2009年12月31日

神は出来る試練しか与えない

『神は出来る試練しか与えない』

この言葉と似たような言葉を
最近、よく耳にします。
アニメのドラマのなかであったでしょうか。

神は人々を愛してくださっています。
ただ、その愛は神のレベルのことであり、
人々の基準で考えては
誤った解釈をしてしまい
嘆くということになって
しまうことでしょう。
神の愛は魂の成長にのみ
そそがれるものであり
肉体や精神、心には
何も与えられません。
ゆえに、魂の成長のために
神は試練や苦労、苦難を
与えることが多いです。
与えられた難関をのりこえて
人の魂は成長していくのです。
苦難、苦労が多いということは
今の人生で成長しなければならない
ことが多いということに
なるでしょう。
神により愛されていると
いうことでしょう。

神に願うということは
神に愛されることと
同様にたいへんなことである
ということです・・・
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人間が必要なものは、

『人間が必要なものは、
 人間によって受け入れられるものなのだ。』
   チェルヌイシェフスキー

 人にとって必要なものは、何なのか、
それは、人によって異なるものなのかもしれません。
しかし、それは、人にとって、
受け入れられるものであるということです。
受け入れられないようなものは、
与えられないということです。
 素敵なことであっても、
 厳しいことであっても
 辛いことであっても
 楽しいことであっても
 苦しいことであっても
与えられるものは、すべて、人に
受け入れることのできるものでしか
ありはしないということです。
そして、与えられるものには、
必ず意味があり、人に必要なもので
あったりするということです。
ただ、人には、その意味を理解できない
ことがあるかもしれないし、
なぜ、どうしてと疑問を持つことになる
ことなのかもしれません。
それでも、その意味を求めて、
受け入れて、乗り越えていくことが
人生を歩むことのひとつの意味とも
いえるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 11:39| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

「心の窓」はいつでもできるだけ数をたくさんに、

『「心の窓」はいつでもできるだけ数をたくさんに、
 そうしてできるだけ広くあけておきたいものだと思う。』
   寺田寅彦

 生きていくなかで、
出会いがあり、会話がある、
そのとき、出会いをどれだけ良きものに
できるのか、一期一会の大切さを
感じ取れるのか、
それは、その人の心の窓の大きさ広さによって
かわってくるのだといえるでしょう。
多くの人を束ねる人は、
それに見合った心の窓が開けられないと
人に哀しみや苦しみを与えてしまう
ことになるのかもしれません。
 心の窓をどれだけ開けられるのかは
その人の心の大きさ深さに関わってくる
ことだといえるでしょう、
それは人間としての大きさでもあると
いえるでしょう。
上に立つもの、地位のあるもの、
富のあるもの、責任のあるもの、
そんな人ほど、心の窓が大きくなければ
その役割を果たすことが出来ないでしょう。
ゆえに、より大きく心の窓を
あけることができるように
自分を磨いていくことが大切なことに
なるのだということだとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 06:24| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月29日

我々に自由を得させるものが真理なのである。

『我々に自由を得させるものが真理なのである。』
   椎名麟三

 真理とは何か、
その解釈として、自由を得させるものだと
答えています。
この言葉において、自由とは何かという
ことが問題になってくるものといえるでしょう。
自由という言葉も、いろんな解釈があったりします。
何から自由になるのか、どんな状態をいうのか
自由は義務との関係でなりたつ権利のひとつ
ともいえたりするなかで、
真理というものが、それを行い理解すれば、
自由になる、自由を得られるものというのは
果たして、どんなものであるのか、
この言葉だけでは、実態を指すには
いたっていない、禅問答のようなものと
いえるかもしれません。
もし、真理が、神の叡智からくるもので
あったとしたら、真理は、この世的な自由とは
まったく相容れないものになるかもしれません。
世間の真理であるなか、いわゆる常識というもので
真理を定義してしまうことになるかも
しれません。
 自由という言葉も、どんな状態が自由で
自由であることは、幸せなのかという問いが
出てきてしまうものであったりもします。
自由も、人それぞれに、持っているイメージが
あり、それは、真理と無関係に存在している
ということになってしまうのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 07:30| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月27日

諸君、謀反を恐れてはならぬ。

『諸君、謀反を恐れてはならぬ。
 自ら謀反人となるを恐れてはならぬ。
 新しいものは常に謀反である。』
   徳富蘆花

 改革は、常に、保守との戦いという
ことであるといえるのでしょう。
そして、保守とは、頑固で融通が利かず
変化を恐れ、保身のためには、
何でもするという愚かさをもっていたり
するものです。
ゆえに、変革を求めるものは、
謀反人として処断され、迫害されて
しまったりします。
 新という漢字が、今年の漢字に選ばれました。
新しい波が、政治の世界にきたこと
新しい人が活躍したことなどから
であるようですが、
まさに、新しいことを行うときには
大きな波が起こるということもいえるでしょう
それは、既存のものを打ち壊すような
勢いがあったりもします。
まさに、反逆する、謀反人とも
いえるのかもしれません。
そう、なることを恐れていたら
新しいことなど始めることはできない
そういうことであるといえます。
チャレンジするとき、やはり障壁が
あったりするものです。
それを打ち壊す勢いと、恐れ知らずの心が
可能性をどれだけのばせるのかを
変えていくのかなということでしょうか・・・
 
posted by 清水の伏竜. at 05:15| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月26日

青年にすすめたいことは三語に尽きる。

『青年にすすめたいことは三語に尽きる。
 即ち、働け。なお働け。とことん働け。』
   ビスマルク

 働くとは何か、
この言葉のように、働けといわれると
つい、そんなことを考えて
しまうのではないでしょうか。
働けという言葉を青年に贈るとき
その意味を青年は、どう捉えるのでしょう。
 フリーターというスタイルが
登場して、随分たちます。
派遣という労働を選択する若者もいます。
もちろん、正規雇用を望み就職活動を
している若者もいます。
 働くとは何か、
生活すること、お金を得ること、
衣食住を確保するために行うこと、
唯物的、即物的に考えれば、
そんなところなのかもしれません。
でも、本当にそれだけのことなのでしょうか
 人がなぜ、この世に生まれて
生きて、死んで逝くのか、
それは、この世でなすべきことが
あるからに他ならないでしょう。
では、なすべき事とは何なのか、
その回答のひとつに、働くということが
あげられるのだといえるのでは
ないでしょうか。
 いわゆる天命を感じて行動すること
それが自ら働くことに繋がるのであると
いうことなのかもしれません。
働かされているという気持ちで
働いていると不満とストレスだけしか
残りません。
やはり、働いているという気持ち、
世のために生きているという気持ちが
持てるようでなければ、
苦労を乗り越えてはいけないでしょう。
その心の持ちようを、どう変えていくのか
それは人それぞれに違っているのだと
いえるでしょう。
どうしても、ある仕事、職場では
マインドを変えられないこともあるはずです
それは、職場や仕事を変えるしか
選択肢はないでしょう。
そうでないなら、何かちょっとした
変化によって、マインドを変えることが
出来るかも知れません。
その方法については、多くの人が
ノウハウとして販売したり、書籍を出したり
語っていたりします。
しかし、どれが、あなたにとって
必要なことなのかはわかりません。
ある人にとって有効なノウハウであっても
他の人にはまったく効果のないことも
あるからです。
よく出まわっているノウハウに、
すべての人に適応できるようなものは
実際のところ無いといってよいでしょう。
もちろんノウハウ提供者のみなさんは
誰にでも適応できると言います。
そう信じているからで、嘘をついている
わけではありません。
もちろん、実際にはそうであることは
まずあり得ないのですが、
なぜなら、万人に適応できるようなものは
この世にはないからです。
おそらくは、神の叡智のみが適応出来ると
いえるのでしょうが、それを知る人は
稀であり、それを知り得る人も稀で
あるのですから。
 でも、誰かには適応できるものでは
あることも事実です。
だから、多くのノウハウのなかから
自分に合うものを如何に見出すのかが
問題になるということでしょう。
働きかた、働く場所、働く目的も
人それぞれに異なっているのですから。
posted by 清水の伏竜. at 13:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月25日

最高に到達せんと欲せば、最低より始めよ。

『最高に到達せんと欲せば、最低より始めよ。』
   P・シルズ

 最高と呼ばれるようなところに
自分を持って行きたいとき、
まず、最低からはじめて、進んでいくことが
よいということを伝えていることばです。
 最低からはじめるのと、
中くらいからはじめるのでは、
どこか違いがあるのでしょうか。
 この言葉では、違いがあるといっている
ということになります。
これは、大きくジャンプするには
できるだけ小さく縮んだ方がよいと
いうのと同じことだといえるでしょう。
 どん底から始まると、なぜか頑張りが
継続できて、いつのまにやら最高に
到達してしまっている。
そんな成功者の事例が、数多く存在しています。
ネットで、成功者の事例として紹介されている
ものは、まず最初はどん底に落ち込んで、
そこから脱出しているというパターンが
多かったりします。
 最低からはじめることで、何か異なるのか
やはり、大きいのは精神のあり方でしょう。
マインドセットの持ち方が違ってくるのだと
いうことだといえます。
どん底、最低にまでいくと、
もう、これ以上酷くはならないという
開き直りの心も生まれ、どんな障壁もリスクも
怖くなくなるということがあるでしょう。
また、もうこの位置まで、戻るものかという
不退転の気持ちも強くもつことができます。
この心の持ち方、マインドが、大きな力となり
最高というポジションまで、
到達させやすくしているのだといえるでしょう。
 成功者の多くが、挫折やどん底を体験し
そこから脱却して、夢を成し遂げています。
平凡な生活、中流の環境から、成功するという
ケースの事例は、聞いたことがあまりない
といった感じではないでしょうか。
では、一度、どん底に落ちるべきなのか。
自ら進んでどん底、最低まで落ちる必要が
最高に到達するためにはあるのか、
そんな問いかけが出てきそうな気がします。
そんなことをする意味があるのか、
それが自分の人生として価値があるのか、
基準は結局そこにあるということなのかも
しれません。
無理しない人生もまたひとつの生き方で
あることに違いないのですから。
posted by 清水の伏竜. at 13:16| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

失敗を気にしていては革新はできない。

『失敗を気にしていては革新はできない。
 打率3割といえば強打者だが、
 それは10のうち7までが
 失敗だったということなのだから。』
   A・スローン

 物事を成し遂げるときに、
失敗することもあるもので、
それを気にしていても、何かを成し遂げることは
出来はしないということ。
 野球に喩えて、語ってくれてます。
3割打者であり続けることは
非常に難しいことです。
しかし、3割打者であり続けるためには
常に打席にたっていなければなりません。
チャレンジし続けることが、
記録の達成に繋がっていくということです。
10回のチャンスに3回ヒットが出ればよい。
この数値だけでも難しいことであるのに
7回の失敗を気にしていては、
何も出来なくなってしまうということですね。
イチローのような大記録も
継続し続けること、失敗してもそれを糧に
チャレンジしていくことで、
可能になったのですから。
 世の中いろんなことがあります。
成功よりも、失敗の方が、多いのが
当たり前であったりします。
なのに、失敗を気にしてしまって、
何もできなくなってしまうことが
多かったりもします。
それでは、ゴールにたどり着くまえに
息切れしてしまうということでしょう。
失敗はあたりまえ、時々成功すればよい
しかも小さい成功で充分だと、
そう思えることが、継続し続けるために
より大きな目標に向かっていくために
必要なのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 12:57| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

一人の人間にはその運命と人生を

『一人の人間にはその運命と人生を
 決するような時が生涯、一度は必ずあるものであり、
 それを乗り切った瞬間、
 彼の未来は全面的に変わるものだ。』
   遠藤周作

 運命と人生を決するようなとき
それが、誰にも一度は訪れるもの
そのときが、非常に苦難をともなうことも
あれば、何気なく過ぎてしまうことも
あるのだろうか。
 素晴らしい飛躍をなしている人、
夢に向かって、歩んでいる自信をもって
生きている人、そんな人の多くが
大きな苦難を乗り越えた経験を
語ることができたりするもので
あったりします。
 そんな強烈な経験などない自分には
まだ運命、人生を決するような時を
迎えていないのかもしれません。
しかし、変化が必要であるという
気がしている日々のなかで、
いかに生きるべきか、悩むことも
確かであったりするものです。
 未来を変える、そんな出来事、
そんなときを、乗り越えるべき瞬間は
どんな形で訪れるのか、
それとも、訪れることなどないのか、
自らにより、迎え入れることが
必要なのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 01:30| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月22日

考えてみると世間の大部分の人は

『考えてみると世間の大部分の人は
 わるくなることを奨励しているように思う。
 わるくならなければ
 社会に成功はしないものと信じているらしい。
 たまに正直な純粋な人を見ると、
 坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。』
   夏目漱石

 正直者が馬鹿をみる・・そんな世の中を
感じているのかもしれません。
正直でないこと、わるくなることを
しなければ成功はないというわけです。
そして、そんな人たちは、
正直な人、純粋な人を、甘いといい
世間知らずだといい、坊ちゃんとか小僧とか
いって、軽蔑しているというのです。
これは、心の底では、恥ずかしいという想いがあり
本当に正しいことの出来ない自分を認めたくない
わるくても結果がすべてと納得したい
そんな自己防衛の結果であるのかもしれません。
 素直でないということでしょうか。
メディアはまさに、世間を代表している
存在だなとおもいます。
難癖をつけて、軽蔑するような報道が中心に
なっているかのようです。
他人の不幸をおもしろがり、
善意や幸福な話題は、ほんのちょっとだけ。
そんな印象があったりします。
 世の中の人がメディアを通じて知り得ない
素敵な人や素敵な行為が、実は沢山あるのに
なかなか接することが出来ないために、
知らずにいる。
 そんな人が、非常に多いということでも
あるのでしょう。
 ちょっと、時間をつくって、
出かけてみることで、新しい出会いがあり
新しい知恵を得ることができる。
やはり、小さな一歩から、いろんな事が
変わっていくのかなという気がします。
posted by 清水の伏竜. at 10:07| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

希望は、不幸な人間の第二の魂である。

『希望は、不幸な人間の第二の魂である。』
  ゲーテ

 希望、あきらめない望み、
幸は、辛いの上に+してやってくる。
辛さは幸福への道しるべということなのかも
しれません。
 ゲーテの言う第二の魂とは、
本質としての魂ではなく、心のありようとしての
魂であったりします。
ソールというよりも、スピリチアルに近いと
いえるのではないでしょうか。
パンドラの箱の中に残ったものとしても
語られるのが希望です。
その物語では、不幸が飛び出していったあとに
残ったものとなっています。
パンドラの箱が人の心であるとしたら
不幸な人の底には、希望が眠っていると
いうことになるのでしょう。

 ・・・・

 人は、体と心と魂の存在であり、
この世の人生では、その中の体と心で生きています。
魂は、表に出てくることはありません。
カルマの解消という命題と徳の積み重ねという歩みを
なす事ができるのが、この世であり、
そのために、この世が存在しているのだとも
いえるでしょう。
 人生は、目的をもって始まり、終わるもの。
その目的は、この世に生まれる前に決めたものであり
この世を去るときに、心が体を離れ魂と融合するとき
結果と共に認識することになるわけです。
カルマ解消のために不幸な環境を選択し
生まれてくることも多いし、
体と心は、この世で生まれる新しいものなので
どのようにもなり得る可能性をもっていたりする
ことになります。
しかし、魂との繋がりはあるので、
その影響を受けることもあります。
影響の受ける度合いは、人によって様々に異なります。
過去の人生の記憶を引き出せる人もいたりします。
魂の力をこの世に引き出すことの出来る人も
いたりします。
しかし、この世でもあの世でも、
魂を含めた存在としては、唯一無二であり、
天上天下唯我独尊というように、自分という存在は
ただ一つであるということにかわりありません。
 どう、今の人生を歩むのか、
不幸であっても幸福であっても、
この人生は、一度きりであるし、
この人生で、何かを得るために生まれてきたことも
間違いないことでしょう。
ならば、心の奥底にある魂の声に耳を傾けて
みるのも、よいのではないかとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 18:54| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月20日

もし宝くじで3億円が当たったら

「もし宝くじで3億円が当たったら
 今の仕事を続けますか?」

 昨日、参加させていただいた
いきいき!フォーラム。

あなたにもできる、ハッピーカウンセリング
with やのっぷ(矢野秀信さん:ハッピースマイル研究所所長)
◇さわとんの「カウンセリングで大切にしている3つのこと」
◇やのっぷの「ハッピースマイルプチ体験講座」
http://happysmile-lab.com/access.html

 そこで、やのっぷ講師より
問いかけられた言葉です。

 そう、今、している仕事が、本当に
自分の好きな仕事であるのか、
それとも、仕方なくしている仕事なのか
この問いかけで、どう思うのかで、
はっきりするというのです。
もし、この問いを受けて、やめないと思うか
やめるかどうかわからないと思うのであれば、
その仕事は、あなたにとって、好きな仕事であり
人生において価値のある仕事なのだと
いえるでしょう。
しかし、もし即やめると思ったなら、
その仕事は、あなたの人生において、
すきでもなく、本来成すべき仕事でも
ないのかもしれません。
 自分のすべき仕事、人生をかける仕事、
自分の人生に、求めるもの、
そんなものであれば、どんなにお金が
手に入ってもやめようとは思わないはずだ
ということです。
もし、お金でやめようと思う程度のもので
あったなら、それは自分のあるべき姿とは
違っているのだということです。
ならば、お金がなくても、チャンスがあれば
チェンジすべきであるということに
なるということです。
すなわち、オールクリアして、
新たな一歩を踏み出して、チャレンジすべきと
いうことなのです。
私は、自分にその問いを投げかけたとき
今の仕事は、即やめてしまうとおもいました。
ならば、私は、自分の成すべきことを
していないのだということでしょう。
チェンジにチャレンジできる
チャンスを逃さぬように、心の準備を
しておくことが必要なのだと、
あらためて、おもわせて頂いた、
そんな時間を過ごさせてもらいました。
今の人生は、一度きりのもの、
ならば、後悔しないように、生きるべき
最後まで、自分を信じて、夢を信じて
可能性を信じて、歩んでいくべきと
いうことです。
posted by 清水の伏竜. at 15:59| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

同じものでも考え方ひとつ。

『同じものでも考え方ひとつ。
 やる奴はやるように考えるし、
 へこたれる奴はへこたれるほうへ考えてしまう。』
   松永 安左ヱ門

 ものごとに取り組むとき
何かの試練に出会うとき
その状況をどう捉えるのか
どう考えるのか
それは、その人の心次第で
変わってしまうもの
そして、どう捉えるのも
その人が決めること
よい方向に考えられるか
悪い方向に考えるのか
同じこと、同じ出発点で
あったとしても
その出だしが、どの方向に
向いているのかで、
結果も大きく変わってしまう。
だからこそ、どんなときも
物事をよき方向に
考えるようにしていきたい
ものだとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 08:18| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

どんな馬鹿でも、あら探しをしたり、

『どんな馬鹿でも、あら探しをしたり、
 難くせをつけたり、苦情を言ったりできる
 そしてたいていの馬鹿がそれをやる。』
   ベンジャミン・フランクリン

 何かあったとき、誰かの行動をみたとき
あなたは、何に、まず注目するでしょう。
この言葉は、まさに、他人のこと、
自分のことで、どこにまず目先がゆくのか
その内容で、人の深み、人の内面が
あらわれてくると言っているのだといえるでしょう。

 あら探しをしますか?

 何か難があるところを探して指摘しますか?

 まず、苦情を言いますか?

そんなことをするのは、馬鹿者であると
いうことのようです。
また、そんなことは、誰にでも出来ることで
何の価値もないことなのだということなのだと
いえるのでしょう。

 まず、良さを探し、
 美点を見いだし、
 褒め称える。

 そうありたいものだとおもいます。
優れたリーダといわれるひとや、
上に立って成功する人は、人の良さや個性を
見いだし、それを活かすことのできる
才能をもっているものです。
そんな偉人のようにいかないまでも、
姿勢や心がけとして、
もっていたいものはあるとおもいます。
フランクリンの言葉は、戒めの言葉であると
いうことでしょう。
そうであるべきではないということです。

 問答をするとき、
その姿勢として、どうあるべきかと問われたら
やはり、「Yes」+「And」で、
あるべきだと答えるでしょう。
まず、受け入れ肯定し解釈し認識したうえで
改善すべき点、異なる視点からの見解などを
付け加える形で、答えてあげるということです。
「No」+「But」
「No」+「And」
「Yes」+「But」
では、対立の構図を産み出してしまい、
相手を傷つけることにもなりうるということです。
もちろん、そう答えざる得ないことも
あるでしょうが、それは例外であって、
通常の姿勢であるべきではないということです。
常に、どう心がけているのか、
その継続が、人の価値を変化させていくのだと
いうことでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 17:59| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月17日

自分にできる限度を

『自分にできる限度を
 ほんの少し超えたことを、
 毎日一つ実行せよ。』
  ローウェル・トマス

 限界を超える。
自分に出来ることを出来る範囲で
行うのは、誰にでも出来ること。
もし、飛躍したいのであれば、
やはり誰にでも出来ることよりも
ほんの少し努力が必要であるということ
それが、限界を超えること
ほんの小さい限度越えの努力を
一日一回実行し続けていくということ。
その継続の先に、出来ることしかしない
世界ではない、違った世界が
みえてくるということ。
 そんなことを伝えてくれている
言葉であるといえるでしょう。
 一日一善と同様に、
一日一限界越え、ということに
なるのでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 07:55| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月16日

全ての大偉業は、最初は不可能事だと言われた。

『全ての大偉業は、最初は不可能事だと言われた。』
   トーマス・カーライル

 歴史に残る偉業の数々、
それらの殆どすべてが、はじめるときには
不可能だとか、無謀だとか、無理だとか
言われたものであるというのです。
しかし、多くの人々に非難され批判されても
信念をもって、出来ると信じて、
実行していった結果、偉業はなり遂げられて
きたということです。
多くの偉業は、その中心人物と、
それを支える仲間がいて、成し遂げられている
ともいえるかもしれません。
世間や社会に信じてもらえなくても、
共に歩んでくれる、信じてくれる仲間さえ
いれば、偉業は成し遂げられるということでも
あるでしょう。
 不可能といわれる大偉業は、
本人にとっては不可能でもなんでもない
なすべきことを辛抱強く行っていけば
出来ることであったわけです。
時間のかかる偉業の多くが、
努力と継続という地道な活動の積み重ねの
結果であったりします。
 前人未踏の記録は、いきなり出来るものでなく
真面目に、真摯に、積み重ねていくものの
結果として存在しているのだということです。
はじめたときには無理だと言われるのは
仕方のないことかもしれません。
 ということは、
誰かに無理だと言われることは、
いずれ偉業として讃えられることであると
いうことなのかもしれません。
 もし、あなたの夢、ビジョンが、
不可能だと言われるものであったとしても
真摯に伝えた誰かひとりでも、
出来るのではないかと思ってくれる人が
いたら、間違いなく可能なことだと
いえるでしょう。
もちろん、実現させるまでの道のりは
大変であるとおもいます。
でも、諦めずに信じて進めば、
ゴールは自然に近づいてくるのだと
いうことでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 01:16| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

経験とは、人が経験することを

『経験とは、人が経験することを
 望まないことを
 経験することにほかならない。』
   ゲーテ

 経験したと感じること、
その印象が強いのは、この言葉のとおり
自分が望んだものではないことの経験で
あるといえるでしょう。
 未知なるもの、初めてのもの、
自分はやりたくはなかったもの、
そんな望んだわけでもないことを
行ってみたときの経験ほど、
人は、その記憶のなかに、その経験を
強く留めることになるということです。
 苦しかったり、辛かったり、
大変であったりしたことの記憶の方が
楽しかったことよりも鮮明に覚えて
いたりするものです。
 しかし、経験を積むという言葉で
言われるようなことは、
多くは、修行であったり、労働であったり
するのではないでしょうか。
学習することは、ある意味修行することでも
あるといえます。
訓練や教練なども修行であるといえるでしょう。
 目的の見えないようなものもあれば
目的があって行われるものもある。
そのどちらも、何らかの結果をともないます。
その結果とともに、その過程での記憶が
経験として、蓄積されていく
その結果として、スキルアップしたり
成長していったりするのではないかと
おもいます。
 ちょっと嫌なことであっても
体験してみると、よい経験となることがある
どんなことも出会いは貴重な機会と
いうことなのだといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 08:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月14日

もっとバラの花がほしければ、

『もっとバラの花がほしければ、
 もっとたくさん、バラの木を植えなさい。』
   ジョージ・エリオット

 バラの花は、バラの木がなければ
手に入らない。
 りんごの実がほしければ、
りんごの木をみつけなければ手に入らない。
花も実も、それが咲き、実るものが
必要であり、それを増やし育てなければ
たくさん手にいれることなど
出来はしないということです。
 多くのものが、そのものそのものを
手にするために、必要なものがあるという
ことです。
 何が必要であるのか、
それをしっかりと見極めること、
そして、その必要なものを手に入れること
それがなければ、手に入れることは
難しいということでしょう。
 ただし、バラの花を手に入れるのに
バラの木を植えるだけでは
だめであり、それは最初の一歩でしか
ないということもわすれてはならない
でしょう。まずすべきことが木を植えること
でも、それだけで、花が手に入るわけでなく
木を育て守り、蕾をつけることが
出来るようにしなければなりません。
そして、蕾がひらくまで、
見守り大切に育むことが必要です。
 そこまで、努力して、実行しなければ
目的のものを手にすることは
出来ないということです。
そして、簡単に手に入らないからこそ
価値があり、得るものが大きいとも
いえるでしょう。
 欲しいもの、得たいもの、
目標、ビジョンに向けて、
なすべきことはたくさんあるということ
それを、きちんと実行していけば、
いずれ、得ることが出来るということ
そんな当たり前のことも、人はときに
忘れてしまっている。
それをわすれないでと伝えてくれている
そんな言葉ともいえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 05:05| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月13日

正月事始・聖ルチアの日

「年神を
 むかえるために
 出来ること
 なにがあるのか
 浮かばぬこころ」

 今年も、あとわずか、2010年、平成22年、
寅年が、もうじきやってくるのだなと
年用意の日を迎えてしまって、日々の過ぎ行く
はやさを感じてしまいます。
例年通りに、何も出来ずに、過ぎてゆくという感じです。
 眼を守護するという聖ルチアの日というのも
視力の悪い自分にとっては、乱視と近視に、
遠視(老眼か)と、なかなか視界が開けない状況に
それは、現状で、未来がみえてこないという
状況にことにほかならないのかもしれません。
疲れた体と、心を休めること
そんな時間を持つことも、生きるためには
とても大雪であるということでしょう。
 安らぎを与え合える人がいる人は幸いです。
ひとり暮らす寂しさを、哀しみを
疲れたときほど、感じてしまうもので
あったりします。
 いつか、共に支えあえる人と出会えたら
そう願うしだいです・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 16:03| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

「新」

 今年の漢字は、上位に、
「政」「改」「変」「民」「鳩」「代」「交」と
いった文字がならび、やはり、政権交代が
一番大きな出来事であったのだなという気がします。
流行語大賞もそうでしたからね。
新政権が、行政を刷新し、国家事業のすべてを
事業仕分けで見直しをかけて、税収に見合った
支出となるように、努力して欲しいとおもいます。
未来への借金は、安易にすべきでないでしょう。
 新しい時代への幕開けとなるように
願いたいと思います
posted by 清水の伏竜. at 23:46| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする