2005年03月31日

名誉は「境遇から生じるものではなく」て、・・・

『名誉は「境遇から生じるものではなく」て、
 それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにあるのだ、
 ということに気づいているのは、
 ごくわずかの高徳の人びとだけである。』
         新渡戸稲造「武士道」より

紙幣の顔で知られている新渡戸氏の著作からの言葉です。
名誉という人間の欲求の中でも、高位に位置付けられるものを得ることの
意味を語られています。
なかなか、奥の深い言葉だと感じます。
自己の役割をまっとうに努めるということは、
その役割が、重要であり、責任が重くなるほど、難しいことなのです。
それが出来ること、それが名誉へとつながっているのだということでしょう。
名誉とは、欲しいと思って得られるものではなく、
自然に、与えられるものだということでしょう。
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2005年03月30日

すぐれたところがありながら疎んじられる人がおり

『すぐれたところがありながら疎んじられる人がおり、
 欠点だらけでも好かれる人がいる。』
         ラ・ロシュフーコー

確かに、と思わず頷いてしまいます。
人間関係は、能力でも経歴でもなく、人柄と、損得なのですよね。
あと、男女の場合には、外見も大きな要素でしょうね。
結婚相談で、女性の希望は、やはり、長男でなく、長身、スポーツマン、
太っていない、経済力があって、かっこいい人ということになっているようです。
私は、身長でダメ、長男でダメ、スポーツマンでなくてダメ、
どちらかといえば池中玄太ですし、経済力も預金なしですし、
その上、年齢も厄年過ぎ、これでは、相手にしてくれる女性を探すのは
難しいというものです。従って、私を愛してくれる女性であれば、
もう歓迎ってことになりますけど、なかなかいませんからね。
また、会社でも、今の経営層には、疎まれて、仕事もらえないって感じです。
いわゆる日干しによる自主退職追い込みにあっているってところでしょうか。
環境と相性、難しいものです。
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2005年03月29日

未練が老醜のはじまりではないだろうか

『未練が老醜のはじまりではないだろうか』
             中野重治

引き際というものについて、最近、考えさせられるような出来事が
経済界では、いくつかおこりました。西武、ソニー、NHKなどの
トップに関してですね。
政界でも、同じようなことが言えたりします。
地位への未練は、確かに老醜の始まりなのかもしれません。
しかし、社会貢献への意欲をともなった、仕事をしたいという衝動に
対する未練は、老醜の始まりとは言えないでしょう。
老齢社会となった日本において、60代は、まだ働き盛りといえるでしょう。
古希をすぎてからでは、ないでしょうか、一線を退くのは、
ただ、地位としては、トップランナーは、若手に譲り、後ろをフォローすると
いった形が望ましいように思います。
定年制度が、65才に法的に改定になります。
年金の支給開始の65才化と連動した形での改正ですが、
まだ、施行まで時間があるので、どの会社でも、対応するといった動きは
ないようです。
年齢という名の障壁は、いろんなところで存在します。
もう、必要ないと思われる障壁もあると感じるのですが、どうなのでしょう。

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2005年03月28日

ときに愚人のそぶりの出来ない人は、・・・

『ときに愚人のそぶりの出来ない人は、本当の賢人ではない。』
               欧州のことわざより

頭の良いひとは、時に応じて、馬鹿の振りが出来るということですね。
織田信長のようなケースも、その一例でしょうか。
ようは、時と場所、状況と相手、環境の変化、雰囲気の変化を読み取って
その状況にもっとも適した対応や素振りができるのが賢人ということなの
だと思います。難しことですけど。
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2005年03月27日

愚者は己を賢いと思うが、賢者は己が愚かなことを知っている。

『愚者は己を賢いと思うが、賢者は己が愚かなことを知っている』
         ジェークスピア「お気に召すまま」より

愚かなこと、間違い、未熟さ、そんなことを感じることが出来ないものに
賢者たるものはいないということですね。
悲しみ、苦しみ、悔しさ、空しさ、痛み、辛さ、厳しさ、他人のことを
自分のことのように感じることは難しいです。
しかし、感じようと思う気持ちがなければ、人を導くことも、諭すこともできないでしょう。
また、自らの過ち、無知、愚行、失敗、などを認めることができなければ、
人を、正しい道へと、指導したり、教育したりすることは出来ないでしょう。
プライド、自尊心とは、賢者こそが持ちえるものだともいえる気がします。
よく、他人にプライドがありすぎるという指摘をする人がいます。
では、その言葉を発した人は、どうなのでしょうか。
その言葉に、嫉妬や妬み、自分にないものを持つものへの劣等感などがあったなら、
その言葉には、空しさだけが、漂うでしょう。また相手には、逆恨みを買うだけでしょう。
言葉の使い方、発し方、話しのタイミングは、実に難しいことです。
それは、経験だけでは、身につくものでもありません。
また経験がなければ、自然に発することもできません。
知識と経験は、車の両輪のようなものだと思います。
賢い人とずる賢い人は、違います。正しき賢い人を目指して生きていきたいものですね。
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2005年03月26日

どんなに賢くても、人間は自分の・・・

『どんなに賢くても、人間は自分の背中を見ることはできない。』
         山本周五郎「さぶ」より

人間の限界、出来ないことは、出来ないということか、
人間であるからこそ、出来ること、
人間であるからこそ、可能なこと、
人間であるからこそ、出来ないこと、
それは、なにか、人はいろいろ考えてみることがあるのでは?
なかなか、難しい問題ですか。
自分の背中を見ることはできない。
確かに、だからこそ、誰かにみてもらいたいということもあるかもしれない。
自分の背中を見守ってくれる人、
そんな人が側にいてくれたら、よいのにな〜。
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2005年03月25日

一日生きることは、一歩進むことでありたい

『一日生きることは、一歩進むことでありたい。』
          湯川秀樹

ノ−ベル物理学賞の受賞で著名な、湯川博士の言葉です。
本当に、日々精進、少しでよいから、先に進んでいきたいものです。
湯川博士のノーベル賞の受賞は、原子核を構成する陽子と中性子を
結び付けている力となっている素粒子を予言したことにあります。
実際には、観ることができない世界のことを、間接的な計測により
把握検証する。その検証結果により、理論を証明する。
原子核物理の世界では、そんなことが繰り返し行われてきています。
最近は、カミオカンデや加速器など、巨大な測定施設により、
理論的に存在が予言されていた素粒子が発見されていっています。
そんな発見も日々の継続的な研究の成果なのですからね。
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2005年03月24日

あたかもよく過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、・・・

『あたかもよく過した一日が、安らかな眠りをみたらすように、
 よく生きられた一生は、安らかな死をもたらす。』
            レオナルド・ダ・ヴィンチ

安らかな死を迎えることができるような人生を送りたいものです。
よく生きられたと思える人生、難しいことです。
安らかな眠りを得ることも出来ていない日々を過ごしているという
現実があるというのに、よく生きられたという思いなど、
遠い夢なのかもしれません。
ただ、出来れば、よき出会いがあり、愛することの出来る人と
過す時間をもつことができれば、幸せなのかもしれません。
自分だけでは、どうにもならないことですけどね。
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2005年03月23日

唯一、勇気のいることは、過去をきっぱりと・・・

『唯一、勇気のいることは、過去をきっぱりと捨て去ることだ。
 過去を求めず、過去を積み重ねず、過去にあいがみつかないことだ。
 誰もが、過去をひきずっている。そして、過去に執着するからこそ、
 今を生きることができないのだ。』
    シュラ・ラジニン「生きる知恵の言葉」より

過去をすてること、残念ながら転職をするときには、過去を示すことが
要求される。過去をアピールすることが要求される。
それが出来ないと、転職という今の目的を為すことができないのだ。
過去に執着することなく、今を生きたいと思っていても、
社会と企業がそれを許さないのが、今の現実なのだ。
悲しいかな、しかも、年齢という名の差別、男女の差別、
健常者と障害者の差別、人種と国籍の差別、そんな差別が歴然と
残っているのが、就職、転職の社会、企業の人事の実態なのである。
その厳しい壁に、押し返され、押しつぶされ、死んでいく人がいる。
それが、現実の社会なのである。
日本という社会は、そんな社会なのである。
だからこそ、今を生きるにあたって、過去を整理して、いつでも出せるように
しておくことが要求されてしまう。
それが出来ないと、今を生きることができないという社会。
空しく、悲しい社会なのかもしれない。
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2005年03月22日

人間はつぎの五種類にわかれると・・・

『人間はつぎに五種類にわかれるとお釈迦様は言われた。
 1.いなくてはいけない人。
 2.いたほうがいい人。
 3.いても、いなくてもいい人。
 4.いないほうがいい人。
 5.死んだほうがいい人。』
      仏教説話より

これだけを読むと、人生にたいして、希望を失ってしまうような気がします。
しかし、説話は、この前後のお話があるはずです。
5つに分けるのは、誰でしょうか?。
実は、これもまた人なのです。
本来は、人間は五種類には分かれることはないのです。
いなくてはいけない人しか、この世に生まれることはないのですから。
でも、人間は、人を区分したがるのです。
そして、区分することによって、何かに属していることに安心感を得たり、
他と違うことを確かめたししたいと思うのです。
その区分の感がえを捨て去らないと、悟りの境地には、至ることはできないでしょう。
自分で、自分のことを、いないほうがいい人と思い込んでしまうと、
やがては死んだほうがいい人となり、自殺へと進んでしまうのでしょう。
年間3万人の自殺者を生み出す日本社会の矛盾は、日本人が作り出したものでもあるのです。
転職斡旋を生業としている人から、現実の社会について、はっきりといわれました。
地方になんて就職先はないと。特に35歳過ぎ、40歳過ぎればなおさらないと。
確かに、その通りなのですが、しかし、そのままで良いのかと思うと、
そうではないのだと思います。視野をどこにもつのか、どこにもつべきなのかが
異なるのでしょう。転職斡旋者も商売なのですから、自分の顧客以外には紹介できないのです。
そうなれば、転職先はないというのは、正直に真実を言われたのだと思います。
しかし、それは、その転職斡旋業者の世界観、市場の中での話でしかないのも事実です。
地方の時代ということを実現させるためには、Uターン、Iターンを推進するようなことが
政府の後押しでも必要でしょう。地域によって法人税をかえるといったことも必要かも
しれません。日本社会全体のことを、どこまで考えられるのか、
それは、区分をかってにつけないこと、ラベルはりをしないことから始めなければならないでしょう。
人生の歩みもまた同じなのかもしれません。
ゆっくり考える時間がない、せわしない時代になっていますが、
生きている以上は、必要のない人などいないのですから。
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2005年03月21日

自由な人が考えるのは、・・・

『自由な人が考えるのは、ほかならぬ死についてである。
 そして彼の賢明さは、そこから死ではなく、
 生について熟慮をはじめることだ。』
          スピノザ「エチカ」より

死と生、生があるからことその死であるということ。
死を考えることは、その死を迎えるまでの生を考えることへと
つながっていくべきであるということ。
それは、確かに、その通りである。
ただ、世間の風は、自由な人には、常に厳しい。
生について、考えることに、疲れたときには、
死という選択を考えてしまうことがある。
それが、間違いであるということを理解していたとしても・・・。

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2005年03月20日

君はなにかができる

『君は何かができる』
   〜 劇場版アニメ 「キャプテン」主題歌 〜

野球というスポーツの中で、勝つということへ向かって努力していくことの大切さ
その結果として負けたとしても、その過程が如何に大切なことであるのかを
そして、勝利にこだわるばかりに、小手先の戦術、敬遠、疲労した投手をつぶすための
戦術などを、プレイヤーに指示する監督、それまでして勝つことが重要なのか、
勝つということは、何に勝つということなのか、この作品とこの主題歌に込められたものは
今、教育の場で、もっとも必要なものを伝えてくれているように思います。
プロスポーツにおいても、勝利することは大切なことですが、
勝利に固執するばかりに、つまらないプレーをみせるのが良いことなのでしょうか、
プロスポーツは勝利よりも、観客を喜ばせ、満足させるプレーを魅せることが重要だと
思います。結果は、負けだったとしても、観客は、応援しつづけてくれるでしょう。
スポーツのもつ勝負の意味は、戦争とは違うということです。
夢を与えてくれること、それがプロスポーツを頂点としたスポーツ全体のあり方であり
存在意味ではないでしょうか。
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一生懸命に働いているものには、・・・

『一生懸命に働いているものには、決して歳をとるということはない。
 私は、自分の葬式の日をもって、人生からの引退の日とする。』
               エジソン

生涯現役という言葉が、現実味を帯びて感じる時代になりそうです。
日本は既に、国際基準でいくと老齢化社会ではなく、老齢社会になってしまったようです。
労働人口は、もう減少方向に入りました。
法改正で、定年も65歳にしなければならなくなりますが、
終身雇用・年功序列が崩壊する以上は、定年廃止までいくことは必要になるでしょう。
求人にも、男女差別だけでなく、年齢差別もしてはいないようにすべきだといえるでしょう。
また、経営者は、社員に対する考え方を変えていかなければならなくなるでしょう。
正社員と契約社員、派遣社員、パート、アルバイトで、保険(社会、雇用)、健康管理、
年金などの社会保障についても、ある意味で平等にしていくことを法的にも整備していくことが
要求されてくるでしょう。
そうしなければ、労働者の確保は難しくなり、国民総生産も低下しかなくなっていまいます。
まさに、働ける人は、誰でも働ける社会にしなければ、
日本社会は、国際社会の中で、生き残っていけなくなることでしょう。
そんなことを感じる言葉のような気がします。
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2005年03月19日

死は人生の終末ではない。

『死は人生の終末ではない。生涯の完成である。
 ゆえに死を恐れるほど愚かなことはない。
 かくも醜い一生の本蹟をたずさえて、
 神の御前に立つことこそ、恐ろしい。』
           ルター

宗教的な死へのアプローチは、様々な言葉で表されています。
死は、必ず訪れるもの、ならば、苦しみや悲しみをもって、その門をたたくのではなく、
希望と充実感を携えて、その門をたたきたいものです。
そのために、生きている時間を、大切に、充実したものにしていけるように
日々、努力していくのでしょう。
いずれ訪れるその日を落ち着いた気持ちて迎えることができるように・・・。

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2005年03月18日

生まれては死ぬるなりけり

『生まれては死ぬるなりけり。おしなべて釈迦も達磨も、猫も杓子も。』
              一休

一休さんの言葉です。
一休さんといえば、トンチで有名になっていますね。
アニメの「一休さん」は、名作だったと思います。
でも、子供時代のお話ですけどね。
どんなものも、生まれて、やがて死んでいくということですね。
ただ、生まれるところは、選べませんが、死に行くとこは、選ぶことが可能ではあります。
そこは、大きな違いなのかもしれません。

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2005年03月17日

死んだ時に人を悲しませないのが、・・・

『死んだ時に人を悲しませないのが、人間最高の美徳さ。』
             川端康成「故人の園」より

確かに、人を悲しませずに、死を迎えられるのは、よいことかもしれません。
しかし、それが、誰にも知られずに死ぬということであるなら
寂しいことであり、悲しいことの様な気がします。
大往生した、生前は素晴らしかったと、惜しまれつつも、
褒める気持ちをもってくれる方が大勢いるような死でないと、
最高の美徳はといえないのではないでしょうか。
でも、なかなか、そのような死を迎えることは難しい世の中なのかもしれません。

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2005年03月16日

人間は、みんなに愛されているうちに・・・

『人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ。』
              川端康成「山の音」より

 確かに、人は、愛されている状態で、死を迎えるのが幸せかもしれません。
ひとり寂しく死にゆくことは、悲しいことなのかもしれません。
人生の伴侶となる人がいるのは幸せなことだと思います。
そんな幸せをつかんでいる人が、羨ましくいつも思います。
なかなか、出会いと機会とは巡ってきそうで来ないものです。
それも、また人生といえばそれまでですけども、やはり人は、愛すべき人が
いることが、糧となるのだと思います。
そして、愛されて、召されていくのが、幸せだと思います。
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2005年03月15日

四季には定まれる序あり、死期は序を待たず

『四季には定まれる序あり、死期は序を待たず。』
              吉田兼好「徒然草」より

季節の移り変わりには、その気配があるけれども、
人の死は、いつやってくるのかわからないということですね。
本当に、交通事故、飛行機事故、列車事故、津波、台風、地震、
土砂崩れ、通り魔、隕石、落下物、などなど、
自分とは無関係に、やってくることもあり得るのです。
または、突然死というものもあります。
過労死も、突然死が多いようです。
また、つい1ヶ月前まで元気だった人が、病で亡くなってしまうことも。
これは実体験としてあります。
ただ、最近は、四季も序が、曖昧になってきたような感じです。
地球温暖化などの影響なのか、地球も瀕死状態なのかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月14日

何事か 夢まぼろしと思い知る・・・

『何事か 夢まぼろしと思い知る身に憂いも 喜びとなし』
       足利義政

夢か幻か、何事もそのようなものではなかったのだろうか、
そう思い知ったときに感じられた、憂いの気持ちも
死に際しては、喜びとなるのかもしれません。
生きているということを、もっともはっきりと自覚する瞬間が
死の間際なのかな〜と、ふっと思ったしだいです。
posted by 清水の伏竜. at 20:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月13日

いたずらに月日を送り 病におかされ ・・・

『いたずらに月日を送り 病におかされ
 床の上にて死なん命の口惜しや』
          伊達政宗

東北の名将である伊達政宗でも、病の床にて、その時がきたときには、
口惜しいというのと、いたずらに月日をおくったと感じたというのは、
なんだか不思議な気持ちです。
自分も病におかされた経験があるだけに、より一層に、その口惜しさを
感じてしまうような気がしてきます。
posted by 清水の伏竜. at 18:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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