2005年02月28日

人を不安にするものは、事柄ではなく、・・・

『人を不安にするものは、事柄ではなく、むしろそれに関する人の考えである。』
  ヒルティ「幸福論」より

よのなか、考え方ひとつで、幸福にもなり不幸にもなるということでしょうか。
今や、日本も貧富の差がますます大きくなていっています。その昔一億総中流時代といわれていたのは
既に幻想となっています。今や1%の大金持ちと年収300万の99%の低所得者という構図になってきているというのが
統計的にも現実になってきているそうです。
今後、日本で生きていくにあたっては、何をもって幸福と思うのかという、価値観の多様化が必要と
なっていくのいでしょうね。そして、それをうけいれることのできる社会常識の醸成が必要なのでしょう。
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2005年02月27日

賢い人は聞き、愚か者は語る

『賢い人は聞き、愚か者は語る』 ソロモン

古代イスラエルの名君、ソロモンの言葉です。
賢い人は、他人の言うことをよく聞くけれども、愚か者は、聞くよりもまず語りたがるというのですが
なかなか最近は、そうもいかないようです。賢くても、語らないと、判ってもらえないという方が
多く、また大切になってしまってるような気がします。
とにかく、話さないと、ダメといった感じが、特に企業内ではありますね。
言ったもの勝ちといった雰囲気です。
したがって、無知であっても、何か主張するほうが、賢くみえるというのが、
実態のようです。沈黙の美徳は、ありえないといった時代になってしまったようです。
これは、上司側の能力が、低くなったということなのかもしれませんが
しかたがないことでしょう。
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2005年02月26日

組織の中心的存在は・・・

『組織の中心的存在は、頭脳を用いて仕事をする知的労働者である。』
    ドラッガー(米・経済学者)

さて、組織を運用する、きちんと動かしていくためには、頭脳をつかった知的労働者であると
ドラッガーは言っているようです。
確かに、企業の経営、運営には、健康な肉体と、常に物事を正確に把握し、分析し、解析し
判断する知的労働が不可欠です。
経営者と労働者の関係は、終身雇用・年功序列といった日本の企業風土、制度が崩壊に
向かっていくなかで、どんどん変化していっています。
その変化に正しくついていく柔軟な発想が、経営者には、求められるようになってきています。
でもなかなか、世の中は、その通りにはいかないものです。
無能な上司、無能な部下ということばをつぶやく中間管理職。でもその中間管理職も
有能ではないのかもしれません。なかなか厳しい世の中です。
世代間の環境格差も大きくなってきていて、1%の価値組みと99%負け組みに、
世の中は、分離していくともいわれます。何が負けなのか、そこは価値観の問題ですね。
ニート、フリーター、浮浪者、負け犬、いろんな言葉で呼ばれる人がいます。
でも、生きているのですから、変わることも可能です。
過労自殺、過労死、事故死、病死、突然死、亡くなってしまうひとは、1日に沢山いるのですから。

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2005年02月25日

人間は『自分でなければできない』と錯覚していることが多すぎる

『人間は「自分でなければできない」と錯覚していることが多すぎる』
     ドラッガー(米・経営学者)

有名な経営学者の言葉ですが、実際にこのようなケースはよくあることです。
いわゆる仕事を任せるということに対して、不安があったり、いやであったりする管理職の人が多いということですね。
組織力のひとつに、誰かがいなくなっても、それをカバーできるという機能があります。
つまり、誰かでなければ出来ないといったようなものを作ってしまうということは、
組織としては弱いということになってしまうわけですね。
実際に、日本の組織では、誰かが、総てを握ってしまっていて、その人が休むと仕事が進まなくなってしまうといったことがあります。
これは、組織としては弱いということでもあり、企業リスクに対するケアーがなされていないということにもなります。
経営者の責任として、企業の継続性を確保することがあります。
そのためには、余裕があれば、常に人的な交換や代理を立てることが可能な状況に組織を作り上げておくことが必要であるといえます。
今回のドラッガーの言葉のように、錯覚している人を多くつくってしまっている組織は、リスクも大きいということになります。
ただし、中小企業の様に、社員の数が少ない場合には、上記の言葉が錯覚でないケースが多いのも事実です。
そのためには、任せられる人材を育成しておくということが重要となります。
即ち、知識や情報の共有化であり、人材育成のための教育であるということです。
その実現においては、最近では、ITの効果的な利用があります。ITコーディネータが経営者をサポートしてくれることでしょう。
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2005年02月24日

われらの目的は成功することではなく、・・・

『われらの目的は成功することではなく、失敗にたゆまず進むことである』
   ジョージ・スティーブンソン(英・発明家)

失敗をしても、とにかく前進することが、成功することよりも大切なことです。
この言葉の意味は、そのようなところにあると感じます。同様の意味あいの言葉は、多くの偉人が語っています。
やはり、成功するひとは、その前に失敗を恐れないというコンピテンシーをもっているのだなと感じました。
人間は弱いものです。臆病なものです。
今、安定いた生活を送っていて、贅沢ではなくても、それなりの生活をしていけるときに、
一文無しになるかもしれないリスクを背負って、行動するという勇気を振起すのは、並大抵なことではできません。
特に、守るべき家庭があれば、なおさらでしょう。
成功者が勇気を奮い起こすとき、その成功者が既婚者であったら、必ず、夫か妻の応援と後押しがあります。
不思議なものですが、そうなのです。
独身で、結婚したくても出来ない私には、そんな相手と出会えることが、非常に羨ましく感じます。
今、私は、転職をする必要に迫られています。43歳になろうとする年代での転職は、今の日本社会では
非常に厳しいです。まだまだ、終身雇用・年功序列の慣習が強く残っているのです。
能力やスキルがあっても、年齢ではじかれることが多いのが現実です。
もしかしたら、一文無しになるかもしれません。その恐怖を乗り越えて、失敗を恐れずに前進できるのか、
まさに正念場です。そんなとき、先人の言葉には、少し励まされるような気がします。
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2005年02月23日

過去を思い出さない人たちには、・・・

『過去を思い出さない人たちには、過去を再体験させる宣告が授けられる。』
   George Santayana,1908

「ソフトウェア開発201の鉄則」より、
「原則172 プロジェクトの事後検討会(または反省会)を実施せよ」
において、最初に紹介されいるのが、上記の言葉です。
さて、世の中のプロジェクトで、きちんとした事後検討会が開催されているものは
いったいどこくらいあるでしょう?。殆どないのでは?。
プロジェクト完了の打ち上げ会の様なものは、必ずあるものですが、
飲み食いなしで、会議室に集まって、皆で議論する場をもうけるケースは、あまりお目にかかったこと
はありません。
完了した時点で、納品物は揃っており、更に反省会をするという感じではなく、既に別のプロジェクト
に入っているといったパターンが多いのではないでしょうか。
プロジェクトリーダが総括の記録を残すくらいが実態だと感じます。
本当は、原則の言うとおり、開催して、特に失敗談を記録しておくことは、ナレッジとして重要な蓄積
となるのでしょうけどね。
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2005年02月22日

決心する前に完全に見通しをつけようとする者は、・・・

『決心する前に完全に見通しをつけようとする者は、
 決心することはできない』 アミエル(スイス文学者・哲学者)

 決心するという時には、完全な見通しなどついていないときであり、完全な見通しがつかなければ、物事を始められないのなら決心などできないということを言っていま
す。考えてみれば、決心するとき、決断するとき、その結果が総てわかっているということなどありえないのが普通です。結果がわかっていれば、決心などせず行うだけで
よいのですから。この言葉を目にしたとき、今話題のライブドアのニッポン放送の株式購入による経営に関する権利の獲得劇、楽天による球団創立が、思い浮かびました。
共に結果がどうなるのか、完全な見通しなどついていたとは思えません。もちろん成功のシナリオと可能性については考えていたことでしょう。しかし、100%と完全に
成功するとは思っていなかったと思います。リスクがあっての決断であったはずです。彼ら30代のベンチャーオーナーの能力の凄さには圧倒されます。そして、それが羨
ましいのか悔しいのか、根拠もない学校の虐めような対応をする老人たちの行動をみていると、時代の差というものを感じてしまいます。もちろん、老人たちの中にも、3
0代のベンチャーオーナーと変わらぬ精神をもって、経営に携わっておられる方もいらっしゃいます。しかし、その一方で、年功序列・終身雇用・護送船団方式などに漬
かってしまって、そこに反するようなものは生意気だ、前例がない、不敬だ、などとイチャモンをつけてまるで子供のように対応するような経営者も存在しているのです。
TV出演の突然の降板劇などは、もうあきれる対応でしょう。あきらかな虐め&不当な圧力、みせしめ行為でしかないものです。それについておかしいといえないマスコミ
や経済界の重鎮の感覚は、もう硬直しているとしか考えられません。出来レースのように、あらかじめすべてシナリオが出来ていないと物事が運べない、途中で予定外のこ
とがおこると、ただ怒るだけで、冷静な対応ができない。そうとしか見えませんでした。そんな旧体質の世代と、新興世代にはさまれた我々世代は悲惨です。自殺者も増え
るわけです。って、ふっと感じてしまいました。
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2005年02月21日

愚かなことをたとえ5千万人の人々が・・・

『愚かなことをたとえ5千万人の人々が言ったとしても、
 愚かなことに変わりはない。』  Anatole France

「ソフトウェア開発 201の鉄則」(著 アラン M.デービス 訳 松原友夫)という本が日経BP社から出版されています。
この本は、ソフトウェア開発という世界を、非常に言い得た言葉が並んでいます。
その中の「原理30:レミング(一時の流行)には心して従え」のところで、最初に出てくる言葉が、上記の言葉です。
ようは、みんなが何かをしているから、みんなが言っているから、それを使えばうまくいくという訳ではないということを言っています。
もちろん、うまくいくケースもあるでしょう。しかし、すべては、ケースバイケースであって、必ずしもうまくいくとは限らないのが実態だ
ということを忘れてはいけないという戒めです。
201の鉄則には、ソフトウェア開発という現場において、開発者、管理者、技術者、プログラマ、システムエンジニアといった関係者すべ
てが、注意すべきポイントが、整理されています。1996年に出版された本ですが、10年が経過しようとしている今においても、ソフト
ウェア開発の現場において活かせる内容です。
ITが進歩したと思われていますが、その中核のひとつであるソフトウェアの開発という分野において、そのコアとなる原理原則は、殆ど変
化していないのが実態なのです。理由は簡単です。ノイマン型コンピュータの動作原理に変化はないからです。ハードウェアが高速化、高集
積度化したというハードの技術進化によって、ITの変化はこれまで進んできたといえるからです。
ただ、近い将来に、ソフトウェアにおける大変革があるかもしれません。
その時には、根本的な原則も変化してくるのかもしれないです。
ただ、今はまだ、基本の部分で、変化はありません。よって、上記の著書の内容は、今も非常に有効なのです。
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2005年02月20日

みんながダメというから成功する

『みんながダメというから成功する』
   藤田田(日本マクドナルド社長)

日本にハンバーガーのチェーンを展開するにあたって、銀座1号店を開くにあたり、語られたという言葉だそうです。
この言葉を目にしたとき、今、話題になっているライブドアのことを思い浮かべました。
堀江社長のニッポン放送の株式買収は、インターネットビジネスの戦略上のひとつの手段なわけですが、
なぜか、世の中のマスコミや年配の評論家やコラムニストからは、ダメだといわれています。
本当にダメなのか、実際は、年功序列・終身雇用の時代を生きた人たちが、自分たちの地位や立場を守ろうとしてダメだししているだけなのか、
これからの動向が注目されるなって思いました。
フジテレビは、法律にも違反せずグローバルスタンダードなやり方で、事業の拡張をしようとして動いた堀江さんに対して、
出演している番組を降板させるという報復を行いました。罪なき人への報復は、明らかな権力の暴力としかみえません。
なぜ、あんな愚行をフジテレビがしたのか、不思議です。だって、視聴率をとるのが商売だといっているのなら、今視聴率がとれる堀江さんを降板させる理由なんてみあた
らないでしょうに。明らかに制裁行為としかみえません。しかも、現場はそれに従っている。マスコミとしての自由闊達な社風がなくなって、上の言うことは絶対だ何でも
従うといった専制的な構造になってしまったのかを思えてしまうくらいです。
経営者として、大成した皆さんの言葉を振り返って、学ぶ必要があるのではないのかなって、思ってしまったのでした。
NHKの批判をするまえに自らの社内を正すべきなのではないでしょうか。ふっとそんな思いがよぎった次第です。
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2005年02月19日

一期一会

『一期一会』  山上宗二

映画でも有名になった言葉です。
一生に一度だけ出会う、そんな意味ですが、千利休の弟子であった山上宗二が、
茶道における客人の御持て成しにあたって、茶席にのぞむ前の心構えを語った言葉だそうです。
即ち、茶席での出会いは、その時だけの出会いかもしれないので、そのつもりで、大切にもてなすことが必要だということ、それだけ真剣に客
人をもたなすことが大切だということです。茶道としての茶の湯の緊張と真剣さをもとめた言葉だということです。
出会いのもつ大切さ、あまり真剣に考えることのないものです。
でも、確かに、たった一度の出会いが、人生をまったく変えてしまうことも世の中にはあるのですから、
出会いを大切にしたいという気持ちは、いつも持っていたいものですね。
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2005年02月18日

浮き沈み七度・七転び八起

『浮き沈み七度』『七転び八起』

ことわざ、人生には、落ち込むことが七回はあるものだから、一次の落ち込みでは気にせずにということわざと、七回落ち込んでも、八回起き
上がればよいということわざ。
どちらも、人生には、失敗はつきものだから、何事も経験、一回くらいの失敗でめげずに、頑張っていけばよい事があるものですよ。といった
教訓的な意味をもった、励ましの言葉ですね。
最近は、一回の失敗で、すべてが終わってしまうように思い込む人も多いようです。また、一回の失敗で、その人のすべてを決めてしまうよう
な人も多いようです。どちらも悲しいことですし、視野の狭いことです。
日本は、長く終身雇用、年功序列賃金という体制できて、未だに企業の経営層や上位層では、言葉では違うことをいっても実態や行動は変わっ
ていないのが大半の現実となっています。そのために現実との矛盾が多く出てきているのが、成果主義であり、能力主義といった感じです。終
身雇用でなくなり、年功序列でもなくなるなら、当然、チャレンジすることや、失敗することにも、寛容であり、評価すべき点はしっかり評価
すべきなのに、実態としてはそうなっていないのが日本の現実ではないでしょうか。年齢による転職差別もしかりです。また年齢による能力評
価差別もしかりです。年齢、性別、人種、学歴といったものを評価や採用の条件に含めるべきではない時代のはずであり、制度になっているは
ずなのに、実態は大きくことなっています。これは、会社の中枢をなす経営層、役職層が、口では能力主義を唱えながら実態の評価は、過去の
終身雇用、年功序列時代のしがらみが残っているということがあるからでしょう。
その意味では、このことわざのように転ぶことのリスクは、いまも大きいのが日本の社会の現実であるのが実態でしょう。
もちろん、変わって来ているところも、企業も、経営者もいらっしゃいますが、まだまだ少数派であるのが実態です。
残念なことですけど・・・・。
だからこそ、自殺者3万人の現実があるのだと感じます。
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2005年02月17日

叩けよ、さらば開かれん

『叩けよ、されば開かれん』
  新約聖書「マタイ伝」より

何事もまず、行ってみなさい、そうすれば道は開かれるでしょう。
という言葉ですが、なかなか、叩くことまでが、大変だったりするのが
世の中のことわりですね。
叩くことが出来るかどうか、それが問題だともいえるでしょう。
その勇気を持つためには、努力と準備が必要だともいえます。
または、気力といってもいいかもしれません。
しかも、叩いて、開かれたとしても、まだそれはスタートにすぎないのです。
そこから、また険しい道のりがはじまることになります。
大変なことです。
でも、何もしないよりは、まず叩いてみるということも時には必要でしょう。
さて、扉を叩くことができるでしょうか。
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2005年02月16日

汝の隣人を愛せよ

『汝の隣人を愛せよ』 イエス・キリスト

あまりにも、一般的になっている言葉です。
でも、この実践ほど、難しいこともありません。
簡単と思えることほど、難しいという例においては、もっとも良く知られていることではないでしょう
か。
マザー・テレサ、ナイチンゲール、ガンジーのような人たちと同じように生きることが、如何に難しい
ことか。
それ故に重いことばであり、真理といえる言葉であると思います。
だれもが、実践できれば、殺人もテロも戦争もなくなることでしょう。
愛という考え方、想いというものについては、不思議なことに、釈迦、孔子、イエスといった過去の偉
人たちが、同じように語っています。
語りかたや表現は、時代や場所によって異なるものの、意味は等しく同じなのです。
宗教における神髄は、結局は愛に行き着くのだと思います。
だからこそ、愛せる人、愛してくれる人の存在は、人生においてもっとも大切なもだといえるでしょ
う。
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2005年02月15日

明日世界が滅びようと、・・・

『明日世界が滅びようと、今日リンゴの木を植える』
   ルター(独。宗教家)

もしかしたら、明日は世界が滅びているかもしれない、でも、今日リンゴの木を植える、
それは、明日があることを信じているから、また今日すべきことが明日につながっているから、
明日への可能性、未来への希望を信じているから、
そんな思いを語った言葉です。
宗教改革の時代にあって、迫害という試練の中において、決して希望を失うことはないという
心の想いと、決意とを、比喩しているともいえるのでしょう。
日常生活、今の連続の先に未来はあるということですね。
よく、明日、地球が滅びるとしたら、あなたは何をしますか?という問いかけがあります。
平常心という言葉を実践できる人は、普段と変わらない生活をするだけと答えることでしょう。
実際に、未来のこと、明日のことは、予定は立てることが出来ても、実際になにがおこるのかは
判らないのです。突然大地震に襲われるかもしれません。隕石が落ちてくるかもしれません。
犯罪や事故・災害に遭うかもしれません。幸運な出来事があるかもしれません。
素敵な出会いがあるかもしれません。
でも、そんな明日は、現在があっての明日なのです。
それならば、良いことがあることを信じて、希望を抱いて今を暮らす方が、前向きでよいでは
ないでしょうか。
そんな、ことを語っている言葉でもあるようですね。
posted by 清水の伏竜. at 06:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月14日

古希

『70歳まで生きたというのは古来稀なり』 杜甫

中国の故事からきている”古希”という言葉、昔は人生は50年といわれていたわけで、70歳までいきたということは稀であったということ
のようです。しかし、今や平均寿命が80歳をこえているのが日本の現状です。人口も少子化、高年齢化が問題になるという分布状況にありま
す。世界的にみれば、人口は増加方向ですので、少子化問題は先進国の問題ともいえます。ただ、既に少子化問題を解決しつつある国もヨー
ロッパでは出てきています。日本も今後、少子化問題、高年齢化問題、教育問題と生涯教育、就業に関する年齢や男女、障害による差別の撤廃
などといっしょに考えていかなければならない課題であるといえるでしょう。今年、母が古希を迎えます。孫の顔をみせてあげることが出来な
いという不甲斐ない親不孝な息子ですが、何かお祝いと感謝をしたいと思っています。よく、事業、起業、仕事と家庭、育児は両立できないと
いう人がいますが、それは、両立できないのではなくて、両立したくないというのが本音で、また環境的な問題があるというのが現実だと思い
ます。やる気と環境さえ整えば、いくらでも両立は可能になるでしょう。実際、北欧の国では、今や両立は当たり前になってます。子供を産み
育てなくなれば、その国はやがて衰退していくしかないのですから、日本の未来を考えれば、成功者やお金持ちほど、子沢山であるべきだと思
いますね。それが未来への義務ではないでしょうか。女性にもてる男性は結婚して、どんどん子供をつくるべきです。子供が欲しくても結婚し
たくても出来ない人が大勢いるのですから。出来る人がしないのは罪ではないかと思うくらいです。自分さえ幸せであれば良いという考えが社
会を荒廃させ、国を滅ぼすことは歴史が証明してきているのですしね。
posted by 清水の伏竜. at 01:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月13日

器用貧乏・一芸は身を助ける

『器用貧乏』『一芸は身を助ける』

よく聞く言葉です。スキルについて、どうあるべきかという話題が出るとき、よく、T字型がよいといいます。つまり全体てきな基礎知識の上
に、得意な一分野があるというのが理想だというのです。簡単そうに思えて、非常に難しいです。世の中、I型人間の方が、億万長者になって
いたり、勝ち組みになっていることが多いのではないでしょうか。やはり、どんな分野であれ、No.1になることは、凄い強みです。日本の
教育は、平均的な人間をつくることに重きを置き過ぎて来たということがあって、最近は反省しているかにみえますが、実態は、子供の視点で
教育が考えられていないような気がします。まず基礎をつくるべき幼いころに、放任したりゆとり教育といっても意味はあまりないでしょう。
とにかくいろんなことを体験させるしかも五感すべてで体験させること、そして、基本的な語学、運動能力、計算力といったものを反復的に繰
り返し、覚えさせること、そればんが小学校からなくなったのは大失敗だったと思います。書道や書き取り、計算訓練も、もっと必要であった
とおもいます。特に下級生のころは、いろんな面での基礎をとにかく詰め込むこと、理解するのではなく、感覚として覚えこむことが必要であ
ると感じます。理屈は、あとから覚えても十分なのですから。判断能力を求めても小さい子供には無理でしょう。判断材料を覚えこませること
の方が大切なのではないかと思います。
さて、私は、典型的な器用貧乏だといえるでしょう。一芸に秀でることが出来なかったのです。
いろんなことに興味があったのと、それなりに、消化してしまって、出来てしまうのが、よくなかったです。
何にでも手を出しすぎた感じでしょうか。優柔不断であったといえるのかもしれません。
結局、お金もなく、大成功もせず、結婚もできずに、後厄を終えてしまう年齢になってしまっていたという印象です。
今、思うと、判断を誤ったなと振り返ることが、何度かあったといえます。
ですから、若い人には、たとえ、その時は必要ないと思っても、何ををやれるチャンスがあったらやってみるべきだといいたいですし、資格な
どについても、将来使う使わないに関係なく、取れる機会があれば取得してしまうということを強く勧めます。
若いころの失敗は、いくらでも取り返しがきくものですからね。でも、35歳を過ぎるとそうはいかなくなってきてしまいます。
フリーターやニートのみなさんも、一度、サラリーマンを経験してみるべきだと思いますね。
最初からいやだと食わず嫌いしていては、成長はあり得まいからです。経験することについては、犯罪以外は、なんでも人生にとってプラスに
なるはずです。
posted by 清水の伏竜. at 20:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人生は芝居の如し

『人生は芝居の如し』 福沢諭吉

人生って、本当に不思議なものです。
過去の偉人も、人生がいかにドラマチックであるのか、
そして、どんなことがおこるのかわからない、喜怒哀楽、そのすべてが
さまざまな場面で、現れては、おどろきをあたえてくれるといったことを
語っています。
本当に、そうだなと感じることはあります。
また、なかなかうまくいかないものでもありますね。人生っていうものは。
posted by 清水の伏竜. at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月12日

あなたはもう私の誇りよ

『あなたはもう私の誇りよ』
 カレード☆スター レイラ・ハミルトンの台詞より

カレードスターというアニメ作品があります。
その主人公、苗木野そらという少女と彼女の憧れの人レイラ。
幻の大技を完成させたあとで、
「私の夢になってよ」
あこがれの人、レイラさんから、言われたそら。
その後、挫折感を味わうこともありながら、自分の道を歩み
天使の技を完成させ、そのステージの開幕の直前、
「みんなで最高の喝采をあびよう」
そらはそういってステージにあがります。
そして、争いのないステージという夢を成し遂げて
真のスターへの道を歩みはじめたとき、
そらは、レイラにたずねます
「わたしは、これからも、レイラさんの夢と思っていていいですか」
それに答えるレイラの言葉が、
『いいえ、あなたはもう私の夢ではないわ、あなたはもう私の誇りよ』
でした。
誰でも、あこがれの人って、いませんでしたか?。
小さいころ、出会ったこと、思い描いた夢、そんな中に、
尊敬する人、自分もこうなってみたいと思う人、あこがれの人、
その人と共に同じ道を歩み、教え子の立場から成長し、やがて、
その憧れの人から、認められたとき、
その感慨は何物にもかえられないものだといえるでしょう。

ステージに憧れて、やってきたそらが、ステージの妖精が見えたところから
はじまった、この物語は、
そらに憧れた、ロゼッタに、ステージの妖精がみえて幕がおります。
「翼は夢、そして空へ」この言葉で締めくくられる物語。
夢が、永遠に、つながっていく、
人から人へと、
過去から現在そして未来へと、
その象徴として、ステージの妖精の姿が、
そらにあこがれてステージにきた少女にみえることで次へと。
人間の可能性と、人間のあるべき姿と、争いの無いステージは、
そんなものを象徴していたように思います。
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2005年02月11日

人間にとって一番大切なことは、・・・

『人間にとって一番大切なことは、
 各自の仕事に進歩を求めて励むことだ』
  ミレー(仏 画家)

「落ち穂拾い」「晩鐘」「種をまく人」ミレーの代表作は、農民の働く姿を
美しく描き出した作品が多い、そんなミレーの作品が評価されるようになったのは
晩年になってから、認められなくても画家として、進歩を目指して、
努力してきた結果、やがて認められた自らの経験からの言葉は、
真実味のある言葉として、伝わってくるものです。
どんな仕事であっても、その仕事が自分の仕事だと考えるなら、
進歩をもとめ努力することが大切であり、それが成功へとつながっているという
ことなのだろうし、それが人間というものなのだといえるのでしょう。
まずは、自分の仕事を決めること、それが大切ということでもあると感じられます。
posted by 清水の伏竜. at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月10日

世に材なきを憂えず、・・・

『世に材なきを憂えず、その材を用いざるを憂う。
 大識見・大才気の人を用いて、群材始めてこれが用をなす』
  吉田松陰。

幕末に大きな影響を残した思想家、吉田松陰の残した言葉です。
世の中や、会社の中に、人材がいないという人がいるけれども、
人材がいないのではなく、人材を見出す能力があるひとがいないだけである。
人材がいないことの心配よりも、
人材を見出す能力がある人がいないことの方が心配だということです。
人材を見出して、長所をいかせば、お互いに高めあって、
よい結果を出すことが出来るというのです。
サッカー日本代表が、ワールドカップドイツ大会へ向けて、
アジア最終予選が始まりました、良い選手を見出しチームワークをつくり
チームとしての力を大きくすることが出来るわけです。
その能力は、監督に求まられます。
同様に企業では、経営者に求められているのです。
さて、経営者の皆さんのなかで、自分の会社の社員のスキルや
コンピテンシー、メンタリティをしっかりと把握できている方は
どのくらいいらっしゃるのでしょうか。
posted by 清水の伏竜. at 06:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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