2010年08月31日

最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる。

『最もよく人を幸せにする人が最もよく幸せになる。』
  立石一真

 幸せになる方法のひとつを、
伝えてくれている言葉です。
 幸せになりたければ、まず他の人を
幸せにしてあげなさい。ということです。
 より多くの人を幸せに出来た人ほど、
自分自身もより幸せになっていくということです。
利己心よりも、利他心をもって生きなさいと
いうことだともいえるでしょう。
 でも、なかなか難しいことなのかもしれません。
なぜなら、もし、多くのひとが、
それを出来たなら、この世には、不幸もなければ
貧困もなくなるでしょうから。
でも、この世には、不幸もあり、貧困もあるのです。
それは、この言葉を実践できる人が
少ないということでもあるでしょう。
 他人を幸せにするために生きることは、
非常に難しいことです。
多くの人が、自分のことで精一杯であったり
自分の欲望を優先させてしまうものだからです。
 まず、生物的欲求すら制御できない人がいます。
次に、感情的欲求を制御できない人がいます。
そして、行動の欲求を制御できない人もいるわけです。
欲望や感情を制御するのは理性です。
そして、この世で唯一、理性をもった生き物は
人間であるわけです。
他の動物は、理性などなく、本能と感情だけで生きています。
その差が、人と他の動物との差であり、
その差ゆえに、人には、課せられたものがあるわけです。
 何を基準として、自分自身のなかに信じるものを
築き上げていくのか、それは人それぞれに異なります。
そんな信念ともいえるものとして、
他人を幸せにすることを自分の幸せよりも優先すると
いえる人は、素晴らしい人であるといえるでしょう。
そうなるかならないか、そうなれるかなれないか、
それは、すべて自分自身の問題であると
いうことでもあったりします。
 自分の人生を、どう生きるのか、
それは、常に、大きな命題であるとも
いえるかもしれません。
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2010年08月30日

たとえ信念があっても、達成できることはごくわずかなものだ。

『たとえ信念があっても、達成できることはごくわずかなものだ。
 しかし信念がなければ、何事も達成できない。』
   サミュエル・バトラー

 信念があっても、達成できるかどうかは、わからない。
でも、信念がなかったら、達成できるはずはない。
何かを達成するためには、信念を持つことが、
とても重要であるということです。
 どんなことであっても、まず何かをなすのであれば、
信念をもって、自分を信じて行うことが大切であり、
そうでなければ、何事もなされないということであると
いえるでしょう。
 信念を持つことが、第一の条件であり、
それでも、達成できるかどうかはわからないものだと
いうことですね。
 信念に、プラスアルファが必要であると
いうことであるのかもしれません。
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2010年08月29日

世にも強きは自ら是なりと信ずる心なり。

『世にも強きは自ら是なりと信ずる心なり。』
   徳冨蘆花

 世の中で、最も強いことは、
自分自身を肯定し、自分自身を信じる心。
これは、まさに真理ともいえるものかも
しれません。
 人が生きていくとき、その中核として
存在しているものは、自分自身が存在することを
自分自身が認めているということなのだと
自殺してしまう人は、その部分に綻びができ
信じられなくなってしまっているのだとも
いえるでしょう。
 そして、自分を信じることが出来る人は、
その信じる力の強さに比例して、強く生きていける
のだといえるでしょう。
多くの成功者は、自分を信じる力が、強い人で
あったのだともいえるでしょう。
 自分のありのままの姿を見つめることができ
どんなものであっても、自分自身のことを
認めることが出来るなら、
そこに、生きるための確固たるものが
築かれているといえるでしょう。
そして、自分を認め、自分を信じることから、
自分の夢に向かって、力強く歩みだすことが
出来るのだということです。
 疑う心は弱さを生み出します。
不安を生み、躊躇を生み、安定を失います。
信じる心は、まさに強さを生みだします。
自信を生み、勇気を生み、情熱を生み出します。
そして、絆を呼び寄せるのです。
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2010年08月28日

生きることの大切さ・・・

 肝臓ガンに冒されながら、あきらめずに
生き続けたかたが、先だって、逝かれました。

 多くの人に、生きることって素敵なことだと
伝えてうれていた人でした。

 その姿に、感銘をうけたみなさんが、
こんなメッセージを贈っています。

 一志さんへの『本気のお見舞い』


 日本の社会では、毎年、三万人もの人が
生きることを自らやめてしまっています。
その理由は、もちろん重いことであるだろうし
他人には理解できえないものなのかもしれません。
しかし、生まれたきたということは、
それだけで、凄いことあって、
その命は、決して自分ひとりだけで生きている
ものではなく、まさに生かされているものだと
いうことを感じてほしいとおもいます。
だからそこ、どんなことがあっても、
生きていくべきなのです。
そして、ただ生きていくことだけでも、
大きな価値があるということを知ってほしいと
おもいます。

 今、映画館で、カラフルという映画が上映されています。
この映画が伝えてくれていることも、生きるということの
可能性と、絆というものの素晴らしさであったりします。
もし、自殺したいと感じたのなら、この映画を見てほしいと
おもいます。
また、多くの生きたくて、戦っている人たちの
姿を知って欲しいと思います。
きっと、生きていることの価値を見出すことが
できるのではないかと思うからです。

 自ら選び、生まれてきた自分のことを信じて
定められ与えられた命を、全うして欲しいと思います。
なぜなら、誰もが生まれたときから、
やがては訪れるこの世との別れのときを
迎えることになっているのですから、
そのときまでは、精一杯生きることが、
なによりも大切なことであるということです。
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過去は生きる力。未来は生きるためのエネルギー。

『過去は生きる力。未来は生きるためのエネルギー。
 自分の生きてきた道を信じることです。
 自分を信じることです。
 そして、未来に向かって歩き出しなさい。』
   ジョージ・サンタヤナ

過去から、未来へ、歩んでいく
生きていくということは、過去からの自分と
しての結果としての自分がいて、
その自分自身が、歩んできた道を
さらに歩んでいくためのエネルギーとして
過去から積み上げてきたものが
これから先に向かって歩んでいく
ための糧となり、自分が信じてきたもの
信じているものを、もって、
未来へ進んでいく
未来に向かって歩き出すとき、
今の自分を信じてあげることで
より、しっかりとした歩みとなり、
未来に抱く自分の夢を、実現させることが
出来るようになる。
 過去も、未来も、今、存在している
自分自身の糧であり、存在することへの
価値であり、生きていることの意味である。
 だから、今を生きていくことが
とても大切であるということ、
今を生きていくために、過去があり、
そして、未来がある。
 過去の自分をみとめ、未来の自分を信じることで
今を生きる力がわいてくる。
 だれでもない、だれからでもない
自分自身を自分が信じてあげること
それすれば、生きることの意味がみえてくる
生きることの大切さ、生きることの価値、
生きることの素晴らしさを、
どんな状況であっても、それを認め、
それを信じて、未来への可能性、未来への夢、
未来への希望、それは、信じる自分から
はじまっていくのだから。
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2010年08月27日

諸君が困難に会い、どうしてよいか全くわからないときは、

『諸君が困難に会い、どうしてよいか全くわからないときは、
 いつでも机に向かって何かを書きつけるのがよい。』
   小泉八雲

 困難に出会ったとき、どう対処すべきか、
人によって、いろんな方法があるのではないでしょうか。
この言葉は、その一つの方法を伝えてくれています。
 すなわち、記録することです。
記録することで、いろんなことを実現させるといった
ことがよく語られます。
いわゆるレコーディング○○○といったものです。
 何かあったとき、人は考えや思いが、混乱したり、
すべきことが見えなくなってしまうことがあります。
どうしてよいのかわからない状態になるということです。
そんなとき、まずは、頭に浮かぶことをメモしていく
ことからはじめると、そのメモをみていくなかで
整理されていき、物事がはっきりしてくることが
あったりするわけです。
 記録しておくことで、記憶を明瞭にし、
また、それぞれの断片を俯瞰して見直すことが
出来るようになっていくということなのです。
 ちょっとした工夫が、そのメモに追加されると、
いわゆる世の中にある、各種の手法になっていくというわけです。
ビジネスシーンを含め、いろんな手法が、
記録する方法として、提案されています。
その手法を学ぶことをビジネスにしていることも
非常に多いです。
ただ、注意してほしいのは、結局は手法は手段であって
目的でもなければ、結果でもないということです。
手法を学んでも、その手法をつかった内容がなければ
何も意味はないものであるということですね。
逆にいえば、手法なんてどうでもよくて、
内容さえしっかりしていれば大丈夫であるということです。
 何が目的なのかをしっかりと確認することが
何事においても大切であるということですね。
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2010年08月26日

人を幸福にするものは、どれだけたくさんのものを

『人を幸福にするものは、どれだけたくさんのものを
 持っているかということではなく、
 手持ちのものをどんな風に
 楽しむかということである。』
   チャールズ・H・スパージョン

 幸福とは何かについて語る言葉は、
いくつもあります。そんな中のひとつです。
幸福とは、何かをどれだけ沢山もっているかでは
ないということです。
お金であっても、物であっても、
知識であっても、経験であっても、
人が所有しているものが、どんなものであり
どんなに多いといっても、
また、どんなに少ないといっても、
それが幸せかどうかにかかわるのではなく
その自分がもっているものを
どのように使い、活用し、楽しめるのか、
楽しむことが出来るのかということが
人の幸せであるということ。
貧乏であっても幸せな人と
金持ちであっても幸せではない人が
この世にいるのは、まさに所有が人の幸せを
左右するのではなく、
活用と生き方、そのなかでの楽しみ方が
人の幸せを左右するのだということです。
 お金もちの不幸よりも
貧乏の幸福の方が、人生は素晴らしいと
いえるのかもしれません。
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2010年08月25日

すぐれた技術者になるためには

『すぐれた技術者になるためには
 技術の本質をつかまなければなりません。
 その上ではじめて良き設計も、工作も、
 研究も生まれ出るのです。』
   丹羽保次郎

 東京電機大学初代学長で、日本の十大発明家の一人で、
従三位 勲一等 工学博士の技術者の言葉です。
 技術は人によって支えられるものです。
その人は、どのように育まれるべきなのか、
そして、そのために必要なものはなになのか、
 技術の本質をつかむことが出来るような
学びの場を与えてあげる必要があるということです。
 日本は資源のない国ということもあり
技術力で、発展してきました。
そして、今後も技術力や、文化力といった、
ソフトパワーで、発展していくしかないといえるでしょう。
もちろん、自然という恵みもありますが。
 さて、技術者不足が言われて結構な時間が経過しています。
マネーゲームに溺れる人に、憧れる若者が
多くなってしまった結果なのかもしれません。
もっと、技術や創作活動といった、クリエイティブなことに
多くの若者が興味や関心を抱くことのできる
環境を作っていくことが大切なのだともいえるでしょう。
 企業も、人を育てることをおろそかにしてきました。
特にバブルのことから、人を育てるよりも、
結果重視という風潮へと流れていき、日本のよさを失い
欧米の思想に踊らされて、おかしな方向に向かって
走っていってしまったといえるでしょう。
 日本の商いは、老舗文化のなかにこそあると
いうことを、もう一度見つめなおし、何が大切なのかを
考えていくことが必要な時代になっているような気がします。
 技術者の育成にしても、同様な部分が
あるのではないかという気がしてなりません。
 学ぶこと、そして、働くこと、それが、
人生を歩むことに、関わっていくということが、
どこかに忘れさられてしまったのではないのかなと
多くの日本の現代社会の抱える問題は、
結局のことろ、日本という国と民族の長い歴史のなかで
育んで生きたことを疎かにしていったことが
根本原因としてあるのではないのかなという気がします。
 世界への貢献も重要ですが、
その前に、自国の安寧と発展を忘れては意味がないと
いえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:46| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月24日

いつかは幸運が訪れることを期待して、

『いつかは幸運が訪れることを期待して、
 努力を続け、ボールを打ち続けなさい。』
   ボビー・ジョーンズ

“球聖”ジョーンズ。
ゴルフ界における偉大なプレイヤーの言葉は、
まさに、努力と継続が、重要であるということを
伝えるものだといえるでしょう。
 どんなことであっても、
何かを成し遂げようと思うのなら、
それに向かって、只管に努力をし、練習や学習を
続けていくことが大切であり、
あきらめずに続けていけば、チャンスも巡ってくるし
幸運も訪れることがあるということです。

 ゴルフといえば、宮里藍さんがツアー今期五勝目を
あげて、日本女子プロ記録を更新したようですね。
まさに、努力の結果といえるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 08:22| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

疑いながら、ためしに右へ曲るのも、

『疑いながら、ためしに右へ曲るのも、
 信じて断乎として右へ曲るのも、
 その運命は同じ事です。
 どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ。』
   太宰治

 人生の歩みは、引き返すことの出来ないもの
だから、その道を歩むにあたって、
疑問を抱きながら進んでも、
信じて進んでも、同じことだという。
引き返すことの出来ない道であることに
かわりはないのだから
 でも、運命は、同じことであるかもしれないが
人生の歩む価値は、かわってくることになるだろう
神は、ものごとの結果をみて、何かを判断することはない
神にとって重要なのは、動機であり、始めるときの
心のありようであるから。
 だから同じ運命であっても、疑いながら歩みだすのと
信じて歩みだすのでは、大きな差が出てしまうことになる
そう、信じて歩みだす方が、得るものが大きく、
成長も大きいということになる。結果が同じであったとしても。
 世の中は、結果が重要と言う人が多い、
でも、それはこの世の刹那な人の欲望の下でのことでしかなく
魂の成長や、神の祝福においては、結果はどうでもよく
その動機こそが非常に重い価値をもっているということ
なぜなら、神にとって結果などわかっていることであり
なんら意味のないことであるから、
でも、その結果に向かう姿勢、動機は、人によって異なるものであり
神にも決めることのできないことであるから、
価値があるものであったりする。
 動機こそが重要なことであるということを、
もっと人は認識することが必要なのだといえるだろう。
どんな動機で生きるのか、
どんな動機で行動するのか、
どんな動機で成し遂げるのか、
どんな動機で考えるのか、
どんな動機で創造するのか、
まさに、結果としてどうなるのかとは関係なく
その結果に至った最初の動機にこそ、
神は注目し、魂の成長は、そこに大きな比重がかかる
ことになる。
歩む運命が同じであっても、そこから得られるものが
大きく違っていくことを、忘れてはならないと
いえるでしょう。
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2010年08月22日

芸は水に文字を書くようなもの、書き続けないと見えない。

『芸は水に文字を書くようなもの、書き続けないと見えない。』
   藤山寛美

 芸の極意を名人が語ると、こんな表現に
なるということですね。
常に鍛錬し、学び磨き続けなければ、
見えてこないものが、芸の世界であるということです。
芸の世界を極めるということは、
その芸の世界に没頭して、やり続けることが
必要であるということですね。
 これは、ある意味、芸の世界だけではなく
世の中のいろんなことでもいえることかも
しれません。
 どんなことであっても、それをやることで
その世界で、何かを極めることを求めるので
あるなら、とにかくやり続けることが必要であると
いうことになるでしょう。
 やり続けることによってみえてくるものがあると
いうことです。
 やり続けなければ、みえてこないものがあると
いうことです。
 あなたは、何かを極めるために、
やり続けているでしょうか・・・・・。
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2010年08月21日

人間のなかには、何かしら悪魔的なものもあると同様、

『人間のなかには、何かしら悪魔的なものもあると同様、
 神に似た何ものかが存在する。』
   ネルー

 人には、悪魔と神の顔があるということが
語られてきました。
それは、仕方のないことであるかのように、
また人の本質であるかのように語れてきていますが
実は、これは人の本質ではありません。
人が、この世に生まれ、成長する過程で、
その人の精神のなかに、育っていくものが、
悪魔的なものであったり、神に似たものであったり
するものだということです。
ゆえに、成長の過程によっては、
悪魔的なものを持たない人も出てくるし
悪魔的なものしか持たない人も出てきてしまうでしょう。
しかし、それは、今世のみの話でしかなく、
人の本質である魂は、神から出たものであり、
神的なものでしかありません。
そこには、悪魔の要素はなく、
カルマと徳分があるだけあり、魂そのものの成長の
度合いの違いがあるだけということになります。
つまり、人は生まれてきたときは、ほぼ魂と
まだ何にも染まっていない精神(霊)からなっているので
神的なものに近いということがいえるでしょう。

赤ちゃんに悪魔的なものがないのは、
当たり前ということになります。
ただ、本質である魂は、神を求めるものですから、
悪魔的なことをすれば魂は嘆くし、
神の喜ぶことをすれば魂は喜ぶので、
それを感じることが出来たりするわけです。
魂の影響が、どこまで、その器である、
人の心と体に出てくるのかは、
人によって異なるので、まったく魂の影響が表に出ない人の
なかには、この世で育った霊の悪魔的なものだけしか
見えてこない人もいます。

それは、カルマを魂に与え続けるということになるわけです。
 また、神以外の存在である聖霊や精霊たちの
影響を人の心、精神や肉体、霊は受けます。
そちらの影響の方が、より明確に表面に出てきます。
多くの宗教の奇跡とよばれるものは、霊の影響下による
ものであるといわれます。
呪術や霊視、御祓いなども、神との関係ではなく
霊との関係性で行われているものであったりします。
神との関係で行われる奇跡もありますが、
それを行える人は、魂が神と近い存在であったり
神の嫌うことをしていない人(禁酒、ベジタリアン)で
あることが求められるので、めったにいません。
現代では、インドの聖者くらいかもしれません。

 人の本質は、人がなぜこの世に生まれてきて、
何のために人生を過ごすのか、その原則によって
説明できるものであり、それは神の叡智によって
与えられています。
ただ、それを知ったから、人生がどうにかなるのか
といえば、この世で、社会的にいわれる幸とは
あまり関係なかったりするものですから、
必要ないと感じる人の方が多いかもしれません。

霊と呼ばれるものと、魂は違うということが、
重要であったりします。
命というものは、肉体と精神=霊からなりますが、
魂の器として存在する命と、魂の器ではなく存在する命が
あるということです。
そして、神の禁忌は、魂の器として存在する命を
絶つことであるということです。
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2010年08月20日

暴力が障害物を速やかに一掃してしまうことはある。

『暴力が障害物を速やかに一掃してしまうことはある。
 しかし、暴力そのものが創造的であると
 証明されたことは一度もない。』
   アインシュタイン

 暴力による障害の排除は、
確かに効果的であるのかもしれません。
しかし、暴力は、破壊的であり、創造的ではない
それは歴史が証明しているといえるでしょう。
アインシュタイン博士は、
人類最大の破壊兵器を造ることに協力したことを
後悔していた方ですから、
この言葉も、そんな想いから、出ているのかも
しれません。
 障害物があったとき、それを排除することの
ために、暴力を使うことは、その後の結果の先に
マイナスなものを残すことになるということです。
よく、目的のためには手段は選ばずといいますが、
手段は、選ぶ必要があるし、そして決して
選んではならない手段もあるということを、
しっかりと認識すべきであるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:56| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月19日

無理をする必要はないが生きている意義について

『無理をする必要はないが生きている意義について
 自身に問いかけることから回避してはならない。』
   菅谷昭

 生きていくなかで、さまざまな悩みが
生じてきます。しかし、その悩みに惑うことなく
歩んでいかなければなりません。
そして、自分自身が、存在していることの意味と
その大きな価値について、認識することが
必要であるといえるでしょう。
生きている意義を、自らに問いかけ、
自らのなかに、生きていることの意味を見出すことで
またひとつ成長することができるでしょう。
もちろん、生きている意義について
自分自身で回答を見つけることはありません。
素晴らしい本、両親、友人、先生、といった
関わるもののなかから、その答えを見出すことも
できるでしょう。ただし、その答えは必ず
自分自身のなかで腑に落ちるものでなければ
意味はありません。
だからこそ、確認する意味で、自分自身に
問いかけることが大切であるといえるでしょう。
そして、その問いかけから逃げることは、
意味のないことであり、さみしく哀しいことであると
いえるでしょう。
問いかけに答えが見つかるまで、
問いかけ続けること、それもまた人生であると
いうことなのだといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 20:48| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月18日

多忙とは怠情(なまけもの)の遁辞(とんじ)である。


『多忙とは怠情の遁辞である。
 今日すべきことを今日しなかったら
 明日は必ず多忙である。』
  徳富蘇峰

 多忙だから、だめです、むりです。
そんな言葉をいってしまうことがあるのでは
ないでしょうか。
忙しいから、今は出来ません。
忙しいので、明日にします。
そんな言葉に対する、戒めであり、
警告でもある、そんな言葉ですね。
 今日すべきことは、今日するのが一番であり
明日できると思わない方がよいということです。
もちろん、実際に不可能なこともあるでしょう。
ならば、できないことはやらないということを
決めることが重要になってくるといえます。
つまり、やることに優先順位をつけて、
優先順位の低いものは、後回しではなく
やめてしまうということです。
なぜなら、いつまでたってもできないと
いうことになると、できないことで
ストレスになり、またできないことが
罪悪感になってしまうからです。
ならば、もうやらないと決めてしまった方が
よいということになります。
もちろん、内容を吟味すべきでしょう。
すなわち、それは本当に行う必要があるのか、
という問いかけです。
 よく考えてみると、自分がやる必要が
ないことなのかもしれません。
また、やってもやらなくても、何も変わらない
ことかもしれません。
 忙しいときには、何をすべきか、
その判断が重要であり、その判断と決断の能力が
問われるということになるわけです。
posted by 清水の伏竜. at 12:15| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月17日

私は"根性"という言葉が好きだ。

『私は"根性"という言葉が好きだ。
 根性をひらたくいえば、
 「自主独立の精神」である。』
   石田退三

 根性というとダサいといった感じで
批判する人がいたりします。
そんな人は、根性がないから、それを恥じて
根性の価値を貶めたいと思っているから
そんなことを言っているのかもしれません。
または、甘えにどっぷり漬かってしまって
自主独立などできないようなレベルの低い
人間なのかもしれません。
 実は、根性ほど、人の成否を分けるものは
ないのかもしれないと感じます。
成功する人の多くが、根性のある人です。
そして、失敗し、脱落する人の多くが、
根性のない人であったりします。
その事実に目を向けずに、根性を語ることは
ナンセンスであるといえるでしょう。
 ある意味、根性のある人間であれば、
人生を価値あるものとして生きていけると
いえるかもしれません。
 私自身、根性が足りないと感じさせられる
ことが多かったりします。
もっと根性があれば、何とかなったかも
しれないことが、いくつもあるような気がします。
 根性を得ることは、子供時代の教育が
非常に大きなウエイトを占めています。
子育てや教育が、なぜ重要なのか、
まさに、人生をしっかりと自力で生きていける
力を養うためだからだといえるでしょう。
根性をもてるような教育を、
体育、知育、徳育のなかで、しっかりと実施して
いくことが、日本の未来のために必要であると
いえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 20:53| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月16日

私のように実際に仕事を持ち、

『私のように実際に仕事を持ち、
 学問を直接仕事に役立てたいと願う
 男によっては、免状なんてクソくらえであった。』
  本田宗一郎

 学位や賞などは、人生において、何かをなすために
必要なものではないし、形式的なものなどは、
所詮は意味などないということでしょう。
実際に学び、役立てるために仕事をしていくこと
学ぶこと自体にこそ意味があるのであるし、
その学んだことを仕事に役立ててこそ価値があると
いうことでしょう。
 大学は、勉学をする場であり、学問を学ぶ場で
あるわけです。なのに、何も学ばずに、ただ卒業するだけ
そんな学生に果たして何か価値があるのだろうか
そんな問いかけともとれなくはありません。
遊んだり、バイトしたり、就活するために、
大学は存在しているわけではないということを
大学自身がしっかりと見つめなおすべきであるような
気がします。ひたすらに学ぶことに専念することが
学生のすべきことであり義務であるといえるでしょう。
学ぶための目的をもって受験してくる人を
優先的に入学させるような入試システムに変更した方が
よいような気がします。
そして、しっかりと学んだものだけを卒業させると
いうことにすべきでしょう。
 学ぶことの意味と、学ぶことの大切さ、
それが、社会の進歩につながり、人の成長につながるもの
であるといえるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 08:20| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月15日

我らは過去の人間から受けとったものに

『我らは過去の人間から受けとったものに
 我らの精神と労働とを加味して
 未来の人間に渡すものである。』
  武者小路実篤

 歴史は、創られていく、過去から未来へ
今の社会は、過去の行いの積み重ねの上に
構成されているものであって、
それ以上でも、それ以下でもない。
そして、未来は、過去の積み重ねの上に
今の人々の精神と労働が、加えられたものとして
存在することになるということ。
 この言葉は、過去と現在と未来の関係を
指摘しているものだといえるでしょう。

 戦後65年が経過した本日は、
まさに、戦前の歴史と戦後の歴史の上に
存在している日であるわけです。
太平洋戦争において、ボツダム宣言を受け入れ、
無条件降伏を受諾した日、
しかし、本土の戦争は終結したものの、
ソ連の進行は止まらなかったし、その後も、
国外の戦場では、しばらく戦闘が継続していき、
また国外の日本人は、日本に帰国することになり
国外における住居を追われて、
その過程では、現地の人に報復された人も
多数存在していたようです。
戦争とは、そんな悲惨なものだということです。
戦線では、戦犯として、裁判も弁護する機会もなく
処刑されてしまった人も大勢いることも
また事実であるわけです。
従軍慰安婦の問題も、韓国人だけの問題だけが
フォーカスされていますが、日本人もいれば、
中国人やその他のアジアの人たちもいたわけで、
その中には商売と割り切っていた人も含まれて
いるわけです。一部だけを強調しフォーカスして
いくことに多少違和感を感じたりします。
日韓併合で、贅沢をした韓国人もいるわけですし
利益を得た韓国人もいるわけです。
いろんな立場で、いろんな人がいて、いろんなことが
起こっていたことを、単純な大枠で覆ってしまい
善悪の二元論で語ることにも違和感を感じます。
日本人として、過去の先祖が行った過ちを反省し
悪き出来事が再び起きないように教訓とすることは
重要なことです。それは、戦争に勝った側であっても
負けた側であっても、戦争という場においては
変わらない過ちがあったことを刻むべきであるとも
いえるでしょう。
数の大小で、扱いに優劣をつけることも
また愚かなことであり、教訓を薄っぺらなものに
してしまうような気がします。
数の大小や、事の大小に関係なく、過ちについて
しっかりと認識し、教訓としていくことが、
同じ過ちを繰り返さないために必要なことであるような
気がします。
posted by 清水の伏竜. at 21:22| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月14日

自分の心の中で正しいと信じていることを

『自分の心の中で正しいと信じていることを
 すればよろしい。
 しても悪口を言われ、しなくても悪口を言われる。
 どちらにしても批判を逃れることはできない。』
   エリノア・ルーズヴェルト

 何をしても、何を言っても
批判する人は批判するし、
悪口を言う人は悪口を言うもの
だから、そんな批判や悪口を気にしても
何のとくにもならないし、
何のためにもならない
 何かを行うのであれば、
自分の心のなかで、正しいと信じて
いることを、行っていけばよいのだと
いうことです。
自分自身の心を裏切ることがなく
偽ることがなければ、
その行動には、どんな結果がまっていようとも
価値があるし、意味があると
いうことでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:51| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月13日

真心をもって人を助ければ、必ず自分も人から助けられる。

『真心をもって人を助ければ、必ず自分も人から助けられる。
 これは人生の最も美しい報償の一つである。』
   エマーソン

 人を助けるときに、見返りを期待して
行動したとしたら、きっとよき報償はえられない
でしょう。真心をもって人助けをするということは
見返りを求めることなく、ただ相手のために、
純粋に、手助けするということです。
見返りを求めず、ただ単純に、困った人を
助けてあげたいという心で、行動したなら
たとえ相手から感謝されなくても、
相手が救われた事実をみるだけで心が満たされ
満足することができるでしょう。
そんな心で行う手助けには、
きっと、人生で最も美しい報償が
与えられることでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 18:55| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする