2010年02月28日

打ち込まずして成功はおぼつかない

『打ち込まずして成功はおぼつかない』
  松下幸之助

 何かを成功させようとするとき
やはり、成功させるべきことに
一心不乱に打ち込むことが必要であると
いうことでしょう。
 今、冬季オリンピックが開催中ですが
スポーツでも、その競技、種目で、
世界一になろうとするなら、
その競技、種目に、打ち込むことが
なければ、無理であるといえるでしょう。
どんな小さなことであっても、
どんな種類のことであっても、
それを成し遂げるためには、
打ち込むこと、努力すること、
がんばることが、必要なのだということです。
結果は、最後についてくるものだと
いうことだともいえるでしょう。
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2010年02月27日

われわれの人生とは、

『われわれの人生とは、
 われわれの思考が
 作り上げるものにほかならない。』
  マルクス・アウレリウス

 人生の考え方について、
いろんな人が、いろんな事を語っています。
どれも本当のようであり、
でも違っているかもしれない
そんな言葉であるのかもしれません。
思考が作り上げているという考えは、
我思う故に我ありといった考えから
きているといえるでしょう。
考えたこと、思ったことが、
人生を築いていく、
たしかに、その通りではあるでしょう。
しかし、
自分の思ったとおりにはならないこと、
自分の考えたとおりにはならないこと、
その方が多いのも人生であると
いえるでしょう。
そうすると、必ずしも、思考がつくりあげて
いるとは言えないということになります。
 とはいっても、
人生の一部は、確かに思考が関わっています。
ゆえに、どのように考えていくのか
思っていくのかで、
人生に影響が出てくることは確かです。
より、充実した人生をすごすために、
しっかりと、思考していければ良いと
いうことでしょう。
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2010年02月26日

不況は発展の好機

『不況は発展の好機』
  松下幸之助

 まだまだ、不況といわれる現在、
新卒の就職率も非常に悪く、失業率も悪く
10名以上の中小企業の月額給与も下がっている
そんな現状のなかにあって、
 そんな不況の状況こそが、
発展の好機であると考えることが出来る
それが、優れた経営者の思考方法だと
いうことですね。
 最近の経済のニュースは、
もっぱら、トヨタのリコールの話題が
中心になっています。
日本のものづくりの信用が失われたと
いう人もいるようです。
日本のものづくりの信用を失わせるような
舵取りをしてきたのも経営者の皆さんで
あったりします。
右肩あがりの神話に溺れて、
利益追求に追われて、社員を冷遇し、
ESの低下を招いていった結果であると
いえるのかもしれません。
 欧米と同じであることが良いことと
幻想と妄信に捕らわれた結果、
日本が独自に育ててきた企業内モラルを
崩壊させていったともいえるでしょう。
成果主義、ノルマ主義、基本給与の低さ、
取りにくい休暇、窓際、会社都合では
こまるので自主都合での退職に追い込む
パワハラ、セクハラ、使い捨ての心の病、
過労自殺、うつ病、サービス残業、・・・
まあ、日本の企業は、社員の犠牲の上で
成長してきたのかもしれません。
しかし、それも限界まできてしまった。
それは、自殺者が年間3万人をこえた
頃からはじまっていたことだといえるでしょう。
日本の企業の良さ、企業文化のあり方は、
老舗の経営の中にこそあったような気がします。
使い捨ての労働ではない、共に歩む労働、
そして、継続する地域社会に密着した経営、
そんなことをあらためて考え直すことが
求められているような気がします。
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2010年02月25日

不自由を常と思へば不足なし

『不自由を常と思へば不足なし』
   家康公御遺訓

 人の欲望には限りがないもの
不自由な現状に我慢できるなら
不足だといって不平を言うこともない
何でも控えめであることが
よいものであるということです。

 あれが足りない、これも足りない。
そういって不平不満を言っていると
それは、自分自身にはね返ってきて
負の連鎖に陥ってしまうもの。
今の状況に、満足できる余裕が
あることが大切だということでしょう。
我慢できるものであるなら、
我慢して、控えめでいればよい。
質素倹約は、日本人の美徳であったはず。
人の心の大切さは、物質とは比較できない
重要さをもっていることを
日本人は知っていたはず。
それを忘れてしまったことで、
歪みと不幸が生まれてきているのかも
しれませんね。
欧米の真似をして、物質的に豊かに
なったとしても、心の豊かさを失って
しまうのであれば、何の意味もないと
いうことを、あたらめて考えるべき
時代になっているといえるでしょう。
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2010年02月23日

世間は正しい

『世間は正しい』
  松下幸之助

 世間というものが、日本の社会には、
あったりします。
世間様という言葉があったりするように、
日本人は、世間の目や耳を気にする民族で
あったりしたわけです。
そして、世間の言うことが正しいとして
それにあわせていくといった生活スタイルを
とっていたといえるでしょう。
戦後、その様な傾向が、徐々に崩されていって
世間を気にせずに、自己流で、いろんなことを
する人が出てきました。
よい方向に出てくることは、とてもよいことだし
素晴らしいことであるのですが、
行き過ぎると表現の自由、言論の自由を
制限することなりかねないような気がします。
 世間は正しいとは、お客様は神様というのと
同じようなことだといえるでしょう。
商売において、世間に受け入れられるようで
なければ、うまくはいかないと
いったところであるでしょう。
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2010年02月22日

人を信用する者は、

『人を信用する者は、
 信用しない者より犯す過ちは少ない。』
  カミロ・ディ・カヴール

 信用することの大切さ、重要さを、
伝える言葉のひとつでしょう。
過ちを犯すようなこと、
ちょっと間がさすとか、失敗するとか
追い詰められるとか、したときでも、
過ちを犯すことなく過ごせるかどうか
信用を大切にする心の持ちようで
かわってくるのかもしれません。
 信用することは、簡単のようで
実は、とても難しいことであったりします。
裏切られる恐怖を乗り越えることが
必要であったりもします。
見返りや、利益を求めていると、
信用されたいというおもいは伝わらない
ともいえるでしょう。
 不信をもって、接すると、
それは争いや災いの種になってしまう
可能性が大きいでしょう。
だからこそ、信用するということが、
争いや災いを回避するために大切であると
いうことなのだといえるでしょう。
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2010年02月21日

人の一生は

『人の一生は
 重荷を負ひて遠き道を行くが如く
 急ぐべからず』
   家康公御遺訓

 人生は、重い荷物を背負って
遠くにむかって歩いていくようなもの
よく、周りに気を配って、
注意しながら進むことが大切であり、
一歩一歩確実に進んでいくべきであり
急ぐと失敗してしまうことになるかも
しれないということです。

 急がば回れ、なにごとも、
あせってはダメで、のんびり確実に
進んでいくということが
結局は、もっとも近道であったりする
ということですね。
世の中には、急ぐことを勧める
話が多くなってきています。
でも、その結果、無理して、
病気になったりしては意味ありません。
からだの病気だけでなく
心の病気もそうですね。
 他人のことは気にせずに
自分だけのペース、自分の出来ること
それを、しっかり保っていけば
それでよいということです。
他人と比較して、一喜一憂することに
何の意味も価値もないということです。
人生は、自分のものであって
他の誰かのためにあるのではない
だから、他人がどう評価しようと
それに本当の意味での価値はなかったり
します。でも、価値はなくても
他人から褒められたらうれしいものだし
貶されたら嫌なものです。
もし、自分だったらどう思うのか
そう考えて、他人に接することは、
自分の成長にも繋がることでしょう。
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2010年02月20日

身を捨つる人はまことに捨つるかは

『身を捨つる人はまことに捨つるかは
 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ』
   一遍

 禅問答のような言葉ですが、
昔からよく言われてきたことでも
あったりします。
身を捨てるようなことが出来る人は
本当に捨てられることなどない、
捨てることをしない人の方が
かえって捨てられてしまうものだと
いうことです。
 身を捨てて他のために生きること
そうできることの意味と、
自己保身にはしり、自己の欲望に
生きることの末路を、
風刺している言葉であるということです。

 利己心でなく、利他心で、生きる。
それこそが、人生に価値をもたらすもの
意味のある生き方であると
言うことですね。
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2010年02月19日

人は凡てに賢からず

『人は凡てに賢からず
 一事に愚にして
 一事に優れたるもあり』
   家康公御遺訓

 人は万能ではない、あることに
長じているものもあれば、
他のことには劣っていることもある
だからこそ、互いに協力しあって
助け合っていくべきであるということです。

 人は、それぞれに個性があって、
得手不得手があって、異なっているのが
あたりまえのことだということです。
そして、それぞれに価値をもった存在で
あるということです。
 だから、何かが出来ないからといって
嘆くことはないということです。
自分の出来ることをすればよい。
他人と同じでないことを気にすることもない
足りないところは、出来る人に
助けてもらってよいのです。
互いに助け合えるのが、人の素晴らしさであり
素敵なところなのですから。
 よく、人材不足という人がいますが
実は、人手不足はあったとしても、
人材不足はないと言うべきなのかもしれません。
なぜなら、人材は育てていくものであって
そうすることで人財となっていくのですから
つまり、教育不足であるというべきで
あるでしょう。
多くの企業で不足しているのは人材ではなく
人手と教育、育成であるということなのだと
いえるでしょう。
 そして、人の適正を読み取り、
適所に配置して、その力、個性を活かせるのか
それが問われているだけなのだとも
いえるのでしょう。
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2010年02月18日

仕事が面白い「ふり」をすると、

『仕事が面白い「ふり」をすると、
 それだけで仕事が本当に面白くなるから妙だ。
 疲れをあまり感じなくなるし、
 緊張も解け、心配も和らぐ。』
   デール・カーネギー

 ふりから入るというアプローチ
確かに効果があるようですね。
つまり、なりきるということです。
つまらないとか、イヤだとか、嫌いだと
いったものに対して、それが好きな人に
なりきってみるということです。
思いこみ効果というものですね。
 ただ、これには、思いこめる能力が
あるかどうかが問われます。
だれもが、簡単にふりができるのかと
聞かれたら、わからないというのが
正解でしょう。
 コスプレとか物まねとか、
あれも、ひとつのなりきりです。
自分ではないものになりきってみることで
まったく違う行動が出来るようになったり
まったく違う個性を発揮出来たり
することがあるということです。
 演劇、声優といった演じることを
仕事にしている皆さんは、なりきるのが
得意であったりすることでしょう。
最近、演劇の手法を導入したコミュニケーションや
カウンセリング、メンタルケアなどの
セミナーなども多くなっていますが、
まさに、別の自分になるというアプローチ、
自己暗示の効果が、確かにあるということを
象徴しているといえるでしょう。
もちろん、入り込めない人もいます。
それでも、繰り返し行っていたりすると
だんだん、なりきりやすくなっていくようです。
 悩みを抱えているとき、
ストレスを抱えているとき、
その解消のひとつのアプローチとして、
試してみては如何でしょうか。
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2010年02月17日

素直に謙虚に

『素直に謙虚に』
  松下幸之助

 人にとって、大切なことは
何でしょう?
そんな問いかけをよく耳にします。
人によって、その答えは違っているかも
しれません。
 その人の生活、環境、価値観、
これまでの体験、学んだこと、人生によって
何が大切なのか、違っていてもあたりまえだと
いえるのではないでしょうか。
もし、普遍的なものがあるとしたら
それは、神の叡智によるものでしか
ないでしょう。
 人にとって大切なもの、
経済人として、経営者として、労働者として
それについて、日本における経営の神様とも
いわれる方は、

 素直であること、謙虚であること

をあげているということです。
 人としての美徳であるということでしょう。
ただ、素直さと謙虚さについては、
どの程度というもの、どんなときということ
などの美徳となり得るか否かについて
境界が存在しているようにも思えます。
もちろん、それは素直さではないとか
それは謙虚さとは言わないとか、
指摘するようなこともあるでしょう。
そうなのです。
素直さとは何か、謙虚さとは何か、
そのことについても、人によって
解釈が異なっていたりするのです。
 素直さとは何なのか、
謙虚さとは何なのか、
あなたにとっては、どうでしょうか。
その基準や認識が、異なった人が、
この言葉を聞いたときに感じることは、
きっと違っていることでしょう。
言葉のもつ難しさが、そこにはあると
いえるのかもしれません。
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2010年02月16日

人は覚悟が大事なり

『人は覚悟が大事なり』
   家康公御遺訓

 何を行うにあたっても、
覚悟することが大事であるということ
一度決めたからには、どんな障壁が
あっても成し遂げていくことが
必要であり、実行していくことで
万事うまくいくようになるものであると
いうことです。

 覚悟するということが
重要だということですが、
なかなか人は覚悟できなかったり
するものです。
柵や生活、現状などにある程度満足
している場合には、特に難しいと
いえるでしょう。
リスクを取りたくないという気持ちは
誰にでもあります。
責任を持つということは大変なことで
あったりするものです。
それに見合う対価があったとしてもです。
覚悟するということは、
決断するということであり、
それを成し遂げるためには、
どんなリスクでも背負ってみるという
気概を持つということでもあります。
何か守りたいものがある人ほど、
なかなか覚悟を決め難かったりします。
成功者の多くが覚悟を決めることに
なったときというのは、
もう、その道しかないという状況に
追い込まれていることが多かったりします。
多額の借金があったりとか、
どん底の状態にあったりとか、
まさに、四面楚歌で、向かうべき道は
これしかないという状況が、覚悟を決める
後押しをしているともいえるでしょう。
同じ覚悟を、まったく状況の異なる人に
出来るのかと問えば、まず出来ないと
いうのが答えであるといえるでしょう。
成功者の真似や、成功体験を知っても
同じように成功できないのはあたりまえです。
なぜなら、同じ覚悟の出来る状況に
ないからです。
もし、同じような状況にあったら、
同じ覚悟が出来て、成功する可能性も
あるかもしれません。
でも、それでも、同じ人ではないので、
同じ結果になるとは限らなかったりします。
覚悟の質は、環境や状況の他に、
その人の精神や霊精によっても違ってくる
ものであるからです。

ところで、よく、あなたにも出来るとか、
成功者が語るノウハウとか、いう情報がありますが
参考になることはあっても、それで同じように
成功するとは限らない、どちらかといえば
同じ成功はあり得ないといった方がよいでしょう。
小さい成功であれば可能であるかもしれません。
情報商材の殆どが誇大広告であることは
紛れもない事実であるといえるでしょう。
でも、広告宣伝のコピーとは、そのような性質の
ものであるのですから、当たり前ともいえます。
催眠商法とか霊感商法とか言われるものも
通常のマーケティングの手法とあまり変わりません。
結局、消費者がどう思うのかという違いでしか
ないといえるのかもしれません。
金額が高いほど、危ない商法になりやすいと
いうこともあるでしょう。
千円レベルの商材の場合、催眠商法みたいでも
誰もそう思わなかったりするものです。
数をターゲットにできる商品ほど、単価は小さくても
よくなります。するとクレームも出にくいといった
こともあったりするものです。

最近、違法広告メール(スパムメール)が、多くなりました。
その殆どが似たようなパターンの発信者表現や、
題名表現になっていたりするのをみていると、
誰かのノウハウが伝染しているのがよくわかります。
ちなみに、大手のもの以外で、
合法の形式をとった広告メールを、見たことが
なかったりします。登録したわけでもないのに、
登録したことになっているつもりのメールが多いということ
でもあったりします。そろそろ実態にあった法改正が
必要なのではないのかなという気がしたりします。
(題名の先頭に必ず広告と記載するとかを法律上で明文化した方が
 よいような気がします)

特定電子メールの送信の適正化に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H14/H14HO026.html
電気通信消費者情報コーナー
http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/d_syohi/m_mail.html
特定電子メールの送信等に関するガイドラインの公表
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/2008/081114_4.html
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2010年02月15日

適正利潤は尊い義務

『適正利潤は尊い義務』
  松下幸之助

 商売をするということ、経営をするということは、
もちろん、ビジョンの達成という目的があっての
ことではあるわけですが、そのなかで、
きちんと利益を出すこと、利潤を得ることは
会社を継続していく、商売を継続していく、
雇用を維持していく上で、必要なことであり、
適正な利潤をあげることは、経営者の義務とも
いえることだということです。
利潤をあげることを、目的ではなく義務といっている
ところが、松下氏らしいところであると
いえるでしょう。義務である以上は、
それが出来なければ、経営者が責任を負うという
ことでもあるわけです。
最近は、経営者は責任を負うのは、最初でなく
最後の方になっていて、まず雇用されれいる人に
責任を負わせて解雇、減給といったことを
行うようになっているように感じます。
 経営者のもつ責任について、
もらう給与に見合ったことをしていると
示せている人が、どのくらいいるのか、
日本の景気の状況は、そのあたりのことも
影響している結果なのかもしれません・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 07:44| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

もっと怖いのは機械じゃなくて

『もっと怖いのは機械じゃなくて
 それをつかっていた人たちかな』
       カナタ
「ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 第四話 梅雨ノ空・玻璃の虹」より
http://www.sorawoto.com/

 架空の世界の地方のお話、駐留する軍の小隊に
配属された少女と、仲間の日々を描く物語。

 この第四話では、戦争、兵器、技術、才能、など
いろんなことについて考えさせてくれるお話になってます。

 カナタとノエルが、お買い物に出かけます。
その途中、戦争で親を亡くした少年との出会いで、
嫌われてしまう2人、そのあと、工房を訪ねて、
そこで、ノエルは、カナタに、自分のしていることに
関しての悩みを語ります。
そのときのカナタの答えが、この言葉です。
武器として作られたものも怖いけど、
それよりも、それを使う人の方が怖いというのは
まさに、戦争の本質にも関わるものであると
いえるでしょう。技術や機械、道具は、そのものが
悪ではありえないし、そのものが恐怖ともなりえない
それを使う人によって、悪ともなり、恐怖ともなると
いうことです。軍縮ということで、兵器を減らしても
それを扱う人の心が変わらなければ、
結局は、戦争のリスクの根本には変化はないと
いえるでしょう。
 修理している機械について、奏でる演奏が素敵な
ことから、カナタは悪い機械ではないと思うといいます。
その言葉に、ほっとしたのかノエルは寝入ってしまいます。
2人の何気ないやり取りのなかにも、
メッセージがあったりする。そのあたりが日本のアニメの
素敵さであったりするようですね。
 さて、カナタも、なかなか上手に吹けないラッパに
悩んでいました。その悩みをかたっていると
親方から、こう言われます。

『才能ってのは、あきらめる奴の最低の言い訳だ』

そう、カナタは上官の才能に憧れ、自分には才能が
ないとおもっていたのです。
そして、親方が、若い者が間違えることについて
ガラス加工に関して語ります。
その話を聞く中で、カナタは自分の過ちに気付いて
ラッパを、吹いてみるのでした。
すると、ラッパは、とても素敵な音色を
奏でてくれたのでした。
何かに取り組みとき、どんな気持ちで、
どんな想いで、行うのか、その大切さを
伝えてくれるエピソードです。

 アニメノチカラと題したテレビ東京の試みは、
日本のアニメの可能性と魅力を伝えてくれる放送枠に
なってくれると良いなとおもいます。

posted by 清水の伏竜. at 13:06| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

何でも時代のせいにしてれば、そりゃ楽だ。

『何でも時代のせいにしてれば、そりゃ楽だ。』
  田辺茂一

 よく、何か困ったことがあったり、
不幸なことがあったりしたとき、
時代が悪いから、世の中が悪いからと
いうことがあります。
時代が悪いから、そういって、悪いことを
時代のせいにしてしまって、
諦めてしまうのは簡単なことです。
そうしてしまった方が、確かに楽でもあります。
時代は、責任を転嫁されても、
何の文句も言ったりしません。
 何かあったとき、その責任の所在を
明らかにしようとすることがあります。
いわゆる犯人捜しです。
もちろん、責任の所在を明確にすることが
重要であるものも沢山あります。
しかし、その一方で、責任の所在がどうであっても
構わない、問題の原因の追及の方が重要であり
対策の方が重要であるということもあります。
どのようなことについても、一律に同じ対応をして
すませてしまおうという考え方が、
問題であるといえるでしょう。
しかし、みな同じ対応してしまえば楽なのです。
 結局、楽をしたいという気持ちから、
物事に対して、無責任な行動へと繋がっている
ということなのかもしれません。
 罪を憎んで人を憎まずという言葉があるように
問題が発生したときに、原因を憎んで人を憎まずと
いう行動がとれるのかどうかが、
その後の対策や、係わった人の成長、モチベーションの
維持にも、大きく影響してくるのかもしれません。
繰り返し同じ失敗をするのは問題ですが、
人は、誰もが、失敗や過ちを犯すものです。
そして、その事自体を悪く言うのは簡単ですが
そうしてしまっては、進歩も発展も無くなって
よい方向に向かえなくなってしまうでしょう。
何が重要であるのかを見極めること、
何が問題であるのか、どうすべきかを
見出すことができること、
そして、自ら判断し、行動できること、
それが、大切であり、そうあるべきなのだと
いえるでしょう。
 世の中、簡単なように思えることが
難しかったりするものです・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 08:04| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月12日

人民の、人民による、人民のための

「人民の、人民による、人民のための政治」
エイブラハム・リンカーン

 2月12日は、アメリカ合衆国16代大統領
エイブラハム・リンカーンの誕生日だそうです。
ゲティスバーグでの演説におけるこの一節は、
奴隷解放宣言と共に、有名でありますが、
当時は、演説会場では、参列者の拍手もまばらで
翌日の新聞も、酷評していたそうです。
人の評価というものが、いかに普遍性のないもので
変わっていってしまうものであるかを
伝えている話であるようにおもいます。
本人が、信じていることが、いかに大切であり、
他人の評価が、いかにいい加減であるのか、
ということでしょう。
 信念をもった言葉であったら、
その時には批判されたり、酷評されても
いつか評価されるときがくるということでしょう。
また、そのときに好評であり、拍手万雷であっても
その言葉に信念もなく、大衆に迎合したもので
あったなら、いずれは忘れ去られてしまう
ものであるということでしょう。

 今、民主主義という名の下に行われている
様々なことは、本当に人民が中心となっている
ものであるのかどうか、不確かな部分も
おおいようにおもわれます。
 人民の、人民による、人民のための政治とは、
市民によって選ばれた代表が、
市民のために行うものであるわけですが、
任せっきりにするものではなく、
市民も積極的に関わっていくものであると
いうことです。
選挙への参加は当然ですが、
議会や行政への関心や、市民参加による
推進が、とても重要であり、大切であると
いうことです。
批評家や傍観者ではダメであり、
ただ要求するだけ、ただ受け入れるだけでも
ダメであるということです。
主体的市民に、市民のマインドが変化していくこと
それがあって、はじめて、民主主義の理想が
実現できるということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:56| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月11日

智恵あるものは己れ一人にて

『智恵あるものは己れ一人にて
 智恵を用ゆるべからず
 必ず仲間へも譲りて誠信を尽くすべし』
   家康公御遺訓

 才能は独占するものではなく、
広く同志にもわけて活用するように
すべきもであるということです。
そうして、お互いに成長していくことが
大切なことであるということですね。

 学んだこと、経験したこと、
そうやって、人生で得てきたこと
知識、知恵、スキルとして、身についたもの
それを、どのように生かして行くのか
それは、自分ひとりで独占しても、
価値をもちことはあまりない。
多くの同士や仲間、他の人たちに、
活用してもらってこそ、価値が出てくるし、
更なる成長に繋がっていく、
智恵を、活用していく範囲を、
拡げていくことは、智恵をより発展させていき
成長を促していくことになる。
だから、出来る限り、多くの機会や
チャンスをいかして、智恵をつかって
いくことができたらよいなと思います。
posted by 清水の伏竜. at 06:03| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月10日

平生はみんな善人なんです。

『平生はみんな善人なんです。
 少なくともみんな普通の人間なんです。
 それが、いざといふ間際に、
 急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。』
  夏目漱石

 人の心の不安定さと、状況における
影響での変化を、語っている言葉です。
もし、自分の命や財産が危機に瀕したとき
それでも、利己的になることなく、
行動することが出来るのかということです。
出来る人は、いないのではないかと
この言葉はいっています。
 状況によって、人は簡単に悪人に
なってしまうということです。
その時に頭に浮かんでいる言葉は、
「仕方がない」という言葉であるでしょう。
命よりも大事なものがある。
それに気付けるかどうか、
難しいことであったりしますから。
財産よりも大事なものがある。
それを認められるかどうか、
これも難しかったりするものです。
 お金が第一と言う人は、既にダメでしょう。
いつでも悪人になれる人だといえます。
心が大事といっている人でも、
その通りに行動するのは難しいことが
あるものです。
 弱さ。まさに人の弱さが、そこにあります。
一見、強そうにみえても、実は弱かったり
するということです。
 人の死よりも重要なこともあったりします。
重要さは、その出来事の比較によって
決まることになりますが、
比較する基準を何においているのかで、
悪人になりやすいのか、ならないでいられるのか
変わってくるよいえるかもしれません。
 神を基準に出来る人は、非常に稀でしょう。
善を基準に出来る人も、少ないのではないでしょうか。
愛を基準に出来る人も、殆どいないかもしれません。
利他心をもって、判断できる人も僅かかも
殆どの人が、利己心を基準にしてしまうのでは
ないでしょうか。
 しかし、出来る限り、そうならないように
日々、心がけていくことは重要です。
そして、大切なことであるといえるでしょう。
 いざという時でも、悪人に変わることの
ないように、いざのケースをより少なくしていく
そんな心がけを、常にもっていられたら
よいなという気がします。
posted by 清水の伏竜. at 07:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月09日

正しさを問い 正しさに従う

『正しさを問い 正しさに従う』
  松下幸之助

 何が正しいのか、
常に問いかけて、
そして、正しいとわかったなら、
それに従い、行動する。
 常識ともいえることですが、
なかなか出来ていなかったりするものです。
また、正しいのかという問いに
正しいと回答できるのかどうか
その部分も重要になってきます。
何を基準にして、正しいとするのでしょう。
法治国家である以上は、
まずは、法の下において、正しいのかと
いうことは言えるでしょう。
しかし、法も立法の誤りで、
憲法に違反している場合もあったりします。
法の次にくるのは、契約を基準にしての
判断ということになるでしょう。
もちろん、違法な契約は意味ありません。
合法な契約であることが前提になります。
その次には、倫理や道徳といった社会常識が
基準にくることが多いのではないでしょうか。
 この世においては、社会や世間というものの
枠のなかでの正しさというものが、
ひとつの基準になっていることは、
間違いないといえるでしょう。
 しかし、人生というものの意味から
考えたとき、正しいか否かは、神の真理に
基づいて考えるということもあります。
神の真理を基準にしたとき、
この世的には、おかしいと思えることも
出てきます。人のつくった基準では、
推し量れないものがあるからです。
しかし、人生を価値あるものにして、
その最後に逝くときに、何が正しかったのかを
判断する場合には、神の真理を基準とすることに
なってしまうことでしょう。
もちろん、神を信じない人にとって、
また、この世での価値しか認めない人に
とっては、生きている間は意味のないことです。
でも、逝ったときには、その意味を
知ることになるわけです。
 正しいという基準を、どこにおくのか、
それによって、歩むべき道も変わっていくと
いうことでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 05:13| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月08日

これが人生だったのか?

『これが人生だったのか?
 よし!さらば、いま一度!』
   ニーチェ

 人生を振り返ってみたときに、
これで良かったのだろうかと悩み、
もう一度やり直したいと思うことが
あるかもしれません。
 ならば、それまでの人生に
さよならして、最初からやり直そう
そして、これからの人生を、
良いものにしていけばいいだろう。
そういうことなのだと・・・。
 人生を諦めて、死という選択を
してしまう人が、日本には毎年3万人も
いるようなことになってます。
でも、人生をやり直すというのは、
生きているからこそ出来るのであって
死んでしまってからでは出来ないという
ことを思い出す必要があるでしょう。
 過去を捨て去って、未来を見つめて、
未来に向けて、新しい人生を歩んでいく
そうすることが、人生をやり直すことであり
いま、一度、人生を過ごすということ
であると信じることが大切だと・・・。
 人の命の終わりは、
いつ訪れるかわかりません。
いつ逝くことになるのかは、人生を歩みだす
前に決まっていることであったとしても
それを知る術はなかったりするのです。
だからこそ、その瞬間まで、未来をみつめ
可能性を信じて、歩んでいくしかないし
そうして、精一杯生きることが、
人生の価値を高めていくことになると
いうことでしょう。
 過去を乗り越えること、
捨て去ることが、なかなか大変であったりも
します。でも、出来ないことでは
なかったりもするということです。
ひとりで無理なら、助けてもらってもよい
そう気楽に考えることも必要なのだと
いえるでしょう。
自分で終わらせてしまっては、
可能性を摘むことになり、まさに無駄を
産み出すことでもあったりします。
もちろん、大きなカルマを背負うことにも
なるでしょう。
より大変な道、困難な道を選ぶことで、
人生は豊かになっていくのだともいえます。
もっとも安易な道の選択だけは、
しないで欲しいということです。
その後に訪れる後悔の大きさは、
まさに選択の安易さと反比例していると
いうことを忘れてはならないのだと
いえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:46| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする