2009年11月10日

私は災難の起こるたびに、これをよい機会にした。

『私は災難の起こるたびに、これをよい機会にした。』
  ジョン・ロックフェラー

 災難も、よい機会にする。
まさに、災い転じて福となすということ
そうできる人は、まさに大きく飛躍する
ということでしょう。
災難にあって、ただ悲観するのでなく
よい機会と前向きに捉えて、
乗り越えて、さらに足がかりとして
飛躍する。そうできるか否かは
まさに、心のもちようであり、
意思の力であるといえるでしょう。
災難をプラスにすることが出来ますか?
出来るのであれば、きっと大きく飛躍し
人生をより豊かなものにできるでしょう。
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2009年11月09日

青年時代は悲観してはならぬ。常に抗戦を。

『青年時代は悲観してはならぬ。常に抗戦を。』
  魯迅

 青年の心もありようは、どうあるべきか
そんなことを伝えてくれている言葉です。
青年時代とは、いつころでしょうか、
18歳から30歳くらい?
それとも、40歳くらいまで?
年齢と心は、それぞれ、個人の生き方、
ものの考え方によって、異なるかもしれません。
 少年の心、青年の心、壮年の心、熟年の心、老年の心、
それぞれ、どんな心のありようなのか
異なっているようで、実は、異なってなどいない
人の心ということでは、同じなのですから、
年齢を積み重ねるということは、
人生の経験を積み重ねるということです。
したがって、何らかの成長があるということに
他なりません。
 生まれ死に逝くことがさだまっている人生
そのなかで、時を刻んでいくということ、
年齢をとっていくということは、
目的に向かってとにかく進んでいるということでしょう。
だから、どんなときでも悲観することはない
そういえるのだとおもいます。
なぜなら、だれもが逝く日がくるわけであり、
その日は、日々近づいているのですから、
そして、そこが、この人生でのこの世でのゴールで
あることに間違いはないのです。
来世に向けて、なにを積み上げることができるのか
それが、残された人生をどう歩むのかという
ことであるといえるでしょう。
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2009年11月08日

いいと思った事は、どんな小さな事でもするがいい。

『いいと思った事は、どんな小さな事でもするがいい。』
  武者小路実篤

 これって、する必要あるのかな
 そんな悩みをもったことがあるなら
 この言葉を思い出してみるとよいかも
 自信をもって、自分を信じて、
 いいとおもったなら、
 どんなに小さいことであっても、
 おこなってみればいい
 やっていけばいい
 小さいことだから、やらなくてもいいとか
 無駄だとか、そんなことなど
 ありはしないということです。
 大きなことをすることだけが、
 何かを成し遂げるということではない
 ということです。
 小さいことの積み重ねにこそ
 大切なものが隠れていたりも
 するものだということです。
 だから、いいと思ったなら
 そのことの大小にとらわれずに
 一生懸命やってみればよいと
 いうことでしょう。
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2009年11月07日

ひとは単に知っていることによって

『ひとは単に知っていることによって
 知慮あるひとたるのではなくて、
 それを実践しうるひとたることによって
 そうなのである。』
  アリストテレス

 知恵は、知識を使うことで
意味あるものになるということ
大昔からいわれてきているということです。
 よく、知るだけではダメということが
言われますが、その言葉は知ることを
否定しているのではありません。
たまに勘違いして、知ることは意味がないと
思っているひとがいるようですが、
知ることがあっての知恵であることを
わすれてはなりません。
知ることも意味があり、とても大切なことです。
ただ、知ることができたら、
そのままでいては、もったいないし
何もかわらないということです。
知って、その知ったことを活用すること
そうすることで、意味のあるものが
生み出されていくということです。
知慮があれば、まさに得た知恵を実践して
いくことが出来るでしょうということです。
ただし、知恵をどこまで実践し活用できるのか
それには、環境やチャンス、出会いなどが
必要となるのも、また事実であったりします。
諸葛亮孔明も、三顧の礼の劉備の熱意が
なければ、その知を天下のために活用する
ことはなかったでしょう。
 学び知識を得ることも大切です。
そして、得た知識を、知恵として活用し
ビジョンを、夢を、実現させていくことも
大切なことであるということです。
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2009年11月06日

誰がそう言ったか、をたずねないで、

『誰がそう言ったか、をたずねないで、
 言われていることは何か、に心を用いなさい。』
   トマス・ア・ケンピス

 この言葉は、とても重要なことを
伝えてくれています。
人にとって大切なもの、謙虚さのことでも
あるといえるでしょう。
諫言、苦言、注意、意見、進言、助言、・・・
いろんなことを言われます。
そのとき、人は、それを言った人が誰かで、
その言葉を聴かなかったり、無視したり、
馬鹿にしたり、取り合わなかったりしてしまう
ことがあったりします。
それは、誤りであり、駄目な事であると
いうことです。
誰が、言ったのかではなく、
言われたことの内容に、注目して、
心にとめて考えることが、大切であり
重要あるということです。
子どもの言った言葉のなかに、
大きなヒントや真理があったりもするのです。
こんな人がこんなことを言うのか
そんな偏見や差別を持つことは、
人を小さくし、成長させないということです。
誰がいったのかではなく、
いわれたことに心を用いること、
それによって、大きなものを
得ることができるかもしれません。
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2009年11月05日

無関心とは精神の麻痺であり、

『無関心とは精神の麻痺であり、
 死の先取りである。』
  チェーホフ

 無関心ほど、人の成長や可能性を
閉ざすものはないということです。
子どもは、どんなことにも関心をもちます。
関心をもつことは、人が生まれたときから
持っているものであるのです。
無関心になるということは、人であることを
やめるということだともいえるのかもしれません。
まさに、心の病にかかった状態であると
いえるでしょう。
ただ、関心があるのも良いのですが、
成長していくなかで、関心をもつ方向が
重要になっていくようにおもいます。
あらゆることに関心をもち、吸収していくことは
なかなか出来ないことであったりします。
関心をもつ対象は、自然に絞られていくのが
多くの人であるといえるでしょう。
そのとき、関心のあるものが、
どんなものなのかによって、
人生の歩みが変わっていくのではないでしょうか
メディアは、視聴者の関心を気にします。
販売者は、消費者の関心を気にします。
関心のありかたは、社会のありかたを
創っている要素であるといえるでしょう。
もし、よりよい社会にしていきたいと思うのなら
多くの人の関心が、どこに向かっていくのかが
重要なポイントのひとつになっていくでしょう。
市民ひとりひとり、国民ひとりひとりの
関心のあり方が、地域や国を変えていくとも
いえるでしょう。
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2009年11月04日

私たちは現在に賭けるのだ。

『私たちは現在に賭けるのだ。
 ほかになにができようか。』
  マーガレット・ドラブル

 今を生きる。今をいきている。
それが、人の現実であるということ、
それゆえに、現在に賭けて、
歩んでいく以外に、なにもないということを
この言葉は、問いかけています。
過去も、未来も、現在を生きることから
意味あるものになっているのだと
いえるのでしょう。
だから、今を生きることに、
人は一生懸命になるのだということです。
今を、どう生きていくのか、
その先にある未来に希望や夢を抱くことも
今を生きるなかのひとつの行為であると
いえるでしょう。
そして、今を生きるために、
互いに助け合い、支えあい、
慈しみあっていくことが、
大切なことであるのだといえるのでしょう。
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2009年11月03日

大統領や総理大臣には代わりがいるだろうが、

『大統領や総理大臣には代わりがいるだろうが、
 オレの代りはいないんだ。』
  勝新太郎

 天上天下唯我独尊。
この2500年前の言葉は、
真理の一部を伝えていますが、
それを、自分の言葉で語っている
そんな言葉であったりします。
そして、この言葉をいえるということ
言い切れるということは、
自分を信じ、自分の人生をしっかりと
生きているということに他ならないと
いえるでしょう。
勝さんは、まさに、自分の人生に悔いなし
そして、自分に自信をもっておられた方で
あったということだとおもいます。
人は、誰もが、この世界で唯一の存在であり
代えがたい存在であるのに、
そういいきれない弱さ、
そう信じきれない弱さを
もっていたりします。
それを、乗り越えられるかどうかは
その人の人生のありかたにも
大きく影響することになるでしょう。
生きること、
生きていること、
その意味について、
いろいろ考えてみることのできる
そんな言葉であるかもしれません。
posted by 清水の伏竜. at 23:09| 静岡 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

祝いのむしろ祝しませ

200911011037001.jpg
讃美歌430番
「妹背をちぎる家のうち
わが主もともにいたまいて
父なるかみの御旨に成れる
祝いのむしろ祝しませ
愛のいしずえかたく据え
平和のはしらなおく立て
かみのみめぐみ常に覆えば
さいわい家に絶えざらなん」

万聖節に結婚式に参列しました。
とても素敵な式典でした。
結婚式に歌われる讃美歌は
愛やいくつしみ
助け合い支えあい
永久に過ごしていく
二人に贈られる言葉と
いえるでしょう。
夫婦の愛、家庭の愛、
はいつの時代でも大切なもの
だといえるでしょう。
posted by 清水の伏竜. at 08:41| 静岡 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする