2010年05月31日

すべて世の中の諸道、近道というものなし。

『すべて世の中の諸道、近道というものなし。』
   大隈 言道

 どんなものごとにも、
簡単にとか、早くとか、楽にとか、
近道なんてものはありはしない、
着実に、進んでいくことが大切であると
いうことです。
 近道を探す努力よりも、
まず、一歩前進していくことの方が
大切だともいえるでしょう。
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2010年05月30日

たとえ生死の境にあって、気持が極度に張りつめている時でさえも、

『たとえ生死の境にあって、気持が極度に張りつめている時でさえも、
 他人の人生を思いやり、人類を支配する法則とは何であるかを
 考えてみるとすれば、必ず何らかの報酬が返ってくる。』
   チャーチル

 人生とは、何か。
そして、人生を生きていくときに
どんなことが重要であるのか
そんな生きていくなかでの心得のようなものを
示した言葉のひとつといえるかもしれません。
どんなに、危機的な状況にあっても。
他人を思いやることができ、
真理を求め続けることが出来る
利己心ではなく、利他心をもって、
行動出来るのであれば、
そして、実際に行動しているならば、
報酬は、自ずと訪れるものであると
いうことです。
報酬とは、それを求めるものには
訪れなくても、それではなく、
正しきことを成してさえいれば、
やってくるものであるということですね。
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2010年05月29日

子育ては、有能なマネージャーになるための最高のトレーニング

『子育ては、有能なマネージャーになるための最高のトレーニング』
   神田昌典
    〜「仕事のヒント」神田昌典365日語録より

 解説としての紹介の言葉に、スティーブン・R・コヴィーの
 「メンバーそれぞれが自分の内なる声に耳を傾けること。
  そして、それを可能にするリーダーシップこそ、
  いま会社のなかで求められている。
  そうした力は、家族と真剣に向き合うことで
  初めて、養うことができる。」
 という言葉を添えています。

 有能なマネージャーになるためには、
 メンバーが、自分の内なる声を聞き取ることが
 できるように、導いてあげることが必要であると
 いうことです。
 そして、そのようにメンバを導くためには、
 自分の家族に対しても、親として、
 または、夫、妻として、
 他の家族が、それぞれに自分の内なる声に耳を
 傾けることができりょうな環境を築けるようで
 なければならないということです。
 家庭を持つということ、子育てをするということは
 まさに、マネージャーとして部下を導くために
 必要な能力を得るための最高の訓練の場でもあると
 いえるということです。
 家庭で、出来ないことが職場で出来るはずもない
 ということでもあったりするでしょう。
 その意味では、自分自身の家庭が、円満で、
 それぞれに自立して、補え合えるようになっていない
 マネージャーは、職場でも同様なマネジメントしか
 出来ないということなのだともいえるでしょう。
 よく、家庭は家庭、仕事とは関係はないと
 いう人がいますが、それは自己弁護のための言葉で
 しかないということですね。
 家庭に真剣に向き合えないで、家庭をしっかりと
 まとめられない能力しかない人間に、
 他人に対して真剣に向き合って、職場を
 まとめることなど出来るはずもないということ
 だといえるでしょう。
 家庭がおかしい上司の職場が、雰囲気が悪くなるのは
 ある意味では当然の帰結であるということですね。
 日本の社会で、企業内で、うつが増加し、
 過労死や過労自殺が出てくるのは、社会において
 家庭が崩壊してきていることと、決して無関係な
 ことではないといえるのかもしれません。
 核家族化もまた、会社から結束を失わせていっている
 元凶なのかもしれません。
 日本が、世界で一番の老舗の存在する国である理由は、
 日本の社会が、家庭を大切にする社会であったからで
 あったからこそだともいえるのではないでしょうか。
 それが、崩壊してきた戦後の流れのなかで、
 企業が力を失ってきたのは、必然であったのだと
 いうことなのかもしれません。
 現代社会においても、活気のある企業はあります。
 そんな企業の多くが、会社の雰囲気が、家族のような
 感じであったりするものです。
 それは、社長をはじめ、上に立つものから、
 自分自身の家庭も大事にしているからなのだと
 いえるのではないでしょうか。

「仕事のヒント」神田昌典365日語録から
 得た気づきの共有サイト▼みんなの気づきを読む
http://www.kandamasanori.com/hint/wh-read.php
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2010年05月28日

賢者は財宝を貯えない。

『賢者は財宝を貯えない。
 人に与えれば与えるほど、彼の財宝は豊かになる。』
   老子

 財宝とは、何か。
それは、この世の富とは違うもの。
蓄えてもしかたがなく、
他人に与えるもの。
そして、与えれば与えるほど
自分の中で豊かになっていくもの。
そんな教えは、昔から多くの賢者によって
語られてきたということです。
そして、その言葉を実践できるかどうかが
現世の生きた価値になっていく
そういうことになるのでしょう。
 与えることができるかどうか、
そのわかれめは、それぞれの人によって
異なるものとなるでしょう。
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2010年05月27日

人生で成功者になるための主な条件は、

『人生で成功者になるための主な条件は、
 仕事に対して日々に興味を新たにできること、
 仕事に絶えず心を打ち込めること、
 毎日を無意味に過ごさないことである。』
   ウィリアム・ライアン・フェルプス

 仕事への姿勢が、人生での成功者になるために
必要であるということばです。
本当にそうなのだろうかと、疑問に思う人も
いるかもしれません。
 この仕事とは何かということについても
問題になるのかなといったところではないでしょうか。

 仕事に対して、日々、興味を新たにできるのか
 仕事に絶えず心を打ち込めるのか、
 毎日を無意味に過ごさずにすんでいるのか、

これらの問いに対して、もちろんだと
答えられる人は、日々の生活が充実していると
いうことなのだといえるでしょう。
もし、少し疑問に感じてしまうようであれば、
仕事の部分を、自分がもっとも生き甲斐だと思っている
ことに置き換えてみると良いかもしれません。
 世の中には、自分のやりたくない仕事に
従事しなければならない人が大勢います。
生きるための仕事というケースも実際あるでしょう。
この生きるは、まさに命をつなぐため、日々の糧を
得るためということです。
もちろん、そんな仕事であっても、そこに新なた興味を
見出せて、心から打ち込めるのであれば
問題ありません。でも、どうしでもそれが出来ないなら
それは、修行であるとおもってこなすしかないでしょう。
人生における心の充実は、糧を得るための仕事以外に
求めるということになるのだとおもいます。
それは、別の仕事であるかもしれませんし、
家庭であるかもしれません、ボランティアや、趣味で
あるかもしれません。
何か、生活において、心から打ち込めるのか、
それは、仕事に限る必要はないということです。
この言葉は、仕事の部分に、自分にとっての
心を打ち込めるものを当てはめてみればよいのだと
いえるのではないでしょうか。
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2010年05月26日

できるかできぬか分からぬ時は、

『できるかできぬか分からぬ時は、
 できると思って努力せよ。』
   三宅 雪嶺

 何かに取り組むとき、どんな姿勢で、
いるべきなのか、その心構えのひとつで
あるといえるでしょう。
 できるのか、できないのか、
わからない、そんなことはよくあります。
そんなとき、出来ないと思って
逃げてしまうと、何も成し遂げられないし
何も進むことはないでしょう。
でも、出来るとおもって、チャレンジすれば
その結果がどのようなものであっても
何か起こるし、何か得るものがあるし
前に進んでいくことになるでしょう。
 出来るかどうかわからないなら
出来ると信じることが大切であり、
そして、出来ると信じる気持ちを確実にするために
なすべき全てのことを行い、努力していく
それこそが、良い結果を生み出す原動力で
あるということですね。
 していないのに、行動していないのに、
出来ないと思ってしまうことが多いです。
それは、リスクを恐れるためであり、
変化を恐れるためであり、絶対の確証が
得られないからであるのでしょう。
でも、世の中に、絶対の確証があって行うものは
少ないということです。
変化しないものもなければ、リスクがないものも
ありはしないということです。
まあ、たまにリスクを他人に押し付けて自分には
リスクをなくすといったことをしている人も
いるようですが、
それはさておき、もしやりたいことがあり
それを成し遂げたいのなら、
その想い、動機ことが重要であり、大切です。
その想いがあれば、出来ると信じることも
可能でしょう、そして、出来ると信じて、
一生懸命に努力すれば、結果は後からついてくる
というものであるようです。
 もちろん、ひとりで、その決断が出来るなら
それに越したことはありません。
ひとりでは無理だったら、仲間と一緒に
歩みだせばよいでしょう。
または、後押ししてくれる、パートナーと
一緒であれば、ひとりでは出来なかったことも
出来るようになるでしょう。
 そんな出会いがあるように・・・・
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2010年05月25日

私たちは生まれるや否や、死に始めている。

『私たちは生まれるや否や、死に始めている。
 終わりは始めにくっついているものだ。』
  マニリウス

 生と死の関係は、切っても切り離せないものです。
しかし、生まれたとき、人は死のことを
考えることはあまりありません。
また、自分もいつか死ぬということについて
正面から向き合って、考えることもあまり
なかったりするものです。
 人がこの世に生まれたときから、
この世からさり逝くことがきまっているわけです。
そして、それと同様に、何かが始まるというとき
そこには、それが終わるということが、
必ずくっついているということです。
その終わりについて、あまり考えることが
人はなかったりするものです。
もちろん、はじまりから終わりまでの長さは
いろいろです。何万年というような長いものもあれば
一秒にもみたない瞬間のものもあるわけです。
でも、はじまりとおわりは、いつもペアになっていて
その関係は変わることがないということですね。
人生よりも長い期間であれば、あるいみ永遠と
いってしまえるのかもしれませんが、
 生まれたからには、必ず死ぬ。
その死を迎えるにあたって、十分に生き抜いたうえで
予定されたこの世での生を満喫した上で、
逝きたいものだとおもいます。
この人生は、この一度きりであり、
輪廻転生しても、同じ人生は歩めないのですから。
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2010年05月24日

私は二つの顔をもつヤヌスなのだ。

『私は二つの顔をもつヤヌスなのだ。
 一つの顔で笑い、他の顔で泣いている。』
   キェルケゴール

 人の二面性については、いろんな人が
語っています。ヤヌスについても、日本では
マンガやドラマの題材として話題になってこともあり
多くの人が知っていたりするので、
イメージもわき易いのではないでしょうか、
 人の二面性といえば、ジキルとハイドという
有名なお話がありますが、
他にも、国内外で、人の二面性を表現した物語や
伝承は数多くあったりします。
 なぜ、人は、二面性をもっているのか、
それは、人という存在が、生物のなかで特殊であること
心と体というもの以外にも、霊性や魂といった存在で
あるということが、大きな要因であると
いえるでしょう。
 陰陽をはじめ、この実世界では、
2つのペアで存在しているものが多数あります。
人の二面性も、そんな自然のなかでのひとつだと
いうこともできるかもしれません。
 表面を繕うことが出来るのも人の特徴です。
他の動物は、表面を取り繕うこともなく、
欲望のままに行動していきます。
感情のままに表現をしていくだけであったり
するものです。
しかし、人だけには、理性というものが存在しています。
理性で、感情も欲望も行動もコントロールすることが
可能な存在であったりするのです。
それが出来るからこそ、他の動物に出来ないことが
いろいろと行えるのだともいえるでしょう。
 さて、人の二面性は、人の個性でもあるかもしれません。
どんな隠れた顔をもっているのかは、
まさに、その人によって異なっており、
その内面をどこまでさらすのかについても
人は、相手を選んだりするわけです。
 ただ、心の底から、打ち明け話のできる相手が
いるといないとでは、人生の歩み方も大きく異なる
ことになるでしょう。
そこが、人が、ひとりでは生きてはいけないと
いわれる所以でもあるかと・・・・
posted by 清水の伏竜. at 12:40| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

海のほか何も見えないときに、

『海のほか何も見えないときに、
 陸地がないと考えるのは、
 けっしてすぐれた探検家ではない。』
   ベーコン

 見えないものでも、信じることが
できる力、それが必要であるのは、
探検家だけではないといえるでしょう。
 探検家は、まだ見ぬものを目指します。
見えないから無いとは考えるはずもないと
いえるでしょう。
 でも、探検家ではなくても、
夢を追いかける人であれば、
まだ見えぬ夢のゴールに向かって、
見えないからない、見えないから出来ないと
決して思うことはなく、
信じて、歩みを続けていくことでしょう。
 その見えないところ、見えないものに
向かっていく気持ちを持ち続けることの
できることが、結果に繋がるために
必要であることだということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 22:16| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月22日

人生そのものが試行錯誤の過程である。

『人生そのものが試行錯誤の過程である。
 なんの過ちもおかさない人は、
 何もしない人たちである。
 過ちが足しになるのは、
 われわれが失敗から学んだ時である。』
   P・スローン

 人生は、本当に何があるかわからない。
そんななかで、人生の機微を感じ取りながら
いろんな経験、体験をしつつ歩んでいく
そこには、失敗もあれば、過ちもある
それが、その後にいかされるか否かは
そのときに、何を学んだかによって
きまってくるということです。
 失敗しても、間違っても構わないけど
そこから何も学ぶことがなければ、
それは、何の意味も価値もないものに
なってしまい、ただ後悔と負債とを
残すのみとなってしまうだろうと
いうことなのだとおもいます。
 より人生を素晴らしいものに
するために、常に学ぶ姿勢を忘れないように
生きていくことが大切なのだといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 05:12| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月21日

翼よ、あれがパリの灯だ

『翼よ、あれがパリの灯だ』
   チャールス・リンドバーグ

 冒険者の残した言葉は、
その冒険へのチャレンジ精神や、
記録・記憶と共に語り継がれるもので
あったりします。
 1927年5月21日の午後、大西洋無着陸横断飛行を
なしとげ、パリのル・ブールジェ空港に到着する
ときに、リンドバーグが語ったといわれる
ことばです。
「スピリット・オブ・セントルイス」号に乗り込み
アメリカからヨーロッパへ
飛行機の時代の到来を印象付ける出来事の
ひとつであったといえるでしょう。
 5月21日は、そんな偉業を記念して、
リンドバーグ翼の日と呼ばれているそうです。
おりしも、そんな日の朝、
日本のH2Aロケット17号機が、
種子島の宇宙センターから打ち上げられました。
打ち上げは無事成功し、
金星探査機「あかつき」
宇宙ヨット実証機「イカロス」
小型衛星4つが、
宇宙に運ばれていきました。
 空から宇宙へ。
夢の翼は、さらに大きく羽ばたいていって
くれることでしょう。
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正しく哲学するためには、一生に一度、

『正しく哲学するためには、一生に一度、
 自分のあらゆる持説を捨てる決心をしなければならない。』
   デカルト

 哲学するときの心構え、
まず、先入観も、持論も、自分の考えも、
すべて捨てて、学ぶことが必要となる。
 きっと、学んだことが、自分の心に
自分の魂に、響くものであれば、
受け入れることに、何の違和感もなく
腑に落ちることでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 01:57| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

ローマ字の日

ローマ字の日

 日本語は、文字をもっていなかったといわれます。
中国より漢字を輸入して、カタカナを発明して、文字とし、
やがて、ひらがなを発明して、表現の幅を広げて
いきました。
 アルファベットが入ってくると、
ローマ字表記という表現が追加になりました。
ローマ字国字論といったものもあったそうで、
日本式ローマ字を主張した田中舘愛橘という方の
命日の前日の5月20日を、ローマ字の日としたそうです。
日本ローマ字社という団体の定めたものだそうです。
 ローマ字には、日本式以外に、ヘボン式があります。
ローマ字表記は、小学校の国語の授業で
教わったものですが、日本語のもつ多様性のひとつで
あるといえるでしょう。
 漢字、カタカナ、ひらがな、ローマ字、
それを文語体、口語体、漢文といった形で、言葉を
綴っていくことが出来るわけです。
 日本語の魅力のひとつは、季語ではないかと
思っています。四季をあらわす単語の多彩さと、
それをつかって、心に感じたことや風景、世の中のことを
短い文書で表現する、短歌、俳句、川柳。
 小中学校の義務教育の期間に、日本語をより深く、
より素敵に、学ぶことが大切であるとおもいます。
外国語など学ぶ時間があったら、まず日本語を学ぶことが
重要ではないでしょうか。
外国語も、英語を強制するのは、どうかと思います。
外国語の何を学ぶのかは、国が押し付けるのではなく
自由に選択させるべきではないかとおもいます。
英語の授業を、義務教育からなくして、その時間を
日本の文化や、地域の文化、日本の歴史や地域の歴史、
日本の社会のこと、日本語のことを学ぶ時間に
すべきだと感じます。
そして、英語ではなく、外国語という授業枠として、
どの外国語を学ぶのかは、学校や地域の情勢にあわせて
選択できるようにすべきでしょう。
入試の科目から、英語はなくしてしまっても
かまわないと思います。
まさに、占領軍による占領政策の賜物であり、
戦後の占領状態は、実は、学校の中に残り続けていると
いうことなのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 20:03| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人が幸福になるかどうかは心の持ち方次第である。

『人が幸福になるかどうかは心の持ち方次第である。
 財産や名声では決して決まらない。』
   フレデリック・ロバートソン

 幸福とは、何か、この問いかけは、
ずっと昔から、人が行ってきたことなのかも
しれません。
 幸せですか?
そう訊ねられたときに、
 はい
と答えられたら、それが幸福なのだと
いうことなのかもしれません。
そして、幸せと感じる状態にあるのは、
財産があるからでもなく、名声を得たからでもなく、
自分自身の心のなかに、わだかまりがなく、
やさしい気持ちになれるような、
そんな状態であることなのかもしれません。
 物理的な環境や状況、社会的な環境や状況、
そんなものとは、違ったところに、
人にとっての幸福はあるということなのかもしれません。
 青い鳥が、実は、身近にいたことに
気がつかなかった兄妹のように、
多くの人は、自分の幸せに、気づけていないだけ
なのかもしれません。
 まさに、人の幸福は、その人の心の持ち方次第、
心の状態次第ということなのでしょう・・・

 人は、誰でも、この世に生まれてくるときは
生まれてくるべき環境と、系譜があって、
そして、そこに生まれることに意味をもって
人生を歩みだします。
そして、必ず、この世での歩みを終えて
逝くときを迎えることになります。
 逝くときに、この世に生まれてなすべきことを
どれだけなし得たのか、その成果について
満足できるなら、幸せであったといえるのかも
しれません。
 幸せに逝くために、いかに生きるのか。
常に課題として感じていることで・・・・・
posted by 清水の伏竜. at 13:05| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

人間として守らなければならないことは、

『人間として守らなければならないことは、
 親がいつも率先してお手本を示しながら、
 子どもにも守らせること。
 理屈でなく行動で教えること。』
   井深 大

 親のもつ責任について、最近はもっとしっかりと
考えていく必要があるような話題が多い感じがします。
東京都のマンガやアニメの規制についても、
愚かなことだとおもいます。
あれを、大人の責任で行うべきだと、頓珍漢な発言を
している方もいらっしゃるようですが、
条例で、規制して、楽しようというのは、
大人の責任の放棄でしかないように思います。
どのマンガや映画やアニメ、またはテレビ番組にしろ
見せないようにすることや、見る必要がないと指導する
ことこそが大人の責任であって、それができないから
規制すればよいというのは責任を規制に背負わせて
自分では果たさないといっているのに等しいでしょう。
自由は、守られるべきであり、法による規制は、
本当に駄目なものを禁止するだけにとどめて、
グレーゾーンも網羅するような規制を行うことは
法の暴力につながることだと感じます。
今回の東京都の条例は、まさに親が楽したい
大人が楽したいから、条例にすればいいやという
印象を感じます。
条例をつくる以前にすべきことがあるという議論が
なぜ行われないのかの方が不思議です。
 大人が、人として守らなければならないことを
子どもに模範として示すことができていないのが
大きな問題であって、子どもが言うことを聞かないのは
大人が、模範を示せていないからだといえるのでは
ないでしょうか。
法律で、条例で、きまっているから駄目では
説明にはなりません。それで済ませたいという思いが
東京都のばかげた条例案になって出てきているように
感じます。
変化に対応できないような条例をあらたに作るよりも
もっとすべきことがあるだろうと感じます。
里山を破壊しないようにするとか、
自然を大切にするための支援をするとか、
地産地消ができるようにしていくとか、
規制は、少ないほどよいのです。
犯罪かどうかわからないようなものを規制しても意味ないし
直接、健康を害すると明確にいえるものを規制するのは
あたりまえだとしても、万人に共通で危険といえないものを
規制する意味はないでしょう。
そこは、まさに倫理や道徳といった社会規律において
きちんとしていくことが優先であるといえるでしょう。
 この言葉を、都議会の皆さんにも
教育界の皆さんにも、もっと噛み締めて欲しいと
そんなふうにおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 12:32| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

何か大計画を実行しようとする時、

『何か大計画を実行しようとする時、
 横から口をはさむ者がいてもあまり気にしないことにした。
 「とても無理だ」と言うのが連中の決り文句である。
 私はそういう時こそ努力すべき最善の時だと思っている。』
   カルヴィン・クーリッジ

 大きなことを実行しようとしたとき、
確かに、必ずといってよいほど、この言葉の通りに
無理だという意見をいい、出来るわけがないという人が
出てくるものであったりします。
何か、具体的な確証や明確な理由があるのならば、
その理由は何で、なぜそれが原因でうまくいかないのかを
きちんと説明すればよく、それがわかれば、対策を
検討することも可能であったりするのですが、
多くの場合、そんな理由を説明もできないのに、
無理だ、出来やしないと、言うのです。
そんな人のことは、無視しておけばよろしいと
いうことですね。
そして、無理だとか,出来ないとかいう人を、
見返してやるべく、努力すればよいということです。
自分の計画に、確信と信念とがあれば、出来ないはずはない
ということでしょう。
 夢は必ず実現するといわれています。
そして、夢を本当に信じて、歩んでいる人は、
確かに、実現させてしまっているのです。
posted by 清水の伏竜. at 07:50| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ことばの日

ことばの日

 語呂あわせで、5月18日を、こ−とば、の日だということ
にして、言葉を正しく使うように心がける日と定めたそうです。
日本人であるのですから、まず日本語をしっかりと読み書き
できるようになり、きちんと話せるようになることが
重要であるということですね。
小学校や中学校の義務教育で、外国語を教える必要はないと
おもいます。
それよりも、日本語、日本の昔の言葉を、まず、しっかりと学ぶこと
そして、日本の歴史、地域の歴史、伝統や慣習や社会のあり方を
学んで、日本人として、海外の人に、日本のことを
聞かれたらきちんと答えられるようになった上で、
英語に限らず、自由な選択で、外国語を学べばよいのでは
ないかと感じます。
 文部科学省も教育委員会も、日本人としての教育において
何がまず大切なのか、もう一度考えてみて欲しいと
感じるしだいです。
posted by 清水の伏竜. at 07:47| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

あまり熟慮しすぎる人間は大して事を成就しない。

『あまり熟慮しすぎる人間は大して事を成就しない。』
   シラー

 何か、大きなことを行うとき、
もちろん、しっかりと考えて、計画を練り、
準備をしていくことは必要であるけれども
あまり熟慮していても、結局何も出来なくなって
しまうということですね。
つまり、必要最低限のことを考えればよいと
いうことでもあったりします。
または、実行してから考えるとか、
行いながら考えるということも必要ですし、
それで十分なものも多々あるということです。
何かを成し遂げる人は、熟慮するよりも
行動し強い意志をもって、成し遂げようと
突き進む人であることが多いということですね。
でも、もちろん考えることは大切です。
何事も、適正というか、ほどほどといった
見極めるところが、必要であり、
その見極めを誤ると、成功できなかったり
成し遂げられなかったりするということなのだと
いえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 13:34| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

わずかな金で満足すること、これもひとつの才能である。

『わずかな金で満足すること、これもひとつの才能である。』
   ジュール・ルナール

 才能とは何か、いろんな意見が
この社会には存在しています。
才能のひとつとして、捉えられるものに
満足をすることのできる感性があげられている
そんな言葉であったりします。
 少ないお金でも、そこに満足を感じられ
幸せな気持ちになることができること
それも、才能だというのです。
 どんなにお金を稼いでも、満足できない人や
少ないお金では、不満ばかりを感じる人に
対して、この言葉の示すような感性をもつことは
才能といえるのかもしれません。
 そして、才能は、人を幸せにする力が
あるということかもしれません。
 自分が幸せを感じていないのに、
他人を幸せには出来ないものです。
満足を感じること、そして、そこに幸せを感じること
それが出来る基準が、小さいことは、
とても素晴らしい才能であり、感性であると
いえるのではないでしょうか。
おそらく過去、聖人とか聖者と呼ばれた人には
この才能が必ず備わっていたのかもしれません。
 不満は、人から幸福を奪うものであるとも
いえるでしょう。
満足をどこで得られるのか、その違いは、
人生を歩むなかで、大きな差となるのかも
しれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 12:45| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月15日

知ることによって人間は人間らしさに至る。

『知ることによって人間は人間らしさに至る。』
   ハーフィス

 人が、人らしくなる。
人が成長していく、それは、人が生まれたとき
過去の人生の記憶を思い出すことがないから
この人生を最初から歩み出すことになるため
その心、霊性は、何もしらないところから
歩み出す、ゆえに、何でもどん欲に吸収していく
赤ちゃんの学びのどん欲さは、まさに、
知ることによって、人間らしくなっていく
そのための行動であるといえるだろう。
魂の記憶が封印されてしまうのは、
それを知ってしまうと、人生で学ぶことが
少なくなってしまうため、より多くの成長、
そしてカルマの解消をなしていくために
必要なことであるから、魂の器である心と身体は、
過去のものではなく、今回、今だけの存在である
ということの価値と意味が、そこにはあると
いえるでしょう。魂以外の部分については、
この人生は、一度きりのものであり、
繰り返すことのできない貴重で尊いものであると
いうことです。
学び、知り、経験し、心と身体は成長していく
そして、人生の歩みのなかで、人として育ち、
人としての深みをもっていく、
その過程のなかで、魂はカルマを解消し、
成長していく、心と身体と共に存在しながら、
どんな、人生も、たった一度のたったひとつだけの
大切で尊いものだということです。
だから、精一杯学び、生きていくことこそが
素晴らしいことであるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 08:27| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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