2005年05月31日

人生は何事も偶然であり、・・・

『人生は何事も偶然であり、また必然でもある。
 これを我々は運命と称している。
 もし一切が必然であるならば、
 運命というものは考えられない。
 偶然のものが必然の、必然のものが偶然の意味を
 持っているゆえに、
 人生は運命なのである。』
     三木清「希望について」より

偶然なのか、必然なのか、ものごとを、どうとらえるのか、
その人の心境や心情、環境などによって、左右されることが多い感情ですね。
偶然だと考えたいとき、必然だと考えたいとき、
同じ出来事であっても、その解釈は、人によって異なっていたりするものです。
それは、その人が、その出来事をどう思いたいのか、
その出来事をどう感じたのか、
その出来事からどんな影響を受けて、どんな感情をもったのか、
さまざまな要因により、かわるものだといえるでしょう。
万人が、必然だといいきれない、
万人が、偶然だといいきれない、
だからこそ、運命だということになるのかもしれない。
たしかに、そのとおりなのかもしれませんね。
人生は、運命なのかもしれません。
しかし、運命は、自分の手で、変えていくことが可能であるということを
忘れてはならないのだと思います。
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2005年05月30日

「運命を信じますか?」

『「運命を信じますか?」
 「もちろんですとも、でなけりゃ大嫌いな、
  いやらしい奴らが成功するのを、
  どう説明して納得するのですか」』
         ジャン・コクトー

運命について、運命という理由ずけによって、
なんとか気持ちを落ち着けたいという心境になることが
人間には、あるものです。
そんな、心情を、この言葉は、よく表しているように感じます。
心の葛藤、ストレスを昇華させるために、
自分の気持ちを納得させるために、
そして、次のステップへと歩みを進めるために、
必要であるなら、運命という言葉に頼ってもよいのではないでしょうか。
世の中には、本当に不思議な因縁とか、出会いといったものが
存在していることは確かですし、宝くじにあたったり、
何千倍の馬券をあてたりって、とうてい必然とは思えないものですからね。
また、男女の出会いにしろ、
仕事の仲間の出会いにしろ、
運命という言葉でないと、なんとも説明しがたいことは、あるものです。
不思議なことですけど・・・。
もちろん、運命には、幸運もあれば、不幸もあります。
先の脱線事故にあった被害者の皆さん、運命と言うには辛すぎる現実です。
しかし、必然だなんて絶対に言いたくないことも確かなのです。
運命、人生における何かをあらわす、避けられない言葉のような気がします。
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2005年05月29日

我々は、自ら幸、不幸をつくって、これに運命なる名称をつける。

『我々は、自ら幸、不幸をつくって、これに運命なる名称をつける。』
                   ジョンソン

運命とは何か、いろいろと語られる命題です。
ひとつの解釈として、自分自身が、幸福だ、不幸だ、それは運命だと
思いこみたいという気持ちが、人のなかにはあるものだという
考え方ですね。
確かに、そんなところもあるのかなと思います。
人は、なにかにつけ、理由をつけて、納得したいものですから・・・。
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2005年05月28日

雨は一人だけに降り注ぐわけではない。

『雨は一人だけに降り注ぐわけではない。』
         ロングフェロー

この言葉を、どのような意味に受け取るのか、
きっと、聞いた人により、それぞれではないでしょうか。
幸運は、誰にでも平等に与えられるもの。
悲しみは、誰のもとにもやってくる。
恵みは、誰のもとにもやってくる。
雨を何の象徴と受け取るのか、そして、
一人だけに降り注ぐのではないというのを、
平等にとうけとるのか、それとも独占できないと受け取るのか、
この言葉を聞いたときの心境や環境によって、
きっとさまざまに感じられるのではないでしょうか。
しかし、出来れば、常に前向きに、良い意味で、
言葉を捉えていけたらよいのではないでしょうか。
それが、心の励みになると思います。
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2005年05月27日

人は、運命を避けようとしてとった道で、

『人は、運命を避けようとしてとった道で、
 しばしば運命に出会う。』
       ラ・フォンテーヌ

運命という言葉、よく占いなどでも耳にする言葉です。
また人生を歩んでいるなかでも、耳にします。
自分にとって、いやな運命だと感じて、避けたとおもったら、
実は、避けること自体が、運命だったということなのかもしれないのです。
なかなか、難しいところですね。
しかし、運命ということばは、多くの場合、結果に対して語られるものであるように
感じます。
それでは、その結果を導き出す前においては、運命など関係ないとも
いえるのではないでしょうか。
どんな、運命が待ち構えているのか、それは、今の自分が、なにを考えて、
どう行動するのか、その内容によるといえる気がします。
だから、運命は自分が切り開くものであり、つくりあげるものなのだと
いえるように感じます。
運命的な出会いというものを、してみたいとは思いますね。
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2005年05月26日

悲しみを前向きに受け止めて味わい尽くさないことは、

『悲しみを前向きに受けとめて味わい尽くさないことは、
 楽しい時に、その喜びを堪能しないのと同じほど、
 人生を空しくするものだと思う。』
       松本侑子「別れの美学」より

前向きに生きること。簡単に口にできる言葉であるほど、
実際に実行するのが難しかったりするものですね。
悲しみ、そんな経験は、だれもが、あるでしょう。
その悲しみに対したとき、それを乗り越えて、前向きに
歩みを進めていくときには、難しいものです。
当事者にとっての悲しみの深さは、外からではわかりません。
そのことを理解した上で接していくことが大切なのですが、
それを感じ取れない人の方が、世の中には多かったりするのも事実でしょう。
他人にとっては、何でそんなに悲しいのと思うことであっても
当事者にとっては、死にたくなるほどの悲しみであることも
現実に存在するものですから。
自分が経験したことのないこと、感じたことのないものに対して
共感しえるために、人間には、想像力と感性が与えられているのかも
しれませんね。想う心の大切さ、そんなことをおもったりしました。
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2005年05月25日

自分の苦しみにたいして・・・

『自分の苦しみにたいして無感覚になっていれば、
 他人の苦しみにたいしても無感覚になりがちである。
 侮辱的な扱いを受けつづけていれば、
 自分自身の尊厳に対する感覚を失うだけでなく、
 他人の尊厳に対する感覚をも失ってしまう。』
    M・スコット・ペック「平気でうそをつく人たち」より

苦しみを知ることの意味と、侮辱を受けつづけるような環境における狂気を
伝えている言葉なのかなと、思いました。
これは、ある意味、教育における教訓的な部分もあるような感じもします。
子供にしろ、新人にしろ、学生にしろ、部下にしろ、
自分が教える、導く対象となる人に対して、相手が苦しんでいることを
理解できる人物は、自分も苦しみを知っている人物であることが多いでしょう。
また、相手に侮辱的な扱いをしつづければ、やがてキレルということに
なり、その相手から尊厳のある応対をしてもらえなくなることでしょう。
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2005年05月24日

不幸は、これを語ることによって軽くすることができる

『不幸は、これを語ることによって軽くすることができる。』
                 コルネィエ

ストレスの多き社会において、よく言われることに、
ストレスの発散には、誰かに話を聞いてもらうことという方法が
あるといわれます。不幸なことを、誰かに聞いてもらうことで
気持ちが楽になるというのは、確かなことなようですね。
だから、辛い気持ち、悲しい気持ちになっている相手に対したとき
ただただ聞いてあげるということも必要なのだということですね。
癒しのこころは、やさしい眼差しと微笑みで、相手の言葉を
静かに聞いてあげるということが出来る強さなのでしょう。
マザーテレサや、ナイチンゲールは、そんな女性だったのかも
しれませんね。あなたは、愛する人の言葉を、唯ひたすらに聞くことが
出来るでしょうか。
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2005年05月23日

人生は学校である。そこでは・・・

『人生は学校である。
 そこでは幸福よりも、
 不幸のほうがよい教訓である。』
        プリイケエ

人生・・・・。
半ばまで歩みきたその道のりを振り返るとき、
後悔していないかと問われたら、NOとは答えることは
できないだろう。
とくに、ここ10数年間、バブルからバブル崩壊の時代において
自分のなしたことと得たものを考えたとき、
その当時は、考える余裕すらなかったのだが、
後悔することが多い・・・。
しかしながら、後悔したところで、何も戻ってくるわけではない。
その後悔をしている不幸な出来事から、
何かを学びとることが、今必要なことであるといえるのであろう。
人の痛みを知るためには、自分もその痛みを感じることが
もっとも近道であることは、間違いない。
なかなか、人生も大変である。
伴侶や守るべき家庭、子供たちがいる人たちは、
そのことだけで勝者であり、幸福であるように感じられる。
仕事の現場においても・・・。
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2005年05月22日

およそ人の上に立って・・・

『およそ人の上に立って
 下のいさめを聞かざる者の、
 国を失い、
 家を破らざるは、
 古今とも、これない。』
      徳川家康 「岩淵夜話別集」より

上にたつものの姿勢を語った言葉です。
下のものの言葉に耳を傾けないもの、
下がものをいえないような雰囲気を作り出してしまうもの、
そんなものが上にたてば、国を失うだろうし、
家もおかしくなっていく、これは、いつの時代でも
同じことだということですね。
まさに、今、日本の企業で起こっている問題の
原本原因のひとつを示している言葉ではないでしょうか。
聞くということは、ただ言っていることを聞いていればよいのではなく
聞いた上で、それを受け入れ、考え、行動に移すということです。
ただ聞いただけで、何もしなければ、聞いたことにはなりません。
よく下のものに、そのように言う上のものほど、
自分が出来てはいないことに気がつかないことが多いようです。
すると、下のものは上のものを信用しなくなり、
そして、組織の力は弱くなっていきます。
気がついたときには、手遅れとなているという感じでしょうか。
下のものも、何度も同じことを上のものに言うには勇気もいるし
大変なことなのですが、
上のものが、何度も同じことを下のものに言うのは、当たり前のことであり
簡単なことであるのを、知っておく必要があるでしょう。
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2005年05月21日

人間は本当に落ちるところまで落ちると・・・

『人間は本当に落ちるところまで落ちると、
 もはや、他人の不幸を喜ぶ以外の楽しみはなくなってしまう』
             ゲーテ

人間のもつ矛盾。落ちるところまで、落ちたときに、
まだ、他人の幸福を願う気持ちと感謝の祈りが出来る人こそが
悟り、聖人、慈愛の人なのかもしれません。
人の矛盾に対しては、多くの人々が、それぞれの想いを
語っています。
その中のどれが正しい、または、真実に近いと思うのか
その判断は、ひとり一人に委ねられています。
この言葉は、私にとっては、警鐘の言葉として、
こうなってはいけないという戒めの言葉として、
捉えたいと思います。
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2005年05月20日

人間の心には、お互いに矛盾した二つの感情がある。

『人間の心には、お互いに矛盾した二つの感情がある。
 だれでも他人の不幸には同情しない者はいない。
 ところが、その不幸を切り抜けてよくなると、
 なんとなく物足りなくて、少し誇張して言えば、
 もう一度同じ不幸におとし入れてみたいような気持ちになる。』
                芥川龍之介

芥川賞で有名な、芥川龍之介の残した言葉ということです。
さて、みなさんは、どうでしょう。
このような二つの感情を経験したことがあるでしょうか、
多分、無い人と、ある人とが、存在するのではないかなと思います。
つまり、この言葉は、当てはまる人間とそうでない人間の
二通りがあるということではないでしょうか。
あなたは、どちらの人間になりたいですか・・・。
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2005年05月19日

友がみな われよりえらく 見える日よ・・・

『友がみな
 われよりえらく
 見える日よ
 花を買いきて
 妻としたしむ』
    石川啄木

『隣の芝生は青い』 ことわざ
『他人の卵には黄身が二つ入っている』 ことわざ

さて、納税番付が発表されて、36億円も納税したサラリーマンが
1位でしたね。歌手の宇多田ヒカルさんなど、常連の高い納税者の
皆さんの推定年収からの手取りは、一般サラリーマンの生涯年収を
かるくこえます。お金があるところには、本当にたくさんあるものです。
そんな人たちが、うらやましく感じるものだということなのですよね。
でも、空しいことだとわかっていても、
そんなこと思っても意味がないとは理解していても
やはり、うらやましく思えてしまうものです。
とくに、日々の食費の心配などをするような生活をしている
貧乏サラリーマンにとっては、なおさらです。
辛い仕事、充実感のない生活、足りない時間・・・。
でも、高納税者のみなさんは、満足感のある仕事、充実感のある生活、
有り余るお金・・・。
うーむ、やはり羨ましいですよね・・・。
さらに、ひとり身の人間は、さみしさもプラスされますから・・・。

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2005年05月18日

過失をなすは恥ずべし。・・・

『過失をなすは恥ずべし。
 されど、過失を改むるは恥ずべからず。』
           ルソー

過ちを犯すのは、恥ずかしいことです。
でも、過ちをおかしたあと、その過ちを反省し恥じることは
責められることではないでしょう。
もし、その過ちがわかってあとで、それを改めずに、
同じ過ちを犯すことは、恥ずかしいことでしょう。
といったことを、ルソーは言っているようです。
最近の企業のミスによる事故の多発などは、
企業事態の恥じであるといえるのでしょう。
繰り返される過ちが、あってはならないということを
何かあるたびに思い出すことが、必要なのかもしれません。
また、企業の社会的責任が問われる時代になっているのですから
過ちを隠すということは、それが発覚したときに、恥の上塗りとなり
さらに信用を失墜するのだということを、企業のトップや責任ある立場に
いるひとは、肝に銘じておく必要があるように感じます。
JR西日本で、社員に事故のことを口外するなといった内容と
個人での旅行や遊びも控えるようにという念書に署名捺印させるという
おろかな行動をとったことがニュースになってましたね。
それって、何かあったら個人の責任にしたいから、
自分の監督責任を逃れたいからとしか、みえません。
事故について社員は、インタビューに対して誠実に答えるべきだし
社内の問題は告知すべきであるのに、それをも押さえ込もうという
意図は明らかだと誰もが感じることでしょう。
そんな念書などとる必要などないはずです。
それ以前にすべきことがもっとあるはずなのに・・・。
やはり企業風土の問題というのは、簡単には直らないものなのだと
思います。
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十歳にしては菓子に動かされ・・・

『十歳にしては菓子に動かされ、
 二十歳にしては恋人に、
 三十歳にしては快楽に、
 四十歳にしては野心に、
 五十歳にしては貪欲に動かされる。
 いつになったら、人はただ知恵のみを追うて進むのであろう』
                    ルソー

うーむ。十歳はよしとして、恋人のいない二十歳で、
快楽には無縁で、過労気味であった三十歳、
野心もない四十歳の人間にとっては、この言葉はただ空しく聞こえるのみ
なのですね・・・。
知恵、知識の要求が、十歳のころから、三大欲望よりも大きかったからな・・・。
食事をわすれて、本を読み、テレビをみていたし、
食費を削って、本を買い、通信教育の教材を買い、パソコンを買い、
レコードやCDやビデオやLDやDVDを買っていましたしね。
煙草も吸わず、お酒も仕事や交友関係でのお付き合い程度、
歓楽街には行ったこともないし、さて、ルソーは、どうしてこの言葉を
残す気持ちになったのかな・・・・。
まあ、本当のところは、人を一般的に観察していて、感じたことを
語ったのでしょうけどね。

  
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2005年05月17日

人間は本当に落ちるところまで落ちると、

『人間は本当に落ちるところまで落ちると、
 もはや、他人の不幸を喜ぶ以外の
 楽しみはなくなってしまう。』
           ゲーテ

他人の不幸を喜ぶしかない状態、
なんだか今の日本の状況を言っているかのように
聞こえる部分もあるような感じがします。
特にTV番組、そんな傾向の番組が多くなっているような・・・
また、ニュースのとりあげかたも・・・
でも、この状況って、本当に悲しすぎますね。

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2005年05月16日

「今が最悪の状態」と言える間は、まだ最悪の状態ではない。

『「今が最悪の状態」と言える間は、まだ最悪の状態ではない。』
              シェークスピア

本当に最悪の状態になってしまうと、
最悪ということすら言えなくなってしまいます。
これは、本当にそうだと思います。
まだ、言葉にして、最悪の状態だって言えるのであれば、
ほんのちょっとは、余裕がある状態だといえるでしょう。
しかし、そのような状態の人に、接したときには、慰めても、励ましても、
逆効果になってしまうことがあるので、注意が必要ですね。
言葉で、とどめをさしてしまうこともあるのですから。
体調が悪いとき、本当に悪いと、もう言葉には出して言えません。
本当に痛い時には、言葉では表現できないくらい痛いものですからね。
ヘルニアになったとき、腰痛の本当に痛いときの凄さを経験して、
本当に痛いってときには、何も言えないし、本当に動けないってことを
感じたものでした。
また、統合失調症の人と一晩、付き合ったときにも、
相手の心を受け止めることの難しさを感じさせられたものでした。
自分が体験したことのないことで、特に不幸や苦痛に関しては、
本当の意味では、何も言えないものなのだなと感じさせられます。
しかし、自分が感じないからといって、相手のことを考えないといった
接し方をするのは、よくないことです。
責任のある立場、人の上にある立場にある人は、自分では分からないことも
わかる努力をする義務を負っているということを心に刻んで欲しいと思います。
うつ病ぎみの人に、頑張れということは、上司の無責任さか無能さを示すのだと
理解しなければ、ならない時代になっているということですね。
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2005年05月15日

みんなを幸せにする方法がひとつだけある

『みんなを幸せにする方法がひとつだけある
 それは、ひとり一人がそばにいる大切な人を
 自分の力で幸せにしてあげることだ
 そうやって、大切な人を幸せにすれば
 みんなが幸せになれる。ぜったいに。』
         「魔法少女隊アルス」のアルスのセリフより

「魔法少女隊」NHKの教育TVで放送されたアニメです。
最近注目のスタジオ4℃が雨宮慶太を原作にむかえて、
製作されたこのシリーズの最終話で、主人公のアルスが、
魔法界から人間界へと戻るときに、語る言葉です。
主人公のアルスという少女が、行方不明の父親を求めて、
あるきっかけで、魔法界へ。そこで、2人の魔法見習の少女に
出会い、物語は動きだします。人間、魔法、科学、この関係の中で
物語は、意外な方向へ。
3人の少女、魔法少女隊の友情、心の成長、絆、そして、
アルスという少女のもつ、強い想い。
アルスの魔法への想いが、親の教えからきていることに
やはり、親子の関係の大切さを感じます。
やはり、人の心の成長と心のありようは、親子の関係から
育まれていくのだろうなと、感じさせられました。
甘栗ちゃん・・・、アルスの言葉には、駄洒落もあり、
そして、心打つ言葉あり、そんな言葉のなかで、
物語を締める意味ありの強い言葉が、紹介した言葉です。
自分が幸せになるのではなく、人を幸せにする。
本当の幸福とは、そんなところにあるのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月14日

借りた金を返すことを考えない者は・・・

『借りた金を返すことを考えない者は幸福なるごとく、
 死ぬことを苦にせぬ者は幸福である。』
            夏目漱石「断片」より

・・・・はたして、この幸福は、本当に幸福なのだろうか・・・。
posted by 清水の伏竜. at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月13日

人生にとって幸福な音が三つある

『人生にとって幸福な音が三つある。
 一、夫が家にいて、静かに本を読んでページをめくる音
 二、その傍らに妻がいて、何かを作っている音
 三、その夫婦の側で、子供が元気に遊び戯れている音』
                 西洋のことわざ

家庭の幸福な光景、その様子は、みている人の顔にも、
思わず微笑みが浮かんでしまうようなものであり、
でも、すごく平凡なものでもあり、
なにか、暖かな雰囲気のあるものである。
そんな、普通の光景にこそ、幸福があるのかもしれませんね。
posted by 清水の伏竜. at 05:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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