2007年11月30日

だんごとひとでの物語

だんごとひとでの物語

  ちょっぴりセンチメンタルな、
 SF学園ファンタジー。

 それは、だんご大家族の好きな女の子と
  海星の好きな女の子が、
   ほわ〜んと、
    ぽわーんとする物語。
 2人の少女の出会いは、
  ひとりの少年が架け橋に

 その出会いは、突然で、
  その想いは、純粋で、
   恋い未満の好き。

 大好きなお姉さんが、
  幸せになることを願って
   木彫りの海星を一生懸命に創って
 想いをこめて、出会う人にプレゼントする。

 木彫りの海星に込められた想い
  忘れられていく少女
   そして・・・・

 病床で眠り続ける少女の想いは・・・

 SFの素敵な物語を、観てみませんか・・・


posted by 清水の伏竜. at 02:44| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月29日

女の涙は、必ずしもいま口にしている事を

『女の涙は、必ずしもいま口にしている事を
 理由としてながれているのではない。』
     伊藤整

女性の涙については、
いろんな言葉で、語られたりしています。
そんな言葉のひとつです。
女性の涙は、とても強い力をもっています。
でも、その涙が、どんな意味をもっているのかは
その女性の心の中次第というわけです。
果たして、この言葉は、
どこまで、真実なのでしょう。
男性からは、なかなかわからない部分でも
あったりします。
ただ、女性の涙には、やはり心をうたれて
しまいます。
やはり、女性の涙には、男性は弱いものであったり
するのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 07:26| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月28日

男は自分の知っていることを語り、

『男は自分の知っていることを語り、
 女は相手に喜ばれることを話す。』
     ルソー

人間には、2つの種類があるといったことが
よくいわれてきました。
その2つの代表的なものが、
性別の差であったりします。
男と女の差に関しては、
様々な言葉が残されています。
その言葉については、いろんな意見が
あったりします。
ジェンダーの問題は、
様々な捉え方や考え方が時代の流れのなかで
出てきているような気がします。
何を語るのか、その語るないようが、
どこからくるのかの本質に関する
性別の差を、この言葉は語っています。
これは、別な言葉では、男が知、女が情に
由来するということに近いものなのかなと
いう気がします。
しかし、この言葉、必ずしも正しいとは
限りません。
全体としての傾向を語る言葉は、
個々の個性を語るときには、
あまり役にたたないことが多かったりもしますから・・・。
さて、この言葉、性による差の本質を
とらえていると感じられるでしょうか・・・。
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2007年11月27日

数車無車

『数車無車』
    老子

 車はそれぞれの部品が集まって
車を成している。
だが、その部品のひとつひとつを
丁寧に調べてみても、車と称すべきものがない。

 ”車数えて、車無し”

 物事を分解してみて、それを詳しくしらべても
その全体を表すようなものはみえてはこない。
人の一部分をみても、その人を理解はできないもの
部分をみることも必要かもしれないけれど
部分部分の繋がりからなる全体をみてみないと
その全体を表すものはみえてこないものなのかも
しれません。
 分析した結果が、すべてではないということ
ともいえるでしょう。
部分と全体、そして、関係性のなかでみえてくる
包括的な捉え方も、大切なものといえるのでしょう。
 何かを評価するということや、
何かを知るということなどは、
その構成要素を知るだけでなく、
全体としてとらえてみることもまた必要という
ことなのだと思います。
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2007年11月26日

和魂洋才

『和魂洋才』

 魂は、和。才能は、洋。
そんなことが、明治維新以後、開国した日本では
標榜されていたそうです。
戦後、魂は、和ではなくなってしまったのかも
しれませんね。
 魂=たましひ。和語では、
「たまにする力、まとまる力」という意味を
もっているそうです。
日本人は、和を尊び、心と身体もいったいのものとして
考えていた民族であったわけです。
また、生と死においても
「生が死に和する、死が生に和する」という生命観が
あったといいます。
日本人は、日本人が、ながい歴史のなかで、
自然と調和しながら、生活し、文化を育んできた
良い面を、戦後の教育のなかで、
見失ってしまったのかもしれません。
21世紀は、そんな見失った日本人の心を
取り戻すための時代なのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 23:24| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月25日

腑に落ちる

「腑に落ちる」

日本語には、和のこころが通っていると
いわれています。

”腑に落ちる”

この言葉の意味をきく機会がありました。
腑とは五臓六腑の腑ですが、
臓は、中も詰まっている心臓や肝臓などを指し
腑は、中が空洞になっている器官を指すそうです。
中が空洞になっている器官の空洞に
何かが落ちてくる。
そして、その空洞におさまったときに
しっくりくる。
そんな気持ちになること。
だから、腑に落ちる。
腑に落ちないと、気持ち悪くなるのは、
腑の中に落ちたとき外に吐き出したくなる
ようなものだからということです。
心の気持ちを、身体の感覚とつなげて
表現する。和のこころが、言葉のなかに
紡ぎ込まれている。
昔から、心と身体は、密接な関係にあることを
日本人は、感覚で知っていたのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 21:12| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月24日

苦痛・ねたみ・幸福

アンブローズ・ビアス著の「悪魔の辞典」では。
苦痛。ねたみ。幸福は、次の様に定義されています。

「苦痛[名詞]・・・友人の繁栄に曝されることによって罹る病気」
「ねたみ[名詞]・・・能なしが好んで抱くタイプの対向意識」
「幸福[名詞]・・・他人の哀れな境遇を静観するうちに込み上げてくる、
  気持ちのよい感覚」

悪魔の辞典は、いってみれば、あまのじゃくな辞典の
ようなものですが、別の視点でみた社会の現状を
風刺しているともいえるでしょう。
人は、ひとりでは生きてはいけないといいます。
必ず他人との間の関係性をもって、生きていくことになります。
その他人との関係性において、
さまざまな感情を持ち、心を揺り動かされるわけですし
良いストレスや悪いストレスを受けたりもし、
感動ややすらぎを得たりもするわけです。
苦痛やねたみは、昇華してしまった方がよい感覚であり感情です。
苦痛については、病気や怪我など身体的な問題から
くるものもありますが、最近の日本では、精神的なものの方が
多くなっていて、大きくなっているといえるでしょう。
それ故に、メンタルヘルスの重要さが増してきているわけです。
ねたみも心の苦痛がもたらすものであるとも言えるかもしれません。
人は、誰でも幸福でありたいと願い、
幸福になりたいと思うものです。
でも、幸福とは、自分よりも不幸な人たちをみて感じるものでは
ないはずです。自分自身の生き方、日々の生活のなかで
愛を感じることであり、希望を感じることであり、
充実感を感じることではないでしょうか。
幸福のものさしは、自分自身の中にしかないのだと思います。
決して物質的な条件からくるものではなく、
精神的な部分が大きいものであると感じます。
もちろん衣食住について一定のレベルの生活が営めることは
重要な要素ではあると思います。
ただ、物質面、金銭面で、一定レベル以上になっていっても
幸福は得られるとは限らないものであるでしょう。
お金があって、他人からみれば裕福な人が
自殺してしまうことがあったりします。
それは、お金や裕福さが、人を必ず幸福にするわけではない
そんなことを示しているといえるでしょう。
一回切りの人生です。
それだからこそ、大切にしていかなければならないものです。
でも、なかなか、それが出来ないでいたりします。
ひとりでいるとなおさら難しいことが多いです。
幸せの青い鳥は、身近にあって遠きもの、
それを手にできるかどうかは、
やはり、自分の生き方次第ということなのかも
しれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 15:13| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月23日

正しいことを言うときは

『正しいことを言うときは
    少しひかえめにするほうがいい』

『 祝婚歌 』吉野弘 より
http://www7.ocn.ne.jp/~evha/mypage/life/life033.html

 言葉の伝える心、そんなものを感じる詩が、
祝婚歌のなかにはあります。
そんな詩のなかの一節です。
相手に投げかける言葉において、
正しいからといって、何を言ってもよいものではない
どんな事を伝えるときも、相手の気持ち、
聞く側の気持ちを考えて、言葉を選んで話したいものだと
感じさせてくれる一節だと思います。
夫婦の絆を素敵なものにするために、
会話のありかたにも、愛と優しさが大切なのだと
いえるでしょう。
そして、それは、夫婦や親子の関係だけでなく、
友人、知人、上司と部下、講演など、
さまざまな会話のなかで、
さまざまな言葉の投げかけのなかで、
人として、大切にしていきたいことでは
ないでしょうか。
コミュニケーションの大切さがいわれています。
仕事でも、ホウレンソウが大事だといわれています。
では、その中身はどうでしょう。
相手を傷つけてしまっていないでしょうか、
パワハラやセクハラやいじめやいびりに
なってしまっていないでしょうか、
ちょっと余裕とゆとりをもって、
言葉を紡ぐことが、優しさに繋がっていく
そんな気がしてなりません。
posted by 清水の伏竜. at 04:46| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月22日

夫婦再生の5つの宝物

夫婦再生の5つの宝物

『夫婦再生の5つの宝物
 1.豊かな言葉
 2.生活を分かち合うこと
 3.辛い時そばにいる
 4.「誰が悪かったか」ではなく、
  「何がわるかったか」を考える
 5.自己への尊敬 』
       本岡典子

 年金分割制度が施行されました。
一部のメディアでは、離婚が増加するのでは
という話しもありましたが、
そんなに増加したわけでもないようです。
施行後、適用は4000事例くらいということらしいです。
7割が女性からの申し出で、3割は男性からの申し出という
ことのようです。
でも、そんなことにならずに、夫婦が仲良く
老後を暮らしていくなかで、子供や孫が遊びにくる
そんな暖かい家庭の情景が、数多くみられるのが
よいことのように思います。
定年後に、夫婦がより良く生活していくために
何が大切なのか、そのポイントを示した言葉です。
特に、30代において、夫婦の絆を、しっかりと
したものにしておくことが、大切ということのようですね。

1.豊かな言葉
・やはり、ほんのちょっとしたことにも、言葉をかけることが
 大切ということです。ありがとう。その言葉ひとつが、
 心を通じ合うもとになるものということです。
 食事の用意や、掃除や洗濯などの家事に対しても
 夫、妻が、してくれたことに感謝の言葉とちょっとかける
 その積み重ねが大切なことなのだそうです。
 これは、夫婦だけでなく、親子においても同様なことが
 いえるように思います。助かったありがとう。
 いつも苦労かけるね、感謝します。愛しているよ。
 ちょっとした時に、躊躇せずに気持ちを言葉に出して伝えること
 それが、絆を確かめることになっていくのですね。

2.生活を分かち合うこと
・家事や育児、教育など、家庭の中の作業も、仕事をもっていても
 何か分担して、行うようにしていくことが、
 家のなかでの存在価値を生み出していくことになるというのです。
 家のなかで、必要な存在であるということが、
 お互いに、感謝の気持ちも持ちやすいし、いて欲しいと
 思えるようになるひとつのきっかけでもあるということです。

3.辛い時そばにいる
・病気のとき、両親や親族の死のとき、出産のとき、
 そんなときは、必ず側にいてくれる。そして、支えてくれる。
 それがとても大切なことだというわけです。
 子供が病気をしたとき、仕事を調整し駆けつけてくれたら
 その行為だけで、愛を感じることになるのではないでしょうか。
 言葉で表現するのが苦手であっても、行動で示すことが
 出来るのであれば、それも絆を確かめあうことになるのです。

4.「誰が悪かったか」ではなく、
 「何がわるかったか」を考える
・相手が浮気をしていた、それは、相手が悪いのだと言ってしまえば
 それまでです。互いの貶しあいにしかなりません。
 浮気をしてしまうような状況になってしまったのは何なのか
 何が悪かったからそうなってしまったのか、そんな方向に考えて
 いくことが、大切だということです。
 子供が万引きをして補導されてしまった、子供が悪い、妻が悪い、
 夫が悪いではなく、何が原因で子供は万引きをしてしまったのか、
 そこに向かって考えていくことが大切だというのです。
 悪者を決めるのではなく、原因を探ることが大切ということですね。
 そこから、どうしていけばよいのかを考えていくことで
 絆を再構築させていけるのだというのです。

5.自己への尊敬
・何か起こったとき、自分を責めるのではなく、
 自分は精一杯やったのだから仕方がないと思って、
 自分を責めずに、自分の努力を認めてあげることが大切だということです。
 疲れて家事が出来なかったからといって、それは仕方のないこと
 そう納得してしまうことが大切だというわけです。
 出来ることを出来るときにやっていく、
 それで出来なければ、あとでやればいい、
 そんな心の余裕が、大切だということですね。
posted by 清水の伏竜. at 19:57| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月21日

美女は、はるか昔から、

『美女は、はるか昔から、
 少し愚かでもよいという特権を持っている。』
     ハーン夫人

女性が、女性のことを語った言葉も、
いくつもありますが、
男性にはわからない感性の部分もあるような気がします。
この言葉は、男性の女性に対する態度のことを
風刺しているともとれるのかもしれませんね。
でも、確かに、美女が、少し愚かなことをしても
愛嬌があるとか、可愛いとか思われることが
多いようには思います。
でも、それも人それぞれという感じもあるという
気がします。
美女の基準が、人それぞれに異なっていたり
時代によって異なっていたりしますから。
自分に自信を持つことが、
まず大切であるのだといえるのかもしれませんね。
賢い女性は、女性の特権も上手に使って
立ち回るものですから。
posted by 清水の伏竜. at 22:38| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月20日

大人たちは子どものうちに大人をもとめ、

『大人たちは子どものうちに大人をもとめ、
 大人になる前に子どもがどういうものであるかを考えない。』
        「エミール(序)」より

 子供を大人扱いするということは、
確かに必要なときもあります。
ひとりの人間として、その人格を尊重することは
大切なことです。
しかし、子供が、大人と同じように判断し、行動できると
考えていては、大きな過ちを犯してしまうでしょう。
子供の教育での間違いのひとつに、
自主性を重んじるというものがあります。
それは、自主性を育むとは、まったく異なるものです。
自主性を育むことと、自主性を重んじることを間違えてしまうと
子供たちを追い込むことになってしまうでしょう。
ゆとりの時間の使い方などは、特に注意が必要であったはずです。
また、小さいときには、とにかく学ぶことが大切であるという
ことも忘れてはいけないでしょう。
自主的に学ぶのではなく、いろんなことを教えてもらって学ぶのが
子供のころに出来ることなのですから、
自分で考えなさいと言う言葉をつかって、
子供から逃げる大人がいます。
それは、無責任な行動だと言わざる得ないでしょう。
自分で考えられるように導くことと、
自分で考えろと突き放すことは、大きな違いです。
ほんのちょっとのスタンスの差で、
子供への教育は、大きな差になっていってしまいます。
九九の算や、書き取りの反復は、子供にとっては
とても大切な学びであるということです。
基礎は、反復が大切であるのは、大人でもかわりません。
子供であればなおさらです。
自分が、子供であったころ、どんな接し方がうれしかったのかを
思い出せない大人にはなりたくないものですね。
posted by 清水の伏竜. at 21:55| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月19日

我ときて遊べや親のない雀

『我ときて遊べや親のない雀』
       小林一茶

 日本の俳諧で、大きな足跡を残した俳人のひとり
小林一茶は、11月19日が命日ということで、
一茶忌とよばれます。
信濃に生まれ、65歳で没するまで、
俳諧集「おらが春」をはじめ、
2万句以上を詠んだというから、凄いです。
この句は、そんな句のなかのひとつで、
有名なものですね。
 この句をきいて何を感じるのかは、
人それぞれ自由であってよいと思います。
よく句の解釈についての本がありますが、
それは、いってみればその著者の解釈でしかありません。
詠んだ句については、その句から感じるものは
詠んだ人の人生や思想、感情の状態などによって
様々に変わっていくものであると思います。
 丁度、今月は児童虐待防止の運動の月です。
孤児を暖かく迎えてあげたいという気持ちを
感じる人もいてよいのではないでしょうか。
 芸術作品、文芸作品について、
よく、自分の解釈を他人に押しつける人がいますが
それは誤った行為だといえるでしょう。
自分の解釈や、自分が感じたものは、
自分だけのものであって、共有できる人もいるし
出来ない人もいるのはあたりまえだということです。
だからこそ、芸術作品、文芸作品は、多くの人に
愛されるものであるといえるのでしょうから。
多くのひとが共通に感じるものもあるのは確かです。
でも、その人しか感じられないものもあるのも
間違いない事実であると思います。
 自分の解釈に何かいわれても、気にすることは
ありません。その解釈や感じたものは、
その人にとっての事実であり、感動であるのですから。
多くの芸術や文芸に触れることで、
いろんな感動や印象を得て、感性を育んでいきたい
そんな気がします。
posted by 清水の伏竜. at 23:39| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月18日

女の口からでる”いいえ”は否定ではない。

『女の口からでる”いいえ”は否定ではない。』
     シドニー

女性に関しての言葉は、
本当に数多く残されています。
代表的なもののひとつが、この言葉ではないでしょうか。
よく、引用されることばですが、
さて、この言葉は真実をついているのか?
おそらく、ケースバイケースなのでしょうね。
でも、男も同じときが、あるような気がしますけどね。
やはり、女性の方が、神秘性があるので、
このような言葉が、
多く残されているのかなとも感じます。
歴史の多くは、女性がつくってきたといった方が
真実であると思いますから・・・。
ただ、否定ではない、”いいえ”を感じられない
鈍感な男が多いものです、たぶん私も
そのなかのひとりでしょう・・・。
posted by 清水の伏竜. at 16:35| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月17日

男は自分の思想を打ちあけるために

『男は自分の思想を打ちあけるために男の胸を求め、
 自分の感情を打ちあけるために女の胸を求める。』
     マルモン

男女についての言葉は、
本当にいろいろ残されています。
やはり、人の社会で、男女の関係ほど、
多様であり、大切であり、不思議なものなので
あるということかもしれません。
この言葉は、男性からみた同性と異性との関係の
違いについて、求めるものという視点から
語られたものですね。
男同士の会話は、お互いの思想についてに
なっていくのに対して、
女性に対しては、感情に関することを
うち明けたくなるというわけです。
思い当たることは、あるでしょうか。
ちょっと、なるほどなと感じるところも
あったりしますね。
ただ、どんな関係の同性なのか、
異性なのかで、求めるものは、
変化していくというのが実状では
ないでしょうか。
相手に求めるものの違いは、
その相手との関係の違いが大きく影響して
くるもののように思います。
社会が複雑になり、人間関係も多様化しているなかで
人と人との本来の絆のあり方が
いま、見直してみるべき時代に
なっているのかもしれません。
心の時代へ、向かっていけるかどうか、
それが人類の幸福にも重要な要素になって
いるのではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 09:54| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

得意平然 失意泰然

『得意平然 失意泰然』
      貝ノ瀬滋

人生には、良いこともあれば、悪いこともあるもの
ひとつやふたつの失敗があっても、
くよくよなどせずに、落ち着いていることが
大切であるし、
ひとつやふたつ成功したからといって、
うかれてしまってはいけない。
どんな時にも冷静である自分が、
どこかにあって、きちんとした判断が出来るように
心構えをしておくことが大切であるし、
そのなかで、努力をしていけば、
必ず自分の目指すところに到達することが
出来るときがくるものであるということを、
自らの学校改革の取り組みや人生の経験を通して
語ってくれたのが、
三鷹市の教育長をしていらっしゃる
貝ノ瀬氏でした。
地域社会と学校の関係が、崩壊していったのは、
時代背景なども無関係ではなく、
今、失った地域社会と学校とのかかわりを
取りもどしていくことが、
子供たちの教育にとって、とても大切なことだと
再認識されてきています。
”コミニティ・スクール”
この取り組みを、三鷹市立第四小学校で、
貝ノ瀬校長先生が、始めた当時は、
いろんな障壁があり、それを一歩一歩打ち破っていった
すえに、今のコミニティ・スクールが存在していると
いうことです。
日本の各地域においても、誰か、その地域の人、
校長先生などが、リーダとなって、
コミニティ・スクールとしての学校の復権を
果たしていくことが、日本の未来に向けて
大切なことなのだなと思います。
posted by 清水の伏竜. at 22:19| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月15日

芸術でも技術でも、いい仕事をするには、

『芸術でも技術でも、いい仕事をするには、
 女のことがわかっていないとダメなんじゃないかな。』
     本田宗一郎

世界のHonda、その創業者の言葉のなかに、
女性に関して語ったものもあり、
そんな言葉のひとつです。
社会における様々なことにおいて、
女性の重要さが、認識されてきているとも
いえるのかなと思います。
それでも、まだまだ女性が働く場合には、
問題が残された企業が多いのが、
実体ではあるようです。
マーケティングでも、製品開発でも、
デザイン創作でも、女性を意識しないでは、
当たるものは出来ないというのは、
今や当然のことのようになっているのでは
ないでしょうか。
日本は、老齢社会、少子化時代になっていて
女性の重要性は、ますます大きくなって
来ています。
もともと、日本の文化や歴史は、女性によって
つくられてきたといった面も多いわけですから
女性が、住み良い社会にしていくことは
ひとつのポイントではあるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:57| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月14日

人間が自分を自分から馬鹿だというのは、

『人間が自分を自分から馬鹿だというのは、
 自分に対する屈辱だし、また下らぬ自己逃避だ。』
     中村真一郎

自分のことが、許せない気持ちになることが
人にはあるものです。
また、他人と比較して、自分に情けなくなることも
あるものです。
そんなとき、どうしても自分は馬鹿だと
つぶやいてしまったり、
いってしまったりするものであると思います。
しかし、そんなふうに自分を卑下するのは、
前向きなことではないのだということを
この言葉はいっているのだといえるでしょう。
自分の弱さを慰めたくなり、
自己逃避したくなるようなことは、
今の社会においては、いろんな場面で
出てくるのだといえるでしょう。
でもそんなときに、出来るだけ前向きに
自分を卑下せずに、生きていくことが
大切でもあるのだといえます。
弱さを認めながらも、より自分のなかの価値を
見いだすように、自分を励ましていく、
自分に自信をもっていく、
そんな自己暗示をかけていくような
言葉をつぶやくように、
心がけていくことが、人生をより明るく
生きていくためには必要なのだといえるでしょう。
なかなか難しいことではありますが・・・。
ただ、お互いに励まし合い、認めあっていける人が
そばにいれば、そんなこともより
やっていきやすくなるのは間違いのない
事実です。そんな意味でも、人は
ひとりで生きていくのは大変なのだと
いえるのかもしれませんね。
愛する人、愛してくれる人が、
そばにいる人は幸せなことだと思います。

そんな人との出会いって・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 07:59| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月13日

人間は天使でもなければ、獣でもない。

『人間は天使でもなければ、獣でもない。
 だが不幸なことに、人間は天使のようにふるまおうと欲しながら、
 まるで獣のように行動する。』
     パスカル

 考える葦という人間は、
なかなか、自分の思う通りには、行動できないもの
ということなのかもしれません。
理性的でありたいと願いながらも、
本能のおもむくままに行動してしまう。
そんなこともあるのかなといったところでしょうか。
人は、ヒト科の生物でもあったりします。
動物の本能としては、食欲、性欲、睡眠欲が、
三大欲求だといわれますが、
人間は、この欲求を自分でコントロールできる
生き物であったりします。
断食、ダイエット、セックスレス、徹夜などは
人間特有な行動だといえるのかもしれません。
人の欲求には、その他に知的な欲求があります。
また幸福への欲求もあります。
この欲求が、人類の文化を育んできたと
言えるでしょう。
どこまで、本能を制御するのかは、
人それぞれの個性とも関わっているとも
いえるでしょう。

飽食の時代ともいわれるなか、
健康を考えるべきなのに、食欲に負ける現代人が
大勢いることが、コンビニの弁当にも出ているようです。
この調子だと、日本人の寿命は、今後は
のびても、不健康な老人が増えていくだけに
なるのかもしれません。
食の安全以外に、食の品質の向上と健康を
販売側も考えていって欲しいなという気もしますが
売れればあとはどうなってもよいという
考え方でいる社会のありかたそのものを
考え直す時代にきているようなきがしてなりません。
posted by 清水の伏竜. at 07:57| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

人間にもっとも多くの災いをもたらすのは人間である。

『人間にもっとも多くの災いをもたらすのは人間である。』
     プリニウス

 人災、この言葉は、世の中の多くの悲劇が、
もとを探っていくと、人の手による問題であるという
ケースが多いのは、確かなことなのかもしれません。
戦争、テロ、薬害、殺人、・・・・
いじめ、パワハラ、セクハラ、自殺、・・・・
人が人に災いをもたらすものばかりであったりします。
地球温暖化も、人のもたらしたものであり、
そのために起こっている異常気象からの災害は、
結局は、人によりもたらされたものだと
いえるでしょう。
 ただ、人に幸福をもたらすのもまた人であったりします。
人に、影響をあたえるのは、よくもわるくも人であり、
人は、ひとりで生きているわけではなく、
人同士の関わり合いのなかで生きているということでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:50| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月11日

人間は、他人のことには関心を持たない。

『人間は、他人のことには関心を持たない。
 ひたすら自分のことに関心を持っているのだ
 朝も、昼も、晩も。』
     D・カーネギー

 さて、この言葉、真実のようでもあり、
そんなことはないと言いたくもなるような
言葉ですね。
私は、自分の事よりも、愛する人のことを思っている。
そんな気持ちになるひとも多いのではないでしょうか。
ただ、愛する人のことを思うのも、
自分の事に繋がっているからとも
いえなくはありません。
まず、自分自身という存在があってこそ、
愛することもできるし、感謝することもできるし、
思い悩むことも出来るわけですから。
その意味では、人は、まず自分のことを
その存在が有り続けるためにも
考えている、関心をもっていることには、
間違いないともいえるでしょう。
しかし、それは、自己中心とか、自分勝手とは
違ったものであるべきものだとも言えるように思います。
愛する人、愛してくれる人以外は、
やはり、どこかで、さめている部分があったりして、
何かあったときに、助けてはくれないことの方が
多かったりします。
特に企業は、その傾向が強いといえるでしょう。
格差という存在や、ハラスメントという存在があるのも
やはり、ものとしての人という感覚があるためなのかなとも
感じられます。
上司は、自分の成績のために部下を選びたがるし、
部下は、自分の成長のために上司を選びたがるものです。
福祉ということは、二の次のケースの方が
多いでしょうし、人材であって人財でないことの方が
多いでしょう。
自分のことを考えた上で、企業が選べるのかといえば
実際には、そんなこともなく、生活のために我慢するしか
なかったりして、職業選択の自由は、幻のようなもので
あるのが今の社会の実態といえるのかもしれません。
本当の意味で、誰もが自己実現できる社会は、
まだまだ夢のまた夢だといえるでしょう。
しかし、一歩でも、そこに近づく努力は、
責任ある立場にあり、権限の大きな人ほど、
深く、多くしていかなければならないといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 21:22| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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