2010年03月31日

信念は変わらないからこそ信念である

「信念は変わらないからこそ信念である」

 ネガティブな信念という言葉を使っているのを
みかけました。
その言葉をみたとき、おもったのは、
それは、信念ではないでしょう。ということでした。
信念は変えられるという人がいます。
しかし、変えられるようなものは信念ではないでしょう。
 信念という言葉を、どのように定義して
解釈するのかに、実は大きな差があったりするのです。
この差に気が付かないでいると、誇大広告に
引っかかることになるかもしれません。
 そもそも信念とは何なのでしょう。
信念とは、誰でも持っているものなのでしょうか。
私の答えは、信念は、誰もがもっているものではないと
いうことです。
信念を持てる人は、行動に迷いがありません。
そして、心が惑うこともないし、ぶれることもないと
いえるでしょう。
おそらく、多くの人が信念を持ち得ないまま、
人生を歩んでいくのだとおもいます。
 価値観や、人生観、結婚観や、金銭観、など
自分の想いを持つことは、誰もが出来ることです。
そして、そんな想いには、時にはネガティブなものも
あったりします。また、環境や経験によって
変化していきます。
そんな想いのレベルのことを、信念と言う人もいます。
そんな信念であれば、ネガティブなものもあるでしょうし
変えることも簡単にできるでしょう。
しかし、本当の意味では信念ではないといえるでしょう。
信念は、心の奥底から根付いて、どんな外圧があっても
動くことのないものであるはずなのです。
拷問を受けようと、命を落とすことになろうと
変わらないもの、それが信念であるのです。
信念をもった人は、他人がどのようなことを言おうと
影響されることはありません。
そして、そんな信念を変えるということは、
容易いことではないといえるでしょう。
まさに一度死ぬことに等しいことであるからです。
信念をもって活きている人は、非常に少ないといえるでしょう。
信念をもって活きることのできる人は、
人生に迷いなく、惑うこともなく、信念に従った道を
ひたすらに歩んでいくだけであるといえるでしょう。
真の信念は、単なるマインドセットではなく、
命の根源に、心の根底に、ずっしりと深く根付いたもので
あるということです。
うわべの信念は、いくらでも持てますし、
簡単に変えられます。
でも、そのレベルでも動くものが確かにあったりしますし、
人生に影響を与えたりもします。
軽い意味での信念は、単なる人の想いといった方が
よいかもしれません。
または、夢とか、感覚とか、マインドセットというべき
かもしれません。
それは、簡単に持つことができたりするものですし、
簡単に、もってしまっているものでもあったりします。
もちろん、夢やマインドセットを持つことも
大変なことであったりします。
でも、信念を持つことよりは簡単であるといえるでしょう。
マインドセットを変えることは、可能ですし、
変えることで、行動や人生も変わることは確かです。
夢を持つことも可能ですし、夢は人生のなかで変わることも
あったりします。夢はビジョンと繋がっていたりもしますから。
そういったものを信念と称する人もいらっしゃるでしょう。
しかし、人生を本当の意味で動かす信念とはいえないでしょう。
真の信念を、持てたなら、人生は迷うことなく
歩みきることができるのだといえるでしょう。
自殺するひとには信念はないということです。
価値観や、人生観、死生観なども、信念となるには
なかなか大変なことであるといえるでしょう。

軽い意味の安易な信念もどきは、簡単にもてますし
多くの人が語る信念とは、そんなものであるのかもしれません。

では、信念とは何か、
十字架に磔になっても変わることのなかったイエスさまのもっていた
ものであり、死刑になっても変わることのなかったソクラテスが
もっていたものであるということです。
残念ながら、私には、まだ信念といえるレベルのものは
持ち得ていません。もどきレベルであれば持っています。
価値観や死生観については、不動心ともいえるレベルで
持っているといえるかもしれません。
しかし、まだ信念というレベルには達しているとはいえません。
なぜなら、今の生活を捨ててまで、それに従って歩みだせるものとは
なっていないからです。
お釈迦様は、家族も王家の暮らしも捨て去り出家しました。
そのレベルの想いでなければ信念とは言えないでしょう。
真の信念を持つことは、人生の究極の目標なのかもしれません。
なぜなら、それが持てたなら、その後の人生の歩みに
なんの不満も不平もなく、ひたすらに歩んでいけるように
なるといえるでしょうから。
posted by 清水の伏竜. at 09:19| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月30日

学び続ける人は、たとえその人が80才でも若いと言える。

『学び続ける人は、たとえその人が80才でも若いと言える。
 逆に、学ぶことをやめた人は、20才でも年老いている。
 人生で最も素晴らしいことは
 心をいつまでも若く保つということだ。』
   ヘンリー・フォード

 若さとは何か、
それは、年齢ではないということです。
心の状態であり、精神の状態であると
いうことですね。
人生を、充実したかたちで終えるのに
どうすればよいのか、
ピンピンコロリがよいのでしょうけど
その為には、どう日々を過ごしていくのか、
やはり常に学び続けること、
いろんなものに好奇心をもって、
活動していくことが、大切であるということです。
学ぶというのは、勉強をするということでは
ありません。芸術やスポーツを楽しむこと
仕事に没頭すること、子育てをすること
家族で楽しいときを過ごすこと、
先祖を供養すること、街を綺麗にすること
自然を愛でること、みんな学ぶことでも
あるということです。
 じっとして、何も考えずにいる
自分のなかで、ぐるぐるまわっているだけ
そんな状態で、外から何かを得ようとしないこと
まさに廃人であるといえるかもしれませんし
呆けているということになるのかもしれません。
 人生を満喫するということは、
心をいつまでも若く保って、
いろんなことを学びながら、生活を楽しむこと
そういうことなのだといえるのかもしれませんね。
私の好きな言葉も、まさにこの言葉と
通じるものであったりします
「一生勉強、一生青春」
posted by 清水の伏竜. at 13:06| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Morte alla Francia Italia anela

「Morte alla Francia Italia anela
 (フランス人に死を、これがイタリアの叫び)」

 この合い言葉の頭文字をとると
「Mafia (マフィア)」です。
1282年3月30日に、フランス領であったシチリア島で、
「シチリアの晩鐘事件」があったときの合い言葉が、
マフィアの語源となったそうです。
 マフィアの映画といえば、アカデミー賞に輝く
「ゴッド・ファーザー」が有名ですね。


現在放送中のアニメ「家庭教師ヒットマンREBORN!」も
マフィアに関連した作品であったりします。


血の繋がりの意味、共に生きるという意味、
親族の意味、争いの意味、・・・・
いろいろと、考えてみるのに、
よいものでもあるのかもしれません。
日本にも、任侠、やくざ、暴力団といった
ものがあったりします。
同じ様な組織であっても、本質が違っていることがある
レッテル貼りで、全てを判断すべきではないと
いうことも示唆するものであるかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 07:56| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月29日

幸福を得る唯一の道は、幸福ということを忘れ、

『幸福を得る唯一の道は、幸福ということを忘れ、
 それ以外の目的を人生の目的とするにある。』
   J・S・ミル

 人生の目的を幸福になりたいとしたら
幸福にはなれないということですね。
人にとっての幸福とは何か、それは人それぞれの
価値観や人生観によって異なるものだといえるでしょう。
幸福とは、ある意味で結果であって、
目標にはなり得ないということなのかもしれません。
人生の目標があり、それに向かって精一杯生きていれば
それ自体が幸福であるということになるとも
いえるのではないでしょうか。
生きる喜びを感じられること、
愛する喜びを感じられること、
そんな状態が、幸福なのかもしれません。
ゆえに、幸福は目標にはなり得ない。
幸福であることは感じ方で変わるということでも
あるといえるでしょう。
幸せの青い鳥は、すぐ側に存在していても
見えない人には、その存在はわからないということです。
逃げてしまって、はじめてわかるということでも
あるのかもしれません。
 幸福になろうとおもうのではなく、
夢を持とう、人生の目標を描こうと、思っていくことが
重要なのだといえるのでしょう。
人生の目標、夢がはっきりして、
それに向かって歩み出せたら、
もう、幸福な状態であるといえるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 12:30| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月28日

危機を目の前にすると、気骨ある人は自分を拠点にたたかう。

『危機を目の前にすると、
 気骨ある人は自分を拠点にたたかう。
 彼は作戦命令を自分で発し、
 自ら指揮をとる。
 困難は気骨ある人の心をとらえる。
 それをしっかり抱きしめることにより、
 自分の真の姿を自覚するからだ。』
   ド・ゴール

 気骨ある人、それは、どんな人でしょう。
危機が、目の前に現れたときに、
その危機に目を背けず、逃げず、他人任せに
しないで、自分自身の問題として、
自分自身に向けて、すべきことを考え、
自分自身に向けて、すべきことを指示し
それを実行できる人だということです。
そして、そんな人にとっては、
困難も、チャンスとして、抱き、
自分の成長の糧とし、
自分自身を知る機会と思えるわけです。
 どんなことも、それは自分の成長の為に
与えられたことであり、それに向き合うことで
自分は成長していけるということ
困難も危機も、人それぞれに異なるもの
大きさも、期間も、訪れるタイミングも
そして、それをどう感じるのかのも
人によって異なるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 19:29| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

炎の乙女は命を守る

炎の乙女は命を守る

ずっと昔、世界が今みたいに成る前のこと
世界に罰を与えるために、神様が使わされた天使は
傷つき西の果ての街で翼を休めてました
そんな天使を助けたのは、
果ての街の砦に住んでいた乙女たちでした
自分たちを滅ぼすはずのもの
けれど傷ついたその姿を哀れに思った乙女たちは
巨大な蜘蛛の力をかりて
天使を谷の底に匿います
乙女たちはあふれ出る血をおさえるために
順番に天使の首を抱き続けました
そして、天使はそのお礼に
乙女に金の角笛を授けます
けれど、やがて街の人々は天使の存在に気づき
谷底に火を放ちます
乙女たちは炎にまかれ
天使は首を落とされて息絶えてしまいました
そんな時、ついに天使の軍勢が現れ
街の空を覆い尽くします
けれど、どうしたことでしょう
突然高らかな空の音が響くと
天使たちが去っていきます
人々の命を救ったのは
最後の乙女が自分の命と引き替えに鳴らした
金の角笛の音だったのでした

 アニメ「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」
 第壱拾弐話 蒼穹ニ響ケ より
http://www.sorawoto.com/



戦火がまさにきられようとするとき
カナタは、あの曲を奏でます
蜘蛛の背に立ち、のぼりくる日の光を背負い
高らかに、ラッパの音を響かせます
それは、炎の乙女の金の角笛の音であったのでしょう
かけつけるリオ。
講和はなり、戦火は灯ることなく幕をおろします。
喜ぶ兵士たち、
そう、誰も戦いたいとは思っていなかったのです。



人は、これまで、数多くの戦をし、
戦争の歴史を刻んできました、
でも、そんな戦争のなかで死に逝く兵士たち
戦争に巻き込まれて傷つく市民たち
だれも、戦いなど好きではないはずなのです。
この物語は、そんなメッセージを
神話と砦の乙女たちを通じて伝えてくれて
いると言えるかも知れません。
posted by 清水の伏竜. at 08:59| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仏舎を作り、仏像及び経を置き、礼拝供養せよ

『仏舎を作り、仏像及び経を置き、礼拝供養せよ』
    天武天皇 〜日本書記

 686年3月27日、天武天皇の勅令として
出された言葉が、施行されたそうです。
その言葉が、仏を祀る場をつくって、
祈り供養をするようにということであったとのこと
それで、仏壇の日ということにもなっているようです。
 仏壇は、仏を祀る祭壇です。
神棚は、神を祀る祭壇です。
日本の家屋には、その両方があったりするのが
600年代から、当たり前になっていたということでも
あるといえるのかもしれません。
 神道は、自然の精霊たちを神として祀ったり
したものであるので、創造の神としてのイザナミや
イザナギもあるとはいえ、自然すべてを神にして
この世での自然と調和して暮らしていくための
生活の知恵の中から出てきた部分もあったりすると
いるのかもしれません。
エンティティやフェアリー、物の怪、妖怪など
神と間違えるようなもの、この世でより快適に
暮らすために仲良くしていった方がよいものを
大切にしていくためといった部分でもあると
いえるでしょう。
 仏教は、もともとはインドから伝来してきた
神の教えではあるものの、伝来のなかで、
変遷をしていき、変化して日本に伝わったもので
あるといえます。仏壇は、仏を祀るものであって
先祖を祀っているわけではなく、礼拝するのは
神=仏に対してであり、供養とは、神=仏に
供物を捧げて、お願いすることであるわけです。
お願いするのは、先祖の霊が、よき転生を出来る
ようにということ、それは今生きているのが
先祖があってのことであり、感謝をし子孫のことを
心配せずに、転生して下さいということで
あるわけです。
 神仏を祀る国と民が大和の国であったと
いうことですが、昔は、仏教の教えを守るようにと
肉食を禁止する勅令が出たり、死刑もなくしたりと
いったことがあったわけです。
そんな良き日本の過去から、現代は学ぶべきことが
実は、数多くあるのではないかとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 05:09| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月26日

過去から学び、今日のために生き、未来に希望を持て。

『過去から学び、今日のために生き、未来に希望を持て。
 大切なことは、何も疑問を持たない状態に
 陥らないことである。』
  アインシュタイン

 温故知新、過去から学び、未来を知るとも
いえるでしょうか。人は、今を生きているのであって
過去を生きているのでもなく、未来を生きているのでもない
そして、今を生きるなかで、いろんなものに
いろんなことに、関心をもって、
そして、何故だろう、どうしてだろうと
疑問をもちながら、問いかけながら、
真理を求めていく、
何の疑問も持たずに、今に満足して、
ただ生きるのでは、何の進歩もない
そんな状態に陥ってしまっては、
おもしろくない人生になってしまうでしょう。
 人生を、より充実したものにするために、
学び、生き、希望を持つことが
とても大切であるということですね。
posted by 清水の伏竜. at 05:45| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

どんな職業につこうと、成功に向かう第一歩は、

『どんな職業につこうと、成功に向かう第一歩は、
 その職業に興味を持つことだ。』
  ウィリアム・オスラー

 その職業で、成功するには、
その職業が好きになれなくてはダメです。
好きになるためには、まず興味を持たなければ
はじまりません。
 最近の就職難、新卒でも、就職できずに
卒業して無職という状況になってしまい。
次の年は既に新卒扱いでなくなるために、
更に就職が難しくなってしまうという状況が生まれて
います。まさに、企業と社会はフリーターを製造している
時代になっていると言えるでしょう。
バブル期の自ら選んでフリーターになったのとは
違ったフリーターが増えているということです。
 企業は、日本人よりも外国人を雇う方向にも
あるようです。国内に不労者が増加しても構わないと
いうことでしょう。CSRが大切だと言いながらも
根本的な就労という点では、まったく違ったことに
なっているということでもあったりします。
 さて、職業選択の自由はもはや無いという時代に
なって、とにかく就職するということ、不労者に
ならないために就職することに多くの人がなっている時代に
あって、職業について、成功することは、
難しいことになってきているのかもしれません。
まず、興味を持つことからはじめることが必要ですが
就労できたことで安心してしまうという学生も
多くなっているのではないでしょうか、
つまり、就活に精力を使い果たしてしまっていると
いうことです。
 ともあれ、まずは興味をもって、とにかく一生懸命に
働いてみることが大切です。
しかし、どうしてもあわないようであれば、
やはり転職すべきだともいえるでしょう。
3年、5年、7年、10年、15年、20年、25年、
職場に尽くしても、多くの職場が、
今は何の見返りもない時代です。
きちんと社員を人材ではなく人財として扱ってくれる
企業は、非常に稀です。そんな企業に就職できた人は
幸運であるといえるでしょう。
使い捨てられるケースの方が多かったりします。
人生のなかで、仕事とは何なのか、
やはり、人生をまっとうして逝くときに後悔しないように
するためには、考えておく必要があるかもしれません。
 最近、そのことを痛感させられることが
多くあったりします。
興味のもてる職業につけたら、本当に幸せなのだと
いえるでしょう。
でも、とにかく、自己暗示にかけてでも
興味をもってみること、そこからはじめなければ
続かないし、苦しくなっていってしまうでしょう。
多くの企業と経営者は、冷たい社会であるというのが
現実であるのですから。
posted by 清水の伏竜. at 01:46| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

勝つことばかり知って

『勝つことばかり知って
 負くることを知らざれば
 害その身にいたる』
   家康公御遺訓

 人生は勝負の社会であるが
常に勝ってばかりいて、
負けることを知らないようでは
心に驕りをもって身を滅ぼすことに
なってしまうかもしれない。
負けるは勝ちの真理を学ぶことが
大切であるということです。

 人生において、いろんなことがあるなかで
苦労を体験したかどうかは、実は人生に
おおきな影響を与えていたりします。
多くの成功者が、人生のどん底を体験し
そこから這い上がって成功しているという
話しを語っています。失敗や辛いことなどが
その人の意気込みや心の強さになっていると
いうことなのだといえるでしょう。
逆境をどれだけ経験したかが、
何かに立ち向かうときの強さになると
いうことでしょう。
また、負けを糧にできるかどうかも、
その後の人生に大きな変化を与えることに
なるといえるでしょう。
人生は、魂の成長のためにあるものです。
成長のためには、試練は避けては通れないもので
あるのです。つまり、どんな人でも、
大小や長短の違いがあっても、試練に出会うもの
であるということです。
勝ち続ける人生も、実は油断や慢心などを
しないのかといった試練があるといえるのかも
しれません。カルマを減らし、徳分を増やすことの
出来るような歩み、行動をしていけるのか、
どんな些細なことも、人生におけるその人の
選択、判断に委ねられた試練ともいえると
いうことです・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 08:04| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

卒業の 門出を祝う さくら雨

「卒業の 門出を祝う さくら雨」

 卒業式の季節です。
ひとつの学舎から、巣立ち、
次のステップに進んでいくとき
卒業生にとっては、ひとつの節目であると
いえるでしょう。
そして、送る在校生にとっても、
先輩のあとを受けて、成長していく
節目といえるかもしれません。
 卒業シーズンには、卒業式に
似合う歌が、昔からいろいろ歌われています。
最近の歌のひとつに、桜ノ雨という曲があります。
とても素敵な歌です。

桜ノ雨


posted by 清水の伏竜. at 21:13| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

利他的な努力は風化しない

『利他的な努力は風化しない』
     村上龍 〜カンブリア宮殿

 ロングセラーSPでの言葉です。
ゲストは、
亀田製菓社長 田中通泰氏
亀の子束子西尾商店社長 西尾松二郎氏
でした。
「柿の種」と
「亀の子束子」
このロングセラーの誕生について
やはり、そこにあったのは。
儲けようとかということではなく
お客様のために、より良いものをという
利他心であったということです。
紹介されたロングセラーには、
スーパーカブもありました。

 ロングセラーを生み出すような
努力は、風化することなく
いつまでも息づいていくものであると
いうことです。
面白いことに、ロングセラーって
エコ的な商品でもあったりします。
良いものは、普通にエコだったりする
それは、やはり使う人のことを
考えてつくられたものだからと
いうことなのだといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:46| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月22日

音は響く、音は響いて、そして伝わるから

『音は響く、音は響いて、そして伝わるから』
    リオ&カナタ
     〜アニメ「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト」
     第十話 旅立チ・初雪ノ頃
     http://www.sorawoto.com/

 音楽によって、繋がれる絆。
出会いと、繋がり、ひとつの音が
互いの心に響き会って、気持ちが
ひとつになっていく。
 音楽のもつ魅力と、素敵な力を
物語は描いてくれています。
 2人のそれぞれの出会いと想い、
そして、今ある場所にいること
そのなかでの繋がりに、同じ人の
奏でる音があったということ。
その音が、機会となり、歩む道が
かわったカナタには、まさに出会いは
不思議な縁となっていると感じられ
その絆をとても大切なものとして
守っていきたいとおもい。
旅立つリオを見送るのだった。
別れても、絆は切れることはない。
心の中にある音は、伝わるものだから。


posted by 清水の伏竜. at 23:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

まず第一に、どういう商品をつくり出せば

『まず第一に、どういう商品をつくり出せば
 多くの人に喜んでもらえるか。
 つまり売れる商品、儲かる商品を考える前に、
 社会への貢献を考えるのだ。』
  樫尾忠雄

 社会貢献を考える。最近の企業が見失って
いることなのかもしれません。
利益優先主義、売り上げ優先主義に、
進んできてしまっているのかもしれません。
 人財でなく人材として、社員も切り、
給与も削減してきて、でも赤字ではないし、
幹部は高給のまま、そんな企業の多いことも
まさに、社会貢献を忘れていることの実体で
あるのかもしれません。
 喜んでもらう必要などない
欲しがってもらえて買わせれば勝ちという
姿勢で生み出された商品が、ゴミとなって、
環境に負荷をかけてきたともいえるでしょう。
 しかし、これは売る方だけでなく、
買う方にも責任はあるといえます。
安ければいいという消費者の行動が
生みだしてきたものだともいえるからです。
 安全、安心を、求めるのであれば、
ものの価値、価格についても、
きちんとした見極めのできる目が、
消費者にも求められているといえるでしょう。
 消費者庁には、ぜひ消費者教育の活動も
力をいれていって欲しいとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 09:44| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

私は私のもの、私のただ一つのもの、

『私は私のもの、私のただ一つのもの、
 私は私自身を何者にも代え難く
 愛することから始めねばならない。』
  有島武郎

 自分という存在の価値。
それを、どう見出し、自覚できるのか。
まず、何よりも、自分が、自分自身を
愛してあげることからはじめないと
いけないということです。
自分の存在を否定してはダメなのです。
人は、悩み、追いつめられたとき
自分は必要ない存在ではないのかと
思ってしまいます。
自分は、いない方がよいと思いこみ、
誤った選択にはしってしまうのです。
でも、本当は、いない方がよい人など
誰もいないのです。
いない方がよい人は、もともと存在などせず
生まれてもこないということです。
生まれてきたこと、今いることが
既に存在価値があるという証明であると
いうことです。
その価値ある自分を、まず自分が認めて
あげることが大切だということです。
他のだれもが認めなくても、自分は自分を
認めてる、愛している、他に代わるものなど
ないこの世に唯一無二の存在なのだと
その事実は疑いようもないことであると
認識することが大切だということですね。
posted by 清水の伏竜. at 09:08| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

うんと熱中せよ。熱中は熱中を生む。

『うんと熱中せよ。熱中は熱中を生む。』
  ラッセル・H・コンウェル

 BSの番組、熱中夜話が、2年間の放送を経て
終了しました。最終回では、それまでに登場した
まさに、熱中人の中から、いろんなベストを
司会の2人が選んで紹介しながら、番組を振るかえる
というものでした。
http://www.nhk.or.jp/nettyu/
 いろんな事に、熱中している人がいて、
それぞれに、輝いている、そんな様子の伝わる番組でした。
春からは、新番組、熱中スタジアムで、
熱中しているみなさんが、熱く語ってくれることでしょう。

 熱中している人をみていると、
おもわず引き込まれてしまいます。
そして、その熱中していることに関心を
もって、その熱中が伝染していく
そして新しい熱中人をうみだしてしまう
そんなことがあるのではないでしょうか。
まさに、熱中は熱中を生むですね。

 もし、好きなことがあるなら、
思いっきり熱中してみると良いかもしれません。
何かに熱中できる人生って、
きっと、充実している素敵なものであることでしょう。
 生涯、熱中し続けることのできるもの
やはり、ひとつくらいは、もっていた方が
ボケ防止にもなり、よいということだと思います。
 まだ、熱中できるものがないという皆さんは、
いろんなものを見聞きして、
体験してみて、熱中できるものとの出会いを
探してみて下さい。
posted by 清水の伏竜. at 09:25| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

Why love one, but eat the other?

「Why love one, but eat the other?
(なぜこっちは愛してあっちは食べるの?)」

ラスベガスで、提示されたという言葉ですが、
まさに、人の矛盾をつく言葉であると
いえるでしょう。
ペットであったり、動物保護運動であったり、
動物を守るという運動をしている人が、
ハンバーガーを食べ、チキンナゲットを食べ、
たまご焼きを食べている。
自分が守りたいと思うものは大事にするけど
それ以外は殺して食べてもかまわない。
それって、どこかおかしくはないでしょうか。
まさに、そう問いかけているわけです。
ペットを飼う人、動物保護や愛護を訴える人は
当然、どんな生き物も愛する人であるべき
ではないのですかと、問いかけているのです。

「ヴィヤーンドゥ(肉) = ムートゥル(殺害)」

という言葉が巴里では、提示されたそうです。
死骸を食べるのは、殺害を助長し推進することに
他ならないということです。
もし、動物を大事にしたいと思うのなら、
ぜひ、ベジタリアン生活に一歩踏み出してみて
欲しいとおもいます。
ヴィーガンになるのもよいですが、
せめて、ラクトベジタリアンでありたいもの
だといえるでしょう。
それも難しいのであれば、
「Meat Free Monday(肉なし月曜日)」
「菜食の木曜日」
のように、週に1日だけでも、ベジタリアンに
1日1食だけでも、ベジタリアンに、
そして、肉よりも魚という選択を
していって欲しいとおもいます。
愛を説き、殺すなかれと言った聖人たち、
イエス様も、お釈迦さまも、
ベジタリアンであったのですから、
聖人を信じ、信仰するのであれば、
ベジタリアンであるべきだとも
いえるでしょう。

日本人は、精進料理と和菓子で
ベジタリアンに!。

食の多様性を考えるための参考資料
多様な食文化・食習慣を有する外国人客への対応マニュアル
http://www.jpvs.org/link/manualforvisitors.pdf

ベジタリアン (Vegetarian)
「健全な、新鮮な、元気のある」という意味の
ラテン語 'vegetus' からできた言葉。
ベジタリアンにもいろいろあります。
ビーガン (Vegan)
ピュア・ベジタリアン (Pure-Vegetarian:純粋菜食)
ダイエタリー・ビーガン (Dietary Vegan)
フルータリアン (Fruitarian)
ラクト・ベジタリアン (Lacto-Vegetarian:乳菜食)
ラクト・オボ・ベジタリアン (Lacto-Ovo-Vegetarian:乳卵菜食)

☆日本ベジタリアン協会
http://www.jpvs.org/
http://www.jpvs.org/v-info/IVU/ivunews.htm
☆『Choices for Tomorrow (CFT) / あしたへの選択』
http://ashitaenosentaku.org/
●菜食主義が地球を救う
http://itc-matsubara.seesaa.net/article/125096083.html
・世界食糧デー
http://itc-matsubara.seesaa.net/article/130370222.html
・ベジタリアン・サーズデイ
http://itc-matsubara.seesaa.net/article/120163884.html
・ベジタリアンとは? なぜ、ベジタリアンなのか?
http://itc-matsubara.seesaa.net/article/119596834.html
・菜食のすすめ・・・菜食主義とは
http://itc-matsubara.seesaa.net/article/119005840.html
☆「ザ・コーブ」
http://www.thecovemovie.com/
http://www.thecovemovie.com/japanesefiles/the-cove-store-files-final/Cove-home-page-absolute-url.htm☆「フード・インク(Food, Inc.)」
http://www.foodincmovie.com/
☆「いのちの食べ方」
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
☆「食の未来」
http://syoku-no-mirai.net/
posted by 清水の伏竜. at 07:08| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月18日

一日だけ生きればいい。

『一日だけ生きればいい。
 明日、明後日のことを考えるから面倒になる。』
   水上 勉

 今を生きる。ということを
言い方を変えていっていることばと
いえるでしょう。
未来のことを危惧して心配してみても
どうなるのかは、誰にもわからない
心配のあまりに、今すべきことが
おろそかになってしまっては
本末転倒、無駄であるということに
なるのかもしれません。
まず、今日を、今を、
一生懸命に生きること、
精一杯のことを成していくこと
そこに注意をふり当てることの方が
明日の心配をするよりも、
重要であるということですね。
posted by 清水の伏竜. at 07:35| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月17日

人生はよくなるものだという確信を

『人生はよくなるものだという確信を
 捨ててはいけない。
 それがあなたの人生であれ他人の人生であれ。』
   アンドレ・ジイド

 前向きに生きていこうということを
伝えてくれている言葉です。
どんな時でも、今日より明日の方が、
きっとよくなると信じることの大切さは、
確かに、人生を過ごすにあたって、必要なことで
あるといえるでしょう。
 悩みを抱いている人に対しても、
自分自身に対しても、どんな人に対しても、
希望を見出すことができるような気持ちでいること
それが生きることへの糧となり得る
そう信じていれば、道は開けてくるという
ことでしょう。
 心が折れてしまうのが、
一番よくないことであると・・・。
posted by 清水の伏竜. at 12:42| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

きっと勝つ 必ず勝てる

『きっと勝つ 必ず勝てる』
  松下幸之助

 自己暗示というものがあります。
何かを成し遂げるとき、それを後押しするものに
信じるという気持ちの問題があったりします。
結果に勝つ。その為に、今行っていることが
必ず役に立つ、そして、結果はついてくる。
そう信じることで、成し遂げられる可能性が
大きくなるということです。
経営の神様も、勝負するときには、
この言葉を、信じていたということです。
 きっと勝つ、必ず勝てる
そう自分に仲間に言い聞かせて、
それを信じ込むことで、それを事実に
してしまう。
人の心のもつ力の不思議なところでも
あったりするのかもしれません。
 いくら信じたって、
という枕詞を語る人は、その時点で
心が負けているということでしょう。
まず、心で勝たなければ、
本当の勝ちも、得られないということでしょう。
思いこむことも、大切なときがある。
そういうことであったりするわけですね。
posted by 清水の伏竜. at 12:54| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする