2010年07月31日

与えられたる運命を、最もよく生かすということは

『与えられたる運命を、最もよく生かすということは
 人間にとって大事なことである。』
   武者小路 実篤

 運命とは、何か、それは、生まれてきた瞬間に
はじまって、逝くときまで続く、この世における
魂の成長のプロセスであるといえるかもしれない。
その運命を、もっともよく活かして生きるということが
人間のなすべきことであるともいえるだろう。
そして、神に子どもとしての魂が成長する様子を
みてもらい、喜んでもらうことが、
運命を上手に、最高に生き抜いた証ということに
なるのかもしれない。
 生きることは、自ら選択して、この世にいでる
ことからはじまったものであり、
生きるそのものが霊性修行であるともいえる。
それは、魂の成長のための歩みであるのだから、
運命を、普通に生き抜けば、それでよしともいえる
でも、もっと素晴らしく生きたなら、それは更に
よいことであり、運命を超えて生きたということに
なるのだろう。
なかなかそうはいかないものであるけれど・・・・。
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2010年07月30日

もし君が良い妻を得るならば、君は非常に幸福になるだろう。

『もし君が良い妻を得るならば、君は非常に幸福になるだろう。
 もし君が悪い妻を持つならば哲学者となるだろう。
 そしてそれは誰にとってもよいことなのだ。』
   ソクラテス

 ギリシャの哲人、ソクラテスの結婚に関する言葉です。
つまり、結婚は、どんなものであっても、
人を成長させるし、人の為になるものだということです。
 今、日本で問題になっている少子化を解消する方法も
結婚率を高めることが根本であることは明白になっています。
出産率は、既婚者のなかでみると下がっていないことが
統計的にも明らかだからです。
つまり、夫婦となった人が子どもを生む率は変化していないのに
少子化になっているということです。
すなわち、夫婦が減っているということになるわけです。
それは、結婚率が減っているということであるわけです。
独身の成人男女が増加していることが原因であり、
晩婚化が原因であるということになるわけです。
 日本の少子化問題は、結局、結婚する男女を増やすこと
結婚生活がしやすい社会にすることに尽きるとなるわけです。
まさに、ソクラテスが言うように、結婚して妻をもつ、
結婚して夫を持つことは、本人にとっても成長となるし
社会の誰にとっても良いことだということなわけです。
 さて、私も、少子化の原因のひとりとなってしまっている
わけですが、いかんせん、出会いがありませんから・・・・。
ソクラテスの言葉は、事実であるとおもっていますし、
哲学者になるのも悪くないとおもっていますが、
それも、みな相手あってのこと・・・・。
 さて、少子化対策、結婚しやすい社会にするために
政府はどんな施策をおこなっていくのでしょうか・・・・
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2010年07月29日

自分にできることを実際に行い、

『自分にできることを実際に行い、
 生きる人は、英雄です。』
   ヘルマン・ヘッセ

 自分に出来ること、
それを、実際に実行している人は、
稀であるということですね。
だからこそ、それを実行して生きている人は
英雄といえるというわけです。
 自分に出来ることとは何でしょう、
実は、自分に出来ることは、自分が思っているよりも
多いのかもしれません。
ただ、勇気がなく、リスクを恐れるがゆえに
出来ないと思い込んでいるだけなのかもしれないと
いうことです。
 自分にあたえられた能力を、
すべて使って、実行することは、なかなか
難しいということなのでしょう。
 練習で、100%の力を発揮できても
本番では、80%も発揮できたら凄いことだと
いわれます。
一流と呼ばれるひとは、
練習で、120%の力を発揮して、
本番で、100%の力を出しているのだとも
いわれます。
それほど、自分の能力のすべてを、発揮し続けるのは
難しいことなのだということでしょう。
 もしかしたら、みなさんの多くが、
自分の能力を、発揮せずに日々を送っているのだと
いうことなのかもしれません。
出来るのに出来ないと思い込んでいるだけであったり
実行できるのに、実行できないと思い込んでいるだけ
それで、出来ないと自分に思い込ませて、
行動しないということなのかもしれません。
 でも、多くの人が英雄にはなれないように、
多くの人が、自分の能力の一部をつかって、
人生を歩んでいくのだということなのかもしれません。
 夢は実現するという言葉がありますが、
実際に、夢を描けるという時点で、
それは、実現できるということであり、
実現する能力があるから夢を描けるのだという
ことなのかもしれません。
でも、すべての能力を発揮できないので、
なかなか実現できずにいるだけというわけです。
 何かのきっかけが、大きな変化を
もたらしてくれるのかもしれませんが・・・・・。
 
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2010年07月28日

歴史は、真理が迫害によって

『歴史は、真理が迫害によって
 踏みにじられた実例に満ちている。』
   J・スチュアート・ミル

 真理は、多くの場合、嫌われるものです。
人は、わかっていても真実を告げられると
拒絶したくなったり、認めたくなくなったりします。
真理もまさに、それを突きつけられたとき
そのときの欲望や願望に負けて、
それを否定するために迫害し、ないものとするようなことが
行われてきたということです。
もっとも有名なのが、イエス様の処刑であったと
いえるでしょう。
 おそらく、今の信者の皆さんも、
もし当時、近くに住んでいたなら、迫害者になって
いたかもしれません。
自分の価値観にあわないものは排斥する。
そんな行動が、まさに真理を迫害することに
繋がっているともいえるでしょう。
自分の価値観などは、しょせん今世の一瞬の間のことでしか
ないというのに、それに固執して、謙虚さを
もてない人が、実は意外と多かったりするものです。
 本当にそうなのか、それで正しいのか、
疑問におもうことを忘れてはいけないし、
素直さをもって受け入れることを忘れてもいけないと
いうことでしょう。
 多様性を認めるということは、自分の価値観とは
異なるものであっても、それを受け入れる寛容さと
心の広さをもつことが必要であるということです。
それが出来るかどうかは、
その人の心の成長の具合によって違うでしょうし、
その人の魂の成長の具合によっても違うでしょう。
 受け入れられない人がいるということすらも
認めて受け入れられるのか、
まさに、それが問われているともいえるでしょう。
 人の知恵など、神の叡智には、
まだまだ遠くおよばないものです。
だから、判断するときに、神の叡智にもとづくという
神の視点を取れるのか否かということも
大きく関わってきたりします。
その視点については、その人の信仰が問われるという
ことになるのでしょう。
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2010年07月27日

物事は両面からみる。

『物事は両面からみる。
 それでは平凡な答えが出るにすぎず、
 智恵は湧いてこない。
 いまひとつ、とんでもない角度──
  つまり天の一角から見おろすか、
  虚空の一点を設定してそこから見おろすか、
  どちらかしてみれば
  問題はずいぶんかわってくる。』
    司馬遼太郎

 ものごとへの視点のもちかたについて
より多角的にみることが重要であるということを
伝えてくれている言葉です。
 多くの人が、メディアの流す情報を、そのまま受け止め
ネットに流れる情報を、そのまま受け取り、
伝聞情報を、そのまま信用してしまうことが
多かったりするものです。
 しかし、多くの情報が、伝えるべきものを
そのままで伝えることなく、加工され、歪められ、
フィルタリングされているものです。
 情報リテラシを高めるためには、
まず、情報そのものへのアプローチの仕方を、
変えていくことが必要といえるでしょう。
伝聞情報なのか、自分自身で確認した情報なのか、
この差は非常に大きいということです。
伝聞情報も、信頼できる人が高い客観性をもって
語ったものなのか、主観の入ったものなのか、
伝聞の伝聞といった情報なのかで、
その情報のもっている信頼性は、随分と変化します。
メディアの情報については、信頼性高いとおもいがちですが
実はそうでもありません。
多くが伝聞情報であったりしますし、
編集によるフィルタリングや情報のカットが行われています。
また記者の主観も入っていることが多いですし、
編集者の主観も入っているということです。
つまり、完全なる情報伝達は、1対1で、直接本人の情報を
得る以外には、難しいということにもなります。
もちろん映像や音声といった記録情報は、
情報としての正確さは高いですが、切り取った情報であることに
変わりはありません。
 視点を変えると、大きく持っている意味が
変化することがありえます。
 いろんなものごとを、単に片側やある視点からだけ
みていても、その本質を捉えることは難しかったりします。
また、問題であれば、その問題の本質を捉える方法や
解決策を考えるにあたっては、あらゆる方向から、
アプローチしてみることが重要となってくるわけです。
 その中には、概念的な視点も含まれます。
神の視点でみるということもあるでしょう。
国の視点でみるということもあるでしょう。
コミュニティの視点でみるということもあるでしょう。
個人の視点でみるということもあるでしょう。
ものの見方によって、優先度や重要度も変化することが
あったりします。
 どれだけ、冷静に多角的に、多様的に、
ものごとを把握し、分析し、検討できるのか、
それが情報リテラシの根本なのかもしれません。
それには、経験や知識も必要となってきます。
 思い込みに陥ることなく、多様な視点から考えてみる
そして、そのなかで、自分自身の価値観を基準として
もっとも適切だと思われるものをセレクションする。
人に出来ることといえば、その程度でしかないとも
いえるのかもしれません。
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2010年07月26日

無心さ、純粋さ、素直さなどは人の心を打つ。

『無心さ、純粋さ、素直さなどは人の心を打つ。
 その力は、こざかしい知恵をはるかに凌駕する。』
   吉川英治

 人の力とは何か、
どんなものが力となるのか、
他への影響力ということが力であるとしたら
知恵は力とはいえないかもしれない、
力の源泉ではあっても、力ではないということになる
相手に影響を与えるのは、
その人のもつ魅力であり、オーラであり、
あったときに感じるものであり、
語り合ったときに感じるものであり、
つきあったときに感じるものであるということになる
それは、まさに、その人の無心さ、純粋さ、素直さと
いった心のありようであり、性格であり、
言葉であり、といったことになるのでしょう。
それが、相手の心に届き、その心を動かすという
ことになるのでしょう。
語る言葉や、接する態度や、振る舞いなどは、
まさにパワーであり力といえるものだという
ことになると、
ただ、言葉も振る舞いも、その人の経験や学んだこと
知恵以上のものは出てこない
力としては、知恵を凌駕するものであっても、
その力の根底には、経験と知恵があるのだと
いうことなのかもしれません。
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2010年07月24日

自分が弱虫であり、その弱さは芯の芯まで

『自分が弱虫であり、その弱さは芯の芯まで
 自分に付きまとっているのだ、
 という事実を認めることから、
 他人を見、社会を見、文学を読み、
 人生を考えることができる。』
   遠藤周作

 自分の弱さを認めること。
別に自分の弱さを認めるということだけでなく
自分自身のあるがままを認めるということが
大切であるということです。
まず、自分という存在について、
あるがままを素直にみつめて、認めること
その上で、他のものをみてみること
決して比較するのではなく、
自然にみつめることが大切であるといえるでしょう。
自分自身の存在は、この世で唯一無二なものであり
他人や他のものと比較すべきようなものでもなく
比較する必要があるものでもないということです。
存在するだけで、まず価値があるということを
きちんと認識して、どんな存在であるのか
どんな自分であるのかを、素直に考えてみて
そんな自分を認めてあげて、認識してあげて
愛してあげることが、重要なことであると
いうわけです。
そこから、人生の歩みについて、考えていけばよい
ということなのです。
人生をいきいることこそが素晴らしいのであって
どんな結果やどんな人生であっても、
それは、その人の人生なのですから、
その人にとっての価値あるものであるということです。
 そして、自分を認めた上で、
夢や希望を描いてみるとよいでしょう。
自分の人生で、どんなことをしてみるのだと
思うこと、まずそこから全ては始まります。
ものごとは、動機が重要であり、動機からすべてが
始まります。そして、その果てにどんな結果が
あったとしても、動機さえ正しければ、
それは大きな糧となって、残ることでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 05:45| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

見かけの華やかなものは、一時のいのち

『見かけの華やかなものは、一時のいのち、
 ほんものは滅びずに後世の残る。』
  ゲーテ

 ほんものといわれるようなものは、
後世まで残るものということですね。
一時の流行は、そのときの気分次第によって
流されただけともいえるのかもしれません。
いかに華やかで、凄いものであったとしても
仮初のものであるかもしれないということです。
 そして、良いものは、
そのときに評価されなくても、
いずれ評価されるときがやってくるということ
時代というものさしに囚われることなく、
人に何かを与えることができるものだと
いうことなのだといえるでしょう。

 一時の繁栄を望むよりも、
着実な歩みを望む方が、実は優れた選択であると
いえるのかもしれません。
 日本は、欧米に学ぶ前に、
日本の歴史のなかで、長く生き残ってきた
老舗に学ぶべきことの方が、多いのではないかと
おもいます。
なんとなく欧米のものが良いという幻想を
明治維新以後、植えつけられてきたわけですが
そろそろ、そんな幻想から逃れて、
本来のあるべき姿をしっかりと見据えていく
ときではないでしょうか。
欧米のものも良いものもありますが、
全てではないということですね。
posted by 清水の伏竜. at 05:41| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

重要なのは歩みだけである。

『重要なのは歩みだけである。
 なぜなら持続するのは、目標ではなく歩みだけだからである。
 目標とは、旅人があたかも
 その目標に意味があるかのごとく
 峰から峰へと歩み続けるときにいだく虚像にすぎない。
 同じように、現存するものを肯定しなければ、
 なんの進歩もないのである。』
   サン・テクジュペリ

 星の王子様らしい、考え方かもしれません。
ひとつのことを、強調するとき、比較する対象を
どうしても、かるく表現することになり、
その言葉を読んだ人のなかには、伝えたい強調したこと
ではなく、比較対照のことの方だけに注目して
おかしなことを言い出す人がいたりします。
 目標は虚像に過ぎないから必要ないのだ。
そんなことを言い出す人もいるでしょう。
しかし、この言葉は、目標のことではなく、
歩むこと、今に、留まらないことの大切さを強く
伝えたい言葉であるということです。
 現状に満足せず、現存するものだけに満たされるのでは
なく、常に現状の先に向かった歩みだすことが
人生という旅にとって、大切なことであると
いっているわけです。

 もちろん、目標は大切です。
幻想や虚像といわれるものであったとしても
人が行動するとき、歩みだすときには、
その理由が必要であるし、その動機が必要であるからです。
目標は、理由や動機になりえるものであるからこそ
その存在が必要であり、重要であるということに
なるのです。
ただ、目標があるだけで、そこに歩みださないのであれば
それは、本当に虚像であり、意味のないものと
なってしまいます。
歩みに連動した目標であることが、
意味を持つということになるわけです。

 歩み続ける先にある結果よりも、
歩みはじめること、歩み続けることが重要であり
意味あることであるということです。
結果だけを重要視することの愚かさを伝えているとも
いえるでしょう。
人を評価するとき、結果や成果だけで評価することに
実はあまり意味はないということなのです。
動機や行為といった、結果に至る過程こそを
評価しなければ、正しい評価とはいえないということ
日本人は、それを知っていたのに、
欧米の日本弱体化計画に嵌って、それを忘れて
欧米も失敗だと感じている評価法を導入して、
失敗してきているという事実に、早く気付くべきだと
いえるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 05:38| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

十度、昼のあいだに笑い、快活にしていなければならぬ。

『十度、昼のあいだに笑い、快活にしていなければならぬ。
 さもないと夜になって、憂鬱の父である胃に悩まされる』
   ニーチェ

 ニーチェの悩みであったのかもしれません。
でも、笑いによって、快活になっていたら、
その日は、健やかに過ごせるということは、
その通りであるといえるでしょう。
 笑いが、人の心にとって、良い効果をもたらす
という事実は、多くの人が、語っており、
体感していることであるからです。
 笑えることの幸せを、大切にしていきたい
そういうことでもあるといえるでしょう。
辛く、苦しいときにも、笑いをもつことが出来れば
ちょっと元気になるということです。
 笑いの健康法や、ヨガなどもあったりしますね。
ちょっと、時間があったり、健康を気にしているなら
そんな笑いのアプローチも良いかもしれません。
 芸能や文化に、笑いというものが関わっているのは
笑いが、人の心の糧になるからだともいえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 05:37| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月21日

希望喪失はすでに敗北の先取りである。

『希望喪失はすでに敗北の先取りである。
人間にできることがなお残されているかぎり、
希望を失うことは許されない。』
   ヤスパース

 希望や夢を失ってしまうということは、
敗北や失敗を意味しているということです。
だから、人は、希望や夢を、失ってはならないし
希望や夢を、持ち続けることが必要であると
いえるでしょう。
 そして、希望や夢を、抱くことが、
すべての始まりであるともいえるでしょう。
日々を精一杯生きることは大切です。
その日々を精一杯生きるために、
その積み重ねの先にあるものに希望や夢を
抱き、目指していくということが、
活力となり、やる気となっていくといえます。
 希望も夢もなくしてしまうと
今を生きることも苦しくなってしまうでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 01:11| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月20日

That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.

『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、
 人類にとっては偉大な飛躍である。
 That's one small step for [a] man,
 one giant leap for mankind.』
    アームストロング

 月への一歩、1969年7月20日になされた
アポロ計画の偉業から、41年が経過して、
人類が、地球外の地に降り立ったときに
生まれた人も、もう40歳代です。
 人類の飛躍は、どのくらい進展したでしょう。
地上では、インターネットの普及により、
国境という概念に、ひとつの風穴があきつつあり
人類は、次の段階に、歩み出すときが
近づいているのかもしれません。
 しかし、宇宙への歩みは、国際宇宙ステーションの
完成を迎えたのに、その先の計画が、不安定な
ままであったりします。
 月面基地、火星有人探査、火星基地と、
さらなる飛躍をとげていくことで、
人類の更なる発展が訪れるように、
願ってやみません。
posted by 清水の伏竜. at 23:59| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

何か重要なことをはじめるとき避けた方がよい刻

 縁起を担ぐとか、いうことがあります。
インドをはじめ、神の信仰のあるところでは、
神事を行ってはならないときがあります。
よく知られているのは、月食、日食の期間です。
月食、日食の光を浴びることも、良くないと
いわれています。
もし、より良き人生をおくりチャンスを逃したくないなら
日食や月食を追いかけるのは止めた方がよさそうです。
 また、何か新しいことを始めたり、神事を始めたり
してはならないといわれる禁忌の時間帯が、
曜日毎に定まっていたりします。
「ラフカーラ」と呼ばれる時間帯ということです。
結婚式、婚姻届、家の建設はじめ、転職のはじめ、
起業のはじめ、就職のはじめ、など。
人生の転機となるようなことの最初の出だしを
禁忌の時間帯にしてしまうと、その出来事は
失敗におわったり、残念な結果におわったりして
しまうことになるようです。
信じる信じないは人それぞれの自由ですが、
もし、縁起を担ぎ、より良き方向へと願うのなら
注意した方がよいといえるでしょう。

 月曜日  7:30〜 9:00
 火曜日 15:00〜16:30
 水曜日 12:00〜13:30
 木曜日 13:30〜15:00
 金曜日 10:30〜12:00
 土曜日  9:00〜10:30
 日曜日 16:30〜18:00
posted by 清水の伏竜. at 23:26| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月19日

創造にたずさわる者はそれ自身一つの世界であり、

『創造にたずさわる者はそれ自身一つの世界であり、
 自分自身の内部および自分が結びついている自然の中に、
 すべてのものを見いださねばならないのです。』
  リルケ

 創造にたずさわるものとは、何ものなのか、
芸術家、演出家、小説家、マンガ家、アニメータ、デザイナー、
エンジニア、職人、・・・・・
人は、常に何かを創造しているといえるかもしれない。
そして、その創造をなす源泉は、自分の中と、自分の置かれた
環境との間に、存在しているといえるのだろう。
 最高の創造者は、神に他ならない、
神は、魂の親であり、宇宙、時空、生命の創造主である。
その創造は、神の中から生み出されたものであると
いえるだろう。
 神の分身ともいえる魂は、神の目的そのものでもある。
魂の成長による、神の世界の拡大に向かって、魂の成長のための
環境が整備されていき、今の世界が存在していると
いうことになるのだろう。
 魂の成長のために、人を生み出し、人の成長のために
霊界、聖霊界、精霊界を創造し、感情、肉体、精神、理性を
支えるための存在を用意されたのが、神の力であるといえる。
 人は、魂の成長のために、この世に生まれ、
魂を宿し、共に、人生を生きていく、そして、定められた成長を
成し遂げた先に、更なる成長のために、逝く。
 生まれ逝く、この繰り返しのなかで、魂は成長していき、
やがて、神の存在、そのものと変わらぬものとなっていく、
転生輪廻の繰り返し、そのための時空と宇宙、そして、
人という存在、それを生かす環境の存在、それらがあると
いうことになる。まさに、宇宙は人のためにあり、
人は宇宙のためにあるということなのだといえる。
 すべてのものを見出すということは、
まさに、自分自身の魂の声をきき、魂の目で、物事を
みつめ、理解するということになるのだろう。
もちろん、魂の成長のレベルで、この時空での存在の価値も
変化していく、動物のなかに宿り、成長しなければならない
レベルから、人に宿り、成長するレベル、神と会話できるレベル、
成長の段階により、なすべき修行も異なるし、
生きる道も異なっていく。
ただ、間違いなくいえるのは、魂は神の子であり、
ゆえに親を求める。そして、子供は成長することが、その目的であり
魂は、成長するという目的のなかで存在している。
どのように成長すべきなのかは、この世に出でたときに決定される。
それは、魂自身が、神の導きのなかで、自らの成長のために
選べしものであり、自分自身の決定により定められたものであると
いうこと、もちろん、魂の成長にみあったものにしかなりえない。
人もまた、この世における創造主であるといえる。
ならば、人は、神が人を愛するように、子殿たちを愛するべきであり
そうすることにこそ、存在の意味と価値が出てくるということが
いえるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 22:53| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月17日

人生を愛するのは、神を愛することである。

『人生を愛するのは、神を愛することである。
 すべてのことの中でもっとも困難にして、
 もっとも至福に満ちているのは、
 自分が苦しむ中で、罪もなく苦しむ中で、
 この人生を愛することである。』
   トルストイ

 人生とは何か、人生とはどう歩むべきか、
多くの偉人が、その問いに、それぞれの想いを
語ってきています。
文豪らしい語り口で、人生を愛することの
素晴らしさを語っているといえるのかもしれません。
 人生を愛することが、神を愛することに
通じるというのは、確かにその通りであると
いえるでしょう。
 神の采配で、与えられた人生を、感謝して生きる
その感謝が愛というところまで高まるのであれば
神にとっても喜びであるといえるでしょう。
どんな苦しみの中にあっても、人生を愛すること
つまり神の試練に感謝することが、素晴らしいことで
あるというのは、お釈迦様も、イエス様も、
身をもってしめしていたことであるわけです。
それは、生きることが、魂の成長に繋がるからであり
与えられた人生を愛して、進んでいくということは
魂の成長を確実に歩み、それを神が喜んでくれることに
感謝するということになるからだといえるでしょう。
 そして、魂の成長は、神の喜びであり、
成長することは、人にとっての存在意味であり
それを成すことこそが、至福なことであると
いうことになるわけです。
 与えられた以上に、魂の成長を成せば、
より神は喜ばれるということになります。
魂の成長のために出来ることは何か、
それを知ることが出来るかどうかも、
人それぞれの人生のなかで、違ってくるものです。
 出会うチャンスがあっても、それを見過ごす人も
多いでしょうし、気がつかない人も多いでしょう。
与えられるチャンスを、捉えることができるかどうか
それもまた、その人の心がけ次第であるといえるのかも
しれません。
posted by 清水の伏竜. at 02:45| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月15日

忍耐はどんな悩みにも利く名薬である。

『忍耐はどんな悩みにも利く名薬である。』
  プラウトゥス

 人は、いろんなことで悩みを抱きます。
そして、悩みをなかなか解決できずに、
苦悩するわけです。
悩みに利く妙薬は、そうはないともいえるでしょう。
この言葉は、悩みがあるとき、結局は、
その悩みを乗り越えるときがくるまで、
我慢するしかないということを語っています。
忍耐ことが、悩みにおけるよき薬であると
いっているわけです。
 この薬は、残念ながら、特効薬ではありません
また完治できるものでもありません、
悪化させずに、他を害さないようにする
そんな薬といえるかもしれません。
でも、忍耐という薬が弱いと、悩みは病気となり
心や身体を壊していってしまうことになるでしょう。
 その意味では、日本人は、この薬が
なくなってきているのかもしれません。
この薬は、子どもころに、手に入れることが
できるものです。
つまり、子どものことに、どのくらいこの薬を
手に入れることができる環境で教育されて、
経験をつんできたのかで、大きく変わってくると
いえるでしょう。
 この薬のもつ量が、日本人が減ってきたので、
自殺者が減らないのかもしれません。
 忍耐という薬を、より多く子どもに持たせて
あげられるのかは、親と周囲の教育のあり方、
子育てのありかたにかかっているといえるでしょう。
 教育問題が、あらゆる問題と関わっているのは
未来の大人を、どんな大人にするのかを
きめる大きな要素であるからだともいえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 13:03| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

人は先ず何よりも自分自身であらねばならぬ。

『人は先ず何よりも自分自身であらねばならぬ。
 人のなすべきことは、自己実現であり自己拡大である。』
   林 達夫

 自分が成長することが、もっとも大事なこと
そういった主張は、これまでも多くの人が
なさってきました。
そして、それは確かに重要なことであり、大切なことで
あるわけです。
 なぜ、この世に生まれてきたのか、
その理由と目的を考えてみれば、自分自身が成長しなければ
まったく意味がないということに至るわけですね。
 この世に生まれてきた理由は何なのか、
なぜ、この両親のもとで、この国で、この人種で、この性別で、
この肉体で、この環境で、このカーストで、生まれてきたのか、
それは、そこに生まれる必要があったからであり、
生まれることが、まず大きなひとつの目的であるからだとも
いえるでしょう。そして、その生まれたところから
今世において、成長していくことが、まさに生まれた理由であり
生きる理由であるわけです。
 そして、何事もなく成長し歩んでいけば、
予定された逝く時を迎えることになるというわけです。
 よく、自分で選んで生まれてきたのではないと思っている
人がいますが、それは生まれた理由を認識できないので
そう思っているだけで、実際には、生まれた理由は自らの成長の
ためにもっとも最適な場所と環境と条件を選択して
生まれてきているのであり、その生まれたところから
生きていけば、それだけで、魂は一定の成長をなし得るという
ことになるわけです。
 その魂が成長するのに、必要な場所、必要な環境、
必要なときを、選んで、魂は神という親もとから、この世に
旅立ってくるわけです、命と霊と肉体とを与えられて。
 だから、魂の成長こそが、人が生まれて、生き、成長し、
逝くための目的であり理由であるわけです。
したがって、魂が成長するために必要な試練や困難が
与えられることになります。
過去世でのカルマの解消を求められることもあるでしょうし
今世でのカルマの解消を求められることもあるでしょう、
または、過去世での徳分によりラッキーを得るかもしれません。
 とはいえ、人生は、自らの魂の成長のためにあるわけで、
それをこの世的にみれば、まさに自己成長こそが重要であり
もっとも大切なことであるということに繋がるわけで
あったりします。ただ、目的のための手段として、
傲慢は駄目であるし、欲望に走るのも駄目であったりするので
なすべきこととして、どうなのかという点では、
異なる視点が出てくることになるでしょう。
 ものごとは、単純ではないというわけですね・・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 12:38| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月13日

自分の良心に道案内をさせなさい。

『自分の良心に道案内をさせなさい。』
   コロディ

 自分の良心に従って、歩んでいけばよい
人生の歩み方に関する言葉です。
では、自分の良心とは、何でしょうか。
実は、自分の欲望や、自分の利益が、自分の良心に
なってしまっている人が、多かったりするものです。
自分の中の良心とは何か、
それは、何を基準としたものなのか、
やはり、それは、利他心なのだということなの
かもしれません。
 自分のために何かをするのではなく、
自分が生きるため、成長するために、
周りのために何かをする。
 相手に喜んでもらうこと、相手が成長できること
そんなことを行っていくことが、
良心なのかもしれません。
 ただ、この世的な良心は、この世の理に縛られ
道徳や社会規律に縛られていて、
実は、この世で生きている意味そのものの源泉に
おいては、誤った行いをしていることになる
可能性もあったりします。
 どのように生きるのが、より充実した人生と
なるのか、それは、人生の目的が、魂の成長にある
という原点に戻って考えると、
これまでとは異なった世界が見えてくることになります。
魂の成長のために、何をなすべきかという
問いかけが出てくるとき、
その回答には、過去に魂の成長をなしえた人たちの
誠の教えを求めるしかなくなるわけです。
過去の偉人や聖者の教えは、その多くが伝聞や継承のなかで
改変されてきてしまっていたりします。
変わらずに残されているものは、非常にアナログでかつ
厳格な世界においてのみであったりするわけです。
そこで、修行するのが一番良いでしょうが、
それが出来る人は、なかなか存在しません。
ゆえに、そのもっとも厳格な継承の行われているところに
学ぶことの出来た人から、学ぶしかないと
いうことになるわけです。
 ただ、それは、まさに人と人との出会いであり、
そんな出会いに恵まれるかどうかも、この世での人生で
あるか否かは不明であったりするわけです。
 もし、出会ったのなら、そのチャンスを逃さないこと
それが出来るように準備すること、それが人に出来る
精一杯のことなのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 18:54| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月12日

恐怖の多くはティッシュペーパーほどの厚みしかない。

『恐怖の多くはティッシュペーパーほどの厚みしかない。
 勇気を出して一歩進めば、くぐり抜けることができる。』
    ブレンダン・フランシス

 何かをなしとげるときに、多くの課題や
問題に行く手を阻まれることがあります。
そのとき、その壁の前にに立ちすくむのではなく
思い切って前進することが大切であり、
そうすれば、必ず、その危機を乗り越えて
前に進んでいくことが出来るということです。
 この小さな勇気が、大切なのですが、
なかなか、この小さな一歩、小さな勇気が
出せなかったりするものです。
ひとりでは、なかなか出せないものも、
誰かが、そっと後押ししてくれたら
出せることもあったりします。
小さな後押しは、大きな力となり得ると
いうことです。
 ひとりでは出来ないことも、
仲間と一緒であれば出来るかも知れません。
信頼できるパートナーがいれば出来るかもしれません。
そんな、人と人との絆が、人に勇気をもたらすものだとも
いえるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 07:15| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

天才とは、たえまなく努力を続けられる人間である。

『天才とは、たえまなく努力を続けられる人間である。
 やる気をすっかりなくさない限り、失敗はありえない。
 「自分の内部から生まれる敗北」以外には敗北はない。
 我々の「心の弱さ」以外に超えられない障害などない。』
    エルバート・ハバード

 努力を継続することの重要さと、
目的を達成するために、必要なことを、
やり続けることが出来ることが、
まさに成功の秘訣であるといえるでしょう。
この言葉の通りに、敗北は、自分自身が敗北したと
認めた瞬間に、敗北になるのであり、
自分が認めない限り敗北はないということです。
敗北は、失敗とは違います。
失敗は、何度しても構わないけど、
敗北だけはしないこと、それが目的に達する
ために必要なことであるといえるでしょう。
そして、多くの障害のなかで、乗り来れられないものは
自分の心の弱さしかないというわけです。
それ以外の障害は、なんとでもなるということ
なのだともいえるでしょう。

 天才、秀才、という人の違いは何か、
実は、多くの天才は、秀才であったりします。
まさに、たえまなく努力を続けられる人は、
まさに秀才であるといえるでしょう。
天才は、生まれる前からの能力を使いまわしている
特殊な人ですが、実は、あまり成長に繋がらない人生で
あったりします。
何の成長かといえば、魂の成長です。
秀才は、この人生で、自らの力で、成し遂げていった
人たちのことであり、まさに、今世の目的を達成して
いっているといえるのではないかと思います。
天才は、過去性での経験を、今世でも使えるような
状況にあって、それを使って、早く出来るようになり
さらに高みを目指すというケースもあるでしょう。
でも、今世では、別のことをする予定でった
かもしれないので、魂の成長のためには不幸なのだと
いう見かたもあるでしょう。
 それ以外に、神才を与えられた人というのが
いらっしゃるそうですが、それは・・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 01:19| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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