2005年01月31日

高慢な者は、必ず倒される

『高慢な者は、必ず倒される』 シェークスピア「リチャード二世」より 高い地位、権力、財力をもったものは、謙虚であり、誠実でなければならない。 その反対で、高慢で、強欲でありつづければ、必ず自滅の道へと進むことになる。 そのような意味の言葉のひとつです。 王制度という政治体系は、王の人格によって、最高にもなり,最悪にもなります。 その点が、欠点であったわけですね。 民主主義が出てきた理由は、自分たちの責任で、政治をふくめたことは 行っていくべきだろうということのほかに、王制度の限界が露呈してことも あります。現代社会も、民主主義の世界でも、貧富の差、権力の差はあります。 力あるものは奢るべからず、ってことになります。 しかし、天は、過ちを正すといったところでしょうか。
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2005年01月30日

大胆に行うことが成功への秘訣である

『大胆に行うことが成功への秘訣である』 ハイネ 自分を信じて、大胆に、行うこと、それが、成功への第一歩だという言葉は 過去の偉人の多くが語っています。 でも、なかなか大胆に行うことは難しかったりします。 それは、その人の性格、メンタリティ、コンピテンシーが、 生まれたときに与えられていた特性にくわえ、その後に得た特性などによって、 どうなっているのかに、大きく左右されるでしょう。 よく、簡単にできると思えばできると、勝ち組みの方は、語ります。 それは、当然です。彼らにとっては、簡単なことだったのですから。 しかし、多くの人たちに、それと同じことをすることは出来ないでしょう。 努力することはできるでしょうが、簡単ではないでしょう。 単純なことこそ、実は継続することが難しいものです。 できる人、できない人に、はっきりとわかれてしまうものです。 ただ、それでも、可能性はゼロではありません。 困難かもしれない、難しいかもしれない、でも、何事にも最初はあります。 まず、行ってみようという意思があり、 それを行うことのできる体があれば、先に進むことはできるでしょう。 しかし、それもまた、可能性の問題であることには変わらないのです。
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2005年01月29日

良い道連れは道のりを短くする

『良い道連れは道のりを短くする』 英国のことわざで、旅の道連れが、良いと、その旅の道のりは短く感じるもの という理を意味している言葉です。 人生も、長い旅、道のりです、良い伴侶、良い仕事仲間、良い友人との出会いは 人生そのものを充実したものにしてくれ、時間があっという間に過ぎていくように 感じるもの。という意味でもありますね。 やはり、ひとりで何かをしようとして、道のりを歩むよりも、 良き仲間と一緒であるほうが、その道のりが、厳しいもの険しいものであっても 辛さも感じずに、過ぎていく、そんなことが可能なのが人間なのだと思います。 私も、早く、良き人生の道連れと出会いたいものです。
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2005年01月28日

身体髪膚これを父母に受く

『身体髪膚これを父母に受く』 孔子

自分の体は、両親から与えられたものです。
両親がいなければ、我々は今、存在していないのです。
これは、いただいたものであり、
決して自分から傷つけたりしてはいけないものだと思いなさい。
自分の体を大切にすることは、孝の教えの始まりです。
孔子は、そう語っています。
年間3万人をこれる自殺者が出ている日本。
孔子のこの言葉の意味を、もう一度噛み締めてみる必要があるのでは
ないでしょうか。
自分が存在しているのは、決して、自分自身だけの御陰ではない
そんな傲慢なことを思ってはダメですということも意味しているのでは
ないでしょうか。
よく、簡単に、両親なんていなくたって生きていける。そんな言葉を
口にするひとがいます。両親がいなければ、存在していない。
そのことを忘れているのですね。悲しいことです。
少子化の原因に、孝の心の大切さと尊さを忘れてしまった、教えてこなかった
そんなことがあるのかもしれないと、感じさせられます。
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2005年01月27日

人間の運命は人間の手中にある

『人間の運命は人間の手中にある』 サルトル

運命というものは、自分自身が築くものですということです。
運命という言葉で、人生を語ることがります。
しかし、その運命とは、誰が決めているのでしょうか。
神様でしょうか。それとも他人でしょうか。
実は、人間の運命は、その人間自身が、決めているものなのです。
それは、決断という判断の繰り返しによって、方向性が定められているに
過ぎないということです。
その決断には、小さいものから大きなものまであるでしょう。
そして、その決断をするのは、誰でもない人間自身であり、
その結果としての出来事=運命は、その人間が定めて選んだものなのです。
つまり、逆に言えば、運命は、自分自身の選択によって
決められる部分が、非常に多いということになります。
人生を築くにあたって、それは自分自身の手の中にあるのですという
前向きの捉え方をすべきでしょうということでもあります。
難しいことです。決断するには勇気も必要です。
また、知識、知恵も必要かもしれません。
だからこそ、人それぞれの道になるのでしょう。
運命だからという理由で、あきらめてしまうことには意味がないと
いうことですね。人生には、自分で決められる可能性の部分が、
まだまだ多くあるのですから、前向きに生きていきたいものですね。
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2005年01月26日

君、時というものは、それぞれの人間によって、・・・

『君、時というものは、それぞれの人間によって、それぞれの速さで走るものなのだ』
  シェークスピア「お気に召すまま」より

生きている時間、それは、ひとり、ひとり、まったく違う流れをもっているという
そのことを、娘の時間と泥棒の時間を例にして語った台詞。
シェークスピアは、英国の誇る劇作家で、作品の中には、多くの名言が残されています。
時は、みんな異なる速さですぎていく、つまり人生の流れは、人それぞれなのですと
いうことですね。皆、自分自身の時を過しているのです。
だから、それがゆっくりとしたものでも、早いものでも、いろいろあってよいのです。
他人と比較して、悲観したり、喜んだりするようなものではないということです。
自分の時間の流れを大切にして、人生を歩んでいきたいものですね。

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2005年01月25日

愛はすべてに打ち勝つ

『愛はすべてに打ち勝つ』 ヒルティ(スイス法学者)

このフレーズ、だれもが聞いた感じがするのではないでしょうか、
少し前に、流行した歌の印象が強いからだろうなって思います。
財力や欲望で結ばれた関係は、その目的がかわると解消してしまうもの
でも、愛で結ばれた関係は、目的には無関係であるから、
すべてに打ち勝ち関係は維持できるのだといったことを
表現している言葉です。
愛というものについて、甘いイメージを持つ方が多いでしょうが
本当に愛するということは、総てをささげることができるというほどの
強い心が必要です。
なかなか出来ません、だからこそ、出来たときには、それは物凄く
強い絆となるのだといえるでしょう。
愛がなくなったとか言う人がいますが、そんな言葉が出ること自体が
愛ではなかったことを意味しているのだとも言えるのではないでしょうか。
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2005年01月24日

五里霧中

『五里霧中』 後漢書より

さて、迷うことは、よくあることではないでしょうか、
五里霧中の状態になったとき、人はどうすべきなのでしょう。
このような状態には、人生で何度か陥るものだと思います。
そんなときに、手を差し伸べてくれる人がいたら、
どんなに感謝に思うでしょうか。
それが、かすかな明かりであってもです。
そんな友人、知人、親族がいることが、幸せなことではないかと
思います。
部下が五里霧中に陥るような状態にしてしまうような上司がいます。
それでいて、自分の責任ではなく、責任をも部下に転嫁してしまう。
その部下はストレスで、ダメになってしまうでしょう。
それは、部下の責任でしょうか?。
よく、コラムや書籍で、出来るSEとか、出来るマネジャとか
出来る社員は、自分で何とかするものだいたいなことがかかれています。
自分でなんとか出来る状況しか、企業の中にはないのかといえば、
そんなわけはありません。でも、そのことに触れる本はみたことありません。
きっと、その本を書いた人たちは、幸せな環境にいたことを
自分の力であったと信じているのだと思います。
しかし、実際の社会はそう恵まれた人ばかりではありません。
誰も助けてくれない五里霧中の状態に追い込まれることもあるのです。
では、そんなときは、どうすればよいのでしょうか。
霧が晴れるまで、じっと我慢して待つ、ストレスがかなりかかりますが
現実にできることは、そんなことしかないのです。
出来る人は、出来ない人の気持ちが理解できないといったことが
多々あります。他人の視点にたって考えてみること。
なかなか難しいことです。でも、とても大切なことなのです。
あなたは、五里霧中の中にある人に気づいてあげられるでしょうか。

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2005年01月23日

吾れ日に三たび吾が身を省みる

『吾れ日に三たび吾が身を省みる』 論語より

反省するということ、自分の行動をもう一度振り返るということ
それが大切ですよという言葉です。
しかも、一日に三回は、振り返ってみて、ごらんなさいと。
なかなか、毎日、3回も自分の行動や行ったことを振り返り
反省するのは大変です。
いかし、それくらいのつもりで、日々の行動を反省する気持ちを
持つということは、すなわち、毎日を大切に生きなさいと
いうことでもあります。
人は、誰でも過ちをします。また決断できなかったり、
やろうと思っていたことが出来なかったり、誰にでもあることです。
それを、振り返って後悔することは簡単ですが、
反省することは、いがいと難しいことだと思います。
でも、それが出来れば、きっと、明日への光明がみえてくるのでは
ないでしょうか。
ときどき思い起こして、反省してみることは、大切だなと思います。
人は、失敗からの方が、より多くのことを学ぶことができるものですから。
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2005年01月22日

人を以って鏡と為す

『人を以って鏡と為す』  唐書より

人間は、社会的な生き物であるという言葉がありますが、
それ故に、この言葉は意味価値をもってきます。
良き師を見習って、自らを正すことの大切さを
語っているからです。
自分の姿を鏡に映したとき、その心に曇りはありませんか、
過ちを見出すことはありませんか、
そんなことがあったなら、正しき人の姿を心を思い起こしましょう。
そして、見習いましょう。
ただし、悪きものを見習ってはいけません。
この言葉の真意をは、異なるからです。
しかし、まだ自分で判断できない子供たちにとっては、
身近な人たちが、すべて鏡となってしまいます。
だからこそ、大人は、子供と接するときに、自らの行動を正すことが
大切だといえるでしょう。
少年犯罪は、社会と大人に根本の原因があるといわれることがあるのも
当然なことだろうと思います。
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2005年01月21日

世界は一家、人類は皆兄弟

『世界は一家、人類は皆兄弟』 笹川氏CMの言葉

このフレーズは、昔はTVで良く流れていたものでした。
考えてみると、この言葉を何度もCMで流していたことは、
立派なことではなかったのだろうかと思います。
この言葉のあとに、『一日一善』と続きます。
昨年のスマトラ沖大地震を含め、世界を襲っている自然災害は、
最近は、凄い感じです。
そんなときに、人種も国家もこえて、人類が協力し合い助け合うこと
そのことの大切さを、フレーズ化して表現していたのですから、
そして、その第一歩が、一日に一回で良いから、善行をしましょうと
なるわけです。
また、CMでこのフレーズが流れるようになればよいのになと
思ってしまいます。
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人生は朝露の如し

『人生は朝露の如し』

このことわざは、人生というものの儚さ、また一瞬にすぎていくものであると
いったことを語っています。
人生が有限な時間であるという事実は、変わることはありません。
このことわざの背後には、だからこそ、大切に充実したものにしていくことが
必要なのです。ということが語られているともいえます。
日本は、ここ数年以上、年間3万人以上の自殺者を出しています。
朝露のように、朝日とともに消えていく、そんなはかなく短い人生を
自らの手で中断させてしまう人が、大勢いるという時代、悲しいことだと思います。
そんな人たちが、少しでも減るような社会にしていく必要があるでしょう。
これは、個人の問題でもあるけれども、企業の問題、地域の問題、教育の問題、
社会の問題でもあるといえると思います。
このようなことわざは、命の大切さを感じるという意味で、使われるべきだろうと
思います。
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2005年01月20日

花はただ咲くただひたすらに

『花はただ咲く ただひたすらに
 ただになれない 人間のわたし』
        相田みつを

ニュースにもなった問題国語教師の事件で、話題にあがった相田みつを氏の言葉です。
これは、花は、誰もみていなくても、美しくひたすらに咲いている様子に対して
人間というものは、誰もみていないところで、只管に正しく生きていることが
出来ないものなのなのだなといったことを表現した言葉ですね。
禅の心を、人知れず咲く花の様子に喩えているといってもよいでしょう。
相田氏は谷間に咲く白百合をイメージいておられたようですね。
ただ、只管に生きること。簡単そうであって難しい、それが人生というものでしょうか。
でも、花もひたすらに散り行くまで咲きつづけているのだから、
我々人間も、その様に、ひたすらに人生を歩んでいきたいものだという意味合いも
この言葉の背景には、考えられると思います。

ただひたすらに、自然のまま咲く、花の美しさに、私たちは何を学ぶべきなのか、
自然に触れ、そよ風を感じ、花の香りをかぎ、たたずむとき、
何かを感じられる、そんな気がしませんか。
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2005年01月19日

言うべき時を知る人は、・・・

『言うべき時を知る人は、黙すべき時を知る』
              アルキメデス

話をするタイミングというものは難しいものです。
ここで言ってしまってよいのか、それとも言わない方がいいのか、
迷うことが多いのではないでしょうか。
沈黙すべきなのか、雄弁に語るべきなのか。
会議の場でも、面談の場でも、質問のあとでも、
会社でも、飲み会でも、学校でも、
話してよいものかどうか、言っても良いものかどうか、
悩む人は多いのではないでしょうか。
最近は、主張すべきことは主張しなさいということが良く言われています。
でも、なかなか難しいこともあるものです。
特に、怒られていると感じているときや、相手に恐れを感じているときは
なかなか言葉が出てこないのではないでしょうか。
話すべきときをわかっているひとは、話さないときもわかっているというのは
確かにそのとおりかなって思います。
これは、相手や周囲の雰囲気、状況を把握して、判断できるということを
しめしているといえるでしょう。TPOにあわせて判断するということですね。
ただ、立場が異なる場合の会話においては、下の立場にあるものは
常に話ずらいものであることを、上のものは理解しておく必要があります。
それでなければ、本音を聞き出すことなど出来ないでしょう。
人は、間違えることを恐れます。また自分に不利益になるかもしれないことも
恐れます。それが、ただ話すということだけで生じると感じたとしたら
話せなくなるのは当然のことだろうと思います。
話す側への言葉ですが、逆の意味で、聴く側にとっても考えるところがある
言葉ではないかなと思います。

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2005年01月18日

人間には二通りある。。。。

『人間には二通りある。
 一つは仕事にありつけないとへこたれてしまう人間、
 もう一つはたとえ仕事がなくとも、
 必ず自分に何かやれる仕事があると信じている人間、
 この二通りの人間である』
              ウォルト・ディズニー

 持続と、勇気、そして前向きな姿勢、
自分を信じることが、大切であり、それが出来なければ
道は開けてはこない。アカデミー賞の受賞王であり、
アメリカのアミューズメント王であり、アニメーション界の巨匠、
彼の残したものは、今も脈々といきづいています。
優しさと笑いと勇気、そして、愛情、素敵なキャラクターたちは
今も多くの子供たちを惹きつけてやみません。
自分の中の可能性を信じて、どんな困難の中においても
希望を忘れずに、進んでいくこと。
本当に大切なことなのですね。
へこたれてしまう人間ではなく、信じている人間になりたいものです。
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2005年01月17日

Such master,such servant

『主人も主人なら、丁稚も丁稚』

英国のことわざで、上のものがダメダメだと、下もダメダメということを
表しているそうです。これは、いかに上に立つべきものが大切であるかと
いうことを示しているといえるでしょう。
部下が出来ないのは上司の責任ともいえるわけです。
よく、部下が出来なくてねとかいう上司がいるようですが、
それは、自分はダメな上司だと告白しているのと同じことなのですね。
やはり、部下をひきつけるための魅力と指導力、カリスマが必要です。
それを磨く努力をなくして、上に立つべきではないということでしょう。
よく、部下を誉めるときには、人の前で、叱るときには人のいないところでと
いわれますが、それすら出来ないレベルの上司が実際にはいかに多いことか
現代社会にける企業のストレスからのうつ病患者の増加、過労死、労災の増加、
そして、過労自殺、それらの責任の多くは、経営者と上司たる立場にある
人物の能力と人間性にあるといってしまっても過言ではないのでは、
そんなことを思います。
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2005年01月16日

平常心是道

『平常心是道』  禅語より

平常心という言葉で、思い出すことは、中学校の修学旅行での京都での和尚さんの話です。
当時、平常心という本、不動心という本を、買って読んだ記憶があります。
人は、迷いをいつも感じてしまいます。また、恐れを感じることも多いです。
失敗しないか、これでいいのか、上司に怒られないか、評価にひびかないか、
間違っていないのか、なかなか、平常心ではいられないものです。
平常心でいることこそが、人生の道、王道であるということであり、
それは、無理をすることでも、我慢することでもなく、
ありのままの自分、自分の中にある能力、経験、記憶、感性、などを、
普通に生活するなかで、出していくことの積み重ねのなかにあるのですといわれるものの
なかなか、簡単なようで、難しいのですね。
人生には、近道はないということです。日々の積み重ねが、人生であり、
それは、平常なことの繰り返し、でも、それも人生であるのですね。
世の中には、理不尽なこと、自分では、どうしようもないことが沢山あります。
会社の中にも、普段の生活においても、理解できないこと、理解してもらえないこと、
判ってくれない人、わからない人、仕事でもプライベートでも、きっと多くのそんなことが
あるのではないでしょうか。
そのときに、平常心でいられるのか、難しいですね。
でも、平常心でいられたら、きっと開けてくるものがあるのだろうと思います。
憎しみより哀れみを、誇りより謙虚さを、怒りより微笑みを、
許しのこころ、慈愛のこころ、仁のこころ、平常心につながるこころなのかもしれません。
普通の主婦のなかにこそ、本当の意味で、平常心をもって、道を歩むことのできる
凄いひとがいるのかもいれません。
最後の最後、人は、何を持っているのか、何をなしえたのか、何を得たのかではなく
どう生きたのか、どんな心をもち、人格をもったいたのか、それだけが価値として
残るのだと思います。
ただ、なかなか、悟りえることは、難しいのですよね。
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2005年01月15日

偕老洞穴

『偕老洞穴』

最近は、この言葉を聞くことは殆どなくなったのかもしれません。
人生を歩むにあたって、一緒に老いていき、最後はお墓に仲良く入る。
そんな、夫婦像が、理想ではなくなってきてしまったからなのかと
思うと、少し寂しい気がします。
夫婦という言葉の含む価値観が、なんだか希薄になってしまって
いるのかもしません。
特に、甘えられるとか、楽できるとか、楽しくなければいやとか、
そんな方向だけに目が向いていて、苦楽を共にするということが
出来ない底の浅い人生観、価値観ばかりが、表立ってしまっているので
ないのかなって感じます。
女性の負け犬とか、少子化とか、同居はいやとか、核家族化とか、
一人暮らしの老人が誰にも気づかれず亡くなっていたとか、
そんな話題って、日本が平和すぎ、豊か過ぎることへの警鐘なのかなって
思うこともあります。
この言葉の意味を理解して、支えあえる夫婦って理想ではないでしょうか。
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2005年01月14日

気宇壮大

『気宇壮大』

この言葉の表すような気持ち、心構えでいたいものだと思います。
そして、この言葉のような着想、発想が、生み出せて、
いくことが出きれば、何かしらの光明が見えてくるではないだろうかと。
しかし、この表現の似合うような提言、提案をするためには、
人間性や知性を磨いていかなければならないのでしょう。
まだまだ、なのかなと、感じることが度々です。
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2005年01月13日

夢のゆきついたところに・・・

『夢がゆきついたところに結婚があるのではなくて、
 結婚から夢の実現がはじまるのです。』 山本周五郎「日本婦道記」より

 結婚披露宴で、使われるような言葉です。とは言うものの人生の中で
結婚という節目は、人が人としての義務を果たす上で大切なものであるといえるでしょう。
人の歴史は、親から子へ子から孫へと続く連鎖の上になりたっているのです。
子育てという行為が、人が人であるために、大切なことである理由は、
まさに、未来への礎をつくるということであるからに違いありません。
また、子育ては、人をまた成長させます。親もまた子育てを通じて、得るものがあると
いえるからです。結婚から夢の実現ははじめるという言葉は、素敵に人の歩みを
表現してくれていると思います。
 最近,負け犬という言葉が一部で流行していると聞きます。
30歳過ぎで、独身、子供もいない女性のことを指して言うようですが、
さて、誰が言い出したのかは知りません。
 DNAを未来に託すことができるのは、子供を産み育てることからしかはじまりません。
それは、単に遺伝子という意味ではなく、心を伝えるという意味をこめて考えるからです。
少子化の問題は、まさに人が社会を築き、未来を築くといったことへの責任を感じるような
教育がなされてこなかった結果ではないかと感じます。
 とはいうものの、結婚という夢の始まりに、手が届くのが、大変なこともあります。
縁というか、人生のなかの機会を、逃すということが、いかに大きな後悔を産むか、
感じさせられます。
 私もはやく、夢の現実への一歩を歩みだしたいものです。
posted by 清水の伏竜. at 01:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする