2009年10月31日

ぼくらの選んだ人生は、やはりつらいな。

『ぼくらの選んだ人生は、やはりつらいな。』
  ピエール・キュリー

 困難な道を選んだことを、
キュリー夫妻は、知っていた。
そして、やはりその通りだったと語った。
でも、それを後悔するのではなく、
予想通りとなっとくし、
前に進んでいく、その決意の気持ちを
もった言葉です。
 たとえ、どんな困難がまっていると
わかっていても、選び進むべきだと
思える道であれば、進んでいくべきだと
いうことでしょう。
そうしなければ、きっと後悔することに
なるということです。
自ら選んだ人生に悔いなき、
そういえるように生きて生きたい
ものだとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 05:24| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月30日

どんなに変化する世の中でも、

『どんなに変化する世の中でも、
 自分から落後してはだめだ。』
   平塚常次郎

 世の中は、どんどん変化しています。
景気も変化し、労働環境も変化し、
社会も変化しています。
その変化する社会のなかで、
どのように生きていくのか、
ひとりひとりが、問われているといえるでしょう。
そんななかで、自分から落後してしまう
それだけは、してはならないことだと
いうのです。
それは、人生をあきらめるということに
ほかなりません。
人生は、あきらめてはダメなものです。
自分自身だけは、最後まで、あきらめず、
どんな状況におちいっても、生きることを
やめずに、全うすること、
それだけでも、大きなものを得ることが
できるのが、人生であるということです。
与えられた命、定められた逝くときまで、
全うすることが、最低限のなすべきこと
それがなせるだけでも、生きた価値は
あるといえるでしょう。
そこから、どれだけのことを
プラスアルファできるのかが、
人生の生き方にかかわってくるものだと
いうことになるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 05:58| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月29日

心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、

『心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、
 遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ。』
    岡本太郎

 会社員、サラリーマン、ビジネスマン、企業人、
勤め人、いろんな言い方がありますが、
企業、会社に、奉仕し、仕えている人にとって
出世は、ひとつのステータスだといえるかも
しれません。実際、給与の面でも、大きな差が
あることは、雑誌の特集に取り上げられているように
平と部長では、実質の労働内容に関係なく
地位だけで、2倍以上の差があることがわかっています。
肩書きが、企業の中で、いかに大きな意味を
持つものかが、報酬でも権限でも、労働環境や条件でも
格差となっているわけです。
もちろん、肩書きに相応しい働きをしている人も
大勢いらっしゃいますが、
平と変わらないと思われている肩書きだけの人も
大勢いらっしゃるようで、
そこが、多くの社員の不満の一因になっている
ところもあるようです。
 同期の入社で、出世できないということで
引け目を感じるといったことが、あったりすると
仕事は、面白いわけありません。
公務員は、それで、天下っていくシステムを
つくって、そんな想いをしないようにしたわけです。
格差をなくして、楽して大金をつかむシステムです。
企業とちがって、税金が元でなので、
景気の心配もないといううまい話です。
そんなことをしているので、国民に嫌われてしまった
ということもいえるでしょう。
今回、新政権下で、ぜひ改革して欲しいところです。
 さて、企業で働く人にとって、
働くことに意味があるなら、出世など関係ないと
思えるかもしれません。
また、生活のための労働と割り切れるなら、
あるレベルの賃金が得られるなら、それでよいと
わりきれるのでしょう。
ただ、環境が、プレッシャーやストレスを
押し付けてくることも多かったりします。
 たしかに、出世に心から興味なければ、
卑屈になることもなく、生活できることでしょう。
出世以外に、目標のもてる環境であれば、
きっと、生き生きと労働できるのではないでしょうか。
でも、現実には、そんな環境のある企業は
稀だといえるように感じます。
posted by 清水の伏竜. at 04:13| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月28日

想いを大切に

200910222147000.jpg
『想いを大切に』
  小暮真久

NPO法人
TABLE FOR TWO International
http://www.tablefor2.org/jp/index_jp.html

世界の食の問題は、片方で、飽食により、
肥満・メタボにより生活習慣病になる世界があり、
片方で、飢餓により、病気になる世界があると
いうバランスの悪さにあるといえます。
なら、飽食の国の食を、飢餓の国にもって
いけばいい。その単純な方法を、実現したのが
テーブル・フォー・ツー
日本の社員食堂に、カロリーを減らした
メニューを、その浮いたコストから、20円を
アフリカの学校給食へ、こどもたちが1食たべれる
ようになる。
そのシステムの運営をおこなっていくことで
アフリカの子供たちが、学校に来るようになり
給食を楽しみながら、学び成長していく
その手助けとなっていく、
事業の拡大によって、社会貢献しながら、
生活していくことができる。
社会起業家といわれる人たちは、
ビジネスモデルをつかって、社会貢献をし、
生計も立てていくといったことを実行して
いく人たちです。
いろんな苦労や困難にぶつかりながらも
自分の行っていることが正しいと信じ、
そのビジョンを成し遂げるのだという
強い想いがあれば、きっと困難も
乗り越えられるし、活路が見出される。
その想いを、大切にしていれば、
必ず出来る。
夢、理想、ビジョン、
それを成し遂げることが、
自分だけでなく、社会のためになる
自分がやることに、意味がある
そう強く想えるのであれば、
道は自ずとみえてくる。
そういうものであるようです。



小暮真久氏(NPO法人TABLE FOR TWO International理事兼事務局長)

1972年生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、
オーストラリアのスインバン工科大で
人工心臓の研究を行なう。
1999年、同大学修士号取得後、
マッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社入社。
ヘルスケア、メディア、小売流通、製造業など
幅広い業界の組織改革・オペレーション
改善・営業戦略などのプロジェクトに従事。
同社米国ニュージャージー支社勤務を
経て、2005年、松竹株式会社入社、事業開発を担当。
経済学者ジェフリー・サックスとの出会いに
強い感銘を受け、その後、先進国の肥満と
開発途上国の飢餓という2つの問題の
同時解決を目指す日本発の社会貢献事業
「TABLE FOR TWO」プロジェクトに参画。
2007年NPO法人・TABLE FOR TWO Internationalを
創設し、理事兼事務局長に就任。
社会起業家として日本、アフリカ、米国を拠点に活動中。
posted by 清水の伏竜. at 05:33| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

主体的市民へ

20091020191400015.JPG
主体的市民憲章

一、私たちは、批評家、傍観者の態度から訣別し、
  自ら主体的に行動を起こし、
  問題を解決・創造する人となります。

一、私たちは、現場に飛び込み、問題を自分に吸い込み、
  純粋な憤りをエネルギーに、
  協働して新しい道を拓きます。

一、私たちは、ミッションを基軸に、
  他を活かし自分も活きる、
  相互に支援し合うコミュニティーを築きます。

一、私たちは、自ら理想の社会ビジョンを描き、
  自分が変わることから社会を変えていく、
  自己と社会の同時変革に挑戦し続けます。

一、私たちは、「グローバルな横軸の価値観」と
  「過去・未来を見通す縦軸の価値観」を持ち、
  生活者主権の新しい地域づくり・国づくりに
  取り組みます。

      2004年 NPO法人一新塾

平成維新の会が、1992年に平成維新憲章を掲げて
日本の社会を改革しようと動きだしてから、
政治を変えるだけでは、社会は変革できないと気づき
市民も変わっていくことが必要だということで
市民が変わるための学びの場として、
一新塾が生まれ、15年が経過し、卒塾生の中から
数多くの社会起業活動、NPO/NGO活動、
市民プロジェクト、などが、行われてきています。

創設者の大前氏の言葉に
 ☆最初にビジョンありき!「何をやりたいんだ」
 ☆言い切れ!「こうだ!」と言い切れ。
 ☆質問し続ける!
とあるように、
現状に満足し追従するのではなく、
理想、ビジョン、夢を掲げて、
それに向かって、自らを砕き、現場に飛び込み
突き進んでいく、そのなかで、周囲を巻き込み
大きな動きに育っていく、
そんな市民活動、市民パワーが、
日本の社会変革には、必要となっているということです。

ほんの少しでも、主体的な市民として
意識し、生活する人が、増えていけば、
市民のための市民による市政へ
住民のための住民による地域コミュニティへと
変化していくことが出来るのだといえるでしょう。

NPO法人の政策学校一新塾15年記念映像

NPO法人の政策学校一新塾10年の歩み
posted by 清水の伏竜. at 00:40| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月27日

人間の目的は、生まれた本人が、

『人間の目的は、生まれた本人が、
 本人自身でつくったものでなければならない。』
   夏目漱石

 自分の目的は、自分が見いだすものであると
いうことです。
人は、自分の人生を生まれる前に、何のために
生きるのかを決めて、生まれる環境を選び、
生まれてきます。
それは、自分の魂が、どう成長する必要があるのか、
成長し、カルマを解消し、徳を積むには、
どのような環境で、チャレンジすべきなのか、
自分の魂が、自分自身で選択した結果が、
生まれた環境であり、生まれた肉体と精神であると
いうことなのです。
つまり、生まれたときに既に、自分自身が選んだもので
あるわけです。
しかし、生まれたとき、魂は、肉体と精神の殻の中に
閉ざされて、肉体と精神が、その生の歩みを、
何もないところから始めることになります。
この世での目的、人生は、この世に生まれた本人が
またあたらに定めて、つくっていくことが
必要となるのです。
 魂と精神のつながりには、個人差があるので、
魂の言葉を感じて、人生を選ぶ人もいれば、
それがまったくなく、白紙の状態で、選ぶ人もいます。
しかし、生まれた理由には、この人生で、
カルマの解消、徳を積み、魂を成長させるためという
根本となる理由があるわけです。
そのために選んだ環境であるがゆえに、
生きることだけでも、最初の目的はある程度達成される
ことになるでしょう。
でも、ただ生き抜くだけでは、折角の人生、
この世での生きる歩みが、もったいないようにも
おもいます。より、素晴らしい生き方をして、
逝くときには、生まれる前の予定を上回るような
存在となっていられたら、その人生は、まさに充実した
ものであったといえるでしょう。
 人生の目的も、目標も、その人、本人が、
決めてこそ、意味あるものになっていく、
もちろん、決めるにあたって、いろんな助言や、
環境の条件、経験などが与えられるでしょう。
でも、最後に決めるのは、自分自身であり、
他人が決めるわけではないということです。
そして、自分で決めたのに、他人に決められたと
思っているようでは、充実した人生にはならないと
いうことになるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 06:50| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月26日

目的地に達しうるかどうかは

『目的地に達しうるかどうかは
 頭のよしあしなどにはかかわらない。
 信じて持続できるものを見つけたか否かのみにかかわる。』
   堀田善衛

 目的地に達するかどうか、
自分のビジョン、自分の夢のゴールへ
到達できるのか否かは、
頭がよいかどうかできまるのではなく
経験の多い少ないできまるのでもなく
富の大小できまるのでもない
ただ、信じることのできるもの
そして、信じて持続していけるものを
見いだして実行できるかどうかに
かかわるということである。
この言葉は、多くの先人が、実感してきた
ものであるようなので、
おそらく、間違いないことなのだと
いえるのでしょう。
少なくとも、ゴールにたどり着くためには
信じること、継続できること
それが無くてはダメだということ
それをどうやってみつけるのか、
みいだすのか、
それが、大きな課題であるということに
なるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 20:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月25日

もしわれわれが空想家だと言われるならば、

『もしわれわれが空想家だと言われるならば、
 そして、できもしないことを考えていると言われるならば、
 何千回でも答えよう。そのとおりだ、と。』
   チェ・ゲバラ

 革命家にして、英雄、そして・・・・
無謀とおもわれることに、自分の信念に基づいて
行動し、チャレンジして、生き抜いた人生。
それが出来た人の言葉には、やはり重みがあると
感じます。
目の前の現実を肯定し、それに埋没するだけの人は、
夢をみ、理想を語り、それを求める人が、
空想家にしかみえないのだろうし、
できもしないことを考えているとしかいわないのでしょう。
でも、空想家でもなければ、
できないことを考えているわけでもなく、
理想を想い、それを成し遂げるために、
考え、行動しているに過ぎなかったりするのです。
だから、信念をもち、しっかりとしたビジョン、夢を
抱き、ぶれることのない人にとっては、
どういわれようとも、気になりはしないと
いうことでしょう。
そして、誰かを、空想家といい、
できもしないことを考えているという人よりも、
言われた人の方が、充実した人生を
悔いなき人生を送っているということです。
どちらが、よいのか、
それも、また、ひとりひとりの
選択であるということになるのでしょう。

みなさんは、どんな人生を選択しますか・・・・
posted by 清水の伏竜. at 06:25| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月24日

人生が公平ではないことを悟れるくらいに

『人生が公平ではないことを悟れるくらいに
 成長しなくてはならない。
 そしてただ、自分の置かれた状況のなかで
 最善をつくすべきだ。』
   スティーヴン・ホーキング

 公平とは何か、ということと、
人生とは何か、ということについて
語っている言葉です。
公平、公に平等ということを、
まったく同じにしてもらえる、しかも無条件にと
思っていたら、大間違いといったところでしょうか
世の中に、単純な公平などは、ありえない
人生においても、生まれた瞬間から公平ではない
その事実を悟れることが、最初の一歩で
あるということなのかもしれません。
人生は、人それぞれに違っていて、
同じということなどありえないもの
そして、違うからこそ、意味があるとも
いえるでしょう。
自分の人生を、精一杯に生きること
おかれた状況で、最善をつくしていくこと
結果がどうあっても、そうしていける
その姿勢とあゆみが、人生の価値を高め
逝くときまでの意味を深くすることが
できるのだということでしょう。
なかなか、最善をつくすのも難しいものですが
努力することが大切であるともいえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 15:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月23日

はじめから無駄に思えるようなことを

『はじめから無駄に思えるようなことを
 一生懸命につづけて、
 ようやく駄目だとわかるころ、
 そのことによって実は案外と
 他の重要な糸口を得ていることがある。』
   寺田寅彦

 一生懸命に続けることの大切さを
伝えてくれる言葉です。
なんであっても、一生懸命にやることは
とても素晴らしいことであり、
意味のあることだということです。
一生懸命にやることが、出来なくなっている
そんな時代であるような気もします。
一生懸命になれるものが見つからなくて
迷っている人が多くなっているという
ことなのでしょう。
もしかしたら、私もそのなかのひとりと
いえるかもしれません。
 一生懸命な姿は、
素直な心と気持ちをもった子どもたちに
みることが多いのではないでしょうか
そして、結果がどうであっても
一生懸命さに、みるものの心を打つものが
あるということも、子どもたちの姿から
感じられることでしょう。
 大人になっていくにつれて、
一生懸命さを失っていっているのかもしれません。
スポーツも、プロであっても一生懸命さの
みえる選手は、観客の心をつかんでいます。
効率重視で、緩急つけるのも良いのですが、
ひたすらに頑張り、一生懸命にプレーする姿にも
ファンは心を惹かれるし感動するのだといえるでしょう。
そして、そのなかで、成長もあり、
発見もあり、スキルの向上もあるのだと
いうことなのではないでしょうか。
 一生懸命になれるものがあるのなら、
それを大切にしていくことが、
人生をより深く、意味あるものにしていける
そんな気がしてなりません。
posted by 清水の伏竜. at 10:13| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月22日

今日は今日の悔いを残して眠るべし

『今日は今日の悔いを残して眠るべし
 眠れば明日があり闘いがある』
   山崎方代

 日々、戦いの日々ということであり
その日の後悔は、そのまま捨て置き、
眠って忘れてしまえばよいということでしょうか。
今日の悔いを引きずっていては明日の闘いを
勝ち抜けないということでしょう。
 日々をどういきるのか、
どういきていくのか、
そして、どう過ごしていくのかは
人それぞれ、異なるものであるといえます。
闘いとおもう人もいれば、
憩いとおもう人もいれば、
苦行とおもう人もいれば、
修行とおもう人もいる・・・・
どう考え、どうおもい、一日を過ごすのか
それは、その人の人生そのものが
あらわれているものなのかもしれません。
 だから、どう生きたいのか、
どうなりたいのか、
考えていくことは、大切なのだといえるのでしょう。
ビジョンや夢のない日々は、
やはり、どこかさみしいものであるように
思えますから・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 02:00| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月21日

人は、できないものを見つけることで、

『人は、できないものを見つけることで、
 できることを見つける。』
  サミュエル・スマイルズ

 できないもの、できること。
 この関係は、まさに表裏一体であると
 いうことなのだといえるでしょう。
 ゆえに、どちらかがわかれば、
 その反対もわかってくるものだと
 いうことなのだといえるでしょう。
 そうであるなら、わかりやすい方から
 アプローチすればよいということに
 なるでしょう。
 できることがわからないなら、
 できないものに注目しれみればよい
 できないものでないものなら
 できることに違いないというわけです。
 できることが見えないと迷っている人は、
 視点をかえて、できないものを
 見つめてみるとよいということですね。
posted by 清水の伏竜. at 04:33| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月20日

おれは落胆するよりも

『おれは落胆するよりも
 次の策を考えるほうの人間だ。』
   司馬遼太郎

 失敗や挫折、成功しなかったとき、
選ばれなかったとき、・・・
生きているなかで、がっかりする場面は
いろいろあります。
そんなとき、ただ落胆するだけなのか、
それとも、次の策、次の一手を考えるのか、
その差は、その人の人生を大きく変えていく
ことであるといえるでしょう。
がっかりするのは一瞬でよく、
すぐに、では、どうしようと次のことを考える
それが出来るかどうかということです。
出来ずに、いつまでも、何故とか、
どうしてとか、思い悩むだけでは、
何の進歩も、前進もないということは
明らかです。
 出来るだけ短時間で、気持ちを切り替える
そして、次のことを考えていく、
そのチェンジのスピードが、重要なのかも
しれません。
 ただ、この切り替えができるかどうかは、
どんな経験をつみ、学びをし、生きてきたかに
よって、変わってくるような気もします。
性格や心の持ちようは、長い時間をかけて
育まれていきます。
そして、なかなかすぐにチェンジすることが
出来ないことでもあったりします。
とくに、自分ひとりで変わるのは、
大変なことであったりするでしょう。
ひとこと、叱咤激励してくれる人がいるだけで
大きくかわることもあるように感じます。
 人は人の影響をやはり受けながら生きている
ものなのだとおもいます。
もちろん、その影響の受け方は、
人それぞれに異なり、同じものなどひとつも
ないといえるでしょう。
 よき友、よき伴侶を得ることの価値は
本当に大きなものなのだとおもいます。
その価値を、時として忘れてしまっている人が
いたりします。なんて贅沢で我が儘な人なのかと
思われてしまうのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 03:35| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月19日

小さなことが小さなことではない。

『小さなことが小さなことではない。
 大きなことが大きなことではない。
 それは心一つだ。』
   有島武郎

 ものごとの大事か、小事か、
その基準は、結局は、心しだい、
その物事に係わった人の感じ方次第であると
いうことです。
小さいことであっても、
非常に大きなこと、重大なこともあれば
大きなことであっても、
実はたいしたことのないこと、軽微なことで
あることもあるということです。
 外見や見た目、結果だけで、
物事の重要さは、判断できないものであると
いうことでしょう。
人は、目の前にみえることに捕らわれて
本当に重要なこと、大切なことを
見逃してしまうことがあるということです。
何が、本質なのかを、見抜くことのできる
目を育てていかなければいけないと
いうことでしょう。
とくに、責任の重い立場にいる人や
権力をもつ立場にいる人には、
物事の本質を見抜く力が求められます。
それがないと、人を殺し活かせずに終わるだろうし
小さな成功は出来ても、大成功は出来ないと
いう気がします。
posted by 清水の伏竜. at 20:34| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月18日

人間は、ある意見を、そうだと思い込むと、

『人間は、ある意見を、そうだと思い込むと、
 すべての事がらをその意見にあわせ、
 その意見が正当であると主張するのに、
 都合がいいように寄せ集めるものだ。』
    フランシス・ベーコン

 妄信という言葉があります。
まさに、人は、妄信してしまうことが
あるものです。
そして、妄信すると、おかしなことも
間違いも、正しくみえてしまったりします。
ある意見を信じることには、何も問題もありません。
信じるということは、大切なことであったりします。
しかし、その意見に都合のよいものだけを
寄せ集めるのは、正当性に疑問を抱かせるだけで
あるといえるでしょう。
都合の悪い意見も集め、それをきちんと評価し、
分析することができている必要があるでしょう。
都合の悪くみえる意見に対して、きちんとした
対応ができることが、正当性を主張するためには
大切であるということでしょう。
そして、本当に正しい意見であれば、
それが可能であるということです。
posted by 清水の伏竜. at 22:43| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

英雄とは自分のできることをした人だ。

『英雄とは自分のできることをした人だ。
 凡人はそのできることをしないで、
 できもしないことばかり望んでいる。』
    ロマン・ロラン

 英雄、ヒーロー、偉人、・・・
 そういわれる人たちは、
 どんな人なのだろうか、
 それをあらわす言葉のひとつです。
 自分のできることを、
 実行していくことができた人が
 英雄になれる。
 自分の実力を知り、自分を信じて、
 自分のなすべきことを、実行していける
 これは、簡単なようでいて、非常に難しいこと
 凡人にはできないし、することに気付きもしない。
 できることすら実行できないのに
 できないことを望み、それを欲する
 努力すればできるものと、
 努力してもできないものの
 見極めができない。
 自分自身を理解できず、
 自分自身を信じることもできない
 そんな人に、世の中や他人のことを
 どうにかすることなど、出来るわけもない。
 それは、あたりまえの事実であると
 いえるでしょう。
 英雄も、ヒーローも、偉人も、
 なりたくてなるものではないし、
 なろうとしてなれるものでもない
 自然体で、やるべきことをした結果として
 そうなるだけのことだと
 いうことでしょう。
 英雄も、ヒーローも、偉人も、
 そうなること、そう呼ばれることは
 目的でも何でもありはしないのであって
 なすべきこと、ビジョンにむかって
 歩んだ結果、そう呼ばれるようになるだけ
 ということなわけです。
 何をなすべきか、それが大切だという
 ことになるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 11:02| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月16日

たとえ醜い真実であっても、

『たとえ醜い真実であっても、
 真実の中には人間を磨き上げる美しさがある。』
   田宮虎彦

 真実というものがもつ力、
 真実があたえる影響、
 それは、虚構や偽り、嘘のもつ
 ものとは異なり、
 人を磨きあげていく、
 どんなものであっても、それが真実ならば
 美しさを内包している
 そういうことだというのです。
 では、真実とは何なのか、
 それは、この世の本質に関わるものかも
 しれません。
 この世の存在意味に基づくものかも
 しれません。
 それは、創造主たる神の真理より
 生まれるものであって、
 人がつくるものではないかもしれません。
 何の視点から、何の基準から、
 真実というのか、
 それが、大きな違いを真実と呼ばれる
 ものに与えることになるのかもしてません。
 あなたにとっての真実とは、
 何でしょう。
 ちょっと、考えてみることがあっても
 よいかもしれませんね・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 03:49| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月15日

人に仕えるのではない。

『人に仕えるのではない。
 仕事に仕えよ。仕事は神である。』
   石川武美

 仕事は神なのか?
 労働は、神への奉仕なのか?
 仕事は、仕えるものなのか?
 この言葉は、捉え方によっては、
 労働奴隷こそ、人の生き方ということだと
 語っているようにとれるかもしれません。
 人ではなく、仕事に仕えよという部分を
 どう感じ取るのかによって、
 いろんなおもいが出てくることでしょう。
 何のために、仕事を行っているのか、
 人のため、それとも、別の何かのため、
 決して、仕事のために、
 仕事をしているわけではなく、
 人生のビジョン、夢のために
 仕事があるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 06:08| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

世界に別れを告げる日に

『世界に別れを告げる日に
 ひとは一生をふりかえって
 じぶんが本当に生きた日が
 あまりにすくなかったことに驚くだろう』
   茨木のり子

 この世界から逝くとき、
 それは、誰にも等しく訪れるものです。
 そのときに、人生を振り返ってみて
 本当に充実した日が、どのくらいあったのか
 それを振り返るとき、
 その日々の少なさに、愕然とするのかも
 しれません。
 でも、緩やかに、健やかに生きた日々だけで
 あっても、それは素敵なことだと想います。
 本当に生きた日、それがどんな日なのかは、
 人によって異なることでしょう。
 だから、人によって、本当に生きた日の
 数など気にならないひともいえるでしょう
 どんな日も、自分なりに生きたと思える人も
 いることでしょう。
 本当に生きた日が、少ないと驚く人は、
 未練を残している人だということなのだと
 いえるのかもしれません。
 この世に、未練なく、いつでも逝ける
 心構えをもっていたら、きっと驚くことなど
 何もないのだということであると
 いえるかもしれません。
 真理に近づけたか否かが、
 逝くときの驚きにも影響するのでしょう。
 驚かないように、生きたいものだという
 願いの言葉と解釈したら良いかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 02:58| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私は今日引退しますが、わが巨人軍は永久に不滅です

「私は今日引退しますが、わが巨人軍は永久に不滅です」
長嶋茂雄

 昭和49年10月14日、「ミスタージャイアンツ」が、
後楽園球場で、引退セレモニーにおいて、ファンに向かって
語った有名な言葉です。
V9という、巨人の最強時代は、ONという
偉大なバッターの存在抜きには、語れないというところでしょう。
 小学生のころ、巨人は好きでないけど、ONは好きという
少年も結構多かったとおもいます。
私は、大洋ファンでしたが、ONも好きでした。
長嶋引退から、もう35年にもなるのですね。
今年、巨人はV3を達成しました。
でも、何か、輝きが感じられないような気がします。
posted by 清水の伏竜. at 02:33| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。