2009年05月31日

“どこかまだ足りないところがある”

『“どこかまだ足りないところがある”
 “まだまだ道がある筈だ”と
 考え続ける人の日々は輝いている。』
   松下幸之助

 可能性を諦めない、常に希望を持ち
そのことを考えていることが、
輝きに繋がっているということです。
 何かを成したとき、成しているとき、
出来たと思ったとき、完成したとき、
でも、まだまだ、どん欲に、先を求め
より高いゴールに向かっていく
そんなチャレンジ精神をもっていること
持ち続けることで、
人は、輝き続けることができるのでしょう。
諦めることなかれ、道は必ずあるのだから
それを探せば、きっと見つかる
そう信じて歩むことが、大切であると
いうことでしょう。
そう考えることが重要だということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:42| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月30日

他から得ることができず、

『他から得ることができず、
 どうしても自ら身につけていなければならない資質がある。
 才能ではなく真摯さである。』
   P・F・ドラッカー

 自分自身でしか得られないもの
そんな資質として、真摯さをあげています。
才能は、他から何かを得て、身に付くものもある
けれども、真摯さは、他からは得られない
というのです。
能力ではなく、姿勢であり意志であるから
なのかもしれません。
ただ、真摯さは、たしかに自ら得なければ
生まれないかもしれないけれど、
そのきっかけは、他から得ることも
多いといえるでしょう。
 自らみにつける必要があるものは、
才能も本質的にはそうですし、真摯さもそうですが
ひとりで得られるものということでも
無かったりするものです。
他から=宝を大切にすることで、
刺激を受け、そこからのきっかけによって
自らのものになっていくのではないでしょうか
真摯さも、もともと備わっているものではなく
成長していくなかで、他との触れ合いのなかで
築かれていくものであるといえるでしょう。
ひとりきっりで、悶々としていても、
身につけることは難しいということでは
ないのかなという気がします。
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2009年05月29日

ある願望が君の中に生まれる。

『ある願望が君の中に生まれる。
 その時、君はそれを実現させるパワーが
 同時に在るということに気付かねばならぬ。』
   リチャード・バック

 何かしたいと思ったとき、
何かが欲しいと思ったとき、
願望が、心の中から出てきたとき、
既に、その願望を実現させるための力が
あなたの中に、用意されているというのです。
だから、そのことに気付いて、
願いを達成するために歩み出せば良いと
いうのです。

 願望が生まれてくるということは、
それが出来ることであるからであって
出来ないことであったら、願望としては
生まれてはこないというのです。

 夢は叶うといわれます。
それは、夢を描けるという時点で、
それを実現させるパワーが、
同時にあるということだからなのでしょう。

 だから、あなたが、何かを願うことが
出来たなら、それを実現させるためのパワーが
生まれているということで
その存在に気付けば、歩みだすことは
難しくはないということです。

 夢に向かって、希望をもって、
生きていきたいですね。
posted by 清水の伏竜. at 06:11| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

君に出来ることが

『君に出来ることが
 君にしか出来ないことであることを,私は祈る。
 そう祈ることは,きっと,私にしかできない。』
   西尾維新
http://www.kotodama.in/quote/38987

 私にしかできないこと。
 あなたにしかできないこと。
 誰かにしかできないこと。
 そんなことって、あるのでしょうか。

 世の中の潮流のなかで、ひとりの人間の出来ることは
 ほんの些細なことでしかなかったりします。
 自分にしかできないことなど何もない。
 そう思いこんだとき、人は絶望に囚われて
 しまうことがあったりします。
 会社でしている仕事も、もし自分がいなくなっても
 結局は、誰かが代わりになってしてしまうでしょう。
 ボランティア活動をしていても、自分がやめても
 誰かが代わりに行ってくれることでしょう。
 そんな自分の代わりに誰かが出来ることも
 確かに多く存在しています。
 でも、この世には、その人にしか出来ないことも
 あったりします。
 たとえば、父親であったり、母親であったり、
 子どもであったり、夫であったり、妻であったり、
 それは、その人でなければ出来ないことだと
 いえるでしょう。
 代わりになれない存在が、失われたとき、
 失った側の衝撃は、とても大きなものであったりします。
 亡くなったときに、涙を流し、悲しんでくれる人がいる
 それは、まさに、その人でなければ出来ないものが
 あったということであり、代わりになれないものが
 あるということを示しているといえるでしょう。
 
 誰にでも、その人でなければ成らないことが
 あるからこそ、生まれて、生きてきたということです。
 生きていること、それ自体が、誰にも代われないこと
 その人でなければならないことだともいえるでしょう。

 そして、夢、希望、想いも、その人のものです。
 そして、自分でなければ成らないと信じることで
 そのやるべきことは、その人でなければ
 出来ないことに変わっていきます。
 そんな、自分でなければ出来ないと
 信じることのできる事に出会えたら、
 人生は、より輝きを増し、充実したものに
 なることでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 04:56| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

毎日毎日の足跡がおのずから人生の答えを出す

『毎日毎日の足跡がおのずから人生の答えを出す
 きれいな足跡にはきれいな水がたまる』
     相田 みつを

 日々、どう生きていくのか、
人は、自らの歴史を、毎日積み上げています。
自分の足跡をふりかえったときに、
そこにきれいな水が溜まっているのか
それとも汚れた水が溜まっているのか
それは、まさに日々の生き方による結果であると
いえるでしょう。
そして、人生は、日々の足跡の積み重ねによって
築かれているのです。
人生の結果は、まさに日々の足跡から
出来上がっていくのだと言えるでしょう。
 一日はあっという間に過ぎていきます。
小さい出来事しかないかもしれません。
でも、一日一善という言葉が、多くの人に
受け入れられるように、一日は大切なものであり
貴重なものであったりするのです。
だから、精一杯の出来ることをするように
心がけて、悔いのないように生きる努力を
していきたいものだといえるでしょう。

 でも、なかなか、日々を精一杯生きるのは
大変なことであったりもするものです。
思うようにいかないことの方が多いでしょう。
やりたいことが出来なかったということの方が
多いのではないでしょうか、
そんな後悔を日々していて、落ち込むことは
良くないことです。人生を暗くしてしまいます。
足跡を振り返ってもくよくよせずに、
これからの一歩のことを考えるようにすることが
より大切であるということだともいえるでしょう。
何事もプラスに受け取るように、
考えていくこと、そういったプラスの考えを
繰り返していくことが、人生をより素敵なものに
していくために大切なのだといえるでしょう.
posted by 清水の伏竜. at 07:06| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

権利は、やがてはやむ一時のことがらである。

『権利は、やがてはやむ一時のことがらである。
 しかし良心は、けっして死滅することのない
 永遠のことがらである。』
    ルター

 権利とは、この世の中の社会システムの中で
与えられているものにしか過ぎません。
人権も、社会によっては簡単に剥奪されてしまいます。
規制や義務と同様に、実体は変化していくもので
あったりします。社会や地域、コミュニティといった
存在抜きには、定義されないものだとも
いえるかもしれません。
人間が社会的な生き物である以上は、
この世においては、不可避なものでもあると
いえるでしょう。
その一方で、永遠のものとして、
ルターは良心をあげています。
キリスト教的な考え方から出てくる自然な発想です。
でも、良心も、この世でしか意味を持たないものに
なってしまっているかもしれません。
それは、何に対しての良なのかということに
関わっているからです。
この世の価値観や道徳観に対して良であるものは
やはり、この世のものでしかないといえるかも
しれません。
 永遠の存在、永遠の叡智に対して、良である心のみが
永遠であるということがいえるでしょう。
しかし、それは、時代によって、社会によっては、
悪いことだとされてしまうかもしれません。
イエスが、十字架に磔にされたようにです。
一度の人生においての良ではなく、
永久の魂において良たるものを求めるのであれば
この世的には非難されて罪に問われてしまう
そんなこともあることを、過去の聖者が示していると
いえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 06:21| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

命が永遠であるかのごとく生きよ。

『命が永遠であるかのごとく生きよ。
 そして今晩死を迎えてよい人生を生きよ。』
    アメリカ原住民の言葉

 クオリティ・オブ・ライフ(QOL)=人生の質を
高めていくことが出来るように生きるための
心構えが、語り継がれている。
そんな言葉が、あったりします。
まさに、人生の生き方について、示唆した言葉のひとつで
あるといえるでしょう。
 心の状態が身体に影響をあたえ、
身体の状態が心に影響をあたえることは、
すでに医学的にも認められているものといえるでしょう。
心のケアが、病気の治療に影響を与えることが
確かにあるのです。
ゆえに、どんなおもいで生きるのか、
どんな死生観で生きるのかは、
人生の充実度に関わることであるといえるでしょう。
 より、充実した人生をおくるために
死への恐怖や不安を払拭してしまうような
気持ちをもって歩んでいくことが望ましいと
いうことなのかもしれません。
 平常心、不動心をもって生きるべしと
いうことなのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 05:59| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月24日

抑圧されて困窮した階級のためには、

『抑圧されて困窮した階級のためには、
 どれほど犠牲を払っても払いすぎるということはない。
 自由は、最下層にある者たちの自由によって判定されねばならぬ。』
   ネール

 国が豊かであるということは、
一部の特権階級のことを指すのではなく、
もっともその国で最下層にいる人の状態で判断される
べきであるということです。
 企業が労働者に報いているのかというのは
その企業の最も最下層にいる社員の満足度が
どうであるのかで、評価されるべきであるということです。
 多くのトップ、経営層、管理層は、平均値をもって
判断していますが、それは自ら甘い基準でもって
判断することで、責任を回避しているということで
あるといえるでしょう。
 日本社会の問題は、まさに、富裕層がよければよい
といった風潮によって生まれてきたといえるのでは
ないでしょうか。
高度経済成長時代は、中間層にピークがある分布をしていて
平均にも意味があったかもしれません。
しかし、今や、ピークが2つあって、真ん中に谷がある
そんな分布になってきているといった状態であり、
世の中の状況も変化しているなかで、
もっとも最下層の人たちの生活をもって、
政府の政策も、企業の価値も、判断し評価すべき時代に
なっているといえるでしょう。
一部の優れた経営者は、それに気付き実践していたりします。
政策も、行政が政権交代によって、
変化の刺激を受けることが出来れば、変化していけるでしょう。
無知で変化に気が付かない経営者には、労働者が声をあげて
いくことが必要でしょうし、
政策については、選挙によって、市民、国民が、
政権交代という選択を示せるか否かにかかっていると
いえるでしょう。
今、日本社会に必要なものは何なのか、
市民、ひとりひとりが、しっかりと考えていくことが
求められていて、ためされているのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 23:40| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月23日

高貴な人間は義務に通じ、平俗な人間は利益に通じる。

『高貴な人間は義務に通じ、平俗な人間は利益に通じる。』
   孔子

 人は、欲に負けてしまいがちです。
また、恐怖やリスクに躊躇してしまいがちです。
だがら、利益をもとめてしまうのは、
しかたながいともいえるかもしれません。
でも、本当の幸せって、どこにあるのでしょう。
高貴な義務とは、他利に生きる、為に生きること
であるといえるのかもしれません。
 世のため人のために、何を成すべきかを
知っているということでしょう。
そして、知っているだけでなく、
実践できるということだとおもいます。
 人生を充実したものにするためには、
やはり、できるだけ高貴に生きることができるように
していけたらよいとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 05:58| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月22日

正義はつねに、虚偽との戦いのうちで発展する。

『正義はつねに、虚偽との戦いのうちで発展する。』
   毛沢東

 正義が虚偽との戦いで発展すると考えるから、
正義という名で、殺戮や戦争が行われてしまったと
言えるのかもしれません。
密告の監視体制や言論の統制も、虚偽と闘うためと
いうことであったのかもしれません。
しかし、正義が、真に永久の存在たる神のもとにあるのなら
正義の発展には、戦いは必要ないでしょう。
調和と理解、そして信念があればよいといえるでしょう。
戦いで得るものなど、何もありません。
憎しみや嫉妬、哀しみを生み出すだけであったりします。
 競争や切磋琢磨といった争いは、成長に繋がりますし、
スポーツでの戦いも、互いに認め合った上での
競い合いであり、意味のあるものです。
しかし、無意味な対立と、尊厳なき戦いは、
何も生み出さないし、得るものもないでしょう。

 戦いよりも、調和と共感を、そして、
共に競いあって、発展していけたら良いなと感じます。
posted by 清水の伏竜. at 05:48| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月21日

デメリットのあるところにこそ、

『デメリットのあるところにこそ、
 ビジネスチャンスがある。』
   小倉昌男

 ビジネスチャンスが、どんなところにあるのか、
難しいところです。
でも、ビジネスは、需要があるところに
生まれるものです。
そして、需要があるのは、問題があったり
不便があったり、不足していたりといった
デメリットがあるから喚起されていたりします。
 デメリットのあるところに、
ビジネスチャンスがあるというのは、
まさに、デメリットがあるということは、
何か課題があり、解決した方がよい状況であると
いうことですから、その課題を解決できるような
ものがあれば、それは要求されてくるということに
なります。つまりは、需要があるということです。
 ビジネスチャンスを考えるとき、
どのくらい困った人がいるのか、
そして、どの程度、困っているのか、
この二つのマトリックスで捉えたりします。
困った人とは、求める人ですし、
困っている程度とは、要求の逼迫度ということに
なるといった感じでしょうか。
多くの人が困っていて、すぐに欲しいと要求されている
そこは、まさにビジネスチャンスの宝庫です。
でも、競争も激しいでしょう。
困った人の数は少ないけど、すぐに欲しいと要求されている
そこも、ビジネスチャンスです。
最近では、ロングテールと呼ばれる部分も、
これに相当するといえるでしょう。
困った人は多いけど、今すぐなくても問題ないというあたりは
さほど、ビジネスにはならないけれども
そこそこいけるという感じでしょうか、
困った人も少ないし、それほど問題もないのは、
需要が殆どないという感じでしょうか。
 さて、とわいうものの、ビジネスを何の目的で行うのか
それによっても、スタンスが変わってくるのかもしれません。
お金儲けの為であるなら、割り切っていけばよいでしょう。
でも、そうではない、しっかりとした目的がある場合には
目的を明確にしておくことが大切ですね。
ときどき、目的が手段と入れ替わってしまったり
することがあるようですから。
 不況の時こそ、ビジネスチャンスがあるという
ことが言われます。まさに、デメリットが大きいのが
不況の時だからともいえそうですね。
posted by 清水の伏竜. at 22:15| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月20日

人間のやったことは、

『人間のやったことは、
 人間がまだやれることの100分の1にすぎない。』
    豊田佐吉

 人間のもっている可能性の大きさを、
伝えてくれる言葉です。
これまでにやったことが、やれることの全てではなく
ほんの少しでしかないということです。
 誰もが、多くの可能性を秘めて生きている
そんな可能性が、複数集まれば、もっと大きな
可能性が見えてくる。
人間の未来は、そんなに捨てた物ではない
といえるのではないでしょうか。
 不景気、地球温暖化、格差、差別、貧困、・・・
さまざまな課題があり、問題があるのは
間違いのないところです。
でも、それは、解決できるからこそ
問題なのかもしれません。
解決出来ることであるから、未来には希望が
もてるのだともいえるでしょう。
 100分の1しかやっていなかったのを、
100分の2、3、・・・と増やしていけば
きっと、大きな可能性がみえてくるし、
夢の実現へと歩んでいけるのでは
ないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 06:06| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

多少の手違いなんか忘れろ。失敗も忘れろ。

『多少の手違いなんか忘れろ。失敗も忘れろ。
 自分がいま、これからしようとしていること以外は
 全部忘れてやろうじゃないか!』
    ウィリアム・デュラント

 過去のことをくよくよしないで、
未来をみて、歩んでいこうということを
多くの成功者が語っています。
そんな言葉のひとつともいえるのではないかと
おもいます。
多少の手違いも、失敗も、過去のことです。
これから行うことには関係ないことなのですが
手違いや失敗をいつまでも考え悩んでいると
無関係なこれからすべきことにも
影響を与えてしまったりするものです。
 とはいっても、人は、反省する生き物です。
過去の失敗や、過ちから、学ぶことで
進歩してきたともいえるでしょう。
反省することは大切ですが、
それをいつまでも後悔したり、
くよくよしたり、思い悩んだりするのが
良くないということですね。
そのあたりをすっきり忘れて、未来をみて
進んでいくことが、これからの成功を導くことに
なっていくということでしょう。
もちろん、その人の廻りの人も同じように
考えていくことが大切であったりもします。
企業内でうまくいかないのは、廻りが、本人の
前向きな姿勢を崩してしまうようなことを
することが多いからだともいえるでしょう。
 まわりも、過去の失敗や過ちを、
くどくど言わないことが重要なことです。
しかし、これも出来ていない上司や管理職が
多かったりするものです。
 簡単なように思えることが
以外と難しいことであるという
よい例といえるのかもしれません。
 ともかくも、
過去はもう取り戻せません、
未来に向かって、生きていきたいものですね。
posted by 清水の伏竜. at 22:37| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

君たち、店員をなんと思っておるのか。

『君たち、店員をなんと思っておるのか。
 店員と会社はひとつだ。
 家計が苦しいからと家族を追い出すようなことができるか!』
   出光佐三

 今の経営者に問われている言葉のひとつでは
ないでしょうか。
会社を経営するということの意味と、社長、経営者としての責任、
それは、どこにあるのか、そのことを明確にしてくれている
そんな言葉であるといえるでしょう。
日本の経済発展は、まさに、この経営精神があったからでは
ないでしょうか。それを捨てたら、どうなるのか、
それは、今の企業の状況をみれば明白なように感じます。
何でも、アメリカ式が良いわけではなく、
欧州式が良いわけでもないということでしょう。
日本式の良さをもっと大切にしていくことが、
日本が、日本として、成長し、発展し、国際貢献できる国に
なっていくために必要なことの様に感じます。
成果主義は、アメリカでも失敗であったと評価されています。
そんなものを、なぜか、導入してしまった日本の経営層は、
アメリカの日本落とし戦略にはまってしまったということでしょう。
一見、良さそうにみえるものも、よくよく考えてみないと
何も良いものではなかったということがあるということを
バブル崩壊時に、数多く学んだはずだったのに、
学び切れなかった部分があったのが、今日の社会不安の
要因のひとつになっているのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 21:51| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月17日

善いことは、かたつむりのように進む

『善いことは、かたつむりのように進む』
    ガンジー

 正しくは、違っていたかもしれませんが、
インドの無抵抗主義による独立運動を展開した偉人が
残したことばだそうです。
 地雷除去、少年兵・少女兵の社会復帰に、
情熱を傾けている社会企業家の鬼丸昌也さんの
お話のなかで、出てきた言葉でした。
 善いことは、進むのが、ゆっくりだから、
多くの人が、なかなか出ない結果に我慢できなくなって
止めてしまう。
でも、善いことは、ゆっくり進むものなのだから、
結果がすぐにでなくても、ねばり強く、
コツコツと、継続していくことが大切であると
いうことを、教えてくれているというのです。
 確かに、早急な結果や成果を求めるから、
無理をし、悪い手段をも選んでしまうといえるでしょう。
戦争も、目先のものをすぐに手に入れたいという
欲望が原因となっていることが多かったりします。
 善い行動も悪い行動も、視られているものです。
他人かもしれないし、神かもしれません。
悪いことをすれば、罰を受けるし、
善きことをすれば、報いを受けるもの、
他人はごまかせても、自分はごまかせない。
だから、自分に素直に、自分を信じて、
自分を認めて、自分の成すべきことを、行っていけばよい。
 結果を急ぐこともないし、焦ることもない
善きことは、ゆっくりと進むものなのだから。
自分が出来ないことも、きっと誰かがしてくれる。
自分で全てを行うなんて、傲慢なことでしかないと
いうことです。
善きことを、ゆっくりでも、ちいさくても、
すこしでもよいから、行っていくことのできる
そんな人生でありたいものですね。



posted by 清水の伏竜. at 02:59| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月16日

私はあらゆるトラブルに感謝している。

『私はあらゆるトラブルに感謝している。
 ひとつのトラブルを克服したあと、より強くなり、
 これからやってくるものに
 よりよく対処できるようになっていったからだ。』
    ジェームズ・ペニー

 トラブルや困難にも感謝できる心
そんな心が、とても大切であるということを
語ってくれている言葉のひとつといえるでしょう。
人生をより充実したものにするために
より楽しく、いきいきと生きていくために
マイナスも、プラスにしていく考え方は
とても大切になっているということでしょう。
物事は、捉え方、考え方、見方しだいで、
どうとでもなってしまう
そんなところがあったりするということです、
でも、なかなか、トラブルや困難に
感謝するのが難しいときも多いものです。
そんなときに、近くに、一緒になって
プラスに考えてくれる人がいたら
きっと力強いことでしょう。
人は、ひとりでは出来ないことも
協力しあって、信頼しあって
可能にしていくことの出来る力を
もっているのだということです。
だから、出会いは大切であり、
友は、宝石であり、家族は宝なのだと
いえるのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 11:41| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

すべて自分のことだと思って全力を尽くす。

『すべて自分のことだと思って全力を尽くす。
 自分のことと思えば、どんな辛いことでも我慢できる。』
   青井忠治

 何事も、他人のせいにしない。
そうありたいと思いつつも、そうできない自分に
気が付くことがありませんか。
我慢できなくなったとき、何でそうなのか、
何で、どうして、自分が、こんな目にあうのか、
苦しさや辛さに、心が弱くなってしまったとき、
その不幸の原因を、自分以外に求めるものです。
でも、外に原因があるとおもうと、
他人のためにこうなってしまったと思うと
我慢することは難しくなっていきます。
我慢できないものが、外に向かって放たれるとき
他人を傷つけてしまうことになるかもしれません。
そして、それは、また自分にかえってくることに
なるでしょう。
 どんなことも、全ては自分のため、自分のこと
そう思って、取り組めたらな、その結果に対して
不満を感じることもないかもしれません。
不満がなければ、我慢することもない、
しかたがないことと納得して受け入れて
昇華しやすいということになるでしょう。
 やってあげているという気持ちではなく、
やらせて頂いているという気持ちで、
何事にも取り組んでいけるように、
心がけていくことが、人生をより素敵なものに
していけるコツなのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 04:07| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月14日

われわれは哲学の歩みとしてではなく

『われわれは哲学の歩みとしてではなく
 哲学への歩みとして生活世界から、
 根源的懐疑の道を歩みはじめるのであるから、
 生活世界の構成契機を問うことによって、
 そこに示される諸々の懐疑をうけとめていかねばならぬ。』
   神川正彦

 この世界で生活していくことは、
さまざまな懸念や疑問と出会っていくことだと
いうことなのかもしれません。

 ”どうして、○○○” ”なぜ、○○○”

という問いを、子どもたちが口にしたとき、
それに、きちんと向かい合って、真剣に答えて
あげているでしょうか。
相手が、どんなであれ、真剣な眼差しで問われたことに
真剣に応じていくことは、とても大切なことであると
いえるでしょう。

 哲学が、新しいインパクトを与えなくなったと
感じるのは、経済が急速な発展を遂げたことと
無関係ではないのかもしれません。
経済が行き詰まりをみせる21世紀は、
もしかしたら哲学が、世に新たな問いを投げかける
時代に戻ったのかもしれません。
心の問題へのアプローチが、今さかんになってきています。
それは、現実の世界における限界を
多くの人が感じ取っているからなのかもしれません。
欧米の文化は、リアル社会を科学によって解明し、
そこから知り得た知恵と原則に従って対応していく
ものであったといえるでしょう。
東洋の文化は、科学で解明できないものも、
受け入れていくものでした。
現象があり効果があり結果がある、理由は不明であっても
存在するものは受け入れていくことが出来る文化で
あったといえるでしょう。
今、時代は、ホリスティックな考えを求めています。
それは、東洋と西洋の融合ということでもあるでしょう。
医療においても、西洋医学だけでなく、漢方や気、
アーユルヴェーダといった、東洋の医術も必要に応じて
利用していくこと、ニセ科学といわれるようなものも
効果があるのであれば、使っていくべき時代であるのでしょう。
本来の目的に注視すべきであって、
そこに向かう手段が、科学で説明できないことなどは
気にする必要などないということでしょう。
それは、現代科学の限界でしかないのですから。
posted by 清水の伏竜. at 03:30| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

いただきます


『いただきます』

 食事のときのご挨拶、元気に子どもたちが

”いただきます”といって、箸をとる風景を

みなさん、みていますか、

大人も、当然、子どもたちの模範にならなければ
いけないでしょう。

 そして、食事のあとには、

”ごちそうさまでした”と、挨拶します。

私の故郷では、

”いただきました”でしたけど。

日本の文化、慣習において、
食事は、挨拶にはじまり、挨拶でおわるものです。
そこには、食事を用意してくれた方や、
食材を用意してくれた方や、
食材そのものへの感謝の気持ちが込められているのです。

日本の食文化には、お膳というものがあります。
これは、それぞれ、ひとりひとりの為に、
食事を用意するというものです。
食の多様性に対して、きちんと個々の食に対応したものを
出して差し上げられる。
そして、無駄な食をつくらない。
残さず食べられるものを、ひとりひとりに合わせて
出すことのできる文化であるといえるでしょう。
多様な食文化、食習慣の人が、一緒に食事をするときに、
大皿でみんなでというのでは、難しい問題も起こりますし、
残ってしまうものも出てくることになるでしょう。
お膳という食の形式では、そんなことは起こりません。
まさに、食を大事にすると同時に、
個人個人の食文化を尊重することのできる形式であると
いえるのではないでしょうか。

日本の食文化として、和菓子があります。
和菓子は、まさに、菜食菓子です。
原材料は全て植物性のものであり、
見た目でも楽しめて、食しても楽しめるという
素敵なものになっています。
健康にもよいし、もっと見直されていくべき
ものであるといえるでしょう。
最近は、残念なことに和菓子の形をしているのに
動物性の食材が入っているものがあります。
哀しい気持ちになってしまいます。
西洋和菓子とでもよんだほうがよいのかもしれません。

そして、鎌倉時代より、築かれていった食文化として
世界に誇れるものとして、精進料理があります。
動物性の食材を一切使わず、
彩りも味わいも豊かな菜食料理です。
今や、世界中より注目されている日本の食文化のひとつで
あるといえるでしょう。
そんな凄いものなのに、日本のなかで、
精進料理を扱う飲食店やレストランが少ないのは
哀しいことですし、残念なことだといえるでしょう。
飲食業を営む人には、もっと日本の伝統料理や、食文化に
目を向けて欲しいと思います。
そして、そんなメニューを、少しでも取り入れて欲しいと
願ってやみません。

日本では、食の地産地消は、当たり前のことでした。
そうでなくなったのは、戦後のことでしかありません。
戦後の誤った政策を見直し、日本の良き文化を
取り戻して、未来をより良きものにしていって欲しいと
願ってやみません。
そして、日本の市民のひとりとして、
出来ることで、協力していけたらよいなと思います。


多様な食文化・食習慣を有する客への対応マニュアル
http://www.mlit.go.jp/kankocho/shisaku/sangyou/taiou_manual.html
「いのちの食べ方」
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
「食の未来」
http://syoku-no-mirai.net/
「おいしいコーヒーの真実」
http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/
日本ベジタリアン協会
http://www.jpvs.org/
http://www.jpvs.org/v-info/IVU/ivunews.htm
『Choices for Tomorrow (CFT) / あしたへの選択』
http://ashitaenosentaku.org/
「肉の消費減らせばCO2削減」 IPCC議長が提言
http://www.asahi.com:80/eco/TKY200809080055.html
「肉食をやめ菜食主義になれば、温室効果ガス排出量を大幅削減できる」
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/environment/2511945/3268781
posted by 清水の伏竜. at 04:52| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

どこかにたどりつきたいと欲するならば、

『どこかにたどりつきたいと欲するならば、
 いまいるところには、
 とどまらないことを決心しなければならない。』
   J・P・モルガン

 いきたいところがあるなら、
夢があるなら、目標があるなら、
そこへ向かっていきたいのなら、
現状に留まることをやめる必要があると
いうことです。
今の状況を捨て去る決心が必要であると
いうことです。
 人は、変化を恐れます。
怖いから弱いから、現状のままでもいいと
おもいます。現状よりも悪くなるのがいやなのです。
人は、保守的なものであるといえるのかも
しれません。でも、そんな状態でいたら、
夢には手が届かないでしょう。
目標も達成できないでしょう。
変わることを恐れてはいけないということです。
変わることが素敵だとおもうことが大切だと
いうことです。
変わった先のことを、思い浮かべて、
それが実現したときのことを考えてみるのです。
そして、変わったあとの自分が、
どんなふうになっていて、どんなことを得ているのか
それを考えて、そうなることを信じるのです。
そうやって、自分の心の中から
恐怖や弱さをなくしていくことが
前に進むために必要なのだといえるでしょう。
より具体的に、変化を選択したあとの自分の姿、
自分の状況を、思い描くことが大切です。
そうなる自分は、今の自分よりも
きっと素晴らしい状態になっていると
確信をもつことです。
そうすれば、現状に留まることなく、
前に進むことが出来るでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 03:16| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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