2009年09月30日

メンターとは

『メンターとは自分にとっての精神的支援者のことです。
 いわば『人生の師匠』のような存在。
 そういう人を持つのも大切なことです。』
     高井伸夫

高井伸夫著
「高井式 一生使える勉強法 −成長モードにスイッチする」
のなかで、
「良きメンターの6条件」というものが
示されているということです。
その6つとは、以下の通りです。
 1.年長者であること
 2.付き合いが長いこと
 3.信頼していること
 4.利害関係がないこと
 5.叱ってくれる存在であること
 6.電話でアドバイスを求められる間柄であること

この言葉を聞いて、これまで会社のなかで、
メンターになるとか、メンターをつくれとかいうことが
言われるのに違和感を感じていた理由が
わかったようにおもいました。
企業内では、利害関係のない人はいないということです。
同じ企業のなかでは、どうしても、
利害関係が優先した行動になり、言葉になってしまいます。
これは、避けられないことだといえるでしょう。
したがって、師匠と弟子のような関係や、
コーチとか上司とかと生徒、部下といった関係には
なれたとしても、メンターの関係にはなれないと
いうことなのだなとおもいました。
サラリーマンが、メンターを求めるのであれば
勤務先以外のところで、出会う必要があるということです。
つまり、良きメンターとの出会いは、
自ら、行動して、勤務先以外のところに、
出向いていくことが必要であるということになります。
即ち、メンターとの出会いは、
勤務先以外の場にあるということです。
しかも、一定期間、お付き合いしていけるようで
なければなりません。
これは、意外とハードルが高いことのように思えます。
そして、確かに、ハードルは高いのだといえるでしょう。
良きメンターを持っている人が、少ないのは、
ある意味、当然の結果であるということなのだと
いえるのでしょう。
6つの条件のなかで、やはり重要なポイントだなと
感じるのは、
信頼出来る相手であるということ、
利害関係がないということ、
そして、電話でアドバイスを気楽に求めることのできる
間柄であるということなのかなとも感じます。
電話で、アドバイスを求めるということは、
信頼関係があり、利害関係なく、叱ってももらえる
というようでなければ、なかなか出来ないと
いえるのではないでしょうか。

あなたは、メンターと呼べる人がいますか?

この問いに、みなさんは、どう答えることができるでしょう
私は、残念ながら、いません。としか答えられません。
信頼できる人、年長者、叱ってくれる人、
利害関係のない人、それぞれには、確かにいます。
しかし、それをどれもみたし、
電話でアドバイスを求めることの出来る人は、
いなかったりします。

良きメンターを持つことのできることは、
とても幸運なことであり、素敵なことであるとおもいます。
そして、幸せなことなのだといえるでしょう。
世の中には、メンターを持てない、持てていない人の方が
圧倒的に多いのですから。
でも、出会えることを、信じて、
歩んでいきたいものですね。

posted by 清水の伏竜. at 23:57| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無価値なものなんてどこにもない

『無価値なものなんてどこにもない
 どんなものでも、誰かに必要とされたから
 生まれてきたんだ』
  日奈森あむ
   アニメ「しゅごキャラ!!どきっ」
   第102話「夢のたまご、なりたい自分。」より

 からっぽの自分、何もない自分、
そんなふうに、自分を無意味なものに思いこむ
哀しい子ども、哀しい大人、
 でも、そんな人は、ちょっと、
見失ってしまっているだけ、自分の心にあるたまご、
自分の可能性、自分の夢、自分の価値を、
 思い出してみて、
自分の存在が、価値のあるものだということを
自分の身近にある青い鳥を、
手に入れられるように・・・・
 そう、生まれてきたこと、それ自身が、
価値をもっているのだから・・・・

posted by 清水の伏竜. at 00:32| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

力のない正義は無力であり、

『力のない正義は無力であり、
 正義のない力は暴力である。』
   パスカル

 正義とは何か、正しい義ということ。
義なくば、勇なきともいいますが、
義だけあっても、力なければ、何もできない
ということになってしまうかもしれません。
まさに、無力であるということです。
 正義があっても、無力ゆえに、
負けてしまうことも世の中には多々あります。
暴力の前に、権力の前に、財力の前に、
何もできず、悔しいおもいに押しつぶされる
ような気持ちを、味わうこともあるでしょう。
その試練をどのように乗り越えていくのか
それが、人生においては重要なのかもしれません。
 正義なくして、力あっても、
それは暴力であり、横暴であり、悪であると
いうことになるのでしょう。
正義なき権力、正義なき財力、正義無き力は、
まさに最悪であるといえるでしょう。
もちろん、そんな力は、すべてカルマとなって
本人に跳ね返っていくわけですが、
この世においては、その影響はすぐにはみえません。
ゆえに、おかしいとおもわれることが
そのまま行われてしまうのです。
しかし、それが出来るから、何も報いは受けないと
おもっていると、人生の最後に、
その過ちを知ることになってしまうわけですが・・・。
 無力であっても、義の人であることの方が
人生においては素晴らしいということです。
財なくても、権力なくても、
神の前に、義をもって、喜びを捧げることのできる
人生を歩めるのであれば、その方がどれだけ
素晴らしことであるのか、それは、次の門を
くぐるとき、感じることになるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 21:23| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月28日

言葉は時間を、沈黙は永遠をよりどころにする。

『言葉は時間を、沈黙は永遠をよりどころにする。』
   カーライル

 言葉を語ること、何も語らずに沈黙すること
 この2つの異なる立場について、
 時間と永遠とで、説明しようとした
 そんな言葉です。
 沈黙がよりどころとするものは永遠。
 言葉がよりどころとするものは時間。
 時間は、有限であり、測定できるもの。
 言葉は、まさに、その言葉の語られた時を
 表現する部分が存在しているといえるでしょう。
 それは、ある瞬間であり、歴史であるとも
 いえるのかもしれません。
 しかし、沈黙は、何も語りません。
 何も示しません、それは時間を示すことなく
 永遠に、何も伝えないものであると
 いえるでしょう。
 
 沈黙してしまうことは、ひとつの拒絶とも
 いえるかもしれません。
 しかし、人は、相手に、それを強制してしまう
 そんな言葉を吐くこともあります。
 相手を沈黙させてしまう言葉、
 それは、ハラスメントであることもあれば、
 権力の行使、圧力であることもあるでしょう。
 そんな言葉で、相手を沈黙させてしまい
 相手に、何の言葉も出せなくしてしまう
 そんなことのないように、
 コミュニケーションしていくよう
 心がけたいものだという気がします。
posted by 清水の伏竜. at 08:03| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

高い地位は偉大な人物をいっそう偉大にし、

『高い地位は偉大な人物をいっそう偉大にし、
 卑小な人物をいっそう卑小にする。』
   ラ・ブリュイエール

 地位とは何なのか、
企業内で、国家で、地域社会で、業界で、スポーツ界で、
芸術界で、世界で、地位の高いということは、
何を意味しているのか、
それは、権力であり、名誉であり、経験であり、才能であり、
実績であるということなのかもしれません。
偉大な人物が、高い地位についたとき、
その地位の高さに対して、人物の価値の方がより高いと
いうことであれば、その地位は、その人物の偉大さを
証明する一部でしかないといえるのかもしれません。
しかし、人物の価値が低い人が、高い地位についたなら
その地位にそぐわないという面だけが強調されて
まさに、地位以下であることを広く知らしめることに
なるのでしょう。
 地位や権力を求めて、不正な方法で手に入れても
それに見合う人物でなければ、すぐに重荷となり
さらに評価を下げていくだけであるということでしょう。
結局、地位も、名誉も、この世のものでしかなく、
求めるものでもなく、自然に、この世的に
与えられるものであるということなのかもしれません。
 その意味では、自らの成長と、自らの人間性を
育むことこそが重要であり、あとから付いてくるような
ものを目標にしていては、ダメなのだとも
いえるのかもしれません。
夢は、本質的な価値をもったものであるべきだと
いうことなのだともいえるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:15| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

個人における狂気はわりあい稀なものである。

『個人における狂気はわりあい稀なものである。
 しかし、集団、院派、国民、時代等においては
 狂気は通則である。』
  ニーチェ

 狂気の沙汰といわれる事件は、
歴史のなかに、いくつもあります。
戦争、テロ、殺人、集団自殺、暴力、破壊、・・・
そして、狂気の多くが、確かに
集団、院派、国民、時代等を背景に
発生しているといえるかもしれません。
個人の狂気は、その影響が及ぶ範囲も狭いし
周辺の人々によって、納めることも可能であったり
するものです。
一時的なことですむことも多いでしょう。
また、確かに滅多に出会うものでも
ないといえるのかもしれません。
そして、狂気とおもえるもので、多くの人が
認知しているものとしては、
やはり、大きな集団や力のもとで
行われてしまうことであるといえるでしょう。
そして、その被害は、多くの人に及び
影響は長く続くものであったりします。
それ故に、印象も強く、記憶に残るものと
なっていくといえるでしょう。
歴史のなかの大量殺戮は、狂気の最たるもので
あるといえるかもしれません。
 私たちは、そんな狂気の波に飲み込まれないように
していくことが必要なのだといえるでしょう。
そのためには、常に自分自身をしっかりとした
基盤の上に立たせておくこと、
そして、情報に惑わされることのないように
注意していくこと、
情報リテラシーを高めていくことが、
重要になっているのだといえるような気がします。
 多くの狂気は、間違った情報によって
または狂気によって創られた情報によって
広がってきたと感じます。
その情報を正すことが出来なかったために
止めることが出来なかったともいえるでしょう。
残念ながら、メディアに、情報の精査を任せることが
出来ない状況にあったりします。
欲望をベースにした情報になってしまっているからだと
いえるかもしれません。
広告主への配慮が強くでる情報しか、
メディアは発信しなくなってきています。
または販売部数が増えるようなセンセーショナルなもの
ばかりを扱い、過度な装飾を施し、偏った情報のみで
彩っていく、そんな報道が多くなっているようにも
感じられます。
それを受け取る国民、市民に、そのメディアの情報の
背後に潜むものを見抜く力が求められていると
いうことでしょう。
ひとつのメディアの情報だけでなく、
複数の情報源から集めて比較することや、
反対意見にも耳をむけることが、大切になっています。
そして、最終的には、自ら現場に足を運ぶことが
必要とされているのかもしれません。
 狂気に飲み込まれないために、
日々、学ぶことが大切だともいえるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 03:45| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月25日

才能とは、自分自身が自分の力を信ずることである。

『才能とは、自分自身が自分の力を信ずることである。』
   ゴーリキー

 才能があるかないか、
それを判断するのは、誰なのでしょう。
親でしょうか、先生でしょうか。
何の才能のことをいっているのでしょうか。
いろんなものごとに関して、
才能があるのかないのか、
その基準についてのひとつの答えが提示されています。
すなわち、才能があるかないかは
自分自身が、才能があると信じられるか否かであると
いうことです。
自分の能力を、信じられるかどうかだと
いうわけです。
 人には、だれにも、可能性というものが
あるといえるでしょう。
しかし、その可能性を実りあるものにできるかは
その可能性を追求し、自分を信じて実行していく
その結果としてでしかないということでしょう。
 誰でも、何かをし始めるときは、初心者です。
歴史に名を残している人も、その分野では
最初は初心者であったのです。
では、いかにして、名を残すまでになったのか
自分の力を信じて、一心不乱にその道において
突き進んでいったからであるといえるでしょう。
迷いなく、惑いなく、不信なく、諦めなし、
出来ると信じ、自分こそがやるのだと信じた
先に、才能が開花するのだということなのかも
しれません。
 人の才能を摘むことが、他人には出来たりします
それは、その人が自分を信じられなくすることです。
親が子の才能を消すのは、まさにそれを実施している
ということでしょう。
小さいころ、子どものころに、
出来ないと決めつけること、自信を無くさせること
そうすれば、才能は消え去っていくというわけです。
実は、多くの親が、知らずに、それを実践して
しまっているのかもしれません。
 天才と呼ばれる人の多くが、幼年期において
才能の芽を摘まれることがなかったのでしょう。
それは、芽を摘むことのない親の教育があったからだと
いえるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 20:02| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月24日

愚か者は、事が起きてはじめて悟る。

『愚か者は、事が起きてはじめて悟る。』
  ホメロス

 何かおこったとき、
 しまったと思うことがあるのは、
 それを予測できずにいたものであり
 悟れずにいたものであると
 いうことでしょう。
 そんな悟ることのできずに、
 衝撃をうけてしまうようなものは
 愚かであるというのです。
 愚か者といわれないようにするために
 なにをすればよいのでしょうか
 事が起こる前に、
 あらゆる可能性を想定し準備する
 リスクを網羅し、それに対応できるような
 準備をする。
 そのような心構えでいることが
 必要なのだということでしょう。
 しかし、どんなに準備をしても
 事が起こってはじめて悟ることに
 なってしまうこともあり得るのだとも
 いえるかもしれません。
 愚か者で何か問題あるのでしょうか
 そんな問いもあるでしょう。
 事がおきてはじめて知ることが
 あったとしても、その原因を追及し
 そこからきちんと学ぶことが出来るのであれば
 それは、それで良い経験であったと
 いえるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 23:13| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月23日

勇気のある人は、みな約束を守る人間である。

『勇気のある人は、みな約束を守る人間である。』
  コルネイユ

 勇気という言葉には、
 人にとって、とても大切なものが
 含まれていると感じます。
 勇ましい気力ということだけでなく
 人として、守るべきものを
 神の真理を、しっかりと果たすこと
 何があっても、ぶれないこと
 そんな心の強さ、意志の強さを
 示すものであるといえるでしょう
 ゆえに、勇気あるものは
 その誇りと信念から、結んだ約束を
 違えることなどあり得ない
 約束を守れないものに勇気などない
 そういえるのだということでしょう。

 約束を守ることが、勇気を持つことへの
 一歩であるということなのかも
 しれません。
posted by 清水の伏竜. at 04:29| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自由炎の像

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自由炎の像

 黄金に輝く炎のオブジェ
 風に揺らぐことも、たわむこともなく
 ただひたすらに、天上にむけて
 真っ直ぐに立っている炎は
 誰にも脅かすことのできない
 自由の力強さを感じさせてくれます。
 お台場の未開の土地を
 見下ろすような炎には、
 そこが、どのような未来の姿を
 のぞむのか、
 考えさせられるような気がします。
 公園の緑と、芸術のオブジェが
 とりまくような場所として
 訪ねた人が、安らげる場所、
 子どもたちが笑顔で遊び回れる場所
 そんな場所であって欲しい
 そんな気がした次第です。
posted by 清水の伏竜. at 03:45| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月22日

百人いたら、百通りの居場所がある、

『百人いたら、百通りの居場所がある、それをつくるの・・・』
『ひとりひとりが笑ってすごせる場所を・・・』
『・・・、そここそが、私たちのシャングリ・ラ』
   アニメ「シャングリ・ラ」最終回より

 リーダーとして、多くの人の幸せに
生活に責任をもたなければならない立場に
たったとき、少女は、いくつもの試練を乗り越え
成長していった。
そして、自分が成すべきことが何なのかを
感じ取っていった。
 その結果としての気持ち、意志、
目標、夢、ビジョンを、物語の最後で
ヒロインは、語ります。
 その言葉が、
「百人いたら、百通りの居場所がある、
 それをつくるの・・・
 ひとりひとりが笑ってすごせる場所を・・・
 そここそが、私たちのシャングリ・ラ」
であったりします。
 求める理想郷が、そんなものであるべきか
誰のためであるべきか、純粋に想う強い心が
強い意志が、そこに現れているといえるでしょう。

 作品の設定として注目されるものに、
炭素経済という世界の金融経済システムがあります。
まさに、今話題の地球温暖化問題の対策によって
どのようなことがあり得るのかのシミュレーションに
なっているともいえる設定です。
そのあたりを楽しむのも作品のみかたのひとつと
いえるかもしれません。

 アニメは、池上永一の原作小説「シャングリ・ラ」とは、
ちょっと異なる結末となっています。
もともと、主人公のキャラクタが、原作のイメージより
幼く設定されていたこともあってか、
原作よりも、ジュブナイルっぽさを出していたと思います。
終盤は、原作の展開とは、かなり大きく変わった感じも
ありますが、これはこれでありかなといったところでしょうか。
それとも、原作の暴走っぷりをアニメとしてまとめるには
これしかなかったのかもしれません。
原作では死なない人が何人か逝っちゃいます。
http://www.anime-shangri-la.jp/
ゴンゾ制作、監督は別所誠人 、総作画監督に石井久美。

posted by 清水の伏竜. at 15:12| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

彼はこうして王子になった、王様のいないこの国で

『彼はこうして王子になった、王様のいないこの国で』
   アニメ「東のエデン」 最終話より

 作品の最後、主人公を見守るヒロインが
静かに語る言葉です。
丁度、絵本のおしまいを告げるように。

 この作品は、選ばれたものに、一定の金額が与えられ
そのお金をどんなことにでも使用できるという条件で
この国を救うために行動することを求めるという
命をかけたゲームが謎の人物によって進められると
いったお話になっています。
 主人公は、そのなかで、自らの記憶を
消してしまいます。
「救世主たらんことを」
携帯電話から必ず流れる言葉をどう実現するのか。
選ばれたものは、それぞれに行動していきます。
そのなかで、主人公は、
日本に必要なのは、責任を負うことの出来る
王様だとおもい。
自らが、その責務に付くことを決めるのでした。
 日本の政治の問題に対して、
ある意味、的を得た認識であるのかもしれません。
その様子を俯瞰しながら、物語はいったん終わります。
そのときのヒロインの語り部の言葉が、
「彼はこうして王子になった、王様のいないこの国で」
なのでした。
この続き、結末は、劇場版に続くという展開です。

 フジテレビの深夜アニメ枠で
放送された作品「東のエデン」は、
久々のアニメのオリジナル作品でしたが、
TV放映シリーズでは、本当の最終回を
迎えずに、消化不良で終わってしまいました。
プロダクションIG制作、神山健治監督、
羽海野チカによるキャラクターデザインの期待作は、
物語が、ようやく佳境に入るぞってところでおしまい。
続きは、劇場映画の2本の連作で、ご覧下さいと
言うことになってしまってます。
ある意味、TVシリーズとしては、中途半端なものに
なってしまった感もないではありません。
まあ、主人公の謎が、大体明らかになったかなって
ことで、物語の出だしともいえるフリータ2万人失踪と
ミサイル落下の事件に結末をつけたので区切りにしたと
いったことなのかもしれません。

9月26日(土)より「東のエデン 総集編 Air Communication」
テアトル新宿、テアトルダイヤ、テアトル梅田にてモーニング&レイトショー
2009年11月28日より「東のエデン 劇場版I The King of Eden」
2010年1月9日より「東のエデン 劇場版 II Paradise Lost」
テアトル新宿ほかにて全国順次ロードショー
http://juiz.jp/blog/

posted by 清水の伏竜. at 14:14| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

思い出したの、とっても大切なこと、それで・・・

『思い出したの、とっても大切なこと、それで・・・』
『そう、良かったね・・・』
『ふみちゃんはすぐ泣くんだから』
   アニメ「青い花」 最終回より

 初恋、小学校の校舎、想い出、初雪、・・・。
少女の成長のなかで、育まれた友情、
思春期の淡い想い、
とまどい、ときめき、なやみ、・・・
 幼友達の2人の会話は、
小学校の低学年のときの想い出に
高校生になった2人は、
それぞれの想いを抱きながら、
振り返り、懐かしむのでした。
 よき出会い、そして日々の想い出は、
いつも、人を強くしてくれる
そんなこともあるのではないでしょうか。

 「青い花」は、日本らしい作品のひとつといえる
ものであったように思います。女学生の恋、先輩への憧れ、
学園生活、友達との関係、女性向けの作品として
レディース未満、ジュブナイル以上といった感じの
作品に仕上がっていたのかなという気がします。
ジェンダー的要素もあって、女の子からレディーへ向かう
青春の時代に咲いた花に捧ぐといった雰囲気で
あったのかなとおもいます。
http://www.aoihana.tv/
志村貴子のコミック原作を、カサヰケンイチ監督が、
シリーズ構成・脚本 高山文彦にて、アニメ化。
アニメーション制作は、J.C.STAFF。


posted by 清水の伏竜. at 13:24| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

民を殺すは、国家を殺すなり。

『民を殺すは、国家を殺すなり。』
  田中正造

 政権交代があり、内閣が新しく動きだしました。
これまでの政治は、民をみず、行政の利益、
自分たちの利益や、大企業や大組織のことしか
みてこなかったといえるでしょう。
それが、少しでも、民をみることのできるものに
変わっていけるのかが、問われています。
そうならなければ、まさに国家を滅ぼすことに
なってしまうのかもしれません。
 国民、市民のことを活かす政治を
実践していって欲しいとおもいます。
国民、市民も、メディアの情報操作に誤魔化されないように
いろんなところから情報を得て、政治を見守っていく
ことが必要であるといえるでしょう。
残念ながら、まだ多くの国民が、主要なメディアの
偏った報道によって、意見が流されてしまうことが
多いようです。これまでも、主要メディアの報道には
偏りがあり、多くの不幸を産みだしてきました。
そのもっとも大きかったのが第二次世界大戦です。
戦争賛成を大々的に報道していたのが開戦前の
メディアであったことを忘れてはいけないでしょう。
 インターネット時代、情報は一部メディアだけが
独占する時代は終わりを告げようとしています。
独立系メディア、当事者情報などによって、
問題があれば、その双方の主張を、国民が自分で
チェックすることも可能となってきているのです。
国民、市民の情報リテラシーの向上こそが
社会を変えていく原動力なのかもしれません。


●特集:東京に残された里山を破壊し環境オリンピックもないもんだ!
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm

◆横田 一:ジブリ高畑勲監督が東京最後の里山破壊を痛烈批判 フライデー
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col182891.htm

◆石原都知事宛への手紙 (日本語版) (英語版) pdf
http://eritokyo.jp/independent/olympic-commitee-letter-JP.pdf

◆石原都知事vs横田一:ノーカット記者会見全文 独立系メディア
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col182892.htm

◆ポール・コールマン:大宇宙と小宇宙 地球と南山 独立系メディア
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col182890.htm

◎東京都稲城市のタヌキの暮らす多摩丘陵(南山)開発事業見直しを求める署名
http://www.shomei.tv/project-817.html

◆青山貞一: 八ッ場ダム@ 笑止、大メディアの「中止」バッシング
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col20008.htm

◆青山貞一: 八ッ場ダムA 構想から半世紀の無目的ダム
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col200098.htm

◆青山貞一: 八ッ場ダムB 官僚主導土建国家の象徴
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col200099.htm

◆青山貞一: 八ッ場ダムC 進む関連工事と破壊される自然環境 
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col20009.htm

◆青山貞一: 八ッ場ダムD 進む関連工事と破壊される歴史文化
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col20019.htm

◆青山貞一: 八ッ場ダムE メディアと学者の腐敗と堕落
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col28077.htm


◆田口康夫:霞沢砂防ダム 建設現場 見学会 報告1
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col12888.htm

◆田口康夫:霞沢砂防ダム 建設現場 見学会 報告2 
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col12889.htm

◆青山貞一・池田こみち:長野県松本市安曇・島々谷川の砂防ダム視察@
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col2844.htm

◆青山貞一・池田こみち:長野県松本市安曇・島々谷川の砂防ダム視察A
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col2846.htm

◆田口康夫:島々谷川砂防案内簡単報告
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col2845.htm

◆青山貞一・池田こみち:真夏の上信越を行くH砂防ダムと草津白根山
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col2892.htm

◆築地市場洲移転問題、新農相がノーと言えばオシマイ 
 日刊ゲンダイ 2009.9.11号
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col20027.htm

◆青山貞一:築地市場の豊洲移転、新農水大臣が不許可で決着か! 
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col20025.htm

「民主党政権への提言」
 http://eritokyo.jp/independent/aoyama-col20003.htm
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2009年09月20日

他人の財産がほしくなった時には自分の財産を失う。

『他人の財産がほしくなった時には自分の財産を失う。』
   ファイドロス

 他人のものを欲しがるようになったら
 自分のものを失ってしまう。
 与えるものは得、奪うものは失う
 ということなのでしょう。
 確かに、他人のものが欲しいと
 おもうようになったとき、
 そのものが、物質的なものや、
 この世的なものであったら、
 それは、過分な欲望なのかもしれません。
 欲望に流されてしまったものには
 その欲望によって、カルマを増やしていく
 ことになり、そのカルマを解消するために
 失うものが出てくることになるのでしょう。
 それは、自分の財産かもしれませんし、
 心身の何かかもしれません。
 そうならないように、生きることを
 望むのなら、カルマを増やさないように
 神の原理原則に従って生きていく
 そんなことも必要なのだといえるでしょう。
 徳のある生き方が出来れば、
 より、よく生きることができるのかも
 しれません。
 どういきるのか、何を欲するのか、
 何をのぞむのか、みな自分自身が
 決めることではあったりします。
 結局、人生は、自分がつくるしかないと
 いうことでしょうし、幸も不幸も、
 自分の成すこと成してきたことの
 結果なのだということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 09:37| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月19日

人間の社会においてもっとも堕落するものは、

『人間の社会においてもっとも堕落するものは、
 いつも最上層の富者と、最下層の貧者であって、
 世の中の退廃はまずこの二者から始まり、
 漸次、社会一般に移り広がるものである。』
   丘浅次郎

 社会の歪みは、もっとも富めるものと、
もっとも貧しきもののところから産まれてくると
いうことなのでしょう。
 世の中の退廃、荒廃は、最上層の富者から
はじまるものであり、
最下層の貧者からはじまるものでもあるというのは
確かにその通りなのかもしれません。
ただ、その一方で、世の中を正すことも、
最上層から、最下層から、はじまるということが
あったりするようにおもいます。
 この両極に位置する人の心のありよう、
夢がもてるのか、価値観や利他心などをもっているのか
それが、世の中を良い方に向かわせることが
出来るかどうかの変わり目になっているのかも
しれないと感じます。
posted by 清水の伏竜. at 09:53| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

人生が可能性に満ちているのは、

『人生が可能性に満ちているのは、
 つねに耐えがたいほど不確定のため、
 つまり次に何が起こるかわからないからである。』
   アーシュラ・ル・グウィン

 不確定な未来、一寸先は闇という言葉の通り
まだ来ぬときに、何があるのかは、
不確定なものであるといえます。
その不確定さがゆえに、可能性が満ちている
といえるでしょう。
 何が起こるかわからないということは
何でも出来るということ、
何でも起こせるということでもあります。
 つまり、未来には、大きな可能性があり、
人生は、過去、現在、そして、未来へと
続いていくものであるのだから、
逝くときまで、その可能性にかけてみるのも
良いのではないでしょうか。
 より、充実した人生をおくるために・・・
 
posted by 清水の伏竜. at 03:32| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月17日

小心は人びとを不決断にし、

『小心は人びとを不決断にし、
 その結果、行為の機会と最大の好機を失わせる。』
   ホッブス

 チャンスをつかめるか否か、
それは、その瞬間を見定めることの出来る
準備が出来ているかということもあり、
チャンスをつかむだけの決断力をもっているのか
ということでもあるといえるでしょう。
 人には等しくチャンスが訪れるともいわれます。
しかし、チャンスに気付く人は少なく、
気付いても、つかめる人は更に少ないとも
いわれます。
 なぜ、チャンスをつかめないのか、
やはり、小心であるからなのかもしれません。
決断できない、踏み切れないといった迷いが
常に心のなかにあったり、
恐怖や不安で、心が揺れているようであったら
きっと、チャンスが訪れたことにも気が付けない
ということなのではないでしょうか。
 心を安らかにし、さらに一歩踏み込んで
チャンスをつかむための心の準備、
環境や気持ちの準備を行っていくこと
それが出来ていれば、チャンスをしっかりとつかみ
大きく飛躍することも可能だということでしょう。
 結局、人の歩みのなかで、
どのような道に進むのかは、それまでに
どんな道を、どの様に歩んできたのかと
無関係ではあり得ないということでも
あるのかもしれません。
 でも、諦めることはないでしょう。
これからでも、チャンスをつかめる可能性は
誰にでも残されているのですから、
その為に、何かをしていくことが
必要なのだということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 23:10| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月16日

花の咲く草ばかりでなく、名もない雑草も、とげ草も、

『花の咲く草ばかりでなく、名もない雑草も、とげ草も、
 矢張り野に生うる権利を授かっている。』
   野上弥生子

 権利は、だれにも、等しくあるもの
 それは、野の草にもいえること。
 そして、もちろん、人間にもいえるということ
 花を咲かす人、なもなき人、とげのある人、
 どんな人にも、社会のなかで生きることが
 出来るはずであり、
 基本的人権をもっているものであって
 その権利は、おかされてはならないもの
 社会というなかで、権利をまもるために
 存在しているのが、国会であり、司法であり、
 行政であるということ。
 国、自治体、企業などの存在意味は、
 人の権利を守るという基本抜きでは
 あり得ないものであるべきだと
 いえるでしょう。
 しかし、そうではなくなってしまう
 腐ったものになってしまうことがあります。
 それが、正されるか否かは、
 国民、市民、消費者の選択に
 かかってくるものでもあるといえるでしょう。
 投票という行為、購買という行為で、
 その意志を示していけるのかが
 問われてきている時代なのだと
 いうことでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:45| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月15日

幸福や不幸の大部分は自分自身にかかっており、

『幸福や不幸の大部分は自分自身にかかっており、
 まわりの環境にかかっているわけではない。』
   マーサ・ワシントン

 自分が、幸福になるのも
 自分が、不幸になるのも
 それは、自分自身のせいであって
 環境のせいでも、他人のせいでも
 まわりの誰かのせいでもない。
 人生は、誰のためにあるのでもなく
 ただ、自分自身のためだけにある。
 そういうことだというのでしょう。
 そして、自分自身のためのものには
 自分自身の判断や決断、行動こそが
 かかわっているのであるということ
 になるといえるのでしょう。
 まわりのせいにしても
 何もかわりわしない
 そういうことでもあるのだと
 いうことなのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 07:36| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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