2006年03月31日

たとえ小さな斧でも、数百度これを打てば

『たとえ小さな斧でも、数百度これを打てば
 堅い樫の木も切り倒せる』
   シェイクスピア

小さなことからこつこつと、
どこかで聞いた言葉です。
一見無理なように思える大きなことも
小さなことの繰り返しで、
やがて成し遂げることができる。
そんなことを示した言葉のひとつです。
小さな努力の積み重ね、
小さな力の積み重ねも
それが、数多く行なわれれば
大きなことを成し遂げられる。
だから、小さなことでも、
しっかりとやっていくことには、
とても意味があることだということに
なります。
選挙の1票も同じですし、
寄付の1円も同じですね。
多くの人の力が集まれば、大きな力と
なり得ます。
ひとりの人でも、毎日の繰り返しが
やがて、大きな目標を成し遂げることに
なるのだといえるのでしょう。
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2006年03月30日

君の魂の中にある英雄を放棄してはならぬ

『君の魂の中にある英雄を放棄してはならぬ』
          ニーチェ

どんな時でも、最後まであきらめないで
誰の心の中にも、英雄はいるのだから、
その英雄を、見捨ててしまってはダメ、
辛いときこそ、その英雄を表に出して
一歩前に、出よう。
誰でも、出来ないことはないのだから。
そんな、人のもつ力、可能性を
伝える言葉のひとつです。
皆さんの心の中の英雄に、
活躍してもらうように、
いつも気にかけていたいものですね。
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2006年03月29日

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

『太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く』
     シラー「メッシーナの花嫁」より

太陽は、いつも輝いていて、
これからも輝きを贈り続けてくれます。
それと同様に、希望を持つことは、
人生に輝きをもたらしてくれるもの
そんな、希望をもって生きていくことを
語った言葉のひとつです。
希望が、太陽のように、常に人生を
照らしてくれるように、
心のなかに、希望を持っていることで、
どれだけ、人生が豊かなものになるのか
計り知れないものがあるような気がします。

人は弱いものです。時にとして希望を持てない
描けないこともあるかもしれません。
そんなときには、夢を思い、願いを思い、
そこから希望を見出していくことが
必要でしょうし、そのようなときに
人生を共に歩んでくれる親友や、
愛し合っている人が、いてくれたなら、
おそらく、立ち直ることも、
出きやすいのではないでしょうか。

希望、パンドラの箱に最後に残ったもの、
人にとって、明日、未来を見つめるために
不可欠なものなように思います。
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2006年03月28日

最高の孤独は、ひとりも親友がいないことだ

『最高の孤独は、ひとりも親友がいないことだ』
      ベーコン

友がいるのと、いないのでは、
やはり、人の気持ちには、大きな違いが
出てくるということですね。
孤独感、それは、友人がいれば感じることも
なくなるもの。
そして親友がいれば、なおさら感じられなくなる
それが孤独というものなのかもしれません。
人は、ひとりでは生きていけないといわれます。
孤独は、人にとって、もっとも哀しく、
苦しいことなのではないでしょうか、
大都会での孤独死、そんな事件がある
今の日本の社会は、やはりどこか病んでいるのだと
いえるのでしょう。
日本の文化、生活慣習、地域の結びつき、
近所付き合い、大家族、やはり、人が成長し
人が安心し、人が癒されながら生活する空間に
必要であったものを、都会の便利さ、
自己満足だけを求めるせまい心が、
失わせてしまってきたのかもしれませんね。
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2006年03月27日

君子豹変す

『君子豹変す』
   「易経」より

豹変するというのは、
もともと豹が秋に,毛が一機に抜けて
生え変わり、色鮮やかな模様の毛並みなること
そこから、一瞬にして変化することを
表す言葉として使われるようになったそうです。

君子と呼ばれる人は、過ちに気がついたら
一瞬にして、その過ちを正して、
変化することができるもの。
過ち、間違いは、誰にでもあり、
いつでもおこりうるものです。
問題は、それを直ぐにみとめて、
正しい方向へ対応させることが
できるかどうかです。
それが出来る人が、君子と呼ばれるに
値する人であるということですね。
簡単なようで難しいことですね。
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2006年03月26日

大弁は訥なるがごとし

『大弁は訥なるがごとし』
     「老子」より

雄弁なひとは、余分なことや無駄なことを
言わないので、口下手にみえることがあるもの、
調子にのってしゃべるすぎると
かえって軽薄にみえてしまうもの。
自分の思いを、正しく、しっかりと
伝えていくことが大切なことだという
ことですね。
なかなか、自分の伝えたいことを、
相手を深く傷つけることなく、伝えるのは
難しいものです。
もちろん、伝えなくてならないことで
相手が傷つくことをわかっていても
伝えるべきこともあります。
それを、どう相手にとって、受け入れやすく
伝えることができるのかが、
雄弁か否かの本当の能力ではないのかなって
思います。
言葉のやりとりは、自分と相手、
相互の係わりの中で発生します。
だからこそ、正しく、かつ、相手の気持ちも考慮して
伝えることが必要なのだといえるでしょう。
でも、そんなことお構いない人が、
最近、増えてきているような気がして、
残念なような、哀しいような、感じがします。
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2006年03月25日

千里の行も足下より始まる

『千里の行も足下より始まる』
      「老子」より

長い長い道のり、千里の道も
最初は、足元の一歩から
始まるということですね。
どんな計画も、
どんな目標も、
どんな夢や希望も
まず1歩から、
地道な積み重ねの先に
あるということを
忘れてはいけないということを
示した言葉のひとつです。
あせらずに、歩んでいければ
いつかは、たどりつくことが
できるということですね。
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2006年03月24日

功詐は拙誠に如かず

『功詐は拙誠に如かず』
      「韓非子」より

巧みに人をいつわって、
何かをしようとしたとしても、
そんな方法では、
つたなく稚拙であっても心のこもった
誠実な方法には、かなわないもの、
結局、人は、信頼、信用こそが
大切であって、表面的に
うまくたちまわることだけでは、
だめであるということを
示した言葉のひとつです。
この言葉が、普通のこととして
行なわれる世の中になってくれたら
きっと安心で安全な生活が
できるのかなという気がします。
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2006年03月23日

漁夫の利

『漁夫の利』
  「戦国策」より

あまりにも有名な言葉ですね。
カラス貝とシギが、互いに、
食われまいとして貝がシギのくちばしを
挟み込めば、シギは貝を食べ様と
貝をつつく。
そんなところに、漁師がやってきて、
シギもカラス貝も捕まえてしまったという
お話からきた言葉で、
お互いに争っている間に、
第三者が、苦労せずに、利益を
もっていってしまうことを
言うようになったわけです。
争いは、無意味なことであるという意味でも
ありますね。
ここで、注意すべきは、争うことと
競うことは、違うのだということだと思います。
社内で、競い合うのはよいことであっても
争いあっていては、共倒れになって
しまうということですね。
日本の成果主義は、この争いの方向に流れて
しまうケースが多いので、ダメなのだろうと
感じます。自分の部署さえよければいいと
部門長は思い、部下も自分の評価さえ、
よければいいと思う。そんな視点では、
競い合いにはならずに、争いになるのは
必然ではないでしょうか。
その結果、一時的には上向くかもしれませんが、
長続きはしないでしょう。
部門の垣根を越えて、考えることができる
社内の雰囲気を、経営者が築けるか否かが、
重要だということだと思います。
社外のライバルに漁夫の利を与えてしまわないように。
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2006年03月22日

これを望めば木鶏に似たり

『これを望めば木鶏に似たり』
     「荘子」より

中国の闘鶏の訓練の名人の話に、
ある王から、鶏の訓練するように
いわれて、40日後に、その王からの
催促があったときに、
「もう、ほかの鶏が、どんなに鳴いても
まったく動じる気配がありません。
まるで、木彫りの鶏のようで、
他の鶏は、その姿を見ただけで、
逃げていきます。」
と答えたそうです。

徳が備わっていれば、動かなくても
人々には、それが伝わるものであると
いった意味として、使われる言葉だ
そうです。

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2006年03月21日

木に縁りて魚を求む

『木に縁りて魚を求む』
   「孟子」より

斉の国の宣王が、武力で天下統一を
しようとしたときに、孟子が、
「武力で統一しようとすることは、
 木によじ登って魚を探すようなことだ」
といって、その行為の間違えを
指摘したそうです。
手段や方法を間違ってしまったら、
結局、目的を達成できない。
だから、手段と方法をみなおしましょう。
それが大切だということを
伝えた言葉だそうです。
これは、人生において、様々な局面で
反芻すべき言葉なのかもしれませんね。
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2006年03月20日

天網恢恢、疎にして失わず

『天網恢恢、疎にして失わず』
  「老子」より

恢恢:広く大きいという意味。
天の網は、広くて大きく
網の目は、粗いようにみえるけれども
どんな、ものもその網の目から
逃れることは出来ない。
どんなことも、天は見通しているのだから
何かを行なえば、誰にも知られていない
観られていないと思っていても、
天は知っている、だから,悪いことをすれば
その酬いを必ず受けることになる。
常に、天によって、
観られているという気持ちで、
人生を歩み、行ないをなしていくことが
大切だということですね。
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2006年03月19日

機会が二度扉をたたくなどとはかんがえるな

『機会が二度扉をたたくなどとはかんがえるな』
     シャンフォール

チャンス、機会、それは、
やってきたときに掴まなければ、
もう二度と掴むことはできないもの。
そんな、チャンスは逃してはいけないという
ことを示唆した言葉のひとつです。
チャンスに二度はないということですね。
ただ、チャンスがきたことに
気がつかないことがあるかもしれません。
機会が扉を叩く音を聞き逃してしまうかも
しれないのです。
それを避けるためには、
どうしたらよいでしょうか。
やはり、常に、チャンスが来ていないのか
気にしていること、
アンテナを張り巡らせておくことが
必要なのだということに
なるような気がします。
なかなか、忙しいと出来ないことも
あるでしょう。
何か悩みがあったりしても、同様かもしれません。
そんなときでも、出来るだけ、
チャンスに、機会に、それが訪れたときに
扉を叩く音を聞きのがさずに扉を開けることが
できるように、準備しておきたいものですね。
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2006年03月18日

忍耐は美徳だ

『忍耐は美徳だ』
   ゲーテ

耐えることの美徳、
NHKのドラマ「おしん」が
海外でも非常に人気を得て共感されていると
言います。
忍耐、その末に訪れる小さな幸せ、
日本人は、昔から、耐えることを
美徳とする文化のなかで
育ってきているような気がします。
確かに、忍耐は美徳なのかもしれません。
また、そう思うことは、
大切なことだと思います。
ただし、無理をすることは、
危険でもあるということも
事実ですね。
身の丈にあった忍耐で、充分では
ないでしょうか。
耐えても、何の酬いも与えない企業が
増えています。
そして、他人が耐えてくれることに
従業員や部下が耐えてくれることに
あぐらを掻いている、あたりまえと
思っている、そんな経営者、管理者が
いることも事実です。
それに付き合うことは、何の特にも
なりません。
忍耐を、何に対して発揮するのか
目的を明確にしていくことが
大切であり、自分の成長と
よりよい人生のために必要となっている
そんな感じがします。
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2006年03月17日

私は最も正しい戦争よりも

『私は最も正しい戦争よりも
 最も不公平な平和を選ぶ』
      キケロ

古代ローマの時代にも、
どんな戦争よりも平和の方がよい
そんな考えがあったのです。
でも、なかなか、その考えに
世界のみんなが、共感して、
行動できない現実があり、
世界のどこかで、戦い、争いが
無益に行なわれているのです。
哀しいことです。
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2006年03月16日

人は考えることによってではなく、

『人は考えることによってではなく、
 行なうことによって成長する』
        ダンテ

まず、行動してみよう。
このような言葉は、多くの人が
語っています。
そんな言葉のひとつです。
イタリアの詩人、ダンテも、
考えているだけでは、
人は成長するのは難しいと
考えていたようです。
考えることも大切です。
ただ、変化は、行なうことで
訪れることが多いのは、
間違いのないところです。
もちろん、行なうことには、
リスクがともないます。
だから、勇気が必要になることも
あります。
ある意味では、結果はどうあれ、
行なうだけでも、変化、成長を
得られるといえるでしょう。
しかし、人に、行ないなさいと
言うのは簡単なことです。
自分が行なうことは、難しいものです。
仕事においても、人生においても
それは同様ではないでしょうか。
だから、自ら行なってみせてくれる人には
人望が生まれてくるのだと思います。
posted by 清水の伏竜. at 07:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

上善は水のごとし

『上善は水のごとし』
    「老子」より

水、そのかたちは、それを入れる器によって
かわっていく、その流れは、さえぎるものを
避けて流れていく、
高いところから、低いところへ向けて
柔軟に、いけるべき道を自然にまかせて
流れていく、
そして、すみずみまでいきわたっていく
また、水は、エネルギーも、もっている。
水の力は、時には鉄も切ってしまう。
また、家も押し流してしまう。

上善、理想的な生き方をしていこうと
するのなら、水のように、
自己主張しすぎず、謙虚に、他の人の言葉に
耳をかたむけ、自在に、生きていくことも
必要でしょう。

水に学ぶべきこと。それも人生の良き生き方。

そんなことを昔の偉人は、語ってくれて
いたのですね。

水、身近であるけど、貴重であり、
命を育むもの。
人は、水に何かを学ぶ必要が、
本当にあるのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月14日

杞憂

『杞憂』
  「列子」より

中国の周の時代に、杞の国という国があり
その国に住んでいた男が、
ある日、天が崩れて落ちてくるという
心配をし始めて、食事も喉に通らなく
なってしまったそうです。
その男の様子を見かねた、ある男が、
こう説明してあげたそうです。
「天は空気の集まりでできている。
 気はどんなところにも存在していて、
 私たちの日常の動作もこの気の中で
 行なわれている。だから、天が
 崩れることなどなく、たとえ落ちて
 きたとしても、気だから怪我など
 しない。」
その説明を聞いて男は、安心して、
すっきりとした気分になったとそうです。
このお話から、つまらない心配をすることを
杞憂というようになったそうです。
これって、カウンセリングの一種の
ように感じられる話ですね。
posted by 清水の伏竜. at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月13日

益者三友、損者三友

『益者三友、損者三友』
   「論語」より

さて、三種類の友人が、
ためになる友人と、ためにならない友人とが
いるという教えです。

ためになる友人とは

 正直な人、誠実な人、教養のある人

であり、
ためにならない友人とは、

 不正直な人、不誠実な人、口先だけうまい人

だそうです。

よい友人を得るということは、人生における最大の宝の
ひとつであるといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 02:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月12日

蟷螂の斧

『蟷螂の斧』
  「荘子」より

かまきりが、自分より大きな相手に
あのかまのようなあしを振り上げている様子から
力の差が歴然としている相手に
向かっていくことを表すようになったようです。
また、自分の力や能力を過信して
勝てない相手に向かっていくことも
意味するようになったようですね。
かまきりが、いぬや猫にかてるでしょうか。
自分の力を過信しないことが
大切であり、いきなり手の届かないことに
チャレンジするのではなく
少し頑張れば手が届くところから
徐々に、ステップアップしていくことが
大切なのだということですね。
でも、夢は、抱くことは大切です。
斧を振り上げることではありませんからね。
posted by 清水の伏竜. at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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