2007年03月31日

志がなければ学問の完成はない

『志がなければ学問の完成はない』
     諸葛亮孔明

孔明の里に、残された一文にこめられた
孔明の想い。
学問の完成、それには、ただ学ぶだけではなく
志、めざすべきものが
なければならない。
学問もまた道具であって、手段であって
目的ではないのだから。
人生の目的、目標、夢、
それに向かっていくために、
学問はあり、それが完成するためには
その目的、目標、夢を成し遂げることに
ほかならないから、
そこには、志が必要であり
想いが必要であるということ。
学びの場も、仕事の場も、
めざすべきものへの道に過ぎないのかも
しれません。
では、その目指すべきものは、
夢、希望、目標、
人生をいかに歩むのか、
志は、そこに向かう強い意思とも
いえるかもしれません。
なかなか、難しいものです。
人は、いがいと弱いものですから・・・。
だから、ひとりでは・・・・。
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2007年03月30日

百年兵を養うはただ平和を守るためである

『百年兵を養うはただ平和を守るためである』
     山本五十六

 日米開戦に最後まで反対していた軍人
彼が、真珠湾へ赴く部下たちに、講和がなれば
即、ひき返すように命じたとき、
一度、出撃したら戦うべきという者に
対して、語った言葉。
軍隊がもっとも、正しく存在しているのは
戦わないでいることだということです。
平和を守ることが、存在意味なのですから。
 災害救援をはじめとした平和的活動こそが
存在意味であるともいえるでしょう。
軍隊が戦うときは、平和ではなくなったとき
世の中が哀しみに満ちるときなのですから。
 防衛省が出来ました。
もう、このさいだから、国際救助隊に改名して
しまって、装備もどんどん変更していく方が
国際貢献できてよいのではないのかなって
思ったりします。
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2007年03月29日

日本を今一度せんたくいたし申候

『日本を今一度せんたくいたし申候』
     坂本龍馬

明治維新という日本の大きな変革の時代を
駆け抜けた人生は、33年という短いものでした
しかし、その人生の輝きと大きさは
今も語り継がれ、
多くの人の心に伝えられています。
本当に充実した人生とは何なのか、
かんがえさせられます。

今の日本に、彼が生きていたなら
同じ言葉を語ったかもしれませんね。
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2007年03月28日

滅却心頭火自涼

『滅却心頭火自涼』
    「碧巌録」より

信長に、寺を焼き払われた
恵林寺の快川和尚の言葉
「安禅は必ずしも山水を須いず、
 心頭を滅却すれば火自ら涼し」
から、きているというこの言葉は、
無我夢中、無心の状態で
あれば、炎暑も涼しく感じるもの
熱中すると、周辺の環境など
関係なくなり、
その目的に集中することが
できるものだということですね。
そんな心境に、
いつか達することができてば・・・
posted by 清水の伏竜. at 02:54| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月27日

おわりじゃない、はじまりなんだ

『おわりじゃない、はじまりなんだ』
   「まなびストレート! 最終回」より

卒業式
2036年3月
第82期聖桜学園 生徒会のメンバーも
それぞれの道へと
一歩を歩みだしていく

 大学、
 実業団チーム、
 専門学校、
 留学、
 フリーター

道は別々であっても、
共に学び、共に生活した、学園生活の
想いで出と、ともに、
友情は変わらず、どこにいても
どんな道を歩んでいても、心は繋がっている
だから、卒業は、
おわりじゃない、はじまりなんだ。

生徒会の反省会
「反省はするけと、後悔はしない」
生徒会長の言葉には、充実した日々の
想いがこもってました。
「もっとみんなといたいよ」
そんな想いを口に涙する友人に、
「どこにいたって、どんなにはなれていたって
 いっしょだよ」
「おわりじゃない、はじまりなんだ、
 だからいかなくちゃ」
と言葉をかける。

まっすぐGO!

この合言葉で、とにかくはしってきた
学園生活を、振り返りながら、
次のステップを見つめていく
生徒会のメンバーは、未来への
一歩を歩み出していく。

そいて、第82期生徒会のおもいは
第83期生徒会へと受け継がれていく。

充実した学生生活、
だからこそ、卒業式で、涙が出てきてしまう。
その涙には、別れのさみしさと、
想い出の懐かしさと、
未来への不安と希望が、
こもっているのだと感じます。
そんな、素敵な卒業式を
多くの子供たちに体験して欲しい
そう願わずにはいられません。
posted by 清水の伏竜. at 01:03| 静岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月26日

不思善不思悪

『不思善不思悪』
   「六祖壇経」より

禅の六祖慧能が、五祖弘忍から禅法を
継承し、その証としての衣鉢を授かったとき
その継承を認めたくないものたちが
慧能をおいかけて、衣鉢を奪おうして
奪えなかったときのことばで、
その過ちに気付かせてあげたという
ことです。
「善をも思わず、悪をも思わず、
 まだ一念も生じないとき、
 あなたの生まれる前から持っている
 純粋な魂は、どんなものであったのか」
人間のもっている純粋なもの
生まれながらの人間性、魂の境地を
忘れてしまっては、よき道を
歩んでいくことは出来ないということですね。

善悪・是非・自他などの相対的な概念や
認識を超越した境地に到ることが
できるのか、
悟りの道は、大変な道です。
無心の境地、
その心をもって、日々を歩めるのか、
いまだにひとりみの自分のこれまでを
ふりかえったとき、
空しさと哀しさを感じてしまうことが
最近、多くなってきている気がします。
ひとりで生きることの辛さと
苦しさを思う日々です。
posted by 清水の伏竜. at 06:22| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月25日

耳赤の一手

NHKの番組で、
本因坊秀策を取り上げたものが
放送されていて、
ちょっと見入ってしまいました。
江戸末期、将軍の御前で行なわれる対局で
19連勝の負けなし
30代前半で、コレラで亡くなってしまった
伝説の棋士

秀策の名前が、より広く知れ渡ったのは
少年ジャンプで連載された
「ヒカルの碁」
の影響が大きかったと思います。

秀策の対局のなかで、
妙手といわれるもののなかのひとつが
”耳赤の一手”
と呼ばれるものです。
碁盤という空間を、黒と白の石で
陣地をとりあっていく、
そのなかで、うまれる手の数数、
定石となっているものの多くは、
過去の多くの対局のなかより
生まれてきたものなのですよね。
碁の言葉が、他にも使われているものも
いろいろあったりします。
捨石とか・・・。

先だって、将棋の竜王が
コンピュータと対戦しました。
結果は竜王の勝ち。
囲碁も、コンピュータがあり、
なかなか強くなっていますが、
将棋よりも、まだプロ棋士からは
実力が離れているように思います。
空間の連結を読むといったことが
やはりコンピュータにとっては
大変なことなのですよね。
チェスやオセロ、連珠などでは、
コンピュータが、人に勝てるレベルまで
きていますが、
将棋や囲碁は、まだまだですね。
頭の体操には、
将棋や囲碁って、よいものです。
子供たちにも、もっと親しんで欲しいと
思います。
posted by 清水の伏竜. at 15:50| 静岡 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

未来への扉の鍵は・・・

『あなたの心の中にも未来への扉を開く
 優しさという鍵があるのを』
    「おとぎ銃士 赤ずきん」より

 ファンダベーレとエルデの
2つの世界をつなぐ物語
 赤ずきん、白雪姫、いばら姫の3人が
エルデの鍵と呼ばれる少年と
その幼馴染の少女と共に、
ファンダベーレを救うために、旅をする。
 その物語の最後に、
心を閉ざした少女が2つの世界を支配しようと
したときに、エルデの鍵と呼ばれた少年が
いった言葉。

 優しさが、未来を開く鍵

 未来は、白く何も描かれていない
物語カードに、人々の手で描いていく物語

 その未来を、幸せなものにするために
人の心の中の優しさを解きはなって
優しさによって、互いに協力しあって
いくことが大切であるという
メッセージを、この作品は伝えてくれています。

 優しさという鍵は、
あなたの心の中にもあるのだということを
忘れないで欲しい・・・・・。

 子供たちは、未来にむかって、
素敵な物語を描いて欲しい・・・。

そう願ってやみません。
posted by 清水の伏竜. at 13:38| 静岡 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月23日

給与

 春闘では、大手の黒字企業においても
組合の要求は、満たされることはありませんでした。
中小企業は、さらに厳しい感じではないでしょうか。
年功序列、終身雇用時代において
安心感と先の設計が可能であった賃金も
今の時代では、不安という言葉が
付きまとうようになっているようです。
サービス残業等の増加、
不払い賃金などの問題も
ニュースにはあがってきませんが
かなり多数の事例が、発生しているのが
日本の実態です。
当然、一般の国民に、景気の回復感がないのは
しかたのないことでしょう。
手に入るお金は増えるどころか
減っていく人の方が、多いのですから。
成果主義で、若い人でも高い給与をもらえるように
なったかもしれません。
丁度、働き盛りの時代を、年功序列で、
賃金を抑えられていた世代で、
その我慢の結果を、給与でもらえるよになる
年齢にきたら、年功序列がなくなって
成果主義になって、給与があがらないという
団塊の世代の次の世代の生涯賃金は
かなり下がることになるでしょう。
その不安と、なぜか、人手不足の煽りで、
仕事量も増えて、団塊世代からの圧力と、
若い世代からの突き上げのなかで、
ストレスにより、心を病み、
無理によって、体を病み、
過労死、過労自殺、うつ病などへと
流れていってしまう。
年間3万人の自殺者が、減らない国であり
年間十何万人の失踪者が、減らない国でもある
それが、もうひとつの日本の国の姿であったりします。
この状況は、果たして、
改善していくことができるのか?。
行政だけでなく、経営者なども含めた
課題であるといえるような気がします。
posted by 清水の伏竜. at 22:49| 静岡 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月22日

イメージすること、それをかたちにすること

『イメージすること、それをかたちにすること』
   TVアニメ「まなびストレート!」より

西暦2035年9月13日 新生徒会室完成
西暦2035年10月20日
   第82回聖桜学園祭 開催

生徒によるみんなのための生徒が主役の学園祭

少子化、生徒の減少により、
合併吸収されることになった高校の
最後の学園祭。
学園生活に、何を求めるのか。
転校してきたひとりの少女が、
生徒会長になって、それまで無関心であった
生徒たちの気持ちを、開いていく
そして、生徒会による学園祭を

”友達から仲間へ”

その合言葉で、開催しようとしていきます。
合併で、一度中止となりかけるものの
その困難のなか、あきらめることなく
活動していき、
生徒の署名を76%集めることができて、
開催へと辿り着く。

学園祭の最後に、
ステージにあげられた生徒会長が
歌ったのは、聖桜学園の校歌でした。

学生の頃、何かに夢中になり、
友達、仲間と一緒に、何かを行なうこと
そこにあるものは、
とても大切なものであるように感じます。
今の学校で、子供たち、生徒たちが
自主的に何かをしていくといったことが
どのくらいあるのでしょう。
助け合い、協力しあって、
ひとつのことを成し遂げていくこと
そんな機会があたえられているのでしょうか。
生徒会活動って、生徒全体で、
何かをなそうとするときの中心になるものです。
その生徒会活動を支えるのは生徒です。
それを補助してあげるのが教師であり
みまもってあげるのが親であるように
思います。
でも、介入しすぎてしまっては、
生徒たちはしらけてしまうでしょう。

小学校での学級委員の選挙、
中学校での生徒会長の選挙、
とても盛り上がって、楽しかったです。
高校での学園祭も楽しかったなって
思います。
子供たちに、自主性を発揮できるチャンスを
与えていくことが、
教師や親に求められていることのひとつであると
感じさせられる作品です。
posted by 清水の伏竜. at 06:24| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月21日

曹源一滴水

『曹源一滴水』
    「碧巌録」より

達磨大師から数えて六代、
祖師慧能に、禅宗の源泉はあり
そこからの一滴一滴が
伝承されいまにいたっている。
山から流れ出す最初の一滴が
やがて、小川となり、大河となっていく
一滴の水、
ひとりの教え、
小さいものにも、
大きな可能性が秘められている。
だから、
おろそかにしてはいけない。
大切にしていかなければいけない。

ひとりの命が、重いのは、
ひとりの命にも、大きな価値が
秘められているから・・・。
posted by 清水の伏竜. at 14:29| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月20日

役不足

『役不足』

本人の力量、才覚、能力などに比較して
与えられてるポジションや役割の程度が
低いときに使う言葉です。
役職が、本人の能力よりも軽いときに
その役職は彼・彼女にとっては、役不足だねと
いうことになるわけです。

役不足といってもらえる人は幸いですね。
実際の力量を十分に発揮できないということであれば
本人に不満も残ることでしょう。
そうならないようにしないと
優秀な人材を逃がしてしまうことに
なりかねません。
あなたの会社に、役不足の社員はいませんか。
いたら、転職してしまうかもしれません。

必要とされる人は幸せです。
必要とされなくなったとき
それは、非常に不幸なことです。
精神的にも大きなダメージをこうむるでしょう。
役不足であっても、
必要とされていれば、まだ救いはありますが、
役不足の上で、
必要ともされていないとなったら
悲惨です。
ストレスもたまっていくでしょう。
自殺へと追い込まれるという可能性もありえます。
人を使うということの難しさ、
人を雇うということの難しさが
そこにはあります。
でも、氷の心臓をもった上司が結構いますから、
役不足の部下のことなど知ったことではなく
自分に都合がわるければ、
必要ないと切って捨てる
そんな人が、日本企業の中にも
増えてきているのかもしれません。
サラリーマンの自殺者の増加は、
そんな要因も関係しているのでは
ないでしょうか。

必要ないといわれることで
どれほど傷つくことになるのか、
それを知らない大人が増えたことが
子供たちをまた不幸にしているのかも
しれません・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 21:55| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月19日

雉も鳴かずば撃たれまい

『雉も鳴かずば撃たれまい』
      歌舞伎「幡随長衛門精進俎板」より

 雉も、隠れていて、
鳴くことがなければ、
鉄砲で撃たれて死んでしまうこともない。
 無用なことを言わなければ、
ひどい目にあわない。
 この言葉のとおりに、
行動する人が増えてきているのかも
しれません。
 企業でも、学校でも、
それが、いじめを隠しているのかも
しれません。
 言えば、もっと酷いいじめにあう。
 言えば、評価がさがり、給料がさがる。
 言えば、逆恨みされる。
 言えば、仕事を干される。
そんなことが、起こっているから
誰もが口を閉ざしてしまう。
悪循環。
それを解決するためには、
やはり別のどこかに、逃げる場所が
訴える場所が、権利を保護してくれる場所が
必要なのでしょう。

でも、それは哀しいことです。
自由に主張できる環境をつくれるか否か、
指導者、管理者、経営者、など、
上に立つものに求められているのですが・・・。
posted by 清水の伏竜. at 07:11| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月18日

時分の花

『時分の花』

 花がある。
若さと希望に溢れ才気に富む
そんなときに、芸を極めているのでもないのに
面白さや、楽しさを発揮する。
そんな勢いのなかで咲く花。

 その花も、そのままでいては
やがて枯れてしまう。
しっかりと育てていけば
やがて本当の花になって、
大輪を咲かせることになる。

時分の花、それを咲かせることが
出来たら、可能性をもっているとも
いえる。

だから、その時に、慢心せずに
謙虚に、素直に、更に学ぶことが
大切となる。

もし、本人が気付かないなら
気付かせてあげることが
大切になる。
それが、師の役目であり、
親友の友情である。

可能性を伸ばすチャンス。
それを与えることが、
子供たちには大切であり。
また、大人にも必要なこと。
前にいくもの、上に立つ者が
すべきこと。
その義務をおこなったとき
停滞と崩壊がはじまていくのだろう。
そして、今の日本は、
そんな時代にあるのかもしれない。

でも、まだ間に合う。
きっと・・・・。
posted by 清水の伏竜. at 21:14| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月17日

千年の樹は千年持つ

『千年の樹は千年持つ』

 宮大工の皆さんのなかで、
伝わる言葉です。
千年の樹木をつかって建てられたものは
千年持つものであるということ。
自然の人の技術・知恵の融合が
そこにはあります。
 樹木のもつ特性と自然の力を
しっかりと理解し、考えて、
その樹木を切りだし、組み上げていくとき
その建物は千年持つというわけです。
 法隆寺をはじめ、日本の古い木造建築物は
まさに千年持つような知恵と考えが
持ち込まれた建築物です。
 もっと、そこから我々は学ぶべきことが
あるような気がしてなりません。
 環境問題が、深刻になっていく時代に
あって、日本の文化の伝統の中には
自然の力や恵みを、生活に取り入れて
自然の調和し、融合することで、
快適な生活や、長い時代の流れのなかでも
持ちこたえられるものを
考えてきていたということを
戦後の時代のなかで、どこかで
忘れてきてしまったのではないでしょうか。
 この言葉をきくとき、
日本の伝統文化の中に、自然と調和し、
それをうま利用してきた人の知恵に、
もう一度、顧みてみることが
必要なのかなと感じさせられます。
posted by 清水の伏竜. at 10:29| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月16日

人民の、人民による、人民のための政治

『人民の、人民による、人民のための政治』
   アメリカ合衆国第16代大統領 リンカーン

 3月16日は、アメリカ奴隷解放記念日だそうです。
有名な、ゲティスバーグ宣言の一節ですが、
リンカーンも、他の人の言葉からの引用であったそうですね。
良い言葉は、語り継がれるということでしょう。

アメリカの内戦である南北戦争の時代、
奴隷という制度が、存在していたころに
戦争に勝利するためということもあっての
宣言であったわけですが、
人種問題は、いまだにアメリカの抱える問題の
ひとつとして残されているようです。

政治家は、どこをみて政治をするべきなのか
よく考えて欲しい人が、
またいらっしゃいますね。
行政も同じです。
誰のお金で働き誰のために働いているのか
公務員のモラルや意識も問われている時代です。

格差という言葉が流行っていますが、
差別という言葉で表したほうがよいものも
あるように感じられます。

教育の占める重要さが、
それらの問題の解決には、
必要とされていることも、
確かな事のように思います。
posted by 清水の伏竜. at 07:53| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月15日

残業

残業

この言葉が、最近話題になることがあります。
そのひとつが、
ホワイトカラーエグゼンプションですね。
残業費が出ないという制度であるとして
話題になっています。

法律では、労働時間は1週間40時間を上限として
定めています。
これをこえて労働すれば、残業ということになります。
深夜や休日(法定)について労働する場合には
法的に、特別手当を支払うことが義務になっていますが
それ以外の時間は、週40時間という定めが
基準となります。
40時間を35時間にするという話も出ていた時が
あったのですが、そちらの方の話題は
いつのまにやら消えてしまってますね。

”サービス残業”という言葉があります。
ホワイトカラーエグゼンプションや、
裁量労働制度は、サービス残業をみとめた制度であるとも
いえますね。
労働時間を短くしても構わない制度であるのに
効率よく作業して、短い労働時間にすると、
そちらは査定に響くということがあって
実際には出来ないというのが現実の状況であり
実態は、サービス残業の公認制度と化していると
いえるでしょう。
日本の企業では、まだまだ労働時間を短くして
早く帰るとか、遅く出社することにたいして、
結果を出していても、評価を低くするという
風潮が根強く残っているのが大半ではないでしょうか。
春闘の大企業の回答がありました。
組合の要求は、結局、完全に通ることはありませんでした。

”生活残業”という言葉があります。
基本給与が低いので、生活のためには残業費を支給して
もらわなければ、厳しい現実が、そこにはあります。
生活残業せずにすむレベルに、
基本給与を上げてからでなければ、
ホワイトカラーエグゼンプションも
裁量労働制度も、
労働意欲を低下させ、サービス残業を増加させるだけの
制度であるといえそうです。
もちろん、しっかりとした運用がなされて、
労働時間ではなく、作業の効率や品質、その内容と結果を
しっかりと評価できるのであれば、
とてもよい制度になりえますが、
そちらの方が、出来あがっていないのが
大半の日本の企業の実態です。
大企業であっても、きちんと出来ているとは
言いがたいのが現実であることを、
もっとしっかりと見つめることが
必要なのではないのかなと感じます。
経営者は、昔は人をもっと大切にしていました。
最近は、数字だけを大切にする傾向が
強くなってきているように感じます。
そんな話題やニュースが多いこともあるのかもしれません。

過労死や、過労自殺、ストレスからくる病気、
心の病の増加は、まさに企業が、人を物あつかいしている
現実を反映している結果であると
いえるでしょう。
そんな大人たちの社会をみていれば
子供たちが、ニートになってしまったり
仕事に希望をもてなくなるのも
あたりまえのことのように感じてきます。

今、また経営者の意識改革が求められている時代であるの
かなと感じることが多いような気がします。
posted by 清水の伏竜. at 07:29| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月14日

円周率

円周率
数学のなかで、特殊な位置付けをもった数のひとつです。
π。
無限小数。
この値を導きだしたのは、誰だったかな・・・。
お役所の可笑しな政策で、
π=3として、教えているのはナンセンス。
優れた現場の教師は、そんなのは無視して
子供の将来のことを考えて教えるべきだと
思います。
円周率が、3.14・・・で始まるので
3月14日は、数学の日、と数学検定では定めたそうですね。
円周率の覚え方も、ひとそれぞれ、
語呂合せで覚える方法もいろいろあるようです。
そのまま数字で覚えるというケースもあるでしょう。
円周率って、どうやって導きだされたのか
どんな役にたつ数なのか、
そんな視点から、教えるなかで、
子供たちが、数学に興味をもってもらえる
ひとつの道具として上手に利用して欲しいなって
思います。
「身一つ世一つ生くに無意味いわくなく、
 身に宮城に、虫さんざん闇に鳴く・・・」

数学は、自然を語る言葉ですから。
posted by 清水の伏竜. at 07:03| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月13日

平常心是道

『平常心是道』
    「無門関」より

趙州が尋ねます「如何是道」
 =「道とはどんなものなのですか」
南泉和尚が答えます「平常心是道」
 =「平常心こそ道です」
趙州が尋ねます
 「平常心をつかむべき目標にすればよいのですか」
南泉和尚が答えます
 「目指そうとすると、すぐにそれていってしまうでしょう」
趙州が尋ねます
 「目指さないとしたら、どうして、
  それが道であると知ることができるのでしょうか」
南泉和尚が答えます
 「道は知るとか知らないとかといった知識ではなお
  真に疑いようのない道に達してみれば、
  それは虚空のようにからりとしているもので
  説明のしようもないもの」

日常の小さな行ないもおろそかにしない心
日々を常に大切に過ごすことを
あたりまえとして感じていられる心、
誰に対しても真心で接することができる心
それが「平常心」であり、仏の道であると
いうことであり、それは修行の中で
感じとリ、身につけられるもの
特別なものでもない、ふだんの生活の中に
あるものであって、でも、常に保っていることの
できないもの。
欲が出たり、怖がったり、恥ずかしく思ったり
怒りを感じたり、いろんなことがあるなかで
常に、小さいことにも、真意に接し、行ない
真心を与えていくことが、
あたりまえにできるようになってこそ
平常心を持っているといえるのかもしれません。
簡単なようでいて、
とても難しい
それが、悟りということであり、
平常心であるということなのでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 06:41| 静岡 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月12日

半ドン

オランダ語「zondag」(休日)+半日=半ドン

日曜日が、休日。
土曜日が、半休。

土曜日は、半ドン。

これが、はじまったのは、
明治9年3月12日のことだそうです。
それまでは、決まった休みはなく、
慣習的なもの、行事、祭り、など
自由に休んでいたのかな。
みんなで休むという日以外は、
体調を考えて休むって感じであったのかも
しれませんね。
日本人は、働き蜂とか、
エコノミックアニマルとか、
働きすぎだといわれてきました。
その反動が、いろんな社会の問題の
要因にもなっているのかも
しれませんね。
有給があっても使えなかったり、
育児休暇も取り難かったり、
企業のなかでの休める環境を
もっと大切にしていくことが
求められている時代のような気がします。

その一方で、ゆとり教育といって
学校の休みを増やしたのは、
子供の視点にたって考えた結果とは
いえなかったようですね。
大人=教師が休みたかったのが
日教組サラリーマン教師増加現象の
根本であったのかもしれません。
子供たちにとっての学校は、
大人の会社や仕事とは違った
仲間や友人と楽しく過ごす場でも
あったはずです。
休みでも、自由に集まれる場所で
あることの方が、子供たちのためには
大切であったのではないでしょうか。
体育祭や文化祭などの行事には、
両親にもきてほしいから大人の休みの日に
行ないたい。それが当たり前のことなのに
それを出来ないようにしてきたことが
教育現場の間違いであったと感じます。

大人たちを休ませるには、
週休2日制度や有給、育児介護休暇などの
充実や、労働時間の週40時間を35時間にするとか
国民の祝日をもっと増やすといった
ことが必要でしょう。
でも、子供たちの休みは、夏休み、冬休み、春休みの
長期の休みがあれば、日曜と土曜の半ドンで
十分であるのではないかと思います。
学校で過ごす時間の中身を、勉強だけでなく
友情を育んだり、自主性を育てる時間に
使っていくことが大切なのだと
感じます。
生徒会活動、部活動、など
また、学内での文化活動、奉仕活動など、
さまざまな活動を、子供たちの中で
行なっていく場をあたえて、
みまもていくことが、昔にくらべて
少なくなってきていることが
問題であるように感じられることが
あります。
大人たちは、自分たちが子供だったころの
ことをもっと思い出して、感じることが
必要なのではないでしょうか。
大人の世界のことと
子供の世界のことを、同じ視点や感覚で
語ってしまうことが
行政や教育の失敗に繋がっている気が
してしまいます。
posted by 清水の伏竜. at 04:04| 静岡 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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