2008年09月30日

己を主とする以上、

『己を主とする以上、
 他人にも同じ心持ちのあるのに注意しよう。』
   有島武郎

 自分自身の基準で、自分自身を主として、
人生を歩んでいくとき、
気をつけるべきことは、
他人にも、自分と同じように、それぞれの心、
基準があるということを認識しておくこと
忘れないこと、その上で接していくこと
であるという。人生における常識ともいえるような
ことを、伝えてくれている言葉です。
ときどき、ひとりよがりになってしまったり、
自分勝手になってしまう人にとっては、
常に意識しておくべきことだといえるでしょう。
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2008年09月29日

常に正しいことをやることだ。

『常に正しいことをやることだ。
 周囲の人の賞賛や噂話に構っていてはいけない。』
   マーク・トウェイン

 いろんな言葉や情報が、入ってきます。
周囲の人は、時に賞賛してくれるかもしれません
褒めてくれるかもしれません、
しかし、陰口を言う人もいるでしょう、
非難したり、馬鹿にしたり、嫉妬や恨みの言葉を
なげかけてくる人もいるでしょう。
 でも、所詮は、他人が、その人の個人的な感情から
放っているものに過ぎないともいえます。
そんなものに、迷わされないように
常に、自分自身の心と向き合って、
正しいと思うこと、行いたいと思うことを
実行していくことの方がずっと重要であり
大切であるということでしょう。
 最後の扉を開くときには、
人は、自分ひとりになるのですから。
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2008年09月28日

幸せになりたいならば、

『幸せになりたいならば、
 「あの時ああしていれば」と言う代わりに、
 「この次はこうしよう」と言うことだ。』
    スマイリー・ブラントン

 人生を、幸せに生きるために、必要なことは、
何なのか、多くの成功者が、同じようなことを
言ってらっしゃいますね。
それは、過去の過ぎ去ったことを
いつまでも後悔して悩まずに
未来に向かって、次になすべきことを
行っていくということです。
 常に、前向きに、少し楽天的に、
行動していくことが、大切だといわれます。
それは、確かに、必要なことであり、
人生をより、有意義に生きていくための
方法のひとつであることは
間違いないといえるでしょう。
 ただし、これが簡単にできる人と
なかなか出来ない人がいるのも確かであったりします。
その人の性格や気質によって、
大きく差が出てくるように感じます。
でも、どんな人でも、努力して、
そのような方向に、進んでいくことも
出来ることは、確かであったりします。
だからこそ、
この姿勢だけは、忘れずにいたいものですね。
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2008年09月27日

水、食料、自然環境を保護することにより、

『水、食料、自然環境を保護することにより、
 地球の持続的繁栄に貢献する。
 統合的健康モデル“日本”を創造することにより、
 より健康に、より美しく、
 長生きする理想の社会を実現する。』
        つくば宣言 2008年5月
    「 健康と食・環境 つくば会議 2008」

 日本統合医療学会が主催して開催された今年の大会で
採択された宣言文です。
医療問題、食の問題は、今、日本でも非常に注目されている話題です。
企業の不祥事や、事故、汚染問題、環境問題などとも関連しますし
生活習慣病の予防、高齢者の介護、少子化ども関連してくるでしょう。
うつ病の増加、自殺者の数が減少しないこと、
いじめなども問題も、無関係ではありません。
 生活の基盤は、衣食住といわれます。
日本は、衣食住において、世界の中で恵まれた国です。
しかし、恵まれているはずなのに、数多くの問題が
出てきています。
それは、戦後の物至上主義がもたらした弊害であるといえるでしょう。
統合的な健康を考えるとき、
それは、衣食住だけでなく、心やスピリチュアルといったことも
関係してくるものになります。
 日本という国には、日本のもっている環境や自然、
そして、自然と共存共栄してきた日本の文化や慣習があります。
そのなかで培われてきたのが、日本人の身体であったりするわけです。
戦後、無理に欧米食にしたことが、日本人の身体や心を
弱られきたといえるでしょう。
日本人の食文化を見直し、日本の文化を見直し、
日本人の心と身体にあった食を営めるような社会に
していくことが求められています。
また、医療においても、予防と養生という視点から、
西洋医学だけでなく、東洋医学をはじめとした代替医療を
うまく利用し活用することで、健康を維持していくことが
大切になってきているといえるでしょう。
 地産地消というあるべき姿は、地域のコミュニティが
しっかりしていることや、農業が地域に根付いていることなどが
必要となってきます。
そのためには、行政の行うべきこともありますし、
企業が行うべきこともあります。
そして、市民ひとりひとりが行うこともあるわけです。

<代替医療関連団体>
日本ホリスティック医学協会
http://www.holistic-medicine.or.jp/
CAMU Network
http://camunet.gr.jp/
日本統合医療学会
http://www.imj.or.jp/index.html
国際生命情報科学会
http://wwwsoc.nii.ac.jp/islis/sjis/islis.htm
日本食品機能研究会
http://www.jafra.gr.jp/
日本歯科東洋医学会
http://www.jdtoyo.net/
人体科学会
http://www.smbs.gr.jp/main/

<健康関連機関>
厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/
国立がんセンター
http://www.ncc.go.jp/jp/index.html
国立感染症研究所
http://www.nih.go.jp/niid/index.html
国立健康
http://www.nih.go.jp/eiken/index.html
栄養研究所
http://www.nih.go.jp/eiken/index.html
健康体力作り財団
http://www.health-net.or.jp/zaidan/index.html
国立公衆衛生協会
http://www.jpha.or.jp/
日本食品衛生協会
http://www.n-shokuei.jp/
日本健康・栄養食品協会
http://www.jhnfa.org/
日本ベジタリアン協会
http://www.jpvs.org/
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2008年09月26日

みんなの苦労や努力こそが、私の成功を支えてくれたんです。

『みんなの苦労や努力こそが、私の成功を支えてくれたんです。』
   本田宗一郎

 成功した人、企業、そんな成果を
もたらしたものは、何なのか、
やはり、優れた経営者の魅力が、大きいのかも
しれません。
優れた人は、自分自身の努力も凄いのに
それを威張ることなく
常に他人やまわりに感謝することの
出来る人だということなのだと
いえるでしょう。
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2008年09月25日

過去という、すでにできあがった花崗岩のかたまりで

『過去という、すでにできあがった花崗岩のかたまりで
 歯を傷つけるのは愚か者である。
 取り返しのつかぬことにからだをぶつける代わりに、
 きょうという日を、与えられるままに肯定することだ。』
    サン・テクジュペリ

 過去、現在、未来。
 昨日、今日、明日。

 過去も昨日も、記録でしかありません。
 それは既に変わることのない出来上がったもの。
 その出来上がったものを変えようとすることは
 出来はしません。
 そんな自らを傷つけるようなことなどせずに
 現在を、今の与えられている時を、
 そのままに受け入れて、
 その先にある未来へ向けて
 歩み出すことが大切なことであり、
 生きるということなのでしょう。
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2008年09月24日

魂の数と同じだけ、神への道はある。

『魂の数と同じだけ、神への道はある。』
   シュリ・ラーマクリシュナ

 魂の成長こそが、人の存在理由とも言われます。
だから、魂の数だけ、人生はあり、
魂は、それぞれが、一対一で、神と向かい合って
いるわけです。
 魂は、神を求めているので、神の喜ぶことを
したいと思っています。
しかし、人は、この世に生まれたとき、
命と肉体という枷を背負います。
前世の記憶は、魂の中にあり、
生命の心には、引き継がれません。
心は、真っ新な状態で、人生を歩み出すことになります。
肉体は、心に影響をあたえ、心の得たものは
良いことも悪いことも、魂に刻まれていきます。
 神への道は、輪廻からの解脱であり、
悟りであるわけです。
一度の人生で、神の域までいくことは、
難しいことでしょう。
 だからこそ、魂は、生まれ変わり、
新たな人生のなかで、成長を求めていくことに
なるわけです。

 私は、一時期、転生輪廻は、無くても良いのでは
ないかと思っていました。
それは、生まれ変わりの現象を説明するのに、
霊の影響で十分であったからです。
しかし、魂が、唯一無二の存在であり、
天上天下唯我独尊の言葉の通りに、この宇宙、時空において
同じものはないということ、
そして、魂は、神をもとめ、成長していくこと
そのために、命と肉体をもって、修行する必要があること
その真理に出会ったとき、
魂の転生輪廻の意味を感じ取れたのでした。
 イエス様やお釈迦様の歩んだ道へむけて
少しでも近づいていくことが、
まだまだ、成長未熟な魂である私にとっては、
必要なことなのだろうと思います。

 死の扉をくぐり、魂の存在となったとき、
人は、誰もが、自分自身の真実の姿を知ることに
なるでしょう。
その時に、少しでも成長した姿であり得るかが
問われることになるわけです。

 肉体の求めでなく、心の求めでもなく、
魂の求めを、感じていますか。
posted by 清水の伏竜. at 05:02| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月23日

天才とか聖人とかいう人を除けば、

『天才とか聖人とかいう人を除けば、
 人間はみな似たりよったりの能力と、
 感情の持ち主である。
    :
 つまり、我も人なら、彼も人なのである。』
      本田宗一郎

 よく、あの人は特別だからとか、
君は違うとか、おまえはダメだとか、
相手を区別したり、差別化したりすることが
あったりします。
しかし、本当に違うのでしょうか。
 人という存在として、この世に生まれ、
それぞれの家庭や環境で育っていくなかで
それぞれの個性をつくってきたことは
間違いないことでしょう。
しかし、それは、差別するものでもなく
比較するものでもなく、
認めあうものではないかと思います。
 本当の天才や、聖人は、100年にひとりとか
千年にひとりとか、そんな僅かな数でしょう。
大半の人々において、その能力や感情に、
大きな違いなどないのかもしれません。
皆、同じ人であり、命であるのですから。
 格差という言葉ほど、醜く哀しいものは
ないといえるのかもしれません。
その意味では、評価というのも、
絶対的なものなの存在してはいないといえるでしょう。
得手不得手をみとめ、それぞれの価値を
評価して、支え合っていくことのなかにこそ、
素晴らしい発展、未来が見えてくるのかもしれません。
 皆、等しく、人なのですから。
posted by 清水の伏竜. at 04:33| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月22日

突とばされて転んだら、

『突とばされて転んだら、
 ついでにひとりで起きあがって歩くとこを
 見せてやらにゃいかん。』
   壷井栄

 日本の社会では、転んでしまったら
なかなか、起きあがれないといった問題が
あったりします。
そんな社会のなかで、誰かに突き飛ばされても
まけない気持ちをもつことは、
人生を力強く歩むために、大切なことなのかも
しれません。
転ばされても起きあがり、尚前に進む
そんな姿を見せることで、
突き飛ばした相手を見返して
あきらめずに歩んでいくことが出来るなら
それは、まさに”へっちゃら力”だといえるでしょう。
あきらめない姿勢のなかから
また素敵なものが生まれてくるのかもしれません。
教育的にも、人生を歩むにあたっても
この言葉は、意味ある言葉といえるのでは
ないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 07:36| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月21日

共通の畏敬と共通の魂の喜びとが、

『共通の畏敬と共通の魂の喜びとが、
 真の人類共同体の基盤である。』
   マルチン・ブーバー

 人類の存在意味、人類共同体の基盤は何か
この問いに関して、いろんな人が
それぞれの回答を出しています。
そんな回答のひとつといえるかもしれません。
畏敬と魂の喜び
それは、神への畏敬であり、
神に喜んでもらうことであると
いえるでしょう。
魂の求めるものは、
その根元である神そのもので
あるのですから。
しかし、この基盤は、表面的には
誰もが感じているわけではなく、
表層の欲望に埋もれてしまっているとも
いえるでしょう。
もし、世界中の人々がその根本の求めに
気が付き、その求めに応じるなら、
世界は平和になることでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 11:40| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月20日

成果をあげる人は、能力、関心、知識、気性、性格、

『成果をあげる人は、能力、関心、知識、気性、性格、
 仕事の方法において多様である。
 あらゆることにおいて千差万別である。
 共通点は、行うべきことを行っているだけである。』
     P.F.ドラッカー

 成功者の特徴は何か、そのことについて、
いろんなことがいわれています。
しかし、その共通点ということになると、
どんな人も、口を揃えていいます。
行動し、実行している人であるということです。
自分の想い、自分の考えることを、
アクティブに実行していっている
そんな人が、成功しているし、
成果をあげているというわけです。
確かに、その通りだなと感じます。
成功した人の講演や、セミナーなどで
その経歴や経験を伺うと、必ず行動して
結果を出していらっしゃいます。
人の本質は、知情意の3つのバランスから
形成されているといわれます。
そのなかで、やはり意の力が、結果を出し
成功するためには、一定の水準以上になってないと
厳しいのかなという感じがします。
いくら、知や情において、飛び抜けていても
意が人並み以下では、ダメなようです。
もちろん、意の部分を補ってくれる
パートナーと出会い、共に人生を歩めたら
成功し結果を出せるかもしれません。
 人はひとりで生きているわけではなく、
ひとりで何かを成し遂げるのは、本当に難しく
大変なことであったりします。
よい出会いに恵まれて、共に歩める仲間が
あってこそ、素晴らしい成果を
得ることができるのだともいえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 13:27| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月19日

物は見下ろすと欠点がよく見えるようだ、

『物は見下ろすと欠点がよく見えるようだ、
 見上げるようにすると長所が見えてくる。
 見下ろして生きるのは不平不満の生き方、
 見上げて生きるのは感謝の人生だと思う。』
    帖佐美行

 人生の歩み方、社会における姿勢のありかたを
示した言葉のひとつといえるのではないでしょうか。
見下す姿勢は、傲慢であったり、身の程知らずで
あったりするのかもしれません。
見上げる姿勢は、謙虚さであったりするのかもしれません。
感謝していきる方が、不満を抱いていきるより
より充実した人生になるのだといえるのでは
ないでしょうか。
 ありがとう。の言葉を絶やさないように生きる。
そんな中に、良い出会いや、成長が、
あるのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 04:18| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月18日

われわれは光のもとで暗やみを、

『われわれは光のもとで暗やみを、
 幸福のもので悲惨を、満足のもとで苦痛を
 思い起こすことはまれである。
 しかし、その逆はいつもである。』
    イマヌエル・カント

 幸福な状態にあるとき、
不幸だったことを思い出すことはあまりない。
しかし、不幸にあるとき、幸福だったことを
思い出すことはある。
 これは、確かにそうかもしれません。
よく、口癖ということで語られるフレーズにも
その傾向がはっきり出ているといえるでしょう。
「昔は良かった」
「あのときは、良かった」
「あのころは、絶頂だったのに」
そんな言葉は、まさに、満足や幸福を感じていた
充実感を感じていた時があったのを
今と比較して、出てきます。
そして、確かにその逆の言葉はあまり聞きません。
「あのころは不幸だった」
「あのころは苦痛だった」
幸福で、充実していたときには、
そんなことを思い出すことも少なく、
思い出しても、一言「今思えば、良き経験だった」と
続いていったりします。
 人生の長いようで短い道のりのなかで、
平常心でいられたら、不動心でいられたら、
過去の幸福も不幸も関係なく、
今と、未来をみつめていけるのかもしれません。
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2008年09月17日

公共心をいだけぬ者は、友情をもいだけない。

『公共心をいだけぬ者は、友情をもいだけない。』
   プラトン

 昔から、公共心は、大切な心であったということです。
友情と、同じように、人と人とを繋ぐために
尊い心であるといえるでしょう。
 公共心のない人は、友情も薄い、
それは、人を信じることができない哀しい寂しい人だと
いうことでしょう。
そんな人ばかりでは、やがて滅びを迎えるだけに
なっていってしまうといえるでしょう。
 優れた人物は、やはり良き心をもっているものだと
思います。自らを成長させていくためにも
公共心をもてる人であるべきでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 22:58| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月16日

挑戦することは尊い!

200809112139000.jpg
『挑戦することは尊い!』
   小出宗昭



日本の経済を支えているのは、中小企業といわれています。
その中小企業のために、様々な政策や支援制度が
整えられています。
ところが、その制度が現場で有効に機能していない
そんな実体もあったりするようです。
起業が奨められていたりもしますが、
なかなか難しい現実の壁もあったりします。
銀行員から、SOHO静岡での起業支援、中小企業支援、
浜松での企業支援を経て、脱サラして自らも起業、
富士市で、企業支援の仕事をしていらっしゃる
小出氏の歩みは、まさに中小企業、個人事業主、起業家を
支えるパートナーという存在であったといえるでしょう。
そんな小出氏のお話を聞く機会があり、
その時に、伝えてくれた言葉が、

 挑戦することは尊い!

でした。
経営も、起業も、まさに挑戦です。
自分のしたいこと、自分の想い、ミッションを
実現させるために、成功するために、
まさに、チャレンジすること、
挑戦することが、必要となります。
そして、挑戦することから、何かが生まれてくる。
挑戦すること、
その姿勢が大切であり、尊い。
日本の社会の問題は、挑戦を認めることよりも
失敗を責めることが多すぎること、
そして、一度失敗すると、二度と挑戦させない
そんな風潮があることだといえるでしょう。
再チャレンジを、素晴らしいことだと認める社会、
チャレンジを後押しすることのできる社会、
そんな社会になることが、
日本の抱えている多くの課題を解決していくために
必要なことであるように感じます。
posted by 清水の伏竜. at 03:03| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

好きを仕事にしよう!

200809092253000.jpg
『好きを仕事にしよう!』
      前田出

女性、主婦の楽しみをビジネスに、
インストラクターの育成による新・家元制度という
ビジネスモデルで、主婦の起業支援をおこなって
見事な成果を出している前田氏のお話を聞く機会がありました。
その時に、前田氏のおっしゃった言葉が、
”好きを仕事にしよう!”です。



押し花、ビーズ、キルトといったカルチャーセンターの教室に
あるような創作の趣味を、インストラクターを育てるという
ビジネスモデルで、趣味から、ビジネスにしていくという
ストーリーを展開されてます。
年商1億円という主婦の起業家も生まれているそうです。
お話のなかでは、
動員力の7つの要素、仕事としての6つの報酬といった
キーワードなどが出てきて、
どのように、趣味をビジネスにしていくのか、
その手法と、注意すべき点について
語って下さいました。
書籍にも、その内容がまとめられています。

好きを仕事に!

本当に、そうできたら、仕事も凄く充実したものになり
やり甲斐も大きく、達成感や、充足感も、
大きなものになることでしょう。
でも、なかなか、ビジネスまでもっていくのは
大変です。しかも、そのビジネスで大きな利益を得ると
なれば、さらに難しいことだといえるでしょう。
女性の起業支援活動をしているとも言われるように、
ビジネスとして成功してもらうための仕掛けが
しっかりと考えられています。
もちろん、全ての人が、起業成功できるわけでもありません。
しかし、成功する可能性があることも確かです。
インストラクター事業のモデルは、
似たような形の事業へ応用できるかもしれません。
そんなことの他に、
とにかく、好き!ということは、
熱意も持ちやすいということであったりします。
いきいきと仕事をしていくのにも、
やはり、好きであることは重要なことなのだと
感じます。
みなさんは、今の仕事が好きですか?
posted by 清水の伏竜. at 10:59| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月14日

存在せよ!このことばの最高の意味で。

『存在せよ!このことばの最高の意味で。
 見かけだけであることをやめよ。
 実体そのものとなるべく努めよ!。』
    シェリング

 見せかけを取り繕って生きる。
そんな人生ほど、辛く虚しいものはないでしょう。
しかし、今の社会では、
見せかけだけを評価し、見せかけだけを重要視する
そんな哀しいことが、多く行われてしまっても
いるような気がします。
もちろん、TPOに応じて、見せかけが必要な
こともあるでしょう。
しかし、それによって、その人の全てを
判断してしまうことは、正しいとはいえないでしょう。
見せかけだけでなく、実体そのものが、
表にでるように努力することを進めている言葉ですが、
実際には、努力して、実体と見せかけを一致させることは
それ自体が見せかけを取り繕っている
そんな印象もあったりします。
人の本質や実体は、自然に外見や行動や仕草や発言のなかに
出てきてしまうものではないかと思います。
それを、見せかけることで取り繕っているのが
多くの場合ではないでしょうか。
自然体でいることが、見せかけを取り繕うことでは
なくなることになるのではないかと思います。
自然体でいるときに、
存在感がある人間でいられることが、
大切なのかなと感じます。
そうなるようにするには、人としての心の成長と
身体の健康に努めることが、
大切なのだということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 08:14| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月13日

人間が人間たるゆえんは真実にある。


『人間が人間たるゆえんは真実にある。
 人間が真実を放棄すれば、自己を放棄したも同然である。
 真実を裏切る者は、自己を裏切る者である。
 いま言うのはうそをつくことではない。
 確信に反する行為をすることを
 言っているのである。』
     ノヴァーリス

 真実の大切さ、うその裏切り、
人の社会では、この当たり前の認識が、
忘れられてしまっていることがあるようです。
そのようなとき、なぜ人は、そんなことを
してしまったのか、失った信用と共に
遅い反省をしたりするようです。
 企業や行政が、何のために存在しているのか
その根本を見失い、手段が目的になってしまったとき
真実を忘れ、うそに走ってしまうように
感じられます。
 利益をあげたり、何かをつくったり、
サービスを提供したりすることは、
目的ではなく、手段に過ぎないのに、
そのことを忘れてしまう
そこから、うそがうまれ、真実をわすれ、
過ちを犯していってしまうようです。
その結果は、いずれにしろ自分にかえってくるのに
それに気が付かない経営者や公務員がいることが
社会に問題を発生させているのかもしれません。
本当の目的を理解し、理念を共有し、
真実に目を向け、大切にしていくこと
その基本から、見直すことが
求められているのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 12:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月12日

真理を所有するということは

『真理を所有するということは
 けっしてそれ自体が目的なのではなく、
 生活に必要欠くべからざる何かを
 満足させるための手段である。』
   ウィリアム・ジェイムズ

 真理とは何か、その定義や解釈によって、
この言葉も、その色合いが少し変わってくるのかも
しれません。
 真理の所有が、目的にはならない、
手段であることは、確かにそうかもしれません。
しかし、その手段は、生活に必要なものを
満足させるような小さい目的のために
あるのだとは、思えなかったりします。
生活に必要なもの、それを満足させるために
必要な真理は、本当に宇宙の真理という深淵なものでなく
身近な真理というべきものでしかないのでは
ないかと感じます。
真理にもいろいろなレベルのものがあるのだと
いうことかもしれません。
どんな真理を所有するのかで、
その真理を手段として必要とする目的も
大きく変わっていくことになるでしょう。
 この言葉の真理は、身近な真理のレベルかなと
感じます。もちろん、どんなレベルのものも
その目的に必要であれば、真理として所有していくこと
気づくことが求められるといえるでしょう。

 宇宙の真理は、神の真理であり、
それは、人の存在意味と、人生の存在意味そのものを
示すものであったりします。

 みなさんにとっての真理とは、
どんなものでしょう。そして、その真理は何を
与えてくれるでしょうか・・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 02:31| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月11日

尽くすということを正直に試みている確信のある者には、

『尽くすということを正直に試みている確信のある者には、
 全世界もまた彼に対して尽くすことを忘れないであろう。』
  ワナメーカー

 尽くす。人が人に、人が自然に、・・・
人生という修行の場において、自己の欲望のままに
生きていくのは簡単なことでしょう。
しかし、そんな歩みの中からは、成長も、真の喜びも
得られないのではないでしょうか。
人が、他の生物と違っているのは、
欲望を越えた行動をとることができること
それは、自分の為ではなく、他のために生きることが
出来るということ
まさに、尽くす ことが出来るということでしょう。
正直に、確信をもって、尽くす生き方をしている人には
その本人が望んでいなくても、
世界からまた、尽くされることになっていく
生きるなかで、誰かから愛されたい、尽くされたいと
思うのなら、その欲求を忘れて、
まず自らが、誰かを愛し、尽くすことを
はじめなさいということでしょう。
 それは、ほんの小さなことでもかまわないし、
ほんの些細なことでもかまわない。
少しの歩みから、何事もはじまっていくのですから。
そんなことを感じる言葉のひとつなのかなと
思うのでした。
posted by 清水の伏竜. at 07:46| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする