2008年06月30日

運命はこれまで、われわれに二つの道を示してきている。

『運命はこれまで、われわれに二つの道を示してきている。
 一つは自由の道で、
 これは始まりこそ凸凹が多くて歩きにくいが、
 終わりは平坦で歩きやすい。
 他方、いま一つは奴隷の道で、始まりは平らで滑らかだが、
 終わりは苦しくて凸凹が多い。』
        イソップ

 自由にいきるか、奴隷としていきるか、
いつの時代にも、この選択を人を行っているのかも
しれません。
自由とは、何から自由なのか、
奴隷とは、何の奴隷なのか。
その主体が、時代により、場所により、
異なっているといえるのではないでしょうか。
会社の奴隷、政治の奴隷、富の奴隷、お金の奴隷、
欲望の奴隷、上司の奴隷、たばこの奴隷、お酒の奴隷、
・・・
いろんな奴隷があるといえるのではないでしょうか、
その対称の自由においても、
いろんな自由があるといえます。
表現の自由、労働の自由、学問の自由、報道の自由、
生活の自由、選択の自由、・・・・

自由については、権利と義務、公共の福祉、などとの
関係を無視することは出来ません。

奴隷とは、自分の意志ではなく、他人の意志に従って
生きることであり、他人は人や制度や環境や物など
いろんな形があるといえるでしょう。
自分で決断せず、考えず、行動せず、ただ流されるだけ
しかし、我慢は必要であり、甘受することも必要になり
心も体も蝕まれて弱っていくともいえるでしょう。
どちらに進むのか、
どちらを生きるのか、
それを決めるのは、その人自身の問題であるわけですが
時には、外部環境によって、その選択すら
出来ないこともあったりします。
その様な自由も奴隷も選べないような状況については
何とかしないといけないでしょう。
現代社会は、そんな選べない状況を生みだしている
ことも間違いありません。
そこは、打破していくことが、政治や経済のトップに
課せられた義務ではないでしょうか。
選択できない自由は、自由ではないわけですが、
実際には、選択できない状況が、
多い社会になってしまっています。
その結果、死という道に歩みだしてしまうのでは
ないでしょうか。
自殺者が2分に1人の社会には、
選択の自由が無いのだろうと感じたりします。
変えていけるのか、それは富と権力を握る人に
かかるものが非常に高かったりします。
それ故に難しい問題であるのだろうといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 04:10| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月29日

正しく強く生きるとは

『正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
 これに応じていくことである。』
      宮沢賢治

 銀河鉄道の夜、銀河鉄道にのって巡る旅は、
自分自身の心と向き合う旅でもあったように感じます。
 銀河系を、意識して、自分自身をみつめて
応じていくことは、自分の人生を
歩んでいくにあたって、大切なことだといえるでしょう。
正しく、強く、生きる。
2分に1人、自らの手で、自らを殺している人がいる日本社会。
哀しいことであり、寂しいことです。
生きること、それがあってこそ、人生には
何かがある、何かを得られるものなのですから。
弱者へのセイフティラインを、国、行政、企業は、
しっかりとつくりあげて欲しいと思います。
posted by 清水の伏竜. at 12:48| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月28日

無法でたくさんだ、

『無法でたくさんだ、
 間違ったルールを疑うこともせず
 ただ従って生きているなんて
 生きているとはいえないと思います。』
    笠原 郁 〜アニメ「図書館戦争」より

 メディアのモラルなき取材に対して、
怒りに我を忘れそうになったとき、
上官の言葉を思い出して、冷静さを取り戻した郁は、
メディアに対して、なぜ図書隊が本を守るのか、
その想いを語ります。
図書館隊のシンボルマークに描かれた花
カミツレイの花言葉は「苦難のなかの力」。
権力の傘の下で、検閲によって表現の自由を奪う行為に
合法だからといって、従うのが正しいのか、
別の法に従って、本を、芸術を守る図書隊に対する
メディアのバッシングのなかで、
信念をもって、歩んでいるヒロインの気持ちが
こもったメッセージは、多くの人々の応援を呼びました。
 この物語は、空想の世界の物語です。
しかし、このような、誤った法の元で行われる
蛮行に対して、間違っているという声をあげていくことも
必要なことであるといえるでしょう。
 民主主義は、市民の選択で、変えていけるもので
なければなりません。
そのためには、市民のひとりひとりが、
理想の社会を描き、それに向かって何をすべきなのかを
考えていくことが必要なのだといえるでしょう。
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2008年06月27日

自分の限界を知る者こそ、自由な者である。

『自分の限界を知る者こそ、自由な者である。
 自分を自由だと妄想する者は、
 その妄想のしもべである。』
    フランツ・グリルパルツァー

 自由とは何なのか、
自由な者とは、どんなものなのか、
その答えのひとつを示した言葉といえるかもしれません。
自分の限界を知ることは、
無謀さを回避することでもあります。
勇気と無謀は違いますから。
でも、自分の限界を知った上で、
それを越えるべく努力し、歩んでいくことも
人が成長し飛躍するためには、必要だと言われます。
自分が自由なのか、
それとも自由と思いこんでいるだけなのか、
それは、自由とは何かということに対する
考え方の違いから、異なってしまうかもしれません。
また、自由という妄想にとりつかれていて
実際には、自由ではなく、束縛されているのに
気がつかないでいるだけかもしれません。
自分の限界、いろんな面での限界を知ることは、
リスクを最小限としながら、最大の効果を得るために
全力を尽くすことのできる状況に自分が
あることを意味しているのかもしれません。

 あなたは、自分の限界を知っていますか?
posted by 清水の伏竜. at 04:16| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

他人の行為を云々しようとするまえに、

『他人の行為を云々しようとするまえに、
 まず自分自身をきびしい規範にてらしてみるべきだ。』
   ジャン・バティスト・モリエール

 他人を批評するよりも、まずは自分のことを
振り返ってみることが大切だということです。
これは、自分が不満に感じていること、
羨ましいと感じていること、
悔しいと感じていること、
辛いと感じていること、
それら全てについて、他者や周辺のことをどうこう言わずに
自分自身はどうなのか、自分自身の内側に立ち返って
考えてみることが、必要であるということでしょう。
自分のことを知るということ、
自分が、どう変わらなければならないのかを
見いだすことは、状況を打開するためには、
とても大切なことだといえます。
 しかしながら、自分で自分のことを知るのは
ひとりでは難しいことであったりします。
どうしても、自分への甘さが出てしまうでしょうし
自分では気付けないようなところが出てきてしまいます。
 自分を変えるためには、やはり信頼できる他人の力が
不可欠だといえるでしょう。
その様な出会いの機会を、創り出すことが
自己変革のための、第一歩と言えるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 02:51| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月25日

自分によくわからないものを賞賛するのは正しくない。

『自分によくわからないものを賞賛するのは正しくない。
 だが、それを非難するのはもっとまちがっている。』
   レオナルド・ダ・ヴィンチ

 盲目的に、何かを賞賛したり、非難したりすることが
いかに愚かな行為であり、間違っているのかを、
ダヴィンチも言っていたということです。
 何かを賞賛するのであれば、自分自身が、それのどこが
素晴らしいのか、何が賞賛に値するのかを理解している
べきであり、何となく賞賛するのは、失礼なことであったり
するかもしれません。
 どんな小さなことでもよいから、賞賛理由を問われたら
きちんと自分の感想や意見を言えなければダメだと
いえるでしょう。
 また、自分には理解できないからといって、
それだからダメだとか、間違っているとか、
非難するのは、その行為自体が間違いであり、
罪であるといるでしょう。
非難するのであれば、しっかりとした理由を答えられる
ようでなければ、すべきではないでしょう。
 大衆のことを馬鹿にするようなときに、
何もわからずに、みんなと同じことをして、
安心しているといったことが言われたりします。
みんなと同じであっても、違っていても、
そこには、自分としての判断と、その基準を
しっかりともっておくことが重要だといるでしょう。
 情報社会の今、メディアの流す情報も全てが正しいとは
限りません、憶測や噂、捏造といったものも流れています。
しっかりと、自分で情報を判断する力が、
市民には求められているのだといえるでしょう。
賞賛するにも、非難するにも、まず自分の意見あっての上で
行うことが大切だということですね。
posted by 清水の伏竜. at 04:07| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月24日

愚かにも自己愛にひたる者は、

『愚かにも自己愛にひたる者は、
 英知に迫ることはできないものだ。』
   アウグスティヌス

 自己愛にひたってしまうことは、
自分以外のものに、関心も、視点も向かわなくなって
しまうことであり、自分の外側に関心が向かないのでは
英知に触れる可能性は、なくなっていくし、
当然、迫ることなど出来ないでしょう。
 自分を愛することは、大切なことです。
自分を愛し、信じれないものが、
他人を愛し、信じることなどあり得ないでしょう。
あったとしても偽りか仮初めのものでしかないでしょう。
永く続く愛や信頼は、自分を愛し信頼できることが
前提で成り立つものだといえるかもしれません。
しかし、自己愛も、行き過ぎてしまって、
他にまったく向かなくなってしまったり、
陶酔し、極度なナルシストになってしまっては、
自分の世界に閉じこもって出てこれなくなります。
浸り込むことは、危険であると言えるかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 04:55| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

恐怖は逃げれば二倍になるが

『恐怖は逃げれば二倍になるが 立ち向かえば半分になる。』
     川北義則

 恐怖、誰もが、何かに感じることがあるもの。
どんなもの、どんなことに、恐怖を感じるのかは、
人それぞれに異なっていたりするものなのかもしれません。
そこから逃げ出そうと、もがくほど、
逃げだそうと、焦るほど、恐怖は大きくなり、
決してなくなることなどない。
ただ、恐れずに、立ち向かっていくことで、
それを乗り越えることができるかもしれない。
立ち向かっていくとき、ひとりでは厳しいかもしれないが
共に戦ってくれる人が、そばにいれば、
きっと、立ち向かっていくこともできるだろうし、
乗り越えることが出来る可能性も大きくなっていくでしょう。
そんな、一緒に歩んでくれる人が
いるか否かが、人生を大きく変えるもので
あったりするのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 04:55| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月22日

人間、年をとることは自然なので、

『人間、年をとることは自然なので、
 それが「老人問題」だと騒がれるのは
 よくよく世の中がゆがんでいるからなのです。』
    住井 すゑ

 誰もが、生まれ、老い、死の扉を開く運命には、
逆らえません。最近は、アンチエイジングの美容や医療が
話題になっていますが、それも限界があるのは事実です。
自然に、元気で、年をとって、
コロリと大往生することが出来るような
人生が増えていくことが望まれているのだとも
いえるかもしれません。
 老人問題と騒ぐのは、年をとった人への社会の
接し方を、日本が忘れてしまったからなのだと感じます。
生涯現役といった生き方や、隠居で楽しくといった
生き方が、ごく自然に受け入れられていた時代が
日本にもあったのですから、ちょっと意識を変えれば
老人問題など、無いことに気付けるのかもしれません。
 問題は、介護などの医療問題と、就労などの労働問題で
あるものを老人問題として特別な感じの問題にして
しっかりとした対応をさけている政府や経営者の意識の
問題が、大きいのだといえるでしょう。
 就職や転職で、性別、年齢、学歴での採用差別を
撤廃すべきとの法があっても実体は守られることのない
社会となっている日本において、老人問題は
まさに社会のゆがみのひとつといえるのかもしれません。
終身雇用制度の崩壊、年功序列の崩壊は、
本当に日本社会に必要であったのか、
多くの歪みと悲劇を生みだしている成果主義が
本当に良い制度なのか、海外で成功しているケースが
あるからといって安易にまねすることが
決して良い結果を生むのではないという意識を
もって、もっと日本文化や日本社会、日本人の特性を
考えた上で、何が良いのかを検討していくべきだと
言えるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 05:15| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月21日

努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。

『努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る。』
     井上靖

 希望を語る人もいれば、
不満を語る人もいます。
それぞれ、どんな人なのかと、問われたなら、
どう答えるでしょう。
そんな答えのひとつが、この言葉といえるのでしょう。
 希望を語る人は、希望を信じて、
希望に向かって歩んでいる人でしょう。
そんな人は、努力も惜しまない人であることでしょう。
不満を語る人は、現状にとにかく反発し、
嫌気がさしているのかもしれません。
また、自分では何もしていない人であったり
怠けている人であるのかもしれません。
 たしかに、努力する人が希望を語るのと、
怠けている人が希望を語るのを聞いたときには、
怠けている人の語る希望が、不満に聞こえてきて
しまうかもしれませんね。
 人は、体調にも心の調子にも波があります。
時には不満を言いたくなってしまうこともあるでしょう。
怠けていたくなる時もあるでしょう。
でも、そんな状態を継続することなく、
気分をかえて、前向きに歩んでいくことが
希望や夢に近づくことなのだといえると思います。
しかし、ひとりでは厳しいことも多いです。
仲間や友や恋人や、愛する人、愛してくれる人が
側にいれば、きっと困難を乗り越えるのも
不満を昇華するのも、ずっと簡単になることでしょう。
そんな人との出会いこそが、
人生における大いなる宝なのだと思います。
 希望を語る人、そんな人でいたいものですね。
 
posted by 清水の伏竜. at 08:22| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月20日

未来を予想する、最も良い方法は

200806182150000.jpg
『未来を予想する、
 最も良い方法は
 未来を創り出すことだ』
    長妻昭

 日本の政治が、世界で如何に例外的なものになっているのか
戦後の政界の流れが、今の日本の政治の状況を創り出してきたと
いえるでしょう。国民が選ぶ国会議員が国民ではなく行政官僚の
言うことを信じて、その利権を分け合うようなことがあったり
公務員の本来の責務である国民への奉仕の意識が無くなって
税金が国民から預かった貴重なお金であり1円たりとも
無駄にできないものという意識がなくなって、
自己の欲望を満たすために利用しているという実態が
出来てしまったことは、国民にも責任の一端はあるといえるでしょう。
それは、国民が選挙で政権交代を行わせなかったことが
もっとも大きな要因になっているということです。
 日本の未来に、多くの人が不安を抱いています。
未来が見えないために、自暴自棄となり、
自ら死を選択したり、他人を巻き込んで事件を起こしたり
異常な状態が社会で起こっていることに対して、
どうそれを変えていくのか、
政治を変える、特に霞ヶ関を変えるためには、
とにかく、政権交代をさせることしか、もう選択の余地はないようです。
好き嫌い以前の問題として、とにかく政権交代させて
官僚に危機感を持たせないと、官僚による税金の無駄遣いが
無くなることはないでしょう。
次の総選挙における国民の判断が、日本の未来に大きな影響を
及ぼすことは間違いなさそうです。
現状のまま官僚に税金を好き勝手使われて、そのツケを税金で
もっと支払い、されに公的サービスは削減させられてもよい
そんな選択をするなら政権交代なしであり、
それがイヤであるなら、政権交代を選択するしかないでしょう。
 未来を予想することにおいて、
もっとも確実なのは、未来を自ら創り出すべく行動すること
自分の望む未来に向けて出来ることを今行うことであると
いう言葉には、まさに未来は今の延長上にあり、
そして未来は、自己責任の結果であるということだと
言えるのではないでしょうか。
 とにかく、日本の未来を希望あるものにするためには、
政権交代は必須です。ダメであれば、その次ぎの選挙で、
また政権交代させればよいのですから。
変化しないことのリスクの方がいかに大きいのかを
もっと国民は知ることが必要とされているといえるでしょう。
特に、若い世代は、自らの投票権で、政権交代を実現させるべく
投票にいって欲しいと感じます。
遅くとも来年には、総選挙があるのですから。
posted by 清水の伏竜. at 12:47| 静岡 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月19日

人生は「節」があるからいい。

『人生は「節」があるからいい。
 悩む中から、何かを勉強してつかみとって行く。
 そこに人間的な成長もある。』
    宇野收

 節、それは、成長がゆっくりとなって、
堅くなったもの。人生の節は、前進することなく
停滞している時期といえるのかもしれません。
節をつくることで、強くなるということもあります。
その意味では、節をつくるような体験は、
その人を強くしていくともいえるでしょう。
そのから成長していくこともあります。
大きな成功を成した人の多くは、
まさに人生の節となるような経験がある方が
多いです。
しかも、その節が、普通の節ではありません。
まさに、普通に体験できないような節であったりします。
だからこそ、大きく飛躍出来たのだと
いるように感じられます。
 節なく、普通に生きていると、やはり強くならず
大きく飛躍もできないような気がします。
もちろん生まれたときから、大金持ちという人もいます。
しかし、多くの人はそうではないのが現実です。
人生を生きていくなかで、
どんな幸せをつかむことができるのか、
どんな人生に幸せを感じることができるのか
それは、人それぞれであって、
同じということはないでしょう。
その意味では、他人のマネでは、幸せになることは
出来ないのかもしれません。
 悩むなかで、それを乗り越えることで
訪れる成長が、どんな価値をもたらすのか
それは、その後の生き方次第ともいえるような気がします。
posted by 清水の伏竜. at 21:58| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月16日

死もまたわれわれの人生の課題の一つだ。

『死もまたわれわれの人生の課題の一つだ。
 その課題を与えられたら、
 それをもまたりっぱに果たすことで満足せよ。』
      マルクス・アウレリウス

 人が逝く、人生において、最後の課題。
それをいかにりっぱに果たすことが、
人生を満足に締めることになるのかもしれません。
ただ、死の扉は、誰が開くのでもなく、
もちろん自らひらくべきものでもないということも
はっきりしているのではないでしょうか。
 殺すことが悪いことだ。ということに対して、
反対だという人は少ないでしょう。
世の真理とは、実は身近なところにあったり
するのかもしれません。
どんな人に問いかけても、同じ答えしか
かえってこないことこそが、真理にもっとも近いこと
そういえるのではないでしょうか。
だとしたら、人は、いかに多くの人が共通の認識に
あることを当たり前のこととして出来る社会を
どう築いていくのかということに、
それぞれの立場から、さまざまなアプローチで
取り組んでいくことが、必要なのだと
いえるでしょう。そして、そうすることが、
人生の最後の課題をりっぱに果たすことに
繋がっていくのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 02:17| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月15日

仕事を道楽にせよ

『仕事を道楽にせよ』
     〜鹿島守之助の遺訓 その20〜

 仕事をすることって、
人生において、どんな意味をもっているのか、
不思議なことに、成人したら仕事をすることに
ついて、誰もがあたりまえのように思っています。
さて、いつからそんなふうになったのでしょう。
でも、仕事をするということは、
昔は、衣食住の糧を得るということで
あったのかなという気がします。
キリスト教の中には、生まれたときに、
職業が決まっているという考え方もあったりします。
最近は、ニートやフリーターの増加が
社会問題になっていたりします。
また、労災も、過労死、過労うつ、過労自殺が
増えていたりします。
仕事が、生きるために仕方なくするものに
なってしまっているからなのかもしれません。
仕事が、人生をより豊かに生きるためであり、
充実した日々をおくるためのもので
あるようにしていくためには、
仕事を道楽とするくらいのことが
必要なのだといえるのでしょう。
また、そんなふうに仕事が出来れば、
仕事の効率も、質も、自然に高まっていくことに
なるのかもしれませんね。

 あなたにとって、仕事とは何ですか?

この問いに対して、どんな答えを返せるでしょう。
その答えのなかに、人生への今の価値観が、
反映されているのかもしれませんね。
でも、あらたまって聞かれたとき、
なかなかすんなりと答え難い質問でも
あるような気がします。
仕事とは道楽です。そう答えられる人って
どのくらいいらっしゃるのでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 09:52| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月14日

ムダを見つける目を開け

『ムダを見つける目を開け』
     〜鹿島守之助の遺訓 その19〜

 何かをしているとき、何かをみているとき、
サービス、製品、現場、仕事、・・・・
そんな中にあるムダ、
それに気づくことで、
新しい発見や改良、改善、改造へのステップを
歩み始めるきっかけになるかもしれません。
 そんな、可能性を秘めたものとして
ムダを発見し、見出す目をもつことは、
とても大切なことだといえるでしょう。
 でも、世の中には、必要なムダもあったりします。
ムダのあることでうまれる余裕や、
心の充足感というものが、時には必要であったり
するのではないでしょうか。
何でもムダを排除することが、
果たして良いのか、そんなことも考えることが
出来る心の広さも、ムダを見つける目と共に
必要であるような気がします。
posted by 清水の伏竜. at 14:16| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人を怨まず突進せよ

『人を怨まず突進せよ』
     〜鹿島守之助の遺訓 その18〜

 人を怨むことは、何も生み出しません。
マイナスの効果しかないといえるでしょう。
それよりも、突進していくこと、
怨みの心をぶち抜いて、先に進むことそが
大切なのだといえるのでしょう。
恨み、怨み、妬みなどは、停滞と後退しか
生み出さないものです。
前進や進歩は、そこにはありません。
そんなことでは、企業も人生も社会も
良くはならないといえるでしょう。
そんな負の想いや気持ちは昇華して
消してしまった方が良いといえます。
そして、先に進んでいくこと、
突進していくことが、必要だということですね。
posted by 清水の伏竜. at 14:11| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

欠陥は改良せよ

『欠陥は改良せよ』
     〜鹿島守之助の遺訓 その17〜

 何か、欠陥があれば、それは必ず改良して、
問題をなくすことにより、より進化したものに
していくことが、大切だということですね。
まず、欠陥を隠すことなどは、問題外な行為です。
しかし、最近は、そんな行為を当たり前のように
行っている経営者がいます。
理由は、儲けるため。何か、間違っているといえるでしょう。
単に、欠陥を対処するとか、直すだけなら、
あたりまえのことです。
そこから、もっと良いものにしていくことが、
進歩することになり、欠陥をチャンスにすることで
飛躍できる可能性を生み出すことになるのでしょう。
欠陥をよく考えることで、新しい発見が
あったりするかもしれません。
より、前向きに対応していくことが、大切なのだと
いえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 14:10| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月13日

イエス・マンに取り巻かるるなかれ

『イエス・マンに取り巻かるるなかれ』
     〜鹿島守之助の遺訓 その16〜

 力を持つと、まわりのものは、どうしても
遠慮してしまうようになってしまいます。
特に、権力を与えられた立場にいるものに
その権力に従うものは、逆らいにくいものです。
 どんなに、本音で語って欲しいといっても
何を言ってもマイナス評価しないからと
いっても、いざとなれば出来る立場にいるものが
それを振るわれる側のものに、言う言葉に
信じられるものなどないのが現実です。
人と人との強い絆があれば、別でしょうが
仕事上で、そんな関係は希であり、
殆どあり得ないでしょう。
 イエス・マンを集めるのは簡単です。
しかし、そうでない者は、得難い存在です。
だからこそ、そんな人材を人財として
本音で付き合っておかないと、
イエス・マンになってしまうかもしれません。
恫喝的な指導や助言、叱咤は、恐怖の拘束を
従属を創り出すだけだといえるでしょう。
でも、そうでない態度で、部下と
接することのできる人は少ないです。
だから、企業の中では、心を病む人が
後を絶たないのだといえるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 03:13| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

一人よがりは事を損ず

『一人よがりは事を損ず』
     〜鹿島守之助の遺訓 その15〜

 人は、富や権力を得ると、なぜか他人の言葉が
聞こえなくなっていくようです。
特に、弱者の声は、耳にできなくなるようです。
自分こそが偉い、自分こそが一番であり、
自分が法律だと思いこんで疑うことを
忘れてしまうのかもしれません。
善を成すものは、どんな人の言葉にも
耳を傾けることが出来るものです。
ひとり自分だけの世界に閉じこもっては、
成功することも、うまくいかなくなり、
損してしまうことも多くなるでしょう。
でも、そのこと自体に気がつかなくなっている
かもしれません。一部の官僚や政治家も
そうなってしまっているようです。
経営者にも、そんな方がいるようです。
そうなってしまわないように、
常に感謝と謙虚さを失わないように
していきたいものだと思います。
posted by 清水の伏竜. at 03:12| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月12日

新しい考え、新しい方法の採用を怠るな

『新しい考え、新しい方法の採用を怠るな』
     〜鹿島守之助の遺訓 その14〜

 日進月歩で、いろんなものが変化していきます。
一次産業、二次産業、三次産業、それぞれに
新しいビジネスモデルや手法、技術、ノウハウが
生まれてきます。
 新しいものが出てくるということは、
必ずそこに、これまでとは違ったメリットや
違った視点があるといえるでしょう。
従来の方法で、安定しているから問題ないというのでは
進歩はありません。
また、従来の方法は、陳腐化していくもので
あったりもします。
知らない間に、置いてきぼりにならないように、
新しい考え、新しい方法に、目を向けておくことや
機会をとらえて試してみることは、
会社の新陳代謝を活性化するためにも
必要なことであるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:09| 静岡 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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