2011年01月31日

いかなる場合にでも、喜び大なれば大なるほど、

『いかなる場合にでも、喜び大なれば大なるほど、
 それに先立つ苦しみもまた大なり。』
  アウグスティヌス

 大きな喜びを得る為には、
多くの試練を乗り越えていかなければ
ならないということですね。
 アジアカップで優勝した日本代表も
まさに、多くの試練を乗り越えていったからこそ
優勝という喜びを味わうことが出来たのだと
いえるのかもしれません。
 だからこそ、今、苦しいとか、厳しいとか
辛いという、感じているなら、
やがて、大きな喜びが訪れるためだと
考えることも出来るのではないでしょうか。
そう信じることで、試練を乗り越えることも
より出来やすくなっていくのだとも
いえるでしょう。
 人は、他の動物とは異なり、
心の影響が、大きく出る生き物であると
いうことです。
心身の健康と強さこそが、
より充実した人生を歩むことの出来る
基本であるといえるのかもしれません。
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2011年01月30日

物事を考える人は大勢いるが、

『物事を考える人は大勢いるが、
 行動を起こすのはたった一人だ。』
   ド・ゴール

 行動することの重要さを語る言葉の
ひとつです。
考えたり、思ったり、批評したり、
そういったことは、実は簡単であり
楽なものであり、
何かを変える力もあまりありません。
結局、何かを成し遂げたり、
変えていくのは、行動を起こした人で
あるということです。
 しかし、行動を起こすことは大変な
ことであったりします。
だから、少しの人しかいません。
行動を起こすには、自信と信念と勇気が
必要であるからです。
 自分自身を信じること、
なすべきことがぶれることなく
信念をもっていること、
そして、一歩を歩み出す強い想いを
もっていること、
小さな行動からでも良いので
行動していくことで、
何かを変えていける
そして、それは自分をも変えていく
成長していけるもっとも確実な
方法であるといえるのでしょう。
 そんな子どもたちに成るように
教育し躾ていくのが、親や学校、
地域社会など大人の責任であると
いうことでもあるでしょう。
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2011年01月29日

自由と自由がぶつかり合う。

『自由と自由がぶつかり合う。
 そしてそこに生ずるものこそ、
 抑制と共同のしるしを持つのである。』
   シュライエルマハー

 自由とは、責任と義務の伴うもの、
その自由をもったものが、お互いの自由を
尊重しあったうえで、ぶつかりあうとき、
お互いの良い部分が、新たな可能性と
新たな発見をもたらすということですね。
そして、互いの自由を尊重しあうことで
抑制と共同の歩みを可能としていく
ことができる。
自由をもったものが、為にいき行動するとき
素敵な絆と素晴らしい創造性が
うまれることでしょう。
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2011年01月28日

偶然、つき、幸運、運命、天命、摂理─

『偶然、つき、幸運、運命、天命、摂理─
 これらは同じことをさまざまな言い方で表現しているに
 過ぎないのだと私には思われる。
 つまり、人間が自分の伝記に書きしるすものは、
 外からのより高い力に絶えず支配されている
 というわけなのだ。』
   チャーチル

 人の一生というものは、より高い力によって
支配されているものだというわけです。
そのより高い力とは何か、人はそれを神と呼んでいる
ということになるのでしょう。
 人の一生は、生まれるときに、神によって
定められた運命を背負ってくるわけです。
逝く日までに、何をなすべきか、何を成せるのか
魂の成長のために、霊性修行として、今世で行なうべき
ことを決められて、歩みはじめるのだともいえるでしょう。
しかし、その運命を人は記憶することなく
生まれてきます。魂の記憶は、生命と精神によって
封じられて、無の状態から、人として歩みだすわけです。
前世までのカルマの解消のために、
もっとも良い両親と環境と性別と肉体と精神と心を
与えられて、魂は、この世での歩みをはじめるわけです。
その歩みは、ただ賢明に、生き続けて人生を終わるだけで
一定レベルの成長とカルマの解消を成しえるように
用意されているということになります。
まさに、人生は、魂の霊性修行であるわけです。
でも、神が用意してくださった運命よりも、
より素晴らしい歩みを成すことも、人には可能であり、
逆に、神の用意したものよりも、酷い歩みをなすことも
可能であるのが人であったりします。
予定以上に悪行をなし、悪いカルマを積み上げてしまうと
神は、予定の人生を早く終わらせることにする場合も
あったりしますし、
予定以上に、カルマを解消し、徳分を積み上げていくと
人生をもっと長くする場合もあったりするわけです。
それは、すべて神の采配であり、神の基準で計られた
結果であるということになるわけです。
 人が自分の伝記に書くことは、自分の歩んできた
人生のことであり、そこでの出会いや別れ、
様々な出事毎は、
偶然、つき、幸運、運命、天命、摂理といった
言葉で表現されるようなことでもあるでしょう。
でも、どんな言葉で表しても、根本は同じところにあると
いうわけです。
 人生の歩みが、神の願いであり、神の願いが
魂の成長であるということに、何の変化もないわけです。
それを、支配されていると感じるのか、
祝福されていると感じるのかは、
その人の魂のレベルによって異なることになるのでしょう。
神に近づくほどに成長したならば、
イエス様やお釈迦様のように考え歩むことが
出来るようになるのですから。
もちろん、誰もが何れは、その領域まで成長することが
可能です。しかし、そこまで成長するのにかかる時間や
歩む人生の回数は、人によって、魂によって、
いろいろであるということでもあるわけです。
 そんな、いろんなレベルの魂の霊性修行が行なわれている
世界であるから、多様な人生があり、多様な価値観が生まれ
多様な思想や多様な人が存在することになるわけです。
 多様性は、必然であり、ゆえに、
それを認めることは、ごく自然のことであるとも
いえるでしょう。
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2011年01月27日

人に勝つより自分に勝て。

『人に勝つより自分に勝て。』
  嘉納治五郎

 何かを成すにあたって、
なによりもまず誰かに勝つということより
自分自身に勝つことが大切であると
いう人生の基本ともいえるべきことを
語ってくれています。
 結局、人生は、自分自身のものであり、
自分自身のことであるわけです。
人として生きるうえで社会との関係は
不可欠ですが、そんな関係もすべて、
自分という存在があって成り立っているものであり
自分という存在を基準に関係しているもので
あるわけです。
 自らの魂が選択し、神により与えられた
今世における人生であるわけですから、
与えられた環境において、精一杯努力し、
自分自身を磨いていくことが大切でしょう。
そして、成長していくためには、
今世の自分自身のなかにある弱さを
克服していくことが必要です。
まさに、自分自身に勝つということです。
人は、まだ成長過程であるから、
この世に生まれてくるわけです。
したがって、完璧な人間なのだれもいないと
いうことなのです。
欠点もあれば、不足もあり、弱さもあるものです。
しかし、そんな部分を克服していくなかで
成長していけるということでもあります。
 精一杯、生きて、活きて、逝く
そんな人生であるために、
自分自身を知り、自分自身に勝つ、
その為に努力していく、
また助けてもらったり、助けたりして、
縁のあった人との絆を大事にしていくことが
人生に深みと充実をもたらすことに
なるのでしょう。
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2011年01月26日

テクマクマヤコンテクマクマヤコン

「テクマクマヤコンテクマクマヤコン○○になあれ〜」
「ラミパスラミパスルルルルル」
   アッコちゃんの魔法の言葉
    〜『ひみつのアッコちゃん』より

 赤塚不二夫先生の名作「ひみつのアッコちゃん」
TVアニメ化も、3回行なわれており、
日本コミック史上の初期の少女マンガのひとつとして
愛されてきた作品です。
 その作品が、実写映画化されることになったとのこと。
最近は、どうもマンガ原作やアニメ化された作品が
実写映画になることが増えているような気がします。
映画脚本家がネタが創れなくなってきているのかと
危惧したくなるくらいにオリジナル脚本というものが
減っているような気がして残念な感じです。
さて、あしたのジョーの実写映画は、それなりに
よい雰囲気を出している感じでしたが、
今回の作品は、どうもオリジナルを脚色して、
アッコちゃんも高校生になってしまっていて、
しかも、魔界のお姫様が、航行を乗っ取ろうと
やってきて、バトルになるという話らしいです。
だれがシナリオ書いたのか気になるところですが、
主人公のアッコちゃんには、綾瀬はるか
魔界のお姫様には、深田恭子
という配役だそうです。
鏡の妖精や、ネコは、登場するのでしょうか。
アッコちゃんの両親は、どんな設定になるのか、
そして、親友や、ガキ大将は、・・・・。
特撮も使われることでしょうけど、うまく演出されるのか。
いろんな意味で、興味を持たせてくれる感じでしょうか。
天国で、赤塚先生は、きっと面白がっているでしょう。
http://www.koredeiinoda.net/top.html
 鏡の道を通過するとかあるのかな。
変身後の演出も注目というところではありますね。
役者さんは、内面2役が求められますからね。

 さて、マンガやアニメ、映画には、
作品を代表する名台詞があるものです。
冒頭の魔法の言葉は、ひみつのアッコちゃんを
代表する言葉でもあるといえるでしょう。
鏡の精との契約の言葉ともいえるものですね。
オラシオンの一種といったところでしょうか。
 魔法には呪文がつきものですから、
他の魔女っ子ものでも、それぞれの定番の言葉が
出てきます。作品と共に愛される言葉といえるでしょう。
 言葉の魅力は、そんなところにも
あったりするものですね。
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2011年01月25日

信じると決めたら何も語らず、

『信じると決めたら何も語らず、
 疑うことなく、心から信じるのです。』
   ウォルト・ディズニー

 信じるということの大切さを
伝えてくれている言葉です。
人の本当の意味での強さは、信じる力の
大きさであるといえるでしょう。
信じると決めたとき、何もいわずに
何も疑わずに、信じきるということが
出来るかどうか、それが、その人が本当に
強い人間なのかということを決めていると
いえるかもしれません。
 多くの人は、信じることが出来ずに
信じきることが出来ずに、
いろんな情報や、他人の言葉などで、
疑いをもっていったり、疑心暗鬼になり
不安になっていくものです。
信じきるとは、たとえ裏切られていても
相手が嘘をついていても、
最後まで、信じる姿勢を崩さないでいられると
いうことであるわけです。
これは、心の強さが求められることです。
心が、強くなければ、信じきることは出来ないでしょう。
また、心に不安や不信をもってしまうような
揺れ動くような状態であってもダメなのです。
信じきる力は、必ず相手を動かすものです。
信じることが出来るということは、
不動心であり、平常心であることが、
常にできる人であるということでもあります。
そこには、ある種の信仰の力があるとも
いえるでしょう。
信仰のない人は、信じきることが出来ない人で
あることが多いように感じます。
それは、何かを信じる力の根本に、
信仰というものが存在しているからだと
いうことなのでしょう。
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2011年01月24日

火之伽具土神を祀る祭事

 1月24日は、京都の愛宕神社の祭事が、
今年最初に行なわれるということで「初愛宕」と
いうそうです。
 火の神「火之伽具土神」をお祭りしたもので
神社のお札「火廼要鎮」は、火に関する災難除けの
アイテムとして、広く扱われているそうです。
 天狗の住むというわれる愛宕山で
火の神に、安全を願う。
 日本の神事は地域の生活や、日本人の心のあり方に
深く関わってきたものであるということです。
 そんな日本の慣習や文化を、
日本人は、もっと大切にしていくことが
必要であるといえるでしょう。
それは、地域教育のあり方とも深く関わるものであり、
地域で育てる子供たちに、地域を愛する心を
もってもらう為にも重要なことであり、
それを踏まえた義務教育であるべきだといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 19:22| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

世界の歴史は、自由の意識の進歩である。

『世界の歴史は、自由の意識の進歩である。』
  ヘーゲル

 自由意識の進歩が、世界の歴史であるという
歴史観は、ヘーゲルの思想からきているものと
いえるでしょう。
 自由の意識の進歩とは何か、
自由ではない状態というものへの意識の変化と
いえるかもしれません。
自由ではない状態とは何か、
拘束されている、束縛されている、
表現方法が限定されている、行動が限定されている、
などなど、制約があるということであるのかも
しれません。
では、それが進歩するとは何なのか、
それは、意識することの範囲の拡大ということで
あるのかもしれません。
 最近話題になった、ハーバード大学の熱中授業では
正義というものについて、政治哲学の視点で考察して
いましたが、正義と自由は、歴史のなかで関係の深いもので
あったともいえるでしょう。
しかし、人は、そもそも、自由な存在であり、
自由でないということはないわけです。
不自由さとは、不便さとか、欲望が成就しない常態を
いっているに過ぎないのかもしれません。
不便さや欲望は、必要なければ必要ないで、
実は生きていけるわけです。
そこに、不自由ということは本質的にはないということで
あるのかもしれません。
正義が、視点によって変化するように
自由も、視点によって変化する
人の創りだした定義状態でしかなく、
普遍的なものではないのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 19:14| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月23日

2011年、闘う心に刻むのは、Spirit Up!

『2011年、闘う心に刻むのは、Spirit Up!』
  清水エスパルス 2011シーズン キャッチフレーズ

 さて、アジアカップで日本代表が準決勝へ進出を
決めましたが、今年のエスパルスの新監督が
率いたイラン代表は、韓国代表に延長のすえに敗退、
代表での仕事を終えて、エスパルスの監督として
頂点を目指してくれることでしょう。
 今年のエスパルスは、社長も新たに就任しての開幕、
ユニホームも新しくなり、
新たな気持ちでスタートです。
そんなおもいと、気持ちを込めて、
新しいキャッチフレーズが、

「Spirit Up!」

ということです。
エスパルスのスプリットを込めて、
闘っていくという気持ちを込めたものだということです。
試合とプレーに魂を込めて闘っていくという
選手の気持ち、まさに魂を吹き込むプレーで
優勝を目指していくということですし、
サポータは、選手やスタッフを、元気付け、鼓舞していく
熱い応援を、魂を込めて贈っていくということです。

いろいろあったシーズンオフですが、
エスパルスのサポータとして、これからも、
いつまでも、いつでも、見守り続けたいとおもいます。

「いつまでも、いつでも、見守ってるよ! エスパルス!」
        エスパルス友の会 清水の伏竜
posted by 清水の伏竜. at 04:56| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月22日

何ごとにも節度を守れ。

『何ごとにも節度を守れ。
 何ごとにも中央があり、その線が適切のしるしなのだから。
 こちら側でもあちら側でもまちがいが起こる。』
   ホラティウス

 節度を守ること、基準となるものを見定め
バランスよく対応し行動することが大切であると
いうことでしょう。どちらに偏ってしまっても
まちがいがおこるし、うまくいかないということ
ものごとの本質、中心を見抜き、そこに注力する
そして、何事もバランスをとり、
節度をもってなしていくということです。
やはり、モラルというものも大切であるものの
それも、中心からぶれていては意味がない
何が大切なのか、本質に迫ることが重要であり
そこが間違えてしまったり、
ぶれてしまうと、うまくいくこともダメになると
いうことですね。
posted by 清水の伏竜. at 11:38| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月21日

どんな不幸な人生からでも、利口者は何らかの利益を得る

『どんな不幸な人生からでも、利口者は何らかの利益を得る。
 一方、どんな幸福な人生からでも、愚か者は心を傷つけられる』
  ラ・ロシュフコー

 人生というものは、その人がどのように感じるか
それによって、変わるものだということですね。
 他の人からみれば、どんなに不幸であっても、
利口な人は、その人生から利益を得ることができるし
不幸と感じないこともあるということです。
 また、どんなに幸福であったとしても、
愚かであれば、心が傷つくこともあれば、
哀れな生活でしかないこともあるということです。
 どんな視点で人生を感じているのか、
どのように、自分の人生をみつめているのか、
そして、何かを得るような行動を成しているのか
人生は、人のそれぞれの価値観や死生観や、
気持によって、変化してしまうものであるということです。
まさに多様であり、同じものなどひとつもなく
そして、そんな多様な人が生活する社会であるから
多様性を認めあえることが、とても大切であると
いうことになるのではないでしょうか。
 さまざまな多様性を、お互いに認め合って
その上でつき合っていくこと、
支えあっていくことが、より充実した人生や
生活を歩んでいくことのできる社会に
繋がっているのだろうと感じます。
posted by 清水の伏竜. at 18:51| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月20日

ディズニーランドは永遠に完成しない。

『ディズニーランドは永遠に完成しない。
 この創造力が残っている限り、成長し続ける。』
   ウォルト・ディズニー

 夢を売るというビジネス、そんなことに
生涯をかけた創業者にとって、まさにことの言葉は
自分の想いであり、志であるといえるでしょう。
 今や、アメリカにおいても西海岸と東海岸に
アミューズメントパークがあり、
欧州にもあり、東京にもあり、香港にもあり、
そして、今度は、上海にも、夢を売る場所をつくると
いった発展をしています。
 ただ、やはり、サービスを提供するビジネス、
夢を楽しんでもらうビジネスにおいては、
それぞれの地域の文化や社会性が大きな影響を
もつようですね。
ディズニーのテーマパークも、それぞれの特徴があり、
客層もまた異なるみたいです。
 ディズニーの願いのように、
ディズニーランドが永遠に完成せずに、
成長し続けるかどうかは、まさにディズニーの後を
継ぐ人たちの創造力、イマジネーションにかかっていると
いうことでしょう。
 長く続く企業があるということを、
もう一度見直すべき時代であるような気がします。
最近は、欧米の悪影響からか、企業10年寿命とか
30年寿命とかいう言葉が流布されるようですが、
日本には、何百年も続く企業がいくつもあるという事実を
もっときちんと考えていくべきでしょう。
ビジネスのあり方、企業のあり方が、必ずしも
成長ではないことを、既に日本は証明しているということです。
もっと日本人は、日本のことを学ぶべきだということでしょう。
実は、海外に学ぶよりも、もっと大切なこと
未来に向けて必要なことが、日本の中にあるということです。
 実は、海外の人の方が、その事に気付いているのかも
しれません。
posted by 清水の伏竜. at 13:07| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月19日

人の幸福はすべて、他の人の不幸の上に築かれている。

『人の幸福はすべて、他の人の不幸の上に築かれている。』
  ツルゲーネフ

 この言葉は、いかにも欧米の流れのなかでの言葉で
あるといえるでしょう。まず幸福とは何か、
不幸とは何かを、どうとらえるのかで、この言葉の
意味も変わってくるかもしれません。
間違っているということになるともいえるでしょう。
 人の幸福はすべて、他の人の幸福の上に築かれていると
いう言い方すらあるかもしれないということです。
不幸を犠牲として捉えるとしたら、
この言葉は必ずしも全てに当てはまるわけでは
ないものになるでしょう。
 人が、生きていくとき、特に不幸とか幸福とかを
感じない生命のみを摂取して生きることも可能であるからです。
もちろん、そんな生き方を幸福と思えない人にとっては
当てはまらなくなるわけですが、
まさに、幸福というものが、何なのかで、
他の不幸が必要なものなのか、必要ないものなのか
変わってくるということです。
この言葉は、幸福が、不幸を必要とするようなレベルである
人たちにとっては、正しいというだけであるわけです。
この言葉が当てはまらないような人生を歩むことも
出来るわけですが、なかなか大変なことであるかも
しれません。
 多様性を認める必要があるのは、
まさに、幸福そのものが多様であるからだと
いえるでしょう。
幸福を、ひとつの定義や状態に押し込めることが
多くの不幸を生んでいるといえるのかもしれません。
 あなたは、この言葉が当てはまる人でしょうか
それとも、当てはまらない人でしょうか。
自分自身を知るにあたって、何かのヒントになるかも
しれませんね・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 20:26| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月18日

悲しみ、苦しみは人生の花だ。

『悲しみ、苦しみは人生の花だ。』
   坂口安吾

 人生において、いろんなことがあるなかで
悲しみや苦しみといった出来事も
数多く出会うことになります。
そんな出来事を、どのように捉えるのか
それで、人の人生は、また異なるものに
なっていくのかもしれません。
人生の花として捉えるということは、
人生において、とても大切なものであり、
ひとつの美しい結果でもあるということなのかも
しれません。
また、輝くためのステップであるという
ことなのかもしれません。
 喜びや楽しみよりも、
苦しみや悲しみは、人を成長させると
いうことでしょう。
成長できたこと、それこそが貴重であり、
まさに、人生の花といえるということです。
 人生の目的は、成長することであるのですから。
成長なき人生ほど哀しいものはないと
いうことですね。
posted by 清水の伏竜. at 20:15| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月17日

来年の今月今夜のこの月を、

「来年の今月今夜のこの月を、
 再来年の今月今夜のこの月を、
 10年後の今月今夜のこの月を、
 僕の悔し涙で曇らせて見せようぞ」
   尾崎紅葉作『金色夜叉』より

 貫一、お宮の物語、有名な作品の
有名な台詞の今月今夜が、今日だそうです。
心の傷、悔しい思いを、表現している言葉
少し哀しく、哀れであるような感じでも
あったりします。
恋は人を愚かにし、愛は人を育む、
愛には至らぬ恋の思いに心を占められた
男の哀れさ女々しさなのかもしれません。
見返りを求めるゆえに悔しいのであって
愛であれば見返りは求めないもの
愛にまで至らぬ思いであったことを
告白しているようなものでも
あったりします。
 男女の思いと絆のあり方も
さまざまであるということですね。
素敵な出会いと、素敵な絆、
恵まれたかたは、幸せだとおもいます。
いまだに、そんな出会いのない身では、
何も言えないなといったところでしょうか・・・
posted by 清水の伏竜. at 05:27| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月16日

人間とは「世の中」自身であるとともにまた世の中における「人」である。

『人間とは「世の中」自身であるとともにまた世の中における「人」である。』
   和辻 哲郎

 人はひとりでは生きていけないという
ことを別な形で表現した言葉といえるでしょう。
世の中のなかに人はいて、
人によって世の中は出来ている
世間という言葉の意味とも関わるもので
あるといえるかとおもいます。
 人として、世の中においてどんな存在で
あるべきなのか、世の中の問題はまさに
人の問題であるということですね。
良き世の中をつくるためには、
人がそれぞれに良き生き方を出来るように
ならなければダメだということでも
あるといえるでしょう。
世の中が悪いのは、結局は、世の中をつくる
人が悪いということになるというわけです。
 世の中と人ということで、
無関係ではないということです。
世の中のことを憂いるということは
人のことを憂いるということ
人と世の中のかかわり、きちんと考えて
いくことが必要であるということですね。
posted by 清水の伏竜. at 13:33| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月15日

希望に生きる者はつねに若い。

『希望に生きる者はつねに若い。』
   三木 清

 若さって何だろう、
昔の成人式の1月15日、
成人も、昔は元服の儀式をもって
大人とされていたわけで、
今よりもずっと心の成長は早かったと
いうことなのかもしれません。
でも、きっと、逝く日まで、
若かったのかもしれません。
 若さとは、常に前向きに、
希望をもって生きていることだと
いうわけです。
夢や希望をもっているから若いのだと
可能性を秘めているから若いのだと
では、どんなベテランや人間国宝と
いわれる人であっても、夢を抱き、
希望を抱いて生きているなら、
夢も希望も抱かずにいる20代より
ずっと若いのだといえるでしょう。
少子化が進む中で、もしかしたら
若い人の数は、減少してはいないのかも
しれません。
年齢的な若さではなく、精神的な若さで
みたら実は減少していないということです。
年齢的にも精神的にも若い人となると
もっと減少が加速している可能性も
あるかもしれません。
多くの人が、夢と希望を抱いて生きれるように
大人が、夢を語ることが大切であると
いえるでしょう。
そんなことを推進しているものに
ドリームプランプレゼンテーションが
あったりしますね。
素敵なことだとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 10:48| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月14日

目標を忘れると迷いが生じる。迷いは成功の邪魔をする。

『目標を忘れると迷いが生じる。迷いは成功の邪魔をする。』
    平秀信

 目標というものを持つことの大切さは、
いろんな方がのべています。そんな言葉のひとつです。
何かをなしていくとき、やはり目標をもっているかいないかで
その意気込みや活性化状態は大きく異なるものです。
目標を忘れていると、どうしても停滞してしまいがちであり
また、どこに行くべきか、その方向性を見失うことが
多いといえるでしょう。
まさに迷うということです。
そして、迷っていれば、成功という名のゴールには
辿りつけるはずもないということです。
ある意味、自明なことではあるのですが、
ときに、そんな当たり前のことでも忘れてしまうのが
人間であったりします。
 どうもうまくいかないとか、なかなか成功できないとか
そんなことを感じたら、自分の目標について
今一度見直してみるとよいでしょう。
そこから、リスタートしていけば、きっと悩みのいくつかは
解決できるのかもしれません。
 
posted by 清水の伏竜. at 18:01| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月13日

この道しかない春の雪ふる

『この道しかない春の雪ふる』
   種田山頭火

 正月は、まだ冬ですが、
新年を迎えて、春夏秋冬という流れのなかで、
迎春という挨拶もあったりするなか、
人生の行く道について、
考えてしまうこともあるのではないでしょうか。
雪降る道、ただ、その道しか、
自分にはない、この道を歩んでいくことが
我が人生であるという、
そんな道を歩んでいるとしたら、
その道の先に、出会いがあるのか、
どんな試練がまっているのか、
不安に思うこともあるでしょう。
しかし、我が逝く道は、生まれたときからの
一本道であるのですから、
覚悟して進むしかないということでも
あるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 17:42| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする