2007年12月31日

灰の時

『人の一生には
 ”焔の時”と”灰の時”があり、
 ”灰の時”は何をやってもうまくいかない。
 そんな時には何もやらぬのが一番いい。
 ところが小心者に限って何かをやらかして
 失敗する。』
   勝海舟

この言葉は、人の生きている時のなかには、
休むべきときもあるということを
語ってくれているようにおもいます。
今が、自分にとって、どんな時であるのか
それをしっかりと認識できる人が、
時をつかみ、チャンスをものにして
何かを成し遂げることが出来ているのかも
しれません。
そうであるなら、自分にとっての今は
どんな時なのかを、知りたいと
誰もが思うことでしょう。
それは、わかる人には、わかるのかも
しれません。

でも、わからないとしたら、
やはり、誰かに相談することが
ひとつの助言となるのかなとおもいます。
よき助言を得られたら幸いですね。
posted by 清水の伏竜. at 07:51| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月30日

ガメラの敵にはなりたくないよね

『ガメラの敵にはなりたくないよね』
   映画「ガメラ2 レギオン襲来」より

 レギオンを倒したガメラ。
映画の最後に、ヒロインが言う台詞が、
この言葉です。
 ガメラが守ったのは、人間ではなく地球。
地球の生態系を壊すものレギオンを
ガメラは許さなかったのだと。
 人々が、自然を破壊し、生態系を壊すのなら
ガメラは人を許さないかもしれない。
そんなことにならないようにという
想いからの言葉です。

 地球の環境は、人類の手によって
破壊されてきています。
このままでは、ガメラの敵になって
しまうかもしれません。

 地球温暖化をはじめとして、
生態系を狂わすような過剰な保護や、
その逆の乱獲、森林伐採や埋め立てなど
人間も自然の循環のなかのひとつの要素である
そのことを忘れずに、漁や猟を行い、
田畑で食物を刈るといった行為を
行っていくことが必要なのかなと感じます。

posted by 清水の伏竜. at 02:41| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月29日

セルフ・エスティーム

『セルフ・エスティーム(self-esteem)』

 自己重要感。自己有能感。自負心。
自尊感情。自己重要。自尊心。

 エスティームは、ラテン語では「評価する」という意味だそうです。
尊重する、尊敬する、重んずるといった意味合いであり、
それに、自分、自己のセルフがついた言葉ですね。

 自尊心といえば、悪い方向にいくと
傲慢や、自惚れ、驕りなどになっていくとも言われます。
いわゆるプライドが高いといった感じですね。
それとは異なる意味で、肯定的な表現として用いられるもの
ということです。

 自分を好きになれない、
自分を尊敬できない、
そんな想いを抱いていると、
やはり他人も好きになれなかったり、
尊敬できなくなってしまうように感じます。
自分を愛せない人が、他人を愛せないように。

 何事も前向きに歩んでいくためには、
自分のことを好きになることが重要なのだと思います。
自尊心を持てるかどうかは、
その人が、成長できるかどうか、
飛躍できるかどうかとも深く関わってくるものであると
いえるようです。

 子どもたちばかりでなく、
大人にもいえることだといえるでしょう。
ただ、子どものときに自尊心を持てないと
大人になってからも持てないという事が多いと
いえそうです。
また、大人になってから自尊心を持ち直すのは
子どものときよりもずっと大変なことであると
いえるでしょう。
 子どもの教育において、
子どもに自信を与えること、自尊心を持たせることが
その子に、将来への可能性を広げてあげることに
大きく繋がっているといえそうです。

 どのくらいの強さで、自分に自信をもてるのか
それが、成功への可能性を左右していると
いえるのかもしれません。
もちろん過信であってはいけませんし、
単なるプライドであってもいけません。

 よくプライドが高いから出来ないのでしょうと
いう人がいますが、それは過信という意味で
いっているのだと思います。
しかし、実際には、自信がない不安だから
出来ないという方が、多いのではないでしょうか、
だから、プライドが高いから出来ないのだと
言われた人は、その言葉に違和感を感じ、
そんなことないのになと思い悩むことに
なってしまうのだといえるでしょう。
 過信なのか、自信不足なのかを、
見極めて助言してあげないと、相手を成功へと
導くことは出来ないように思います。
それが出来ないケースが、上司と部下の関係では
まだまだ多いのではないでしょうか。
誤った注意や助言は、結局、本人を追いつめていき
うつ病などへと誘ってしまっていることに
なるでしょう。
 これからの時代、管理職には、心のケアのできる
スキルが求められているといえます。
その様な素養がない人を管理職に就ける場合には
それほフォローアップできる人をいっしょに
置くことが必要なのだと思います。
posted by 清水の伏竜. at 00:29| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月28日

アントレプレナー診断

「アントレプレナー診断」

 アタッカーズ・ビジネススクールが提供している
アントレプレナー診断をしてみました。
http://www.attackers-school.com/worry/index.html

 アントレプレナーの意味合いも、
当初いわれていたときとは、また異なるものを
含むようになってきたといえそうです。

アントレプレナー 【entrepreneur】
起業家。企業家。変革者。企業家精神の持ち主。
産業構造の変革を担うベンチャー企業の実践者。
危険や災難に立ち向かいながら命をかけて
事業を成し遂げる果敢な商売人。
従来の伝統的な技術や教育に頼らず、
リスクをも恐れずに、自分で新しい事業を興して始める人。

老齢社会となり、人口減少化、少子化の進む日本。
巨額の負債を抱えながら、巨額の資産をプールしていて、
GDPも、今や世界のトップを争うようなレベルではなく
世界20位クラスまで落ちていこうとしている。
食糧自給率も低く、自殺者の数が交通事故死者の3倍、
格差が貧富の差となっていっている。
そんな日本において、必要とされる経済人のあり方として
アントレプレナーシップは、重要なものに
なってきているといえそうです。
そして、その中でも、
ソーシャル・アントレプレナー(Social Entrepreneur)。
社会起業家。社会的企業家。
ソーシャル・イノベーション(Social Innovation)を起こす人。
が求められているといえそうです。
また、そんな価値観で働くことが求められる時代に
なっているともいえるでしょう。

さて、診断の結果はというと、以下の通りでした。

あなたの診断結果:彷徨える旅人
あなたのポイント:
 マーケティング能力=5.5 P
 計数感覚=6.0 P
 戦略思考=10.0 P
 コミュニケーション=5.5 P
 ビジョンメイキング=6.0 P
 構想力=7.0 P
 総合ポイント=40.0 P
強み:戦略思考
弱み:なし
診断結果についてのフィードバック:
 あなたは、考えることが好きで、
 物事の本質を冷静に見抜く力が備わっていると思います。
 しかし、一方であなたのやり遂げたいことが、
 ぼやけているいるようにも見受けられます。
 そのため、ご自身の能力を存分に発揮できていないばかりか、
 どんなスキルを身に付けるべきかも
 定まっていないのではないでしょうか?
 目的目標がなければ、
 成長エンジンはフル回転しているとはいえません。
 まずは、あなたの輝かしい未来のために、
 強い思いを持つことが大切だと思います。
 その上で、あたなが身に付けている高い価値を認識し、
 その強みをのばすことで、
 あなたオリジナルの価値を作り上げる事が
 可能になると思います。


いや〜、診断結果は、おもわずやっぱりって
思ってしまうものでした。
私は、昔から、知情意の中では、知の人間であると
いわれてきました。
そして、知の次は、情の人だと、
意がもっとも足りない部分ということも含めて、
そんな自分の特性からくる課題、今の悩みを
つかれたという感じです。
posted by 清水の伏竜. at 03:08| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月27日

こんな小さな人間でも、

『こんな小さな人間でも、
 やろうという意志さえあれば、
 どんなことでもやれるということを信じるのだ。』
            ゴーリキー

 何かをしたい、何かをしよう、
そう思ったとき、やはり必要なのは、
意志の力ということでしょうか。
 どんなに小さい存在であっても
強い意志をもっていれば、
どんなことでも可能になる。
それを信じることができるかどうかと
それを信じ続けることができるかどうかで
可能性は大きく変化していく。

 信じることは、簡単なようで難しいことです。

 イエスをキリストと信じることができた人は
イエスが教えを説いている当時には、
非常に少ない人たちであったわけです。

 物事を成し遂げる人は、意志の力と
信じる力を持っているといえるでしょう。
その力の弱い人にとっては、
納得は出来ても、理解できても、
実行できないものであったりします。

 成功した人は、簡単なことだと仰います。
でも、成功できな人にとっては、
その簡単は、ものすごい絶壁のようなものであり
鋼鉄の壁のようなものであったりします。
ぶち当たるのが怖いという気持ちがわき上がって
無意識に回避してしまう。
そんな事が多いといえるでしょう。

 でも、一人では難しいことであっても
一緒に歩む仲間がいれば、可能になることが
あったりします。
一人で歩んでいくのが辛くても、
愛する人が共にいてくれれば歩んでいけることがあります。
そこが、人間の強さなのかもしれません。

 ひとりぼっちの厳しさは、
死の扉を開けることを時として選択させてしまいます。
ひとりでないことの安心感が、
人に勇気を与えてくれるのかもしれません。

 コミュニティの大切さが言われています。
それは、人が人として生きていく上で、
可能性を広げるためにも、苦難を乗り越えるためにも
必要なものであるからなのではないでしょうか。

 信じる力を強めていくために・・・・
posted by 清水の伏竜. at 17:44| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月26日

Small Is Beautiful

『Small Is Beautiful』
    E.F.シュマッハー
    齋藤志郎訳「人間復興の経
済」新訂


 小さいことは美しい。
20世紀の拡大主義、成長至上主義は、もはや限界に
きていることは、誰もが感じているのではないでしょうか。
人口は減少に転じ、老齢社会となった日本が向かうべき未来は
どんな姿であるべきなのか。
もっと真剣に政府も国会も考えて欲しいと感じます。
「美しい国、日本」では、あまりに抽象的では
ありましたから。
 日本が向かうべき社会は、
結局のところは、持続的社会、循環型社会しか
ないといえるようです。
 そのためには、どんな改革が必要なのか、
生活者主権、地方主権へ向かっていくことが
やはり必要なのでしょう。
「地産地消」も、持続的社会のための必要なシステムですし、
コミュニティ中心の介護、育児を行える環境も、必要なものです。
政府や国は、そんな環境を国内に創り出すための仕組みを
行政レベルから行っていくために改革を進めていくことが
必要だといえるでしょう。
小さな政府は当然のことであり、
思い切って、10年国家公務員を新規採用しないといったことを
してしまってもよいかもしれません。
今ある国家公務員を必要なところに移動させていくことで
有効的に小さな行政に移行できるのではないかと思います。
10年後には、国家公務員は中途採用すればよいのです。
新卒である必要はないでしょう。国の為に奉仕する精神を
もった人であればよいのですから。
その一方で、市民レベルからの改革も必要でしょう。
主体的市民への変化が求められているといえます。
社会起業家の時代になっていくなかで、
地域のコミュニティが、循環型の小さな社会を構成していく
それが横に繋がりをもっていく、
そんなフラットな政治、経済システムをもった国に
変革していくことで、日本は、先進的な、安心で、
幸せな生活を営むことのできる社会、国家へと
進んでいけるような気がします。

posted by 清水の伏竜. at 21:11| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

百姓昭明、協和萬邦

『百姓昭明、協和萬邦』
   「書経尭典」より

四書五経のひとつ書経尭典の一節。
国民の平和および世界各国の共存繁栄を願うという意味で、
漢学者吉田増蔵により、元号「昭和」の由来となった
一節ということです。

元号については、
その利用に反対という意見をもった人も多いですが、
グレゴリオ歴との併用という今のかたちが、
日本の独自性を表す意味でも、
個人的にはよいのではないのかなと思っています。

日本が、グレゴリオ歴を導入した理由が、
日本の太陰暦では、13ヶ月になることがあり、
月給を1ヶ月余分に支給したくなかったからという
こともあったようです。
生活に密着していた太陰暦をいきなり太陽暦に
かえてしまった理由としては、
ある意味合理的ですが、非文化的で即物的であったの
かなって印象でしょうか。

大正15年(グレゴリオ歴1926年)
12月25日、大正天皇が崩御なされて、
皇太子裕仁親王(昭和天皇)が、即位することになり、
時代は、昭和に移りました。
当時、東京日日新聞による光文事件というのが
あったそうです(『新元号は光文』との誤報事件)。
昭和は、1989年1月7日に、昭和天皇が崩御するまで、
続きます。昭和64年生まれは、7日間の短い期間で
生まれた人になりますね。
皇太子明仁親王(今上天皇)が、即位されて、
元号を改める政令(昭和64年1月7日政令第1号)が公布され、
翌1月8日施行となり、平成に改元、平成元年となったわけです。
平成も、20年を迎えます。
再来年の21年には、昭和生まれ最後と、平成生まれ最初の
成人式が行われることになるのですね。
一つの時代の節目となるような感じを受けたりします。
posted by 清水の伏竜. at 01:37| 静岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月24日

やりたいこと、今はまだ、

『やりたいこと、今はまだ、
 みえなくても、でも
 だから勉強する。』
     梶原空
     アニメ「スケッチブック」
     http://www.sketch-full.net/index.html
     第九話「ナニかの為に」より

空が、自宅で勉強中に、
空をみあげて言った言葉です。

期末テストを前に、
勉強が進まないと悩む少女たち、
先輩たちに勉強法を質問するけれど・・・。
そして、先輩に、勉強する理由を尋ねたら・・・。

アニメの物語のなかで、
勉強することについて、
ちょっと考えてみてといった内容のなかで、
ヒロインが、気づいたことは、
子供たちが勉強する理由の答えのひとつで
あったといえるでしょう。

ほのぼの学園ストーリー
こんなアニメも日本のアニメの良さのひとつだと
思います。
そして、原作も、日本の文化のひとつといえる
コミック文化の作品です。

原作:「スケッチブック」 小箱とたん
 月刊コミックブレイド連載中


この作品は、やすらぎと元気を与えてくれるような
作品を手がけてきた皆さんによって
つくられています。


監督: 平池芳正
 「SoltyRei」
 「カレイドスター 新たなる翼」(監督)
 「ARIA The NATURAL」(脚本・絵コンテ・演出)
シリーズ構成・脚本: 岡田麿里
 「砂沙美☆魔法少女クラブ」
 「護くんに女神の祝福を!」(シリーズ構成・脚本)
 「ARIA The NATURAL」(脚本)
キャラクターデザイン: 杉本 功
 「灼眼のシャナ」「ゼロの使い魔」「R.O.D-THE TV-」(作画監督)
監修: 佐藤順一
 「カレイドスター」「カレイドスター 新たなる翼」(監督)
 「ふしぎ星の☆ふたご姫」(総監督)
 「ARIA The ANIMATION」「ARIA The NATURAL」(監督)
アニメーション制作: ハルフィルムメーカー
オープニングアーティスト:清浦夏実
エンディングアーティスト:牧野由依
劇中音楽:村松健
posted by 清水の伏竜. at 17:43| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月23日

徳を以て人に勝つ者は栄え、

『徳を以て人に勝つ者は栄え、
 力を以て人に勝つ者は亡ぶ。』
       「源平盛衰記」より

 力では、結局は、本質的なことを
変えていくことは出来ないのかもしれません。
力、それは武力であったり、権力であったり、
経済力であったり、広報力であったり、
いろんなかたちのものであるでしょう。
力押しで、物事を解決しようとしたとき
そこには、どうしても矛盾が生じてしまう。
その結果、その力によって、失敗してしまう。
そんなことなのかもしれません。
何かを成し遂げるためには、
力も必要なのかもしれませんが、
それは手段の一部でしかなく、
本質でも、目的でもないということを
忘れてはならないのでしょう。
ちからにおぼれてしまわないように、
方向性を見失わないように、
進んでいくためには、やはり最も大切なことは
心の中にあり、人としての徳にあると
いうことになるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 23:52| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月22日

企業で一番こわいのは社長の無知です。

『企業で一番こわいのは社長の無知です。
 人は年齢と言いますが、
 問題は持っている知恵が古くなることです。
 そうすると、過去がどんなにえらかった経営者でも、
 会社を潰すことになります。』
       本田宗一郎

 企業の命運は、結局、社長が握っているのです。
だからこそ、社長には大きな責任と義務があり、
大きな権限をもっていて、それに見合う報酬を
与えられているわけです。
企業をよく存続させていくにあたっては、
よりどん欲にいろんなことを学び吸収していくことが
求められているのだといえるでしょう。
 そのためには、必要なことは何でもすると
いった気持ちと、常に謙虚である心が、
大切になってくるのかなと感じます。
 本田氏は、時間があれば、現場にいって
自分の五感で、今の技術や仕事を知るように
していたときいています。
やはり、現場主義というのが、上に立つものほど
重要になってくるのかもしれませんね。
伝聞情報では得られない気づきがそこには
あるのだと思います。
 企業に求められる役割も時代の流れのなかで
変化してきているように思います。
これまでは、売り上げと利益を伸ばすことだけが
注目されて評価されてきましたが、
もう右肩上がりの時代は終焉しています。
そんな時代に求まられることは、
ただ儲けることではなく、CSRであり、
CS、ESの向上をいかに成していくのかと
いったことになっているといえるでしょう。
社会的な評価のものさしも、
変える必要が出てきているのだと思います。
そんな時代の変化についていく知恵が
常に経営者には求められているのだと
言えるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 08:37| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月21日

菜の花プロジェクトは未来へのプレゼントです

『菜の花プロジェクトは未来へのプレゼントです』
           藤井絢子

 環境問題が、地球規模で深刻な状態になったと
いわれています。
20世紀の初頭には、考えられなかった事態が
地球を、世界を襲っています。
 そんな中で、各国政府は、なかなか明確なビジョンを
示すことができずに、時間だけが経過していっています。
上からの対策は必ず必要です。
しかし、それを待っているだけでは、
もうダメなところまできているようです。
では、何ができるのか。
 そんな市民からの問いへのひとつの答えが、
この言葉です。

 日本で、環境に配慮した循環型システムが、
育っていたのです。
 ”菜の花プロジェクト”
このプロジェクトに関するお話を、
藤井絢子氏より聞くことのできる機会がありました。
その場で、藤井さんの残した言葉が、

”菜の花プロジェクトは未来へのプレゼントです”

でした。
そうです。私たちは、今を生きていますが、
今の問題は、そのまま未来の問題になっているのです。
地球温暖化がこのまま進むとどうなるのかは、
多くの科学者が公表している通りです。
子どもたち、孫たち、曾孫たちのために、
今、するべきことは何なのか、
出来ることは何なのか、
その回答のひとつが示されています。

 藤井絢子 編著『菜の花
エコ革命』




このプロジェクトの良いところは、
各地域の山の再生や、休耕田の活用、そして、
エネルギー自給を推進していくことが出来るという点に
あるといえるでしょう。

「菜の花プロジェクトネットワーク」
http://www.nanohana.gr.jp

地域の休耕田などの活用や、山林の問題などを含めて
何か打開したいと思っている方には、よいモデルとなると
思います。ぜひ、のぞいてみては如何でしょうか。

さて、
最近、バイオマスエネルギーということで、
バイオエタノールが注目されていますが、
食べられるものを餓死している人たちを無視してエネルギーにしたり、
森林を伐採してまで、トウモロコシをつくるといったことは、
はっきりいって、環境に優しい取り組みとはいえないと
感じます。かえって、環境に悪いと言うべきではないでしょうか。
日本のメーカーが、バイオマスエネルギーのために、
東南アジアの国に、その国では食べない作物を植えています。
はっきり言って、酷いことだと思います。
利己的であり、現地の人たちの未来のこと、生活のこと、環境のことを
まったく配慮していない愚行であることに
はやく気付くべきではないのかなと感じます。
その国の土地にあっている食物であり、その土地の人たちと共に
循環しながらつかっていくことのできるものでなければ、
はっきりいって、その土地を略奪していると言われても
仕方がないような気がします。
日本の誤ったODAなども同様ですね。
自国のことは、自国でなんとかしていくことが、
未来には求められることでしょう。
そのとき、日本はどうなるでしょうか。
このままでは、非常に危機的な状況になるのは明白です。
食料自給率をせめて8割くらいまでは、持って行くことが必要でしょう。
その上で、海外からの援助(輸入)を考えていくべきであり、
コスト面で、目先の欲にかられた行動は、未来への負債にしかなりません。
政府も企業も商社も、そんな視点へと価値観の転換を
求められていることに、気付いて欲しいものだなと思います。
他国の人々の犠牲の上で、成り立っている国が、
平和を訴えても空しく響くだけでしょう。
また、国際的な地位を求めても認められることはないでしょう。
Win−Winでなければならない時代であるということを
より責任の大きな立場にいる人たちや、
富める人たちは、もっと真意に考えて言って欲しいと
願ってやみません。
posted by 清水の伏竜. at 21:27| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月20日

果ての二十日

「果ての二十日」

 12月20日、師走のこの日は、
「忌み日」とされてきたそうです。
外出することや仕事をすることなどをさけて、
おとなしくしている日という感じであったようです。
地方によっては、山に入っていくことを禁ずるといった日で
あったりもするようです。

 ”果ての二十日”

この言葉の響きには、なんとなく
神秘的な感じを受けます。
何か、詩や物語を語りたくなるような
そんな気持ちになってくるかのようです。

 日本の文化、慣習のなかには、
何か心に響くものがあるように思えるのは、
やはり自分が日本人だからなのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 17:55| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プロフェッショナル

『プロフェッショナル』

 この言葉について、最近いくつかの書籍が
出版されているようですね。

”プロ意識をもって仕事をしよう”

そんな言葉をよく聞くようになっています。
しかし、プロフェッショナルって、
何なのでしょうか?。
 多くの人が、
意外と、わかっているようで、わかっていない
そんな感じがします。

NHKの番組に
「プロフェッショナル 仕事の流儀」
http://www.nhk.or.jp/professional/
というのがあります。
その番組では、各分野で、その道のプロと言われる人に
その仕事における挑戦、体験、そして自分の仕事への
こだわりや、生き方などをたずねて語ってもらうと
いった内容になっています。
様々な分野の一流と言われる皆さんが、
どんな姿勢と気持ち、自分の流儀で、
仕事に取り組んでいるのか、
その一端を垣間見ることができる番組です。

プロフェッショナルとの比較で使われる言葉に
アマチュアというものがあります。
その差は何という問いかけに対して、
”お金を稼げるか否かの差”という事を
言われる方がいますが、それって、本質的なことなのかなと
感じることがあります。
お金を儲けなくても、稼げなくても、
プロである人っているのではないのでしょうか。
技術力や能力の差ということもあります、
しかし、アマチュアでも高い技術力、優れた能力を
もった人はいるように思います。

なんとなく、思いめぐらしていて、
私が、感じたことは、

プロは、Win-Winを目指す人であり、
アマは、Winで満足な人である。

これが、大きな違いであり、本質的な差ではないのかなと
いうことでした。
プロフェッショナルであれば、その仕事を通じて、
自分も満足し、お客さんも満足させることが出来なければ
だめだということです。
アマチュアであれば、自分さえ満足できればそれで良いわけです。
この違いが、もっとも重要で、根本的な
プロとアマの差であるように思います。
お金儲けは、単なる結果でしかないと感じます。
能力や技術は、プロセスでしかないのかもしれません。

マザーテレサという素晴らしい女性がいらっしゃいました。
彼女の仕事は、お金は儲からないし、
特別な技術が必要でもないものでした。
でも、彼女が行ったことは、プロフェッショナルな仕事で
あったように感じます。
彼女自身は、プロでもないしアマでもないというでしょうけど、
もし、外からみて、彼女は、プロかアマかと問われたら
プロであり、しかも超一流であると答えるでしょう。

今、貨幣経済は、心を失い、地球を破局へと導いているかのようです。
お金はもともと、物々交換を、便利に行うための信用に基づいた道具で
しかなかったはずなのに、今は、お金そのものが何かの価値を
もっているかのような動きをしていて、
人々を翻弄しているような気がします。
金融が重要だといわれるようになってしまったことが、
人類を不幸にしてしまったのかもしれません。
ものを生み出さない、ゼロサムゲームが富を産む、おかしな話しです。
実は、その世界には、プロはいないのかもしれません。
誰もが自分さえWinならよいという感じを受けることがあります。
(もちろん、実際には、そんなことはないでしょう)

Win-Winを作り出し、
そのものが本質的に価値を持つものを生み出すこと
より優れたプロフェッショナルな仕事を、
していけるようになりたいものだなと思います。
posted by 清水の伏竜. at 17:52| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

サイレント・マジョリティ

『サイレント・マジョリティ』

 サイレント・マジョリティ(Silent Majority)
この言葉は、
「物言わぬ多数派」即ち、積極的な発言行為をしないが
大多数である勢力のこと。
を意味しているそうです。
 1969年に当時のアメリカ大統領であった
ニクソンが演説で用いたことで、
「発言はしないが現体制を支持している多数派」
といった意味合いで使用されることもあるようです。

 いわゆる意見を言わない市民ということを指して
使われるようです。
選挙にも行かないし、ネットでも発言しない。
ネットで発言しても、それはあくまで自己主張のみで、
政府のパブリックコメント等、直接伝えられる場所では
意見を言うことはない。
そんな市民、国民のことを、指して言うようです。
 それでは、何を政府や行政が行っても、
文句は言えないといったことになってしまいます。
 民主主義は、誰もが自分の意見や主張を、発言できるのが
良いところであり、それがあることによって、
より多くの人たちの意見が行政の中に、
反映されていき、改善が進んでいくというもので
あるわけです。
 日本で、市民が政府に明確にアピールしたのは、
60年安保闘争が最後であったののかもしれません。
その後の高度成長時代のなかで、とにかく成長していけば
よいといった風潮が世の中を支配していって、
国や県、市町村の舵取りは、首長や議会、公務員に
お任せしておけばよいといった感じになって
いってしまったのかなと・・・・。
その結果として、莫大な負債を抱えていってしまい、
行政の無駄、公務員の給与高騰などを含めた
今の課題と言われるものが出来上がってしまったとも
いえるのかもしれません。
 平成となり、21世紀となって、
そろそろ市民が、物言う時代になっていかないと
日本の未来は、明るいものになっていかない
そんな感じがあるように思われます。
しかし、長い間、慣らされてきたものが
直ぐに変化するのは難しいものです。
でも、少しずつでも、変わっていくことが必要なのだと
いえるでしょう。
 それぞれの立場で、環境で、生活圏で、
公的な視点をもって、何かをする。
それは、人それぞれに異なるものだと思います。
もの言う市民に向けて、
また、子どもたちが、もの言う市民となるように
意識を変えていくことが、必要なのだといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 17:40| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月18日

カウンセリング

『カウンセリング』


 心の悩みが、多くなっているといいます。
そんな時代にあって、悩みを相談するということへの
ニーズが、多くなり、また多様化してきているともいえるでしょう。

”カウンセリング”という言葉があります。

この言葉は、まさに人の心を聞き取り、悩み毎を解決へと
誘うための手法であるわけです。
その基本は、コミュニケーションにあります。
いわゆる会話の力です。
最近は、コミュニケーションが大切であるという事が
いろんなところで言われています。
そして、様々なセミナーや教材が世に溢れてきています。
いったいどれを選べばよいのかと悩まれる人も
いらっしゃるかもしれませんね。

 今、世の中に出ている殆ど全てのコミュニケーションに係わるものは
広義でみれば、「カウンセリング」のなかのひとつであると
いえるようです。
「カウンセリング」のもっている様々な手法や技術を、
教材として切り出し、目的を限定したりして、まとめていったものが
「ティーチング」「コーチング」「メンタリング」などであると
言ってしまえるみたいです。
もっと視野を広げてみれば、
「占い」「スピリチアル」といったものも、
「カウンセリング」の一形態であるといえるかもしれません。
どんな、場面や目的で、カウンセリングを使いたいのかで、
どのようなコーチング、メンタリング、カウンセリング、などを
学べばよいのか、または、その手法の専門家に相談すればよいのかが
変わってくるといえるのかもしれません。
 世の中には、いろんなセミナーや手法が提示されています。
ただ、それらの根本的なものは、皆同じであるといえるでしょう。
コミュニケーションの中で、相手の心を知り、悩みの本質を捉え、
それを解きほぐし、解決の方向性を見いだして、誘っていく。
そこにあたって、会話の力を利用するというわけです。
まさに、カウンセリングといえるでしょう。
そして、その相手を知るための情報として、
生年月日や体質、体型、血液型、遺伝子、姓名、などの情報そのものや
その情報から導き出される情報などを利用しているといえます。
どんな情報をどのように利用するのかの部分が、
いろんな手法によって異なり、それぞれのノウハウであるといえるでしょう。
占い、バイオリズム、性格診断、EQ、IQ、などなど・・・
人のもつ深層部分や、固有の基礎情報を、導き出して、
その人の個性や感性、適性のベースを読み解き、
それに適した方向へと、導くことで、悩みや問題を解決しやすくしていく
そういったものであるわけです。
 どの手法が間違いで、どの手法が正しいとか、より正確だとかといった
比較評価は、はっきりいって無意味です。
それぞれに、正しいといってもよいでしょう。
基本は、人と人の関係なのですから。
即ち、カウンセリングの力がベースとなっていて、
それを補強するための道具が、それぞれの視点や蓄積から築かれている。
その差だけであるいえるでしょう。
もちろん、補強する情報の精度を、どこまで信じるかは、
それを学ぶ人や、それにもとづいた相談を受ける人の心しだいです。

 素敵な出逢いに導かれることが、
もっとも幸せに近づけることなのかなと感じます。
posted by 清水の伏竜. at 23:04| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月17日

この人生は、どんなにつらくとも生きるに値する。

『この人生は、どんなにつらくとも生きるに値する。
 そのためには三つのことが必要だ。
 それは、勇気と、希望と、いくらかのお金だ。』
      チャップリン

20世紀の喜劇王の言葉を、
最近、また想いだすようなことがありました。
人生を歩むために必要なもの。
勇気と希望と、ちょっとお金。
勇気とは、やはり、自分の性質や能力にあった仕事や
生活を行っていくために、何かを変えていくときに
必要なものですね。
決断するとき、行動するとき、やはり勇気が必要です。
人は、どうしても危険を嫌いますし、
安心したいという思いがありますから、
保守的になってしまいます。
そこから、一歩出ようとしようとするときには、
やはり勇気が必要です。
人生には、夢がないと味気ないものになってしまいます。
また目標がないと、なかなか前向きに生きていけません。
そんな一歩先をみつめるとき、
やはり、その目指すものに、近づけるというおもい
出来るという思いがないと、進んでいけません。
それは希望をもっていなければ、難しいことだと
いえるでしょう。
そして、今の社会は、悲しいかな、生活していくためには
お金が必要な場合が、多いです。
衣食住の最低限なものがないと、やはり希望もみえなくなるし
行動もしにくくなります。
そのためには、お金は必要になってしまいます。
ただ、お金は、人生の目的になってしまうと
人生の彩りは、かすんでいってしまうような気がします。
手段として、道具として、必要な分だけあればよい
そんなものであるような気はします。
ただ、その必要な分を得るのも大変になっていたりします。
そこに歪みが生まれ、人生から希望を奪っていくのかも
しれません。
生きるためのお金を得るために働く、
そのために、希望もなくなり、
生きていく夢を見失っていってしまう。
そんなことにならないように願いたいものですが・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 08:03| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月16日

失敗の最たるものは、

『失敗の最たるものは、
 失敗したことを自覚しないことである。』
     カーライル

失敗から学ぶものは、多い。
失敗学という言葉もあるように、
昔から、失敗から何かを学びとり、
新たな発見や発明が生まれたりすることも
あったりしました。
また、失敗からより高い品質のものを
創り出すきっかけが生まれたり、
顧客サービスの向上に繋がったり
していきます。
でも、そういった展開も、
失敗を自覚すること、
失敗を正確に把握して、
分析することがなければ、
はじまることはありません。
失敗したことは、時にしかたのないことで
あったりします。
しかし、同じ失敗を繰り返すことは、
良いことではありません。
また、一度目の失敗が許されることが
あっても、二度目は許されないことが
多いです。それが同じ失敗であるなら
なおさらです。
同じ失敗を繰り返さないためにも、
失敗を知ることは重要です。
失敗を自覚しないこと、
失敗を認めず、分析もせずに放置してしまうこと
それは、失敗を繰り返し危険を残し、
せっかくの機会を失うことにも
なりかねないことになります。
この言葉は、まさに、失敗の失敗が、
どんなことに由来するものなのかを
指摘しているともいえるでしょう。
時に失敗を自覚できないこともあるかも
しれません。他人に失敗を指摘されたことを
素直に認められないこともあるかもしれません。
しかし、自分では気づかないことも、
他の人から指摘されることもあるでしょう。
それを素直に認めることが出来る心が、
大切だということなのかもしれませんね。
また、失敗を責めるのではなく、
許す心も大切であるといえるでしょう。
自覚し反省していることが重要なのは
当然のこととしてですが。
posted by 清水の伏竜. at 08:35| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月15日

『KY』

『KY』

今年の流行語のひとつに、
”KY”というのがあります。

”空気よめない”を、かたかなにして、
その頭文字で、KY。
この言葉って、日本的だなって、
何となく思ってしまいました。
若者たちの中にも、日本人の遺伝子が、
脈打っているということでしょうか・・・。

日本には、文字がありませんでした。
そこで、漢字を輸入して、読み方をかえて
使うことにしたわけです。
音読み、訓読みが、日本の漢字には出来たわけです。
それでも、表現しにくい部分があって、
表意文字でなく、表音文字の片仮名をつくりました。
片仮名で、文字表現を補ったのです。
やがて、書の文化のなかで、文字も芸術面を
もっていきます。
そんななか、貴族の女性たちは、文字表現に不満を
感じたのか、もっと優しく描きたいと思ったのか、
平仮名を創り出します。
やがて、日本では、基礎学力として、
ひとつの言葉が、広く使われるようになります。
”読み書きそろばん”です。
最低限の教育、教養として、広く浸透していくことに
なります。日本の教育の基本は、そこにあるのだと
思いますし、その基本を大事にする姿勢は、今も必要な
ことだといえるでしょう。
明治に入り、アルファベットがはいってくると、
ローマ字表現も、使うようになっていきます。
外来語も、多様化していきます。
日本語表現にない言葉は、ローマ字読みを片仮名にして
使うようにしていくことになります。
そんな、文字の扱いや、表現の仕方の流れのなかに、
”KY”もあるといえるのではないでしょうか。

日本語には、季語という言葉があります。
四季を感じ、自然と共に歩んできた、日本文化の心が
その言葉のなかには、あるように思います。
言葉は、その国の文化や伝統、思想などを
示しているものであるともいわれます。
どのような事やもの、考え方の表現や名詞が多いのかは、
その地域が、どんな事やものが多く、
どんな考え方や生活が中心なのかを、示していると
いうことです。
日本語の良さは、自然との関わりのなかの表現の多様性に
あるのかもしれません。
環境問題、自然問題に、日本が重要な役割を
果たすことは、言葉の文化からも、必然といえるかも
しれませんね・・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 09:13| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月14日

『偽』

『偽』

12月12日の漢字の日に、
今年の漢字が、京都の清水寺の奥の院の舞台で、
例年の通りに、森貫主の揮毫により
発表されました。
昨年は、”命”でしたが、
今年は、

  ”偽”

ということでした。

偽装事件が、多くニュースとなった年でしたが、
それは、メディアの取り上げかたによるものも
大きかったような気がします。
誘導された印象が、強く残っているのかなと
感じることもあったりします。
ニュースも偽であったりするのかもしれません。
年金、汚職、情報漏洩、情報操作、偽装、・・・・
過ちを犯した人が、その責めを負うのは
しかたのないことですが、
それを何とかしようと頑張っている人の
足を引っ張る人が多いのには、
何か視点が間違っているような気がします。
暗い世相がここ10年続いています。
私の人生も、何となく、空しい時のなかに
埋もれながらもがいていた期間で
あったように感じます。
何か良いことが、あるように、
願ってやみません。
posted by 清水の伏竜. at 01:21| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月13日

金持ちが神の国に入るよりも、

『金持ちが神の国に入るよりも、
 ラクダが針の穴を通る方が
 まだやさしい』
    新約聖書

 人生の価値は、物ではきまらない。
生きた歩みのなかにこそ、その価値の尊さが
あるということをあらわした言葉の
ひとつという感じでしょうか。
 物を得ることは、得た分だけの
責任を負うということだといえるでしょう。
だから、その責任を果たしていなかったなら、
その人生は、無価値なものと
いえるのかもしれません。
 神の国への扉は、心の豊かさと、
輝きによって開かれるのであって、
物の多さではないということですね。
使わない金ほど、無価値なものはない。
そういうことなのかもしれませんね。

 あなたは、神の国へ入ることが
できますか?。

 そんな問いに、笑顔で答えられる
そんな人生でありたいものだと思います。
posted by 清水の伏竜. at 03:27| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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