2005年07月31日

発言と沈黙との時を知るは大事なり。

『発言と沈黙との時を知るは大事なり。』
           セネカ

ローマのネロ皇帝の家庭教師であり、執政官であった人物の言葉で、
その生涯における処世訓として、伝えられているとのことです。
言葉のあたえる力について、考えさせられる言葉のひとつです。
言うべきときと、聞くべきときを、しっかりと理解しておかなければ、
物事はうまく運ばないということです。
しかし、この時を知ることは、なかなか大変です。
経験も必要でしょうし、また感情的になってしまうとダメでしょう。
冷静でいること、常に心を平常心に保っておけることが出来ないと、
状況を把握し、様子をつかみ、雰囲気を感じて、
何を言うべきか、聞くべきかを、判断できないように思います。
しかし、失敗することを恐れて、何も言わないでいるのも問題なのです。
私も、今でも、この時を知ることが出来ずに、混乱し迷うことが
多くあります。
余計なことを言ってしまったために、余分な仕事をしなければならなくなったり
責任を押し付けられてしまったり、損をしてしまうことも多いです。
よかれと思っていても言うべきではない事もあるのが、難しいところですね。
また、悪いと思っていても、言うべきである事もあるのですから。
ただ、立場的、責任的に、上位に立つものが、その場の会話を
コントロールしていくことが必要であると感じます。
上司が、なぜ言わなかったかという言葉を部下に言うことは、
自分が、部下に話させることが出来なかったと無能を告白しているのと
同じ事だと思います。
子供に対するときも同じではないでしょうか。
子供は言わなかったのではなく、言えなかったのです。
そこの所が難しいところですね。
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2005年07月30日

女の推量は、男の確実さより・・・

『女の推量は、男の確実さより
 はるかに正確である。』
         キップリング

男の理論的に導いた結論よりも、女の直感からの結果の方が、
正しいことが多いというこの言葉は、女性のもつ感性の力が
いかにすばらしいものであるのかを示しています。
企業もその感性を大切にしていくことが出きるかどうかは、
新しい飛躍を望むなら、重要な人材的なファクターであると
いえるでしょう。
これからの日本の企業のありかたで、女性が勤務しやすい企業、
母親が勤務しやすい企業が、勝ち組みになっていくものと
思われます。
経営者も、古い考えに固執することなく、時代の要請や
要求を読み、女性の力、能力を正しく評価できるように
ならなければいけないでしょう。
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2005年07月29日

応に住する所無くして而も其の心を生ずべし

『応に住する所無くして而も其の心を生ずべし』
              禅語より

道元禅師が詠んだ句に
「水鳥の 行くも帰るも 跡絶えて
 されども道は 忘れざりけり」
というものがあるそうです。
何事にも捕われない心のことを”清浄心”というそうです。
この心を持つことの大切さと、
その心で、ものごとに接して経験をし感じることが大切であり、
ものごとに捕われてはいけないということです。
執着は、心に迷いを生じさせるだけであり、
飛躍にとっては、不要なこと、邪魔になることだというのです。
一箇所にとどまることなく、自由に出かけていって、
接していくこと、新たな出会いは、出かけていかなければ
ないのだから、とどまることは、成長を妨げることになるというのです。

この言葉には、心の成長というものは、心根の持ち方によって
大きく変わっていくものであるということを、
教えてくれます。
そして、人間にとって成長するのに、執着することは、
妨げにしからないものであるとも教えてくれています。
まさに、其の通りだと思います。
しかし、人は、いろいろな欲望から、いろいろな執着をもってしまうものです。
ただ、執着だけからは、心の成長と、本当の幸福、平安は得られないでしょう。
そのことを、いつも思い返すことが必要なのだと思います。

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2005年07月28日

派閥は、人間平等の精神の敵である

『派閥は、人間平等の精神の敵である』
           本田宗一郎

「人間が人間そのものを尊重し、
 その特性を正当に認め合えば、
 そこに派閥などという非人間的な関係は生まれない。
 派閥は特性という人間価値より、学歴、経歴、出身地などと
 いった、きわめて偶然的な条件を高く評価する
 前近代的な感覚の所産なのだ」

大きな企業になればなるほど、大きな組織になればなるほど、
この派閥というものの存在が顕在化してきます。
人間の特性を正当に認め合うこと、
これが出来るかどうかが、ポイントなのでしょう。
企業内においても、トップからアルバイトまで、互いに
相手の人間の特性を認めることが大切であるということですね。
しかし、それが出来ないことが多々あります。
事業部や部門間で、協調できないという事象が発生するのは
まさに、派閥化といえるのではないでしょうか。
この垣根は、やはり情報の共有化と、トップの意識が、
大きな要素となっているような気がします。
組織を大切にして、社員を大切にしなくなった経営に、
未来があるといえるのでしょうか。
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2005年07月27日

人間は地位が高くなるほど、・・・

『人間は地位が高くなるほど、
 足もとが滑りやすくなる。』
       タキトゥス「年代記」より

ローマ帝国における不敗の様子のなかから、出てきた言葉、
現代社会においても、同様なことがいえるようです。
政治にしろ、行政にしろ、企業にしろ、
この言葉のあてはまる事件や、ニュースが、目に付きますね。
人間は、進歩しているようで、進歩していないのかもしれません。


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2005年07月26日

やってみせ、言ってきかせて、・・・

『やってみせ、言ってきかせて、
 させてみて、ほめてやらねば、
 人は動かじ。』
       山本五十六

土光敏夫さんの座右の銘でもあったそうです。
組織における管理職、リーダ、上司のあるべき姿を
示している言葉といえます。
残念ながら、現実の社会において、このような行動のできる人は
少ないといえるでしょう。ほめるよりも、しかる方が多く、
やってみせはなく、言って聞かせるから始まる場合が、殆どでしょう。
よく、言われたことしかしない社員が多くなったという言葉を聞きます。
それは、言われたことしかしない社員を多くしてきたというべきなのだと
思います。上に立つものの責任といて、下のものをどう教育し、
どう指導して、動かしていくのか、成長させていくのか、
そのことを考えるにあたって、ヒントとなる言葉のひとつでは
ないでしょうか。
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2005年07月25日

まける人のおかげで・・・

『まける人のおかげで
 勝てるだよなあ』
       相田みつを

相田みつをさんの言葉です。
相田さんの言葉に、「おかげさん」というものがあります。
この世界は、<おかげさん>でないものはなく、
<おかげさん>で、なりたっているのだというのです。
それに関連した言葉のひとつが、紹介した上の言葉です。
私は、清水エスパルスのサポータを、1992の創設当初からしています。
サッカーの試合で、よくサポータの中に、相手チームを罵倒する人がいます。
私は、そんな応援は嫌いです。
実は、ブーイングも嫌いです。
ただ、ブーイングも儀式的に使用する場面もありますから、その程度であれば
いいかなとは思いますが、そうでないときには、自分のサポートするチームや
選手を応援することが主体であるべきだと思っているのです。
ましてや、エスパルスが勝利をして喜ぶには、対戦相手が必要なのです。
その対戦相手に対して、迎えるとき、礼をつくすのが、
真のサポータだと思っています。
サポータは12番目の選手、ならば試合を観にくる観客を楽しませる応援を
しなければならないと常に思います。
罵倒や、ブーイングや、指笛などは、観客の気分を悪くするだけです。
笑いを呼ぶようなユーモアのある野次や、選手への激励、またパスのリズムなどに
あわせたり、チャンスのシーンを得点できるように盛り上げること、
それが、試合でのサポータの役割だと思っています。
お客サンに例え、エスパルスが勝てなくても、楽しんでもらえる雰囲気、
それをつくるのがサポータだと思うのです。
相手チームを倒せではなく、エスパルスに勝利を、そんな応援であるべきだと
思っています。
ちょっと、話が脱線してしまいましたが、
相手チームのおかげで、エスパルスは試合ができるのです。
だからサポータも応援ができるのだということです。
相田さんは、社長さんは社員がいるから、先輩は後輩がいるから、
先生は生徒がいるから、合格者は、失格者がいるから、主役は脇役がいるから、
買い手があるから売れ、売り手があるから買える、それらすべてが、
おかげさん、そう語っています。
でも、その真理を忘れてしまうことが多いのです。人は弱いものですね。
忘れないためにも、常に心がけ、紙に書き、言葉に出してしゃべってみることが
必要なのかなと思います。
成果主義の導入の欠点は、おかげさん、この真理をいっかりと守った上での
導入が出来にくいという点にあるように思います。
そこを間違えると、失敗するのだと感じます。

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2005年07月24日

習慣は、第二の天性である

『習慣は、第二の天性である』
      アウグスティニス

生まれたときに持っている性質を第一の天性としたら、
生まれたあとに身についていった習慣は第二の天性といえる性質でしょうと
いうことですね。どちらも同じ天性といて、人には備わっているという
ことです。第一の天性は、変えられないものの、
第二の天性は、変えることも可能です。
もちろん、小さいころに備わってしまった第二の天性となると、
変えることは難しいでしょう。
しかし、第二の天性は、変えるだけでなく、増やすことも可能でしょう。
よい習慣をつけることが、人間といての性質を変えることになるということですね。
年をとってからも、意識して、行動しつづけることで、
第二の天性を新たに備えることが出きるのでしょう。
それには、努力と忍耐と継続が大切ですね。
でも、天性をかえることで、人生がより豊かになっていくのですから、
やってみる価値はあると思います。
私も、何かしていかないといけないなと思います。
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2005年07月23日

氷炭相愛す

『氷炭相愛す』
    「淮南子」より

氷と炭、お互いに相反するものが、愛し合う様子、
性格のまったく違うカップルのことを指すことばだそうです。
性格がまったくことなっていても、
愛し合うことが出きること、他人が見ていてもうらやむ関係に
なれることがあるということですね。
本当の意味で、愛し合うという関係になれるなら、
それに、性格などの違いは、障壁にはならないということでしょうか。
心の中の思い、心情の深いとことろで結びつくことが、
大切であるということでしょう。
そこには、不倫とか浮気とか裏切りとか嫉妬とか憎しみとか
そんなことは、一切存在しない、純粋な愛の関係が、
成立するのでしょう。それは、欲望ではなく、より高い次元での
人間関係であり、またより深い次元での人間関係であるとも
いえるのではないでしょうか。
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2005年07月22日

天を敬い人を愛す

『天を敬い人を愛す』
     西郷隆盛

明治維新の動乱の時代、江戸城開城にあたって、
西郷隆盛と勝海舟の間で、無血開城のための話し合いが行われたことは
有名なお話です。そのときに、西郷隆盛が勝海舟へ回答したときの言葉だそうです。
すなわち、江戸での戦闘を避けることへの合意の理由の説明であったわけです。
戦いは空しいものです。
戦うことなく、血を流すことなく、物事を解決するように努力することこそが
その責務を与えられた人間のすべきことだといえるでしょう。
江戸幕府の終幕にあたっては、何度か、話し合いによって、
解決へと向かうといったことがなされたケースもありましたが、
結局、戦いにより無益な血を流したケースも多かったわけです。
同じ結果で、どちらが評価されるべきかは、考えるべくもないでしょう。
血を流さずに解決することの方が、ずっと優れているのです。
日本は、外交上の問題において、戦闘による解決を放棄しています。
そのことをもっと大きな声で海外に訴えると共に、戦闘による解決ではない
話し合いなどでの解決に方法や手法において、もっともっと能力を
高めていく必要があるといえるでしょう。
そして、なぜ戦うことをしないのかといえば、その根本は、愛にある
わけです。明治の時代より、そのように考えてきた人たちがいるのですから。
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2005年07月21日

愛に住すれば人生に意義あり、・・・

『愛に住すれば人生に意義あり、
 愛を離るれば人生は無意味なり』
            二葉亭四迷


「浮雲」でしられる作家の言葉は、愛がなければ、人生には意味がないと
いうことのようです。
確かに、そんな感じもしますね。愛という心が、無いと生きていくなかに
何か虚無感や、空洞を感じるように思います。
また、ささえを失ってしまっているような気もします。
でも、愛の捉えかたが、誤っていたら、意味はないのでしょうね。
愛の本質を知ること、それが、まずは必要なのかもしれません。
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2005年07月20日

愛に束縛なし、真個の自由なればなり

『愛に束縛なし、真個の自由なればなり』
            内村鑑三

愛は、束縛されることがない、本当の意味で、自由であり、
その自由は、個々の人のなかにあるまことに由来することになると
いうことなのでしょうか。
愛することは、相手のために、与えることです。
それは、相手を傷つけてはならないし、相手に苦痛を与えてもならないし、
相手に恐れを抱かせてもならないし、そして、自分に得るものがなくても
それを許容しなければならないのですから、
それでは、束縛されているのではと思うかもしれませんが、
本当の愛は、それらを、束縛とも、なんとも、意識せずに、感じずに
行えるものであるということですね。
だから、本当の愛をもつ人は、すでに、束縛されていないし、
自由であるわけです。
本当の愛をもつ人間になることは、難しいことですが、
同時にすばらしいことなのでしょう。
それは、悟りを得た境地と同じようなものなのかもしれません。
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2005年07月19日

愛に疑惑なし、最上の真理なればなり

『愛に疑惑なし、最上の真理なればなり』
             内村鑑三

愛の本質に、疑惑はない、それは、愛がこの世界における
もっとも最高の真理であるから、
では、疑惑のあるような心であったら、それは愛とはいえないとも
いえるでしょう。
人間の感情、精神の中にあり、世界中で、普遍であり、永遠でもあるもの
それが、愛と呼ばれる心であるわけですね。
愛と簡単に一言で言ってしまうことがあります。
でも、本当に真理なる愛であれば、簡単に口にしてはならないものであるかも
しれませんね。
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2005年07月18日

愛に恐怖なし、最上の道徳なればなり

『愛に恐怖なし、最上の道徳なればなり』
            内村鑑三

キリスト教の慈愛の精神、その愛をもっていれば、
どんなことも怖くはないという。
愛にも、いろいろあります。
決して許されるものではないものも愛と人は呼んでいます。
しかし、本当の愛であれば、それは、道徳的にも最上のものであるはずなのですね。
したがって、この社会に偽愛が、いかに多いのかということにも
なるのかもしれません。
そして、人は、真実の愛ではないものを動機として行った行為を
愛ゆえにといって、ごまかそうとするのです。
それは、愛ではなく、大抵は、欲望と、憎しみと、自己防衛の心から行っているだけで
あったり、罪から行っている行為でしかなかったりするのですが、
それに気がつかずにいることが多いのですね。
愛は、得るものではなく、与えるものだということが、本質であり、
したがって、愛してもらうのではなく、愛するということが正しいのであり、
愛するということは、見返りは必要なく、ただ只管に相手に、
与えるのみの行動であるということでなければならないのですから、
これは、大変なことだといえるのです。
何も得られなくても、与えることができる人が、今、この世界にいったい何人いるでしょうか。
私も、まだ慈愛をもてるほどの人格もなく、徳もないことを実感しています。
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2005年07月17日

友を得るには、相手の関心を引こうとするよりも、・・・

『友を得るには、相手の関心を引こうとするよりも、
 相手に純粋な関心を寄せることだ。』
     D・カーネギー「人を動かす」より

やはり、友人を得たいときには、まず相手に関心を寄せることからだと
いうことですね。
友人が出来なくて、悩みを内にかかえて、そして、ネットで見知らぬ人と
自殺をしようとする、そんな事件を耳にすると、
友人をつくるということを、忘れてしまった現代の子供たちの
一面を感じさせられてしまいます。
友を得るのは、若い時代の方が、より良いことは、
間違いありません。
まず、友人になりたいと思うひとに関心を寄せること、
しかも、純粋であること、
打算がある関心では、ダメだということですね。
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2005年07月16日

一人一人の人間がみな性質も身体rつきも声も違うように、

『一人一人の人間がみな性質も身体rつきも声も違うように、
 一人の男と女が結婚して同じ家の中で生活を始める場合、
 この「結婚」はみなそれぞれ独自のものとなってくる。』
           庄野潤三「幸福な家庭と不幸な家庭」より


人間は、個性があり、ひとりひとりが、違っていてあたりまえ、
ならば、結婚のありかたや、家庭のありかたも、
それぞれ異なっていてあたりまえ、
だから、他の家庭と比較して、何かを嘆いたり、不満をいうのは
筋違いというもので、そんなことは気にせずに、
自分たちの家庭の幸福のありかたを考えていくべきなのでしょうね。
男女の出会いも、恋愛のありかたも、さまざまということなのでしょう。
でも、やはり人は、理想というものを求め合うものです。
そして、理想に近づきたいと願うのですね。
それもまたある意味当然だと思います。
また、良いことだと思います。
でも、理想が実現しないからといって、悲観したり文句をいったり
苦しんだり、そんな後ろ向きなことでは、ダメになってしまうのでしょう。
あくまでも、前向きに、理想に近くなった部分に目をむけて、
小さな満足を増やしていくことにこそ、重点をおいていくことが
幸せな状態を作り出すような気がします。
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2005年07月15日

最も良いタイプの愛情は、・・・

『最も良いタイプの愛情は、
 相互に生命を与え合うものである』
     バートランド・ラッセル(英・ノーベル文学賞受賞者)

本当に心から愛し、愛されているというときには、
二人の中には、大きなエネルギーを得ることができ、
前向きで、積極的に生きていく勇気を得ることができるもの。
そんな愛を与え合うことこそが、本当の愛情というものではないのかという
この言葉は、人間の持つ愛情の本質を捉えた言葉のひとつでは
ないでしょうか。
こんな愛情を持ち得るカップルや兄弟姉妹、親子、親友といったものは
一生、変わらぬ関係を保つだけでなく、常に良い関係へと
発展していけるような気がします。
夫婦の間、恋人同士では、とくに大切なことではないかなと感じます。
でも、これが難しいのでしょうね。
真実にちかく、真理にちかいようなことを、普通に行うことは、
簡単なようで実は難しいものです。
人間の原罪のためなのかもしれません。
それとも弱さのためのかもしれません。
でも、そんなものを乗り越えて、少しでも良い関係へと関係を築いていくこと
それが、できるような方と出会えて、お付き合いできるようになれたら
幸せなことですね。今の私にとっての夢のひとつかもしれません。

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2005年07月14日

自分の身を実際以上に幸せにも不幸にも・・・

『自分の身を実際以上に幸せにも不幸にも考えるのが若者の欠点である』
                 レッシング

『無知の知』という言葉もありますが、自分自身のことを知ることが
とても大切であるということなのですね。
それは、後ろ向きではなく、前向きな意味で、今の自分のことを知ることを意味します。
これから何をしなければならないのかわからないとか、
どんなことをしていくのがよいのかわからないとか、
自分の人生の今後を考えていくにあたっても
まずは、現状のありのままの自分を知ることが、スタートになるのだと思います。
しかも、過少評価もだめだし、過大評価もダメということですね。
今の能力、知識、体力、技術といった面、EQやコンピテンシーなどにおける
ポジションと特徴など、また、知らないこと、知りたいこと、
さまざまな尺度と視点から、自分をみて、評価してみることから、
より楽しく、充実した人生を歩むための方向性や目標などを、
定めてみることが大切なのでしょう。
ただし、無理をするのもよくないですし、背伸びしすぎるのもよくないのですよね。
高慢にならない自信と、卑屈にならない謙虚さが、大切だということになるのでしょう。

自分を知るという意味では、過去の自分=学習履歴、学歴、職歴、賞罰、資格免許、なども
整理しておくことは、よいことであると思います。
若い頃からおこなっておくと、後から便利ですからね。

さらには、先祖のこと、親類縁者のこと、なども整理しておくのもよいでしょう。
ルーツというドラマが注目をあびたことがありました。
自分が、どんな歴史的な背景から、今、この世界で生きているのかを、
たどっていく物語もあったのですが、家系図というものを、書いてみるのも
この7月、8月のお盆の季節にはよいのではないでようか。
家系図をつくる中で、祖父祖母の話を聞いたり、親類の話を聞いたりするなかから、
また何かを得ることあできるように思います。
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2005年07月13日

精神一到何事か成るざらん

『精神一到何事か成るざらん』
『陽気の発する所、金石も亦透る』
       「朱子語類」より

中国の南宋の学者朱子と門人たちの問答集「朱子語類」(全140巻)の
中に出てくる語句だそうです。
強い意思と精神をもってすれば、どんなことでも成し遂げられるという
意味合いの言葉です。
逆にいえば、何事かを成し遂げようと思ったら、
意思と精神も必要であるということがいるのではないでしょうか。
何かを成し遂げた人は、やはり意思の力と精神力において、
秀でた部分がある人が、殆どではないのかなという気がします。
そうなると、現代社会において、ストレスから、うつ病になったり
心身症になったりする人が多いというのは、達成できる人が少なくなっていく
社会であるといえるのかもしれません。
簡単に、自分の命を絶ってしまう少年少女たちの事件のニュースを
耳にするたびに、心が痛みます。
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2005年07月12日

チャンスは貯金できない

『チャンスは貯金できない』
    キッシンジャー

アメリカで20世紀における最高のメンタルセラピストとも言われる、
政治家であり、評論家であり、作家であり、学者でもある方の言葉ということです。
たしかに、チャンスは、逃してしまったら、もう取り戻せません。
その瞬間に捕まえなければならないのですが、
これが、結構むずかしかったりします。
あた、チャンスに気がつかないということも、多くあります。
振り返ってみて、はじめて、あれはチャンスだったのにと後悔することになるのです。
貯金できないチャンスを、どう捕まえて、どうものにするのか、
天性の才能もありますが、訓練と知恵(知識)で、カバーできないわけでもないようです。
ただ、そのためには、努力と自己投資が必要になるわけですけどね。
私も、チャンスを逃してきた方の人間です。
悲しいかな・・・・・。
若い人たちは、アンテナをひろげて、チャンスに敏感な心を育んで欲しいと願います。
posted by 清水の伏竜. at 02:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする