2008年12月31日

成功の秘訣を問うな。

『成功の秘訣を問うな。
 なすべきひとつひとつに全力を尽くせ。』
   ワナメーカー

 成功したい人へ、という誘い文句で
いろんな教材が販売されています。
広告メールでも、お金儲けのノウハウの販売ものが
沢山でまわっています。
○○な人でも必ず△△できる。
といったパターンで、販売されているノウハウは
まず全て実際には、特定の条件下で、
あることの出来る人でなければ使えないものしか
ありません。実際に誰でも条件なしに出来るような
ノウハウなのは存在していないというのが
現実であったりするものです。
コピーは人の心を誘導して、その気にさせて
目的のものを購入してもらう為にあるものが
殆どです。実際に、その人にとって必要であるか
といったことには無関係の世界です。
もちろん売る側は、自分のためとは言いませんし
そう思ってもいないように自己暗示をかけてます。
思いこみこそが、必要なノウハウであると
言ってしまえるのかもしれません。
ともかくも、成功に秘訣はないということでしょう。
成すべきことを少しでもいいから
着実におこなっていく
その積み重ねの先に成功があると
いうことでしょう。
だからこそ、成すべきことに集中して
いくことが大切なのだといえるでしょう。
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2008年12月30日

運命は、われわれを幸福にも不幸にもしない。

『運命は、われわれを幸福にも不幸にもしない。
 ただ、その材料をわれわれに提供するだけである。』
   モンテーニュ

 運命について、
その是非も含めて、いろんな言葉があります。
運命のために、人は幸福になるわけでも
不幸になるわけでもない。
幸福になるかもしれない材料、
不幸になるかもしれない材料、
運命の運ぶものは、ただそれだけであって
その材料から、幸福になるもの
不幸になるのも、その人の行動次第によって
変わってくるということです。
運命の最後の決定権は、誰がもっているわけでなく
自分自身が持っているということでしょう。
どんな運命を辿りたいのか、
それは、自分自身が決めているということ
しかし、そのことを認識していない人も
いるのは確かなことなのかもしれません。
運命に従うのでなく、運命を切り開く
そういった方が、あっているのが人生ということ
なのでしょう。
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2008年12月29日

ひとびとの善良な心の中には

『ひとびとの善良な心の中には
 天性の崇高な感情が秘められている。
 それは、自分だけが幸福であることを許さない。
 自分の幸福を他のひとびとの幸福の中に
 求めてやまないのである。』
   ゲーテ

 人が、素敵な存在である大きな理由のひとつが
この言葉に語られているように感じます。
自分の幸せは、他人の幸せの中にある
この想いを大切にできるのも人間なのです。
もし、より多くの人が、そう感じて、
その通りに行動したのなら、世の中から
餓死する子どもも戦争もなくなっていくでしょう。
人の悲しみは、この善良な心だけでない
罪、カルマを背負ってしまっていることに
あるといえるのかもしれません。
自分の欲望のために、他人を不幸にしても
かまわないという人も依然として存在している
ということでしょう。
善があるから悪がある、光があるから影がある
そういう人もいます。
でも、光があるあら影があるのと
善があるから悪があるのでは、その意味は
根本的に違っているといえるでしょう。
光があるから影があるのは、この2つは共存している
調和しているものであるからであって
決して対立するものではないのです。
しかし、善と悪は、共存できないものであり
対立するものであって、調和はありえません。
普通のことであった善が、悪が生まれたことで
善として語られるようになったに過ぎないと
いうことでしょう。
崇高にみえることは、実は普通の何気ないことで
あったのに、悪や罪をおかした人にとっては
崇高なものになってしまったということでしょう。
すべての人がカルマを解消するのには
長い長い永遠とも思える時間を必要とするのかも
しれません。しかし、そんな中でも、
常に善を成すことを目指していくことが
人としての成長において不可欠であるといえるでしょう。
素直な心で、他人の幸福を願い、
そのために生きることを、ひとりでも多くの人が
出来たなら、きっと社会もより豊かで幸福なものに
変化していくことでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 05:21| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月28日

生きる技術とは、ひとつの攻撃目標を選び

『生きる技術とは、ひとつの攻撃目標を選び
 そこに全力を集中することである。』
   A・モロア

 生きるということにおいて、
何が必要なのか、どんな技術がいるのか
そのひとつとして
ひとつの目標にむけて集中することを
あげているものです。
集中すること、それも一つの目標に、
そうすることが生きがいになるということ
確かに、その通りといるかもしれません。
生きる目標がなくなってしまったり
見失ってしまったりした結果が
自殺者3万人ということになっているのかも
しれません。
攻撃目標というのは過激ではありますが
何の目標もないよりも何か目標があった方が
よいことは間違いないでしょう。
もし出来るなら、夢となるべき
目標であって欲しいと思います。
posted by 清水の伏竜. at 22:05| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月27日

出来ないことは、補いあう

『出来ないことは、補いあう
 仕事とはそういうものだ。』
   芳野祐介
   〜アニメ「クラナド アフターストーリー」より

 京都アニメーションが制作している
クラナドというアニメ作品があります。
最初の物語は、高校生活のなかでの
ちょっと不思議で、センチメンタルで、
ほのぼのとしていて、切なく素敵な出来事を
描いたものでした。
その続編として、放送されているお話は
高校を卒業する彼と病気のために留年した彼女を
めぐる物語です。
そのなかで、働くことにした主人公の彼が、
その職場の先輩から言われた言葉が、
「出来ないことは、補いあう
 仕事とはそういうものだ」
でした。
この言葉は、とても大切なことなのに
多くの職場で、見失われていることのように
感じられて、少し考えさせられてしまいました。

昔の日本人の働くは、
他楽であったように思います。
しかし、近代になって欧米の真似をしてから
そうでは無くなっていってしまった気がします。
お金持ちが出来にくい税制であっても
かまわなかったのではなかったのか、
みな中流でも安定していた方がよかったのでは
ないのか、格差の生み出す不幸を認めることと
平等の生み出す大金持ちの不在と
どちらが良い社会なのか、
働き方の多様性を認めてワークシェアリングの
出来るような社会を担保するための構造が
お金持ちを生み出しづらいなら、
それでかまわないのでは、
そんな気がしてきます。
幸せの青い鳥は、身近にいたのに
気が付かなかった。
そんなものであるのだろうと
思ったりしてくるのでした。
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2008年12月26日

人は生きねばならぬ。

『人は生きねばならぬ。
 生きるためには戦わねばならぬ。』
   徳富蘆花

 人生の最低限も目標といえば、
与えられた命を大切にして生き抜くことだと
いえるでしょう。
生と瞬間から、死の扉をひらくまで
その人生を精一杯に生き抜くことが、
人に与えられた最低限の義務だともいえる
かもしれません。
 神によって与えられた霊性修行の場で
魂の成長をしていくことは、自らの魂の
望んだことでもあるのです。
カルマの解消のため、徳を積むため、
様々な試練や困難に出会うことでしょう
しかし、それを乗り越えて生きることが
神の望むことでもあるのです。
 生きるために戦う必要があるとしたら
それは何と戦うのか、
きっと、それは自分自身との戦いであるのだと
いえるでしょう。
他人や社会や世界と戦うことは、
生きるための本当の戦いではなく、
自分自身の弱さや甘さなどと向き合って
戦うことこそが必要であるといえるでしょう。
日本で増えている自殺者は、
自分との戦いを止めてしまった人であり
神を悲しませた人であり
魂は、大きなカルマを背負い、
死後に、より辛く厳しい歩みをすることに
なってしまうでしょう。
どのような状況に陥っても
生き抜くことを忘れないことが
神の喜びに繋がることを
忘れてはならないのだといえるでしょう。
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2008年12月25日

神のもとには大きなものも小さなものも

『神のもとには大きなものも小さなものも
 ありはしません。
 人生においてもまた、
 大きなものも小さなものもありはしません。
 あるものはただ、
 まっすぐなものと曲がったものだけです。』
   トルストイ

 神のもとの平等とは、とても厳しい平等です。
それは、誰に対しても平等に、神の真理の元で
与えられています。
大きいとか、小さいとか、
富や心や体や事業や人生や・・・・
さまざまなものに関して、その大きさや
この世的な価値には、まったく無関係です。
年齢も性別も人種も国籍も関係ありません。
誰もが神の子なのですから。
真っ直ぐに、神の方を向けるようなものなのか
それとも、神の意志に反するものなのか、
方向性の違いにより、得られるものは
変わっていきます。
 お釈迦様もイエス様も、歴史に名を残す
聖者と呼ばれる方々は、神に向かって
真っ直ぐに、生きていたということです。
だからこそ神に愛されたということなのです。
 お釈迦様もイエス様も、
ときには、非常に厳しい言葉を語ります。
なぜ、厳しいと感じるのか、
それは、その言葉をおくられた人の行為や
考えや状況が、神の視点において、
間違った方向にむいていたり、まがっていたり
するからです。
真っ直ぐに向いていたなら、何も厳しいと
感じることはないでしょう。
人は、命をもって、この世に生まれると
この世の価値観に囚われてしまいがちです。
そのために、まっすぐに歩むことが
非常に難しくなってしまいます。
真っ直ぐに歩むことの方が、
魂の歩み、今だけでなく来世に向かっての
歩みのなかでは、非常に多くのものを
得ることが出来るのですが、
実際には、真っ直ぐ歩めないために
遠回りをしてしまうことの方が多いでしょう。
神に近い人ほど、この世の富やしがらみとは
無縁になっていることは、
過去の聖者をみれば明らかなのですが
それを見習うことは、非常に難しいことで
あったりするのです。
知ることと、出来ることが、
違っていることが、この点でも明らかであると
いえるでしょう。
しかし、まずは知らなければ、出来ることも
出来ないということは間違いないことです。
神について、興味をもつことから、
魂の成長のステップをあげていくことが
はじまるといえるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 05:26| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月24日

自ら労して自ら食うは人生独立の本願なり。

『自ら労して自ら食うは人生独立の本願なり。』
   福沢諭吉

 人生を一人で生きていくということは、
自分で働き、自分で食べていくということ。
親元で、親の脛をかじって、食べさせてもらっている
そんな大人になりきれない成人が
最近は増えてきているともいわれています。
別に、自分のやりたくないことをする必要もないし
いやいや仕事をして、仕事のために生活する必要もない
それは、確かに間違っていないでしょう。
しかし、自立することが出来ない理由に
仕事がつまらないから、嫌だからというのは使えません。
自分の好きな仕事を見つけるために動いているのか
そして、楽しく仕事をする工夫をしているのか
そういったことなく、何となくというのは
問題であるといえるでしょう。
不景気の世で、好きな仕事が選べないということは
確かにあるのかもしれません。
不景気であることが、悪いのかといえば
別に悪くないのかもしれません。
しかし、人生において、衣食住を確保するのは
自分自身で行うべきことであり、
他人に依存すべきことではないというのが
独立した個人としての尊厳をもった状態か否かに
関わるということはいえるのかもしれません。
 親は、いつか逝ってしまいます。
その後は、結局は、ひとりで生きていくことになるわけです。
やはり、一人前になったと言われるような
大人であることは、人生を生きている上で
当たり前のことではないかといえるでしょう。
親も、子離れして、一人前として扱って、
援助などは、ぎりぎりまで行わないということが
必要なのかもしれません。
オレオレ詐欺は、親の過保護につけ込んだ犯罪と
いえるかもしれないのです。
親が、過保護にせず、自分のまいた種は自分で刈り取らせる
という姿勢を貫けば、お金をほいほいと振り込むなんて
ことはあり得ないでしょう。
もっと、子供を信じてあげてほしい気がします。
オレオレ詐欺にかかる親は、子供を信じていないのかも
しれないと感じることもあったりします。
 自分の気持ちを抑えて、我慢して働くということは
時には必要かもしれませんが、
本来のあるべき姿ではないことも確かです。
自らの人生をかけることのできる夢を
明確なビジョンに展開し、そこに向かって歩むことで
楽しみながら仕事をする。
それこそが、人生のあるべき姿なのだといえるでしょう。
なかなか、あるべき姿に近づけないのが
今の社会の問題の発生要因になっているのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 21:52| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月23日

夢を思い続けることが、

『夢を思い続けることが、夢を実現するための第一歩』
『誰かのための嘘は、嘘ではないんですから』
     ミズキ 〜アニメ ef2 「forever」より〜

 師走になり、昔とは異なり、
最終回を迎えるアニメ作品も多かったりしています。
そんな作品のひとつ、efのセカンドシーズンの
お話「forever」では、夢や、希望、
生きていくことにおける大切なこと
大切なものについて、数多くの言葉が
語られていく作品になっています。
そんな言葉のなかの一部が、
ヒロインのひとり、ミズキの語った言葉です。
 多次元、過去と未来、時空を越え展開する
人と人との関わり、絆、そんなことが物語に
されている作品ともいえるかもしれませんが、
夢を、実現させるために、
夢を、おもいつづけることが
大切であるのは、間違いのないことだと
いえるでしょう。
思い続けられないものは、決して実現できないと
言うことだともいえるでしょう。
また、嘘についても、自分の為の嘘は、
許されることなどないけれども、
他人の為に真実を隠すことが必要なときに
つく嘘は、許されることはあるといえます。
嘘も方便とは、自分のための嘘のことを
言っているのではないということですね。
 アニメの中の言葉にも
素敵な言葉が沢山あります。
実際の社会や人生へのメッセージのような
ものを、ヒロインや主人公たちが
作品を通して語りかけていたりします。
アニメは日本の文化として、
継承されていって欲しいものであると
思っています。
posted by 清水の伏竜. at 11:55| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

夢の十カ条

『夢の十カ条』
  福島正伸

第一条
 夢は、自分がどのような状況にあっても
 自由に描くことができる

第二条
 すごいことだけが夢ではない。
 身近な些細なことでも
 すばらしい夢がたくさんある

第三条
 夢を描く時は、できるのかできないかを
 考えないこと

第四条
 夢は、雰囲気を感じるほどまで、
 明確にすること

第五条
 まわりの人や社会に役立つ夢を持つ

第六条
 夢は、同時にいくつも持つことができる

第七条
 常に、今目指している夢を
 一つ以上は持っていること

第八条
 その夢を考えるとワクワクすること

第九条
 夢とは、どんな困難を乗り越えても
 達成したいものであること

第十条
 行動してこそ夢、
 行動の伴わないものは、幻である


 夢とは何か、どんなものであるべきなのか、
そんなことを、定義してくれたものが、
この十カ条です。
夢って、やはり人生における生きがいのようなもので
あるべきでしょうし、
また自分だけでなく、まわりの人も、明るく楽しく
いきいきと出来るようなものであって欲しいと感じます。
そんな意味でも、この十カ条に照らし合わせて
自分の夢って、どんなだろうかと
考えてみると良いのではないでしょうか。
とくに、真剣に本当に実現したい夢であるなら
この十カ条を満足していた方が、
可能性は大きくなっていくといえるでしょう。

 あなたの夢は何ですか?
 あなたの夢は、どんなふうに実現できるでしょうか?
posted by 清水の伏竜. at 04:20| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

夢しか実現しない

『夢しか実現しない』
  福島正伸

夢を抱くことの
素晴らしさ、素敵さ、大切さ
それを感じ取ることが
人生にとって、とても大きな
意味を持っていると
そして、
何かを成し遂げたい、
そう想うなら、それが自分にとっての
夢であることが、実現するために
とても大切なことであると
なぜなら、
人生をかけて成し遂げたいと想うことは
自分自身にとっての夢
すなわち、希望であり、ゴールである
そんなことであるはずで
そうでなければ、意欲もやる気も
出ないし続かないだろうから
何かを実現したいのなら
それを夢に描くことができて
いつも、いつでも
想い描くことが出来ることが
必要だということ
なのだといえるでしょう

成し遂げたいこと
やり遂げたいこと
人生の目標、
未来への希望、
それは、
自分自身の夢、
みんなで共有できる夢、
夢を描き、語り、それに向かって歩む
そこに生きることの価値と意味とを
感じ取ることができるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 12:47| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月20日

果ての二十日

「果ての二十日」
 12月の20日は、こう呼ばれているそうです。
 日本では、外出を控え、仕事も休み、
 山などに入ることもせずに、静かに過ごす日と
 されていたようです。
 「忌み日」ということですね。
 日本の暦のなかにある、慣習や慣例、風習などは、
 自然と共生して、生きていた日本人の
 知恵の結晶でもあるように思います。
 それを、大切にすることは、
 この日本という国に住むものにとっては、
 必要なことではないのでしょうか。
 せめて、気にかけるくらいのことは
 あってもよいのかなと感じます。
 自分のことを愛せない人が他人を愛せるはずもない
 というように、母国を愛せない人が、
 他国を、世界を、愛せるはずもないでしょう。
 母国を愛するとは、その文化を知ることから
 はじまるような気がします。
 文化は、歴史や言葉を学ぶことから
 知っていけるものだともいえるのではないでしょうか
 幼い頃に聞く昔話や童謡、地域の伝承など
 大切にしていくべきものであるように感じます。
 なぜ、国語や古文、漢文を、学校で学ぶのか、
 それは、日本の文化を学ぶためであり、
 日本人としての基本となる知恵と知識を得るためで
 あるように思います。
 読み書きそろばんを基本とし、
 日本史と古典を学ぶ時間を、もっと多くすることが
 義務教育では必要であり、大切なのではないでしょうか。
 英語なんて義務教育で学ぶ必要などないでしょう。
 それよりももっと大切な学びがあるはずです。
 もっと、日本のことを知る教育を
 義務教育では行って欲しいと強く感じます。
 それは伝統文化や食文化、道徳や社会のありかた
 自然との関わりあいなどを含めてです。
posted by 清水の伏竜. at 04:52| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月19日

報酬以上の仕事をしない者は、

『報酬以上の仕事をしない者は、
 仕事並みの報酬しか得られない。』
  エルバート・ハバード

 卵が先か鶏が先か、
そんな言葉に近いような気がしました。

 仕事が先か、報酬が先か、
そんなふうに言っているように聞こえて
くるのです。

 仕事と報酬、その関係は
どんなものなのか、報酬以上の仕事を
したら、何が得られるのか
仕事なみの報酬とは、どんな報酬なのか
報酬がお金だとしたら、まさに成果主義の
ことを語っているのかもしれません。
でも、報酬は仕事だとしたなら、
それは、今の世の成果主義とは異なり
他楽の生活であるといえるのかも
しれません。
 仕事と報酬について考えてみる
仕事とは何なのか、
人生において、どんな意味をもつのか
若い時代に、しっかりとみつめて
考えることが大切なように感じます。
posted by 清水の伏竜. at 02:58| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月18日

人間に欠点はつきものである。

『人間に欠点はつきものである。
 完全無欠の友人を探しても、
 理想通りにはいかない。
 われわれは自分の欠点を棚にあげて
 自分を愛しているのだから、
 友人も自分同様に愛するべきである。』
   キュロス大王

 人との繋がり、
友や恋人に、欠点をみるのではなく
長所と利点に注目していくことが
とても大切であるということなのかも
しれません。
自分の欠点も含めて自分であるように
友人も恋人も欠点も含めて
友人であり、恋人であるということ
それを忘れずに、愛していくことが
真の友愛であり恋愛であると
いえるのでしょう。
 もちろん、改善できる欠点を
気付かせてあげることも大切だと
いえるかもしれませんが、
それは嫌みになったり、
相手を傷つけたりしないように
注意や配慮が必要でしょう。
お付き合いも、育成も、
似たようなところがあるのかも
しれません。
自分を愛するように
友を愛することが、
親友ということなのだと
いえるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 03:10| 静岡 ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月17日

青春とは、いかにおのれが無能で、

『青春とは、いかにおのれが無能で、
 バカで、ケチで、好色かを
 認識する時代である、
 とオレは確信している。』
    青島幸男

 残念ながら、都庁の魔窟にのみこまれてしまった
元都知事の言葉です。
もしかしたら、都知事時代が青春であったのかも
しれません。
 人は、自分自身について、
なかなか認識できないものであったりします。
それゆえに、自分に自信を持てなかったり
することになるのでしょう。
無能であることを知れば、
能力を身につけるべく歩みだす力となり、
バカであることをしれば謙虚に学ぶ力と
なり得ます。
 ケチは、方向性を間違えなければ、
もったいない、エコ、倹約に変わりえます。
好色は、対象をひとつにしか求めずに
愛へと昇華させて欲しいものです。
 青春は、理想を信じて、
無欲で、行動することが出来る時代
そうあって欲しいと思います。
posted by 清水の伏竜. at 03:47| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月16日

自分自身を信頼すれば、

『自分自身を信頼すれば、
 他の多くの事柄に対する信頼が生まれる。』
  ラ・ロシュフコー

 自分を信じること
最近は、それが出来ない人が増えているのかも
しれません。自殺者が3万人から減らないことや
失踪者も10数万人を下らないという状況も
自分を信じられないことや、
生活水準を下げられないといった
環境変化に対応できないということなどが
要因にあるような気がします。
その根元に、自分を信じられない、
自分に価値を見いだせないといった
弱い気持ちがあるのではないでしょうか。
自分を信じるよりも、他人やお金を信じる方が
楽なのかもしれません。
信じることと、信頼されることは違います。
他人を信じても、相手が信じてくれなければ
意味はありません。お金を信じても
お金が信じ返してくれるわけでもありません。
唯一、自分だけが、信じてあげれば
信頼を産むことができる存在であるのかも
しれません。
それゆえに、まず自分自身を信じるところから
はじめなければ、信頼は生まれてこない
そういうことであるのかもしれません。
どうすれば、自分を信じられるのか、
それには、いろんな方法が言われています
その方法を売って商売している人もいます
でも、どんな方法を使っても、
自分を信じられない人はいるものです。
結局は、手段や方法で、信じられるものではなく
心のあり方、自分の人生観や価値観などから
自分を信じていくことが出来るように
なっていくような気がします。
自分自身と自分の人生をしっかりと見つめなおす
そこからが、はじまりなのかもしれません。
自分を信じられるために、
誰かに信じてもらうことも必要なときも
あるのかもしれません。
自分を知るのが難しいと感じたら
誰かと出会い、他人を知ることから
自分を知るということが必要な気がします。
出会いは、自分を変えることのできる
大きなチャンスでもあるのですから。
posted by 清水の伏竜. at 08:01| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月15日

どんなに金言名句をたくさん知っていても、

『どんなに金言名句をたくさん知っていても、
 どんなに良い気質を備えていても、
 機会がくるたびに具体的に行動に出なければ、
 人格は少しも向上しない。』
   ウィリアム・ジェームズ

 行動が、人格を形成していく
行動しないことも、行動のひとつなのかも
しれないが、そこにあるのは停滞という
ことだけなのかもしれません。
人格の向上に行動が必要なのは
確かなのかもしれませんが、
それだけでは、充分ではないと
いえるでしょう。
行動する内容、その目的が、
向上の質を決めていくのだろうと
思われます。
だから、行動することは大切ですが
行動する目的、ビジョンが明確に
なっていることは、
もっと重要であるといえるのかも
しれません。
この人生において、どんなビジョンを抱き
生きていくのか、それがとても大切に
なっているということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 02:31| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月14日

でも、わたしたちは神頼みってのができないからね

『でも、わたしたちは神頼みってのができないからね』
     弁天様〜アニメ「かみちゅ」より

 中学生なのに、ある日神様になってしまった
ゆりえちゃん、神無月に、出雲に集まることになって
転校します。その転校先で、友達がつくれずに・・・
そんなとき、弁天様と話しをします。
「神様は、悩んじゃダメなんですか」
ゆりえが、弁天様にたずねると
弁天様は、答えます
「でも、わたしたちは神頼みってのができないからね。
 まあ、さいごに頼りになるのは自分とともだちだよ」

弁天様のコンサートをききながら、
ゆりえは、考えます。
そして、神様の集まりもおわって、
また、元の学校に戻ることになった日、
挨拶で、ゆにえは、学級のみんなに、
あやまります。そして、友達になりたかったと自分の
思いを伝えます。
その想いは、みんなに伝わって・・・。

 想いは、伝えることをしないと
何もはじまらない。
ほんのちょっと勇気をもって、
自ら歩み出すことで、大きな変化が生まれる
そんなことを、教えてくれる素敵なシーンです。

神様に、たよっても、
神様は、何もしてくれません。
神様は、たとえ何かしてあげたくても
してあげられないのです。
神様は、自ら行動し、神の真理に従って
その条件を満たしたものにしか、助けの手を
のばすことが出来ないのですから。
だから、神に祈るだけでは、何も変わりません。
もちろん、神に祈らなければ、神は気付いてはくれません。
その上で、神がその力をふるってくれるための
条件を満たす行動をしなければならないということです。
その行動とは、神の真理にもとづいたものであり
神との契約により定められたものであることが
求められます。

だから、神に頼るのは、難しいことです。
頼らずに、自らの力で、何かを成していくために
魂の成長の糧となるように、
努力し、考え、行動していくことが
大切なのだと言えるのでしょう。
より良き人生を生きるために、
次の人生へ向けて、より成長しておくために。




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2008年12月13日

とてもできそうもないと思える事柄でも、

『とてもできそうもないと思える事柄でも、
 思いきってぶつかることだ。
 恐怖心はあっという間に溶け去るだろう。』
    D・カーネギー

思い切ってぶつかる。
難しい、困難、大変、きつい、苦しい、
厳しい、・・・、できそうもない
そう感じるようなとき、
どうしても人は、一歩引いてしまうのでは
ないでしょうか。
そして、すくんでしまって、
前進できなくなってしまう。
そんな感じがあるような気がします。
そして、それは無理もないことなのかもしれません。
でも、そこで勇気を出して
おもいきって、ぶつかってみる
一歩前に進んでみる
すると、なんだか、出来そうな気がして
存在していた恐怖心が、なくなっていたりする
そんな体験を出来るかもしれません。
変化をするためには、
行動するしかない
だから、チャレンジしてみることが
大切ということなのだとおもいます。
posted by 清水の伏竜. at 10:01| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

2008年「今年の漢字」は、「変」

12月12日を、いい字いち字の語呂合わせで
漢字の日に制定されてから、
京の都の清水寺の奥の院の舞台で、
貫首によって、今年の漢字が、描かれて
発表されていますが、
2008年は、

『変』

が、一番に選ばれたようです。

2番以降は、
「金」「落」「食」「乱」
「高」「株」「不」「毒」「薬」
「麻」「危」「混」「殺」「米」
「逃」「辞」「崩」「中」「新」
といったかんじで並んでいたようです。
2番以降も、関連するような漢字が
並んでいるような気がします。
2008年は、
中国の食の安全問題、
北京オリンピック、
アメリカの大統領選挙、
金融不況による株の暴落、
原油の高騰、
日本の政治では、辞任と麻生首相の就任、
麻薬問題がいろいろと発覚するなど
あまり明るい話題からの漢字は
少なかったのかもしれません。

「変」といえば、
政治の変化は、首相交代、大統領選挙と
いうことになるのでしょう。
経済も、変化しているのに、
追いつけなく乗り遅れている経営があったり
雇用不安を増大させる前に
経営者はなすべきことがあるように
思うのですが、どうも保身に走る権力者や
責任者が多くなってしまって、
子供たちの未来、社会全体のことを
考えることが、本質として薄れているように
感じます。
高齢社会になり、少子化が進む日本、
人口の増加する世界、
経済成長に突き進む途上国、
成長神話におぼれた先進国、
変化すべきところが、変化できずに
まずい方向に、変化していってしまった
そんな年であったのかもしれません。
この変化をよい方向に向かわせるためには
近視眼的な思考や報道、政策ではなく、
10年、20年、30年先を見据えた
政策や対策、経営を行っていけるように
変化しなければならないのではないでしょうか。
それは、国民、市民のレベルにも
いえることであるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 21:23| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする