2009年11月30日

無知を治そうと思うなら、

『無知を治そうと思うなら、
 無知を告白しなければならない。』
   モンテーニュ

 自分が無知であること、
知らないということを素直に認める
そこから、新しい一歩がはじまり、
その無知を克服することができるようになる。
無知であることを、直すためには
無知であることを、認めて
素直に教えを請うことができなければ
はじまらないということです。
見栄や虚栄や虚勢は、何の価値もなく
意味もないということです。
 無知であることから、
脱却したいのであれば、
無知であることを認めることから
始めましょう。
それは、多くの偉人が語っていることで
あったりします。
 無知を自慢するのはおかしなことです
でも、無知を認めないことも同様に
おかしなことだといえるでしょう。
 誰もが、この世における
人生を始めるときには、
新しい心と体によって、魂を封印して
歩み出すものです。
それは、無知からの出発であるとも
いえるでしょう。
ゆえに、過ちもすれば、驚きもある
学びと修行の場、
それが、人生のひとつの姿でも
あるのですから・・・。
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2009年11月29日

君、時というものは、それぞれの人間によって、

『君、時というものは、それぞれの人間によって、
 それぞれの速さで走るものなのだよ。』
    シェークスピア

 イギリスの劇作家は、時をどう感じて
どうおもっていたのでしょう。
自分自身の時を感じて、それは決して
他人と同期するものではないと
思っていたのかもしれません。
 時という流れは、どんな速さを
もっているのか、相対性理論における
時の流れは、結局、相対的なもので
絶対的に、等しいものではないと
示されています。
 人にとって、時は、年をとっていく
成長していき、老いてゆくという
ことなのだともいえるでしょう。
すると、暦で刻まれる時とは
違った流れの時が、人それぞれには
流れているようにみえてくるものです。
まさに、人によって、異なる速さで
流れているのだといった感じに
みえてくるといえるでしょう。
 人生の時の流れは、
その人生のもつ内容や充実度や
満足度、幸福度などによって、
大きく変化していくものなのだと
いうことなのかもしれません。
どんな速さの時を過ごしていくのか、
それは、人、それぞれの人生、
人生観や死生観、価値観によって
そして、いろんな絆によって
変わっていくものだということなのでしょう。
だから、それぞれに、素敵な人生を
歩めるように、時を感じていければ
よいのかなと・・・・・
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2009年11月28日

武士道においては分別があっては、もう遅れをとる。

『武士道においては分別があっては、もう遅れをとる。
 忠も孝もいらぬ。ただ死にもの狂いとなれ。』
    山本常朝

 武士が、戦いの瞬間に、
ためらうようであったら、
その戦いに勝つことは難しい
戦いの場では、とにかく死にもの狂いに
なって、集中して実行することが
勝利への近道であるということでしょう。
 ヴィジョン、夢に向かっていくとき
忠、孝の心は、とても大切です。
しかし、そんなものに目もくれないで
一生懸命にならないといけない
そのくらい集中し、前向きにいかねば
本当の成功など手にすることは
ないだろう。
そういったことの秘められた言葉だと
思っておくとよいでしょう。
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2009年11月27日

ペンは剣よりも強し

ペンは剣よりも強し

 よく聞く言葉です。
11月26日は、ペンの日だそうです。
昭和10年に、日本ペンクラブが
創立された日ということで、
それを記念してということのようです。
PENのPは、詩人・劇作家を示し
Eは、随筆家・編集者を示し、
Nは、小説家を意味しているそうです。
 島崎藤村が初代会長で、
川端康成、藤原猛といった人も参加していた
ということです。
 来年は75周年ということで、
国際ペン大会が開催される予定とのことです。
日本での開催は3回目で
1957年(川端康成会長)と
1984年(井上靖会長)のとき以来ということの
ようです。
テーマは「環境と文学」とのこと、
やはり、時代は環境というキーワードで
動いているのかもしれません。
現在の会長は阿刀田高氏。
 さて、日本ペンクラブの運営する
「電子文藝館」の複製サイトについて
日本ペンクラブが、警察に訴えたということが
ニュースに流れました。
著作権と商標権の侵害ということのようです。
違法サイトは、作成者の記載がなく、
氏名不詳のままでの告訴ということですが、
ネットのマナー違反、違法行為を無くすために
告訴できる人は、告訴していくべきだと
いえるでしょう。
今回の告訴については、今後の警察の対応が
注目されるところです。

日本ペンクラブ
http://www.japanpen.or.jp/
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2009年11月26日

おもしろきこともなき世をおもしろく

『おもしろきこともなき世をおもしろく』
   高杉晋作

 明治維新の勇、高杉晋作も、面白くなかった
ということですね。
そんな世を面白くしてやろうという
意気込みと、夢を伝えてくれています。
 平成維新の時代です。
面白くない社会であれば、
私が、面白くしてあげよう
そう言って、行動する若者が、
求められている時代なのだといえるでしょう。
 このおもしろい、というのは、
社会のことでもあり、自分自身の人生のことでも
あるわけです。
 楽しみ、面白いと感じながら生きる
そうでなければ、世の中も面白くなど
出来はしないということでもあると
いえるでしょう。
 自分が楽しめないことが、
他人が楽しめるわけもなく、
また、他人を巻き込んで、社会を変えていく
ことなどできるわけもない。
そういうことだといえるでしょう。
 みなさんは、面白いことしてますか。
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2009年11月25日

もう終わりだと思うのも、さあ始まりだと思うのも、

『もう終わりだと思うのも、さあ始まりだと思うのも、
 どちらも自分である。
   フェデリコ・フェリーニ

 現状を、どう思うのか
それは、結局、自分自身の問題になって
しまうのだということです。
 もう終わりだ、おしまいだ、
だめだ、絶望だ、と悲観するのも自分。
 さあ、これからだ、今が始まりだ
転換のときがきた、出発するぞ、
と希望を抱くのも自分。
 絶望するも、希望をもつも、
自分しだいということ。
 同じ状況におかれても、
どう思うのかによって、
どう捉えて、考えるのかによって
180度、異なるものに
なってしまうということです。
 であるなら、良い方向に向かう
可能性のある方が、良いのではないでしょうか
 そう思えるように、もっていくこと
そう思えるようになるために、
どうすればよいのか、
そこが重要になってきます。
落ち込んでいるときに、
自力で回復するのは、なかなか大変です。
そんなときには、自分以外の力を
頼っていけばよいでしょう。
 それが、愛する人であれば素敵ですが、
そうでなくても、友人や知人、
専門家や有名人、書籍や映画といった芸術、
サッカーや野球といったスポーツ、
どんなものでもかまわないでしょう。
 自分自身で決まることであっても、
それを支えてくれるものがあれば、
より確実に、より早く、良い方向に
もっていくことが出来るでしょう。
頼りになるものが、あったほうが、
人生はより豊かになりえるとも
いえるのかもしれません。
でも、最後の最後は、自分自身が
決めることになる、それは変わりません。
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2009年11月24日

自分の力でどうにもならないことは、

『自分の力でどうにもならないことは、
 心配してもはじまらない。』
   ギル・アメリオ

 どうにもならないこと、
確かにいろいろあります。
そして、多くのひとが、そのことについて
思い悩み、心配しています。
 そんな、どうしようもないことに
気をとられて、心配してもしょうがない
ある意味で達観すべきでしょうと
この言葉は伝えているといえるでしょう。
確かにそのとおりではあります。
しかし、人はその生きている環境の
なかで、自分に関連することすべてが
気になるものであり、
心配になってしまうものです。
自分の力で、どうにかなることと
どうにもならないことを、
きちんと分けることも、
意外と難しかったりもします。
心配すること事態を、やめた方が
よいのかもしれません。
人生、出来るだけ、気持ちよく
歩みたいと誰もが願っているでしょう
しかし、現実は、そうはいきません。
人生は、ある意味、修行の場でも
あるのですから、
心配することよりも、前向きに
とらえて、出来ることから行っていくことに
もっと心や気持ちを傾けましょう
その方がよいではないですか
そういうことなのだといえるのでしょう。
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2009年11月23日

真実へ向かう道は、なんびとも阻み得ない。

『真実へ向かう道は、なんびとも阻み得ない。
 この行動のためには、
 わたしは死をも受け入れる覚悟がある。』
  ソルジェニーツィン

 真実を求めることへの情熱と
覚悟とを語った言葉です。
死が迫ろうとも、あくまでも真実を求めていく
その姿勢においては、誰も止めることは
出来ないということ。
 真実へのあくなき追求心は、
とても大事なことだとおもいます。
ただ、何が真実なのかを、見極める力が
なければ、その力、情熱も空回りするだけに
なってしまうでしょう。
 真実を求める情熱も必要ですが、
真実を見極める目も必要です。
何が真実なのか、客観的に捉えていく
しかし判断の基準をしっかりともっている
そして、出来うるなら、
判断の基準の根源には、神の真理と
神の叡智をもってすることが望ましいと
いえるかもしれません。
 社会の基準は、時代背景によって変化し
不安定なものであったりするものです。
常識こと非常識であることも
多々あるということです。
では、本当に普遍的なもの、恒久的なものは
何なのか、それがあるとしたら
神という創造主の基準であるといえるでしょう。
宇宙の法則も人間の法則も、
神の真理と叡智に基づき展開されたもので
あるということになります。
人類は、その叡智や真理に近づくために
研究し求め修行してきたともいえるでしょう。
真実は、真理のテーブルの上において
審議を問うた結果として、
見えてくるものなのだともいえるでしょう。
そうでない真実は、ある立場においてのみに
真実であって、他の立場では、真実では
ないかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 22:05| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

事を行なうに、いつから始めようかなどと

『事を行なうに、いつから始めようかなどと
 考えているときは、すでに遅れをとっている。』
  クインティリアヌス

 いつから、はじめよう。
そうおもうことは、意外と多いのでは
ないでしょうか。
でも、そうおもっていると、
もし何か競いあうことであったら、
あいてに遅れをとってしまうということです。
確かに、そのとおりであるといえるでしょう。
 でも、何かしなければならないことが
あるとき、いつからはじめようとおもうことは
よくあるとおもいます。
そして、そうおもうことは、
いつまでにしなければならないという制約が
ないことが多いのではないでしょうか。
誰かから、いつまでにやってという
制約があるようなことであれば、
いつからはじめようと考えることも
ないようにおもいます。
つまり、いつから始めようとおもうより
いつまでに完了させなければならないと
おもうようにすれば、はじめやすいとも
いえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:45| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月21日

私個人の考えでは、用心深くするよりも、

『私個人の考えでは、用心深くするよりも、
 むしろ断行したほうがいいと思う。』
   マキャヴェリ

 マキャヴェリズムという言葉があるような
人物の残した言葉は、用心深くするより
断行した方がよいというものです。
用心深くすると、どうしても断行できなくなって
しまうものです。
用心深さは、躊躇さを生み出します。
そして、躊躇は、停滞につながっていきます。
何かを成し遂げようとするとき、
躊躇していては、何も出来なくなってしまう
ということでしょう。
だから、思い切って断行する方がよい
ということになるわけです。
もちろん、用心深さは必要です。
リスクを考えることも大事なことです。
しかし、ほどほどにしないと、
いつまでたっても前に進むことは
出来ないということになるでしょう。
思い切って実行することの方が、
何かを生み出すことができるということです。
だから、迷っているなら、躊躇しているなら
断行した方がよい。
そういうことなのだといえるのでしょう。
勇気をもって、一歩前に。
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2009年11月20日

ひとは、ひとりぼっちで、死ぬであろう。

『ひとは、ひとりぼっちで、死ぬであろう。
 だから、ひとりぼっちであるかのように、行為すべきである。』
    パスカル

 この世の人生の最後、ひとりで逝くことは
確かであるのかもしれません。
でも、そうだからといって、ひとりぼっちで
あるように行為すべきなのか、
この言葉は、責任というもの、誇りというもの
自尊心というものについてのひとつの見かたを
語っているのかもしれません。
ひとりぼっちであるかのように行為すること
それは、他人まかせにしないこと、
自分のことには自分で責任をもって、
自分の力で行っていくこと
その必要性と大切さを示していると
考えられるでしょう。
 人は、両親やその先祖の存在があって、
この世に生まれてきます。ひとりでは生まれてもこれず、
人生をはじめられもしないのです。
そして、ひとりでは成長していくことも
生きていくことも難しい存在であったりします。
この世を去るときに、ひとりであるかもしれません。
しかし、そこに至るまでに、多くの人との絆や縁に
支えられていることでしょう。
そのことへの感謝を忘れてはいけないとも
いえるでしょう。
 ひとりぼっちで逝く覚悟は必要です。
でもそれは、孤独で生きることを意味するのでは
決してないこともいえるでしょう。
常にひとりの存在であること、自分を意識する
そのことの大切さを忘れることなく、
まわりの人に、関わる人に、感謝の気持ちを
もっていること、そして、その心のもとで
行動していくことが、大切であるように感じます。
posted by 清水の伏竜. at 07:12| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

しだいに高くそびえてゆく建物を見る喜びは、

『しだいに高くそびえてゆく建物を見る喜びは、
 たとえ今までのところ、
 その建物にわずか一粒の砂を運んだにすぎない人でも、
 必ずや心の渇きをいやしてくれるはずである。』
   ドストエフスキー

 ほんの小さなことであっても。
参加することができたなら、喜びを分かち合える
高く大きく成長していくものがあり、
その成長に、ほんのちょっと援助することが
出来たなら、その成長のさきに訪れるゴールを
一緒に喜び、その成果を分かち合うことが
出来るということでしょう。
だから、気になることがあったら、
ほんのちょっとでも参加してみることが
よいということでしょう。
 この言葉を、あることを象徴するものと
考えるのであれば、高くそびえてゆく建物が
成功や幸福を示すのであれば、
それを築くために、わずかでも参加したなら
一緒にその成功や幸福を分かちあえる
ことになるともいえるでしょう。
 小さなことしかできなくても
その小さなことが出来ることが
とても大切なことであるということ
小さなことでも行うことに
大きな意味や価値があるということ
だから、どんなに小さいことでも
やれることであれば、
やりたいと思ったなら
行っていこうということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 04:24| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月17日

苦しみは人間の偉大な教師である。

『苦しみは人間の偉大な教師である。
 苦しみの息吹のもとで魂は発育する。』
  エッシェンバッハ

 真理を解き明かす言葉のひとつと
いえるかもしれません。
苦しみが、なぜやってくるのか、
それは、まさにカルマの解消のためであると
いえるでしょう。
すなわち、それは魂の成長、浄化であると
いうことです。
苦しみは、おおきなチャンスであるということです。
それを、乗り越えた先には、
成長と恵みが、まっているともいえるでしょう。
 苦しみに出会わない人生など
ありません。
 出会ったときに、それをどうとらえて
どのように対するのか、
それによって、その後の人生は、
おおきく変化していくのだといえるでしょう。
 偉大な教師として捉えることが出来るなら
大きな成長を得ることができると
いうことでしょう。
 何事も、前向きにとらえ、
プラス指向で、考えていくことのできる
心をもてるかどうかが、
問われているのだともいえるでしょう。
 ひとりでは難しいなら、
支えてくれる人と一緒に、歩んでいけばよい
そんな人がいる人は幸せだとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 06:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月16日

他人の知識で物識りにはなれるにしても、

『他人の知識で物識りにはなれるにしても、
 私たち自身の知恵によってでなければ
 智恵者にはならない。』
   モンテーニュ

 知識と知恵の違いについて
語った言葉です。
知恵者になるためには、何が必要か
それは、自分自身の知恵をつかえるように
なることが大切であるということです
知識も大切ですが、物識りになれても
知恵者になれるわけではない
まさに、評論家になれても
変革者にはなれないということであり
主体的市民にはなれないということだと
いえるでしょう。
そして、成功者にもなれないと
いうことになるかもしれません。
 使える、使いこなせる知識こそが
役立つものであり、知恵であると
いうことでしょう。
多くの知識より、ひとつの知恵、
それが、おおきな力となると
いうことでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 04:02| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月15日

自分の行いがばかげている人に限って、

『自分の行いがばかげている人に限って、
 まっさきに他人を中傷する。』
   モリエール

 他人を中傷することは、
自分のおろかさを世に示すようなもの
ということです。
自分の行いをきちんと見極めることのできない
曇った目をもっているから
他人のことを中傷することしか
出来ないのかもしれません。
 他人は、自分の鏡である部分もあたりします
他人を中傷することは、自分を中傷すること
因果応報という言葉の通りに、
他人への行いは、いずれ自分に戻ってくる
愛情なき行為は、マイナスとなって自分に
かえってくるということでしょう。
また、そんな愚かな行為をする人は
結局は、そんな愚かな人物であるということ
なのだともいえるでしょう。
 他人の良いところを引き出すことが
自分をも成長させてくれる
そういうことだともいえるのでは
ないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 23:14| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

「明日は、明日こそは」と、人はそれを慰める。

『「明日は、明日こそは」と、人はそれを慰める。
 この「明日」が、彼を墓場に送り込むその日まで。』
   ツルゲーネフ

 明日があると思っているだけでは、
明日は永遠に訪れることはない。
墓場にいくまで、同じ言葉を繰り返すだけ、
慰めているだけでは、何も変わらない。
この言葉は、明日はあるが、それに頼って
今を慰めていてはだめだということを
伝えてくれています。
明日は、今の延長上にあるのであって
突然訪れるものではないということです。
今こそ、今だから、そう言えなければ、
明日はない。
そういうことだと言っているのです。
明日でよいと思うことも確かにあります。
しかし、それは、今やらねばならないものが
あって、それを先にやる必要があるから
明日でよいということであって、
今やらなくても良いということではない
というわけです。
 明日につながる今を、どう生きるのか
どう今このときに、行動するのか
それが、明日こそという言葉の前に
必要なことだといえるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 23:31| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月13日

チャンスは備えある心だけに微笑む。

『チャンスは備えある心だけに微笑む。』
  ルイ・パスツール

 チャンスは、どうすれば手に入るのか。
チャンスをつかんで、成功した人に
尋ねる人は多いのではないでしょうか。
そんな問いへのひとつの答えが、
この言葉だといえるでしょう。
 女神は、備えある心に、微笑むと
いうことです。
備えのない心には、微笑まないということ
になります。
 では、備えとはなにでしょう。
どんな備えが必要なのでしょう。
きっと、この答えをうけた人は、
そんな疑問をもつのではないでしょうか。
 備えとは、結局は、直向きで、純粋な
物事を成すために、努力する姿勢であり、
自らビジョン、夢を描き、
そのビジョン、夢に向かって、
行動しているということであると
いうことのようです。
 求めている人でなければ、
受け入れる備えは出来ていないという
ことだといえるでしょう。
その求めが強く、求めを自ら得るために
歩んでいることが、備えであると
いうことなのだといえるでしょう。
そんな備えがあるから、チャンスの風が
近くを通ったとき、それに気づくことができ
それを捉えることができるのだと・・・。
みなさんは、備えの心、もてますか・・・。
もう、もっていますか・・・・
posted by 清水の伏竜. at 08:07| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月12日

大きい声を出して、いつも元気にニコニコしていれば、

『大きい声を出して、いつも元気にニコニコしていれば、
 たいていのことはうまくいきます。』
   樋口廣太郎

 声が大きく、元気で、笑顔。
そんな明るい人がいると、廻りも明るくなって
しまいます。
 すると、自然に、関係性がうまくいきだし
いろんなことが、うまく転がりだしていく
そんな経験はありませんか。
 この言葉は、そんな経験が、意外と多くの人に
共通してあるのではないかということを
示すものだといえるでしょう。
 やはり、人は、明るい人、元気な人が
側にいれば、そのような影響を受けますし、
暗い人、元気がない人がいれば、
その影響を受けてしまったりするものです。
 笑顔も伝染するけれど、怒りや悲しみや
落ち込みも伝染していくということです。
 人と人の関わり合いの不思議なところです。
心理学的な手法では、このような人から人への
影響を、うまく利用していきます。
人に影響を及ぼしやすい状況や言葉、
語り方、みせかた、などを、統計的なデータ結果を
もとに展開していくわけです。
ひとつ間違えれば、詐欺ともなりえますし
霊感商法やデート商法も同じようなものであったりします。
 まともと思われている一般的な手法も、
違法とおもわれている手法も、根本は同じであり
手法としては違いはありません、
ようは、その手法を用いる人の心のありようと
気持ちのあり方、関係性がどう築かれるのか
といったことで、信頼しているからといわれるか
騙されたと思われるかが、変化してしまうわけです。
 大きな声で、元気で、ニコニコ、
そうしていれば、うまくいくことが多いというのも
人は、そんな人には、親近感を持つからです。
 やはり、嫌われるよりも、好かれたい、
親近感をもって欲しいと、誰もがおもうものです。
もちろん、相性もあったりしますし、
性格の関係性もあったりしますが、
よい関係性をもてるかどうか、そのアプローチとして
一般的なことは、多くの人が語っている通りでは
あったりします。
 人によっては難しことであったりするし
簡単であったりすることでもありますけど・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 18:12| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月11日

舞台に立つには姿勢が大切です。

『舞台に立つには姿勢が大切です。
 しっかりとした 姿勢を持つことです』
    森繁久彌

 昭和の名優が、白寿を3年前にして、逝きました。
大往生であったといえるでしょう。
演劇界初の文化勲章受章者であり、
舞台で、映画で、テレビで、ラジオで、
さまざまな活躍をしてきて、多くの人に影響を
与えてきた人であるといえるでしょう。
 10代が平成生まれだけとなり、
昭和を飾った人々も、ひとり、またひとり、
天寿をまっとうして、逝ってしまいます。
それぞれの分野で、その次を担う人物が、
登場してきて欲しいともおもうしだいです。
 姿勢の重要さは、演技者にとっては、
どの分野でも基礎中の基礎であり、
また根本的に重要なものであるといえます。
重鎮が語ると、そこ言葉にも、重みが出てきます。
姿勢とは、身体の姿勢でもあり、
心の姿勢でもあるといえるでしょう。
 心身、両方の姿勢が、しっかりとしていなければ
よい舞台を創ることは出来ないということです。
それは、舞台だけでなく、人としての生き様でも
同様であるといえるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 18:51| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ありがトンの言葉とともに、

200911082135000.jpg
「ありがトンの言葉とともに、
 うつ蔓延社会をうつ円満社会へ」
    さわとん (澤登和夫)

 一新塾23期のプロジェクトで、ご一緒させて
頂いたさわとんの想いは、日本の社会の問題に
自らの経験をもとに、アプローチしていくものです。
 今年も、自殺者は3万人を下ることがなさそうで
うつ病などの労災も多くなる一方であったりします。
そして、うつ病になると、そのまわりの人の
支えが、理解がなければ、治るものも治らなく
なってしまい、重症化していってしまう
そんなことも多いようです。
 うつ病は、治るものだということ、
そして、そのためには、本人も、まわりも、
うつと向き合い、取り組むことが必要だということ
でも、多くのひとが、どうしたらよいのかと
悩んでしまっているようです。
 さわとんは、そんな人たちに、生きるヒントを
おくってくれています。
 もし、なにかお悩みでしたら、ぜひ一度、
気楽に、ちょっと足をのばしてみて
さわとんのイベントやセミナーにいらしてみてください。
もちろん、カウンセリングをお願いしてみるのも
よいとおもいます。



「ありがトン♪」うたってムービー


毎日ほんわか、あったか、なごやかメルマガ
『さわとんの、今日の「ありがトン」』
(PC)http://mini.mag2.com/pc/m/M0088094.html
(携帯)M0088094@r.mini.mag2.com (空メール送信)

株)ありがトン公式HP http://arigaton.com

さわとんの活動は、先だってNHKの朝のニュース
関東地区向けで、約9分にわたって紹介されました
今後も以下の放送のなかで紹介される予定です
TV東京「生きるを伝える」
http://www.tv-tokyo.co.jp/ikiru/
11月14日(土)20:54分から
12月1日(火)NHK総合「生活ほっとモーニング」

☆いきいき!フォーラム
 with 櫻井秀樹さん(元劇団四季俳優)
〜苦手なあの人と話すのが楽しくなる!〜
 人間関係をスムーズにしてくれる 
 「共感コミュニケーション」の法則
http://www.arigaton.com/activity/ikiiki/20091128
【日時】11月28日(土)14時〜17時 (受付13時30分〜)
【会場】太陽化学株式会社東京本社(太陽ビル)
 〒105‐0013 港区浜松町1丁目6番3号
 JR「浜松町」駅、都営大江戸線・浅草線「大門」駅徒歩3分
 http://www.taiyokagaku.com/jp/outline/map_tokyo.htm
【定員】30名
【参加費】3,000円 (さわトントン会員 2,500円)
【懇親会】終了後、同会場にて2時間程度 (別途1,500円)
【お申込】こちらのフォーム からお申し込みください
 (PC) http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87161139
 (携帯)http://www.formzu.net/mfgen.ex?ID=P87161139

★うつ円満セミナー@東京★
〜うつ蔓延社会を、「うつ円満社会」へ
【詳細HP(携帯対応)】
http://www.arigaton.com/activity/lecture/091119
【日時】11月19日(木)19時〜21時15分 (開場18時30分)
【場所】亀戸文化センター 第2研修室(5階)
(JR総武線亀戸駅北口徒歩2分(JR秋葉原駅−亀戸駅=9分)
http://www.kcf.or.jp/kameido/kameido_map.html
【参加費】2,500円 (さわトントン会員 2,000円)
【内 容】
■うつ病って、どんな病気?
■「うつ円満社会」ってどんな社会?
■うつ専門カウンセラーのうつ体験談
■うつの早期発見・予防のために
■うつの人に、どう接したらいいの?
【定員】30名
【★お申し込み★(携帯対応)】
http://www.formzu.net/mfgen.ex?ID=P72915513
【お問合わせ先】info@arigaton.com 090-3911-3810
【詳細HP(携帯対応)】
http://www.arigaton.com/activity/lecture/091119
posted by 清水の伏竜. at 04:52| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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