2008年08月31日

死ぬ覚悟の出来ていることを悟りと誤解している人が多いが、

『死ぬ覚悟の出来ていることを悟りと誤解している人が多いが、
 悟りとは命ある限り平気で生きることである。』
  曹洞宗大本山永平寺七十八世貫首 宮崎奕保禅師

 今年、大往生なされた宮崎禅師の言葉には、
悟りの境地に達した方のもつ重みがあるように感じます。
命ある限り、平気で生きること。
簡単のようで簡単でないことなのかもしれません。
今の日本では、統計に出てくる数だけで、
年間3万人が自殺しています。
未遂もあわせたら、その何倍もの数の人が、
平気で生きることが、出来ないでいるということに
なってしまうでしょう。
どんなことがあっても、死ぬ覚悟が出来ているなら、
平気で生きるということが、出来なければ、
まったく意味がないということを
多くの人が、感じることが必要になっているのだと
いえるでしょう。
与えられた命を、生き抜くことこそが、
悟りの第一歩なのだといえるでしょう。
それが、最低限のことだともいえるかもしれません。
人生における最低限のこと、
それが、生き抜くことであるのだから、
せめて、与えられた命を生き抜くことだけは、
なんとか成し遂げられるように、
していきたいし、していって欲しいと思います。
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2008年08月30日

真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。

『真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。
 汝の現今に播く種はやがて
 汝の収むべき未来となって現わるべし。』
    夏目漱石

 何かするとき、そのこと自体が、
将来の自分、未来の自分に、戻ってくる
未来は、今の積み重ねの先にあるということ。
どんな未来が訪れるのかは
今、どんなことを考え、行動するのかに
よって、変化していくということ。
つまり、今の生活や学びは、未来への投資であり、
いつか、実りとなってかえってくるかもしれない
そんな気持ちで、今を大切にして
生きていくことが必要だということでしょう。
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2008年08月29日

学問は興味から、

『学問は興味から、
 もしくは好奇心からはいったものがもっとも根強い。』
    柳田国男

 やはり、勉強するのには、その対象となる学問に
興味をもつことが一番であるということですね。
子どもが、生き生きと学ぶようになるために、
興味を引くような教え方をすることが
教師には、求められているといえるかもしれません。
知識を教えるのではなく、好奇心を持たせる教育が
とくに小中学校では、求められているといえるのでは
ないでしょうか。
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2008年08月28日

人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。

『人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。
 普通と言われる人生を送る人間なんて、
 一人としていやしない。
 いたらお目にかかりたいものだ。』
    アインシュタイン

 人は、生きていくなかで、どうしても
まわりにあわせよう、人と同じでありたい、
そんな風に思うことが多かったりします。
流行という言葉は、まさに人と同じでありたいことの
象徴ともいえるでしょう。
そんな中で、普通であるために、流行にあわせてしまう
そんな事があったりするわけです。
自分だけの個性を引き立てた生活は、
なかなか大変であったりします。
特に、戦後の日本は、みな横並び、飛び抜けたり
変わったことは、否定する、そんな社会であったのですから
出る杭は必ず打たれて潰されてきたわけです。
しかし、ようやく社会も個性を認め、個人の生活、
違いを認めた上で、生活していくことを容認することが
出来るようになりつつあるようです。
でも、企業によっては、昔ながらの男尊女卑や年功序列、
好き嫌いで、人を判断し評価し差別するような
パワハラ人間もいることは確かです。
そんな人も変わっていかなければならなくなるような
そんな社会にしていきたいものですね。
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2008年08月27日

つきつめろ、そして、つきぬけろ

『つきつめろ、そして、つきぬけろ』
    小池康博
   〜プロフェッショナル 仕事の流儀〜

光ファイバの分野における世界のトップランナーである
慶應義塾大学教授の小池氏の成功は、
まさに、14年の研究テーマに対する飽くなき探求心であり
あきらめず、つきつめ、そして、前例など関係無く
突破していった結果なのだといえるでしょう。
鉄腕アトムに憧れて、科学者となった世代は、
今の日本の科学界を、数多くリードしていたりします。

『心のままに、発想する』

研究は、検証と推論の積み重ねだけではダメで、
インスピレーションなどの直感にゆだねて発想することが
光明を見出すために必要であったりします。
そんな、自由な発想を育むには、
やはり、小池氏が、音楽を楽しみ、自らもピアノを演奏する
といったように、他の何かに、ふれることが、
とても大切な要素であるように感じました。
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希望は、必ず見つかる


『希望は、必ず見つかる』
    田村恵子
   〜プロフェッショナル 仕事の流儀〜

 ホスピスで働く看護士の田村さんが、
患者に接して、その最後を看取るときまでの中で、
感じて、信じている言葉のひとつです。
末期患者さんや、その家族の皆さんへ、
接していくための心構えのようなものだともいえるでしょう。
そして、患者さんへの想いを言葉にすると

『心残さず生ききる』

ということになるそうです。
まさに、人生とは、何か、
生きるということは、何なのか、
生きることの素晴らしさを、ホスピスのなかで
多くの人の死と立ち会うなかで
田村さんの感じたこと、そして出会ったことは、
まさに人の強さなのかもしれません。

 死の告知を受けた人ではなくても、
この言葉は、あてはまるものでしょう。
希望を信じ、心に後悔なく、生き抜くことが、
人生を充実としたものにしていくのだと
いえるでしょう。
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2008年08月26日

子どもが元気な町が発展するんです

『子どもが元気な町が発展するんです』
      宮崎駿

宮崎駿監督が在住している小金井市のマスコットキャラクタ
http://www.city.koganei.lg.jp/
news/20080820_image_character/
20080820_image_character.htm
まだ、名前がない(公募中)このキャラクタを、
創作し、市に贈るときに添えられた言葉です。
まさに、この言葉は、今の日本社会にとって、
大切な言葉であるといえるでしょう。
子どもが、元気であること、
それは、その子どもの育っていく環境も元気でなければ
難しいでしょう。
少子化、環境、老齢化、いろんな問題も、
子どもが元気な町にするという視点から
考えてみることで、また違ったものが見えてくるようにおもいます。
行政も議会も、企業も学校も、
子どものことを考えた活動、視点を、もって、
あらゆる活動を見直してみる、見つめ直してみる
そんな事が、必要とされているといえます。
地方の時代というのは、地方から、そんな改革が
進んでいくことが、大切だということでもあったりするような
そんな気がしてなりません。
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2008年08月24日

SFは絵だ・・・

『SFは絵だ・・・』
   野田昌弘

 今年の星雲賞で特別賞を贈られた
故野田氏の言葉です。
DAICON7 今年の日本SF大会では、
この言葉を、何度か耳にすることになりました。
SF大好き人間としては、
SFって何?
という問いかけに対して、
いろんな意味合いをもっているように
常々感じています。
そんな意味を思い描くことのできる言葉のひとつです。
9月23日には、偲ぶ会の開催が予定されています。
日本SF界に、大きな足跡と功績を残された方を
知ることで、SFの面白さを感じて欲しい
そんな事も感じたりします。
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2008年08月23日

処暑


 24節気のひとつ、暑かった季節もようやくおさまるというころを
迎えましたが、まだまだ残暑厳しい感じです。
北京オリンピックも、残り僅か、いろんな物語が
生まれ、感動や、無念、さまざまな想いが、
描かれました。まさに、スポーツは文化であり、
人の心を繋ぐことのできるものでもあるということでしょうか。
 勝敗は時の運ともいいます。
しかし、運を呼ぶのは、努力の積み重ねと、
日頃の鍛錬の結果であるともいえるでしょう。
閉会式に向けて、まだ感動は続き、そしてそれは、
4年後にロンドンへと引き継がれていくのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 02:34| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

社長なんて偉くもなんともねえ。

『社長なんて偉くもなんともねえ。
 要するに命令系統をはっきりさせる記号にすぎない。』
     本田宗一郎

 いかにも、本田氏らしい言葉です。
最後まで現場にこだわり、技術にこだわっていたかたですから、
しかし、企業が大きくなっていくと、社長は、
命令系統をはっきりさせる記号だけであっては
ダメになってしまいます。
なぜなら、その企業の顔であり、意志であるからです。
企業の方向性と、企業の理念を、明確にし、
方向性をはっきりさせて、
会社を導いていくことが、求められるのが、
社長であるのですから。
社長は、偉くはなくても、責任は重大です。
その記号に見合った責任が、科せられているのが
役職であり、職制であるということでもあります。
もし、命令系統をはっきりさせるだけの記号でしかなければ
その会社は、ダメになっていくことでしょう。
この言葉は、本田氏のもつ謙虚さの現れであると
受け取るべきであって、その言葉通りにしか
解釈できないとしたら、社長にはなれないのでは
ないかという気がします。
posted by 清水の伏竜. at 02:34| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

敵に矢を射る場合は、

『敵に矢を射る場合は、
 こちらも相手の射程距離にあることを忘れるな。』
     サーディ

 相手が見えているということは、
相手からもこちらが見える距離にあるということ
優位なポジションというものなどは、
実はないのだという意味にもとれる言葉です。
ライバルに勝っていると思ったら、
実は、相手も、そう思っていた。
そんなこともあるのが、この社会のありようなのだと
いえるかもしれません。
 心の緩みを注意する意味の言葉ともいえるかも
しれません。油断大敵ということでしょうか。
戦いのなかの言葉であっても、
別の意味として、とらえることもできるのが
言葉であったりします。
 より前向きに、より善い方向に、
解釈していくことが、言葉を活かすことに
なるような気がします。
敵を味方にすることが出来るような人が
やはり一番凄いのだといえるでしょう。
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2008年08月21日

おのれの行為に先だって

『おのれの行為に先だって
 黄金のことばを投げ、
 つねにおのれの約束した以上のことを果たす者を、
 わたしは愛する。』
    ニーチェ

 いわば、有言実行し、期待以上の結果を
出してくれる人が好きということになるのかな・・・。
心地よい言葉や、素敵な言葉を、
言うことはできるかもしれません
でも、それを実行し、しかもそれ以上のことを
行うことが出来る人は、なかなかいません。
それだけ、大変なことだということだといえるでしょう。
そんな行動のできる人は、
誰からも愛され、期待されるということでもあり
嘱望されるということなのだともいえるでしょう。
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2008年08月20日

Keep walking!

『Keep walking!』
  山口絵里子

「途上国から世界に通用するブランドをつくる」
南北問題に対して、国際機関で感じた矛盾から現地に飛び込み
アジアの最貧国バングラデシュで起業して、
途上国の新しい力を引き出している山口さんの話しを
聞く機会がありました。
現地での民間活力を育て、援助の必要のない自立した社会へ
働く意欲を育むことの重要さと、
そのためには、ただ援助するのでは、逆に援助依存症に
なってしまってダメだという実体を、
支援する側が、もっと真意に考えていくことが
必要なのだと感じさせられました。
その道のりは、困難なことも多く、
それを乗る越えていくには、
常に前向きに進んでいくこと、
ゆっくりであっても、歩みを止めないことが
大切なのだという経験からくる言葉には、
重みがあります。
理想へ、夢へ、希望と、確信をもって、
歩んでいけば、必ず、成し遂げられる。
そんな気分にさせられます。

・マザーハウスHP
  http://www.mother-house.jp/index.php

・山口絵理子氏著書『裸でも生きる』(講談社)


・情熱大陸 HP
http://www.mbs.jp/jounetsu/2008/03_16.shtml
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2008年08月19日

大切なのはどの本、

『大切なのはどの本、
 どんな経験を持つべきかではなく、
 それらの本や経験のなかに自分自身の何を注ぎ込むかだ。』
    ヘンリー・ミラー

 経験することは、とても有意義なことであり、
価値あることであることに変わりはないでしょう。
本を読んだり、芸術を鑑賞したり、スポーツをしたり、
いろんな経験を積んでいくことは、
自分を豊かにしていくことに繋がっていきます。
しかし、単に経験したり、出会ったりするだけでは、
人生において、本当に意味を持ってくるものには
ならないということをこの言葉は語っているのかもしれません。
自分自身の何かを、その経験た出会いと、融合すること
経験や本から得たものを、自分の中の一部にするために
自分のもっているものと、関連させていくこと
即ち、知恵として取り込んでいくことが大切なのだと
いうことなのかもしれません。
単に、知識として、記憶するだけであれば、
コンピュータと変わりません。
知識としての記憶を、知恵に変えることが出来るのが
人間の素晴らしいところであり、
人間としての成長の証でもあるのではないでしょうか。
知識から知恵への変化、
それが、とても大切なことなのだろうと感じます。
posted by 清水の伏竜. at 22:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月18日

人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。

『人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。
 普通と言われる人生を送る人間なんて、
 一人としていやしない。
 いたらお目にかかりたいものだ。』
      アインシュタイン

 普通にこだわらない。
普通でないことを気にしない。
同じ人生などは、あり得ないこということは、
自分の人生は、他の人とは違っていてあたりまえ
普通でないのもあたりまえ
ということでしょう。
よく、一般的に、普通に、社会常識的に、
一般常識的に、といった言葉をつけて、
人の人生や価値観について、指導したがる人がいます。
または、非難したがる人がいます。
でも、それ自体がおかしなことであるということでしょう。
もちろん、倫理的、道徳的に間違っている行為は別ですが
そうでないのであれば、どんなに変わっていても
それは、その人の個性であり、その人の人生であると
認めることが必要であって、それを認めることのできる
懐の広さが、上に立つ者、権力や権限をもつものには
必要であるということでしょう。
もし、それが出来ないのであれば、上に立つべきではないし、
権力や権限に対して責任をもてないと判断されても
仕方がないといえるでしょう。
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2008年08月17日

人間は生来、抜きがたい性格を持っている。

『人間は生来、抜きがたい性格を持っている。
  ・・・・・・
 個人はすべてその行動の原因を
 おのれのうちに持っているのである。』
     フリードリヒ大王

 人の生まれながらにもっている正確は、
その命と肉体のDNAから生み出されるもおの他に
内なるものとして、宿っている魂があります。
魂は、転生していくので、
さまざまな命に、宿っていくことになります。
その宿る先は、神によって定められたものであり
天命をもって生まれてくるということになるわけです。
個人の行動の根本は、その内なる魂の求めるところから
命、精神、心の求めるものとなり、
外に出てくることになるわけです。
しかし、魂の記憶は、表に出てくることは殆どなく
命と心が、生まれたときから学んでいく体験や
肉体のDNAからの影響の方が、表に出てきて
しまうのが普通のことのようです。
内なる魂の求めるものに、
どこまで答えて生きていけるのか、
それが、行動と一致するとき、人生は神に祝福されるものに
なるのだといえるようですね。
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2008年08月16日

熱狂は、つねに、また必然的に、

『熱狂は、つねに、また必然的に、
 熱狂せざる者に打ち勝つ。
 勝利を収めるものは、腕力でもなく、
 有能な武器でもなく、心情の力である。』
          フィヒテ

  熱狂する心の力は、
 何かを成し遂げる。
 今、オリンピックで選手たちが自らの鍛錬の成果を
 発揮して、各競技で競い合っています。
 体力、技術を越えた、熱意の力の差が
 一瞬の勝敗を左右しているといえるでしょう。
 世界のトップアスリート達、
 その能力は、殆ど変わらないレベルにあると
 いって良いでしょう。
 その勝負を決めるのは、まさに勝利への熱意、
 心の力の差であるのだといえそうです。
  同様に、他の日常的な社会、業界であっても
 腕力でもなく、財力でもなく、経験でもなく、
 意欲、熱意、そして、勇気という
 心の力こそが、成功に向けて必要なもので
 あるといえるでしょう。
 
posted by 清水の伏竜. at 09:37| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月15日

わたしは実り豊かな行為を一つしか知らない。

『わたしは実り豊かな行為を一つしか知らない。
 それは祈りである。
 同時にまた、おのれの生成のために行為に献身するとき、
 すべての行為が祈りとなることも、わたしは知っている。』
     サン=テクジュペリ

 世のなかの真理のひとつに、祈りの尊さが
あるといえるでしょう。
祈りとは、マントラを唱えるということであり、
神へ捧げる言葉であるわけです。
献身とは、神への供物としての行為であり、
神の喜びのために、子である人が、なせることを
行うということに他なりません。
 聖者、聖人といわれた人たちは、みな熱心に祈りを捧げ、
神のために行動していました。
それは、人のためではなく、あくまでも神のためであり
神が喜ぶ行為が基準であった行動でした。
そのために、時には、他人には理解できないような
行動もあったといえるでしょう。
 隣人を愛するのは、神が愛するように愛するのであり、
厳しく規律を守るのは、神がそれを望んでいるからであり、
自らの魂の成長のために、修行するのは、
魂の成長が、神の喜びであり望みであるからであるわけです。
 殺生をしないということは、
魂の器としての命と肉体をなくすような行為は、
魂の成長を妨げる行為であって、神の望みに反する行為で
あるからに他なりません。
だから、魂の器としての命を奪わないために
聖者や聖人は、ベジタリアンであったわけです。
禁酒でもあり、物欲も捨て去っていました。
それは、魂の成長にとって、望ましい行為をなしていたからに
他ならないといえるでしょう。
祈りとなる行為とは、神の喜ぶ行為であるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 00:17| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

真摯に考えるということは、

『真摯に考えるということは、
 たとえ万人に逆らう考えであろうと、
 万人のために考えるということである。
 人類を愛し、必要とあらば人類に挑戦し反逆する人々が、
 人類には必要なのである。』
     ロマン・ロラン

 万人に逆らうことが、歴史的に後世からみたら
正しいことであったという事例は、数多く存在しています。
大勢が言うから正しいわけではないということですね。
少数派の意見の方が正しいこともあるということです。
何を基準にして、正しいのか、良いのか、
その部分が大切なのだとおもいます。
目先の一時のために、その先の破滅を導くようなことが
正しいと思ったとして行われてしまうこともあります。
人類に反逆してもかまわないこともあるということでしょう。
 何に対して、正しい行為をするのか、
それについては、その人の価値観や思想感、宗教観などに
よって変わってきます。

 人類に反逆する理由には、
神に従うからという人もいます。
ただ、その神が、本当に真の神なのか、
ただ、神だと思っているだけのものなのかは、
わかりません。
ただ、神が嫌いなこと悲しむことのひとつに
間違いないものとして、
殺生するということがあるといえるでしょう。
どんな理由があっても、殺生することは間違っていると
いうことです。
なぜなら、誰も正気であれば、殺すことが良いことだと
いう人はいないでしょう。
しかたがないとか、やもうえないとか、
そんな理由を付けないかぎり、戦争もテロも正当防衛も
説明できないのですから。
死刑もまた同じですね。本当はすべきことではないはずです。
合法的殺人などあって良いはずはありません。
それは戦争も同じです。
 それを回避するために、人類に反逆することは、
過ちではなく、正義なのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 23:08| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月13日

決心する前に、完全に見通しをつけようとする者は決心はできない。

『決心する前に、完全に見通しをつけようとする者は決心はできない。』
     アミエル

 何かを決心する。
 何かを決断する。
 そんなときに、完全に見通しがついてから
 というこよなどは、まずありえない。
 リスク、不安、未知、そんなものを抱えた上で、
 行わなければならない。
 それは、心の強さ、勇気、強い想いを
 試されていることでもある。
 だから、決心できるかどうかにあたり、
 完全な見通しがついていたら、決心する必要などない。
 決心することは、
 見通しなど無関係に、目的への到達だけを
 どこまで希求できるのか、
 そのことにかかっている。
posted by 清水の伏竜. at 04:47| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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