2009年02月28日

種って、夢とよく似てるなっておもう

『種って、夢とよく似てるなっておもう
 時間をかけてじっくり育てていけば
 いつか夢はかなって、薔薇は咲く』
    夢原のぞみ
     〜 Yes!プリキュア5GoGo! 最終話より

 命の光を感じたというとき
まいた種の芽がいぶいたのでした。
あきらめずに、いっしょうけんめいに
地道に、大切に、育てていく
そうすれば、きっと夢はかなう
それを信じて、歩んでいくことが
大切なことと、ヒロインたちは、感じ取って
がんばってきたのでした。
 アニメの物語のなかには、
子どもたちに贈る素敵なメッセージが
紡がれていたりします。
そのメッセージは、子どもたちだけでなく
夢を見失った大人たちにこそ
必要なものなのかもしれません。


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2009年02月27日

人間が人間であるのは、

『人間が人間であるのは、
 自己抑制の力を持つからだ。』
   マハトマ・ガンディー

 人が、他の動物と違う点のひとつに、
我慢する必要のない状況においても我慢できる
ということがあるでしょう。
動物は、我慢は出来ません。
強制的に我慢させられることはあっても
自由な状況で我慢することはないでしょう。
しかし、人は、自由な状況であっても
自己抑制の力を発揮して、我慢することが出来ます。
それは、我慢することで、他の人との間で
問題を起こさないようにするとか
コミュニティ全体のために良い方向へ
導くといったことをなす事ができるのです。
 欲望のままに暴走するひとは、
人のレベルとしてはかなり低いということに
なるといえるでしょう。
より良い生き方をしていくために
人間らしさについて、考えてみるのも
よいのかなと思います。
人と人との繋がり、絆を大切にすること
自分と神との繋がりを感じること
それぞれに、大切なものを感じること
そんなことからはじまるのかもしれません・・・
posted by 清水の伏竜. at 08:00| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月26日

侮辱を侮辱で報復するのは、

『侮辱を侮辱で報復するのは、
 愚衆のやり方である。』
  フリードリヒ大王

 侮辱されたと感じたときに、
だから、自分も侮辱してやるのだという対応を
とるということが、いかに愚かしいかという
ことを伝えることばです。
 相手を侮辱することで、自分をも更におとしめている
そのことに気がつかない愚か者には
なりたくないものです。
 侮辱されたからといって、
何か困ることがあるでしょうか。
軽く受け流してしまって、気にしないという
くらいの対応が出来ることが、
大切なのだといえるでしょう。
怒ること自体が無意味です。
人を侮辱するようなレベルであるなら、
その人は、その侮辱以下の存在でしかないことを
自ら告白しているのに過ぎないのですから
それに同調しても、何もえることはないし
かえって損をするだけだといえるでしょう。
 相手の揚げ足をとったり、
愚弄したり、欠点ばかりを指摘したり、
負の方向に、場を導くような行為には、
発展性はありません。
また、良き方向に進歩することもないでしょう。
自らが反省することは大切ですし、
相手に改善を促す気づきを与えることも有意義では
ありますが、
プラスを見いだし、そこを更に伸ばすことこそが
より発展的な展開を導いていくことに
繋がっていくものです。
 相手の良いところに注目し、
それを認めて、もっと伸ばしてもらうこと
互いに相互作用をもって、それが出来るような
環境があれば、きっと新しい素晴らしいものが
生み出されることでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 19:05| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月25日

道のシャンと歩けぬようなものは、

『道のシャンと歩けぬようなものは、
 人の上にたてぬ。
 道を歩いている姿が一番人の眼につくものである。』
   宮本常一

 歩く姿勢が、その人の内面を映し出しているという
ことは、昔からよくいわれていました。
体格や顔がどうこうではなく、仕草が美しいと
その人は、しっかりしているという印象を与えるものです。
そんな姿をみせることで、人に好印象を与えることも
人の上にたつものには必要だということでしょう。
とくに、最近の大臣の皆さんや国会議員の皆さんのなかには
メディアに出ているときに、だらしない姿を
曝してしまっている方がいますが、
やはり、国を代表する人には、もっとそのあたりも
意識して欲しいという気がします。

 ただし、姿形や見た目が、人を決めるものでは
ありません。人を判断する立場にたったときには、
逆に、相手の見た目で、人を判断せずに、
人の人格や内容で、判断できるような目をもつこと
ハロー効果に惑わされないような精神や心を
持つことが重要であるといえるでしょう。
その部分の切り替えができないようでは、
リーダとしては三流だということではないでしょうか。
リーダは教育者でもなければならないし、
正しく、人を判断し、その人の良さを見つけて
引き出せるようでなければならないからです。
そんなリーダが少なくなっていることが
企業や地域の問題が、なかなか解決しない理由なのかも
しれません。
posted by 清水の伏竜. at 07:53| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月24日

あれ、ひとつだけだから、

『あれ、ひとつだけだから、
 選んでかってくれたものだから、
 はじめて、パパが、』
     汐 〜クラナド アフターストーリー
        第18話 「大地の果て」より

朋也と渚というカップルを巡る物語
高校での出会いから、いろんなことがあり
結婚して、ささやかでも幸せな生活がはじまって
妊娠、出産、そして、汀が生まれたのを
確認して、やすらかに逝ってしまった渚。
(第16話 「白い闇」までの物語)
突然の別離に、仕事に没頭して、辛さを忘れようと
して、汐を渚の両親に預けっぱなしの状態で
5年がすぎていったとき、
渚の母、早苗が、訪れて、
旅行にいきましょうと、強引に約束してしまい
その当日に、早苗の家を訪れると
そこには、汐だけが残されていた・・・。
(第17話 「夏時間」)
汐と二人で旅行に行くことになった朋也。
はじめての父親との旅行での汐の言動に、
父親としての自覚がなかった朋也にも
なにかの変化が・・・

おといれにいきたくなって
パパに、伝えたとき、
ひとりでいってこいといわれて
もどってきたときに言う一言
「ひとりでできた」
とても、健気で印象的な台詞になってます。

広がる花畑で、遊ぶなかで、
旅の途中でパパが買ってくれたロボットを
落としてしまう汐。
それを、一生懸命に探す汐。
朋也は、あきらめろ、またかってあげるからといって
汐が探す様子をみつめて・・・
風景のなかに自分の過去を思い出す朋也、
その場をはなれ、歩いていった先に・・・

祖母との出会いで、忘れていた父のことを
思い出していく、そして、自分のことと
重なっていく・・・。
父親のことを、本当に許せる気持ちになった朋也、
汐のもとに戻ってきたとき、
まだ、懸命にロボットを探している汐に、
「みつからないかもしれない、・・・
 また、あたらしいのかおう・・・」
そう、汐に、朋也がいったとき、

汐はいいます。
『あれ、ひとつだけだから、
 選んでかってくれたものだから、
 はじめて、パパが、』

汐に、許しをこう朋也。

汐はいいます。
『きょうは、大切なものなくしたからかなしい』

『パパ、
 もう、我慢しなくてもいい、
 早苗さんが、いってた、
 泣いていいのは、おといれか
 パパのむねのなかだって』

抱き合って、涙をながす、汐と朋也。

そして、帰りの電車のなか、
汐に、ママの話しをはじめる朋也・・・

「それは、ここにあった」
朋也の心の声には、
青い鳥は、身近にあるということの気づきでも
あったといえるでしょう。

この物語を観ていると、なぜか、自然に
涙が出てきてしまいます。
人の幸せって、感動って、
本当に、小さいことなのかもしれないけれど
絆というものの中にこそ
あるのだなと感じさせられます。

京都アニメーションがおくる名作アニメは
感動したいあなたに
ほんわか、ほのぼのしたいあなたに
お薦めです。



posted by 清水の伏竜. at 07:04| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。

『有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。』
    バーナード・ショー

 何事においても、行動することが
大切であり、重要であることを伝える言葉は
数多くあります。
そんな言葉のなかのひとつですね。
観客民主主義に陥っている日本の状況も
市民、ひとりひとりが、選挙権を行使して
行動することがなければ、変わりません。
有能か無能かを、単純に行動するかしないかで
決めてしまえるわけではありません。
講釈は出来るけど、行動できない人に対して
それでは、講釈なしでも行動している人には
勝てないのだよということを
認識すべきでしょうといっているのだと
思うべきでしょう。
行動することのハードルは、
講釈することのハードルよりも
ずっと高いですから。
それを乗り越えることの出来る人は
凄いということがいえるでしょう。
とはいうものの有能な人は、
謙虚さも併せ持っているものです。
傲慢な人は、どんな結果を残しても、
人としては、有能であるとはいえないように
感じます。
小さなことでもよいから、
行動していくことを、
まずは意識してみるところから
はじめてみることが、大きな一歩であるとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 05:36| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月23日

笑われるのを恐れるよりは

『笑われるのを恐れるよりは
 心にないことを云ふのを
 恐れなければいけない。』
    武者小路実篤

 笑われることは、悪いことではなく
気にするべきことでもない。
だから、笑われるかもしれないという
心配は、よけいな心配であるということ
そんな心配をするよりも
心にない偽りのことをいったしまう
ことの方を心配し、恐れるべきだと
いうことです。
 人は、体裁をきにしがちです。
体面を整えることは、たしかに
ひつようなことではあるでしょう
しかし、本当に重要なことではない
もっと重要で大切なことがある
それをおろそかにしてしまっていると
やがて、その報いを受けることに
なってしまうでしょう。
ものごとを行うとき、
本当に重要なことは何なのかを
考えることをわすれないように
そして、重要なことを守ったなら
他人に笑われたってかまわないし
それで笑うものの方がおかしいのだと
いうことです。
世の中には笑われたものの方が
わらったものよりも優れていて正しいことが
多くあったりするものだとも
いえるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 06:57| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月22日

人生は無限に深い。

『人生は無限に深い。
 われわれの知らないどれほど多くの真理が、
 美が、あるいは人間が隠れているかわからない。
 それを放棄してはならぬ。』
    亀井勝一郎

 人生は、長い時の流れのなかの一瞬の瞬きであると
ともに、その一瞬のなかで、成すべきことがある
貴重な一瞬でもある。
 人が生まれ、歩み、死んで逝く
そのなかで、何を成すのか、何のために
それは、宇宙の存在意味と地球の存在意味と共に
人の存在意味でもあるでしょう。
 真理というものがあるとしたら
それは、時空を包括し、人の存在の意味を
解き明かすものであるでしょう。
 なぜ、人だけが文化をもち、文明をもち、
言葉をもっているのか。
そこには、人の特異性が示されています。
肉体の寿命、心の寿命は、短くても
永遠のときを旅する魂という存在があることを
感じられるときがある
故に、人生は、無限に深いといえるのでは
ないでしょうか。
それは、破棄など出来るものではなく
ここで言う破棄とは、目をそむけたり
とじたりして、観て観ぬふりをすることだと
いえるでしょう。
でも、いくらみないようにしても
その存在にかわりはなく、
いずれ感じざる得なくなるのですから
そむけずに、しっかりと向き合うことが
前向きであり、建設的であるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:20| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月21日

もと来たところへと帰ることー

『もと来たところへと帰ることー
 それがどうしてつらいことだというのか?
 じょうずに死ぬすべを心得ぬ者は、
 へたに生きているのだ。』
   セネカ

 もときたところにもどる
なにか、後退するような気がしたり
失敗して逃げるような気がするひとが
いるかもしれません、
だから、もときたところにもどるのは
辛いことというのかもしれません。
でも、本当にそうでしょうか。
もときたところにもどることは
実は、つらいことでも
間違ったことでもなく
ごく自然なことであり、
ふつうのことであるのではないのでしょうか
人が生まれ死んでいくように
いずるところへもどっていく
それは、あたりまえのことであるはずです。
 最近の社会問題の多くは、
その問題の関したことで
やってきたことの前の状態に一旦もどっで
考え直すことが必要なことが
とても多いように感じます。
そして、それが出来ないのは、
もときたところへ戻ることへの
抵抗感ではないでしょうか。
より良い未来に進むには、
元に戻ることも必要であることを
素直に受け入れることが
必要になっているように感じます。
posted by 清水の伏竜. at 09:34| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月20日

あなたが百人の人に微笑みかければ、

『あなたが百人の人に微笑みかければ、
 百人の心が和む。
 あなたが百人の手を握れば、
 百人の人が温もりを感じます。』
   マザー・テレサ

 微笑み、手のぬくもり、
人と接するときに、幸せを感じるときって
あるのではないでしょうか、
 インドのマザーテレサの院には、
彼女のおもいが今も受け継がれているそうです。
人に微笑みを、ぬくもりを与えたら
それは、自分に戻ってくるものです。
ひとりが、百人に、微笑むことができたら
社会はもっと暖かなものに
なっていくことでしょう。

 マザーテレサは、自ら信じた神に帰依し、
自らは何も求めず、貧しいものに奉仕し、
祈る日々を過ごしていたのです。
それで、彼女はとても幸せであったのだと
おもいます。
 人の幸せって、本当のところは
そのひとにしかわからないものであったり
さらに、そのひとにもわからないもので
あったりするのかもしれません。


ビッグイシュー基金
posted by 清水の伏竜. at 03:09| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月19日

仕事と義務は、それ自体が目的ではなく、

『仕事と義務は、それ自体が目的ではなく、
 つねに、目的に至る道にすぎない。
 目的は神である。』
   シュリ・ラーマクリシュナ

 上司の言葉が胸に突き刺さる、仕事が楽しめない
生活のため、勤め人としての義務だから、我慢して
会社に出かける。身体が不調でも、疲労感があっても
出社しないと恐ろしい、あとから文句をいわれるから。
空気が重く、身も心も休む場もない会社の中、
見た目で判断され、何をいっても言い訳といわれ、
正解は上司の気に入る言葉だけ、それをいえないと
叱咤という衣を被った罵倒と非難の言葉が
浴びせかけられる。でも、家族のために、
日々の糧をえるために、衣食住のために、
僅かなお金を得るために、日々我慢する。
そんな日々のなかで、心はますます疲弊していく。
今の日本の企業には。そんな人が大勢いるのでは
ないでしょうか。
仕事や義務が、目的だとしたら、そんな生活に
希望も夢もないでしょう。
でも。仕事も義務も、手段でしかなく、
その辛さは試練であって、我慢することで
得るものもあるとしたら、どうでしょう。
少しは違った人生になるかもしれません。
 すべて、この世での出来事には、意味があり
それは、人生の目的が、今世だけのものでもなく
来世にも繋がっていくものであるからとしたら
どうでしょう。目的は神。
自らの魂を神に近づけるために、
全てはあり、その目的に向けての道にすぎない。
誰もが、お釈迦様やイエス様のような魂の輝きと
成長した姿に、向かっていくのであり
いくことができるのであり、その為に生きているのだと
したら、どうでしょう。
この世の仕事や義務、試練や苦難、すべてが、
道にすぎないとしたら、
どう歩んでいきますか。
この言葉は、そんな問いかけでもあるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 03:41| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

わたしは進歩を信じる。

『わたしは進歩を信じる。
 わたしは、人類は幸福になるべく定められていると信ずる。』
    ハイネ

 信じることの大切さ、
それは、何かをなし得ることへと繋がります。
人は、誰もが、いつの日のか
幸福なときに浸ることになるでしょう。
神と等しき存在になり得るのが、
人なのですから。
神の子として、それぞれが唯一無二の魂であり
それぞれが、存在としての価値をもっており
尊厳されるべきものであるのですから。
 人種、国籍、性別、心身の状態、・・・
いろんなものが人は違っていたりします。
それによって、いろんな人生があったりします。
違いは、差別でも格差でもない、個性であると
思えるか否かでも、人の生きる意味は
その輝きや存在をかえてしまうでしょう。
 進歩や可能性を信じるか否かで
未来の輝きや存在はかわってしまうでしょう。
 よりよい変化をなすために
信じることをやめないようにしていきたい
そうありたい
そうあるべきではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 01:41| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月17日

アイデアは、それを一心に

『アイデアは、それを一心に
 求めてさえいれば必ず生まれる。』
   チャップリン

 何か良いアイデアがないだろうか
そんな悩みをもっている人に
贈る言葉です。
 とにかく、求めること
一心に、常に、必要なことは何か
求める答えはとこにあるのか
考え続けていることが
大切であり、
そうしていることで、
ふとした瞬間に、
求めていたものが与えられたりする

まさに、
 求めよ、さらば与えられん
ということです。

だから、どんなことがあっても
諦めてはいけないということです。
posted by 清水の伏竜. at 03:03| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月16日

「人間だからしかたない」と言わず、

『「人間だからしかたない」と言わず、
 少しでも実現できるように
 努めていくことが大切なんだ。』
   松下幸之助

 100年に1度の危機というような言葉が
メディアに流れています。
人間だからしょうがない、そういって諦めることと
おなじように、100年に一度の危機だから
しかたないといって、いろんなことの言い訳にしている
リーダーが、大勢いるようです。
 ここ100年の間の危機は、第二次世界大戦と
その後の第三次世界大戦勃発かといった危機よりも
厳しいものはないような気がします。
今回の金融不況って、本当に100年に1度の危機なの
でしょうか。先にあった第一次石油ショックや
第二次石油ショックよりも、厳しい状況であるようには
見えない気がします。
本当にこれまでの不況よりも厳しいということを
数字で示すような記事も報道もありません。
裏付けのない100年に一度の危機は、
経済界がリストラや賃上げ出来ないことの理由を
つくるためにメディアにはたらきかけて
創りだした嘘でしかないように感じられます。
このような嘘が平然とまかり通る社会になって
しまったことが、100年に一度の危機なのかも
しれません・・・・。
 いろんな問題が起こっているなかで
市民が立ち上がろうと努力していることも
多くなってきています。
そんななかで、いろんな壁にであって
先に進められなくなってしまうことも
あるでしょう。でも、あきらめずに、
ほんの少しでもいいから前進していければ
そして、それを持続していくことが
とても大切なことであるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 06:14| 静岡 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月15日

どんなに成功しても、問題はなくならない。

『どんなに成功しても、問題はなくならない。
 問題がなくなるのは墓場だけ。』
    神田昌典

 この世のビジネスを考えたときには、
まさしく、成功して、富を得、名声を得、
豊かになったとしても、問題は次から次へと
出てくるものだということです。
問題は、課題、新しいテーマ、ということでも
あるのかもしれません。
ゴールが近づいたと感じたときにこそ、
予想外のことが起こるということでもあると
いえるでしょう。
最後まで、気を抜かずに、進んでいくことが
大切であるというわけです。

 さて、問題がなくなるのは、墓場のなかかと
いえば、確かにこの世の問題、今世での問題は
なくなるかもしれません。

 でも、その人の魂の問題は、墓場にはいるとき
死の扉を開いたときから、はじまるといえるでしょう。
今世で成したことの結果を精算することになるのですから。
一生を魂の尺度でみたら、今世は、ほんの一部でしかない
それを実感するのが、墓場のなかであるでしょう。
そして、成功したと思っていたことが、
本当は失敗であったということもあるかもしれません。
この世の成功は、必ずしも、魂の成長につながっているとは
限らないという事実があり、それに気づくのは
魂の成長度合いによっては難しいということもあって
来世で、より苦労することになるのかもしれません。
そんなこともあって、死生観や価値観は、
実は大切なことであったりするといえるでしょう。
それば、この世の富や名声や成功よりも、
本当は重要であることなのかもれません。
posted by 清水の伏竜. at 05:15| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月14日

困れ。困らなきゃ何もできない。

『困れ。困らなきゃ何もできない。』
   本田宗一郎

 金融不況の日本、でも企業経営者の対応は
どこかおかしいといえるでしょう。
今回よりも、もっと厳しい状態になった
石油ショックのときに、企業経営者のとった対応との差が
日本の企業経営者のレベルが、低下してしまった
ことを示しているようにおもわれます。
 この違いを、取り上げて、企業の対応を
糾弾するのが、メディアの役目であり
ジャーナリズムの存在意味であるのに
それが出来なくなってしまった、
それとも、する能力がなくなってしまったのが
日本のメディアの衰退といえるのかもしれません
しかし、それは、国民のレベルの低下のあらわれに
過ぎないのかもしれません。
 労働組合も、労働者を守るための主張が
世に聞こえるような規模にならないようですし
その存在意義が問われているかのようでもあります。

 困ったことです。

まさに、日本全体が困ってしまっているのかも
しれません。
しかし、そんな時こそ、チェンジのチャンスであり
何かできる機会なのかもしれません。
今回のリストラや派遣切りを、仕方がないかのように
いえる権利のない企業と経営者がいます。
それは、石油ショックのときには、
リストラを行わなかったのに、今回は行っている大企業です。
まさに、無能さと無責任さを世間に公表していると
いえるでしょう。
もっと、その責任を糾弾されるべきでしょう。

本田宗一郎氏も、きっとあきれているに
違いありません。経営者の恥さらしだと思って
憤慨し悲しんでいらっしゃることでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:52| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月13日

今日できなければ、明日もできない。

『今日できなければ、明日もできない。
 一日も無駄に過ごしてはいけない。
 決心し、思い切って、
 いますぐできることのあたまをつかまえるのだ。』
  ゲーテ

 出来ることから、はじめることの
大切さ、重要さは、いろんな人が語っています。
今日出来なかったことが、
明日になったら出来るようになるのか
今日決心することが出来なかったことが
明日になったら決心できるようになるのか
今日出来ないことは、
明日になっても出来ないのではないのか
もし、出来るというのなら、
なぜ、すぐに行わないのか、
行わない理由は、本当は出来ないのに
そう思いたくないからの言い訳ではないのか
 出来ない自分がいるとき、
出来ない理由は、本当に出来ないからではなく
思い切ることのできない弱さのいいわけに
なっていないのか
自らに問いかけて、出来ない自分を
見つめ直すことが、必要なのでは
ないのかなという気がします。
しかし、今すぐ出来ることのあたまを
捕まえるのは、意外と難しいことなのかも
しれません。せめて、しっぽでも
捕まえられたら、何かが変われるのかも
しれません。
ひとりでは出来ないのであれば、
誰かといっしょにやってみるということも
あるのではないでしょうか。
人の力や可能性は、ひとりの時よりも
ふたりになったときの方が、
倍以上のものになっていくことが
可能であったりするものですから・・・
posted by 清水の伏竜. at 06:24| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月12日

人民の、人民による、人民のための政治

『人民の、人民による、人民のための政治』
    エイブラハム・リンカーン

 今年、第44代大統領に、オバマ氏が就任しました。
その演説が、注目され、書籍等で発売されています。
そんななかに、先人の大統領の演説があわせて
発売されていたりします。
リンカーンと、ケネディです。
 第16代大統領エイブラハム・リンカーンの
誕生日は、2月12日。奴隷解放宣言で知られています。
ゲティスバーグでの演説の中の言葉が、
この有名な言葉ですが、当時の演説会は、人もまばらで
拍手も少なく、メディアでも酷評されたと言います。
今回のオバマ氏の演説とは、対照的なもので
あったといえるでしょう。
その意味では、人の評価は、その時点で
その世の中の評価が酷いものであったとしても
歴史が、再評価するということがあり得ると
いうことでしょう。
 今年、日本でも衆院選挙があります。
日本の首相の言葉で、このリンカーンの言葉以上に
知られた言葉は、あるでしょうか。
すぐには思い浮かばないのでは、
そうおもうと、なんだかさみしい気持ちになります。
せめて、政権交代によるチェンジが
いまの政界には必要であるといえるでしょう。
日本国民が、試される年です。
posted by 清水の伏竜. at 05:08| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月11日

正しいものどうしの

『正しいものどうしの
 あらそいは とめようがないでしょ』
  火の鳥 〜 手塚治虫著 火の鳥 太陽編より

 手塚治虫のライフワーク作品「火の鳥」
人類の存在意義、宇宙の存在意味を問う作品でも
あるといえるでしょう。
不死鳥である火の鳥が、
なぜ、争いが絶えないのかという疑問に
信仰や宗教は、人が創りだしたものであり
それぞれに正しいといったあと、
この言葉を語ります。
 まさに、正しいと信じているものどうしが
争ったときに、それを止められるのか
止められるとしたら、自らの正しさに疑問を
感じることがなければ、無理だといえるでしょう。
 多くの争いや戦いは、私的な正義、正しさから
おきていて、それが本当は、正義でもなく、
正しくもないことを、理解できないから起こっていると
いえるでしょう。
 本当に正しいのか、なぜ正しいといえるのか、
争うものが語る正義は、その問いに答えを出すことが
出来ないものであったりします。
正義を語るとき、それが私義になっていないのか
判断できる客観性を持ち得るなら、争いなど起こらないでしょう。
残念ながら、多くの人は、その客観性が持ち得ずに、
ただひたすらに自らの正義を盲信しているのです。
 人を殺す、生き物を殺すことが、悪であり、罪であると
言われたとき、それを否定できる人はいないのではないでしょうか。
ならば、そんな行為をするものに、正義など
あるわけはないのです。
この単純な事実を、受け入れられない狭く小さい心しかない
そんな人が、戦争をおこしているのでしょう。
 コーチングやNLPなどで、誰もが正しいとか、
人それぞれの正しさがあるとか言うことがありますが、
それは、あくまでも自己暗示のための方便でしかありません。
正しいとおもわないと行動できないので、
そう思うだけのことで、本当に正しいのかどうかとは
無関係なことであったりします。
それを、本当に正しいと思いこんでしまうと
異なる正しいものの衝突となり、正義の殺人や、
正義の戦争といった、矛盾したものを生みだしてしまう
ことになるのです。
本当は、誰もが誤っている、間違っているというのが
実像であったりするのではないでしょうか、
その間違いを許し、許容していけることこそが
本当は、大切なのではないでしょうか。


posted by 清水の伏竜. at 07:05| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふこと勿れ

「あゝをとうとよ君を泣く 君死にたまふこと勿れ」
       与謝野晶子

 『君死にたまふこと勿れ』
 日露戦争に出征した弟のことを思い
 無事に帰ってきて欲しいと願って
 歌われた詩編は、人の愛と命の尊さを
 伝えてくれているようにおもいます。

 文学作品、音楽、映像作品、・・・
 芸術、文化に触れるとき、人はそこから何かを
 感じるでしょう。
 感じ方、感じた物、浮かんだこと、思ったこと、
 それは、その作品に触れた人、それぞれに
 異なったものがあるかもしれません。
 でも、誰もが共通に感じるものもあったりします。
 そんな、ところに、真理が隠れているのかも
 しれません。


posted by 清水の伏竜. at 05:17| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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