2007年09月30日

幸福の感性の鈍い、もしくは枯れている人は、

『幸福の感性の鈍い、もしくは枯れている人は、
 「すでに与えられている幸福」に気づかなくて、
 「まだ与えられていないもの」をやたらに欲しがる。
 しかし、欲しいものは、
 そのごく一部しか手に入らないから、
 いつも不平、不満、他人への羨望が絶えない。』
             桜木健古

幸福か否か、
今、自分のおかれている状況について
人が考えるとき、
その基準は、結局は、主観的な比較に
なっているのではないでしょうか、
他人や記事、メディアの伝える情報の中での
比較などで、考えてしまうことが
多くなっているのかもしれません。
幸福とは、やはり主観的な部分が多いのかも
しれません、
自分が幸福だと想えば幸福であり、
おもわなければ幸福ではない、
ただそれだけのことなのかもしれません。
だとしたら自分を幸福だと思える人は、
幸せであるといえるでしょう。
どんなにお金持ちであっても、
自分は不幸だと思っていたら
幸福ではないのでしょう。
他人から羨望さていても、自分は不幸だと
感じていれば、幸福ではないのでしょう。
他人から可哀想だと思われていても
他人から不幸だと思われていても
自分が幸福だと思っている人は、
幸福なのだといえるのでしょう。
幸福になりたいという希望を
かなえるためには、
自分にとっての幸福の基準を
しっかりと定めて、自分のおかれた状況を
どうおもうのかを感じてなければ
いけないのかもしれません。

あなたは、幸福ですか?

私は、・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 13:02| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月29日

金銭、快楽、名誉を愛する者は、

『金銭、快楽、名誉を愛する者は、
 人を愛することができない。』
      エピクテトス

何を愛するのかによって、
人生は、様々に変わっていくのかも
しれません。
でも、人としての成長と幸福は、
人との交流や関わり合いのなかでしか
存在しないものであると
いえるでしょう。
だからこそ、人を愛することは、
とても大切なことであるように
おもいます。
人を愛せない人には、
幸せの青い鳥は、見えないのでは
ないでしょうか。
どう生きることが、
幸せなのか、
それには、愛が、関わっていることは
間違いないでしょう。
だから、人は、いつも愛について
考え、想い、あこがれるのでは
ないでしょうか。
人が存在している意味は何なのか、
人が時間の流れのなかで
生きていることの意味は何なのか、
その答えもまた、
愛という言葉のなかに
隠されているのかもしれません。
でも、その愛は、人と人との間に
存在するものであるのだと
いえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 08:52| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月28日

好きな人と一緒になるって、

『好きな人と一緒になるって、
 その人と同じになるんじゃない、
 きっと、違うところをお互いに見付けていくことなんだよ
 だから、わかんないことも、嫌いっておもうことも
 いっぱいあるかもしれないけど、
 でも、きっとそれでいい、それでよかったのに
 インベルは千早さんをみてたのに
 千早さんはインベルにみてもらおうとするだけで、
 インベルをみなかった
 それはきっと愛じゃないもの』
   アニメ「アイドルマスター「春の雪」」から、
   天海春香の言葉より

 アイドルであるインベルを愛しいと思い
でも、拒否された千早が、とった行動は、
アイドルとの融合という道であった、
しかし、その結果は、千早の願いのように
ひとつになることは出来なかった。
千早のことを想い千早のために行動した雪歩と
その結果を見届けて、
対峙したとき、
インベルに守られた春香は、
その結果に対して、雪歩の言葉に
自分の感じた想いをこめて答えます。
その答えの台詞です。

 愛という想いを、どう感じるのか、
心の触れ合いと、交流とは、
どんなことなのか、
この作品のなかで描かれた、アイドルという
異世界生命体を宿したロボットと
少女との交流のなかで、
絆とは何なのかを、問いかけているような
感じがします。
そして、その問いかけに対する
ひとつの回答が、ヒロインの春香の
この台詞に表れているのだといえるでしょう。
好きな人と、共に歩んでいく、
生活し生きていくということが、
どんなことなのか、
春香が、インベルとの出会いと、
交流のなかで、感じたものが、
言葉となって紡がれたとき、
その言葉は、大切なものが込められた
暖かなものになって流れ出ています。
 違いを認め会える関係って、
素敵なことですね。
posted by 清水の伏竜. at 04:27| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月27日

春香は、最初のペンギンだから・・・

『春香は、最初のペンギンだから・・・』
     アニメ「アイドルマスター」
       最終話〜月とペンギン〜より

女の子とロボット。
女の子の整備士、オペレイター、パイロット。
そして、男の子の異生命体が宿るロボット。
ロボットと少女の交流は、
フランケンシュタインからの伝統ですね。

地球を守るために、飛び立つアイドルと
そのマスターたち、それは死を覚悟したもの
であった。
彼女を見送るだけの親友が、
彼女の行動を知ったときに言った言葉が、
「最初のペンギンだから」
ペンギンの群のなかから、最初に海に飛び込んでいく
ペンギンがいる、海には天敵がいるかもしれない
その危険をかえりみずに、確かめるために、
仲間の道を確認するために、
そんなペンギンに、彼女のことを喩えて、
その行動を感じ取っていた。

アイドルとよばれるロボットのインベルとの間に
心の交流をもっていく少女、春香は、
その交流と、別れのなかで成長していきます。
人の成長は、出会いと別れのなかに
あるのかもしれません。
最初のペンギンになる勇気は、
愛から生まれるのかもしれません。
そんなことを感じさせる作品です。
posted by 清水の伏竜. at 03:06| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月26日

宴会からと同じように、

『宴会からと同じように、
 人生からも、飲み過ぎもせず、
 のどが渇きもしないうちに、
 立ち去ることが一番いいことだ。』
      アリストテレス


この言葉の意味は、やはりアリストテレスらしく
示唆をふくんだものなのでしょう。
人生の潮時は、
宴会の潮時と、
似ているというわけです。
酔ってしまう前に、
渇きに苦しむ前に、
去っていく、
その状態から、離れていくことが、
一番、安全であり、
一番、いいことであるというのです。
さて、人生において、その道から立ち去るということは
道をあきらめて別の道へと
変化していくということなのか、
そのまま、人生の終焉を迎えるという
ことなのか、
なかなか微妙な感じがします。
ただ、人生を歩むなかで、自分自身の歩みに
酔いしれることは、あまりいいことでは
ないのかもしれません。
また、渇きをおぼえて苦しむような歩みも
よいこよではないということなのでしょう。
自分の人生は、自分の身にあったもので
なければ、大変なのかもしれません。
でも、ちょっと背伸びをして、
夢を追いかけてみたいと
誰もが思うのではないでしょうか。
それは、決して悪いことでは
ないように思います。
posted by 清水の伏竜. at 03:22| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月25日

人間は本当に落ちるところまで落ちると、

『人間は本当に落ちるところまで落ちると、
 もはや、他人の不幸を喜ぶ以外の
 楽しみはなくなってしまう。』
         ゲーテ

人の哀しい心のありかた、
心の状態について、ゲーテの言葉は
語っています。
他人の不幸のニュースを聞いて
自分に起こらなくてよかったと思い、
そのニュースを楽しみに思っている
そんな状態まで、落ちていくことの
悲しみ、空しさ、哀れさを
どう思うのか。
それは、その人の心のありようと
人生の価値に関わるような問題と
いえるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 06:51| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月24日

暑さ寒さも彼岸まで

『暑さ寒さも彼岸まで』

 日本の言葉のなかで、使われる慣用句は、
日本の文化に根ざしたものであるとともに、
日本人の心や生活を伝えるものであると
いえるところもあるでしょう。
そんな慣用句のなかで、
この言葉は、季節というものを
感じることのできるもののひとつです。
彼岸という暦のなかの時期は、
四季という自然の流れのなかで、
生きてきた日本人にとって、
とても大切なものを含んでいるのでは
ないでしょうか。
今、地球温暖化が問題とされているなかにあって、
日本人として、
日本の文化や伝統、慣習のなかに育まれ
伝えられてきた、自然との共存共栄の心を
思い起こしていくことが、
求められているような気がします。
posted by 清水の伏竜. at 20:10| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月23日

わたしたちが大人になってから思い出す家庭の姿は、

『わたしたちが大人になってから思い出す家庭の姿は、
 何気ない日常の暮らしの光景です。
 将来、子どもの恋愛や結婚や家庭生活に影響するのは、
 そんな日々の生活の体験なのです。』
  ドロシー・ロー・ノルト&レイチェル・ハリス


素敵な家庭ほど、
幸福に満たされる空間はないと
いえるでしょう。
人間として成長していくにあたり
家庭のもつ意味は、
とても大きなものであったりします。
何気ない生活の中にも、
愛と助け合いの心が感じられるか否かは、
ちょっとした違いであっても
大きな違いとして、積み上がっていくのかなと
感じます。
やはり、家庭をつくり、幸せにすることは、
人としての成熟が不可欠であり、
成長が必要であるのだと思います。
その大いなる成功と成長が出来ない人は、
いろんな言い訳をして、
結婚や家庭の意味を否定して
自己を慰めていますが、
それが単なる自己弁護であり、
人間としての未熟さの表れであることに
本人は気づいていなかったりするようです。
正しいと自己の中で思いこまないと
羨ましという気持ちを抑えられないということを
本能で感じ取っているのでしょう。
私は、自分が、家庭をもてないでいることは、
やはり、自分が人として成長しきれていないと
感じます。
そして、笑顔の絶えない家庭を羨ましいと
思います。
そこには、人間として未来への責任を果たすと
ともに、幸せを感じることができ、
自己成長することができ、
過去への責任をも果たすことが出来ている
世界が存在しているからです。

長嶋茂雄名誉監督の夫人が、急逝されました。
長嶋監督の家庭は、とても素敵な家庭であったと
感じられます。その家庭を支えていた夫人は、
本当に素晴らしい女性だったのだと感じます。
多くの人に感謝され、惜しまれ、涙される、
それは、その人の人生の成果を本当の意味で
示しているものではないでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 12:04| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

新秩序の導入は難しい。

『新秩序の導入は難しい。
 これによって利益を失う者は必死で抵抗し、
 利益を得るものは消極的だからである。』
        マキャベリ

新しいことを始めることは、
非常に難しいことです。
特に、変化が有意義なことであり
多くの人にとって、将来にむけて
重要な内容であったときでも
今が良いという人が絶対にいて、
しかも力をもっていたりするものですから、
従って、トップの役割、上に立つものの
役割が非常に重要なものになります。
目的が正しく、ぶれていないのであれば、
リーダ、トップの立場に立つものは、
しっかりとした意思をもって
改革を行っていかなければ、
何も実現しないということでしょう。
注意すべきは、間違ったら即修正できる
余裕も必要であるということでしょうか。
日本では、企業の改革と、行政の改革、
教育の改革などが
非常に重要な課題となって横たわっています。
そこには、今の状態で利益を得ている者の
反対が多くあったりします。
しかし、未来の日本の姿を考えた上での、
国民の安心と安全、生活の向上という目的に
沿って、すべきことは実施していかなければ
なりません。その主導は、首相と内閣にあると
いえますし、国会議員の責務であるといえます。
国民は、選挙を通じて、しっかりと意思を
表明していかなければなりません。
日本のこれから・・・
はたして新秩序は構築されていくのでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 08:53| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月21日

不運な時に幸福な時代を思い出すほど辛いことはない。

『不運な時に幸福な時代を思い出すほど辛いことはない。』
            ダンテ

まぶしい思いが、
不運なときには、
よりその不運を際ださせることに
なってしまう。
幸福なときがあったとき、
不運な状態に陥ってしまったときに
幸福であったころを思い出すと
なんで、いったいどうして、
そんな思いを強くするということでしょう。
しかし、幸福な思い出があるだけ、
幸せなのかもしれません。
幸福だったことがない人生、
幸福だったことを思い出せない人生も
あるのですから・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 06:47| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月20日

秋の七草

『秋の七草』

日本には、季節にあわせた自然の恵みを
いただくという慣習が昔からあります。
それは、とても素敵なことだと思います。

彼岸の入りを迎えて、
秋の七草の季節です。

「萩、ふじばかま、桔梗、おみなえし、なでしこ、すすき、くず」

子供たちには、特に日本の自然の素晴らしさと
日本人と日本文化と自然の関わりについて
感じて欲しいし、知っていって欲しいと
思います。
posted by 清水の伏竜. at 06:45| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月19日

気の小さい馬を見たことがあるか。

『気の小さい馬を見たことがあるか。
 しょげかえった小鳥を見たことがあるか。
 馬や小鳥が不幸にならないのは、
 仲間に”いいかっこう”を見せないからである。』
        カーネギー

さて、仲間にいいかっこうをみせないというのは
どういうことなのか、
気の小さい姿や、しょげた姿をみせないのは、
いいかっこうなのか、
ありのままの姿を見せるのが、よいのか、
仮面をかぶり、
かっこよく元気にみせかけるのが、よいのか、
馬や小鳥が不幸にならないのは、
不幸を感じないからなのでは・・・。
自然のままに、苦しいときには、苦しい声を出し、
痛いときには痛い声を出し、
寂しいときには、寂しい声を出すのが
馬や小鳥たちの姿。
しょげたら、しょげた姿ではなく、
しょげた原因そのものの姿を仲間にみせてしまう。
怖ければ怖いといい、いやならいやという
気が小さくて何も言えないといったことなく
ありのままの感覚を表に出してしまう。
そんな馬や小鳥の姿に、
人は、何を学ぶべきなのだろうか。
人と、馬や小鳥は違った存在であり、
異なる世界を生きているといえる。
仲間のなかで、素直になっていれば、
それですむのかといえば、
そうではなかったりする。
そのあたりが、難しいところだといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 02:49| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月18日

心は脆い、しかし、支え合う心は鋼のように強い

『心は脆い、しかし、支え合う心は鋼のように強い』
         ブルーアイズ
         アニメ「エル・カサド」より

 ひとりぼっちだった2人の少女、
出会い、一緒に歩むなかで、芽生えていった絆、
その絆を揺さぶる出来事は、
互いのことを大切に想う心から出たものでした。
互いの気持ちを確認しあい、
2人は、また歩み出します。
今は、もうひとりではない、
2人一緒に、その心は、独りのときの、
2倍以上に、強いものになって、
真実をもとめて・・・。

 人には、互いに助け合うこと、
支え合うことが出来る心があります。
だから、ひとりでいることは、
人生を寂しいものに、厳しいものに
していると言えるでしょう。
そんな状況から脱することが出来たら、
また違った生き方が出来るような気がします。
posted by 清水の伏竜. at 00:39| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月17日

ママでも金

『ママでも金』
  谷亮子

女性の強さと美しさを
柔道の世界を通じて示している
大和撫子という言葉のもつ深い意味を
表現している
そんな女性の言葉です。
柔道という世界で、
男の子に負けない女の子が、
成長していくなかで、
世界一へ。
そして、結婚して、
妻として、世界一へ。
そして、そして、母となって、
子育てのあと復帰して
世界一。
有言実行。勝利への気迫。
精神力がいかに大切であるのかを
その戦う姿勢の中で示してくれた女性です。
ただただ、凄い、素晴らしいとしか
いえません。
7回目の世界選手権優勝。
次の夢は、北京へ。
posted by 清水の伏竜. at 20:47| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月16日

あきらめることもひつようです。

『あきらめることもひつようです。
 あきらめるとは、
 あきらかにみきわめるということであって
 なげだすということではないのです。』
     白石康次郎(海洋冒険家)

 26歳で世界最年少での無寄港ヨット世界一周を
成し遂げた男性の言葉には、その経験から
醸し出される重いものがありました。
その言葉のなかで、船乗りの心構えとして、
危なくなったら、遭難するまえに
引き上げる決断をすること、SOSを
出さずに引き返すことが大切だという話があり、
断念するという決断は、自分で戻れなくなる前に
するものであるといわれたのには、
本当の勇気というものの姿を
感じさせてくれたように思いました。
そして、あきらめることに対して、
あきらめることは悪いことではなく
時には必要なことであるという話は、
生きていくなかで、何が大切なのかを
考えさせられる貴重な話でした。
本当の夢、目標を見据えて、
今の目先のことをあきらめるのは、
まさに、正しくみきわめて、リスクを回避し
無茶をしないということであって
逃げるということではないということ
でも、そのときに気持ちのなかで、
最終的な夢や目標を見失うことなく
次の行動を考えていくことがある上での
あきらめであるということ、
その心のありかたと決断と行動の力の
強さには、世界的なことをする人の
達成力の根元をみたように感じました。
posted by 清水の伏竜. at 05:36| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月15日

酒なくて 何のおのれが 桜かな

『酒なくて 何のおのれが 桜かな』
     江戸時代 滑稽本より

 花見に酒がないなんて、花見とは
いえないということ、
酒のない花見など、面白くないということです。
まあ、イベントや催しなどには、
付き物として、無くてはならないものが
あるものです。
それがないと、どうもしっくりこない、
雰囲気が違ってしまうものです。
そんなものって、ちょっとしたことであっても
とても大切であったりするものですから、
主催する側は、気をつけたいものです。
さて、このような言葉、江戸時代から
伝わっていると、ちょっと捻って、
別の言葉に一部が置き換わって
使われだしたりします。
この言葉も、酒が、金になって、
使われたりしています。
そういった言葉の変化も、
時代の流れを表したものなのかなと
感じます。
posted by 清水の伏竜. at 06:38| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月14日

幸福であるには、二つの道がある。

『幸福であるには、二つの道がある。
 欲望を減らすか、それとも持ち物を増やすかである。
 そのどちらかでも幸福になれる。』
         フランクリン

 幸福への道、
この言葉は、そんな人々の求めるものに
ひとつの答えをあたえている言葉の数々のなかの
ひとつです。
欲望を減らすこと。
これはわかりやすいですが、
持ち物を増やすとは、どういうことか。
この持ち物とは、きっと有形のもののことでは
無いのかもしれません。
愛するもの、守りたいもの、大切にしたいもの、
そんなものなのかもしれませんね。
 今、幸福ですか?
そう問いかけられたとき、
微笑みながらハイと答えられる人は
幸いです。
posted by 清水の伏竜. at 23:42| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月13日

新しい人生に入っていくのを恐れてはなりません。

『新しい人生に入っていくのを恐れてはなりません。
 崇高なことをなしとげようとすると
 必ずリスクがともないます。
 リスクを負うのを恐れる者は、崇高なことをなしとげようと
 期待してはなりません。』
      オグ・マンディーノ

 リスクを負って、
新たな人生に入っていくこと。
それをしないと、
今を変えることが出来ないとしたら
夢も希望も見えてこないとしたら
やはり、恐れを克服しなければ
ならないのでしょう。
 もし、誰か共に歩んでくれる人が
側にいたなら、きっと勇気も100倍に
なるでしょう。
そんな人がいる人は、幸せものですね。
posted by 清水の伏竜. at 23:20| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月12日

人間の幸せとは、金でも、地位でもない。

『人間の幸せとは、金でも、地位でもない。
 天職についているという気持ちで、
 元気に働いてる満足感である。』
     小島直記

 生きがいとは何か?
やはり、幸せであることに
関係しているものになるでしょう。
天職についているという満足感。
それは、確かに、生きがいといえるものでは
ないでしょうか。
そして、その満足感と共に、
その慶びを分かちあえる愛すべき人々に
囲まれていることこそが、
幸せな生活といえるのかもしれません。

 仕事の満足感。
 生活の満足感。
 
 日々の幸せは、果たして・・・。
いつか、訪れるのか・・・。
posted by 清水の伏竜. at 05:48| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月11日

誰が選んでくれたものでもない。

『誰が選んでくれたものでもない。
 自分が選んで歩き出した道ですもの。
 間違いと知ったら、
 自分で間違いでないようにしなくちゃ。』
      森本薫

人生は、いろいろ、さまざま、
人それぞれです。
でも、歩んでいく道は、誰が選択したのでもなく
運命でもなく、
自分が選択した道であり、
自分が決めた結果であり、
自分が歩んだ道であるわけで、
間違いであったと知ったときに、
その道の歩みを変えていくのも、
結局は、
自分でしかない。
それが、人生の道であるということです。

人間は、弱い生き物ですから、
何か間違いがあったとき、
その責任を自分で負いたくないと思います。
だから、親や環境や社会や、さまざまな別のものに
責任と原因を求めたくなるのです。
自分の心を守るための防衛本能が、
そうさせるのかもしれません。
しかし、それでは、新たな道へ、進んでいくのは
難しくなってしまいます。
辛くても、自分自身を
しっかりと見つめていくことが、
新しい最初の一歩を踏み出すために
必要なのだといえるのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 07:53| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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