2010年04月30日

A弦が切れたら残りの3本の弦で演奏する、

『A弦が切れたら残りの3本の弦で演奏する、
 これが人生である。』
  ハリー・エマソン・フォスディック

 人生には、困難も障害もつきもの
そんなとき、結局は、あるがままに
生きていくしかない。ということを
喩えているといえるでしょう。
 切れた弦が、何であっても、
その後になすべきこと、出来ることに
大差はない、与えられた環境で、
自分自身のもっているもので、
歩んでいくしかないということです。
 状況から目を背けても、
何も変わらないし、好転することもない。
しっかりと、現実を、今を、見据えて
出来ること、すべきことを、
考えていくしかないでしょう。
もちろん、助けてくれる人、支えてくれる人が
いてくれたなら、幸いです。
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2010年04月29日

商品に確信あればこその宣伝

『商品に確信あればこその宣伝』
  松下幸之助

 宣伝するにあたっての
心根、心がけるべきことは、
商品への確信であるべきだと
それは、自信をもって送り出せるような
商品でないなら、宣伝などするなと
いうことです。
 商売をするものの、もっているべき
姿勢であるといえるでしょう。
しかし、商品への偽りの確信、欺瞞をもって
宣伝をしている人も、残念ながら
大勢いるようです。
騙して儲ける。騙された方がわるいのだ、
そんな心根で商売をする人がいるから
消費者は、被害に遭い続けるのだとも
いえるでしょう。
誇大広告、誘導広告、インチキ広告、
宣伝は、とにかく、買わせたもの勝ち、
そんな姿勢の人が、増えていることに
先人は、あきれているかもしれません・・・。
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2010年04月28日

世界の大偉業の大半は、

『世界の大偉業の大半は、
 もはやこれで絶望かと思われた時にも、
 なお仕事をやり続けた人々の手によって、
 成し遂げられた。』
   デール・カーネギー

 絶望という状況に追い込まれるということ
それは、まさに決断と勇気が必要とされる瞬間と
いえるのかもしれません。そのような状況において
正しい選択をしたならば、きっとその結果は
おおいなる偉業となるのでしょう。
どんな状況においてもあきらめずに続けていく
長い時間と苦労の積み重ねの上に、
歴史的な偉業の多くが出来上がっていると
いうことです。
 だとすると、現代社会においては、
偉業となるようなものは出にくいのかもしれません。
企業は、たったの3ヶ月の業績で評価され、
人は、一年足らずの業績で評価されてしまう。
そんな世の中では、偉業を成し遂げる環境が
ほとんどないということなのかもしれません。
今後100年以上も、後世に残るだろうもの
ここ100年に、いくつあったでしょうか。
世界遺産になりうるものが、
あたらに構築されにくい時代や社会、
もしかしたら、何か間違っているのかもしれません。
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2010年04月27日

悪法もまた法なり

『悪法もまた法なり』
   ソクラテス

 自らの言葉を書き残すことなく、自らの信念に
もとづいて、語り、教えをおこなっていた為に
権力者から睨まれ、
国家の神々を信ぜず青年を誤らせたという罪で
死刑宣告を受け投獄されてしまい。
その理不尽さに友人たちが、逃亡を進めたのに、
法に従うことを選び、毒杯をあおって、
ソクラテスが亡くなったのが、紀元前399年4月27日と
いうことです。享年70歳。
そんなことから、哲学の日ということに
なっているそうです。
 ソクラテスの行動は、イエスの行動に似ています。
イエスもまた、時の権力者によって、
罪をきせられ、死刑宣言を受け、ゴルゴダの丘で
磔になります。弟子たちが逃がそうとしたのを
拒み法に殉じたのです。
契約ということ、同意するということの重さを
図らずも、2人の偉人が示しています。

ハーバード白熱教室 「Justice」
http://www.nhk.or.jp/harvard/index.html
ハーバード大学
政治哲学のマイケル・サンデル教授の講義「ジャスティス」
http://athome.harvard.edu/programs/jmr/
のなかで、ジョン・ロックの思想が語られていますが、
その中で、同意というものについての考え方が
問われています。
自然法というものが、人の法の前にあり、
それによって守れた権利を人はもっている。
しかし、それを政府というものにゆだねたとき、
同意という契約のもとで、政府の行う行為に対して、
順ずることが必要となる。
政府が定めた法のもとに、人を裁くことができるのは
なぜなのか、そして、その法に従うことが
なぜ重要であるのか、ジョン・ロックよりも
はるか以前に、ソクラテスや、イエスが、
行動で示していることに、その回答が見えてきます。
国、社会の一員であるということの意味、
そして、そこで生じる義務というものの大切さ、
権利と義務、この関係性について、
ソクラテスの行動と、イエスの行動には、
重要な意味合いがあるということです。

 哲学について、考えることは、
論理的であり、理性的でなければなりません。
そして、この世の生物において、
唯一、人間だけが、論理的であり、理性的で
ありえる存在であるということの意味を
考えてみる必要があるでしょう。
その背後には、神の叡智があるということです。
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2010年04月26日

人の世に三智がある。

『人の世に三智がある。
 学んで得る智、人と交わって得る智、
 みずからの体験によって得る智がそれである。』
   島崎藤村

 智について、語られた言葉です。
自主学習、学校講演セミナーなど人からの学習、
そして、経験知。
学びのスタイルを3つ示しているわけです。
まさに、知恵とは、どうやって得るのかに
ついて、語っているといえるでしょう。
どの方法で、学ぶのが効率的かは、
人によってそれぞて異なっていることだと
おもいます。でも、ひとつだけの方法に
偏るのは、智の幅や深さを限定してしまうことに
なるかもしれません。
さまざまな方法で、学ぶことが大切であるように
おもいます。学校教育においても、
この3つの智をバランスよく得られるように
していくことが大切であるといえるでしょう。
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むずかしいことをやさしく

『むずかしいことをやさしく
 やさしいことをふかく
 ふかいことをゆかいに
 ゆかいなことをまじめに
 かくこと』
    井上ひさし

 作家、井上ひさしの伝えたかったこと
その想いを示す言葉です。
戦争の悲劇、広島、長崎の原爆、
沖縄の上陸戦、東京大空襲、
それを、どの様に伝えるのか、
戦争をしらない世代に、
知らなくても実感できるように
伝えていくことで、戦争のもつ無意味さ
哀しみ、苦しみ、愚かさ、悲劇、
それを忘れずにいることが、
戦争を起こさないことに繋がると
いうこと。
 原爆では、自分が死んだことも理解できず
逝ってしまった人たちがいるということ
原爆という言葉も知らず、
ピカっと光った瞬間に、皮膚が蒸発し、
息絶えてしまった人にとって、
その死の理不尽さは、もの凄いもので
あったはずなのです。
生き残って苦しみながら亡くなった人の
悲劇だけではない、悲劇があったことを
決して忘れてはいけないということ
そんな事実は、むずかしさ、深さ、をもって
いるものでもあります。
伝えること、その内容をわかってもらうために
何をどのように表現していくのか、
人によって、その方法はさまざまかも
しれません。
 表現者のもつべき姿勢、学ぶべきところが
あるようにおもいます。


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2010年04月25日

忍耐はどんな悩みにも利く名薬です。

『忍耐はどんな悩みにも利く名薬です。』
   プラウトゥス

 忍耐が、悩みにもきくという
ことだとおもいます。
そして、確かに、その通りです。
しかし、忍耐ばかりを発揮する状況が
続くようだと、名薬は、劇薬になり、
心身を壊してしまうことになるでしょう。
 忍耐は必要ですが、
それだけでは、何の解決にもならない
ということを、知っておくことも
重要であるといえるでしょう。
 また忍耐は、幼いころからの
生活のなかで、鍛えられ、身についていく
ものであったりします。
 子育ての大切なことのひとつに
忍耐をもたせてあげることが
あるといえるでしょう。
 親の責任は、本当に重いものだと
いえるかもしれません。
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2010年04月24日

おのれを責めて人を責むるな

『おのれを責めて人を責むるな』
   家康公御遺訓

 何事においても、まず自分を
責めることを厳にして、
他人を責めるには寛容であるべき
そのようにしていけば、
人からも尊敬され円満な人格者と
なれるだろうということです。

 この言葉、上司に感じて欲しい
そう思うひとが結構多かったり
するかもしれません。
確かに、今の社会、企業においては、
そんなことも多いのかもしれません。
 とはいっても、まずは、他人のこと
ではなく、自分自身のことを
改善していくことが大切です。
自分自身の成長のために、
この言葉を参考にしてみるのも
よいのではないでしょうか。
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2010年04月23日

商いは公のもの

『商いは公のもの』
  松下幸之助

 商い、商売は、私的なものと
思いがちかもしれません。
でも、商いは、お客さんあってのこと
そして、世間あってのこと、
つまり公があってのことだということ
なわけです。
 商いが公のものであるという
基準にだれもがたっていったなら、
商いによる犯罪や、悲しむ人を生み出すような
事故や事件は、もっと少なくなること
でしょう。CSRの重要さなどを謳っていても
その中身は私利私欲、企業利企業欲でしか
なかったりするものです。
公的なものとして、営む経営が
もっと重要であること、大切であることを
学び啓蒙し讃えていくことが、
必要であるということなのかもしれません。
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2010年04月22日

機会を逃すな!人生は全て機会である。

『機会を逃すな!人生は全て機会である。
 一番先頭を行く者は、やる気があり、
 思いきって実行する人間である。
 「安全第一」を守っていては、
 あまり遠くへボートを漕ぎ出せない。』
   デール・カーネギー

 人生の成功者といわれる人の多くが、
この言葉の姿勢をもって歩んでいたのだと
いえるかもしれません。
 遠慮するという言葉があります。
日本人の姿勢のひとつです。
でも、遠慮するのは、競合したときのこと
誰も言い出さないときには、率先して行うことを
日本人はしてきたのではないかと思います。
遠慮したり、控えるのは、いつなのか、
そのタイミングを間として、認識していたのが
本来の日本人であるといえるのではないでしょうか。
衝突よりも共存共栄を選ぶ民族であるという
ことが、言葉のなかに現れているのだと
いえるような気もします。
 安全第一だけでなく、虎穴に入ずんば虎児を得ず、
でもあるわけです。
 一番先頭を行くものだけが、
やる気があるわけではありません。
一番最後にいくものが、思い切って行動する
こともあるものです。
機会を逃すのは、一番先頭にいても
ある得ることです。機会を逃さないためには
いろんなことに注目し、関心をもって
目を配っていることが必要であったり
するわけです。
 猪突猛進にならないように
気を付けたいものでもあったりします・・・。
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2010年04月21日

人間の最上の財産は彼の足元にある。

『人間の最上の財産は彼の足元にある。』
  ホーソン

 あなたにとって、財産とは何ですか
そう問われたとき、どのように回答するでしょう
この言葉は、まさに、そんな問いに関しての
答えに対するヒントといえるのかもしれません。
財産のなかに、最上のものと、そうでもないもの
があるというのも、価値観や人生観で
大きく異なることでしょう。
人のもっとも重要な価値ある財産は、
その足元にある。
そう、もっとも身近にあるものこそが
もっとも最上の財産ということです。
そう、幸せの青い鳥と同じということですね。
 結局、財産の殆どが、この世のことでしか
なく、逝くときには持ってはいけないと
いうことです。持っていける財産を
どれだけ多くすることが出来るのか
それが、人生の充実度であると
いうことになるのでしょう。
自らの魂に、何が刻めるのか、
永久の財産は結局、そこにしかないと
いうことでしょう。
あとは、この世だけの泡沫のものだと
いうことですね。
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2010年04月20日

まだ若い まだまだできる

『まだ若い まだまだできる』
  松下幸之助

 生涯、現役。まさに、その先駆者のひとり
松下氏の言葉だといえるでしょう。
老齢社会になった日本、たしかに生涯、現役と
いう人が増えていってもよいのかもしれません。
昔は、自分自身で引退、隠居を決めていたわけです
今は、他人に決められてしまう。
それが、大きなストレスとなって、
自殺や病気といったことになってしまっている
部分は、間違いなくあるでしょう。
 しかし、その一方で、若者が就労機会を
失っているという問題がおきています。
労働環境の問題、就労機会の問題、
企業経営者、政治家に、突きつけられている
大きな課題であるはずですが、
真剣に考えている人は、少ないようです。
自分さえ良ければ構わない。
そういった考えの方が、多くなっているからだと
いえるのかもしれません。
ワークシェアリングのことを含めて、
労働のあり方を考えていく、見直していくべき
時代になっているのだということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 21:07| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月19日

われわれは、明日を思いわずらうことで

『われわれは、明日を思いわずらうことで
 今日の経済性を台無しにしてしまうことが
 あまりにも多い。』
   ジョン・メーソン・ブラウン

 明日のことを気にしすぎると、
今日のことが台無しになってしまう。
今、何をするのかということに集中しなさい
という言葉ですね。
今日のことが、しっかりできていないのに
明日のことを気にしても仕方がないということです。
明日どうしようと思う前に、
今日は何をすべきかと考えるべきだと
いうことです。
人の人生は、いつ終わるかわかりません。
一寸先は闇であるのです。
だから、まず今日のこと、現在のことについて
しっかりと、考えて行動することが
大切であるということです。
もちろん、長期計画や中期計画、明日なのするのか
といったことを考えることも大切です。
ただ、計画は変わる可能性のあるものであり、
今日のことに手が付かないほどの状況で
考え悩むようでは、問題があるということですね。
明日を思い煩うのは、今日のことがすっきりしてから・・・
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2010年04月18日

生き方次第で天命が変わる

『生き方次第で天命が変わる』
  松下幸之助

 天命とは、何か、
それによって、この言葉の持つ意味も
かわってくるといえるでしょう。
この世において、成すべき役割ということ
であれば、まさに、この言葉の通り
生き方次第で変わっていくことでしょう。
生き方によって、どのような事ができるのか
どんな機会が訪れるのか、
どんな出会いがあるのかが、変わっていきます
それによって、この社会で、
どんな役割が担えるのかが、変わっていくと
いうことになるでしょう。
まさに。生き方で、人生のある方は
変わり得るということです。
さて、しかし天命を生まれるときに
決められたものとしたら、
変わることはないということです。
そう、逝く日は覚えていないだけで
既に決められていて、変わることはない。
いつ逝くことになっても後悔することの
ないように今を大切に生きることが
とても重要なことなのかも・・・・
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2010年04月17日

人を幸福にするものは、

『人を幸福にするものは、
 どれだけたくさんのものを
 持っているかということではなく、
 手持ちのものをどんな風に楽しむかということである。』
  チャールズ・H・スパージョン

 どれだけたくさんのものを
もっていても、人は幸福になれるわけではなく
人を幸福にできるわけでもない
いま、もっているもの、自分のなかにあるもの
それをつかって、今を精一杯生きること
そして、楽しむことでこそ
幸せを感じることができるのだと
いうことですね。
 幸せは、今ある自分を認めてあげること
自分自身に存在価値があることを知り
今の自分を好きになってあげること
そこからはじまるものだということ
なのだといえるでしょう。
物質的豊かさ、物持ち、富は、
幸せや人生のゆたかさとは関係ないと
いうことなのだといえるのでしょう
posted by 清水の伏竜. at 09:54| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月16日

人間は常に時間が足りないとこぼしながら、

『人間は常に時間が足りないとこぼしながら、
 まるで時間が無限にあるかのように、振舞う。』
   セネカ

 日々の過ごし方、時間をどれだけ
有効に利用しているのか、振り返ってみると
反省しきりということになりそうです。
この言葉は、時間があればという想いを
多くの人がもってはいても、
時間をより大事に、有効に使う努力をしていない
無駄に使っていて、時間は無限にあるように
振舞っているものだという指摘です。
 実際、時間を極限まで、有効に利用すると
いうことを実践している人は稀でしょう。
時間が無限にあるかのように、
ゆったりと過ごしている人の方が多いのでは
ないでしょうか。
 しかし、時間が足りないといって、
ゆったりとせずに、忙しくしていることが
幸せなのか、充実しているといえるのか、
と問われたら、Yesと即答するのを躊躇う人の方が
多いかもしれません。
 たしかに、人生は有限であり、
この世で、今回の人生を歩める時間は限られています。
しかも、そんなに長いということではないかもしれません。
でも、のんびりとしたり、ぼーっとしたり、
睡眠をとったり、休んだり、して過ごす時間は、
無駄な時間であるとはいえないでしょう。
そんな中から、大きな発見や気付きもあったりするからです。
 また、健康という面でも、忙しくすることが
必ずしもよいとは限りません。
人には、人それぞれのペースというものがあり、
その人のペースで生きているといえるからです。
そのペースを無理に他人に合わせようとするから
ストレスとなり、心の病となってしまうといえるでしょう。
 誰かが、そうしているから、そうするべきだ。
この言葉は、甘い罠なのかもしれません。
自分で決断せず、他人任せにするのは楽です。
でも、そうすることで、自分のペースが狂って
おかしくなってしまうかもしれません。
 どんなペースで生きるのか、
どんな感じで、人生を歩んでいくのか、
誰かの真似ではない、自分自身の生き方を
見出すことが大切なのだということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 17:46| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月15日

殿様セールスとは、お客に横柄にすることではなく、

『殿様セールスとは、お客に横柄にすることではなく、
 平等な関係を構築するための心の持ちかた』
             神田昌典

『殿様セールスの本質は、お客に対して中立に、
 平等に振舞うこと。お客に対して、会社は奴隷であるという
 位置づけを脱して、平等な友達としての位置付けを回復する。
 お客と友人であるということは、相手を平等・公平に扱い、
 相手を尊敬し、相手からも尊敬される取引をすることだ。』 
      〜神田昌典365日語録より

 この言葉をみたとき、実は感じたことは、この意味とは
まったく別のことでした。
それは、言葉の定義の曖昧さと定義によって多種多様の意味と
なりえる言葉の危うさでした。
 殿様セールスという言葉を聞いたとき、
神田氏のような事を思い描く方もいらっしゃることでしょう。
しかし、殿様セールスとは、傲慢で高飛車なセールスだと
思う人もいることでしょう。
また、殿様とは、売り手のことなのか、買い手のことなのか
その認識も異なる人が出てくるとおもいます。
 つまり、定義の仕方によって、この言葉は全く別の意味を
もつものになってしまうということです。
 そして、ある意味が正しいと思った人にとっては、
他の意味は、勘違いであり、間違った解釈であると
いうことになってしまいます。
 でも、それは本当に正しいのでしょうか。
全く異なる視点と価値観があったとき、ひとつの言葉について
まったく違った解釈や定義の成されることは、当たり前のように
あることだといえるのではないでしょうか。
そして、それは、どちらの解釈が間違いであると言えるような
ものではない。ということになるでしょう。
 これは、書き残された数多くの言葉について、
発生してきたことであり、今後も発生していくことでしょう。
言葉の解釈は、その言葉を捉えるものの持っている知恵、知識、
経験、価値観などによって、変化しうるということです。
直接、語り合うなかで、伝えられるものは、
言葉以外のやりとりもあることから、正しく伝えられるでしょう。
しかし、言葉だけが伝わる環境では、
その言葉を残した人の意図が、そのまま読み手、聞き手に
伝わるとは限らないということです。
 イエス様、お釈迦様、ソクラテスといった人は、
書き物を残しませんでした。それは自分の意図が正しく伝わらない
ことがあることを知っていたからであるように感じます。
本当の意図は、直接、間近で伝えられなければ、
正しく伝わらないということです。
もちろん、記録として残すこと、記憶を補完するために
書き物や録音を残すことは意味のあることだとおもいます。
しかし、残したものについては、残した本人の意図とは
無関係に、読み解かれ解釈されてしまうかもしれないという
リスクが存在していることも間違いのないことだといえるでしょう。
逆に言えば、過去の書物などを読み解くとき、
本当の意図を読み解けるかどうかは、実はわからないという
ことでもあるということです。正しいそうに解説されているものも
本当は間違っているかもしれないということなのです。
読み手に求められる経験値の高さが高いものであればあるほど
多様で多彩な解釈がされていくのであろうとおもいます。
そして、そのどれが正しいのかは、永遠に決めることは
出来ないものであるといえるのかもしれません。
であれば、読み手は、より良き方向への解釈を是としていく
利己心ではなく利他心で、読み解くことが大切なのかなと
感じます。
(でも、神の叡智をつかって読み解くのがもっとも確実ですが・・・)
posted by 清水の伏竜. at 13:29| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

共存共栄こそ真の繁栄

『共存共栄こそ真の繁栄』
  松下幸之助

 共存共栄、それが、本当の意味での
繁栄であるということです。
では、何が共存し、共栄するのでしょうか。
人、家庭、地域、企業、自治体、国、・・・
共存しているものは、いろいろあります。
同じ時代、同じ地球という惑星の上に
存在しているものは、みな共存していると
いえるでしょう。
しかし、ときとして、共存を否定する行動が
成されることがあります。
それが、戦争であり、殺害であり、環境破壊で
あるということでしょう。
つまり、共存を脅かすようなことはしないことが
必要であるということです。
さらに、共存するだけではダメで、
共に栄えていかなければいけないというのです。
残念ながら、共栄は、まず実現されていません。
企業においても、社会においても、国においても
男女差別、学歴差別、人種差別、障害差別、
職種差別、雇用形態差別、・・・・・
いろんな差別があり、機会ですら均等ではないのが
現実の社会の実情です。
もちろん、差別されても仕方のないことや
ものも存在しています。役割として、成せることとして
同じには出来ないものもあるからです。
しかし、同じように出来るものの多くが、
差別されているということになります。
 真の繁栄は、現状のままでは、
訪れることはないということです。
しかし、理想を抱き続けることは大切です。
今は不可能にみえる繁栄ではあっても、
夢も描けなくなってしまっては、近づくことも
できません。
 真の繁栄に向けて、共存と共栄、
出来る部分からでも、改革、改善していくことが
必要であるということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:25| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月14日

五省 〜 日本が見直すべき先人の教え

「五省(ごせい)」

一、至誠(しせい)に悖(もと)る勿かりしか
  (真心に反する処はなかったか)

一、言行に恥づる勿かりしか
  (言行に恥ずかしい処はなかったか)

一、気力に欠くる勿かりしか
  (気力に欠いてはいなかったか、精神力は十分であったか)

一、努力に憾(うら)み勿かりしか
  (努力不足ではなかったか)

一、不精に亘(わた)る勿かりしか
  (最後まで十分に取組んだか、不精になってはいなかったか)



 戦前のエリートといえば、
海軍士官学校ということになります。
日本人は、この1世紀あまりのなかで、
非常に大きな変化を迎えてきました。
そのなかで、守るべきものを守れずに
失ってしまった、見失ってしまった為に
ダメになっていった部分があるといえるでしょう。
戦後還暦を過ぎ、今一度、日本の特徴ともいえるもの
日本だからこそのもの、日本の心と文化の
神髄というべき、
1000年以上に及ぶ歴史のなかで培ってきた
魂ともいうべきものを、
見直し、取り戻していくための歩みを
進める必要があるように感じます。
 そんな中の大きなひとつが、教育のあり方で
あるようにおもいます。
この、五省は、まさに今の学校に必要な
心ではないでしょうか。
 世界に通じる国際人としての日本人を
育てるのであれば、まず日本人として
日本の文化と心を知り、日本を誇れる人間になること
そして、日本のことを外国の人に語れること
それが基本ベースで必須であるといえるでしょう。
あまりにも欧米化を急ぐなかで、
欧米のまねが何でもよいという誤解と過ちを
繰り返してきたのが、明治以後、そして戦後の
姿の一面であったといえます。
 まず、日本の心と文化を、振り返り、
間違っていなかったものをきちんと評価し、
取り入れていくことが、必要なのだといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:48| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月13日

金運がないと思ったら、物価が安い国にいってみよう。

『金運がないと思ったら、物価が安い国にいってみよう。
 あなたは年収300万円でも、富裕層の仲間入りだ
 (つまり・・・金運がないというのは、幻想にすぎない)』
        神田昌典365日語録より

 神田昌典氏によると
『お金とは相対的なもの。
 自分の尺度で考えるのは間違い。
 「私は金運がない」と、諦める必要はない。
 日本にいるあなたは、富裕中の富裕。
 だから、生まれながらにして金運はいい。』
ということだそうです。

 この言葉で、思ったことは、お金とは何なのか
ということでした。
そもそも、お金が生まれた理由は、物々交換で
ものをやりとりするのが大変であるから、
物の変わりをするものを決めて、それを使って、
やりとりをしようというところから来ているわけです。
1対1の取引でなく、複数の人をまたがっての取引も
容易になっていくことになり、経済というものが
生まれてきたといえるかもしれません。
昔は、やはり、そうはいっても、価値のあるものを
仲介にしたかったので、宝石や貴金属などが
もちいられてきて、契約というものが、書面になると
書面が貨幣のような役割をしたわけです。
手形、証文ですね。持ち運びが便利なものが好まれたので
胡椒とか、砂金とか、
やがて、金貨、銀貨、銅貨といった貨幣が生まれて
紙幣というものが、出るようになっていったわけです。
紙幣は、信用でなりたつものですから、当初は金本位制で
あったわけですが、やがて、通貨として、数字と単位が
一人歩きしていくことになり、現在に至っていると
いうことになるのでしょうか。
まあ、いろいろと違っていても、大雑把にいってしまえば、
そんな感じでしょう。
日本にいて、その財産で、海外に行くと富裕層になるのは
為替という仕組みがあるからに過ぎなかったりもします。
もし、物物交換しか通じなくなったら、
ぜんぜん富裕層ではないということになるでしょう。
なぜなら、お金そのものには、何の価値もないからです。
お金についている信用に価値があるのであって、
お金はただの紙切れです。綺麗な印刷物かもしれませんが
1枚あれば充分ということになってしまうでしょう。
電子マネーになればみえないのですから、
物物交換ではまったく価値ゼロです。
1兆円あっても、パン一欠片も得られないでしょう。
物の価値が、いかに世間や社会の体制や仕組みに
依存するものであるのかということなのかもしれません。
どんな社会であっても通用するものは、
目に見える物質であり、役に立つ知恵であると
いうことでしょう。
マーケティングは、マーケットがなくなれば無価値ですし
コピーライティングも、コピーの必要ない世界では無価値です。
農作物を育てる技術、道具を作る技術は、どんな状況に
なっても役に立ちます。
その視点で、価値をみたとき、今の世界における価値は
その殆どが、仮想的なものでしかないということになるのかも
しれません。
未開の無人島に行って、役に立つものを、身につけているのか?
ということを問われたとき、Yesと答えられる人は、
富裕層にはいないのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 12:52| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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