2009年08月31日

価値ある目標とビジョンを持ち、常に完全を目指す。

『価値ある目標とビジョンを持ち、常に完全を目指す。
 それが、「一流の仕事」への王道。』
   ピーター・ドラッカー

 一流の仕事、この言葉と出会える人は
幸せな人だといえるのかもしれません。
価値ある目標とビジョン、
その価値は、誰にとっての価値なのかによっても
その重みがかわってくるようにおもいます。
自分だけにとって価値があることなのか、
家族にとっての価値なのか、
会社にとっての価値なのか、
国にとっての価値なのか、
世界にとっての価値なのか、
どこを基準にした価値のある目標とビジョンなのか
それは、意外と、判断が難しいことで
あったりするのかもしれません。
 衆院選挙で、政権交代がなされました。
さて、マニフェストの目標とビジョンは、
本当に国民のため、日本のため、世界のために
価値のあることなのかどうか、
しっかりと検証していかなければならないのかも
しれません。
 目標とビジョンをもって、それを完全に成し遂げることを
目指し続けることが、一流の仕事への王道であると
いうのですが、果たして、本当にそうなのか、
どんな、目標でも、どんなビジョンでも、
一流の仕事になり得るのか、
そんな問いを投げかけたくなったりします。
 価値ある目標とビジョンの究極なものは、
神の基準であるのかもしれません。
なぜなら、神の基準は、人の存在意味そのものを
指すことになるからです。
しかし、お釈迦様やイエス様の基準を、
当時の社会は、価値あるものと見なせたでしょうか。
実際には、見なせてはいなかったのだといえるでしょう。
 奥深い価値は、その価値がわかる魂でなければ
気が付かないということなのかもしれません。
 より価値のある目標やビジョンを描くことが
出来るためには、自分自身の価値を高めていかなければ
ならないのだといえるでしょう。
 目標もビジョンも、結局は、身の丈にあったものしか
たてることなど出来ないということなのかもしれません。
とくに、実践し実現させることが出来るか否かは、
その人のもっているものによって、大きく左右される
ことでしょう。
 でも、どんな目標やビジョンであっても、
その人にとっては大切なものであり、重要なものであり
価値あるものであることも、また真実なのです。
だからこそ、多様性ある視野を持つことは、
とても大事なことのようにおもいます。

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2009年08月30日

人生は常に1回きりのプロセスだ。

『人生は常に1回きりのプロセスだ。
 それゆえ、未来は過去の反復ではありえない。』
   ウォルター・リップマン

 歴史は繰り返すという言葉があります。
輪廻転生ということばがあります。
そんな言葉から、人生は一度きりではないという
こともいわれます。
確かに、その通りではありますが、
しかし、この人生は、今回だけのものであり、
やり直すことはできません。
過去の歴史を繰り返しているようにみえても
その内容は、違うものであるわけです。
未来は、過去の単なる反復ではないということです。
 いま、生きている人生は、今の世界と社会のなかで
いまだけの物語であって、同じものはひとつもなく
唯一無二のものであるということです。
たとえ、転生しても、それは、違う別の人生を
おくることになるのであって、今回の人生を
やり直せるわけではないということです。
 人生は、まさに、一度だけのプロセスであり、
その人だけのものであるということです。
それゆえに、人生をいきることは凄く大きな価値が
あることであって、大切なことであるのだと
いえるでしょう。
 今年の自殺者数が、過去最悪になる恐れが
7月までの統計から出てきているそうです。
たった一度、今回だけの人生に、自ら罪を犯し、
自分を殺すという選択をすることが、
どんなに悲惨なことなのかを、感じて欲しいと
願わざる得ないという気がします。
最後の選択として、追い込まれてしまうのは
わからないではないのですが、
ぜひ、誰かに、相談して欲しいです。
日本の社会がおかしな方向にあることを
示す数字のひとつですが、本当に、ゼロになって
欲しい数字でもあります。
とてもとても貴重な人生なのですから・・・。

■生きる支援の総合検索サイト
http://lifelink-db.org/

ありがトン
(CD付)
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2009年08月29日

場当たり的では効率が望めない。

『場当たり的では効率が望めない。
 テーマを持ち、集中することで、エキスパートへの道が開ける。』
   ピーター・ドラッカー

 何かを効率よく実施しようとしたときには、
やはり、場当たり的では、うまくはいかないと
いえるでしょう。
 テーマをもって、集中して、
おこなっていくことが、
効率をあげていくことになり、
そのテーマに対する専門家になりえる可能性も
みえてきやすいのだといえるでしょう。

 もし、なにかのエキスパートを目指すのであれば、
その分野に、テーマを定めて、そこを集中して
学び掘り下げていくことで、その周辺に広がりをもてる
ようになっていき、その分野の全体を理解できるように
なっていくのだとおもいます。
その方法が、もっとも近道といえるのかもしれません。

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2009年08月28日

世の中には確かにめぐり合わせというものがある。

『世の中には確かにめぐり合わせというものがある。
 ツクとかツカないとか、運不運の循環がある。
 しかし、人びとは小ざかしく、
 その先回りをしようとするからいけない。』
   石田退三

 世の中で、いろいろとあるなかにおいて、
どうしようもないこともあったりします。
どんなに頑張っても、どんなに努力しても、
駄目なときもあり、
何もしていなくても、うまくいってしまう
こともあったりします。
 運のツキとかいうこともあったり、
運が悪いとか、運が良いとか、
めぐりあわせだねっとか、
おもわずいってしまう、そんなこともあったりします。
 その先にまわろうとしても、
結局、何の意味もなかったりするものです。
 人の運命というものは、
ときとして、どうしようもなく、
自分では、何もできずに、追い込まれていく
そんなことは、普通にあったりします。
それは、生きていれば、あたりまえにおこること、
カルマの解消のためであったり、
功徳の消化であったり、
まさに、天命ともいうべきことであるわけです。
 そんなときに、どう対応し、どう考え、
どう行動するのかで、その人の価値が
問われることになるのでしょう。
あるいみ、人生におけるチャンスのときなのだとも
いえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 06:38| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月27日

生きるとは 自分を探す旅

200908270803000.jpg
『生きるとは 自分を探す旅』
   安達原 玄

 写仏というものをご存じでしょうか。
写経というものを聞いたことがあるかとおもいます。
仏教において、教典の言葉を、写していき、
それを奉納することで、功徳を得るというものです。
写経は文字を写すこと。
写仏は、仏画を写すことです。
仏画とは、仏の御姿を描いたものですが、
仏画にも正式な作法があり、なかなか素人ではかけません。
しかし、もしきちんとした下絵があって、
それを模写すればよいだけであったら、
素人の人でも、出来るのではないか。
そんな思いから、生まれたのが写仏です。
 写仏をはじめたのが、安達原玄さんなのです。
そんな安達原玄さんより、頂いたものが写真の色紙です。
仏の顔と、玄さんの言葉が書かれている台紙は、
菩提樹の葉が納められている和紙です。
 柔らかな仏の顔に、
玄さんの言葉「生きるとは 自分を探す旅」が、
書かれています。
 玄さんの80年にわたる人生の旅のなかで、
自分を見つめ、生きることをみつめてこられた重みが
ある言葉だと感じさせられます。
 10年以上の年月をかけて、曼荼羅を描いたなかで、
いくつもの仏画を描くなかで、
そして、多くの人との出会いのなかで、
実感したものが、玄さんのお話のなかには
込められています。

 生きるということは、どういうことなのか、
お釈迦様が、甘美であるといわれたその意味を
感じることができる人生になりえるのか、
今も、求めて、自分を探す旅の途中にあるといわれる
玄さん。80歳を過ぎて、病気もあるなかで、
しっかりとした思いを抱いて、活動されています。

 生きるとは何か、自分とは何か、
これまでの人生の歩みを、振り返ってみたとき、
その答えが出せないと感じたのなら、
まだまだ、生きて、自分を探す旅を続けていく
必要があるのだということでしょう。
 だれもがかならず逝くときをむかえます。
であるなら、その時まで、精一杯、生きて、
自分を探し続けることが、大切なのだろうと。
そして、その旅のなかでの出会いを
大事にしていけたらとおもいます。


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2009年08月26日

「このやり方でうまくいったから」という成功体験に

『「このやり方でうまくいったから」という成功体験に注意。
 検証を怠れば、今後は失敗につながる。』
   ピーター・ドラッカー

 成功体験を闇雲に信じてもうまくいかない
ということです。
検証し、どの様な条件で、どの様な環境で、
どの様な想定で、どの様な人が、どの様な方法で、
どの様なタイミングで、どの様な結果を求めて
おこなったのか、それらを含めて、多くの内容が
一致するようなことは、ほとんどないでしょう。
つまり、成功体験は、メンタルとしてプラスを与えてくれますが
現実に、成功に導くノウハウとは限らないということです。
よく、私は○○で成功しました、これは誰でもできることです
といった宣伝文句がありますが、
まず、間違いであるといえるでしょう。
宣伝でしかなく、実際に成功する人は、稀だといえるわけです。
なぜなら、成功した人の成功体験は、その人がある条件で
出来たことであって、他の人が、他の条件で出来ることでは
ないからです。
つまり、検証し、共通要素を導き、そこを取り入れる程度で
しか応用できないわけです。
もし、取り入れられる要素が、重要なポイントであれば
有効に機能するでしょうが、対して重要なポイントでなければ
あまり効果はないでしょう。
そして、無心に、成功者の言葉を信じれば、失敗すると
いうことになるわけです。
 同じ成功体験はないと考えていた方がよいでしょう。
つまり、成功するには、成功体験からの要素で使える部分だけでなく
新たに、その目的において、自分の立場で考えたものが
必要になってくるということです。
 もちろん、成功体験を多数、検証して、その共通要素を分析し
適応範囲や方法及び手段を確立していけば、
それなりに有効な知恵になっていくわけです。
残念ながら、そこまで深いノウハウを公開したようなものは、
世の中の成功ノウハウ教材や書籍には、ないのではと感じます。
やはり、成功者本人から自分に使えるものを盗むしかないでしょう。
それが出来ない環境であれば、あきらめるしかないのかもしれません。
もちろん、自分で何とかするという道は、いつでも存在しています。
また、仲間と一緒に頑張るという道もあるでしょう。
成功体験に驕ることなく、常に謙虚な姿勢で、物事を冷静に
見つめ、分析し、判断することが、重要なのだということに
なるのでしょう・・・。

posted by 清水の伏竜. at 20:24| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月25日

取るに足らないと思っても、


『取るに足らないと思っても、
 仕事をむげに断ってはいけない。
 その仕事が何をもたらすか、
 やってみなければわからないのだから。』
    ジュリア・モーガン

 仕事のもつ可能性、仕事を通じての縁、
 仕事がもたらすものについて、
 与えられたものには、きっと何かがある
 ということを伝えてくれている
 そんな言葉であるといえるでしょう。
 どんなにつまらないとおもえても
 どんなに小さいものであっても、
 与えられた仕事、
 求められた仕事、
 であったら、そこには何かの意味が
 あるのかもしれません。
 だから、まずやってみる。
 そうでなければ、なにもはじまらないと
 いうことでしょう。
 そうすることが、あとで後悔しないために
 大切なことなのだともいえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 06:24| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

勇気をもって「劣後順位(切り捨てる仕事の順位)」をつけ

『勇気をもって「劣後順位(切り捨てる仕事の順位)」をつけ、
 重要な仕事に集中しよう。』
   ピーター・ドラッカー

 仕事の効率化、そのために何をなすのか
その基本とでもいうべきことを
ドラッカーは語っています。
優先順位をつけて、作業を行っていくということです。
これは、簡単なようでいて、なかなか出来なかったりします。
大きなプロジェクトでは、当たり前に行われますが
個々の作業レベルで、しかも作業単位が1時間以下のレベルで
あるような場合には、出来る人と出来ない人が出ます。
これは、訓練で出来るようになるものではありますが、
しかし出来るようになったとして維持できるかどうかは
性格による部分も大きく影響してきますし、
心身の状態によっても変わってきてしまいます。
また、重要度の判断も、意外と難しいことであったりします。
自分にとっての重要度と、関係者にとっての重要度、
重要度の基準をどこに置き、何を基本にして図るのかで
どれが重要なものになるのかが、変わってくるからです。
単純に主観でよいものもあれば、それではダメなものも
あるでしょう。そのあたりの判断は、簡単なようで
難しいとおもいます。
かなりなれた作業であれば、容易いでしょうが、
ある意味、経験による差も出てくるでしょうし、
対象が新らしいと判断にも迷いを生じることになるでしょう。
間違ってもよいから判断してしまえばよい
あとで間違っていれば反省すればよいだけで
その後は、正しくできるようになるだろうと
自分を納得させることが出来て、作業できる人であれば
以外と容易いかもしれません。
しかし、そうでない人の方が多いのではないでしょうか。
また、ひとりだけでやっていると、どうしてもゆるみが
でてきます。緊張感を持続出来なかったりするものです。
三日坊主といわれることの多くは、ひとりで行っているもの
であるといえるのではないでしょうか。
誰かと一緒に、または切磋琢磨しながら、
あるいは、チェックしてくれる人がいる状態で
行う方が、効果はあがるでしょうし、持続出来る可能性が
高くなることは間違いないでしょう。
そんな人が、近くにいてくれる人は幸せだとおもいます。

posted by 清水の伏竜. at 18:07| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月23日

善とは一言にいえば人格の実現である。

『善とは一言にいえば人格の実現である。』
   西田幾多郎

 善とは、何か。
 その答えのひとつを示した言葉です。
 人格の実現。
 人格として求められるものこそ、善であり
 そこに、真なるものがあり、
 そうなったときに、人はもっとも美しいのかも
 しれません。
 一日一善とは、日々人格を磨いていくこと
 にほかならない。ということなのでしょう。
 そして、その善の基準は、
 道徳にあるのは、この世のことであって、
 本質としては、神にあるべきなのでしょう。
 神の真理に基づく、善であることが
 人が成長するためには、重要なことで
 あったりするわけです。
 では、神の真理とは何か、
 それは、神自身をも縛られる原理原則であって
 天にも地にも、変わることなきものであると
 いえるでしょう。
 それを学ぶには、それを学び知った人に
 教えを請う以外にはなかったりします。
 文字では、正確な意味が残されていないからです。
 文字に残されたものは、実は読み手のかってな
 解釈が入ってしまうために、
 真実そのものが伝わらないことが多くあるのです。
 簡単なことは伝わっても、奥深いことまでは
 伝わらない、それを知っていたのか、
 お釈迦様もイエス様も、文字でその教えを
 残されませんでした。
 文字にしたのは、弟子たちであったのです。
 ゆえに、文字には弟子たちの勝手な解釈や
 想いも追加されてしまったものになってしまって
 いたりします。もちろんそうであっても、
 師の教えが伝わっていないわけではありません。
 ただ不完全なものかもしれないということでは
 あったりするでしょう。
 ゆえに、学びは難しく、
 善の真実に至るのも難しいことになっているのだと
 いえるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 04:17| 静岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月22日

人間は一度に一つのことしかできない。

『人間は一度に一つのことしかできない。
 成果をあげるには、集中と選択が重要。』
   ピーター・ドラッカー

 集中と選択の重要性は、いろんな側面で言われています。
しかし、なかなか出来ないでいることも確かです。
なぜ、成果をあげるために必要だといわれながらも
出来ないのか、それは、人が望むものが一つではないから
だということなのかもしれません。
複数のことに関心があり、複数のものを望んでいる
そんな人が、殆どではないでしょうか。
ただ一つの望みしか抱かないでいられる人の方が
稀だといえるでしょう。
それ故に、集中することが難しくなっているのだとも
いえます。集中と選択というのは、
切り捨てとあきらめであるとも言えます。
人を切り捨て、夢をあきらめ、それでも成果をあげることが
果たして重要なことなのか、
そう考えると、選択するにも、集中するにも、
前提となる条件があるということになるでしょう。
成果をあげるためにすべきことは、集中と選択だけでは
ダメだということでもあったりするわけです。
よく、成功者や有名な人の言葉の一部を聞き、
その言葉通りに実践しようとする人がいます。
しかし、その行動では、躓き、挫折することが多いのでは
ないでしょうか。目の前に提示された言葉には、
ポイントは示されていても、本質の全てが語られている
わけではないからです。
この集中と選択が重要という言葉においても、
人間が一度に一つのことしかできないという事実と
成果をあげるという命題の間の数多くのポイントや
ノウハウのなかの一部でしかないということです。
そのなかでも、重要な方のポイントではあるわけですが
それで全てではないということです。
 人の表面だけや、一時のことだけで、
全てを評価して決めつけてしまい、その後に何があっても
その評価をかえることができない心の狭い人が
結構、大勢います。一度もった印象を変えることが出来ないで
そのレッテルに固執して、そこからのハロー効果の中でしか
人を評価できないという人たちです。
しかし、人の能力など、たかが知れているのかもしれません。
冷静に、レッテル張りにもごまかされずに、
いつでも見方を変えることができ、時流に乗り遅れることなく
人の価値を正しく見抜くことのできる人の方が
稀少であり、いないからこそ、成功者が多量に出てくることは
ないのだともいえるのかもしれません。
 どの様な一生を送ることになるのか、
それは自分の自己責任ではあるものの、周囲の環境に
影響されることも多大にあったりするものです。
良き出会い、良き導きがある人は、とても幸せなことであると
言うことなのでしょう。
 政治でも、選択と集中が必要といわれています。
企業も同様です。しかし、選択を間違えたり、集中を間違えたとき
その被害は甚大なものになっていくでしょう。
リスクをどう考えていくのか、その点の考慮が、どこまで出来るのか
選択の基準や集中の基準を、とことんまで突き詰めて、
多方面から多様に検証しているのかどうかに、
かかっているのかもしれません。

posted by 清水の伏竜. at 08:49| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月21日

開拓者精神によって自ら新しい世界に挑み、

『開拓者精神によって自ら新しい世界に挑み、
 失敗、反省、勇気という
 3つの道具を繰り返して使うことによってのみ、
 最後の成功という結果に達することが
 出来ると私は信じています。』
   本田宗一郎

 失敗、反省、勇気。
 この言葉を、心の刻み、チャレンジしていく
 それが、出来る環境に、あるのかという危惧を
 感じたりします。
 大学に入って、勉強もせずに、就活をする学生が
 増えているという話し、インターンシップも
 高卒就職者を低賃金で使っているのと同じような
 ものになってきている印象すら感じられます。
 企業側、経営者のモラルの低下があるのでは
 ないでしょうか。
 本当なら、勉強に忙しく、アルバイトの時間を
 つくるのも大変であるべきなのが、大学生で
 あるべきはずだと思います。
 日本の大学教育の問題を、インターンシップの
 変化のなかに感じさせられます。
 基礎学力、応用力、学習力の向上なしで、
 社会に出ていく、それを助長する企業、
 どこかおかしい気がします。
 失敗を許さない、再度のチャンスはない、
 そんな社会や企業であることが、
 いろんな歪みをつくっている気がします。
 開拓者精神を育むための大学での学びのときを
 もっとしっかりとしたものにしていくことが
 大切なのではないでしょうか。
 大学が就活予備校にならないように、
 社会のあり方が問われているような気がします。
posted by 清水の伏竜. at 05:58| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月20日

組織とは、多分野の知識労働者を糾合し、

『組織とは、多分野の知識労働者を糾合し、
 彼らの専門知識を共通の目標に向けて
 動員するための人の集合体である。』
   ピーター・ドラッカー

 組織とは何か、組織論にもいろいろあります。
この言葉は、組織の本質を語っているようにおもいます。
すなわち、組織は、人の集合体であるということ
そして、目標をもっているということ
その目標に向けて、共通の意識をもっていること
そして、多様な人が集まっているということ
ビジョンが共有できていない集まりは
組織ではないともいえるでしょうし、
ビジョンに向かって、多様な人が存在していない
ようであったら組織とは言えない
そう捉えたら、多くの企業において
組織といえるものは、非常に少ないのかもしれません。
まず、ビジョンの共有が出来ていないケースが
多いでしょう。そして、多彩な人を揃えていることは
非常にすくなく、管理職の都合の良い人の集まりに
なっていることの方が多いといえるでしょう。
専門知識を動員できるような環境にあるものは
さらに稀なのではないでしょうか。
そうなってしまうのは何故なのか、
やはり経営者や管理職のリーダシップと
部下への情報供給が充実していること、
そして部下のモチベーションをあげる工夫がなされている
環境であることが、殆どないからなのかなと感じます。
一回伝えれば、もう伝わったとおもってフォローしない
そんな人が以外と多いようです。
上から下への情報は、何度も繰り返し発信しないと
満遍なく伝わることはあり得ませんが、その意識がないようです。
実際に成果をあげても、最初の失敗で評価されてしまい
頑張ったことが評価されないことも多いようです。
飲み会にでなかったために、評価されなくなる。
質問しても、答えてくれない。
権限の移譲と称して責任だけが押しつけられる。
そんな、感じであったりするケースも実際には多いようです。
それが、変わっていけるのか、
上に立つものに、求められることは多いと
いえるでしょう。

posted by 清水の伏竜. at 07:30| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月19日

成果を上げる秘訣の第一は、共に働く人たち、

『成果を上げる秘訣の第一は、共に働く人たち、
 自らの仕事に不可欠な人たちを理解し、
 その強み、仕事の仕方、価値観を活用することである。』
   ピーター・ドラッカー

 マネジメントとは何か、リーダーシップとは何か、
チームワークとは何か、プロジェクト推進とは何か、
複数の人間があつまって、仕事に取り組むときに
どうすれば、成果をあげられるのか、
その回答のひとつというべき言葉です。
 上に立つもの、管理職、経営者、リーダーに
求められることであるとも言えるでしょう。
どれだけ、人材を人財として、活用できるのか、
そして、それぞれに楽しく有益に活動させることが
出来るのか、それを成すためには、
強み、仕事の仕方、価値観を理解し、活用することが
出来ることが求められるということです。
 それが出来ないのであれば、出来るように
努力し、訓練していくことが必要なのだとも
いえるでしょう。
 残念ながら、多くの企業において、
これが出来る人財は少ないのが現実のようです。
それは、企業が人を人材として扱うことが
多くなってしまったからなのかもしれません。
ただ、勝ち組といわれる企業の経営者には、
これが出来ている人が多いことも間違いないようです。
多様な人財、多様な価値観と強みを、
理解し、認識し、上手に活用していく
そこに、成功への道がみえてくるのだと
いうことでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:50| 静岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月18日

未来に何かを起こすには、勇気を必要とする。

『未来に何かを起こすには、勇気を必要とする。
 努力を必要とする。信念を必要とする。』
   P・F・ドラッカー

 20世紀の経済、経営、マーケティングの世界における
世界を代表する人物 P・F・ドラッカーの言葉には、
資本主義・自由経済のあるべき姿に向けてのヒントや
謹言が数多くあったりします。
ファーストリテーリングも、ドラッカーの考え方を
取り入れて、成長してきた企業です。
 この言葉は、経営者、起業家に向けての言葉であり、
また、サラリーマンにもいえる言葉であるといえるでしょう。

 未来に向けて、何かを起こす。
何かとは、新事業かもしれません、新ビジネスかもしれません
新商品の開発かもしれません、
企業改革かも、社会変革かも、しれません。
とにかく、何かを起こすのであれば、
勇気、努力、信念が、必要であり、
それが無いとしたら、その何かを起こす行動は、
挫折や崩壊、失敗に終わることでしょう。
 勇気、努力、信念。
ありふれた言葉であり、何かにつけて言われる言葉です。
簡単なようで、難しい、そんな言葉でもあります。
恐怖、不安、息切れ、戸惑い、悩み、
そんな言葉が、次々と、襲ってくることは間違いなく
それを克服するだけの勇気、信念があり、努力が出来るのか
それが問われることになるということです。
もしかしたらひとりでは、無理なこともあるかも
しれません。仲間、同志、連れ合いの存在が、
大きな助けとなることが、非常に多いとも
いえるようです。
良き出会いほど、心強いものはないと
いうことなのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 06:36| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月17日

最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。

『最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。
 沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。』
   マーティン・ルーサー・キング

 沈黙すること、無関心を装うこと、
無視すること、みてみぬふりをすること
これは、暴力を振るう人や悪事をおこなう人と
同罪であるということです。
 いじめの問題において、多くみられることで
あったり、行政に関して、選挙にいかないことも
同様なことであるように感じます。
 沈黙は、自分がかわいい、怖い、といった
心からうまれているものでもあったりします。
沈黙しないこと、そのための勇気をもてるのか
それは、以外と難しいことなのかもしれません。

 今月末は、衆院選の投票日があります。
選挙に参加するのは、権利です。
それを行使しないということは、行政が何をしても
国が何もしなくても、文句は言えないということです。
沈黙しないこと、しかも勇気も必要ないこと
そんな選挙にもいけないようであったら、
勇気が必要な沈黙しない行為などは
出来るはずもないといえるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 07:31| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

本当の経営者は、来年、再来年に何をやるかというときに、

『本当の経営者は、来年、再来年に何をやるかというときに、
 だんだん広げていくのじゃなしに、だんだん狭めていく。
 そこに集中するために、いらんことはやめていく。
 そうでなければ集中できない。』
    井深大

 選択と集中。不景気のなかで、よく言われることです。
中長期の経営戦略を検討していくとき、新しいことを
行おうとする場合に、拡張のみの方向では、
うまくいかないということ。集中のためには、
いったん現状から縮小して、改革していくことを
考えるべきということです。
 成長戦略が必要という意見があります。
不景気、失業者の増加に対する対策を実施するために
やはり景気の回復が必要ということであるようです。
そのためには、政策としては、3つの方法しかないと
いう意見があります。
・減税
・規制緩和
・研究開発
の3つです。
そして、それらの実施により、何に効果を与えられるのか
どのような結果がえられるのかを示すことも必要とされます。
今回の衆院選挙での各政党のマニフェストがお話にならない
レベルであるのは、具体性に欠けるからだといえるでしょう。
人(人材から人財へ)、物(新製品、新サービス)、金(資本)に
どう効果があるのか、そのポイントを示すことが
必要であるということでしょう。

日本の政党に足りないものは、
やはり、行政の効率化・縮小が出来ないということ
なのかもしれません。公務員改革についても、定員削減や
給与制度見直しといったことにも曖昧なものしか
出せないでいるのは、族議員や労組を気にしてのことの
ようです。
また、経済成長、自由貿易、労働価値といったものへの
改革、促進なども、大胆に実施することが出来ないために
内容が選挙民に媚びているようなものに
なってしまっているような印象もあったりします。

経営者、企業の経営もそうですが、自治体、国家の経営、
舵取りをどうするのかにあたり、
選択と集中、役割分担、優先順位など
目的としてのビジョンを明確にしたうえで、
戦略を練り上げ、個別な施策について、
だれが、いつまでに、どんな方法で、実行するのかを
明示できないようでは、信用されないと
いうことでしょう。

posted by 清水の伏竜. at 09:14| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月15日

終戦記念日 こどもたちが学ぶこと

 8月14日は、終戦記念日。
今年で、64回目となります。
よく、終戦記念日という表現について、
おかしくないかという人もいたりします。
そこで、辞書で、終戦と記念の意味をみてみると
以下の通りになっていました。

終戦:
 戦争が終わること。
 特に、日本が1945年(昭和20)8月14日ポツダム宣言を受諾し、
 15日に連合国側に無条件降伏したこと。

記念:
(1)あとの思い出として残しておくこと。また、その物。
(2)過去の出来事への思いを新たにし、何かをすること。

この意味からは、8月15日を終戦記念日とすることは
おかしくないといえるでしょう。
特に、過去の出来事への思いを新たにすることにおいて
戦後世代にとっては、戦争というものの愚かさや
過ち、悲惨さ、哀しみなどに関して、戦中世代の皆さんの
思いを感じることで、二度と戦争を引き起こさないことを
誓い、そのために歩むことを考えていくことが
大切であるといえるでしょう。

戦後世代が、戦争を学ぶのに、
マンガやアニメの作品を使うのも良いとおもいます。
学校で、授業で、戦争について、もっときちんと
時間をとって、学ばせていくことが必要なのだと
いえるでしょう。
小学校で英語を教える時間があるなら、
戦争について、地域について、学ぶ時間を
もっと多くとるべきだといえるでしょう。
文部科学省も、もっと何が大切なのかについて
きちんと考えて欲しいという気がしてなりません。









posted by 清水の伏竜. at 12:01| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

事を遂げる者は愚直でなければならぬ。

『事を遂げる者は愚直でなければならぬ。
 才走ってはうまくいかない。』
   松下幸之助

 愚直であることは、ひとつの才能であると
いうこと。才走ってしまう人よりも、信頼される。
企業が求める人材であることは、間違いないといえるでしょう。
管理職にとって、愚直である人は、使いやすいようです。
かえって、才能がある人の方が、使いずらいことも
あるとのこと。私も上司から言われたことがあります。
確かに、その通りなのかもしれません。
計画を練り、その計画に従って、愚直に仕事を
こなしていく。それが企業の望むことであると
いえるからです。
新しい工夫や、革新的な提案、特殊な才能や技能、
技術などよりも、ただ愚直に、与えられたことを
実施していく社員の方が、好まれるということは
あるようです。
もちろん、それで仕事が面白いのか、楽しいのか
といわれたら、疑問もあるように感じます。
仕事は、仕事で、生きる糧を得るだけのものと
割り切ってしまうのであれば、愚直であることは
大切なことであるといえるでしょう。
しかし、うつ病気味であったり、性格によっては
愚直ではいられない人もいます。
そんな人は、事を成し遂げることは出来ないと
いうことなのでしょうか。
確かに、才走ってしまうとつまずきやすいでしょう。
確実に地道に進めていくことは
事を成し遂げていくためのステップです。
でも、それが出来ない人を切り捨てていくことが
経営者、管理職の行うことであるとは思えません。
愚直ではない人にも、その良さをいかして、
ことを成し遂げていくことが出来る道は
あるはずです。その道筋を示すことは
上にあるもの、経営者、管理職の責務であると
いうことを忘れないで欲しいとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 09:54| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月14日

正直とか、親切とか、友情とか、

『正直とか、親切とか、友情とか、
 そんな普通の道徳を堅固に守る人こそ、
 真に偉大な人間というべきである。』
   アナトール・フランス

 普通のことを、普通にし続けること
何気ない親切、かわらぬ友情、思いやり、
そんなことが自然に出来ること、
簡単なようで、最近は簡単ではなくなっているようです。
社会問題の多くが、ひとりひとりの市民が
道徳をもって、生活すれば解決されてしまうもので
あったりもしています。
救急医療の問題にしても、救急車をタクシー代わりにする人が
いなくなるだけで、かなり改善されます。
学校給食も、食費を未払いの親がいなくなるだけで
随分と改善されてしまいます。
いかに、社会問題の根元に、市民の無自覚という罪が
存在しているのかを、ひとりひとりが
考えていかなければならない時代であるといえるでしょう。
普通の道徳を堅固に守る偉大な人になれなくとも
普通の道徳を普通に守れる人であるように
子どものころから教育していくこと
大人が見本を見せることが、とても大切であると
いえるでしょう。
 地域社会の復興も、道徳、マナーを守ることから
はじめる必要があるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 11:43| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月13日

美徳とは、二つの悪徳の間にある

『美徳とは、二つの悪徳の間にある
 中庸のことである。』
   アリストテレス

 美徳とは何か、
世の中にある徳について、
悪徳ばかりのなかで、その間に
美徳があるということ。
中庸ということは、バランスをとったもの
ということなのかもしれません。
美徳と呼ばれるもの
悪徳と呼ばれるもの
それが何なのか、本当のところは、
わからないのかもしれません。
徳という言葉は、
人の世の物事であったりします。
だから、中庸という言葉により
良き物を選択する必要が
出てくるのだともいえるでしょう。
徳が必要な、矛盾の多い世界であるがゆえに
さまざまな言葉があり、
道徳やマナー、モラルや倫理があると
いうことになります。
神の真理は、時として、この世の尺度では
図れないものがあります。
しかし、神の叡智を理解したなら、
その理由は明白になり、
一見、おかしく感じることの本質を
捉えることができるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 22:00| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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