2009年01月31日

道が不意に折れ曲がったら、

『道が不意に折れ曲がったら、
 歩幅をせばめなさい。』
   アーネスト・ブラマ

 歩んでいく、前に進んでいく、
そんなときに、進む道筋が、どんなふうに
変化しても、歩みを止めずにいくことが
出来るかどうか、
それは、夢、目標、目的に達することが
出来るかどうかにかかわってきます。
 もし、道が突然曲がったり、
道が突然狭まったり、
そんなことがあっても、道からはみ出して
行く先を見失うことがないように
していくために、歩幅を変えることが
出来るよう、心がけておくことが
重要になってくるということでしょう。
 頑固に、頑なに、歩んでいくだけでは
道をはずれ迷走していってしまうかも
しれません。柔軟な対応が出来ることも
ゴールに向かっていくためには
必要であるということです。
何のために、歩んでいくのか
何が大切なのか
そのために何をすべきか
しっかりと考えながら歩むこと
出来ているでしょうか。
 苦言や異なる意見に
しっかり耳を傾けることが
出来ているかともかかわることで
あるといえるでしょう。
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2009年01月30日

救いはわが身そのもののうちからしか

『救いはわが身そのもののうちからしか
 来ぬことを心得ておけ。』
  ムスタファ・ケマール・アタテュルク

 救いを求める。それは、人の弱さのひとつと
いえるのかもしれません。
苦しいとき、辛いとき、何かにすがりたくなる
そんなことがあったりします。
しかし、救いは、結局は、自分自身でしか
もたらすことはできないのだと、この言葉は
いっています。それは、どんなに慰められても
手助けされても、自分がそれを感じ取り、
変化しなければ意味のないものになってしまうから
だともいえるでしょう。
 自分の積んだカルマは、自分でなければ解消できない
それは、宇宙の定めともいえるべきことであったり
するわけです。他人のカルマを解消してあげることなど
普通の人には出来ないことであるということも
あったりしますが、
 何事も、人生を歩むにあたって、
困難、苦難、哀しみ、不幸と感じるようなことが
身に降りかかったとき、結局、最後は、
自分自身で、何とかするしかないということです。
むやみに助けや救いを求めるのでなく、
自分でまずはやってみることが、
大切なのかもしれません。
もちろん、支援や助けがあるなら、感謝して
受け取れば良いでしょう。そして、その援助に
感謝を忘れずに、頑張っていくことが、
よい方向にものごとを向かわせることに
なっていくのだとおもいます。
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2009年01月29日

世間の目に不実に映るほうが、

『世間の目に不実に映るほうが、
 自分自身に対して不実になるより、
 百万倍もいい。』
  マハトマ・ガンジー

 何を基準にして生きるのか
世間を基準にするのか、信念を基準にするのか
それとも神を基準とするのか、
それは、まさに、その人の人生が、どんなものに
なるのかを決める要因のひとつであるといえるでしょう。
 ガンジーといえば、無抵抗主義の実践者として
知られています。どんな仕打ちを受けても
武力は用いない。その意志は、まさに世間の目からは
どうしてという疑問も出てくるものであったと
いえるでしょう。しかし、それは自分自身の信念に
誠実な行動であったわけです。
 世間の目、どうしても気になってしまいます。
上司の目、親戚の目、両親の目、兄弟の目、
友人の目、恋人の目、妻の目、子どもの目、
いろんな目を気にして、自分自身に対して
不実になってしまっていることがありませんか。
そんな状態よりも、誰になんといわれようが、
自分自身に誠実に行動する方が、
百万倍も素晴らしいということです。
もちろん、自分自身にしっかりとした価値観があり
死生観があり、理念と信念があるということが
大前提にはなります。
 インドは、神と自分という関係を大切にする
文化のある国でもあったりします。
神を基準にしたとき、他の人の目など何の意味も
なかったりするわけです。
人との約束や、人との関係などは、
神との約束や、神との関係に比べたら
ゴミのようなものだというわけです。
そうなると、この世でいう道徳とか常識とかも
意味はなくなってきます。
グルと呼ばれる人たちの生活が、一般の人からみると
何でそんな生活をおくっているのか理解できないと
思われることが多いのは、自分自身に不実でないから
であるともいえるでしょう。
 この世をうまく生きていくために必要なことが
倫理であったり、道徳であったりします。
西洋であれば、キリスト教の教えであり、
中東であれば、イスラム教の教えであり、
東洋であれば、儒教や道教の教えであるわけです。
もちろん、神との関係のみを中心した教えもあります。
ヒンズー教や仏教は、そちらの面が強いかもしれません。
というのも、個人の修行という面が強いものであるからです。
物質世界、精神世界、神世界、どの世界を中心において
生きるのかで、人としての生き方も変わってくると
いえるでしょう。
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2009年01月28日

意識が生活を決定するのではなく、生活が意識を決定する。

『意識が生活を決定するのではなく、生活が意識を決定する。』
  カール・マルクス

 恩讐の人マルクスらしい言葉です。
生活とは、衣食住であり、環境であり、行動でしょうか
物質的なことであるといえるでしょう。
唯物主義としては、意識や心よりも、物が優先する
全てを決定すると考えるのは当然のことだと
いえるでしょう。
確かに、人は物質に影響されます。
環境にも、生活にも影響されるものです。
そして、それは意識にも影響するということでしょう。
行動が人を変えるのは確かです。
物質が人を変えるのも確かです。
しかし、人が他の生物と違うのは、
環境や物質に影響されずに意識を変えること
意識を決定することが出来るところに
あるといえるでしょう。
行動、物、金、生活、環境で
変わるのは簡単なことなのかもしれません。
しかし、そんなことなくても、
心のもちよう、意識のもちようで
人は変わることができるのです。
生活が意識を決定するのは確かでしょう
しかし、意識が生活を変えることも出来るのが
人の可能性であり、人の素敵なところであると
いえるでしょう。
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2009年01月27日

先を急ぐな、人生に無駄な時はない。

『先を急ぐな、人生に無駄な時はない。
 満つれば、欠ける。それが、宇宙のリズム。』
   加藤諦三

 人生を生きる。
それは、まさに宇宙のリズムにのって歩んでいると
いうことでもあるわけです。
アストロノジー、占星術、バイオリズム、サイグラム、
人の人生を占う手法のベースは、すべて宇宙のリズムです。
人という存在が、宇宙のなかの一部であり、
そのリズムに同期しているということでしょう。
人生の大きな流れ、好不調の波は、
まさに生まれたときの宇宙の波に乗っているのだと
いえるでしょう。
だからこそ、統計的に最大公約数を集めてみると
似たような人生の波をみることができるのだとも
いえるでしょう。
 調子の良いときもあれば、悪いときもある
それが人生ということです。
また、すべてのことが人生の糧であり
経験であるということで、無駄な時などは
何もなく、無駄と感じる時間にも
実は意味があったりするものだということです。
だからこそ、人生を歩むにあたって
焦ることなど何もないのだといえるのでしょう。
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2009年01月26日

幸福になるには、理想と現実の関係を知らねばならない。

『幸福になるには、理想と現実の関係を知らねばならない。』
   武者小路実篤

 幸福とは何か、
この問いの解答は、おそらく人それぞれに
異なるものであるように感じます。
どんなことに幸福を感じるのか、
どんなときに幸福を感じるのか、
それが、人によって違うのは、
まさに、人によって、描く理想が違うこと
人によって、現実の状況が異なること
そこにあるといえるのかもしれません。
理想も現実も、人によって異なる以上は、
理想と現実の関係も、人によって異なるという
ことになるでしょう。
その関係を知ることで、理想に向かって
何が必要なのかが見えてくることになります。
それが、幸福になるために必要なことでも
あるといえるでしょう。
理想にも、いろいろあります。
夢といえるようなものであったり、
希望といえるようなものであったり、
願望といえるようなものであったり、
どんな目的で描くものかで、
理想も違ってくるでしょう。
そして、現実との差もまた違ってくると
いうことになるでしょう。
 幸せをどう感じるのか、
幸せの青い鳥のように、実は幸せなのに
それを感じていない、みえていないだけという
こともあったりします。
現実だけでなく、理想も、みえていない
そんなこともあるというのが人であったり
するようです。
現実を見据えることは、幸せを知るために
必要なことなのだといえるのでしょう。
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2009年01月25日

くだらないかどうかはひとがきめることじゃないよ

『くだらないかどうかはひとがきめることじゃないよ
 どんな夢でも一生懸命追いかけることが大事なんじゃん』
   アミュレットスペード・日奈森あむ
 〜 しゅごキャラ!!どきっ UFO少女あらわる より〜

 夢、誰もが夢を抱いて生きている
それとも、夢を抱きたいと願っている
でも、現実や現状の重石から、夢に対して
否定的なことを言う人がいる。
自分の認識や経験といった小さな視野で
判断して、くだらないとか、無理だとか、
意味があるのかとか、決めつけてしまう。
それは、本当にそうかどうかではなく、
その人にとっての世間の中でどうなのかという
ことでしかないのに、宇宙のすべてのように
言ってしまっていたりする。
そんなことを誰から言われても、
そんなのは、単にその人の世界のなかの話しでしかなく
もっと大きな世界では、夢は無限の可能性や
広がりを許容するものであるということ。
だから、自分の夢を信じて、自分の心を信じて
一生懸命に追いかければいいということです。
他人の批判は、助言とおもうか、嫉妬されてると
思えばよく、それに無関係に、自分の夢を求めて
いけばよいということです。
夢は、自分のものであって、他人のものではないのですから。
もちろん、夢に共感してくれる人や
協力してくれる人がいたら、感謝の気持ちをもって
素直に支援を受ければよいといえるでしょう。
 どんな夢であっても、その人にとっては
大切なものだということを
理解して応援してあげることが出来る
そんな心をもっていたいものだと思います。
否定したり非難するのは簡単です、
自分の夢ではないのですから。
自分の夢に自信をもって、一生懸命に追いかける
そして、自分の夢と同じく他人の夢も大切に
Yes、andで、応援していくことが、
大事なのだといえるでしょう。
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2009年01月24日

賢明な人は出来る限り最善を尽くし

『賢明な人は出来る限り最善を尽くし
 落ち着いた気持ちで結果を受け入れる。』
   W・A・ピーターソン

 最善を尽くすことが重要であり、
結果を気にして落ち着くことないようでは
だめであり、目標や目的に向かって、
とにかく、やれることは全てやりつくすこと
そこに注力していくことが大切ということ。
そうしていたなら、結果がどうなろうとも
受け入れることができるものだということ。
人生を歩むことは、何を求めることなのか
それは、人それぞれに異なるでしょう
しかし、後悔することのないように
生きたいのであれば、結果に関係なく
常に最善を尽くしていくことが
もっとも重要になってくるということ
であるのでしょう。
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2009年01月23日

八大人覚

『八大人覚』
  正法眼蔵 高祖 道元禅師

少欲(あまり高い目標を追い求めすぎると、破滅する。)
知足(欲をいい張ったらキリがない。限度を知る。)
楽寂静(のどかで美しい景色眺めると、心が澄む。)
勤精進(やりたいことを一つにしぼり、無駄を省く。)
不忘念(心が修まっていれば、人目は気にならない。)
修禅定(うまく事が運ばなかったら、一歩退いて見る。)
修智恵(前向きの話を聞いていれば、混乱しない。)
不戯論(無益な口論ほど、社会を乱すものはない。)

禅 ZEN
http://www.zen.sh/

黙照禅、看話禅、只管打坐、公案、・・・
禅にもいろいろあるけれど、
起源は同じ、お釈迦様の修行の姿からきているわけで、
そのもとは、ヨガといってもよいかもしれません。

梵語「ゼンナ」に、当て字したのが、禅の起源ですが、
禅そのものは手法であって、宗教に関係ないものの
その始まりは、宗教と無関係ではありません。
私の家の菩提寺が、曹洞宗ということもあり、
禅には、普通に興味があります。
インドで生まれた教えが伝わり
中国の禅宗 五家七宗五家へと繋がり、その先に
日本の禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)が
あったりするわけですが、
インドから中国を経て、日本に伝来するなかで、
お釈迦様の教えも、いろんな変遷をしてきたとも
いえるでしょう。
もともとは、それぞれ個人の心の成長、魂の成長を
求めるものであったわけで、その為に必要なことが
教えとして残されてきて、
その中のひとつが、禅であるということですね。

さて、家庭用ゲーム機のWiiFitに、
座禅というメニューがあるそうです。
さすが、京都の任天堂さんでしょうか。

曹洞禅ネット
http://www.sotozen-net.or.jp/
臨済禅・黄檗禅公式ネット
http://www.rinnou.net/cont_02/
日本ベジタリアン協会
http://www.jpvs.org/
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2009年01月22日

ありとあらゆる城壁のうち、もっとも恐ろしいものは、

『ありとあらゆる城壁のうち、もっとも恐ろしいものは、
 人間の脳髄の中にあるそれだ。
 この城壁は、古いというとりえしかない
 悪しき伝統の排除を妨害すると同時に、
 新しい思考の侵入を、
 それが新しいというただそれだけの理由で、
 阻止するからである。』
    ネール

 頭が固いという言葉があります。
その意味を表す言葉といえるかもしれません。
自分の考えがすべてであり、それが正しいと
信じ込むことで、他の考えを排除してしまう。
そんな恐ろしい城壁が、人のあたまのなかには
あったりするということです。
その城壁を崩してしまえるか否かで、
まさに、チェンジできるか否かが
決まるといえるのかもしれません。
 本当の真理であれば、他の意見や考えを
受け入れても変わることなどないでしょう。
真理ではないからこそ、他の考えの進入を恐れ
それを排除しようとするのではないでしょうか。
どんな人の意見にも耳を傾けることができる
そんな考えをもつことが、
大切であるようにおもいます。
 ちょっと聞きかじって、その人の意見を
聴く価値はないと判断してしまう人がいます。
それは、自らの変化のチャンスを放棄しているのかも
しれません。
まさに、頭のなかの城壁が、行動を阻害している
といえるのではないでしょうか。
 皆さんの頭のなかに城壁はありませんか?
もし、あるのに気がついたら、
それを破壊してみることが大切なのかもしれません。
気がつかないことは、哀しいことですが
それも、仕方のないことなのだともいえるでしょう。
 受け入れることが出来るのは、
受け入れる準備が出来ている人だけだとも
言われますから。
posted by 清水の伏竜. at 20:43| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

歴史をこれほど暴力的なものにしてきたのは、

『歴史をこれほど暴力的なものにしてきたのは、
 ものの考え方のあいだの争いではなく、
 ものの考え方に対する信仰、
 すなわち主義のあいだの争いである。』
  ニーチェ

 パレスチナ問題、オバマ大統領の就任にあたり
一応の停戦となったものの、世界の各地で
同様な争いが、まだいくつも起こっています。
日本人の知らない争いがあり、そこでは、
子どもたちの命が奪われ、血が流されているのです。
多くの争いは、ものの考え方ではなく
主義の違いによるものと、この言葉はいっている。
主義とは、政治の在り方であったり、
宗教のあり方であったり、するのかもしれない。
ただ、それもみな、何かを所有するための
争いでしかないように思われる。
しかも、独占したいという過分な欲望からか
奪われたくないという恐怖からか
そんなことが根本にあってのことのようにも
感じられる。
 共存共栄という視点、譲り合い助け合いという心が
そこには、生まれてこないのだろう。
主義の多様性を認められるような社会が
必要であるといえるのかもしれない。
 いろんな価値観、死生観を許容し、
互いに尊敬し、尊重しあうことのできる関係を
社会のなかにつくっていくことが
これから世界にとって重要なことであると
いえるのかもしれない。
奪い合うのではなく、与え合うことのできる社会が
築ける人々が、本当の平和を得ることが
出来るのだということなのでしょう。
それは、多くの宗教の本質であったりするのに
なぜか、それが重要視されることがなく
争いに歯止めがかからないのは、
人の愚かさを示すものだともいえるのでしょう。
真理をみる眼は、曇りやすいのかもしれません。
その曇りは、欲望や恐怖や無知というもので
出来ているのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 04:16| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月20日

ありがトン

『ありがトン』
  澤登和夫

 “さわとん”の愛称で、親しまれている
うつ病専門カウンセラーの澤登和夫氏が、
自分の体験から、生涯の目標として掲げたものが

 うつ病蔓延社会から
    うつ病円満社会へ

 笑顔を忘れた人、ちょっとうつ気味な人、
そんな人に、元気を取り戻してほしい、
そんな願いをこめて、
贈る言葉が、

  “ありがトン”

 魔法の言葉「ありがトン」を使って、
当たり前のことに「ありがとう」が言える社会を!!!
そんな願いを込めた絵本が出来ました。

 「ありがトン」の絵本

 もし、誰かが、元気がなかったら、
この絵本を、読んでみてください。
きっと、元気になるきっかけを得られることでしょう。

 ほんのちょっとでも、こころが和らぐことから
変化ははじまっていくのです。

 「ありがトン」の絵本
http://arigaton.com
posted by 清水の伏竜. at 01:42| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

人種は、生のプリズムに現われる色彩です。

『人種は、生のプリズムに現われる色彩です。
 それらの色彩がともに輝き合うことによって、
 はじめて生が生まれるのです。』
   ロマン・ロラン

 太陽の光をプリズムに通すと、7色にわかれます。
人種をこれにたとえた言葉には、
なかなか素敵な想いがあるように感じます。
人はもともと一つであって、
生というプリズムを通過したとき
人種という色をもって現れる
そては、その色が交わり輝きあうことで
もっと強い光となって世を照らすことができる
そんな関係にあるということだとおもいます。
差別がいかに愚かなことなのかを
示しているともいえるでしょう。
 それぞれが輝き、素敵に交流しあって
助け合い、ひとつになっていくことで
もっと素晴らしいことが生まれてくるのだと
いえるのではないでしょうか。
 アメリカの次期大統領の政権には、
まさに、色彩の輝き合う素晴らしい光を
生みだして、世界を照らして欲しいと
願いたいなとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 02:48| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月18日

若い男というものはほとんどだれでも

『若い男というものはほとんどだれでも、
 コンパスを自分の未来にあてるのが好きなものだ。
 彼らが開くコンパスの角度の大きさに、
 彼らの意志の力が相応すれば、世界は彼らのものだ。』
   バルザック

 未来指向で生きていくこと、
それは、夢をもって、夢の実現に向けて
進んでいくことだといえるでしょう。
若者が、そんな未来に向けて、歩み出すのは
当たり前のことだということです。
そして、自分の未来に向けて、
強い意志をもって、歩みだしたとき
夢は、現実に向けて動き出すということでしょう。
 そのときに、夢を実現させるために
必要なことは何かなのか、
そんなことを学ぶことのできる場所は
いろいろあります。
もし、自分でそれが出来ないなら、
そんな学びの場所にいって、学ぶことも
良いと思います。
 若者だけでなく、大人がだれでも
自らの夢を語り、夢の実現に向けて歩む社会を
目指したイベントもあったりします。
そこで、夢を語る人に出会うと、
自分の中の夢を見出したくなったり
いっしょに夢を実現したくなったり
してきます。
共感、共同の素晴らしさもまた
人を成長させてくれるものだと
いえるでしょう。

夢〜ドリームプレゼン
http://www.entre.co.jp/dreamplan/index.html
http://blog.goo.ne.jp/mentor1100/e/5ceaad6d7a282a0e5add104f11709dea
http://jp.eastday.com/node2/node3/node17/userobject1ai38745.html

http://www.isshinjuku.com/
posted by 清水の伏竜. at 14:38| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月17日

良いことばは、自分がそうありたいと

『良いことばは、自分がそうありたいと
 思っているとおりになろうと努める力を、
 人間に与えるものです。』
   アウグスト・ストリンドベリ

 言葉のもっている力があります。
ペンは剣よりも強しといわれるように
言葉があたえる人への影響力は大きなもので
あったりします。
だからこそ、言葉を大切にしていきたいし
まず、自国の言葉、自分の生まれ育った文化や
社会をつくってきた言葉をしっかりと学び
理解することが、国際人としても
社会人としても、大切なことでことであると
いえるのでしょう。
大切であるからこそ、教育の場においても
言葉をしっかりと学ぶことが重要であり
自国以外の言葉を学ぶ前に、
自国の言葉を大切に学ぶことに
力を注ぐことが重要のように感じます。
国語、古文、漢文、書道といった科目を
小中学校でしっかりと教えることが
日本の義務教育の使命のひとつだと
いえるような気がします。
英語などは、その後で学べば充分でしょう。
文化をつくり歴史を残してきたのは
すべて言葉があったからこそだといえるでしょう。
それ故に、言葉、自国語、郷里の言葉、方言は
大切な文化であり基礎教養であるといえます。
そして、相手を思いやり大切にし
尊敬できるような言葉使いを心がけることで
人間関係を円満にしていくことが
良い社会をつくっていくにあたり
必要なことであるといえるのでしょう。

夢や希望を語る
自分が出来ると想うこと
言葉でそれを表現して、皆に伝え
それを自分自身の力としていくことで
前進していける
そんな言葉をもっていきたいものですね。
posted by 清水の伏竜. at 10:27| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月16日

物事はすべて、不可能と証明されるまでは

『物事はすべて、不可能と証明されるまでは
 可能である。また、不可能なことであっても、
 現在のところそうであるだけなのかもしれない。』
   パール・バック

 そんなこと不可能だ。そう言ってあきらめてしまう
そんなことは、日常のなかで意外と多いのかもしれません。
そして、その不可能という断定は、その人の経験や知識から
下されたものであるわけです。
つまり、本当に不可能かどうかではなく
その人の個人的認識として、不可能かどうかで
決めているに過ぎないということです。
 本当に不可能だと言い切れることは、
実際には、何もないといえるでしょう。
不可能だというとき、そこには必ず前提条件が存在します。
ある条件の下では不可能だということしか
いえないのが、現実であり、
すべての不可能だと言われていることが
それに当てはまるでしょう。
前提条件なしで不可能なものなどあり得ないと
いった方がよいかもしれません。
そして、不可能だと決めている前提条件は
いつ覆るかもしれないものであったりするのです。
つまり、物事は、前提条件を変えれば、
すべて可能だということがいえるでしょう。
 可能か不可能か、それは結局は、どんな条件の下でなのかに
左右されてしまうような、曖昧なものであると
いってもよいでしょう。
 だから、すべての夢は実現可能であると
言い切ることは正しいといえます。
実現できない夢は無いということです。
実現できないのは、それを実現しようとしないから
ただそれだけのことであるということになります。
 物事に行き詰まったとき、
ゼロベースで考えてみるのが良いというのは
現状の前提や条件を、すべて無視してみるという
ことでもあったりするわけです。
チェンジや発見には、そんな物事にとらわれない
発想が必要になってくるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 12:52| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月15日

あなたが他人に対して尊敬と思いやり、

『あなたが他人に対して尊敬と思いやり、
 そして暖かい心を抱いていれば、
 それは気温や空気の香りのように
 まざまざと相手に伝わります。
 そしてあなたの人間関係は肯定的なものとなります。』
    ロバート・コンクリン

 人間関係を円満にしていくために
どんなことが必要なのか、
いろんなところで語られていたり、
さまざまなセミナーなどが開催されていたり
書籍が出版されていたりします。
人は、社会的な生き物です。
誰かと関わり合いになるのはあたりまえだと
いってよいでしょう。
関わりあった人との間を良い関係にしていきたい
そう思うのも自然のことではないでしょうか
そして、良い関係を築いていくために
何をすればよいのかといえば、
他人に対して、尊敬と思いやりをもって
接することと、暖かい心を抱いておくことだと
いっています。
冷たい心は、相手を遠ざけますし、
相手の居心地を悪くするものです。
見下したり、軽蔑すれば、それは、自分に
はねかえってきます。
人と人との絆を、大切にしていくために
謙譲と謙虚といった気持ちは
大切なことであるといえるでしょう。
また、否定したりしないことも重要だと
いえるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 13:03| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月14日

人の諸々の愚の第一は、

『人の諸々の愚の第一は、
 他人に完全を求めるということだ。』
  司馬遼太郎

 他人に完全をもとめる。
これは、いろんなところで見かけることです。
企業においては、部下や上司に対して
完全を求め、相手を責めるのはあたまえに
なっているといえるでしょう。
また、子どもにも完全をもとめていたりします。
夫や妻にも完全をもとめていたりします。
そのために、軋轢が生まれ、恨みが生じて
亀裂となり、決別へと流れていってしまいます。
自分に求められないものを、
他人に求めてしまっていることに
何故か気が付かないことが多いのです。
企業のなかでは、パワハラのなかに、
その原因が、部下へ完璧を求めるということが
あるといえるでしょう。
1回指示したら全て理解すべきだと考え
出来ないのは部下が無能であるからだと思い
成果が出ないのも部下が実行力がないからだと
考えて、自分の責任ではないと評価をつける。
そんな管理職が多いために、心の病になる社員が
増加して、生産性もあがらず、モラルも低下していると
いえるでしょう。しかも、その事に自覚のない管理職が
殆ど大半であったりします。
なぜ、他人に完全を求めるのか、
やはり、自分にとって楽だからなのでしょう。
やはり、他人には、完全をもとめることなく
まず自分自身のことを省みて、他人のことを
考えることが、無意識に出来るようになることが
大切なことなのだといえるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 07:30| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月13日

ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットで、

『ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットで、
 その問題を解決することはできない。』
    アインシュタイン

 商売、ビジネスにおいても、
マインドセットは重要であるといわれます。
しかし、マインドセットにしがみついていては
問題がおきたとき、解決をすることが
難しいということを、20世紀の天才は
語っているのです。
 今、社会や世界で、問題になっている
さまざまなことを、解決するためには
問題を発生させたときのマインドセットの
ままでは、解決などしないということです。
マインドセットを変換することが
必要とされているわけです。
それが、出来ないようであれば、
問題は解決することなく悪化していく
だけでしょう。
 経済の問題であれば、金融不況を起こした
ときのマインドセットを転換しなければダメだと
いうことですし、企業も、バブルから今に至るまでの
期間のマインドセットを捨てることから
はじめないとダメだということでしょう。
それは、グローバリズムであり、新自由主義であり
成果主義であり、株主優先主義であるのだと
いえるでしょう。
環境問題も、食料問題も、
新しい基軸をもって、
マインドセットを変えていかなければ、
今の問題は解決には至らないということなのだと
いえるのではないでしょうか。
新しいマインドセットは、
やはり、お金中心でなく、スローライフ、
省エネ、地産地消、地域コミュニティ共働といった
キーワードがベースになったもので
あるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 02:44| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月12日

非電化

『非電化』

 藤村靖之氏の生み出す発明のコンセプトを
表した言葉が、非電化です。
電化された世界に住むようになって
エネルギー問題が大きなインパクトを
もつようになりました。
しかし、電化に頼らなくても生活を便利に
過ごせるものを、科学は提供できるように
なっていることに、もっと注目していくことが
必要なのかもしれません。
災害などで、電気がなくなったとき
どうするのか、そんな視点からも注目なのが
非電化の製品といえるでしょう。
幸せな生活とは、何なのか。
豊かな生活とは、何なのか。
もう一度、じっくりと考え直すことが
必要な時代にきているといえるのでは
ないでしょうか。

posted by 清水の伏竜. at 04:17| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする