ベストを尽くすのは、自分自身の為であると
いうことなのです。
 出世する社員は、結局は組織のなかでは
組織のなかで権限のあるものに気に入られたもの
でしかありません。
そして、気に入られる理由は、さまざまです。
そして、組織のなかで権限のあるものに
気に入られないと、出世はできません。
気に入られない理由には、嫉妬や妬みや、
不満や相性など、これまたいろいろあるものです。
出世することのできる人は、
権限のある人に気に入られる力がある人だと
いうことですね。
その力が何なのかは、その組織や権力者によって
異なるものだということです。
仕事に対しての姿勢や成果であることもあれば、
そうでないこともあるというのが、
現実の実体であるといえるでしょう。

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2011年02月23日

おろかなる者は思ふ事おほし

『おろかなる者は思ふ事おほし。』
  松尾芭蕉

 思い悩んでいるだけでは、
ただ愚かなだけであるということですね。
迷っているなら、旅立てばよい、
旅のなかで句を詠んだ俳人らしい
言葉といえるかもしれません。
 思うことは、簡単なことです。
でも、ただ思っているだけでは、
何もかわりません。
そして、その思いのなかで迷っているだけでは
何もおこらないし、何もえられない、
それでは、ただの愚か者でしかないと
いうことです・・・・。
愚か者になってしまわないために、
ただ思うのではなく、行動してみようと
いうことなのだといえるでしょう。
どんなかたちであってもよいから・・・・

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2011年02月22日

下らなく過ごしても一生、苦しんで過ごしても一生だ。

『下らなく過ごしても一生、苦しんで過ごしても一生だ。
 苦しんで生々(いきいき)と暮らすべきだ。』
  志賀直哉


 人生を、どのように歩むのか、
人は生まれ、いつか逝くものであるわけです。
その旅の途中で、苦しいこともあれば、
哀しいこともあるし、辛いこともある
でも、どうせ生きるなら、いきいきと
暮らしていった方がよいということです。
たった一度の人生を、謳歌できた方が
楽しいではないかということですね。
どんな人生であっても、
自分の人生であり、それはかわることはない
ということです。

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2011年02月21日

善を成すために熟慮はいらない。

『善を成すために熟慮はいらない。』
  ゲーテ

 何か善いことを行うとき、
じっくりと考えて行うことはないと
瞬間的に行動してしまう善行にこそ、
価値があるということでしょう。
熟慮したうえで行うものには、
何らかの思惑や、打算が入ってしまって
いるものだというわけです。
本当の善行というものは、
ごく自然に行動にあらわれてくる
そんな行為にこそあるということでしょう。
また、自然に行動してしまうような
善いことこそが、本当に価値有る善行であると
いうことなのかもしれません・・・・。

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2011年02月20日

他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である

『他人と比較してものを考える習慣は、致命的な習慣である。』
   バートランド・ラッセル


 何かと他人と比較してしまう。
それは、自分自身に、自信がないからなのか、
それとも、他人との比較でしか、
自分の存在を確信できないからなのか、
でも、いくら比較してみても、
自分は自分でしかなく、他人であることは
ないわけです。
まさに、他人との比較には何の価値もないと
いうことなのですが、それを考えることが
当たり前になってしまっているとしたら、
致命的な習慣であるということになるでしょう。
その習慣を捨てない限り、いろんな不要な悩みや
負の感情にさいなまれてしまい、
成長するチャンスも失ってしまうかもしれません。
そんな習慣がある人は、ぜひその習慣を捨てるべきだと
いえるでしょう。
 比較しても、見えてくるのは違いだけ、
そして、他人と違っているのは当たり前のことであって
それによって何かかわるわけでもなく、
何かを得られるわけでもなく、
何かを失うわけでもない、
ただただ、もったいなく時間が過ぎるだけ
という不毛なことになってしまいます。
 もちろん、他人のなかに自分にない魅力を
感じて、それを学ぶために、自分と比較することは
素敵なことだといえるでしょう。
そういった前向きな比較であれば、問題ないし、
良い習慣であるといえるかもしれません。
しかし、何かを考えるにあたっては、
他人と比較するまえに、まずは自分自身で考えることが
重要であり、大切であるということです。
他人のことを考えず、まず自分自身で考える習慣を
身につけていくことが、成長のために大事であると
いうことですね・・・・。

 
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2011年02月19日

何よりもまず汝自身を

『何よりも
まず 汝自身を
尊敬せよ』
ピタゴラス

試験会場の大学の掲示板に
毛筆で描かれていた言葉です。
自分自身が尊敬できる存在でないのに
他人に何をいうことが
できるのでしょうか
まさに、
そう学生に問い掛けて
いるのかなと感じた次第です。
自分自身に誇れる人に
なれるように学び続けていくことが
大切であるということですね
posted by 清水の伏竜. at 15:01| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旅へ・・・・

 最近、ブログの更新を忘れてしまうほど、
なんだか忙しくもあり、疲れてもいた感じです。
本当は、今朝、出かけるべきだったのを
一日遅れにしてもらって、
今日は、仕事の関係での試験を受けることに
なっています。
でも、その試験のための予習も殆ど出来ていなかったり
します。朝、出勤して、夜遅く帰宅して、
日が変わるころに寝入り、朝おきるという
繰り返しの日々のなかで、
旅に向かうための準備もなかなか出来ずにきて
しまいました。
明日、早朝に出かけることになっていて、
今日は、試験が終わったら、その準備です。
今回の旅は、自分の人生にとっても、
特別な意味を持つものになるかもしれません。
素敵な出会いと経験が、あることを願って、
遅れず、あわてず、歩んでいけたらよいなと
おもっています。
 人には、それぞれの人生があり、
それぞれの道があります。
出来ることも違えば、出会いも異なります
そんな違いのなかで、それぞれに自分を見出し
成長していくわけです。
そして、自分以外との係わりのなかで、
多くのものを得ていきます。
 可愛い子には旅をさせろというように
旅することは、とても大事なことであると
いうことでしょう。
そこには、不安もあるでしょうし、
心配事もあるでしょう、でも、それを上回る
よいこともあるということです。
 何をなすにしても、
一歩、まずは前に踏み出してみること、
そのための勇気と決断が、
大事であるということですね・・・・・
posted by 清水の伏竜. at 10:21| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

人間はみんな、いつ・・・・

『人間はみんな、いつ刑が執行されるかわからない。
 猶予付きの死刑囚なのだ。』
  ビクトル・ユーゴー

 いつ逝くことになるのかわからない。
それが人生であるという事実は、
誰もが知っていることであり、
誰もが変えることのできないことであり、
その時は、生まれたときに決められたものであり
それを早くするのは簡単ではあるものの
遅くするのは難しい。
決められた寿命を短くすることは簡単で、
しかし、それをなすと大きなカルマをうむことに
なっていまうわけです。
では、寿命を長くすることは出来るのかと
いえば、それが出来るのは、唯神のみ。
神が願いを叶えてくれたならば、
逝くときが先になることもありえるわけです。
でも、そのためには、神が願いをかなえるにたる
人生をおくっていることが必要になります。
なかなか、そんな人生をおくれる人はいないでしょう。
ゆえに、寿命が延びる可能性は殆どないということに
なるわけです。
何れ訪れることになる逝く日に向けて、
今を、精一杯生きることが大切であるということに
なるのでしょう。
より、良き日々を・・・・・
posted by 清水の伏竜. at 20:14| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月08日

企業が手放したくない人材になる3つの条件

企業が手放したくない人材になる3つの条件
 〜「企業の人材採用」ガイド・本田和盛

 さて、企業に勤務している人にとっては、
年度末は、春闘の季節でもあり、給与の変更や
昇進降格、部署配置転換などなど、移動や変化のある
時期でもあったりします。
最近は、春闘も労働者の辛いものになっています。
企業の論理が優先し、経営者や株主、経営幹部には
手厚くかつ多くの富をもたらしながら、
社員には手薄く、福利厚生も縮小し、給与もあげず、
諸手当も廃止していくという流れが、
不況とかデフレとか円高とかを理由にして、
雇用確保を優先しているのだからという伝家の宝刀を
抜いて、文句を言わせないようになっています。
でも、給与格差は確実に大きくなっており、
4倍、5倍はあたりまえ、10倍上というのも
普通のようです。
もちろん、企業によっては、経営者が従業員こそ
宝であるという認識をもって、利益を従業員に還元する
ことを中心にしているところもありますが、
残念ながら少数派であるといえるでしょう。
 企業が手放さない人材とは、何かという記事ですが、
はっきりいえば、企業の得になる人材ということです。
企業の得になって利益を生んでくれる人材で
文句を言わない人材であればよいわけです。
遮二無二働き、安く高利益をもたらす人材は、
手放さないということであるわけです。
 主題の記事では、企業のなかでの位置づけが
大体決まって変わらなくなるのは、35〜40才を過ぎた
あたりであるとしています。
つまり、40過ぎたらもうハロー効果もあるし、
評価が変わることはまずないということです。
さて、3つの条件ですが
「キャリアを再統合できる」
「自分に火をつけることができる」
「企業目標にコミットし続ける」
ということだと指摘しています。
しかし、これは、ある意味、企業戦士の条件だとも
いえるでしょう。
キャリアを再統合するには、キャリアチャンスが
なければ無理なはなしですし、
気力を充実させて火をつけるには、
火種となるものが必要ですし、
企業目標にコミットするには、明確なる企業目標、
ビジョンが示されていなければできません。
つまり、企業側が、どんなものを提示できているのか
それ次第であるということになってしまうわけです。
窓際族も、無気力社員も、企業が作り出しているのだと
いうことでしかなかったりもします。
結局は、良い職場と良い上司が、良い社員を
生み出すのであるということになるでしょう。
ダメな社員が多い企業や部署ほど、その原因を
社員の側にもっていっているように感じます。
そんな環境で、3つの条件を満たそうとすると
でしゃばりとか、権限もないのにとか、
経営者でもないのにとか、非難されて、
パワハラに耐える日々しか待っていないということで
あるでしょう。
 会社が手放したくなる人材になることを
考えるのは、実は人生においてあまり価値のないことで
あるのかもしれません。
 今の人生は、今回限りのものです。
その人生を、どう充実したものにするのか、
そのためにどう生きるのかが、より重要であると
いうことになるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 12:56| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月07日

人生と決断

人生と決断。
この言葉について、いろんな人が、
いろんな事を語っています。
人生に決断は○しかないとか、決断できないのは
決意が足らないからだとか、
決断こそが人生を変えるとか、
決断という言葉は、実は誰もが普段から行っているもので
あったりします。
無意識に、選択したり、行動したりすとき、
誰もが小さな決断を行って、選択しているのです。
いってみれば、生きていることが、決断の連続であると
いえるのかもしれません。
しかし、そんな決断のなかでも、
悩みや迷いを伴うものがあります。
そんな決断に、多くの人は注目して、語っているわけです。
人生において、大きな決断が、何度かあるといわれますが、
実は、実際には、大きな決断なく、逝く人もいるでしょう。
結局、決断の重さや回数は、人によって異なるし、
その決断の対象となることも、人によって様々であり、
他人にとっては些細なことも、とても重大なことになることも
あれば、迷うのがおかしいと思うようなことでも
迷ってしまうこともあるということなのです。
自分基準で他人の決断を評価することほど、
愚かなことはないといえるかもしれません。
決断するのは、結局は、自分自身であって、
他人がするわけではないのですから、
その対象が、重要か否か、大きなものなのかどうか、
それも自分自身が感じるものでしかないということです。
そして、決断した結果について、その責任は、
自分自身にしかないということでもあります。
よく、自分で決断したのに、他人の責任みたいな
ことを言う人がいます。
騙されたとか言うわけですが、それは騙されたのではなく
単に、自分の決断が間違っていただけなのです。
決断することから、学べることは、沢山あるということなのかも
しれません。
posted by 清水の伏竜. at 23:54| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

親が子供に残すべきものは

『親が子供に残すべきものは、教育のみである』
スアミ

親が子供に何を残すのか、最近の日本の教育の問題は、
親の勘違いな子育てにあるということです。
子供に子供が成すべきことをさせない、
子供が学ぶべきことを学ばせない、
子供の権利やチャンスを奪ってしまっている
親は、子供が自立できる環境を与え
子供が親孝行できる機会を与える
愛のある厳しさ、
躾を行うことが大切である、それが教育ということ。
愛するということは、自分自身に厳しくなければならない。
自分自身に厳しくなければ、愛せないし教育もできはしない。
posted by 清水の伏竜. at 12:41| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月05日

真の知とは、結局、・・・

『真の知とは、結局、夜の暗黒の中で目覚めているということに尽きている。』
エミール・シオラン

諏訪湖の湖畔に残る雪と岸辺を覆う薄氷をみて
自然の美しさを感じる一方で
寒さ、冷たさに、厳しさを感じたり、
人はするものであるのだなと
思ったりしました。
何かを感じたり、経験したりするなかで、
人は学び知を得ていくものです。
それは真の知ではないかもしれませんが、
暗闇のなか、目覚めて、惑うときに、差し込んできた
小さな明かりのように、気付きや安心を
与えてくれるものかもしれません。
結局、人は知を求めて生きているということなのでしょう。
その知がどんなものなのかは様々であっても・・
posted by 清水の伏竜. at 10:48| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

愚鈍以外に罪悪はない。

『愚鈍以外に罪悪はない。』
  オスカー・ワイルド

 愚鈍であること、それこそが、
問題であり、大きな罪であるというわけです。
なぜ、愚鈍が問題であり、罪悪なのでしょう。
それは、無知が問題であるのと
同じことだということなのかもしれません。
愚鈍であると、無知であることにも気がつくこともなく
自分が迷惑をかけていることにも気がつかない
それでいて平然としていられるというわけです。
自分自身は問題なくても、周囲の人に悪い影響を
及ぼすことになるがゆえに、
罪悪であるということなのでしょう。
 ただ、何が悪い影響なのかについては、
人の常識で考えることは問題なのかもしれません。
神の叡智に従って、神の基準で判断することが
必要であるといえるでしょう。
イエス様やお釈迦様が、当時の世のなかの常識から
非難されていたように、この世の常識というものは
所詮は、その時代の為政者や世間の基準でしかないのであり
普遍的でも永遠なものでもなく、不安定でいい加減なものと
いってしまえるかもしれないということです。
人生の目的の根幹が、魂の成長であるゆえに、
本当に何が良いのかを決めるのは、
神の視点で、神の叡智により判断すべきであると
いえるでしょう。
しかし、理性をもって霊性的かつ冷静に、
神の願いに従った判断を下すのは、非常に難しいことで
あったりします。
聖者と呼ばれる人くらいにならないと、
本当の意味では出来ないことなのだともいえるでしょう。
でも、一般の人でも、信仰の力をもって、
自分自身の魂の声と、神の声に、耳を傾ければ、
より正しい判断が可能となるかもしれません。
それには、まず無知であることを自覚し、
正しい師のもとで学ぶことが大切であるということに
なるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:40| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、

『先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、
 己れの真実の声をもとめよ。』
   坂口安吾

 人は、生きているなかで、いろんな衣や
いろんな重荷、いろんな飾りを身につけて
きています。
それらすべてを、脱ぎ捨てて、
生まれたままの姿、心となって、
自分自身の心の本質に立ち返ってみること
常識に囚われず、心の奥底から湧き出る魂の声に
耳を傾けること、そこに真実の声があると
いうことです。
とらわれたるタブーとは、常識であったり、
既成の価値観であったり、リスクをとらない
無難な対応であったりするのだということでしょう。
もちろん、他人を傷つけたり、迷惑をかけることは
よくないですけども、
自分自身のことであれば、気にすることなど
ないということです。
よく躊躇する理由をきいてみて
考えてみると、他人のためや環境のためという
ように理由を他に求めているようであって
実は、自分が楽でいたいから、傷つきたくないから
そんな理由をつけて装っているだけであることが
殆どであると気付かされます。
自分の責任や自分の問題にすると逃げにくいのに
それをちょっと他人の責任や、他人の問題にして
しまうと、安心でき楽な気持になれるものです。
環境が原因とか、他人が原因とかいえば、
自分が原因ではないという口実になるということです。
でも、本当は、環境が原因でも他人が原因でもなく
自分自身の問題でしかないことが
生きているなかでは殆ど全てであったりします。
でも、いろんな衣を着て、いろんな眼鏡をかけ、
いろんなものを身に着けてしまっているために
そのフィルターを通してしか、物事を捉えたり
見据えたり、考えたりできなくなっているために
真実に辿りつかなくなっているということでしょう。
しかし、真実の声は、とても厳しいものであるものです。
その厳しさに真摯に立ち向かっていけるのか、
それは、ひとりでは難しいかもしれません。
ひとりでは無理であるなら、共に歩んでくれる人や
信仰の力に頼るしかないということに
なるのかもしれません。
人が、ひとりでは生きていけないというのは、
社会で生きるということだけでなく、
人の弱さ、人の本質に、その理由があると
いうことなのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 12:24| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月01日

悲しみや憎しみは誰かが歯を食いしばって断ち切らなくちゃだめなんです

『悲しみや憎しみは誰かが歯を食いしばって断ち切らなくちゃだめなんです』
      ピュア・ブロッサム
        〜「ハートキャッチプリキュア!」より

 最後の戦い、父の死を前に、憎しみと怒りと悲しみで
戦おうとするムーンライトにブロッサムが言います。
『自分の怒りや憎しみを晴らすために戦うのは止めて下さい』
そして、この言葉を伝えるのでした。
『悲しみや憎しみは誰かが歯を食いしばって断ち切らなくちゃだめなんです』
ブロッサムの心は、ムーンライトに伝わって
ムーンライトは言います。
『私たちは憎しみではなく愛で戦いましょう』

 世の中にある争いの多くが、悲しみや憎しみのままに
行われてしまうために、新たな悲しみや憎しみを生み出すだけで
負の連鎖となってしまっている。
それを断ち切るために、何が必要なのか、
その答えは実にシンプルなものだということです。
言葉にすれば簡単であっても、それを実際に行動に移すのは
大変なことでもあったりします。
勇気と決意が必要となることでしょう。
 子どもたちに向けてのアニメのなかの言葉ですが、
世界のリーダの皆さんにこそ感じて欲しい言葉であると
いう気がします。
posted by 清水の伏竜. at 01:50| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

勇気・愛・友情・優しさ・哀しみ・喜び・沢山の気持ち

『勇気・愛・友情・優しさ・哀しみ・喜び・沢山の気持ち
 みんなの心、仲間との絆、
 いのちと心に満ちあふれたこの世界を私は守る』
      ピュア・ムーンライト〜月影ゆり
        〜「ハートキャッチプリキュア!」より

 自分のためだけに、何かを成そうとしても
力は湧き出てこないもの、誰かの為に何かをしたい
そう想うときこそ、本当の力が湧き出てくると
いうことです。
 ひとりのスーパーヒロインではなく
仲間と一緒に歩むことで力が出るというメッセージは
日本のアニメのもっている素敵な子どもたちへの
贈り物だといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 01:50| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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